2009年01月31日(土) |
getting tired of being convalescent |
一昨日、授業の資料作りをしていて、プリンターから出てきたものをまとめているだけの動きでへとへとになった。
今日は電球の取換え作業でくたくた。居間と台所の照明の輪形の電球が切れ、ネット購入したのが今日届いたのだが。両手を上にあげているだけのことがこんなに疲れるなんて。なかなかソケットが上手く入らず、腹の傷が引っ張られて痛いのでつい焦って突っ込んだら、「ぱき」と音がして、電球の中が一瞬で白くなる。・・・割っちゃった。しみじみ悲しくなる。
疲れる。「病み上がり」でいることに疲れてきた。気が張っていた退院直後よりも、逆に最近の方が生徒に「大丈夫ですか?」と言われる。
S(vo)が18時にハーゲンダッツのアイスを持ってお見舞いに来てくれる。19時半に帰。
(3/3up)
getting tired of being convalescent (病み上がりでいることに疲れてきた)
2009年01月28日(水) |
not any more |
生徒がまた基数と序数を間違えている。「だからね、2回(twice)と2回目(second)は違うんよ」と色んな例で説明するが、そもそも日本語から混乱しているらしい。ちなみにこの生徒は、例の「中指は英語で?」と訊いたら「ふぁっく・ふぃんがー」と即答したエロネタ好きの女性。
「・・・わかった。じゃ、あなたにわかりやすく言うわ。『夕べ彼氏と3回やりました』ってのが'three times'で、『で、3回目が一番良かったんです』ってのが'third'だよ」
「ああ!」と顔を輝かせる彼女。「じゃ、『3人目の男とやった』ってのも'third'ですね?!」
・・・いきなり理解かよ。(誓って言いますがこれは実話です)
おなかの傷を鏡で見ていたら、涙が出てきた。
去年、ある男性の前で初めて裸になった時、彼は一瞬体を引いて私を見て、「すごくきれいだ」と言った。恋に目が眩んだ男の台詞だってことはわかってるが、とにかく私はそう言われたのだ。
―――おまけにその時私、悠然と微笑んで、「おなか出てないでしょ」と言ったんだ。
あまり意識していなかったけど、多分今まで自分の体の中で、ハラに一番自信があったんだな。だからおなかの出る服ばかり着ていた。
そういえば以前ロックバーでの勤務中に、腹筋フェチのお客に「美しい腹」とおだてられたこともあったっけ。
私がよくおなか出してるのを見て、「あなたのウエストラインが大好き」ってメールくれた人もいたな。
泣くのは今日が初めてだけど。最初に傷を見た時から、いや、手術をしたその日から、ずっとずっと、悲しかったな。
(3/2up)
not any more (今はもう違う)
2009年01月27日(火) |
real pain in the stomach |
授業で、"Look! There's Carol."という文章を訳させたら、「見て!あそこにニンジンが!」と言われた。
・・・それは'carrot'だろう・・・・・。
思わずハラをおさえ、「・・・笑わさないで下さい。ハラに負担を与えないようかなり上手に笑えるようになったんですが。急に来るとまだ辛いです」と言う。
「最初が大文字なら固有名詞だと気づきましょう」などまともな説明もするが。「・・・けど、『あそこにニンジンが!』って。どんだけニンジンが異質な空間なんですか。病院の集中治療室とかですか」と笑う。
昨日、傷の上に貼ってあった幅広の透明なテープをはがした。20cmあまりの傷の、おへそを迂回している箇所の下の皮膚が、カーブのせいでぽこっと盛り上がっている。横から見ると角張って見える。手術直後はここだけ黄色く腫れあがっていて、医者も心配していたのだが、幸い腫れは殆どひいた。後はかたちの問題だけで、これもそのうち馴染むものと思っていたが。
今日鏡で見ていて、まさかこのままなんてことはないだろうな、と初めて心配になる。
ようやく日記が12/24に追いつく。手術後の痛みを書ききったら、思い出して涙が出てきた。思い出して、本当におなかが痛くなる。
(3/1up)
real pain in the stomach (本当に腹痛が) *'real pain in the neck'(悩みの種)というイディオムのもじり。
2009年01月24日(土) |
appreciate your appreciation |
体重が44.3Kgになる。成人後でこれを下回ったのは、2002年の43.8Kgだけだ。(あの時は毎日ジム通いをしながら、殆ど食べずに一日中チャットをしたりしていた)
生徒にツモリチサトの腹巻を2枚頂く。普通のシャツのような可愛い柄で、やわらかくてすべすべ。
今日で術後一ヶ月経過したので、そろそろ腹帯を取ろうと思ったが、保護がないのも怖いので、ハイウェストのガードルでも買おうかと思っていた矢先だったので、嬉しい。
しかし世の中にこういう「可愛い」腹巻があるのを今回初めて知った。世の女性達ってよっぽどおなかが冷えるんだねえ。ネット検索してみたら、「お洒落な」豹柄の腹巻やら、「セクシーな」腹巻やら。・・・それはちょっとどうなんだ。
この生徒は以前からよく差し入れなどしてくれるが。特に退院後は毎週甘いものを買って来てくれ、それより有難いのが、授業前に必ず声をかけて買物してきてくれるのだ。おかげで図々しくも毎週、「単三電池」だの「台所の排水溝用ネット」だの、こまごましたものをお願い出来て本当に助かっている。
