Mako Hakkinenn's Voice
by Mako Hakkinenn



 評判は上々
2003年01月31日(金)

 髪型と色を変えて初めて、いつも出入りしているお得意さんの会社に行ったのですが、特に何も言わずにすーっと入っていったら、何人かの方に「ん?あり?」と僕の頭をじろじろ見て「雰囲気変わった?」と言われました。「……へ、変ッスかねえ……ガラ悪くなってないッスかねえ……」と聞いてみると、「いい感じなんじゃない?」と言われました。ホッ!とりあえず不評じゃなくてよかった。そんなに激しく抜いたつもりはなかったのですが、やっぱりここの方たちは97年からずっと真っ黒だった僕を見てきているので、その印象が強かったと思います。僕自身は、髪の色が薄くなったことで頭全体が軽くなった気がして気に入っています。でもこれからしばらく維持しようと思ったら、こまめに脱色しなければ……。

 そういえば目上の方に、「今髪の色変えていないの、中野君ぐらいだったからねえ」と言われました。そういわれてみれば確かに、特にこの会社はデザイン会社なので当然みなさんデザイナー、ほとんどの方が髪に色が付いているし、年下の渋チンなどはGakt並みにマッキンキンだしなあ。むしろずっと黒髪だった僕の方が珍しかったのかあ……。でもこの年で色気づいてると思われるのも嫌だなあ……。




 Makoもブランニュー!
2003年01月30日(木)

 えー、このクソ寒い中、髪の毛がうっとおしくなったので散髪に行ってばっさりと切ってきました。で、僕は元々髪の毛が真っ黒で、量も多くてくせっ毛なので、鏡に写る自分を見て、見た目が何となく重いなあと常々思っていました。なので今までずっと「日本人は黒髪が一番だ」と言い張って黒髪で通してきたのですが、今回思い切って、約9年ぶりに髪の毛を茶色に脱色してみました。
 前回9年前に初めて髪を茶髪にしたのは大坂芸大に入学するときで、2年生頃まで茶髪だったのですが、そのうち飽きてきてやめていました。それで卒業してもずっとそのままだったのですが、最近「短い髪の毛の茶髪は、意外と似合うのでは?」と思い始めていて、この次髪を切ったら脱色してみようと考えていました。大学時代はそれこそ結構髪がむさ苦しいときに茶髪にしていたのであんまり似合わなかったのですが、今回は中田英寿よりもちょっと長い程度の短さで、前髪は長めに残してあるので、これならたぶんおしゃれになるだろうと確信したので、さっそくブリーチ剤を買ってきて脱色を敢行しました。

 あまり色を抜きすぎるとガラが悪くなりそうだったので、そんなに時間をかけないでやめておいたのですが、それでも白熱灯の下に立つと、かなり茶色くなっていました。たぶん太陽の下だと真っ茶色なんだろうなあ……。明日はお客さんのところに行く予定があるので、みんなの反応がちょっと気になります。




 この冬一番の寒波到来
2003年01月29日(水)

今日は寒かったですねえ、朝はちらほらと、静岡では珍しく雪も降っていました。朝と夜は言うに及ばず、一番暖かい正午頃も厳しい寒さでした。おかげで僕は今日は服装も重装備でした。ジャンバーの下にはYシャツの上にセーター、頭には耳まで隠れる毛糸の帽子、手には毛糸の手袋、そして例年は滅多にしなかったのですが、マフラーで首をぐるぐる巻き、しかもそのマフラーはバーバリー、「女子高生かおのれは!」と突っ込まれそうですが、もうコーディネートを全く無視しててくてくと出勤し、途中何度かコーヒーを買いに出て、そして日付が変わって1時半過ぎ、一番寒い時間に帰ってきました。せっかく気に入って買った無印良品のシルバーの自転車も、寒いので全く最近は乗っていません。

 静岡は海に面しているせいか、南から北への風がきついです。だから南北に伸びる道を歩くときは特に寒い。しかも向かい風だったりすると、顔がもう凍り付きそうです。アラスカあたりにいるような感覚すら覚えます。こんな日は暖かいヒーターに当たりながら熱燗でも飲みたいのですが、いかにせん金がない。財布の中も寒い……。

 「クリフハンガー」のシルベスタ・スタローンは、大吹雪の冬山の中、よくタンクトップ一枚で動き回れるよなあ。しかもその格好で凍り付いた池の氷の中に身を潜め、敵を待ちかまえていたりもしましたねえ。いくら映画だからとはいえ、無理がありすぎないか?ま、確かにスタローンはブルース・ウィリスと並んでタンクトップがよく似合うが……。




