Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2008年11月28日(金)  No way! Gonna stop

ABCニュースによると、「一時間に一回以上Eメールをチェックするなら、あなたはメール中毒」だそうだ。
私? 私は勿論そんなことはしない。する必要がないからだ。メールの為だけにわざわざブラウザを別に開き、タスクバーに常駐させることで、メール(自動受信)が来たら一目でわかるようにしてあるのだ。
ニュースは続いてメール中毒を判定する項目として、「来たメールはどれもすぐに読む」、「すぐに返事を書こうとする」、「メールの為に、現実の活動(real world activities)を中断することがある」を挙げる。
最初のふたつは「当然」と思うが、最後ので引っかかる。「現実の活動」ってナニ? 私のネット上のバーチャル・ワールドの行為ならしょっちゅうメールで中断されるけど。だって私はずーっとPCの前にいるんだから。英語の勉強も、お買物も、音楽を聴くのも、ニュースを見るのも、PCでしてるんだもの。
つまり私は立派なPC中毒なんだから。
で、だから何だっての?

こんなことをわざわざ言うABCも馬鹿みたいだと思うが、これを見て項目が自分に当てはまるかチェックし、「たまには'No e-mail Day'をつくりましょう」などという「忠告」に従おうとする視聴者がいるかと思うと更に馬鹿らしい。そんなことをいちいち気にしているほうが精神衛生上よくないだろう。
私は2002年にPCを購入して、箱から出した40分後には自力でつないでネットとメールをしていた。翌日このサイトをつくり、その翌日にはチャットを始め、毎日15時間以上、食事の間も惜しんでロック関係のチャットをしていたので、おかげで下着が体から落ちるほど痩せた。その後チャットはぷっつりやらなくなったが、PCは中毒は変わらず、やり過ぎで右手首がまる一ヶ月死んでしまったこともある。その間もドクターストップを無視して毎日この日記を更新していたほどの中毒者だ。
更に私は、カフェイン中毒だし、活字中毒だし、「度を越した片づけ魔」でもある。
でも、だから何? ちゃんと自覚してるし、誰にも迷惑かけてないよ?

アディクション(中毒)やオブセッション(執念)なんて、チャームポイントのひとつくらいに考えておけばいいんだよ。

・・・ああ、そうか。つまりこれが私の「美学」なんだな。
タージ・マハールを前にして、「美しいものは見ていてすぐ飽きる」という椎名誠の気持ちはよくわかるが、私はそもそも退屈なもの―――普遍的な安定や調和をあらわすものには美を感じない。そこに何らかのプライベートなオブセッションを感じる時に、圧倒的にうつくしいと思うんだ。

No way! Gonna stop (到底やめられないよ)  *Stop! / Jane's Addicition (1990) の歌詞。



2008年11月26日(水)  Wake me when this punishment is done

NBCのこのニュースは、色んな意味で面白かった。
コロラド州の判事が、騒音(バンド演奏など)で法廷に連れてこられるティーンエイジャー達に対し、親が罰金を払って終わりではなく、何か対策を講じようと考えたのがこれ。つまり、「1時間だまってバリー・マニロウ(などの退屈な音楽)を聴く」・・・これは辛いw
痩せて聡明な感じのハンサムな判事のコンセプトは、若者達が嫌いな音楽を聴かされることを通してマナーを学ぶべきだ、と。で、特にバリー・マニロウは辛い筈だ、と。面白いのは、判事自身はバリー・マニロウが好きだということだ。つまり彼の側は、好みの差というものを尊重しているのだ。「私は自分の家では自分で聴く音楽を選びたいわ。お隣さんの音楽を聞かされるのはいやね」という女性の言もまったくごもっともで。

実際の「刑罰執行」場面では、音楽は「ヤンキー・ドゥードゥル」から始まり、(これがおそらくバリー・マニロウであろう曲などを経て)「オンリー・ユー」や「テネシー・ワルツ」など、いかにもベタなラインナップが続く。若者達は苦笑し、あくびをし、眠そうな虚ろな表情をして、しまいにはラリっちゃったのか無意識に足でリズムを取ったりするのだが。
最後のほうで、なんと、ジョニ・ミッチェルの'Chelsea Morning'がかかるのだ。
え!ちょっと待って。ソレも一緒くたですか?! ・・・私にはそこだけ空気ががらっと変わって聴こえた。何も深いことを考えなくても、テンポも速くメロディ展開も複雑、ボーカルにはかなりのクセがある。ここは、十代が聴いても違いを感じてほしいが。
しかし実は私自身は、その直前に流れたスティックスの'Come Sail Away'のカヴァーが気になった。誰だこれ?とYouTubeで検索かけてみたところ、1997年からやっているTVアニメのキャラが歌っているらしい。こういうただきれいなだけの曲は、ヘンな声で歌うと逆にきれいさが引き立ったりする。・・・コレも興味を引きこそすれ、耐え難くはないんじゃない? 「刑罰」としては徹底さが足りないよ。
・・・ああ、この音楽の選考委員をやりたい。楽しいだろうなあw