ここからは昨日の話。
母から電話があって、私の入院費を全額払うと言ってきかない。私は今回は全部自分で払うつもりで、親が内金として払っていたぶんも返すべく(そうは言わずに)K叔母に母の口座番号を訊いたりしたのだが、察した叔母が母に相談し、教えないよう言われたらしい。
こういう時の母は、にこやかに、しかし頑として「決定済」という態度なので、全く抗えない。結局今回も負けた。
有難いことではあるが、何となくすっきりしない。
実は一昨日、電話でK叔母ともめた。それまでは叔母の横柄な態度を我慢していたのに、生まれて初めて言い返したのは、思えばこれも体調ゆえだ。
で、その時の叔母の乱暴な怒り方に心底いやな気分になっていたら、その反動で、親にたいしてわだかまっていたことが、どうでもよく思えてきたのだ。
で、昨日母との電話を切った後しばらくして、ふっと「父と話そう」という気になった。
電話して父に代わってもらい、やさしい口調で私の体調を訊く父としばらく普通に話し、その後で本題に入った。つまりこうだ。
私は、前回父に電話で「子宮を摘出していいと言うのをきいて、ショックを受けたのはこっちだ」と言われて以来、「もう私は子供が産めないんだから、ずっとお父さんが『孫を産まなければ財産は一円もやらない』と宣言していた通りにすればいいわ」と言ってやりたかったのだ。でもいくら何でもそんなことは言えないと思い、苛々していた。
で、そのことを言っちゃったのだ。ただし、怒らず、普通の口調で。自分がそういう気持ちだったんだよ、と。(つまりこれが出来たのは、怒り狂ってものを言う実例をK叔母で見てイヤになったからである)
そうしたら、わかってくれた。私が傷ついたことも解るといい、また、自分が人の話をきかないことも自ら認めた。「この数年は、なるべく他人の話もちゃんと聞くようつとめているつもりだが、どうも上手くいかない。若い頃は、年を取れば自然と穏やかで人間が出来てくるものだと思っていたが、どうやら全くそうはならない。結局自分は苦労をしたことがないからそうなんだと思う。何の苦労もせずに人格形成だけ期待するのが間違いだよなあ」という内容のことを言い、「ごめん」と謝ってくれたのだ。
・・・いやあ、びっくり。
思わず「嬉しい。謝ってくれてありがとう」という言葉が出た。
その後、非常に穏やかないい気分になり、K叔母にも電話して、明るく「ごめんね」と言った。叔母はかなりほっとした様子。
だが、実を言えば今後K叔母と本音で話す気だけはすっかりなくした。なので逆にもう衝突もない筈だ。
(2/28up)
appreciate your appreciation (わかってくれてありがとう)
2009年01月23日(金) |
disposable boot warmers |
21時にS(vo)がお見舞いに来てくれる。買物してきて下さるというので、有難く、食品と使い捨てカイロをお願いした。一時よりゆるんだとはいえ今でもまだまだ体が冷えるので、毎日ブーツ型ルームシューズの両足の中に一枚ずつ使い捨てカイロを仕込んでいるのだ。退院後3週間足らずで70枚購入している。
食品も山ほど買ってきてくれたので、冷蔵庫と冷凍庫がいっぱいになる。ピザ、グラタン、ホウレン草、ブロッコリーなど。
お見舞いにチョコレートも頂く。取っておきのコーヒーをあけて一緒に食。
Sは22時過ぎに帰。その後、買ってきてもらった生ハンバーグを焼いて、これも買ってきてもらったチーズとでサンドイッチをつくって食。
(2/27up)
disposable boot warmers (使い捨てカイロ) *'hand warmer'ともいうが、まさに私の使い方の場合'boot warmer'がふさわしいかと。
霧雨。13時半にMRが家に迎えに来てくれる。今日は通院日なのだが、彼が付添うと言ってくれたのだ。
表に出るのは退院後初めて。買物は主にネットで済まし、ゴミ捨ては生徒がやってくれていたので、本当に外に出ていない。
まずは、駅へ行く途中にある美容院へ寄る。ようやく前髪をカットしてもらえた。それから駅まで歩くが。想像以上に下からの振動がずんずん響いて痛い。ゆっくりゆっくり歩く。
電車で吉祥寺へ行き、そこからタクシーで杏林大学付属病院へ。
15時の予約だったが。
18時まで待たされた。
おまけに医者の言うことにゃ。「悪い悪い、会議が長引いて」
痛くて不快な内診はしたが。傷は見てもくれなかった。退院時に一ヶ所腫れあがっている箇所があって、そこがちゃんと治るかどうかと気にしていたのに。「傷は見ないんですか?」と言ったら、「いや、今見たから」という返事。腹帯を巻いたままでどうやって見えるんだよ。
癌だったので、今後5年間通院する必要があると言われるが。どこでも同じなら、近くの病院に変えて欲しいと言う。
診察を待つ間に、入院費の支払いも済ませた。入院中は訊いても全く見積もりを出してくれなかったので、今日初めて金額を訊いたら。
「52万円です」って。
ごじゅ・・・・・・・・・・・・。
クレジットカードがなかったら、どうしろって言うんだ一体。
採血。今回は下手で、痛いのなんの。(その後数日痛んでいた)
終わったら既に会計が閉まっていて、支払いの為に雨の中を別の建物まで行くよう看護婦に言われるが、「すみませんが」の一言すらない。