 マクラーレンはブランニュー!
2003年01月28日(火)

 何だか「奥様は18歳」みたいなノリのタイトルですが、マクラーレン・チームのエイドリアン・ニューウェイ/チーフ・デザイナーは、マクラーレンの2003年新型車が全くのブランニューになることを明らかにした模様。ニューウェイは「マクラーレンの新型車は、早ければサンマリノGP(4月20日)かスペインGP(5月4日)辺りにはパラゴンの風洞実験を終えてお目見えするだろう。このMP/4ー18は旧型の改良型なんかではなく、それどころかこれまでの世界中のどんなF1マシンとも異なるものになるよ。どんなに違うか、今から楽しみにしていて欲しいね」と自信満々で語っているようです。かつてマーチやウィリアムズなどで数々の成功マシンを生み出し、98年にはハッキネンのタイトル獲得にも貢献した、『空力の鬼才』と讃えられるエイドリアン・ニューウェイが、果たしてどんなマシンを送り出すのか注目です。……でもなあ、いくらシャシーが良くったって、問題はメルセデスエンジンの信頼性なんですけどねえ。あとは、ミシュランタイヤ?そっちを何とかしてくれ。

 F1の話題をもう一つ、オーストリアグランプリが今年限りで終了することが明らかになりました。理由はベルギーグランプリ消滅と同様、オーストリア政府もタバコ広告禁止の前倒しに同意したからだそうです。バーニー・エクレストンは、来季からは上海とバーレーンが、さらに2005年にはバーレーンが新たにF1開催地として見込まれているので、EU圏内での開催が減っても問題はないと語っているそうです。
 僕も一通りのF1コースは把握していますが、オーストリアのA1リンクは、ゲームで走っていてもだいたいぶっちぎりで走れたし、一番難しいモードでも2位以下を周回遅れにして優勝していたので、結構気持ちが良くて好きだったんですけどねえ。……みなさん、ゲームだからといって侮ってはいけませんよ。最近のF1ゲームは挙動からコースの再現度からマシンの壊れる様まで、実際のレースのようなリアルさなのですから。走っているとドライバーがたまに捨てバイザーを捨てたりします。




 赤紙が来た!
2003年01月27日(月)

 昨年の2月に3泊4日で東京に出張し、ホテルは取ったけど出張先での徹夜作業が続き、全然ホテルに帰る時間がなく、明け方7,800円のシャワーを浴びにちょこっとだけ帰ってすぐにチェックアウトというもの凄く過密で過酷な労働をこなしたのですが、「今年も行ってくれねえか?」の一言で、今年も2月10日から14日まで、徴兵されることが決定しました。だから今から心の準備をしているところです。場所は木場、はっきり言って特にこれと言って珍しい場所があるところではありません。まあ、どっちみち観光している時間は全くないだろうから、それはどっちでもいいんですけどね。はあ、やっぱり今回も「30時間耐久労働」が待っているんだろうなあ。ル・マンでもデイトナでもなく、木場で……。



 新横綱誕生へ
2003年01月26日(日)

 平成15年大相撲初場所は、色々なことがありました。一時代を築いた平成の大横綱・貴乃花が引退、そして第三十代木村庄之助の定年退職。そんな中、モンゴル・ウランバートル出身の大関・朝青龍が先場所に続いて二場所連続で優勝を飾り、成績も14勝1敗で横綱昇進がほぼ確定しました。モンゴル人での横綱はもちろん初めてなんですが、貴乃花が引退してしまったので、これで日本の国技である大相撲の頂点、横綱は朝青龍と武蔵丸(ハワイ・オワフ島出身)で、またも外国人力士だけとなってしまいました。このところ朝青龍を除く大関陣がまったく奮いませんでしたからねえ。歴代のハワイ出身力士、高見山、小錦、曙、武蔵丸はパワー勝負の相撲で日本人力士を圧倒してきましたが、朝青龍は相撲の「巧さ」でのし上がってきましたから、日本の力士たちの立場がありません。今後は千秋楽の朝青龍対武蔵丸の結びの一番が楽しみです。ま、貴乃花が引退してしまったので、僕はしばらく相撲からは気持ちが離れると思いますけどね。




 励み
2003年01月25日(土)

