Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 清水の舞台から飛び降りてDVD録画へ
2005年02月28日(月)

 F1グランプリのシーズンが今週いよいよ開幕しますが、それに伴い、ぎりぎりで僕も夢のDVD録画を導入することになりました。これで今後はビデオテープがどんどん山積みになっていくこともなくなり、コンパクトかつ劣化することなく、各グランプリの映像をストックすることができるようになります。で、今日はその僕が導入したDVD録画のシステムについて説明したいと思いますが、かなり複雑な内容なので、皆さん頑張ってついてきてください。

 僕が今回買ったDVDレコーダーは、テレビの下に設置するいわゆるデッキ型ではなく、MacとFireWireで接続して使う、データ記憶装置としてのものです。以前プレイステーション2が調子悪くなった際、DVD録画ができるPSXを買おうか悩みましたが(1月16日付参照)、PSXやデッキ型のDVDレコーダーだと、テレビ番組を録画したりDVDを閲覧するには手軽で使い勝手がいいですが、それだとテレビ番組の録画だけ、つまり映像の記録しかできませんよね。
 しかし、本来DVDはフロッピーディスク、MO、CD−R同様データ記録用メディアですから、別に映像だけではなく、CD−Rと同じように画像やファイルなどのバックアップを記録させることもできるわけです。つまり、CD−Rは700MBしか入りませんが、DVDは4.8GB(1GB=1024MB)の容量があるので、ハードディスク全体のバックアップを取ったりすることもできるわけです。だからパソコンを使った仕事をしている僕としては、デッキ型よりもMac接続型のDVDレコーダーの方が、テレビ番組を録画する以外にもいろいろ応用できて便利というわけです。

 さて、ここまではいいのですが(ついてきてますか〜!)、デッキ型だと当然オールインワンですから、基本的にはアンテナ線を接続してテレビの入力端子に接続しさえすれば、あとはボタン一つで簡単に映像の取り込みからDVDへの録画まで、便利なものでは後追い再生(録画しながら追いかけて再生していく機能)なんてものまでできてしまいますが、Mac接続型ではそうはいきません。DVDレコーダーを買ったからといって、Mac上のデータの保存はできますが、すぐにテレビ番組も録画できるというわけではありません。
 まず根本的な部分で、僕の使っているeMacにはテレビチューナーが付いていませんから、まずテレビ線を引っぱってきて、Mac上でテレビを閲覧できる状態にしなければいけません。しかもただ閲覧できるだけではなく、それをMacに取り込むわけですから、映像や音声のアナログ信号をデジタル信号に変換できなくてはなりません。さらに、現状では僕のeMacのハードディスクの空き容量が20GBぐらいしかありませんから、映像を取り込むには全然足りないので、最低でも100GB以上の外付けハードディスクが別に必要となってくるのです。

 そんなわけで今回、DVD録画を導入するにあたって、DVDレコーダーの他に、テレビ番組や他のビデオデッキなどの外部入力といったアナログ信号をデジタル変換してMacに取り込める「TVチューナー搭載アナログ→DVコンバータユニット」、それに160GBの外付けハードディスク、さらにそれらを接続するために必要な「AV信号切替器」やケーブルなどを、新たに買うことになったわけです。
 これらの購入でかかった金額はしめて約7万円、オールインワンのデッキ型DVDレコーダーを買うのと値段的には大して変わらないし、映像以外にもデータの記録もできるという点でデッキ型よりも応用が利くとはいえ、この時期に7万円の出費は、正直言ってかなりキツいですね。
 ただ、F1も開幕することですし、この先何かと役になってくれることでしょうから、清水の舞台から飛び降りる思いで、思い切って買いそろえてしまいました。

 いや〜、久しぶりに高い買い物をしたなあ……。こういうのを衝動買いと言うんでしょうかねえ。まあ僕は普段ほとんどお金は使わないんですけどね。

(つづく)



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 「ロード・オブ・ザ・リング〜王の帰還〜」
2005年02月27日(日)

 WOWOWでたまたま「ロード・オブ・ザ・リング」3部作の最終章「王の帰還」がやっていたので、ビデオ録画することに成功しました。この作品は劇場で公開されたときに観ていたのですが、やはり話題作ですし、原作の「指輪物語」は中学生の頃から好きでしたからねえ。
 以前1作目の「旅の仲間」「二つの塔」は友達に録画してもらったので、これでビデオで3部作すべてが揃ったことになります。

 それにしても長かったです。原作同様3部作に分けたにもかかわらず、4時35分に始まってCMなしのノーカット版で、終わったのが8時前でしたからねえ。さすがは映画化不可能といわれたJ・R・R・トールキンの最高傑作、ファンタジーの金字塔といわれる20世紀の超大作ですね。

 内容自体はすでに映画館で観て知っているので、今回は録画しながら観ることはせず、別のことをしていました。なので忘れた頃にもう一度1作目から一気に見直して堪能したいと思います。



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 熱で寝込む
2005年02月25日(金)

 今日はここ数日間の疲れが出たせいか、朝から熱を出してしまい、1日寝込んでいました。幸い熱と悪寒以外の症状はなかったので、薬を飲んだら夜には楽になりました。今週はお葬式の準備やらで何かと忙しかったので仕事を入れておらず、休んでも差し支えなかったのでゆっくりと静養することができました。明日も特に予定はないので、家でゆっくりしていようと思っています。

 そうそう、今週の22日に病院で処方された新しい薬、毎日2錠ずつ服用しているのですが、おかげで今のところまったく片頭痛は起きていません。こんなに効き目があるとは、正直びっくりですね。片頭痛に悩んでいらっしゃる方々には、是非お勧めしたいです。こんなに簡単に治るんだったら、もっと早くから病院に行っていれば良かったと今更ながら思います。



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 おばあちゃんのお葬式
2005年02月24日(木)

 いや〜、疲れました。ずっと気を張っていたせいか、すべての式が終わって自宅に帰ってきた頃にはどっと疲れが出てしまい、夕方から夜まで寝てしまいました。

 おばあちゃんのお葬式は、まず朝の身内だけのお別れの式から始まりました。棺桶に一緒に入れるものを入れ、その後飾り花でおばあちゃんの身体の廻りを飾り、最後に棺桶の蓋をして、「釘打ちの儀」で終わりとなります。ところが、棺桶に蓋をする際、それまで気丈に振る舞っていたおふくろが、思わず載せようとした蓋を再びこじ開けようとして「お母さん!」と泣きながら叫び、とてもたまらない気持ちになってしまいました。

 その後参列者を招き入れての出棺前の儀式が行われ、その最後に母が遺族の代表としてお礼の言葉を述べたのですが、時折言葉に詰まったりもしましたが、しっかりとした声で、無事に最後まで言葉を言い終わることが出来ました。遺族席に戻ってきたおふくろに、こっそりと「頑張ったね」と声を掛けてあげました。

 その後、霊柩車とバスで火葬場に移動し、納骨に約1時間20分ほどかかると言うことだったので、その間待合室で食事をとることになりました。その間、おふくろは親戚の人たちと笑い話などもしていたのですが、やはり実際に骨になってしまったおばあちゃんを前にすると、「おばあちゃんの骨、こんなに少ないよ」とまた涙ぐんでしまいました。

 遺骨となったおばあちゃんとともに再び会場へ戻り、この後は本葬儀と、繰り上げで初七日の法要まで済ませてしまいました。最後は場所を移動し、「精進落とし」として参列者全員で精進料理を食べました。しかし、火葬場で食事をとってからまだそれほど時間が経っていなかったので、かなり苦しかったです。おふくろが笑顔を取り戻して、デザートのメロンを3人分もぺろりと平らげてしまったので安心しました。

