気品。 永遠のテーマ。
何度見ても好きな台詞 トリュフォー「夜霧の恋人たち」より
探偵社に勤める同僚との会話
「祖父が亡くなった時、祖父の家に皆集まり 哀しくて、いとこと泣いた。 葬式の後、屋根裏に上がり従妹と抱き合った。 それを皆がみたら凄い光景に驚いたろうよ」
「埋め合わせのセックスさ」 「生きている証拠だよ」
刹那的だけど、生きている証拠。
こんな言葉を同僚と交わしたい。
イタリアンに行った。 場所柄、訳あり二人づれが多い。 50代ぐらいのサラリーマンのおじさんと 30代後半の少し疲れた感じのOL. 二人の空間にあまり愛とエロスは感じられなかった。 疲れている空気が漂いすぎていた。
ピアノの練習。 メトロノームの練習は職人技だ。 地道な練習が素晴らしい演奏につながる。 連続する3連符と2連符のリズムの変化が 音楽を粋に仕上げる。 と、私が言ってもリアリティがないか
フランス旅行の電車の時間はフランス鉄道SNFをサイトで 簡単に調べることが出来る。とても便利。
「不滅」の中の「白痴」の記述が興味深い。
以下、引用。
苦しみは、自己中心主義の最高の教育機関である。 「あなたは僕に対し深い軽蔑の念を抱いておられるのではありませんか」 と、イッポリートはムイシュキン公爵に尋ねる。 「なぜですか。あなたは苦しんでこられたし、いまも僕達よりも苦しんで おられるからでしょうか」 「いや、僕は僕の苦しみに値しないからです」 僕は僕の苦しみに値しない。立派な言い方だ。 苦しみは自我の根拠であり、 自我の唯一の疑うべからざる存在論的証拠であるばかりなく、 あらゆる感情のなかで、もっとも尊重に値するものでもある。 価値のなかの価値だ。だからこそムイシュキンは、苦しみ女性はすべて 素晴らしいと思っているのだ。ナスターシャ・フィリッポヴナの写真を はじめて見た時、 「この女性はたいへん苦しんだにちがいない」と彼は言った。 この言葉は、われわれがもう自ら彼女に会うまでもなく、 ナスターシャ・フィリッポヴナが、 他の誰よりも上に位置していることを一気に明らかにするのである。 「あなたはすいぶん苦しんでこられたのですね」とある女性に言うのは、 さながら彼女の魂に直接に語りかけ、その魂を愛撫し刺激するようなもの なのだから。どんな女性でも、そういう場合、われわれにこんなふうに言わんばかりになっているのである。 「あなたはあたしの身体こそまだ所有してないけど、 あたしの魂はもうあなたのものですわ!」 ムイシュキンの視線のもとで、その魂は絶えず成長しつづけ、 六階建ての家の高さほどもある巨大なマッシュルームの如きのもの。 これぞ私が魂の異常発達と称するものである。
今日の私の気になる言葉。
「魂を愛撫し、刺激する」
アメリカの大学に留学していた人と話すと、 教養を感じさせる会話は、聖書とシェイクスピアの引用を 使うことらしい。 フランスでも詩を暗誦するシーンは映画でよく見る。 まずは自国の文化を大切にすることが移民の国では 重要視されるのだろう。 批判の心を持っていても、あえて他国の前では 自国文化を愛しているといいはるのが、大人の礼儀なんだろう。 日本人(私も)は、アメリカ万歳、お洒落な仏蘭西と 自国文化をないがしろにする傾向があるから、 まずは自分の生まれた国を理解しないといけないなと思った。 私も今年は古今和歌、源氏に挑戦してみようかな。
日本だと、教養を感じさせる会話ってどういう場面なのかな
フランス語の帰りにエレベータで 海外旅行の帰りとみられるおば様に声をかけられた。 「この駅はいつから開通したんですか? 路線を間違えたかと思って驚きました。」 「今日からだと思います」と答えると 「ところであなた独身?」 一瞬どういおうか迷って「いいえ」と言うと 「私、仲人をしているから、感じがいい人には できるだけ声をかけてるの」だって。 すごい勧誘。このバージョンは初めて。
