Title / Place of peacefulness(安らぎの場所)
◆Thanks◆
 music by Are you
picture by LOSTPIA



思い出の貝殻をお気に入りの小瓶に詰めたら・・・
耳に近づけてそっと・・振ってみてください
懐かしい音が聴こえて来ませんか!?



2005年6月28日(火)    

 



雨降らないな〜 今日も夕立のような雨が降ったものの
すぐに上がってしまった。。。


最近考えること・・・

人との出逢いにはいろいろな形がある
それでも同じ場所と同じ時間に自分とその人が居てこそ
初めて出逢えるのだから・・・

そう考えると
世界人口6億の中で私が一生に出逢える人は・・・
これまでもこれからもひとつひとつの出逢いが希少価値である
と同時に大切なものなのだ

パソコンが普及しネットを通じての出逢いが可能になった
その分簡単に出逢える機会が増えたとも言えるかな
でも私のようにネットでの時間を
対実社会時間に置き換えてしまっていたら・・・
少し違うような気がする

ネットの中にいる自分の存在は架空だとしながらも
これまで良い出逢いに恵まれた私は
このネットの中に居ることを心地よく感じている

優しい人たちに甘えてばかりの私だから
このままではどんどん実社会が疎遠になってしまうのではないか

このままではいけないかな・・・

でも このサイトを置いている限り 
決心どころか 何も変らないのかもしれない・・・  



2005年6月26日(日)

 
   

24日午後 娘の書道の恩師がご他界された

娘が祖父のように慕い小学2年から高校3年まで週1回ほとんど欠かさずお稽古に通った先生だった

書道協会の会長を歴任され当市に於いても文化面では大きな功績を残された方でした

私たちにも本当に優しい目でいつもお話ししてくださいました

娘はどんなにかわいがっていただいたことでしょう

高校2年の夏、市からの派遣でオーストラリアに短期留学した時も
ホームステイするお宅に差し上げてとわざわざを書いてくださった書に綺麗な表装を施して渡してくださいました

10年ものお付合いでしたから数え切れない思い出と筆舌に尽くし難いご恩があります

県展や市展へ出品した作品がご指導のお陰で最高賞をいただいたことが何度かありました
その度に電話が入り、「お母さん Tちゃんの作品が県知事賞を取ったよ」っとそれは嬉しそうに審査時の内容を詳しく話してくださいました

大学進学についても書道を続けてほしいからそちら方面に進むのだったら尽力するからと仰ってくださいました

それでも娘は自分の力の限界を感じていたのか・・・
それはよくわかりませんがほかの目標を立てて進みました

留学前の今年1月帰省していた折、先生に留学の報告とお見舞いをしたいとお電話をした娘でした
先生が出られてお話しをしたのですが 体調が思わしくないからとお逢いすることができませんでした
おそらく先生は教え子に弱っているご自分を見てほしくなかったのだと思います

娘に先生のご訃報をメールで知らせ その後チャットで話したのですが
画面の向こうに居る娘がほとんど言葉の出ない様子に
彼女がどんなにショックを受け悲しんでいるのかを窺うことができ私も言葉がありませんでした

お通夜にもお葬儀にも参列できない娘の代わりに私がお別れしてくるからと・・・
お手紙を書いたら先生にお届けできるかもしれないと提案したら
娘がメールで先生に宛てた文章を送ってきました

それを持ってお通夜に伺いご遺族にご霊前にお供えさせていただいてよいかご相談してお供えさせていただくことができました 


娘が昨日書いたブログを今読んだところです 
ずっとお逢いできなかった自分の不忠義さを恥じている彼女の気持ちを思うと
母としてかけてやる言葉も見つからない・・・  


「祭壇のご遺影は○子が知っている優しく笑っていらっしゃる先生だったよ」

「先生は○子のお手紙をきっと読んでくださったよ」



2005年6月22日(水)  

 
 

Kからの電話。
落ち込んでるので○○(わたしです)の声聞いたら元気になれるかなって・・・電話をくれたみたいだ

いや私だって元気なんかじゃないよ
落ち込みそうになることばかりなんだから・・・

一年前 Kと一緒に行った韓国
あかすり・釜蒸し?・よもぎ蒸し?足つぼマッサージ・・・
最高でした
メインは確か観光だったはずだけど・・
・・あれから逢ってないよね

そろそろまた西日本方面で集まりたいな
幹事兼会長格のT氏に連絡してみてね

Kとおもしろおかしく電話してしばらくしたら・・・

さっそくT氏から電話が入った

「ひさしぶりだから番号変ってないかなって思って電話してみたけど美貌も変ってないかな・・・」

相変わらずおもしろい事(いい加減なことを)をしゃあしゃあと言ってのける

「あの2年前あなたの送別会以来になるから
ずっと会ってないし 西日本会開くよ
○○温泉でも△△でもあなたのいいところで・・・・・・」

そうでしたね 
私の送別会みんなで盛大にやっていただきましたっけ(涙・・

みんなからアメリカに遊びに行くからね〜って言われたんでしたっけ
(大涙・・

Tさん・・・
その話 ○○(わたしです)には禁句だってこと忘れてるでしょ・・・


そもそもわたしが失職した (と言っても自分から辞職)・・・
あのアメリカ行き (ビザまで取って 行けなかった..)