 おばあちゃんの享年は81歳。81年の生涯がおばあちゃんにとって長かったのか短かったのかというのはおばあちゃん本人にしかわかりませんが、大事なのは、「どれだけ生きたか」ということよりも「どう生きたか」と言うことだと思います。おばあちゃんという存在は、唯我独尊、天上界でも地上界でもただ一人です。そしてそのおばあちゃんの存在は、僕たちの心の中に、思い出として刻み込まれています。
 「天命を全うする」の「天命」とは、100歳のことを指すのだそうですが、100歳以上生きられる人というのは、数十人に1人と言われています。しかし、だらだらと100年生きるよりも、充実した81年を生きる方がよっぽど価値のある生き方だと思います。おばあちゃんは皆に愛され、価値のある人生を送ってきたと思います。

 昨日のお通夜、今日のお葬式とも、とてもいい式でした。おばあちゃんもきっと喜んでくれていると思います。



おばあちゃんと僕



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 免許更新とお通夜
2005年02月23日(水)

 先週警察署に自首免許更新の手続きに行き、仮更新をしてきたのですが、僕は一昨年にスピード違反を犯しているので、今日1時間の安全講習を受けて、無事に新しい免許証をもらうことができました。
 僕はスピード違反は犯しましたが、元々あまり乱暴な運転をする方ではなく、「譲りのS2000」と言われるほど思いやり運転を心がけていますが、こういう安全講習や交通安全のビデオを観るたびに、改めて身が引き締まるような気がしますね。今後も、荒っぽい運転はサーキットかゲームの中だけにしたいと思います。

 さて、話は変わりまして、先週の20日におばあちゃんが亡くなったのですが、実は翌日から21、22日と友引が重なってしまったために、今夜お通夜を営むことになりました。おばあちゃんの家はいろいろ散らかってしまっている上に、急に亡くなったので片づける時間もなかったため、葬儀屋さんの会場を借りてお通夜から本葬儀まで済ませてしまうことになりました。
 お通夜は午後6時半からしめやかに執り行われましたが、会場もきれいで飾り付けも豪華、そして進行役の方もとても丁寧で親切な方で、とてもよいお通夜でした。

 長年会っていなかった叔母さんや親戚の方々とも久しぶりに会って、みんなから「え?まこちゃん?いや〜大きくなったねえ〜!」とか「見違えるぐらい立派になって」とか言われました。なので「5日前に30歳になった」と言うと、みんな驚いていました。

 明日は朝9時半から、お葬式の前の身内だけのお別れの式が行われます。今夜はお線香を絶やさないようにしなくては。


更新されたMakoの免許証



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 2回目の片頭痛受診
2005年02月22日(火)

 長年悩み続けてきた片頭痛で、今月8日に初めて受診したのですが、今日はその2回目の受診です。今回は前回処方された偏頭痛にしか効かない薬「マクサルトRDP錠」の他に、「ミグシス錠」という薬も処方されました。マクサルトは痛み出したときに服用して痛みを和らげる薬ですが、ミグシスは1日2錠ずつ毎日服用する薬で、脳の血管が広がるのを抑えて片頭痛を起こりにくくしていく薬です。

 マクサルトはとても高価な薬で、定価は1錠約1000円、保険を使っても1錠300円もするので、効き目があるかわからなかった前回は4錠処方してもらいましたが、よく効くことがわかったので今回は10錠処方してもらいました。つまり、マクサルトの処方代だけで3000円ということですね。ミグシスはそれほど高い薬ではないので、14日分処方してもらいました。このミグシスを飲むことによって片頭痛が起こりにくくなっていくようであれば、徐々に体質が改善されて片頭痛とおさらばできるようになると言うことですね。

 ところで、僕は生まれてくるときに、おふくろの子宮口が全開したにもかかわらず、胎児の僕が下がってこないで分娩できなかったため、鉗子(かんし)と呼ばれる金属制のへらを2枚はさみにように組み合わせたもので、頭を両側からはさんで引きだす「鉗子分娩」という方法で生まれてきたのですが、この鉗子分娩で生まれてきた子供の多くが片頭痛になりやすいのだそうです。

 これを知って、自分の普段の生活に問題があるわけではないことがわかり、ちょっと安心しました。



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 安眠計画
2005年02月21日(月)

 今まで使っていたマットレスと敷き布団が古くなってぺちゃんこになってしまったので、昨日から新しいものに替えました。ついでに枕とシーツも替えました。
 ニトリというお店で買ってきたのですが、マットレスは三つ折りになるもので、頭の部分と足の部分が柔らかく、真ん中の部分が少し堅めになっているバランスタイプというもので、敷き布団は羊毛、そして枕は低反発のいわゆる「安眠枕」です。シーツは敷き布団用、掛け布団用、そして枕カバーの3点セットがあったので、グレーっぽいやつを2セット買いました。

 で、昨日一晩新しい布団と枕で寝てみたわけですが、いやいや、全然違いますね。何かこう、どの体勢になっても身体がしっくりくるといった感じで、寝返りの必要もなさそうなくらいのフィット感があります。僕は後頭部の骨が出っ張っているので、仰向けになるとそこが当たってしまうので、今までは仰向けで寝ることができなかったのですが、枕を低反発に替えたので、仰向けで寝ても全然違和感がなく、落ち着いて眠ることができます。おかげで昨夜は3時過ぎにおばあちゃんの家から帰ってきて寝るのが遅くなってしまったのですが、ぐっすり眠れて、今朝もすっきりと起床時間の8時に起きることができました。

 いや〜!やっぱり、布団って大事ですねえ〜!一生の約3分の1は布団の上で過ごすわけですから、快適に眠れる睡眠環境を確保したいものですね!充実した1日を過ごすには、充実した睡眠をとることが大切です。環境は整った!……あとは、睡眠時間か?



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 おばあちゃん逝く
2005年02月20日(日)

 今夜10時30分、僕の母方のおばあちゃんが亡くなりました。
 5年ほど前から肺気腫を患い、以来入退院を繰り返し、肺気腫と付き合いながら生活してきたおばあちゃんですが、昨年から酸素を体内に取り込むことが困難になり始め、常に腕にチューブを入れて、酸素吸入をしながらの生活を余儀なくされました。
 また、今月に入ってからは腸閉塞になってしまい、病院に入院し、お腹がどんどん大きくなってしまいました。しかし、もはやおばあちゃんには手術に耐える体力はないので、手術はせず、鼻から管を入れてお腹のものを出すという処置を施していました。今日の夕方頃にうちの母がおばあちゃんと話したときは、母の言葉に頷いたりしていたようなのですが、夜になって容態が急変し、そのまま息を引き取りました。

 僕は残念ながら、看取ることができませんでした。病院から家に帰ってきたおばあちゃんと先ほど会ってきましたが、何だかいびきが聞こえてきそうなほど、安らかな死に顔でした。本当にただ眠っているようにしか見えませんでした。長い間身体にチューブを入れられ、普段の生活でも、ちょっとしゃべっただけで呼吸が苦しくなったりと、とても辛かったと思います。これでおばあちゃんも、やっと楽になれてよかったと思います。

 もう長くは持たないと覚悟はしていたとはいえ、あまりにも急だったので、今はまだ実感がわきません。しかし、お通夜やお葬式を済ませていくうちに、自然とおばあちゃんが亡くなったことを実感するのだと思います。