 今日は一応うちの暦の上では休みなのですが、2つほど仕事をもらってきました。共に月曜夕方までの仕事なので、今日と明日は休日出勤です。でも今月は売り上げが行かず給料が出なかったので、お金もないことだし、その分仕事をして、少しでも売り上げアップに努めたいと思っています。もちろん仕事は仕事、趣味は趣味、遊びは遊びと、それぞれ割り切っているのですが、そのうちの趣味の一つ、今では僕の新たなライフワークの一つになりつつある「マツダイラ」に対して、Barやメールなどで多くの感想をお寄せいただき、とても感激しています。仕事の合間によくその感想を読んではにやけているのですが、こういった嬉しいお便りは「マツダイラ」への創作意欲だけでなく、仕事をする上でも大きな励みになります。たくさんの方々が応援してくださっているので、僕も毎日がんばれます。仕事は忙しいですが、毎日充実した日々を送っています。皆さんに支えられながら、これからも1日1日、時間を無駄にしないようにしたいです。お返事が滞ってしまうこともありますが、どうかお許し下さい。



 走る金塊
2003年01月24日(金)

●「マツダイラ」第2話アップ

 というわけで、さっそくF1小説「マツダイラ」の第2話を早くもアップいたしました。前回はアメリカ『モーターワールド』誌のジャーナリスト、マキシ・レッドフォードによって、「マツダイラ」の途方もない野望が明らかになったわけですが、今回はその「マツダイラ」の秘密兵器『走る金塊』がいよいよベールを脱ぎます。言うまでもありませんが、この作品では掲示板に来ていただいた方をモデルにした登場人物を、勝手に出演させています。誰がどの人か推測してみるのも「マツダイラ」の楽しみ方の一つだと言えるでしょう。もちろんそれを除外して、単純にただ内容を読むだけでもまったくストーリーに問題はありません。ちなみに今回の第2話には、僕も登場しています。探してみてください。ちなみに「マツダイラ」に勝手に出演させられた犠牲者の方の中で、「迷惑だ!」と言う方は、ストーリーが進む前にお知らせ下さい。別の架空の人物と差し替えます。また逆に「私も出演したい」という方も、ご連絡下さい。約束はできませんが、検討いたします。

 さて、今回は「南極」から物語は始まります。よねさんが掲示板で「なして南極?」とおっしゃっていましたが、別に対した理由ではありません。ただ単に、いきなり「南極」から物語が始まったらインパクトあるかなあと思っただけです。これだけは言っておきましょう。「南極に伏線なし!」。物語を読ませる上で大事なことは、「インパクト」だと考えています。小説というものは、まず序盤を読ませるのが大変です。いくら物語が進行して徐々に面白くなってきたとしても、読者に序盤を我慢して読んでもらわないことには、面白くなってくる部分までに飽きられてしまいますからねえ。そういった意味でよねさん、神宮さん(犠牲者3号)、スカリーさん、カズくん(犠牲者2号)に「物語に引き込まれる」といった感想を頂いて、とても嬉しかったです。これからも続きが気になるような展開を目指したいと思います。今後もご愛読よろしくお願いいたします。ご意見、ご感想などもたくさんお寄せ下さい。それが創作意欲の源です。




 マツダイラ誕生秘話(2)
2003年01月23日(木)

 Maxiさんの掲示板で「架空自動車CMシリーズ」が大繁殖した頃、僕はプレイステーションソフト「F1チーム運営シミュレーション」というゲームを買い、早速やってみようというときにチーム名を何にしようかと悩み、『マツダイラ』というコンストラクターでF1に参戦しようと決めました。当然掲示板の「架空自動車CMシリーズ」でも「マツダイラF1を応援しよう!」などというキャンペーンじみたものも織り込ませ、他社(?)との熾烈な戦いに対抗したのでした。

 で、この「F1チーム運営シミュレーション」におけるマツダイラの戦績は、当時立ち上げたばかりの僕のHPで「マツダイラレポート」として、随時克明なレポートを掲載していました。僕自身、モータースポーツジャーナリストになりたかったこともあり、文章を書くのも好きなので、それはそれは大量の文字量でした。しかしよくよく考えてみたら、単なるゲーム上のレースレポートにこれほどエネルギーを注いで時間と労力を費やすのは、はっきり言って無駄だし、誰も興味がないだろうと思い、「マツダイラレポート」は廃止、「レースレポートを書く」という行為は、実際のレースをレポートする、いわゆる「F1レポート」に活かされることになりました。