へとへとに疲れ、病院からそのまま家までタクシーで帰る。腹部の右側が時々ぎりぎりと痛む。もう19時だ。
MRは夕方にライヴを観る予定があったのに、私が病院で3時間も待たされたので、キャンセルして最後までつきあってくれた。行き帰りのタクシー代まで払おうとするので、いくら何でもと断った。本当はこちらが帰りにお夕飯でもご馳走したかったのだが、レストランに寄る元気などもうどこにもない。帰りに近所のパン屋でパンを買って帰り、MRと一緒に食べる。私はこれが今日初めての食事。
MRは22時に帰。
今日医者に、今後抗癌剤治療をするかどうか訊かれ、しないと答えた。体への負担が大きいと聞くし。
元ダンナからメールが来たので、そのことを伝えたら、「念の為ってことだよね?」と訊かれたので、「癌が残ってるかどうかはわからないんだよ」と返事。
(2/25up)
going out (外出)
2009年01月21日(水) |
It might sound dodgy now, but it sounds great |
台所に立ってコーヒーをひと口飲んだら、ちょっと喉につかえた。ここで軽く咳き込めば何事もなく済むところだが。
咳を拒否して、そのまま無抵抗でコーヒーを吐き出す。
台所の床を拭く羽目になったが。しかし絶対に咳なんかするわけにはいかないのだ。
手術の数日後、病院のベッドの上で、ほんの軽く、それこそ羽のように軽く、「かふっ」と空気が漏れる程度の音にもならない咳をしたのだ。その時の、目が点になるような、ハラのど真ん中を直撃した痛みときたら。
あまりに驚いて、側にいた看護婦に、「・・・びっくりしました」と言った。
退院してきたら、異常に体が冷えるせいで、時々クシャミが出そうになる。勿論ずっと鼻をつまんでこらえてきたが。とうとう先日、ごくごく軽く、口先だけで、「けぷ」とやってしまった。
その時の後悔ときたら。
ちなみに今回のことで、人間はクシャミを無理に止めると気持ちが悪くなるということも学んだ。
YouTubeでロビン・ヒッチコックの検索をしていて、この映像を見つける。初めて見た時は、演奏後に思わずお客と一緒に拍手してしまった。・・・いやあ、お見事。
以来一日中何度も何度も見っぱなしである。この曲は初めて聴いたのだが、既にメロも歌詞も覚えた。一緒に歌える。どうにも悪趣味な歌詞ではあるが。
何度も見るとアラも見えてくる。最初のサビに行くタイミングはロビンの思い切りが多少悪い。間奏から戻るところはロビンがズレている。
そういう具体的なことを別としても、非常に危なっかしい演奏にも見える。そしてそれが逆に魅力だ。
一番最後のサビだけ、"Baby, let me show you."という一行が加わるが、この部分を加える意味を明白に見せつける盛り上げ方が愉悦を覚えるほどで、本当に「見事」だ。
なんでこの人は、こんなに(少なくとも日本では)無名なんだろう。
また、来日しないかなあ。
(2/25up)
It might sound dodgy now, but it sounds great (危なっかしくもあるが、見事だ) *Sounds Great When You're Dead / Robyn Hitchcock (1984) の歌詞。
2009年01月20日(火) |
something I can do for you |
毎日寒くて痛くてくらくらするが。二次災害もひどい。体が冷えるので連日エアコンを30度にしたうえに着膨れているから、乾燥で体が痒くてたまらない。毎日シャワー後に体に保湿ローションを塗るが、背中にだけは手が届かない。誰かにお願い出来たらどんなに気持ちいいだろうと思う。
寒くて使い捨てカイロを布団の中に2〜3個入れて寝るのだが、朝起きたら右掌に水脹れが出来ていたことも。カイロをさわっていたらしい。
何故か毎日顔のどこかしらがうっすら腫れている。EM-Xをつけたりしてその日その日で治しているから、殆どひとには気づかれないが。
TOからお見舞いメール。5年前にご自身も手術されたことに触れている。そういえば当時ネット上の彼の日記でそのことを読み、「いたたたたた・・・」となっていたっけ。何しろ作家なので筆力がある。
あの頃は心から同情していたつもりだったが、やはりひとのことはすっかり忘れてしまっていたなあ、と思った後にふと気づく、自分自身のことも忘れ始めていることに。
手術からもうすぐ一ヶ月。あんなに辛く苦しかった手術と入院中の記憶が、既に薄れ始めている。記述的な記憶はまだある。だが、感覚として、本当に何がどうだったのかという手触りが、重みが、匂いが、どっしりとした実感を失いつつある。
ああ、やっぱり、すぐに書いておけばよかった。
入院中は例えPCが手元にあったとしても日記のアップは無理だったが。退院直後にすぐに書ければ良かったのに。たまたま12月の日記を休んでいて、そこまで遡った為に更に更新が遅れた。
思えば今回の出来事は、肉体的にも精神的にも、私のこれまでの人生で一番辛い経験なのだ。
すぐに書くべきだったなあ、としみじみと後悔する。
忘れるということは、時として、何よりかなしい。
TOはメールの中で「私でできることがあれば、言ってください」とおっしゃってくれていて、とても有難く思う。彼以外にも何人かに同じように言っていただいた。あまり考えず決まり文句として口にしている場合もあるだろうが、基本的にこの台詞は、そう簡単には言えないと思う。