 ささやかな誕生会
2005年02月19日(土)

 昨日の話ですが、昨日は夜遅くまで仕事でした。なので実家で両親がケンタッキーフライドチキンとワインを買ってきてくれて、家族3人でささやかな僕の誕生日会をしました。でも実家でのいつもの食卓の席だと、おふくろがお誕生日席なんだよなあ。

 この年になると特に自分の誕生日に何かイベントをするということはあまりありませんが、普段家では食事時にお酒を飲むことはほとんどないので、ちょっぴり特別な気がして嬉しかったです。心なしか昨日は、たまに食べたくなって買ってくるフライドチキンが、いつもと違う豪華なディナーに思えました。でも食べるときはいつものように、手づかみで野蛮にがっついているんですけどね……。



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 Mako生誕30周年記念日
2005年02月18日(金)

 自分で言うのも何だかいやらしいですが、今日は僕の30回目の誕生日です。
 30歳というと、人生で言えば一つの節目になると思いますが、僕的には「男は30から」と思っているので、それほど実感はわかないですね。
 ただ、阪神大震災の年に成人式を迎えた僕にとってのこの10年は、あっという間だったような気がします。僕がハタチになった頃に、誰かに「20代はあっという間に過ぎていくよ」と言われましたが、まさにその通りでした。しかし、とても充実した10年間だったと思います。
 今後は今まで以上にいろんなことに挑戦し、常に新しい目標を持ち続け、その目標に向かってさらに充実した人生を送っていきたいと思っています。

 僕は20代後半ぐらいから、「何歳に見える?」と聞くと「32歳ぐらい」と言われるほど老けて見られ大人びて見られたわけですが、これで本当に30代に入ったわけですから、今後は40代、50代になるにつれ、逆に若く見られることでしょう。そしてきっと「え?うそ〜!40代に見えな〜い!若〜い!」などという黄色い声が聞こえてくることでしょう。まあ50代になる頃には、とてもシブくて魅力的なジェントルマンになっているに違いありません。

 30歳と言えば、名実ともにオッサンになったわけですから、今後は精神的にももっと大人にならなくてはと思っています。一方で、常に情報のアンテナを張り巡らせ、若い世代に負けないような感性や何事のも好奇心旺盛な子供心を持ち続けたいとも思っています。

 まあこんな僕ですが、今後とも皆様、よろしくお願いします。



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 「ラブ・アクチュアリー」
2005年02月17日(木)

 先日、以前から気になっていた映画「ラブ・アクチュアリー」のビデオを借りてきて観ました。この映画はヒュー・グラント、リーアム・ニーソン、コリン・ファース、ローラ・リニー、エマ・トンプソン、アラン・リックマン、キーラ・ナイトレイ、ローワン・アトキンソンなど、総勢19人の蒼々たる豪華キャストで贈る、アンサンブル形式のドラマ仕立てで構成されたラブストーリーです。

 この映画は「妻の死を乗り越えようとする男」「愛で言葉の壁を乗り越えようとする作家」「2年3ヶ月と30日片思いのOL」「夫の浮気の動揺を隠せない主婦」「女性部下に誘惑される上司」「憧れのまなざしに気付かない花嫁」「老いぼれロック歌手」「恋に落ちた英国首相」「初恋に悩む少年」などのそれぞれの恋愛模様が巧みに織り込まれ、またそれぞれの人物がどこかで交友を持っているという関係で、実によくまとまった映画でした。
 恋愛の形や悩み、それにシチュエーションは非常に様々で、この世は、実に愛に満ちあふれていると言うことが実感できる作品です。そして、それぞれのエピソードが少しずつ同時進行していくので、その全ての恋愛の行方をテンポ良く追っていくことができます。普通は恋愛ものの映画なら、ひとつの恋愛を2時間かけて描いていくものですが、この映画は同じ時間の中で様々な恋愛を描いているわけですから、恋愛ドラマというものは、突き詰めれば15分程度でも十分表現できるんだなというのがよくわかりましたね。

 製作は「フォー・ウェディング」「ノッティングヒルの恋人」「ブリジット・ジョーンズの日記」など、ハリウッド映画とはひと味違うウィットに富むスタイルで共感を呼ぶ愛の名作を贈り続けてきたイギリスのスタジオ、ワーキング・タイトル。その中心的な存在である脚本家のリチャード・カーティスが自ら初メガホンをとり、すべての人々の心を優しく包み込むような素晴らしい愛のドラマを完成させました。

 この映画では、冒頭で述べたとおり米英屈指の演技派スターたちが映画の感動を支えていますが、多くの俳優が他の出演作品のイメージとそれほど印象の違いを感じませんでしたが、愛妻家でありながら女性部下に誘惑されてしまう上司を演じるアラン・リックマンに関しては、日本で知られている作品でしか知らない僕にとっては、衝撃に近いほどの印象の違いを感じましたね。
 アラン・リックマンと言えば、最近ではヒットシリーズ「ハリー・ポッター」に登場する無口のセプルス・スネイブ先生役が有名ですが、僕的に最も印象深い彼の役は、あの「ダイ・ハード」の一作目、高層ビルを乗っ取る悪党のリーダー。ラストでビルの最上階から、ものすごい形相をしながらスローモーションで落ちていく、あの非常に冷酷非道な極悪人が、「ラブ・アクチュアリー」こんなに素敵な役を演じていて、しかもそれがとても似合っているのが非常に衝撃的でした。もちろん役者なんですからそりゃあ様々な役を演じているでしょうけど、あまりにも僕が今まで知っていたアラン・リックマンとのギャップが激しすぎて、いい意味で驚きでした。「ダイ・ハード」ではとても不敵で冷酷に見えた彼独特のニヤリとした笑い方が、「ラブ・アクチュアリー」では大胆な誘惑に困惑する苦笑に見えるから不思議です。というか、その笑い方で「ダイ・ハード」の悪役だったことを思い出したんですけどね。

 ちなみにその他の役者に関しては、コリン・ファースは「ブリジット・ジョーンズの日記」の印象にとても近く、今回も恋愛に対して非常に誠実な役で、僕的には一番好感が持てました。ローワン・アトキンソンは今回、恋を見守る宝石店員という役回りで出演していますが、その商品を丁寧に包装する様は、「Mr.ビーン」そのものでした。
 そしてヒュー・グラント、彼はこれまでにも様々なラブストーリーに出演していますが、今回は何と英国首相役!おそらく彼の今までのキャリアの中で最も高い地位の役だと思いますが、でもやっぱり、今回もヒュー・グラントでした。着任早々若い秘書に恋をしてしまうキュートな独身英国首相という設定で、ちょっと非現実的な感じも受けますが、こんな首相が実際にいたら、きっと素敵だろうなあと思います。

 皆さん、この世は愛で満ちあふれているんですよ。



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 Mako、免許仮更新
2005年02月16日(水)

 Mako生誕30周年記念日まであと2日と迫った今日、うちを管轄している警察署に出頭して免許の更新に行ってきました。数年前までは、静岡では免許の更新のために、わざわざ遠くにある運転免許試験センターまで行かなくてはならなかったのですが、運転免許の法律が改定され、前回の更新から、最寄りの警察署で手軽に免許の更新ができるようになりました。