 しかし、あれだけ大量に書き貯めた「マツダイラレポート」を封印してしまうのはもったいない、それこそそれに費やした時間を無駄に終わらせてしまうと思い始め、何とかこの「マツダイラレポート」を使って何かできないものかと悩みました。そして思いついたのが、小説化でした。
 もちろん「F1チーム運営シミュレーション」というゲームは、ただ単にF1の12番目のチームとして参戦し、他の実在するライバルチームと争っていくというもので、チーム名を決めてスポンサーと契約し、それによって得た資金でドライバー、エンジン、タイヤ、ガソリンを選び、1レース1レースに参戦しながらマシン開発やテストを重ね、さらにシーズンを重ねてワールドチャンピオンを目指すという、至って単純なゲームです。なのでこのレース結果をベースに、まずはF1参戦に至るエピソードなどを創作し、F1参戦後もただ単純にレースの模様を描くのではなく、様々な人間模様を盛り込んだF1小説を書こうと思い立ったのです。

 「マツダイラレポート」をご存じの方も何人かいらっしゃると思いますが、せっかくあれだけのレポートを書いたので、レースシーンなどではあのレポートの使えそうな部分を一部引用しますが、基本的にはシーズン中も「マツダイラレポート」のようなレースレポート形式ではなく、それを取り巻く人間模様がメインになっていくと思います。F1小説「マツダイラ」、今後の展開にご期待下さい。




 マツダイラ誕生秘話(1)
2003年01月22日(水)

 先週の土曜日にオープンした新コンテンツ「MAZDAIRA」は、元々大学時代に思いついたくだらないギャグから始まりました。友達何人かの雑談の中で、架空の自動車のCMをみんなで考えて喜んでいたときに僕が思いついたCMは「乗らぬなら、私が乗ろう、その車。スーパーセダン『イエヤス』デビュー!」……。このギャグは『イエヤス』というクルマなしからぬネーミングとキャッチコピーで、友達からは「うわっ!シブッ!」となかなか好評ではあったのですが、その後すっかり忘れていました。で、大学卒業後しばらく経って、ちょうどMaxiさんがご自分のHPを立ち上げた頃、まだ僕は仕事がそんなに忙しくなかったので、仕事の合間や仕事が終わってから、夜な夜なMaxiさんとこの掲示板に入り浸り、いろんなF1パロディのギャグを書き込んでいました。そのときふと大学時代の『イエヤス』のギャグを思い出し、書き込んだのでした。ちなみに『マツダイラ』という社名は、実は『イエヤス』にちなんで、しかも『マツダ』とかけてこのとき初めて後付けされた名前だったのでした。そうしたらまあこれに続いて故・ノリオ・アンドレッティさんの『ノブナガ』やらMaxiさんの『ヒデヨシ』といったCMが登場し、「架空自動車CMシリーズ」はMaxiさんの掲示板で大繁殖していったのでした。

(続く)




 仕事へのモチベーション
2003年01月21日(火)

 今年のHP上の抱負は「すべてのコンテンツをオープンすること」と書きましたが、プライベートでの抱負は「売り上げを上向きにする」ということです。僕のような個人で仕事している者にとっては、身体は一つなので、営業や打ち合わせに動いて制作もこなすとなると、1日にできる作業にも限界があります。もちろん僕がダウンしてしまったら、抱えている仕事がすべてストップしてしまいますから、大損害となってしまうのでうかうかと病気もしていられないのです(幸い身体はけっこう丈夫にできているらしい)。しかし、我々の業種はただでさえこの不況で年々単価が落ちているので、最近では「こんなに頑張ったのにこれだけしか売り上がらなかったのか」と切ない思いをすることが多くなってきました。このままではうちは潰れます。なのでこれからは、仕事がもらえる限り、なるべく休日も出勤してより多くの仕事をこなし、少しでも売り上げを上向きに持っていきたいと考えています。

 ただ闇雲に多くの仕事をこなすだけではだめです。仕事の質ももっともっと向上させ、ハイクオリティな仕事ができるように自分自身のレベルを上げていき、もう少し大きな仕事ももらえるように、努力をしていく必要があります。今年に入ってから、僕は仕事に対するモチベーションが上がっています。このままではだめだ、もはや老後の年金が期待できなくなった今こそ、必要なのは蓄えです。だから今うちが潰れるわけにはいかないのです。僕の将来が明るいものになるか真っ暗闇になるかは、まだ働き盛りの「今」にかかっているのです。




 増岡のパリダカ2連覇と、貴乃花引退
2003年01月20日(月)

