そよ風


2004年10月29日(金) 温泉旅行(2)

ガイドさんの言葉どおりの「お肌ツルツル下呂温泉」は、なかなかいい温泉。
まず無色透明、限りなく澄んだきれいなお湯が豊富に湧き出ていて、とても気持ちがいい。
宿泊したホテルでは、お部屋風呂も洗面所のお湯の出口からも、温泉の湯が出てくる。

朝食後にホテル付近を散歩、無料の足湯の場所を二箇所見つけた。
朝の冷え冷えした空気の中、湯気がユラユラと立ち上っていた。
駅前に行くと、ガソリンスタンドならぬ、温泉スタンドがあり、
200リットル150円で給湯できるようだ。

寒風吹きすさぶ朝というのに、川の露天風呂に浸かってる人が、二人、
数時間後、バスで通りがかった時にも、三人の入浴者、
ガイドのお姉さまが笑って言った。
「男性が川原で入浴してます」と言うと、
皆さん(九割は女性客)バスの窓から身を乗り出すようにして眺められますね〜。

いいえ、私達は何も、入浴中の男性の体に関心があるわけではないのです。
この、寒空の下で、囲いも何もない川原の露天風呂に入浴している人って、どんな人?
と興味津々になるだけなんですよ。

一泊旅行だったけれど、私としては、御土産をけっこうたくさん買ってしまった。
今が旬の柿や栗を材料とした菓子類、どれも試食すると美味しくて、ついつい予算オーバー。
これも、台風被害の復旧に少しは協力してることになるかな?
微々たるもので、申し訳ないのですが・・・



2004年10月28日(木) 温泉ツアー(1)

一昨日の26日から、主人と下呂温泉に一泊旅行に出かけた。
台風や地震の災害で、今なお避難生活を余儀なくされている人々が大勢おられるというこの時期、
遊びに出かけるというのは、ちょっと気がひける、という気がしないでもなかった。
でも「ゆっくり温泉にでも浸かってリフレッシュしたい」という主人のたっての希望で、
ツアーを申し込んだのは先月末のこと。

特急雷鳥で金沢まで行き、バスで乗鞍スカイラインを走って下呂温泉に向かうという予定が、
凍結によるスカイライン閉鎖により大幅に変更となった。
中止になった乗鞍スカイラインの代わりに、二日目に白山スーパー林道を走るという代替プラン、
しかし二日目当日の朝、気温が一気に低下、白山スーパー林道もまた凍結で閉鎖となってしまった。

でも、金沢から飛騨高山に向かうバスの車窓から見える山々の紅葉は美しかった。
二日目の下呂温泉から白川郷に向かう道中でも、渓流やダム、
木々の紅葉の織り成す景色に目を奪われ続けた。

京都の寺院の真赤なモミジも美しいけれど、山々の秋の色は、やさしく柔らかい。
様々な形と色が、混ざり合い、融合し合っている。

途中、道路は何度か片側通行になった。
台風による水害の復旧作業が雨の中、かなりの箇所で行われていた。
壊れた堤防、下の土が抉り取られ宙吊り状態になった川沿いの道路、なぎ倒された樹木、
橋げたや道路脇フェンスにまで、台風の爪跡が残っていた。
大きくニュースで報じられなかった場所でも、台風による被災地域は、たくさんあるということか。

道路渋滞が始まった頃、「なんでこんな田舎道で渋滞するの?」とブーブー文句を言ってた私、
でも、バスが進むにつれて事情が見えてきて、シュン・・と大人しくなった。



2004年10月25日(月) 友達

私には一人だけ新潟県に友達がいる。
若い頃に勤めていた職場で、机というか実験台が隣合わせだった。
二人とも、ほぼ同時期に結婚し会社を退職した。

子供達の年齢もほぼ同じ、子供の小さい頃は行き来があったが、
二十年ほど前に、ご主人の出身地である新潟に一家でUターン、
すっかり、お互いに遠い存在になってしまった。

年に一度きりの年賀状だけの付き合いになって、幾久しい。

でも、今年の年賀状に「私もパソコンでメールを始めました」と、
初めてE-Mailアドレスを賀状の隅っこに書いてくれていた。

私が送った彼女への最初のメールは、この七月、新潟県で発生した豪雨による水害の時。
「水害は大丈夫でしたか?」

そして、二通目のメールは「地震、大丈夫だった?」

もうすっかり新潟の人となって暮らしている友達は、
今年はいろいろと、怖い思いをしたのではないだろうか。

何年か前に一度、電話がかかって来たことがあった。
電話から流れてくるきれいな標準語に、昔の彼女だとはどうしても信じられなくて、
何度も「ほんとうに○○さん?」と聞いてしまった。