 で、前回は「優良ドライバー」だったので、書類を書いた後、目の検査をし、写真撮影を済ませたら、あとは50分ほどビデオを観ていたら免許が出来上がってきたのですが、今回は一昨年の9月にスピード違反を犯しているので(「S2000ニュース」参照)「普通ドライバー」となってしまい、後日日を改めて1時間の安全講習を受けなくてはなりません。なので今回は目の検査と写真撮影だけおこない、現状の免許証の裏に「有効期間延長」のハンコを押されただけで帰ってきました。後日安全講習を受けたら、新しい免許証と交換してもらえるというわけです。
 本来なら今回の免許更新でゴールド免許をもらえるはずだったのですが、あのスピード違反でまた振り出しに戻ってしまったのが非常に悔やまれます。

 今回もギリギリで裸眼での目の検査をパスし、何とか条件の欄に「眼鏡等」と書かれなくて済みます。しかし、実際はもう裸眼では小さいマークはほとんど見えなくて、カンで何とか当ててパスしているという状態です。一応裸眼でも運転はできることになってますが、見えにくい時などにはちゃんと眼鏡をかけて運転しようと思っています。小学生の頃は両目とも1.5あったんだけどなあ……。

 で、その後の免許証に貼られる顔写真の撮影ですが、やはり少なくとも3年間付き合わなくてはならない写真なので、いい顔で写りたいものですよね。僕はこの免許証などの顔写真撮影で、いわゆる「犯罪者顔」や「間抜けな顔」にならないコツを知っています。それは、カメラの前で、微妙に笑顔をたたえることです。つまり「微笑する」ということですね。
 免許証の写真撮影に限らず、パスポートや履歴書に使うような証明写真を撮影するときって、ついつい無意識の状態になっていませんか?無意識の状態で撮影されてしまうと、挙がってきた写真は無表情になってしまったりきょとんとしてしまったりして、「犯罪者顔」や「間抜けな顔」になってしまうのです。つまり、気が緩んでいて「地の顔」が出てしまっているということなのです。
 僕はそうならないように、毎回免許証の写真を撮るときは、意識して微妙に笑顔を作るようにしています。もちろん証明写真ですからあからさまな笑顔では怒られてしまいますが、口を結んだ状態で両端を少し挙げた状態で目もしっかりと開けると、出来上がってくる写真はだいたいさわやか系の好青年に写っています。

 皆さんも免許更新の際は、是非お試しください。



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 天体観測小屋
2005年02月15日(火)

●天体観測小屋を設置

 男性の皆さん、昨日はいくつ、チョコレートをもらいましたか?僕も昨日は大変でしたよ、4トントラックでファンからのチョコレートが大量に運ばれてきて、アパートの部屋に入り切れなくて……あ、すいません、今私、夢を見てました。

 さて、M−NESTでは毎週土曜日の夜10時から午前2時までの4時間、トップページのぽよぎ君で「天体観測会」を開催していますが、今日はそのぽよぎ君の下に、「天体観測小屋」というチャットルームを設置いたしました。このチャットルームは会員制で、パスワードを入力することで入ることができます。入会を希望される方はメールにてお知らせください。もちろん入会費は無料です。

 これまで「天体観測会」はただぽよぎを表示させているだけで、Barに「今星いくつ」などと書き込んでいた程度で、観測会と言っておきながら特にコミュニケーションの場を設けておりませんでしたが、このチャットルームで、土曜夜のつかの間、参加者の方々で語らいのひとときを過ごしていただければ幸いです。また、「天体観測会」以外でも、いつでも利用してくださって構いませんので、Barで待ち合わせをしたりして天体観測小屋で世間話をしたり、独り言を言ってみたりと、自由にご利用ください。



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 Makoの陶器
2005年02月14日(月)

 昨年陶芸で作っていたコーヒーカップ3つが、出来上がってきました。陶芸は、高校生の頃に父の知り合いの陶芸家の方に教わって作ったことがあるのですが、今回は家の近所の陶芸教室で1行程の体験教室で作ったものです。高校生の時に作ったのはなぜか馬の置物と陶器のマスクで、我ながら面白いものを作ったとは思いましたが、今回は初めて実用的なものを作ることができました。
 僕が今回作ったのは映画「ゴースト」で出てくるような「ろくろ」を使ったものではなく、手で形を作っていく「手織り」という手法の陶芸です。

 まず土の粘土を使って形を作っていくのですが、これがなかなか難しく、土でできた粘土なのでけっこう硬くて、幼稚園や小学生の頃にやった粘土遊びのようにはいきませんでした。丸めた粘土の塊を回しながら、その真ん中に親指を入れるようにして両側を盛り上げていき、徐々にカップの形にしていくのですが、厚さを均一にしていくのが特に難しかったです。何とか3つのカップを作り終えたら、今度は取っ手の部分となる帯状のものを3つ別に作り、それをカップの横に曲げてつけて形は完成です。
 その後数日間乾燥させ、すっかり水分がなくなって硬くなった状態のものを、今度はへらで削ったりして形を整えていきます。例えば、カップの中の部分は手で練っているため底の方が狭くなっているので、へらで周りを削りながら側面の厚さと底の厚さを揃えていくというわけです。

 形が整ったら、次は「素焼き」です。成形し乾燥させた器を800〜1000℃の低い温度で24時間ほど焼きます。素焼きをしておくと本焼きの際、収縮率が大きくなってしまうのを防ぎます。
 素焼きが終わった陶器は、焼く前のグレーっぽい色からファンデーションのようなベージュ色、いわゆる典型的な素焼きの色になります。この素焼きを今度はサンドペーパーで磨き、へらの削り跡や手で練っているときにできたシワなどをなくしていきます。しかし、手織りの陶器はろくろで作ったものとは違い、ぼこぼこした感じが味わいのあるものなので、ヤスリがけはほどほどがいいのだそうです。

 それが済んだら、今度は素焼きの上に、釉薬(うわぐすり)と呼ばれる木の灰を溶かした液体で「絵付け」をしていきます。ただ、僕の場合はただ全面に1色の釉薬でコーティングしただけのシンプルなコーヒーカップにしたかったので、絵付けと言うよりはコーヒーカップを釉薬の入ったバケツにちゃぽんと一回浸けるだけという、至って簡単なものでした。この釉薬には様々なものがあるのですが、僕はコーヒーを飲むのに使う予定なので、コーヒーの色に合いそうな、乳白色の釉薬にしました。

 絵付けが終わったら、いよいよ「本焼き」です。本焼きは素焼きとは違い、今度は1300℃前後の高温で焼成します。これで生地がしっかり焼き絞まります。今回お世話になった陶芸教室の窯は薪を使った登り窯で、焼成は数日から数十日もかかります。この本焼きの行程で釉薬が溶け、熱が冷めると光沢のある、つややかな表面になって完成します。

 陶芸は1回の行程にかなりの日数がかかるのですが、先日、僕の作ったコーヒーカップが焼き上がったという連絡をもらったので、早速取りに行ってきました。予想以上にいい仕上がりでした。表面は艶のある美しい乳白色で、3つのコーヒーカップが当たるとカリンというガラスのような音がしたので、「おお!磁器の茶碗と同じ音だ!」と感動してしまいました。
 さっそくこのコーヒーカップを使ってコーヒーを入れてみたのですが、コーヒーの色が陶器の中で映え、とても美味しそうに見えました。やはり乳白色にしたのは正解でした。自分で作ったカップでコーヒーを飲むというのは、なかなか乙なものですな。



完成したMakoの陶器



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 Windowsは難しい
2005年02月13日(日)