その方向転換が未だに尾を引いているような気がする

甘えてるんだろうか わたし・・・引きずり過ぎだよね・・


まぁ それはそれとして
あなたの企画 いつも最高だから楽しみです 
よろしくね!! Tさん


2005年6月13日(月)  

 
 
 

昨日990メートルの山に登った(山歩き)

2週間前の朝は快晴。予報は一日晴れマーク。
絶好の山日和だ!
・・・のはずだった。

山に近づくに連れだんだん怪しい雲行き
登山口に着いたときは既に小雨模様。
頂上も霧に隠れ全く見えない。
仕方なくその日は断念することになった

そしてこの日がリベンジ・・
午前中、どうしても抜けられない会があって
こちらを12時スタートと言う悪状況でも決行したのは
そんな2週間前の事情と
雨季に入りこれからの休日が晴れである確立が低いと思ったからだ

1時間半後目指す山の駐車場に到着
登山口を出発したのがちょうど2時。
駐車したそばのオートキャンプ場の人に聴いてちょっと変則的な入り口を行くことにした

途中 目安にできる案内は見当たらない
それでも先ほど教わった車道にぶつかった
それを横切ると登山道があるはずだ
しかし見渡す限りそのような道はない

その車道の前方と下方に別れて入り口を探した
少し行くと前方にそれらしき道を発見
ただ「自然保護」の看板はあっても登山用のがない

仕方なくさっきのキャンプ場に電話で尋ねることにした
途切れがちの電波を何度か繋いでどうにか向こうと交信

今居る場所に三角形の看板が立っていることを話したが
そこは教えられた登山口からはかなり通り過ぎているらしいことがわかった
それでもこの道を行けば向こうの道に合流すると聞きその道を行くことにした

途中ほんとにこの道でいいのかと何度も疑いたくなる程何の標識もない
道幅は広かったのでそのまま進んだ

少し行くと・・・
石ころがゴロゴロする下り坂になった
私はそこで足を滑らせ転んだ
痛いぃぃ。。
擦り傷はなかったものの滑った拍子に思いっきり肩を打った

すぐには立ち上がれなかった
でもこんな所で泣いてる場合じゃない 
いくら夏至も近く日が長いとはいえ
少しでも早く山頂に着きたい

(前回は手のひらを擦りむいたので今日はバンドエイド持参で来たが・・・ 次回は冷シップだ)

前を行く人がついにそれらしき矢印を発見した
でもそれは「→」のみ・・・ほんとにこれが?・・
も少しわかり易く「山頂へ」とか書いておいてほしいな

ともかくその「→」を信じて登り始めた
整備されているがかなりきつい急坂・・・

疲労気味の私を元気づけようと地図を見ながら
「後何メートルで向こうの道が見えてくるはずだ」とか
「この坂を登ったらわりと平坦道になるはずだから」
などと相手(リーダーと呼ぼう)から声がかかるのだが

私は返事ができない
ただ足元に目を落としてひたすら登った

分岐点を左に取ってしばらく行くと・・・
また地図を見ていたリーダーのひとり言が聞えた

「もしかしたらもうひとつの道のほうが頂上に近かったかもしれない」

「えっ なに。。。なに言ってるの。。。」
すごくすごくヘタレてしまった部員Aの(Aしか居ないが)心の叫び

「もうここまで来たからにはこの道を行くほうが近い」と英断(だと信じたい!)したリーダーの叱咤激励(飴と鞭)を受けてロバのようにのろまな足並で進んだ

そして・・・ついに・・ついに発見!
「山頂へ」と書かれた立て札
「わぁ あった〜」
ようやく・・ヘタレA部員に声が戻った

さて少し元気が出たので 
一面の熊笹を押し分けて何がなんでもと進んでいくと
最後の山頂378メートルの看板に出逢った 
あと少しだ 山頂も見えるぞ

ここからまた足元だけを見る急な登り・・・
30分後・・・
とうとう到着 山頂だ〜  

4時20分 
力尽きて山頂からの景色を味わう余裕なく座り込む

さぁお弁当だぁ
(こんな時間から昼食を取ろうと思うのはきっと私たちくらいだ)
と思っても疲れすぎていてすぐには食べる気になれない
「取り合えずビタミンCでも補給しよう」

ようやく人心地ついて 向こうを見ると
パラグライダーの人が数人降下を試みている
風がないのか何度かやり直ししているようだ

まわりは360度の景観だ
でも近くの山が見えるものの期待したほどではない

美味しいお弁当(早朝から作ったお弁当 美味しいに決まってます)を食べて40分休憩後 
5時下山開始!
その5分前にパラグライダーの人たちも降りて行った

登ってきた道とは反対の道を行くことにして歩き始めた
分岐点に来ると案内表示がない まただ・・
(こんなことならパラグライダーの人たちに道を聞いておくんだった)