 まずはパリダカ、増岡浩が最後までトップを守り、見事にパリダカで史上4人目となる大会2連覇を達成しました。最後までチームメイトのペテランセルとトップを争っていた増岡でしたが、ベテランセルはスタートから常にトップをキープし続け、増岡はずっと我慢の走りを続けていました。しかしベテランセルは終始限界走行でマシンはダメージだらけ、一方の増岡は慎重な走りを続けていたためにダメージはほとんどありませんでした。増岡のマシンをいたわる走りが、2連覇を呼び寄せたと言っても過言ではないでしょう。実際ベテランセルは予期しないラジエーターの水漏れが発生し、修復に20分費やしたために、25分差だった増岡に一気に詰め寄られてしまいました。そして三菱はパジェロが表彰台独占、同じく三菱のストラーダが4位に入って1〜4位を独占してしまいました。やっぱり三菱は悪路では最強でした。

 さて、今日は残念なニュースもありました。横綱・貴乃花の引退、今場所の戦いぶりからして、たぶん引退するのではと思っていましたが、やっぱり引退してしまいましたね。僕は相撲とF1が特に好きで、相撲は千代の富士ファンから若・貴ファンになっていきました。若ノ花が引退してからはずっと貴乃花を応援していたのですが、やはり怪我はどうしようもないですね。怪我さえなければ、もっともっと優勝することができただけに、残念です。僕としては、今場所は休んで欲しかったんですけどね。それでも、横綱の責任を果たして再出場に踏み切った貴乃花に敬意を表したいです。大相撲の1つの時代が、幕を閉じました。




 パリダカ、増岡が奇跡の逆転劇で2連覇目前!
2003年01月19日(日)

 増岡浩(三菱パジェロエボリューション)は18日の最後のロングSSで大逆転。2連覇へと大きく前進しました。残すSSは最終日19日のシャルムエルシェイク周回の僅か34キロだけ。連覇に向けて王手をかけました。この日、総合1位のステファン・ペテランセル(フランス、三菱パジェロエボリューション)が、SSのゴール約50キロ地点で岩に激突。フロント左のサスペンションを壊してストップ。パリダカ4輪部門の初優勝目前にして総合4位に後退してしまいました。増岡は2位ジャンピエール・フォントネ(フランス、三菱パジェロ)に1時間54分10秒もの大差をつけています。

 特にパリダカのような過酷な環境でのレースは本当に最後まで何が起こる変わりませんね。増岡は前日の順位ではトップのペテランセルと25分50秒の差で2位でしたからねえ。まさか残り1日という場面でこんなドラマが待っているとは思いもしませんでした。増岡はこのまま行けば余裕で2連覇。これは25年のパリダカの歴史では史上4人目、日本人ではもちろん初の快挙です。2年前に同じく過去に2連覇を達成しているシュレッサーの悪質な妨害行為で、ゴール前日にクラッシュして初優勝を逃していますから、2連覇はファンにとっても悲願です。明日も油断しないで、最後まで確実に走りきって欲しいです。




 マツダイラ始動
2003年01月18日(土)

●「MAZDAIRA」オープン

 新しいコンテンツがオープンしました。現在は仮のデザインなので、今後細かいところを作り混んでいく予定ですが、とりあえずようやくこの作品を公開することができました。このコンテンツの構想は3年前からあったのですが、色々変更に変更を重ね、当初の構想とは大きく変わった形で日の目を見ることになりました。
 今後M−NESTでは、この「MAZDAIRA」に特に力を注いで行く予定ですが、文字ばかりのボリュームのあるコンテンツなので、時間のあるときにじっくりとお楽しみ下さい。また感想などをBarの方にお寄せいただければ幸いです。よろしくお願いします。




 8年前の今日
2003年01月17日(金)

 8年前の今日は、阪神大震災の日でした。僕は93年から97年まで大阪に住んでいたのですが、この日はちょうど成人式で静岡に帰省しており、17日の朝帰る予定でした。で、地震のあった時間はすでに起きていたのですが、静岡でも少し揺れを感じました。静岡を含む東海地方は伊豆半島にプレートがある関係で地震がよくあるのですが、このとき感じた揺れはいつものとちょっと違うなと思いました。それで地震速報を見ようとテレビをつけたのですが、初めは静かな神戸の夜が写され、アナウンスでも「今のところ被害は出ていない模様」と報じていました。しかし、ちらほらと火の手が上がり始め、程なくして神戸の街は、まるで戦場のように火の海に包まれていきました。やがて夜が明け街の全貌が明らかになったとき、驚愕しました。とても恐ろしいことが起こったことを、ようやく理解しました。