 一昨日からネットから離れていたのですが、今日は「アプレシオ」という、いわゆるコミック&インターネットカフェに入ってネットを覗きました。このお店は、ネットだけでなくいろんな漫画や雑誌などが揃っていてそれらを読むこともでき、さらにDVD鑑賞、テレビゲーム、ビリヤード、ダーツなどもやり放題というお店です。ソフトドリンクは飲み放題、お金を払えば食事もでき、何と無料でシャワールームまで使えてしまうと言う充実ぶりでした。
 全国に店舗があるので、出張先の近くにあれば、時間を持て余したときに利用すれば非常に便利な場所ですね。会員になればパーテーションで仕切られた個室を利用できるので、他のお客さんを気にせず独りの空間、またはペアの場合なら2人だけの空間を楽しむことができます。ただ、まあ静岡にいる分には、漫画喫茶や古本屋に行けば漫画の立ち読みはできるし、DVDやネット、それにテレビゲームも自宅でできるので、利用することはほとんどないでしょうね。

 で、このお店でインターネットをする場合、当然パソコンはウインドウズということになるわけですが、やはり普段使い慣れているMacと全然違うので、非常に使いづらかったですね。いつも僕が巡回しているお気に入りのサイト(ブックマーク)はMyYahooに登録してあるので、自宅と同じ環境でネットサーフィンができるのですが、Barでレスを書こうとして、テキストエディターがどこにあるのかわからなくて苦労しました。
 僕はいつもBarのレスを書くときは、Barを表示しているブラウザとは別にテキストエディターを開き、皆さんのカキコを追いながら、フリーズ(Winだとハングアップ?)して文章を消失してしまわないように、テキストエディターでマメに保存しながらレスを書いてきます。で、全部書き終わったらBarの投稿欄に文章をコピペして書き込むのです。しかし、今回は結局テキストエディターがどれだかわからず、仕方がないのでBarを表示したウィンドウを2枚並べ、1枚はカキコを追い、それを見ながらもう1枚の投稿欄にレスを直接書き込んでいくという方法で書き進めていきました。
 ところが!ほとんどレスが書き上がった時点で、うっかりその文章を全選択してしまい、さらにその上から続きの文字を打ち込んでしまったために、今まで苦労して書いた文章にその文字が書き換えられてしまい、あっという間に文章が消えてしまいました。しかもMacだと「コマンドキー+Z」というショートカットで作業の取り消しができるのですが、Winではどうすれば取り消しできるのかがわからず、当然Winにはコマンドキーなどないので「コマンドキー+Z」もできず、結局やる気をなくしてレスを断念してしまいました。

 MacとWinではショートカットが全然違うし、マウスの2つのボタンの使い分けもわからず、文章を書きながらカタカナの変換のしかたや英数への切替もわからず、ほんとに苦労しました。今日は空いた時間に溜まっていたレスとVoiceを書いてしまおうと思ってネットカフェに入ったのですが、結局カフェラテを飲みながらF1ニュースやYahooニュースを見るぐらいしかできませんでした。

 いや〜、Winってほんと、難しいですね。それでは皆さん、またお会いしましょう。ごきげんよう。



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 サッカー日本VS北朝鮮
2005年02月10日(木)

 昨夜開幕したサッカーの06年ワールドカップドイツ大会アジア最終予選で、B組の日本は埼玉スタジアムで北朝鮮に2―1で勝ち、勝ち点3を獲得しました。3大会連続3回目のワールドカップ出場に向け、幸先のいいスタートを切りましたね。

 まず日本が前半4分に、いきなり小笠原のFKで先制しました。相手陣で北朝鮮のバックパスを左サイドで三都主がカット。倒されて得たFKを小笠原が直接決めました。
 その後日本は最終ラインを高い位置に保って、ゆっくりとしたボール回しからチャンスをうかがいます。一方の北朝鮮は日本の左サイドの裏にボールを放り込んでいくという試合展開。北朝鮮は25分、日本ゴール前での細かいパス回しから、安英学がシュートを放ちますが、GK川口が落ち着いて抑えます。北朝鮮は28分、チェ・チョルマンに代わってFWキム・ヨンスを投入さらに43分にはラフプレーが目立っていた左DFのパク・ヨンチョルをベンチに下げて、ナム・ソンチョルを入れたりと、前半から積極的に交代カードを使ってきました。

 そして、北朝鮮は後半立ち上がりから攻勢に出ました。北朝鮮は後半16分、短いパス回しで、日本の守備陣を崩し、左サイドからナム・ソンチョルが突き刺して同点となってしまいます。それを受けて日本は19分、鈴木に代わって高原を投入。21分には、田中と中村を入れ替えて、合宿ではほとんど試していない4バックに変更しました。この高原と中村の投入によって、それまで精彩を欠いていた日本の攻撃が、一気に好転しました。
 日本は後半33分、小笠原と相手GKが接触してこぼれたボールを高原がシュートしましたが、これは惜しくもバーを越えてしまいました。その後日本は34分に玉田に代えて、大黒を送り込みます。北朝鮮は39分、リ・ハンジェとパク・ナムチョルを交代し、これで両者とも交代カードを全て使い果たします。そしてどちらも追加点が挙げられないまま試合はロスタイムへと突入。引き分けムードが漂う中、日本は試合終了わずか1分前に、GKが弾いたボールを福西が大黒へ、大黒がゴールに押し込んで決勝点を挙げ、ギリギリで失いかけた勝ち点3を引き寄せました。

 日本は辛くも北朝鮮に勝利したわけですが、最新のFIFAランキングで日本が19位なのに対し、12年間国際試合をおこなってこなかった北朝鮮はB組で最低の97位。数字上では格下の相手で、試合前までは日本の圧勝ムードすら漂っていましたが、蓋を開けてみれば、北朝鮮は予想以上の強敵でした。ワールドカップの最終予選においては、ランキングはまったくの机上論に過ぎないと言うことがよくわかりました。
 北朝鮮は試合前まで徹底した非公開練習で情報統制を貫いてきたため、そのスタイルや実力はまったく謎に包まれていました。しかし、10万人を超えるといわれる北朝鮮のサッカー人口の中、金正日総書記が「世界の強豪に引き上げるために組織した」という『4・25体育団』や、在日Jリーガーなどで構成された代表戦士が、国のために素晴らしい戦い振りを見せました。前半4分に失点しましたが、計4枚のイエロードを受けながら、最後までラフプレー気味に食らいついてきました。「将軍様のために」という精神なのか、泥臭いサッカーが、日本の精密機械を狂わせました。
 後半に入ってからの攻めは驚異的で、持ち前のスタミナでまったく攻撃の勢いは衰えることがありませんでした。特にゴール際でのパス回しが正確で、日本のディフェンスを翻弄し、何度も日本のゴールを襲いました。そして後半16分、左サイドからのナム・ソンチョルのシュートは、日本の守護神川口の守備の、ほんのわずかな隙間を縫ってのゴールでした。
 北朝鮮と日本は現在、国家間の問題で何かと対立ムードが漂っていますが、サッカーにおいてはそんなことは全く関係ありません。今回の試合は日本も北朝鮮もお互いの死力を尽くした、とても素晴らしい試合だったと思います。