しかもどちらの道も少し進んでみたが確証が掴めない
取りあえずリーダーが最短だろうと判断した(これは英断とは書けない)道を下りた

ずっと下りていくと
期待を裏切って道もないような背丈ばかり高い草原に出た
遭難
この2文字が寂しく頭をよぎる

幸い日没までにはまだしばらく時間がある
その点だけが救いだ・・・

「でも私このままずっとこの草の中を下りて行かなければならないのだろうか・・」
・・・またもヘタレ部員心の叫び。

下りは足がこわばって思うように前に進まない
顔はもっとこわばっていたに違いない

限界を感じつつ 
それでも下りるしかないので 黙々と下りた

その時、先に行くリーダー「おお 登ってきた道に続きそうだ」 
あぁなんて明るい声だろう

さすがリーダーだ
(さっきまで私・・彼の判断の悪さを恨んでいたはず) 

本当だった 
しばらく行くと一時間以上前に通った道に出た

その時頂上を見上げたリーダーが
「霧だ・・・」
後10分下山開始が遅かったら霧に巻き込まれた可能性が高い

そこからは
どうしても安全な車道を歩きたい私の気持ちが尊重された

そもそも今回はデジカメを忘れてきたことに気づいた車中から始ってなんとなく「ダメだし」のヒントがあったような気がする

それにいくら近くても、車でもかなり上まで登れる山だからと言っても・・
午後から出かけたのは間違いだった 甘かった

いろんな反省やら不平やら・・・

それでも車道に出たらすごく気持ちが楽になった
車道両側の山肌には種々の花が咲き
そこらじゅうにオレンジ色の木苺がきらきら実をつけている
携帯のカメラで撮影しながら嬉々として足を進めた

その時、先を行くリーダーの前から車が来た
こんな時間にまだ登る車があるのかと思いながら下りて行くと
車は停まり窓を開けてリーダーと話しているようだ

近づいてみると
その人は私たちが道を尋ねたキャンプ場の人だとわかった

「下りて来られるのが遅いのと 頂上に霧が出てきたので心配して来てみました
「教えた登山道と登られた所も違っていたような気がしたので・・・」

「すみません ご心配かけてしまいました
こんな所まで来ていただいて・・・」

まさかかなり心配させただろうその人に
「頂上でお弁当食べてたので遅くなりました」
なんてとても言えないし・・

「ほんとうにご迷惑かけてしまいました」
ごめんなさい

後、30分以上は歩くはずだった
けれどご好意に甘えてその車に乗せてもらうことにした

結局救助されたようなものかも・・

でももしあの道を見つけられなくてあのまま草の中を進んでいたとしたら・・

いつまでも下りて来ない不慣れな登山者2名のために捜索願が出されていたかもしれない

帰りの車中では、さっきあったことを思い出しては
情けないやら可笑しいやらで盛り上がってしまった

今回は山自体の好印象はなかったけれど・・・ 
心配して車で上がってきてくれた人の優しい心に触れて
またひとついい思い出ができた

ただ、山にはポイントポイントに標識があるものだと思うのは
大間違いだということを知らされるはめになったが・・


2005年6月10日(金)    

 

 

梅雨入りです
昨年よりも2週間遅いらしい
雨らしい雨もなく湿度もほとんど感じない

6月に入りずっと日記を書いていなかったのは
特に変ったこともなかったから・・・


友人Mから電話が入らなくなってもう2ヶ月近くになる
一年弱の音信不通後、突然電話が入ってきたのは
私の誕生日前日だった

「お誕生日おめでとう」ひさしぶりに聞いた声は気のせいか元気がない
それでも私の誕生日を覚えていてくれたことと電話をくれたことを感謝しながら
「元気にしてるの?」と尋ねてみる
「体調が思わしくないので こちらに来てから転院したよ」と言う

もう何年も彼はある病気を抱えていて定期検診を余儀なくされているのだが・・
ずっと検診の結果が良かったので安心していた

音信不通になったその頃
彼に大きな転機が訪れた
そのことを結果報告する電話があってからしばらくして連絡が絶たれたが
どうしているのかなと思ってもこちらからは連絡出来ないという状況だった

だからまたこうやって電話してくるのは彼自身いい時か悪い時かどちらかなのだろうと思いながら電話を聞いていた

ずっと聴いているうちに今ここで元気付けたとしても
それは無意味なような気がしてきた・・・
電話の向こうの話を黙って聴くほかなかった

それから週一度くらい電話がくるようになった
最後の電話の時、
もうひとりの共通の友人が心配していて電話欲しいと言ってることを告げた

しばらくしてその友人のところに電話があったらしいのだが
その後どちらにも連絡が途絶えてしまった

彼女は彼のためを思ってかなり厳しいことを言ったらしい
私が言えなかったことを・・・

「○○はあなたに甘えているのよ ただ優しい言葉が聴きたいだけなのよ」彼女にそう言われた

そうかもしれない
それは彼のためにはならないこともわかっている


でも今はその電話すらかかってこない


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