しかしとにかく何よりも、こうやって声をかけてくれることが一番嬉しい。今回のことで、よく連絡するひと、長い間連絡がなかったひと、一度も会ったことのないひとまでが、お見舞いのメールをくれた。
ひとつひとつに感謝しています。どうもありがとう。
(2/25up)
something I can do for you (何か出来ることがあれば)
2009年01月19日(月) |
Oh, life is--Breathing |
昨夜は23時に床についたが、痛くて眠れず。しかし、今日からようやく体の異常な冷えが少しゆるみだす。とはいってもまだまだ充分寒いが。
S(vo)から「私はロックバンドで歌うことが生きがい」というメールをもらい、自分は違うなとふと思う。
このサイトはロックサイトだと思われがちで(実際は最初は読書サイト。今は特に分類なし)、今ではScreaming Bunnyというシンガーの、バンドのサイトだと思われることもあるが。
2002年にこのサイトを作った時、私は全く何者でもなかった。それ以前には社会人で妻でボーカリストだったが、2002年の夏にはそのどれでもなくなっていた。
2003年にまた歌い始めた時は、ここまで続くとは思っていなかった。
2005年には自分の彼とユニットを組み、話すことは音楽のことばかり、一緒に行く場所はロックバーとスタジオ、喧嘩の種までがギターがらみだったり。私が書いた曲を彼が弾き、私が歌う。
彼はギターを失ったら何も残らないと言い、私は彼に求めるものはギターだけだと言った。彼も私に歌を求め、でも私は自分が歌を失ったら終わりだとは思わなかった。今まで一度もそんな風に考えたことはない。
自分が「歌が生きがい」と言えるほどのシンガーじゃないというのもある。だが彼は、自分を下手だと評しながら、それでもギターを失ったら何もないと言ったのだ。
私は、これを失ったら何もない、というものが何もない。
私は何者でもない時にScreaming Bunnyの名刺をつくった。肩書きの一切書いていない名刺を見て、「何者なんですか?」と訊かれるたびに「何でもないです」と答えていた。'Screaming Bunny'は何者でもない象徴とも言える。
'inhale'(吸入)して、'exhale'(放出)する。読書して、書く。音楽を聴いて、歌う。愛されて、愛する。食べて、排泄する。
結論づければ私のやっていることはそれだ。
そして、歌うのは、非常に、気分が、いい。
やはり。誰かピアノを弾いてくれないかな。
(2/23up)
Oh, life is--Breathing (吸い込んで吐き出すことが人生) *Breathing / Kate Bush (1980) の歌詞。
2009年01月15日(木) |
just like ordinary people |
日付が変わったあたりで急にすっと具合が良くなってきた。・・・助かった。
ハラの激痛はあるものの、いわゆる体調がいい。
一昨日の夜は、ふらふらしてもうこのまま死ぬんじゃないかとさえ思った。全快する時が来るなんて信じられない気分だった。
昨日の朝は体重がとうとう45Kgをきった。(昨年夏頃は46Kg台後半→手術直前が腫瘍の重みもあり49Kg近く→手術で2Kg減り→退院直後は48Kg)
でも人に会う時は気が張ってしゃきっとする。特に授業では。
なのでよく「元気そうですね!」と言われる。これが、何となく切ない。
あなたが帰った後に倒れそうになるんですよ、なんて言うわけにいかないし。
YB(g)から、「その後体調はどうですか?」と一行だけ、まるで普通のヒトみたいなメールが来ている。
退院後に何度か電話やメールはもらったが。また酔払った勢いで数分おきの弾丸メール(TVでパンクロックの番組を見て、今誰が登場したといちいち報告してくるだけの非常に迷惑なメールw)が来たこともあり、「わかったわかったもういいから」と適当にあしらったりしていたが。
ふとこういう短い心配メールが来ただけでしんみりするのは、よほど普段の(以下略)。
(2/22up)
just like ordinary people (普通のヒトみたいに)
18時にMJが埼玉からお見舞いに来てくれる。私がお願いした林檎ジュースに加え、八つ橋、海老せんべい、ドライキウイを買ってきてくれた。私が洋菓子はいっぱいあると言ったので考えてくれたようだ。色々録ってくれた音楽DVDも頂く。
日本文学の文庫本も5冊頂く。MJが本をプレゼントしたいと言った時、本は自分で選んだものしか読みたくないし、特に今は読書は英語に限っているのでとお断りしたのだが、既に購入済と言われ、とりあえず戴いた。見ればなんと「千恵子抄」、「夕鶴」、「野菊の墓」、「春琴抄」、「真理先生」・・・何てまあ純粋素朴王道のラインナップ。MJの人柄をそのまま表したよう。
王道なので最初の3冊は10代で読んでいた。「春琴抄」は谷崎で珍しく未読だと言ったのを覚えていたらしい。最後のは武者小路実篤の作ということだけは知っていた。思えばこの本のタイトルを正しく読めるだけでも既に珍しいかもなあ。(「まりせんせい」って読む人が多そうw)
夜、授業を終えたら、くらくらしてくる。一時間何も出来ずにいた。頭が痛い。吐気がする。倒れそう。
食べているのに体重が減り続けている。昨日からずっとおなかの調子も悪く、絶対に体が栄養を素通ししている気がする。
(2/22up)
truth (真理)
2009年01月12日(月) |
when I'm in the pink |