 しかし、日本はこの試合で最終予選第2戦の3月25日のイラン戦に大きな課題も残しました。MF三都主アレサンドロとDF田中誠が警告を受け、1次予選から累積2枚でイラン戦は出場停止となってしまったのです。三都主の日本を救ったプレーですが、代償は大きかったですね。同点の後半44分、FWキム・ヨンスに左サイドを独走され、たまらず三都主が背後からチャージし、それに対しイエローカードが出されてしまいました。日本代表30試合連続出場中の鉄人・三都主ですが、次戦でその記録が途切れてしまいます。
 後半6分には、田中も累積2枚目となる警告を受け、これにより、最終予選最大のヤマ場となる次戦で、攻守の要を欠くことが決まってしまいました。

 北朝鮮戦は通り道。本番は最終予選B組最強の敵・イラン戦です。直前合宿では、イラン戦の出場停止を恐れ、ジーコ監督から「イエロー厳禁令」が下されていました。ラフプレーや時間稼ぎなど「売られたケンカを買うな」が合言葉でした。しかし、ピンチとなれば話は別です。仮に三都主が抜かれていれば、北朝鮮が決定機を迎えていたでしょう。負けられない思いで、三都主は自身を犠牲にしたのです。
 ジーコ監督は、初戦は身を削って勝利をモノにしましたが、次戦では2枚の大駒を落とした戦術の練り直しを迫られることになったわけです。三都主の代役は三浦淳、田中の代役は坪井が有力ですが、最終予選は、やっぱりひと筋縄ではいかないですね。次戦イラン戦は最終予選B組最強の相手、しかも日本は敵地に乗り込んでの試合。是非ともこの大きな試練を乗り越えて欲しいです。


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 M-NESTのアドレスが変わります!
2005年02月09日(水)

このサイトのアドレスが変わります。

新しいアドレスは、

http://m-nest.net

です。

m-nest.net

だけでもアクセスできます。
ブックマークの変更をよろしくお願いします。
また、相互リンクしていただいている方は、
リンクの修正もよろしくお願いします。



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 Mako、脳をスキャニングされる
2005年02月08日(火)

 今日は雨の中(何でこういうときはいつも雨なのだろう……)、僕が生まれた場所、静岡済生会病院(総合病院)へ行き、片頭痛の診察を受けました。午前11時までに受付を済ませなくてはならないので朝9時に受付を済ませたのですが、どこも混んでいて僕が診察を受ける神経内科もいっぱいでした。
 で、その待ち時間を利用して、生まれて初めてCTスキャンなるものを受けました。特に怖くはなかったですが、気のせいか頭を何かが通過するのを感じたような気がしました。まあ、気のせいでしょう。

 2時間ほど待ってようやく僕の番が回ってきたので、先生にこれまでの片頭痛の症状を、事細かに説明しました。で、先程撮影した僕の脳のCT写真を見せてもらったのですが、頭の中にちゃんと脳が詰まっていてほっとしました。カラッポではなかったようです。ちなみに脳には異常はなかったです。赤味噌でも白味噌でもなかったです。(あわせ味噌でした。)

 診断は、典型的な片頭痛だということで、片頭痛にしか効かないと言う薬を処方されました。マクサルトRPD錠という薬で、1錠1000円もする高価な薬でした。国民健康保険で1錠300円ですが、それでも10錠で3000円もするので、一応効かない可能性もあるので、4錠だけ処方してもらうことにしました。
 この薬は、脳の血管を収縮して頭痛を和らげる作用があります。つまり、僕の片頭痛は脳の血管が膨張することによって圧迫するんですね。だからお風呂上がりなどの血の巡りが良くなったときに起こりやすかったんですね。どうりで冷やせば緩和されるわけです。

 先程、仕事中に痛み出したので、さっそく1錠服用したのですが、小さなラムネのような薬で、口の中に入れた途端、唾液で一瞬にして溶けてなくなってしまいました。そして比較的すぐに痛みが治まりました。
 う〜ん、さすがは片頭痛専用薬!市販の鎮痛剤ではもはやまったく効かないのに、恐ろしいほどよく効きます!しかも鎮痛剤のようにただ痛みだけを和らげるのではなく、血管を収縮して片頭痛の根本から効くので心強いです。服用は1日2錠まで、しかも連続で服用する場合は2時間以上あけなくてはいけませんが、副作用と言えば眠気が少し出るぐらいなので安心です。しかも水がいらないのが手軽でいいですね。

 この薬で様子を見ながら、22日にもういちど病院に行って来ます。今回処方された薬は痛くなってから飲む薬ですが、22日には片頭痛を予防する薬を処方される予定です。このまま片頭痛とはおさらばしたなあ……。



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 Voice移植、あと12ヶ月分
2005年02月07日(月)

 全Voiceのエンピツ移植、いよいよ2002年11月まで遡りました。あと12ヶ月分で完全移植です。
 ところが、Barでも書きましたが、2002年12月までのVoiceは題名がなかったので、題名を付けていかなければならないので大変です。それまでは1日分をだいたい1〜2分で移植できていたのですが、能率が一気に下がりました。しかしまあ、全て移植し終わってから、「目次」にして「ALL LIST」にして、全ての題名をズラ〜ッと表示させてみたいので、コツコツ頑張ります。やっぱり題名があった方が内容がわかりやすいですからね。
 題名はだいたい内容がわかるように付けていますので、興味のありそうな記事、全く興味のない記事などがわかって、皆さんも飛ばしやすいのではないでしょうか?

 で、あまり票は集まらないと思うのでひっそりと告知しておきますが、現在「QUESTION」にて「The Best of Voice」という項目を設けました。お気に入りの記事がありましたら、記事の題名を投票してくださいね!気長に待っています。


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 F1開幕目前、大丈夫なのか?
2005年02月06日(日)

 現在バレンシアなどで合同テストを行いながら、25日後の3月8日のF1開幕戦に向け、着々と準備を進めているF1チームですが、フェラーリ、ウィリアムズ、ルノー、マクラーレンらがテストで好調さをアピールする中、BAR、ザウバー、そしてミッドランドによって売却された新生ジョーダンは、何かとトラブル続きであわただしい状況のようです。

 まずBARは、スペイン・バレンシアの合同テストで、フェラーリ、ウィリアムズ、トヨタの3チームと共にテストを行い、J・バトンが新車「007」を駆って110周をこなし、2番手につけました。しかし、陣営に流れるのは嫌なムードばかり。なぜなら、新車を1月中旬に投入したものの、開幕まで4週間となったこの時点で、いまだに今シーズンから求められる2グランプリ分の1300kmを走り切れていないのです。
 問題となっているのはホンダ・エンジン。パワーが出る高い回転域を維持しながら2グランプリ分の耐久性を求める高い目標設定が災いし、この日のE・ベルノルディで新車となって5基目とブローが続いています。空力パーツの仕上がりも今一歩で、エンジンの対策パーツや空力パーツの改良型が出揃うのはまさに開幕間近。さらに新車に組み込まれている新しいギア・ボックスが、あまりに速いシフト・ダウン&アップをすることで、かつてウィリアムズが開発、投入してすぐに禁止された「無段階変速機(CVT)」を使用しているのではないかという疑惑をかけられているともいわれています。

