私の音楽日記

2005年03月24日(木) 「WISH」 I WiSH  2005.4.24

なんて、残念無念。ラストアルバムとは。もっともっと夢を見せてほしかった。
清々しい爽やかな歌声とピアノのメロディー、きらきらだらけのジャケットにいつもいつも胸がときめきました。
あいちゃん、なおくん、輝かしい未来に羽ばたいてくださいね。
このラストアルバムを発売した今日という日から、新しく明日を信じて飛び立ってくださいね。
あいちゃんとなおくんの次のスタートを私はずっと待ってます。

このアルバムもなんてすてきな贈り物なのでしょう。
忙しすぎる日々にたくさん落し物をしている私に、こんなにも過去を現在を未来を駆け抜けていいの?もっと時を愛して生きなさいと背中を押してくれるよう。
時は尊い。毎日がもしかしたらprecious dayかもと思わせてくれる。
なんでもそうかもしれないけれど、何かを好きになると不思議な事が起こる。
そしてそれを大切にすると夢が広がる。
I WiSHの曲にもたくさんの不思議と夢がちりばめられていた。
どの曲も今の季節だからかもしれないけれど、卒業を旅立ちを歌っているものが多い。
9曲目の「I wish」。これほどの美しいメッセージの曲をなぜ9曲目にしたんだろうか。
ラストの方がいいような気もするが。

でも、ラストの「Precious days」は二人にとってきっとプレシャスだったのでしょう。

 ♪「さよなら」僕らのprecious days

これが全てなのでしょうか。

夢をもつこと。あきらめないこと。
ありがとう。
大切にします。あいちゃんとなおくんの歌の数々。

そしてこれからまた新しい夢と勇気を教えてください。



2005年03月23日(水) 「涙を海に返したい」  杏里  1979.8

有線から流れたきたこの曲。
杏里の曲にはたくさん好きな曲があるけれど、この歌は本当に海へラジカセを持っていって何度も聴いた。
60分テープの片面に8回位繰り返し録音して、夕方から暗くなるまで聴いていたことが何度もある。

 ”何故? 涙は何故 海と同じ味がするの?
  大いなる海に抱かれて
  さすらうあなたはどこへ
  明日の夢さえ失くし 私は泣き疲れた
  もう逢えない
  もう逢えない
  もう逢えないの?
  涙も愛も夢も 海に返したい”

あの夏の日、あたしは大きな賭けをして、あの人を行かせた。

海に還す事ができたらどんなにいいだろう。
悲しい事や辛かった事、楽しかった思い出さえもすべて海に還すことができればどんなにか。

そして、いつかはあたしも還りたい。必ず還りたい。

この歌を聴くたびに必ず思い出す遠い夏の日。





2005年03月04日(金) 「Radio days」  N.S.P.  2005.2.2  

N.S.P.19年ぶりのオリジナル・アルバム。待ってました。待ってて良かった。
最後のコンサートを見たきり、フェイド・アウトしてしまって、自分の青春と供に消えていったみたいでさびしかった。
でも、3年前から「再結成します。期間限定ではなく3人の誰かが死ぬまでN.S.P.続けます。」という発言を聞いたときにもうビックリ仰天耳を疑った。
あれから、2回コンサートも見たけれど、古い曲ばかりだったので、とにかく新曲が聴きたかった。
やっと念願かなって…。

やはり天野クンのペン先は乾いてなかった。
滑らかに夕暮れ時のその後を綴っている。
お見事。もう天野クンではない。師匠と呼ばせていただきたい。
天野クンの詩を読んで、ポプコンをめざした私だから、もともと師匠だけど、あらためて師匠についていきたくなった。

まず、シングルカットもされた「水のせいだったんです」。
このタイトルの意味深さ。天野節。
なにかがおかしいという意味だろうか。

 水の味も変だったんです
 風の匂いも変だったんです
 あの日の君をここへ
 連れ戻そう

なにかが微妙に違っている。
微妙なずれを元に戻そうって私には聴こえる。

2曲目の「北風が見ていた」
これも見事に夕暮れ時のその先を歌っていると思う。

 約束なんて 守れなかった
 
約束なんてしちゃいけない。そんな気なくてもいつかは守れなくなるんだから。
約束も指切りもしちゃいけない。

「Radio days」は本当に懐かしく思い出している歌で、

 記憶の中にとどめた そこにはとっくに何もないけど 
 ほんのわずかなこだわり 心の奥で響くRadio days...

 大事なレコードは催促できずに貸したまま

あたしもそうだった。
レコード貸したきりになってしまって、催促できずに…

「フェアルーテールを探して」は

 どんな幸せを幸せと呼ぶのか
 夜の星々に 答えを探すよ 探すよ

幸せの形は人の数だけあるから、それぞれの幸せを探したい。

「どこまでも青く」は平賀クンが今を歌っている。
実直で丁寧に弾く平賀クンのベースラインは19年経っても、まるで色褪せない。
平賀クンのベースはNSPの音そのものだ。

ラストの「残像」。

 何がそんなに悲しくて 憎みあったというのか
 今となっては訳なんて どうでもいいんだ

本当にNSPはかえってきた。また、日々が始まる。



2005年03月03日(木) 「月光シアター」  谷山浩子  2005.2.23

このアルバムは音楽劇の劇中歌と曲で構成されている。
とっても面白いのですが、やはりその音楽劇を見ていないために、ちょっとわからない。つかみどころがない。
するっと逃げてしまう感じ。
やはり観ていないために、一曲、一曲を単品として聴いてしまう。
ソネットのようなみじかい詩や役者さんのコーラスが入る歌は
面白いけど、わからない。何、これって思ってしまう。
ただ、わけわからないけど、単純で面白い。
その中で私は「アトカタモナイノ国」が一番気に入った。
あとかたもない、なにもないところへやっとたどりついた。
それは遠く果てしなかった。
やっとここから時計を進ませる事ができる。
あとかたもないここでやっと眠れる。とても安らかに。
これは私の解釈だけど、私もこの歌のように眠りたい。あとかたもなく。

「空の駅」もちょっと童話風の歌で空に大根畠が広がったり、駅長さんが靴、鞄、帽子を差し出したりするのは谷山浩子ワールドそのものだ。
あと、やたらとジャックが出てくる劇中歌が多いけど、何?ジャックがどうしたん?って感じでわけわからず。
その中で「道草をくったジャック」は面白い。

 僕は僕の好きなものが
 好きなものが好きだ

ってあたりまえなのに、そうはっきり言われると(ああ、そうやなあ)と妙に感心してしまった。
普段はもしかしたら、好きじゃないものまで好きなふりしているからかもしれない。
無理して、好きと違うのに、好きなふりしてそれも無意識に。
それで、この歌でハッとしたのかもしれない。

このアルバムは気にいったけど、感想書くのは本当にむずかしい。

ああ、あたしもアトカタモナイ国へ行きたい。アトカタモナクチリタイ。
 





 < 過去  INDEX  未来 >


mitsuko [HOMEPAGE]