鏡花「春昼、春昼後刻」読了。
2回続けて読んだ。 色彩と映像の美を感じられる作品。 真っ白なキャンバスに印象的な赤、黄、青を フラッシュバックのように見せられる。
そして、洗練された言葉。
2編の短編とも、終わりの一文が素晴らしい
「雲の黒髪、桃色衣、菜種の上を蝶を連れて、 庭に来て、陽炎と並んでたって、しめやかに窓を覗いた」
「渚の砂は、崩しても、積る、くぼめば、たまる、音もせぬ。 ただ美しい骨が出る。貝の色は、日の紅、渚の雪、波の緑」
焦がれ死にするほどの夫人をみつけ、宿命の死を遂げる。 あくまでも、美しい春の日差しとともに。
女性の描写も粋で艶かしい。
「濃い睫毛から瞳を涼しくみひらいたのが、雪舟の筆を、 紫式部の硯に染めて、濃淡のぼかしをしたようだった。」
鏡花を豪華本で読むと、さらに 不可思議な世界へ誘ってくれそうだ。
引越しで、慌しい毎日。 やっと、仏語版クンデラの「存在の耐えられない軽さ」を あと10ページで終わる。 また、時々持ち歩いて何度も読もう。
次に待ち構えているのは、 カミュ「ペスト」 昨日、就寝前に数ページ読んでみた。 カミュの文章は、整然として読みやすい。
私の仏語小説を読む時間は週1日。 調子がいいときは、もっと読みたいけど、 ピアノ、仏語、伊語、読書、飲み会、仕事、家事を全部こなすとなると 強い意志が必要となる。
幸福とは、繰り返しである。 繰り返しに耐えられないから、 人は、新たな快楽を求め、彷徨う。
プルーストを読んでいると、 マルセルは、花を見ると、女性の艶かしい体を想像する。 美しい女性のくびれた腰の花々。 ノヴァ-リスの「青い花」のように花弁の中に 愛らしい乙女が潜む禁断の世界。
鏡花の再読も。 まずは「春昼、春昼後刻」 文字を追いながら、着物に色づけし、花の吹雪に包まれながら 神秘的な女性を創造し、そして、自分自身を 美しい言語のヴェールをまとうことができる。
こういう作品を時々読むのは必要だと思う 日々の生活は、人間関係ですさんだり、 つまらない会話にも楽しそうに参加したりと 気苦労が多いもの。 常に魂をゆさぶる人達に囲まれているわけではないから、 疲れたときに点滴を打つように、 美しい作品により、私の体と脳は快活になっていく。
バルベー「深紅のカーテン」より
「隠れて何かを行う人間の幸福を知り、 共犯関係の中にある謎の快楽を知りました」
という表現がある。 秘密という甘美の果実を味を知ったものは、 その快楽の呪縛から逃れず、 さらに探し求める。
ここで、全てがつながる。
プルーストを再読していると、快楽の呪縛を 感じる。
読書計画は予定どおりすすみ、満足。 プルースト再読は、今回は、快楽の追求を 感じながら読んでいこうと思ってる。 今は、まだ1巻。
「悪魔のような女たち」バルベー・ドールヴィイ。 ポーの描く女性像と通じる所がある。 研ぎ澄まされた美の中に潜む悪魔性。 文章に散りばめれたダンディズム。 デガダンス文化の最高峰だと思う。
生田氏のように、読書の美食家として、 今年は再読の年にすることを固く決意。 鏡花、谷崎、三島、プルースト
時々、バルベー、マンディアルグ
本屋でカミュの「夏」「ペスト」を仏語版で購入 今年のフランス語課題本にしよう
生田耕作「黒い文学館」 バルベー「悪魔のような女たち」読了 最高だった。 生田耕作の語ることは、私が常日頃思い、 そして、さらに一歩進んでいく指針を表示してくれた。
「人生は芸術ではない」 「人生の表面しか見抜けない文学は、真の意味で 優れた文学とはいえない」
これは、私は常日頃思っていること。 日常を求める為に、芸術にふれていない。
そして、常に芸術において美食家であること。
生田氏は語る。現代文学には興味はない。 淘汰されたより優れたものを再読する喜び。 「恍惚」という要素が含まれた作品 歓喜、美、驚異、畏怖、神秘、未知なるものの感覚 未知なる物への欲求
快楽と苦境はなんであるか 常に美食家であり続ける
これが私の今年のテーマになりそう
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