 僕は結局この日は大阪に戻ることができず、1週間静岡で足止めされてしまいました。その間実家でずっとテレビに釘付けだったのですが、犠牲者の数が日に日に増えていくのがとても怖かったです。テレビで何度も映し出された、横転した阪神高速道路の光景は今でも脳裏に焼き付いています。僕が今住んでいる関東・東海地方は、昔から「いつ来てもおかしくない」と言われている東海大地震の脅威を感じながら生活しています。日頃から防災の心構えを忘れずにいたいと思います。
 阪神大震災のちょうど1年前の同じ日には、アメリカではあのロサンゼルス大地震がありましたね。阪神と同じように高速道路の橋桁が倒れ、多くの犠牲者が出ました。何か不吉なものを感じました。

 さて、話は変わりまして、今年の抱負は、ずっと工事中だった3つのコンテンツをすべて立ち上げることだと述べましたが、そのうちの1つ、「MAZDAIRA」を早ければ数日中にオープンすることができそうです。現在完成率は96.7%です。実は今後M−NESTでは、この「MAZDAIRA」を目玉企画にしていこうと考えているのですが、ま、今は詳しくは語れませんが、またMaxiさんに「オレをネタにするな!」と言われそうだなあ……。内容はシリアス、ギャグなしの小説なのですが、ま、とりあえず公開してみて、あまり反響がないようだったら、静かに消えて行くことになるでしょう。F1の歴史が、大きく変わります!




 コラボレーション
2003年01月16日(木)

●「S2000ニュース」更新

 忙しい状況はまだまだ続いています。今週末にはもう一つ大型の仕事が入ってくるので、土日も休めそうにないです。おそらくこの忙しさは2月中旬まで続くでしょう。
 さて、久しぶりに「S2000ニュース」を更新しました。F1のページでMaxiさんのサイト「F1GAP」の恩恵を受けているので、その感謝の意を「BC−01R」という形で表明しました。無論写真は合成で実際には存在しないのですが、「F1GAP」のロゴは本当に美しいと思います。こうしてマシンの横につけてみると、うちのブルーと上手く調和しているなあと思いました。ああ、このクルマが実在したらいいのになあ。でも街で走っていたら目立つだろうなあ……。




 お気に入りの穴場ラウンジ
2003年01月15日(水)

 別に今日というわけではなく、最近気に入って仕事の合間によく行っているのが、某駅前ビジネスホテルのラウンジ。12時から13時までは割と混むものの、その他の時間帯は写真でもおわかりのようにお客様はほとんど皆無。しかも店内には緩やかなクラシック音楽が静かに流れ、灯りも明るすぎず暗すぎず、全体的にもゴージャスだけど品があり、とても落ち着いた空間です。ソファーもふわふわで、ほとんど貸切状態なのでスターバックスよりよっぽどゆっくりとした時間を過ごすことができます。
 上の写真のカウンター席に向こうにはお酒の棚があり、夜はショットバーをやっていたようなのですが、今はホテル自体が経営不振のため休業中だそうなのです。しかし席は基本的に空いていればどこでも座っていいようなので、今度時間のあるときはノート型パソコンを持ち込んでカウンター席に座り、執筆活動などをしてみようかなと思っています。

 実はこのラウンジ、僕の知り合いがほとんど1人で任されているというのが最大の魅力ですね。知り合いなので何かとサービスをしてもらったりして、何だかちょっと申し訳ないような気がしているのですが、その知り合いにも「暇だからいつでも来て欲しい」と言われているので、お言葉に甘えて時間のあるときはちょっとここへ休憩しに来ているというわけです。
 ラウンジへ行くには当然ホテルの正面玄関から入り、カウンターのホテルマンに深々とお辞儀をされながら豪華な螺旋階段を上っていくので、スーツで行ったときなどは何だか一流の実業のような気分になり、かなりの優越感に浸ることができます。おすすめはアプリコットティーとレア・チーズケーキ。




 パリダカ、地雷爆発!
2003年01月14日(火)