完全に抜け切ってしまっていた大阪弁のアクセント、
いかにも大阪人イメージだった昔の友達、
顔の見えない電話では、どうしても結びつかなかった。

それにしても、自然災害の前では、人間の力なんて微々たるもの・・・

でも、一日も早く、もとの生活が復旧することを祈っている。



2004年10月22日(金) カスピな日々

主人が会社の上司から、カスピ海ヨーグルトを頂いて来たのは、今年の三月のこと。

「これは、絶対に絶やしたらアカン! 友達にも作って広めて!」と、のたまふ。

なんか、まるでチェーンメールとか、不幸の手紙みたいやなあ・・・
でも、上司から頂いたヨーグルトの種、ここで終わらしては、主人の出世に差し支える?

せっせと、牛乳を買ってきては、カスピ海ヨーグルトを作った。
(追い立てられるように牛乳を買ってくるのは、亭主の方、食べるのは主に私。)
友人達にも持って行った。おばあちゃんにも貰ってもらった。

冷蔵庫には、常にカスピ海ヨーグルト化した牛乳パックが二本、
いつでもヨーグルトを作れるようにと、予備の牛乳パックが1本、
毎晩、カスピ海ヨーグルトに甘いジャムを混ぜて、食べる日々だった。

何だかんだ言っても、わー、もう7ヶ月も続いてる!

お腹の調子が良くなったかな?
健康増進に役立ってるのかな?
美容やダイエットに効果があったかな?

自覚症状がないので、正直なところ、わからない。

でも、当方二人とも、そろそろ骨粗しょう症などを心配しなければいけないお年頃。
牛乳の摂取量がカスピ海ヨーグルトのお陰で、異常に増えたのは、やはり良いことなのだろう。

とは言え、いっしょに混ぜる甘いジャムの糖分がチト気になる。
私の場合、ヨーグルトがメインなのか、ジャムがメインなのか・・・
フルーツヨーグルトではなく、ヨーグルトジャムを食べているのかも知れない。

ちなみに、カスピ海ヨーグルトに混ぜるジャム、
私は絶対に、生協から出ている「アロエジャム」がオススメ!


さて、写真は大好きなシュウメイ菊。
真っ白で、楚々として、まるで(?)みたい〜♪
でも今年は例年よりも開花が遅く、少し貧相な気がする。
年々衰えていくあたり、やっぱり(?)みたい・・





2004年10月20日(水) 自然の悪循環?

  

今、台風がこの周辺で暴れ始めている。
これから、風雨のピークを迎えるのだろうか。
台風の襲来で思い浮かべるのは、この日曜日に歩いてきたばかりの大台ケ原だ。

頂上の紅葉はちょうど見頃だったが、大台ケ原には、緑や紅葉の木々に混じって、
白く立ち枯れた木々、倒れて朽ちた木々があちこちに混在しており、独特の雰囲気だ。
それらは、まるで白骨化した木々の死体のようで、なんとも物悲しくもある。
滅び行く大台ケ原の森林、どうしてこんなことが起こるのだろう。

発端は昭和三十年代の伊勢湾台風という。
台風の襲撃により、正木峠付近のうっそうとした森林で木々が倒れ、
明るくなった場所に笹が生い茂るようになった。

笹が増えると、笹を主食とするシカが増えた。
増えすぎたシカは、笹が足りなくなって、トウヒの樹皮を食べるようになり、木々が枯れてしまう。

木々が枯れて倒れ、明るくなった場所に笹が繁殖、それにつれてシカもまた繁殖する。
笹の回復は遅く、シカは、ますます樹皮を食べて、木は枯れる。

なんという悪循環なんだろう。
昔は、オオカミが、増えすぎたシカを減らす役目をしていたそうだが、今はオオカミも絶滅してしまった。

パンフレットや現地の説明ボードによると、ざっと、こんな理由らしい。
このままでは、大台ケ原の森林は衰退し、そしてシカもまた死滅するかも知れないという。

食べられた笹は回復するのが遅く、正木ヶ原周辺は、小さな笹が芝生公園のように広がっている。
そして、当たりいちめん、白骨化して倒れた木々、まるで樹木のお墓のようだ。

「大台ケ原の自然を守るために、私達人間に何ができるのでしょう」という問いかけ。

う〜ん・・・難しくて私には、わからない。
人間が、オオカミになって、シカを増やさなければいいのでは?
なんて動物愛護協会から怒られそうな、単純な答えしか思い浮かばない。



2004年10月15日(金) 優しくて力持ち!