ハラが痛くて気絶しそう。頭がくらくらして倒れそう。
今日は千葉から従姉のTがお見舞いに来てくれた。会うのは2年9ヶ月ぶり。生活用品も買物してきてくれた。それはとっても有難いのだが。
実は、来る前からこちらが気疲れしそうな気がしていたら、やはり予想通り。
駅前で安売りしていたからと薔薇を20本渡された。・・・大きい花瓶を高い棚から苦労して下ろし、20本全部茎を折ってトゲを取り、花瓶にいける。全て中腰での作業で、今はたったこれだけのことが辛い。そんな私を見て、「座りなよ」というT。自分は来るなり私のベッドの上にどかっと座って動かず、私が入れたコーヒーを飲んでいる。・・・疲れる。しかしTは私の不調に全く気づかず、「元気そうじゃん!」と言う。
Tは根っからの善人なので、私が健康でさえあれば楽しくつきあえるのだが。
やはりこれも特売だというお寿司を一緒に食べようと言われる。今の体調に、刺激物(山葵)入りの冷たい生ものか・・・。いくつか食べたら、後で見事におなかをこわした。
Tが帰った後、授業の予定だったが。何と、3人全員ドタキャンになった。Tの相手でかなり疲れていたので、正直ほっとする。
ほっとしたら、もらったピンクの薔薇が綺麗に見えてきた。ようやく花をめでる余裕が出たらしい。Tに「来てくれて有難う」とお礼のメールを送る。
(2/19up)
when I'm in the pink (健康な時であれば)
2009年01月11日(日) |
chlorophyll |
マルからお見舞いメールが来る。
って。あ、てめ、この、何年ぶりだ。たまには連絡しろ〜。寂しいじゃないか。
日記まだ読んでてくれたんだね。「1日も早い回復を願ってます」って声をかけてくれるのが何より嬉しいよ。
17時半にMK(b)が、食料を買って差し入れてくれた。と、簡単に書くが。
何と彼は神奈川の三浦市在住。それが今日地元でTOEICを受けた後、たまたま三鷹でネットラジオ番組をやるので、その前に荻窪に寄って買物し、時間がないのでタクシーで我家まで来て、タクシーを待たせておいて、買物した物を玄関先で渡して帰ったのだ。玄関先に1分もいなかったと思う。
前日に「駅前で買物して届けるので、必要な物のリストを送ってくれ」という内容のメールが来た時、遠慮しておくべきだったのだけど。
実は退院してからというものほぼ毎日、母親が送ってきてくれた料理を食べて暮らしているのだが、それがどういうわけだか全部「豚肉料理」なのだ。(何か母の頭の中で、「元気をつけるなら豚肉!」という思い込みでも起きてるんだろうか) そりゃ沖縄は豚肉をよく食べるが、それにしたって「全部」って・・・。家から出られないので毎日毎日豚肉ばかり食べていたところに、有難くも買物のオファーが来たので、つい「緑色のお野菜が食べたいです!」と図々しくも甘えてしまった。
しかしこんなに時間が厳しかったとは。なんとも申し訳ない。
買ってきてもらったのは、ブロッコリー、小松菜、ホウレン草、豆乳、生和菓子、(前にMKが美味しいと薦めていた)チョコレート2箱。全部お見舞いとして頂いてしまった。
早速ブロッコリーをレンジでチンする。こうすると湯で茹でるより栄養が逃げない。そのまま何もつけずに食べる。この数年、マヨネーズやケチャップといったものと縁を切っているのだ。新鮮な野菜なら、ただ茹でるだけできちんと味がする。
・・・ああ、葉緑素が体に入ってしみじみ幸せ。
生和菓子も食べ、さらに(24時間かけて解凍した)プリンも食べる。
何故か頭が痛い。勿論ハラも変わりなく痛くて、ふわふわのKappyをぎゅうううううと抱きつぶす。
あまりに痛くて1曲書けた。オリジナルのをつくるのは久しぶりだ。いつも詞とメロディは同時につくり、単語の音がメロに乗るようにする。今回の歌詞は自信作であり、それだけに訳をつけたくない。というか訳せない。完成後に歌詞をYahoo!翻訳にかけたらまんまとメチャクチャになるのを見て満足。
タイトルはずばり"Pain"であるが、メロディは快い驚きといった風だ。
(2/18up)
chlorophyll (葉緑素)
2009年01月10日(土) |
run out of steam |
ああもう。痛い寒い不快辛い胸が苦しい気持ち悪い。
水曜から、授業と日記更新だけでほぼ力尽きている。食べているのに体重が減っていく。退院して一週間で3Kg近く痩せた。
なかむらさんからバケツプリンが届く。健康な私なら一度で食べられるが、今は有難くちょっとずついただこう。
(2/17up)
run out of steam (力尽きる)
2009年01月08日(木) |
it might snow |
朝、鍋いっぱいあったえみちゃんお手製のシチューを食べきる。
入れ代わりに、FP(vo)から黒糖バームクーヘンと、どら焼きの詰合せが届く。自分で好きなものを買いに出られないので、甘いものが来るのは有難い。
女性の生徒からはマドレーヌをいただいた。ゴミ出しもお願いしてしまった。まだ表に出られないので、とても助かる。
授業は楽しいので、仕事中はしゃきっとするが、あとできつくなる。とにかく夜になると体調が悪化する。
昨夜から特に辛い。手術直後の、下腹部にブロックが乗って食い込んでいる感じが戻ってきている。
出血も止まらない。生理と違い水のようで、退院した翌日に寝ていたらすいっとお尻の間をすべり落ち、飛び起きて、前日に洗ったばかりのシーツを洗濯する羽目になった。洗濯機が外なので寒いし、まだ動くのが辛くて泣きたくなった。