 次にザウバー、最初のバレンシアテストでは目立たなかったものの、翌週バルセロナに舞台を移してからは、同じエンジンを搭載するフェラーリのF2004Mに比べ、2〜3秒も遅かったザウバーの新型車C24について、どうやら根本的な不具合があるのでは、と囁かれているそうです。
 ペーター・ザウバー代表は「タイヤが異なるとはいえ、後はコンディションにもさして大きな違いがない筈なのに、これだけ苦戦するとは理解に苦しんでいる。もしも単にエアロダイナミクスの改良だけで済まないとなれば、もう一度シャシー全体を作り直すことも辞さない」と、苦悩の表情をみせました。 ザウバーはここまで高い信頼性を示しているものの、もし作り直しということになればすべてが振り出しに戻りかねない厳しい状況です。
 この非常事態の原因は、どうやらチームが昨年落成した新風洞実験施設にあるようです。C24はこの施設を使って設計されたものの、スペイン・バルセロナ、バレンシアの2ヶ所で実走テストを行ったところ、バレンシアで違和感程度だったマシンの不審な挙動は、空力の影響が極端に出るバルセロナで一気に表面化したようです。風洞のデータと大幅に食い違っているところがあり、エアロ・パーツで空力の修正ができない場合、モノコック自体を作り直さなくてはならない状況となってしまったようです。
 ザウバーの風洞は2台の実物大マシンを実験にかけることができる優れものですが、通常の場合はデータ補正は半年以上かかるといわれており、精査し足りないところがあったようです。

 そして、最も深刻な問題を抱えているのがジョーダンです。ジョーダンは今シーズンからトヨタエンジンで戦うことになるわけですが、その一方で人材不足という深刻な問題を抱えています。ミッドランド・グループによって買収されて財政難からは脱したものの、新しい経営陣から次々と旧チーム・メンバーに対して解雇が言い渡された結果、体制が薄っぺらいものになってしまったそうです。チーム創設者のエディ・ジョーダン前代表はすべての荷物をオフィスから出されてしまい、チーフ・メカニックのA・スティーブンソンらマシンを動かすノウハウを持っていた主要メカニックも離脱。現在のT・カーリン・スポーティング・ディレクターがもともと指揮していた英国F3のカーリン・モータースポーツの面々をF1オペレーションに随時配置していく方針だったそうですが、その予定通りには行かなかったようです。
 さらに、チーム関係者によると、旧経営陣時代の慢性的な資金不足が影響していたのか、05年に向けての下準備をしてきた形跡はまるでなく、残っていた図面をもとに新しいモノコックを焼き上げることも可能ですが、ノウハウを知る開発メンバーがチームを去ったため、シーズン開幕までに新車を製造するのはほぼ不可能で、現存する04年型マシンを改造して05年を乗り切るしかない状況だそうです。
 新生ジョーダンのチームオーナー、A・シュナイダーは「1年に1億ドル(104億円)の予算を用意している」と言っていますが、頼みにしていたM・スミス・テクニカル・ディレクターの辞任もあり、設備を実用レベルで稼働させるのには早くとも数ヶ月必要。06年以降は提携したシャーシ・コンストラクター、ダラーラのテクノロジーを使って純粋なミッドランドF1の1号車をデビューさせることはできますが、当面の状況は厳しい限りです。

 今シーズンのF1は、序盤からトップチームと下位チームとの差が大きく開くそうですね。万年最後尾のミナルディは基本的に2002年以来マシンの小改造によるレギュレーション対応で何とかここまで参戦を続けてきましたが、2005年用の次期マシンでは根本的に新設計となるようで、ポール・ストゥダート代表も「PS05は完全に新しいマシンになる。ローラの風洞で開発されたものだが、とりわけエアロダイナミクスが大きく変更される」と、期待しているものの、このマシンは第4戦のサンマリノグランプリ(4月24日)に投入されると見られており、それまでは2002年型の改良型でのレースを余儀なくされます。。
 BARは何とか開幕までにマシンやエンジンを仕上げてくると思われますが、今シーズンはジャガーを買収したレッドブルという未知数のチームが新たに参戦することもあり、トップ争いよりもむしろ、レッドブル、ザウバー、ジョーダン、ミナルディの最下位争いが熾烈になりそうな気がします。

 今年もまた、F1憂い年は続きそうですね。



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 虎之介、オーナー兼ドライバーに!
2005年02月05日(土)

 フォーミュラ・ニッポンを運営する日本レースプロモーション(JRP)は3日、高木虎之介が自らのチームを率いて同シリーズに参戦する、と発表しました。これまで、F1にCART(現チャンプカー)、そしてインディカーで奮闘。今季も米国での5年目のシーズンを戦うことを模索してきた虎之介ですが、満足できる体制が築けなかったために方針を転換し、F1や米国のレースで培ったこれまでの経験を生かし、自らのチームを立ち上げて国内最高峰のフォーミュラ・ニッポンに挑むといいます。

 シリーズを運営するJRPには1月中旬、「TAKAGI PLANNING with Cerumo」として参戦登録を済ませており、準備は万端。7、8の両日、三重県・鈴鹿サーキットで行われるプライベート合同テストが始動となるそうです。当面はオーナードライバーとして活動し、将来的には若手育成も視野に入れているそうです。「アメリカでのレース経験から得られたノウハウを生かし、日本のレース文化に一大旋風を巻き起こす」と覚悟は十分。世界のトップカテゴリーで奮闘してきた経験を、日本レース界へ“還元”したいという思いが強いようです。

 05年シーズンは、マシン・メンテナンスをトヨタ系チームの「セルモ」に委託。チーム運営面を自らがおこない、まずはチーム代表の経験を蓄積し、将来的にはトヨタ出身ドライバーとして、日産の星野一義、ホンダの中嶋悟氏のような存在となり、若手育成を含めた活動も視野に入れているようです。

 また、5年ぶりに日本復帰を果たす虎之介は、自チームでのフォーミュラ・ニッポン参戦に加え、スーパーGTシリーズ(旧全日本GT選手権)への参戦も視野に入れているようです。正式発表は2月下旬に行われるトヨタ自動車のモータースポーツ活動計画発表会となりますが、FNでマシン・メンテナンスを委託する「セルモ」に加入するとみられています。04年12月には、岡山国際サーキット(岡山県)で2日間のテストを行っており、慣れない右側シフト・チェンジに戸惑いながらも、佐藤正幸代表から「謙虚だし吸収は速い」という高い評価を受けていそうです。

 日本出身の元F1ドライバーがチームを率いるのは、中嶋悟や鈴木亜久里に次ぐチャレンジとなります。F1やアメリカでは残念ながら表彰台の頂点に立つことはできませんでしたが、フォーミュラ・ニッポンでは2000年に圧倒的強さでタイトルを獲得している虎之介、チーム監督としての手腕も注目ですね。



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 父、X-TRAILにサイン!
2005年02月04日(金)

 現在95年式の日産サニーに乗っているうちの父が、かねてから次はスポーツRV車「エクストレイル」がいいなあと言っていたのですが、このところちょくちょく日産の営業さんが実家に来ていて、いろいろと具体的な値段交渉を進めていたようです。そして今日!いよいよ父がその契約書に調印しました!色はシルバー、駆動形式は4WD、ミッションはE−ATxで、純正カーナビも装備されています!