 パリダカで、二輪部門のKTMチームのサポートトラックが地雷を踏むという事故が起きました。フラッシュネットによると、リビアとエジプトの国境付近、エジプト政府が管理する地域で地雷を踏んだ同チームのトラックは、爆発によって片方の後輪を破壊されたましが、幸いにも同車に搭乗していた3人のクルーにケガはなかったようです。エジプト当局は現場でこのトラックを移動させるための作業を行い、地雷が爆発した地点よりも後方にいた車両は、同地域に進入しないよう全車停止を命じられた模様。砂漠だけでなく地雷によっても危険にさらされる、何て過酷で危険なレースなんだと思いました。
 もう一つの注目だった、今年初参戦の元F1ドライバー片山右京(トヨタ・ランドクルーザー)は、残念ながらシワ一周ステージで転倒し、リタイヤとなってしまいました。砂丘で飛ばされ、前方から一回転したようで、最後はルーフを下にして止まっていたようです。右京は「飛ばしすぎたのがいけなかった」とガックリしていましたが、そうなんです、パリダカは、速く走ればいいというわけではないというところがロードレースとの大きな違いでしょうねえ。

 現在総合1位を争っているベテランセルと増岡は同チーム、このまま行けばラクラクワンツーフィニッシュを決められるので、チームも2位の増岡にリスクを冒すなと指示し、彼自身も安全に走りました。冷静な増岡は「今リスク覚悟で走るのはチームのためにもならない」と言っていますが、「でもベストは尽くします」とも言っています。ベテランセルはかなりハイペースで走ったためにマシンはかなり痛んでいます。一方増岡は安全に走ったため、マシンにはほとんどダメージはないようです。「今後はベテランセルにプレッシャーをかけながら走ることになるでしょう」という言葉が力強いです。明日は500キロ以上SSがありますから、後半のヤマです。注目です。




 パリダカ、三菱強し!
2003年01月13日(月)

 元旦からおこなわれている2003年ダカールラリー(正式名称テレフォニカ・ダカール2003/通称パリダカ)は、今日は休息日。今日現在での総合順位は、ベテランセルを筆頭に日本の増岡浩、フォントネ、ビアシオン、スーザと5位までを三菱が独占、相変わらずの強さを誇示し続けています。WRCでもそうですが、三菱は悪路で本当に強いですねえ。いつの頃からか、僕がまだ子供だった頃から「パリダカと言えばパジェロ」という印象が強いです。

 さて、このパリダカで僕が注目しているのはもちろん日本の新しいエース、増岡浩です。彼は昨年まで三菱に在籍していた、エース篠塚(現日産)のサポートとしてパリダカに参戦し続けていましたが、2000年までは優勝することを許されていませんでした。しかし2001年、彼はチームから優勝することを許され、篠塚を遙かに上回るほどの素晴らしい強さを発揮しました。しかしトップだったのにもかかわらず、2位のチームが反則して先にポイントを出発してしまったことに激情し、その車の後を追うものの冷静さを欠いていた増岡はマシンを壊し、その結果大きく後れをとってしまうことになってしまいました。結局リザルトでは2位に終わったのですが、その後主催者側の間違いで、実は優勝していたと言うことが半年以上あとになって判明し、2002年、その悔しさを払拭するため、万全の体制でパリダカに臨みました。

 彼がパリダカに臨む上で最も重視していたのは、視力でした。彼は動体視力を養い、さらに裸眼でも2.0ある視力で眼鏡をかけ、3.0の視力でレースに出場したのです。彼曰く、パリダカでは視力が非常に重要なのだそうです。パリダカの舞台は砂漠、起伏の向こうには何が潜んでいるのかまったくわかりません。そのため遠くからあらゆるコースのコンディションを察知し、如何に最適なルートをいち早く割り出して行けるかが、レースを大きく左右することになるのだそうです。
 また彼は、この日は全力で、この日は力を抜いて、と事前にペース配分を決め、すべての区間でハイペースで行くのではなく、プレッシャーをかけない日を作ることによって、精神的にも体力的にもそしてマシンにも負担をかけすぎないレース運びを心掛けていました。結果、増岡は見事優勝を果たし、新しい日本のエースが誕生することになりました。

 前の年の失敗を謙虚に受け止め克服し、精神的にも成長して試練に打ち勝った増岡、今年も最後まで諦めず、頑張って欲しいものです。




 フィジケラ、ドライバーの中のドライバーに
2003年01月12日(日)

 実力では通算5回のワールドチャンピオンに輝いたミハエル・シューマッハに次ぐとも言われながら、チームやマシンに恵まれず、その才能が埋もれ続けてしまっているF1ドライバー、ジャン・カルロ・フィジケラ(ジョーダン)が「ドライバー・オブ・ドライバー」という賞に選ばれ、話題になっていますね。圧倒的な強さでタイトルを総なめにしたシューマッハを押しのけての受賞ですからねえ。しかもフィジケラの昨年のランキングは11位でしたからねえ。嬉しいですが意外でした。
 この安易なネーミングの賞は、現役F1ドライバーたちが投票して決める賞で、ファン投票や成績を基準にして決めた賞とは異なり、各ドライバーたちが誰の実力を認めているのかというのがわかる、だいぶ意味合いが異なる賞だと言えるでしょう。