明日は雪だから暖かくするようにとメールが来ている。
(2/17up)
it might snow (雪になるらしい)
2009年01月07日(水) |
eat like a bird |
昨日から授業再開。今日は女性の生徒が授業後に買物を申し出てくれ、うちから徒歩1分のスーパーでお弁当や豆乳など買ってきて、お見舞いといって置いて行った。有難い。
この近所のスーパーは意味がわからないくらい安く(お弁当が260円→石油価格高騰で容器代が上がったのか大幅値上げして360円。他にもバナナ5本で39円とか、チョコ1枚15円とか)、普段の食事は殆どそこで買う。そこのお弁当を久しぶりに食べたのだが、量がこたえて、胸が苦しくてたまらなくなる。
今は食べるのが一番の楽しみだが、量が入らないのだ。
毎日夜になると体調が悪くなる。今夜も、ハラの表面の傷はひきつれるような感じで、中は鈍痛。そして気持ち悪い。ずっと中腰のせいか腰も痛い。相変わらず異常に寒い。
寝る時は枕の下にクッションを入れて頭が上がるようにしているが、それでも体が伸びるので、痛くて辛い。なので睡眠は浅く、翌朝は苦痛だ。
入院した時は、1月下旬からバンドのリハ再開くらいの気持ちでいたが。
実際に無理でもあるが、それよりも、手術直後からいきなり、全くやる気がなくなってしまっている。今だけのことだと思いたい。
(2/17up)
eat like a bird (小食)
2009年01月05日(月) |
Your song will fill the air |
寒い。胴を腹帯で巻き、その上に肌着、セーター、フリースを着る。膝丈の着圧ストッキングに靴下を重ね、更に両足の裏に使い捨てカイロを貼る。そしてエアコンを30度にして―――ふるえている。
子宮を取ると、こんなにも冷えるのか。
今日が仕事始めの筈だったが。昨日生徒から風邪でお休みと連絡が入った。明日の一人目も同様に風邪で休むと今日連絡が入る。どちらも前日連絡なので振替可能だが、どちらもただ「お休みにして下さい」と言っているのは、私に気を使っているんだろう。
今日は年始で授業がひとつだけだったから、完全にお休みだ。誰にも会わずに過ごすのは12/21以来で、そのせいか妙に気落ちする。
入院前のことを色々と思い出す。私は何を遊んでたんだろ。
何だかもう、無駄なことをやりたくなくなった。
昨日MRにお見舞いにもらったブラック・クロウズのDVDを見る。2008年のTVライヴ集だ。クロウズの映像は昔のものばかり見ていて―――リッチが太った最近のを見たくないというのもあったが―――今のメンバーでの映像をきちんと見るのは初めてかも。新しいギターとベースはどちらも無難に器用。ギターはマークもいいけど、1stだけいたジェフ・シーズが一番好きだな。
しかし久々にじっくりと聴くと、リッチっていいギタリストだなあ。アコギのほどよい乾き具合がいい。もう一人のギターの、クリーンでクリアなエレキの音が邪魔だなと思っていたら、その後に兄弟二人だけの演奏が収録されていた。ちょっとジミー・ペイジのようでもある、しかしもっと情感的に抑えたリッチのギターに乗せて、クリスが力まずにフルに自分という楽器を鳴らす。そこにリッチが、自分のギターの存在感に似たコーラスを入れる。音にまったく不足がない。空間をいっぱいに充たしている。
いいシンガーといいギタリストがいれば、音楽はちゃんと完成するんだ。
0時半に寝るが、痛みで5時半に目が覚める。まだまだ熟睡出来る日は遠いか。
(2/16up)
Your song will fill the air (歌が空間を充たす) *I Will / The Beatles (1968) の歌詞。
2009年01月04日(日) |
It's not stew, but soup!! |
眠っていたら朝5時に携帯になかむらさんからメール。私が明日から仕事再開予定ときいて、「無理しちゃダメですよ!」と怒っている。・・・うんうん有難う。無理せず休むから寝かせてw(病気前なら絶対まだ寝てない時間だもんなあ)
起きたら今度はえみちゃんから、今日お見舞いに行くというメール。必要な物があるか訊いてくれている。・・・実は今日えみちゃんが来てくれないかと期待していたのだ。何しろ寒くて死にそうで。「すっごい、すっごい助かる。使い捨てカイロ30個くらい欲しい」と返信。
食べ物はパンとレトルトシチューと果物とチョコしかないと言っておいたら、現れたえみちゃんは、パンを買ってきて、シチューを作ってくれたw(いや勿論レトルトの数千倍美味いけど!) 私の好きなブロッコリー入りのクリームシチュー・・・。(えみちゃんはずっと「これはシチューじゃなくてスープ!」と何故か言い張っていたけど、帰り際には自分もうっかり「シチュー食べてね」と言ってたw)
えみちゃんが料理中に、今度はMRが千疋屋のケーキを持ってお見舞いに来てくれる。有難いなあ。
ケーキの後、えみちゃんが持ってきて焼いてくれたお餅も食べる。
洗い物をしようとするえみちゃんを止めて自分でやったら、物凄く疲れて具合が悪くなった。体を伸ばすと痛いので中腰でいるせいもある。
でも今日は楽しかったし嬉しかった。
気持ちよく疲れて腹いっぱいで、23時には寝てしまう。
(2/15up)
It's not stew, but soup!! (シチューじゃなくてスープ!)