 いや〜、うちの父がまさかRV車に乗る日が来るとはねえ。うちの父はスノボもモトサイクルもやりませんが、登山やアウトドアが趣味ですからわからなくもないですが、やっぱり父のイメージからはちょっと想像できません。
 しかも、これまで少しでも安い値段でクルマを買ってきたので、今までの父のクルマは全てマニュアルミッション、そしてウインドウもパワーウインドウではなく手動でくるくるハンドルを回すタイプ、おまけに運転中は音楽は聴かないからとオーディオまでケチってラジオしか付いていないという感じでした。それが今回のエクストレイルはオートマ、パワーウインドウ、ナビ付、CD付、さらにはETC(高速道路の料金所でスルーできるやつね)まで付いているという充実振り!やっぱり父もそろそろ楽してクルマを運転したい年齢になってきたんでしょうねえ。

 父はエクストレイルとカーナビというものにはかなり前から興味を示しており、2年ほど前に僕と2人で日産のお店に行ったときも、しきりにカーナビ内蔵のエクストレイルを見ていました。カーナビに関してはまじまじと「便利だよなあ」と言っており、僕がカーナビを付けたときも羨ましがっていましたからねえ。
 で、そのとき父が「次はこれ買おうかな」と言ったので、「またラジオしか聴けないマニュアルのサニーなんじゃないの?」とからかってみたのですが、まさか本当にカーナビ付エクストレイルを買うとは……あの時は本気だったんですねえ。

 ということは!現在仕事では父のサニーが営業車となっているので、今度はこのエクストレイルが営業車になると言うことですから、僕も乗れると言うことに!しかも父が車を使わない休日や、父と母が海外旅行などに出かけてしばらく留守にしているときなどは、自由に乗り回せるぞ〜!
 いや〜、僕もRV車を運転するのは初めてに近いですからねえ!でもエクストレイルならクルマの中でも寝られるし、いろいろなものを詰め込めるし、山道なんかも平気で走れるので、いろいろ使えそうですな!これならクルマで鈴鹿にも行けそうです!

 納車は約1ヶ月後!楽しみです!



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 ウィリアムズはウェバーとハイドフェルド
2005年02月03日(木)

  先月の31日に、F1のウィリアムズ・チームは2005年シーズンを戦う新型車「FW27」をバレンシア・サーキットで発表し、ただちにシェイクダウンテストに入りましたが、注目のドライバー・ラインニップは、マーク・ウェバーとニック・ハイドフェルドという顔ぶれで決定。アントニオ・ピッツォニアはリザーブ&テストドライバーということになりました。
 ハイドフェルドとピッツォニアはウィリアムズの残された1つのシートを巡り、テストで熾烈なバトルを繰り広げていましたが、ハイドフェルドはレギュラードライバーとしての実績がピッツォニアより長く、またピッツォニアは元々ウィリアムズのテストドライバーでしたからウィリアムズのマシンには乗り慣れており、その争いは常に拮抗していました。

 延べ12日間に渡るテストの末、ハイドフェルドという結論を出したウィリアムズ・チームですが、フランク・ウィリアムズ代表は「ほんとうに難しい決断だった。2人のドライバーの間には、ほんとうにわずかな差しかなかったのだから。それほど優秀なドライバーのうち、どちらか決定するというのは、F1チームとしては幸せなことなのかも知れないがね。最終的にわれわれが下した結論はハイドフェルドということだが、しかしピッツォニアも引き続きテストドライバー、そしてリザーブドライバーとしてチームのために働いてくれることをとてもうれしく思っている」と、その複雑な胸の内を吐露しました。
 噂では、ウィリアムズ氏らはピッツォニアを推したものの、エンジンを供給しているBMWの主導によりドイツ人のハイドフェルドが選択されたとも伝えられています。
 ただし、ハイドフェルドとの契約にはパフォーマンス条項があると推測され、シーズン途中でピッツォニアが交代する可能性も十分に考えられています。

 まあ、妥当な決定だったと思います。ピッツォニアはジャガーでのレース経験こそありますが、シーズン途中に放出させられ、その後はウィリアムズのテストドライバーに甘んじていましたからね。その点ハイドフェルドはレース経験もあり、何より昨年はジョーダンという全く闘えないマシンで何とかレースを戦ってきましたから、その苦労は速いマシンに乗り換えたことで報われるものと思われます。
 現時点ではマーク・ウェバーがエース待遇ですが、キャリアではハイドフェルドの方が上、ウェバーとハイドフェルドの対決も楽しみです。ただ、僕の予想ではウェバーの方が強いような気がします。



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 静岡に雪が降る
2005年02月02日(水)

 昨日の話なのですが、夕方、静岡に雪が降りました。風花はたまに舞うことはありますが、静岡で雪が降るのは非常に珍しいことです。しかも、かなり大きな雪の固まりが短時間にたくさん降って、マンションの4階から見下ろすと、周りの家々や駐車中のクルマの屋根の上に真っ白く雪が積もっていました。さすがに道路を埋め尽くすほどは降りませんでしたが、静岡で真っ白な風景を見るのはとても久しぶりでした。こりゃ寒いわけだ……。ちなみに昨日の静岡の最低気温は−3℃でした。

 雪というのは(まあ雪に限りませんが)不思議なもので、雪国で除雪が大変な地方に住んでいる方々や、特に新潟の被災地の方々にとっては珍しくも何ともないし、できれば降って欲しくないと思っている方々も多いでしょう。新幹線や飛行機などの交通機関にも影響しますから、雪でスケジュールが遅れて迷惑だと思っている方々もいるでしょうね。逆に、同じ雪国でもスキー場などでは、雪が積もらないとスキーができませんから、降ってくれないと困るという方々もいますよね。
 静岡は、ほとんど雪が降ることはないので、雪が降るというのは「珍しいものが見られた」という意味で、どちらかというとちょっと嬉しい気持ちになります。普段見慣れている風景が、あっという間に白一色の世界になってしまうわけですからねえ。といっても、チェーンやスタッドレスタイヤが必要なほど雪が積もるわけではないので、雪が降っても生活にはまったく支障はないんですよね。だからどちらかというと、普段の生活は変わらないけど、風景だけがいつもと違う風景という感覚なので、「きれいやな〜」と虹やオーロラなどを見る感覚に近いのかもしれませんね。

 雪は、約30分ほど降って家々の屋根を白く覆った後、すぐに止んでしまいました。僕と同様に家の外に出て雪を見物いていた近所の方も「ま、静岡じゃこんなもんだろうな」と笑っていました。
 新潟の被災地の方々には申し訳ないですが、刹那的な美景を楽しむことができました。僕の黒いタートルネックのセーターにも雪がかなり積もっていました。仕事の合間に、いい息抜きができました。

 ところが!この後悲しい事実が発覚!(続きは投稿ボタンで)



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 2003年9月分まで移植完了
2005年02月01日(火)

 昨日お伝えしましたとおり、「PRIVATE」にある「エンピツ」移行以前のVoice(アーカイブ)の「エンピツ」への移植を進めていますが、新しいものから遡り、現在2003年の9月分まで移植を完了しました。あとは約22ヶ月分ですね。頑張ります。

 さて、「エンピツ」ではどの程度まで過去の記事を保存することができるのかについては、まだ「エンピツ」に問い合わせたわけではないのですが、「エンピツ」を利用している方で、比較的初期から利用している方の記事を見させていただくと、2000年から毎日欠かさず書いていらっしゃっている方もいて、そのすべてが閲覧できるということがわかりました。僕は2001年の11月からですから、過去のVoiceは余裕で保存できるということですね。

 しかし、昨日も書いたとおり、このままずっと続けていったら、10年分、20年分をそのまま保存し続けられるわけではないと思うので、どのくらいまで保存できるのかは、いずれ問い合わせる必要はあると思います。まあ、自分でもバックアップを残しておけば安心ですけどね。

 ところで、やっぱり「エンピツ」に移植すると便利ですね!一番下の「目次」で「ALL LIST」を選択すると、過去の日記のタイトルがすべて閲覧できますし、検索機能を使えば、探したい内容の記事をすぐに見つけだすことができます。全ての移植が終わってから「ALL LIST」にしたら、凄いことになりそうですね。楽しみです。



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