 僕は兼ねてからフィジケラの才能は認めていましたが(実力はハッキネンより上だと思っています)、やっぱり他のドライバーたちも、フィジケラには一目置いていたんですねえ。このF1界の影のナンバー2がチーム運を持ち合わせていたら、あるいはイタリア人でなかったら、F1の構図は大きく変わっていたかもしれません。同レベルのマシンに乗っていたとしたら、間違いなくシューマッハとフィジケラで極上のバトルを繰り広げていたことでしょう。若手、若手と言われ続けて今月の14日でもう29歳、この一番油が乗っている今、ぜひともフィジケラにチャンスが訪れて欲しいものです。もうこれ以上彼の才能が埋もれ続けるのは見るに耐えない……。




 クロフネ……もとい、モノクロが来た!
2003年01月11日(土)

 昨年からうちでレコーディング活動を続けているストリートミュージシャン「モノクロ」が今年もやってきた。電車で富士宮から通っている雰囲気藤原竜也似のヘムは約束の午前10時より25分も早く到着し、原付で15分で来れるカレッジセールのゴリ似のイソはやっぱり今日も遅刻だった。
 今日はレコーディングももちろんおこなったのですが、レコーディング風景をビデオで撮影して、それを編集して出来上がったCDと共に卒業制作として提出したいということだったので、家主の僕は当然のようにカメラマンとして働かされました。

 それにしても、同じ音楽に携わる者として、こういう若い才能に触れることは、非常に有意義なことです。しかも彼らはお世辞抜きで才能があり、歌にはハートがあり、実力も備わっています。僕はシンセサイザーで作曲する、いわゆる「打ち込みミュージック」なので、はっきり言ってしまえばピアノが弾けなくても曲は作れますが、逆にシンセがなければ何もできません。しかし彼らは、ギターさえあればどこでも曲を作ることができ、しかもどこでもそれを披露することができるのです。またギターには鍵盤楽器ではなかなか発想できない独特のコード進行やメロディがあるので、彼らの曲を聞くたびに、「自分にはない音だなあ」と実感します。彼らに機材と時間を提供しながら、僕自身も彼らから多くのことを学んでいます。




 今頃新年のご挨拶
2003年01月09日(木)

 新年あけましておめでとうございます。実は年末年始といろいろなことがありまして、全くネットを繋いでいる暇がありませんでした。今日からまたM−NESTホームページも営業を再開いたします。年末年始にBarの方にカキコしていただいた方々、ずっとレスできなくて本当にすみませんでした。そういうわけでVoiceも今日からまた再開するわけですが、先月25日から昨日までの分はお休みとさせていただきます。ご了承ください。

 さて、みなさんはこの年末年始、いかがお過ごしでしたか?僕の年末年始はいいことづくしでした。年末に「バニラスカイ」のDVDを買って、それにはまっています。それから最近はネットワーク・ハンディカムで撮影した映像のMac上での編集に凝っています。最新のMacには「iMovie」という映像編集ソフトが初めから入っているんですが、このソフト、フリーソフトだからとタカをくくっていたらめちゃくちゃ使えるソフトです。ハンディカムで撮影した映像をそのまま直結でMacに取り込むことができ、その映像をクロスフェードなどの効果を付けながら繋げたり、好きな曲や音を付けたり、セピア調、ソフトタッチ、シャープネス、モノクローム、明るさとコントラストなど、一通りのフィルタも揃っているので、ある程度のビデオクリップを自分で手軽にデスクトップ上で作れてしまうのです。いやー映像技術もここまで身近になってしまったんですねえ。そういえば年賀状でも最近ではパソコンで作ったと思われるものが増えてきて、何だかプロ顔負けの年賀状が送られてきたりしているので、最近では僕が送っているような写真入りの年賀状も珍しくなくなってきました。映像もデスクトップ上で手軽にできるようになったので、ホームビデオのクオリティもだんだん映画のように凝ったものが増えていくんでしょうね。

 何だか今まで書けなかった分の年末年始のエピソードを書こうと思っていたら、ビデオ編集の話で終わってしまいましたね。それではみなさま、今年もM−NESTをよろしくお願い申し上げます。


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