2009年01月03日(土) |
protecsts my tender spot |
朝食が済んだら退院していいと言われていたので、食事前にすっかり荷物をまとめ、食事して、元ダンナが来たので一緒に個室を出たら、看護婦が「早いですね!!」と驚き慌てていた。9時前には退院。
荷物は全部元ダンナが持ち、私はKappyを小脇に、いや胸に抱えての退院だ。タクシーに乗り込み、Kappyを腰にあて、前部シートの後ろにつかまって、運転手に「そーーっとお願いします」と言ったら、病院からの乗客のことはよく承知らしく、とてもなめらかに運転してくれた。・・・こんなことなら、あの時も救急車を呼ばずにタクシーに乗ればよほど楽だったな。
家について、留守中に届いていた小包の整理、家の片づけをし、3週間ぶりに髪を染め、シャワーを浴びて、着替える。その間に元ダンナにベッドシーツなどを洗濯してもらい、今後数日間の食べ物や日用品を買ってきてもらう。
全て終了したところに、YM(b)とS(vo)がリハ帰りにお見舞いに来てくれた。国王からは高尾山のお守り、Sからは鉢植えのガジュマルを頂く。二人が来てすぐ元ダンナは帰る。明日から仕事があるので、これから茨城まで帰るのだ。国王たちも私が疲れないようにと小一時間で帰る。
一人になって、元ダンナが買ってきてくれたパンを温めて食べる。朝食以来何も食べていなかったから腹ぺこだ。
じっとしていたら寒くなってきた。先ほどまでは動き回っていたし人前で気が張っていたが、一人でじっとしていると体がどんどん冷えてくる。特に足先が異常なほど冷たい。ここで初めて自分の体が普通でなく冷えやすくなっていたことに気づく。
元ダンナからメールが来る。まだ家に辿りついていない。ドアtoドアで3時間かかるのだ。今回の看病で相当疲れただろうに。私は今日も、MYたちが来る前に色々済ませたくてバタバタしていたので、またきつくあたったりしてしまったのだ。メールでまた謝る。
PCに来ていたお見舞いメールに全部返信する。
一人静かにしていると、ほっとする。一人きりになるのは12日ぶりだ。(病院では個室とはいっても、就寝中を含めしょっちゅう看護婦が入ってきていたし)
今日は勢いで結構動いてしまったので、そのせいか動悸がしてきて胸が苦しくなる。寒いし、勿論痛みもまだあってとても横は向いては寝られないが、自宅のベッドは病院のように硬くないので、お尻も腰も痛くない。まだ痛くて体は伸ばせないから、枕の上にクッションを重ねれば夢のように快適だ。
ふわふわのKappyを左わきにぴたっと引き寄せる。これは病院といっしょ。痛む左の腹をガードしている気分なのだ。
おやすみ。
(2/14up)
protecsts my tender spot (痛むハラをガードする)
2009年01月02日(金) |
ovarian cancer |
明日退院だ。数日前に医者に「早く帰りたいですか?」と訊かれたので、ええそりゃもう!!と答え、1/2か1/3がいいと言っておいたら、昨日の検診の結果1/3と決まった。1/2を期待していたので、1/3と聞いてからの今日一日の長いこと。
検診後にようやく医者から色々と説明があった。手術で何をされたのか、何がどうだったのか、こちらから訊かなければ全く何も説明がなかったのだ。
結局私は、卵巣癌だった。1-A期という初期の状態で、両方の卵巣、子宮、体網(胃から垂れ下がった脂肪組織)を摘出した。4〜5時間に及ぶ手術だったらしい。
取ったものの写真ももらった。正常な右の卵巣に比べ、腫瘍の出来た左は何百倍にも膨れ上がって化け物のようだ。これの根元がぎりぎりに捩れている手術中の写真も見せられる。
12/20に杏林で初めての(そして結局たった一度の)診察を受けた時、「腫瘍が悪性かどうかは開けてみないとわからない。病室予約がいっぱいなので、個室でも早くて1/25、4人部屋なら2月末から3月にしか手術出来ない」と言われていたが。
フタを、ではなくハラをあけてみたら癌だったのだ。「1/25まで待っていたらやばかったですよ」としゃあしゃあと言われた。
診察のたった二日後に腫瘍が捩れて激痛を起こしてくれたおかげで、早い手術が出来て、助かったのだ。
今日ようやく携帯メールに全部返事をする。手術のことは携帯からこの日記に短くアップしてあったので、それを見た方からたくさんメールが届いていたのだ。
返事を送ったら、更に返信も来る。大阪のkaoLiちゃんに「普通女性の病気はホンマ見付からへんことが多いらしいのに、神様に愛されてるなぁと思います」と言われる。確かに運が良かった。卵巣腫瘍と言われてたった6日後に手術できたんだから。
思い起こせば昨年は色んなことがあった。(ジミー・ペイジに頬にキスされ、29歳と24歳に同時に結婚したいと言われ、泥棒に入られ、TOEIC920点取得し、バンドも組み、セッションやライヴが7回、入籍後2ヶ月で離婚、入院、他にも色々)
泥棒に入られたのに何も盗られなかったり、卵巣癌になったけど早期手術が出来て命拾いしたり、運が悪いようで結局は良かった気もする。(スピード離婚もそうか?)