毎週金曜日の夜は、公民館での太極拳の練習に通っている。
先週の金曜日のこと、接近中の台風22号の影響なのか、
雨がショボショボ降る暗い夜だった。
いつものように、町役場の駐車場に車を停めようとした。
夜だから、当然、だだっ広い駐車場はガラガラ。
なのに、私はいったい何を考えていたのだろう。
ガラすきの駐車場なのに、一番隅っこに停めようとした。
出口に近いその列だけは、一番奥しか空いてなかったのだが。

ボーっとしてたかも知れない。
なんせ、翌日は大事な初顔合わせ、
ちょうどその時間くらいに、台風が直撃という予想に、
いろいろ心配していたのも確かだ。

シャラシャラという音にハッと気付くと、金網のフェンスが暗闇の中に突然現れた。
シマッタ! 擦ったかな・・とあわててバックしようとハンドルを切った途端、
溝にすっぽり前のタイヤがはまり込んだ。
・・・ええっ? こんな場所に溝なんか、あった??

こういう場合、どうしたらいいのだろう・・・
哀れな車の周辺をウロウロするだけの私。
そうだ、近くに消防署があったっけ・・・
消防署の方に御出動をお願いしなければいけないのかなー

と、そこへ若い兄ちゃん風の男性が、突然現れた。
「どうしたんですか?」と尋ねてくださる。
夜なので、顔は、はっきりわからなかったけど、
私にとっては、天からの使者! とってもイイ男に見えたのは当然のこと。

あわれなマイカーの姿を見て、すぐに仲間を呼んで、
引き上げてくださった。
フェンス際で、作業も大変だったと思うが、さすが!!
助けてくださった4人の奇特なお兄様達は、
明日からのダンジリ祭りの練習に来ていた、野田青年団の人達。
力の強いのは当然!

なんでもない所で、フェンスに当たったまま、タイヤを溝に落として、
なんともカッコ悪くて恥ずかしかったが、
助けてくれた人達の善意がほんとうに嬉しかった。
特に、向こうから「どうしたんですか?」と、来て下さったことが、嬉しくて嬉しくて!

人が困っているのを見かけても、なかなか自分の方から声をかけることができない私だから、
なおさら感激してしまったわ。

(暗闇だから、若い女性とまちがえたんやろか・・)なんて、ヒガンダ考え方はしません。
私は、素直に喜んでます。



2004年10月12日(火) 初顔合わせ

近畿上陸が予想されていた台風22号は、予想を外れ、
大阪はほとんど影響を受けなかった。
お陰さまで9日の土曜日に、私達は大阪市内の料亭で、
娘の婚約者の御両親と初めてお会いし、
和やかなムードの中で会食をすることができた。

今まで全く見ず知らずだった家族が、これから親戚として,
末永く付き合っていく、というのは不思議な感じだ。
誰もが経験していくことだけれど、どちらの家族にとっても、
子供の結婚は初めてのこと、
お互いに、必死で緊張しながら、リラックスしているフリ?

私は周囲の人達に対して、ふだん、あまり細やかな心配りのできない性格。
でも、これから自分の娘が、深く関わって行くだろう彼の御両親なので、
こちらも自分達なりに一生懸命だったと思う。

場がシラけたらどうしよう・・・
話が盛り上がらなかったらどうしよう・・・
お高くとまっていると思われないように、愛想よくしなければ・・・

なーんて、いろいろ考えてしまって、まるで私の方がこれからお見合い?
という感じだったわ。
「花嫁の父」の主人も、頑張って愛想よく会話をしていたのでひと安心。

翌日、こちらの秋のだんじり祭りを見物がてら、彼が我が家に遊びに来た。
「お父様は食が細い方なのね。昨日の食事、ほとんど残しておられたから。
和食は苦手なの?」との私の質問に、
「いいえ、そんなことないんですけど。昨日は緊張していたからだと思います」

そうだったんですか。やはり、とても緊張されていたのですね。
あの中では一番の年長者に当たるお父様、
会食の場を和やかに盛り上げるために、一生懸命リードしてくださって、
ありがとうございます。

私達は二人とも、なんだかんだ言いながらペロリと、ひとつ残さずお料理を平らげました。


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