クンデラ「不滅」 物語の中に、哲学、政治、文学の内容が折り込まれ 頭を使う作品で、新しい感覚。 クンデラを読むと、語りたくなる
仕事の後、「ダニエラという女」を見に。 モニカ・ベルッチのダイナマイトボディは 魅力的というより、コメディ。 特技は「愛されること」 美しく、豊満なダニエラの体をみて、フランソワが心臓発作に なったり、コメディータッチ。 R-15指定だけど、あの体では、淫靡さがない。
「潮騒」読了。 朴訥すぎる真っ直ぐな恋愛。 光り輝く若さを感じさせる肉体。 そういう体を表現する三島の高揚した文がいい。 ゴシック建築ではないけど、太陽に向かって主張する体。
「決して色白とはいえない肌は、潮にたえず洗われてから 滑らかに引締まり、お互いにはにかんでいるかのように 心もち顔を背けあった一双の固い小さな乳房は、 長い潜水にも耐える広やかな胸の上に、薔薇いろの一双の 蕾をもちあげていた」
「潮騒」が青年向け小説だとしたら 「午後の曳航」が大人向け小説。
私は少し毒のある「午後の曳航」の方が好き。
仏語聞き取り上級編の内容は難しい。 今日は、東京の物価が高く、ニューヨークの 物価指数を100とすると東京は199にもなるという話。 こんなこと、日常会話で話さない。
日常会話の必要性も感じ、仏語クラスのCDも聞く。 ネイティブフランス語のインタビュー形式。 こちらの方が実践的。 二つを同時進行して、実力が伸びていくんだろう。
そして、仏語小説を読む。 うーん、時間がいくらあっても足りない。
「潮騒」読み始める。
仏語コーナーに行って、小説を吟味。 「谷間の百合」にも苦戦しているのに 先日、サルトル「嘔吐」を購入。 サルトル仏語レベルはカミュと同じぐらいだから 多分、本気で取り組めば短期間で読めるはず。
日本の小説でも、古典になると読む時間が かかるように、仏語でもクラシックの作品は 手強い。
「ノルウェイの森」を読了。 この本がベストセラーになった頃、私は高校生で、 周りの友達が騒いでいたのは、性的描写が多かったからだろう。 この本の微妙な気持ちの揺れを理解できていたかは謎。 大切な人を自殺で消滅させるのは、若干、唐突すぎるかな。
読んでいて、手紙はいいなと思った。 便箋に向かって、相手を思いながら思いを綴る。 直子への手紙はいつも美しい文章を心がけた。 感銘した本、映画、美しい景色等。そうすると 自分がなんて素晴らしい世界に暮らしているんだろうと思えたと。
手紙には魂が宿る
「ノルウェイの森」を読んでいると 時々心が寒くなり、砂漠のようになっていく。 無機質さを根底として繰り広げられる人間関係が 異様な違和感を感じさせるのかな。 マルケスだと、安易だけどそれは感じない。 何でだろう。 行間の暖かさの違いかな。
「善き人のためのソナタ」を見にいった。 東ドイツの社会の歪みの中で生きた人々の物語 優秀な国家保安省(シュタージ)局員のヴィースラーが、 反体制である芸術家の盗聴任務をしている間に 人間の感情が芽生えてくるという話。 冷徹に任務をしているヴィースラーがだんだん変わる様が いい。
そして、「コレラの時代の愛」も読了。 マルケスの語る愛のるつぼの中に見事に はまっていった。 ところどころに出てくる女性たちが優しい。
今日の本は「ノルウェイの森」 いつもの村上節。 がむしゃらでない青年と、寡黙な女性。 初期の村上短編と同じ香りがした。 嫌いじゃない世界
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