元ダンナがクッキーを買ってきてくれる。今日は来るのが若干遅かったのでどうしたのかと思えば、現金がなくなったので銀行を回ってみたが、年始でどこも下ろせなかったという。母が経費としていくらか渡しておいたのがなくなって、更に自分の所持金も使い果たしたらしい。私の毎日の買物が結構かかっているのだ。返さなくていいからとしつこく言い含めてお金を渡す。
アル中で昏倒して入院して以来両膝から下の感覚がない元ダンナは、今回の私の世話の為に毎日病院に通い、重い荷物なども運んで、全身が筋肉痛だという。そういえば病院の体重計で体重をはからせたら、身長181cmなのにセーターにジーパンも着たままで54Kgだった。病人をこきつかっているようなものだ。感謝しなきゃ。
(2/11up)
ovarian cancer (卵巣癌)
2009年01月01日(木) |
New Year's Day in hospital |
朝はいつも6時頃には検温か何かで起こされる、というか痛みで眠りが浅いので看護婦がドアに手をかけるや否や目を覚ます。ずっと熱があるのだが全く自覚はない。未だに傷表面の痛みも全く感じない。ハラの中の痛みでそれどころではないのだ。
これまでに自宅以外の場所で年越しをしたのは、帰省(それもほんの2、3回)を除けば、20歳の時にサン・ディエゴで一度だけだ。まさか病院で新年を迎えるとはなあ。
朝食が数の子、ナマス、黒豆、カマボコ、などでおせち風になっている。元々おせちは保存食だし、朝から出されても地味で温かみに欠けるが、しかしこういうちょっとした「気分」があるというのは、入院患者に取っては大きい。私でもそう思うのだから、まして長期入院の場合は尚更だろう。
元ダンナ(b)がケーキを買ってきてくれる。一昨日は和菓子を買ってきてくれた。夕食は、昨日買っておいてくれたお節を二人で分けて食べる。これは母が必ず買うようにとお金を置いていった。母は最初は自分が元旦に私とお節を食べるつもりだったのだが、私に帰れと言われてしまったので、元ダンナに頼んで帰ったのだ。・・・ああ、こう書いていると自分がとんでもない人非人に思えてくる。
しかし母に退院までいて欲しくなかったのは、喧嘩をする前からのことだ。母には(年末年始だったからまだよかったようなものの)日舞師範としての仕事があるのだ。これは何も私が自分の手術より母の仕事を優先して考えているから言うのではなく、私の中で、母に側にいて欲しいという気持ちがはなからあまりないのだ。要するに、私は親に対する愛が薄い。
今回も親に入院を連絡したらすぐさま飛んで来てくれたわけだが、正直言えば親に連絡するのが筋だと思ってしたのであって、来てくれる相手を選べるのであれば元ダンナにしたと思う。(彼は私の腫瘍がわかった時から、手術日が決まったら行くから知らせてくれと言っていた)
などと思いつつ食べたお節は、美味しいが何となく後ろめたい。
そして、元ダンナに対しても、連日何かと文句を垂れていたりする。自分も健康体ではないのに、東京まで来て毎日全部私の為に費やしてくれているのだから、ひたすら感謝しなくてはいけないのはわかっている。まして彼は今や他人なのだ。なのにすぐ昔に戻って、「・・・ったくすぐそうやって適当に返事するんだから」などとやってしまう。
母より元ダンナに世話されるほうがずっと気が楽である理由は、ぶっちゃけて何でも頼めるからだ。しかしそのぶん感情の起伏も簡単にぶっちゃけてしまう。
それでも全く怒らずにつとめて笑顔で接してくれるのは、元々私に弱いというのもあるけれど、今は特に術後の私に気を使っているんだろう。・・・愛されてるなあと思うが、離婚した事実を思えば、それも苛々の種になりかねない。
今夜もちょっとしたことできつく当たってしまい、後でメールして謝り、「こちらこそゴメンね」という返信を見て更に気分が落ち込み、電話でも謝る。
・・・ああ、私は何でこんななんだろうなあ。
*随分たった今考えてみると、単純に体調が悪くて苛々していたことが大きかったのかとも思う。けれどとにかくゴメンよ、元ダンナ。
(2/9up)
New Year's Day in hospital (病院で元日を迎える)
前の日記へ |次の日記へ