21時に西荻窪でペテン師さん(g)と会い、BITCHへ。おお、4ヶ月半ぶりのBITCH。入店するなりマスターに「離婚しました!」と言ったら、「知ってるよ!」と言われるw
22時にすぐ近所のリンキーディンクへ移動。ペテン師さんがエレアコでぽろぽろっと音を出すのを聴いて、その深くて綺麗な音でKazz遠藤さん(g)を思い出す。そういえばまたライヴに行きたいなあ。
それから2時間弱、ほぼ私のオリジナル2曲をやる。自分でも判らないコードが山ほどあるので、イメージを伝えて弾いてもらう。同じコードの周辺を「一音違うんです」などとさんざんうろうろさせた挙句に、「あ!それだ!そのコード何ですか?」と訊くと、「これは○○のコードから真ん中の一音抜いたもの」などと言われる。・・・うーん、やっぱり私の注文って面倒くさいんですねw
それにしてもいつも思うが、自分で作った曲ってのは、上手に歌えるなあ。(当然だとも思うんだけど、じゃあコートニー姐さんは一体・・・)
そしてアコギだけを相手に腹から歌うのは気持ちいい。実はマイクもなしのほうが力を発揮出来る気がする。だからスタジオから出て、そこらで歌うのが実は一番好きなんだ。

Wake me when this punishment is done (この刑罰が済んだら起こして)  *The One / Foo Fighters (2002) の歌詞。



2008年11月22日(土)  You telling lies thinking I can't see

授業後に久々に駅前へ買物に出る。古本屋で12冊売って1,200円。
その後、寄ってはいけないと思いつつカルディへ。なんとこの1ヶ月くらいで3Kg太っていることが判明したのだ。このところ珍しく体重計に乗っていなかったのが原因だ。レモンカード(バターにレモン汁、砂糖、卵を加えたもの)に熱い視線を送りながら、ぐっとこらえてフィグのコンフィ(イチジクに白ワインとレモン汁を加えたジャム)にしたまではいいが、その後くじけてチェスメンのクッキーとキャドバリーのデイリーミルクの200gバー(見間違いでなければ1枚で910Kcalの表記)も買ってしまう。・・・キャドバリーは、私的にはチョコレートの世界ベスト3に入るからなあ。それでも横にあった信じられないくらいでかいハーシーズを我慢してこっちにしたのだ。この3品で、さっき古本を売った金額をちょい上回る。

ABCのニュースによると、あの格式高いクリスティーズが、不況のせいで、史上初のパンクロックのオークションをやったという
しかしパンクの定義を「パンク魂を感じる音楽」と無理やり広義に取っているらしく、一番の目玉が「ジョン・レノンの壊したオルガン」だ。(結局182,500ドルで落札)
ニュースの最後に、ジョンが実際に壊した1965年のライヴ映像が流れるが、いやこれが可愛いのなんのって。元気で楽しそうで。(曲は'I'm Down')
この素直に満足そうな笑顔だけでも、パンクの規定に抵触すると思うぞ。「物を壊す=パンク」というレベルの定義なんだろうなあ。

You telling lies thinking I can't see (どうせこっちがわからないと思って適当なこと言ってるわね?)  *I'm Down / The Beatles (1965) の歌詞。



2008年11月20日(木)  Lola

昨日の日記を読んで、「げっ、何この女。美しいなんて普通お世辞でしょ?」って思ったブス女性の方へ。
・・・当たり前だろ。
*最近いなくなったけど。以前はああいうこと書くと、怒って苦情メール寄越す女とかいたんですよー。そういうヤツって、例えお世辞でもああいうこと言ってもらえないのね。うんうん。
大人同士は社交辞令があるので、大人の男は、大人の女なら結構なブス相手でも平気で「お美しいですね」くらいは言う。
私はブスではない筈だが。でも「美しく」もない。うつくしいという言葉は、もっとうつくしいものの為にあるのだ。例えばポール・オースターの'Ghosts'や「偶然の音楽」、フォークナーの「サンクチュアリ」、マラマッドジャン・コクトー

例えばキンクスの"Lola"。
こんな歌は、レイ・デイヴィスにしか作れない。最初にメロディを作ったのは自分だとデイヴが言っているらしいが。いずれにしろデイヴ一人ではこの半分も優れたものは―――うつくしいものは出来上がらなかった筈だ。
うつくしいうつくしいと言うが。私は、美しさは主観だと信じる。なので、美を喜ぶ心に「自己の主観的自我だけが関係するような個人的な条件を見出すことは出来ない」と述べるカントの考えには到底同意できない。
そして、私個人が何をうつくしいと思うかは、'Lola'の中に全部あると思う。

"Lola"は、1970年に出た"Lola versus Powerman and The Money-Go-Round Part One"という長いタイトルのアルバムに入っている。(ちなみにこの前後のアルバム、"The Kinks Are The Village Green Preservation Society"と、"Arthur or the Decline and Fall of the British Empire"の3枚のタイトルが言えるのが、私の最も無意味な自慢である)
この歌は、若い男の子がクラブで出会ったいわゆる「オカマ」―――聞えよくいえばトランスヴェスタイトの男性を相手に、初体験をする歌だ。
日本人でこの詞の内容を知って「イメージが壊れた」という人もいるが。とんでもないと思う。私が知る限り、こんなにトランスヴェスタイトを真面目に高らかに歌い上げた歌はないからだ。
これを、イギリス人特有の真顔の皮肉と取るのは簡単だ。だが、これを聴いてみてほしい。私には、これはどうしても真摯な賛美にしか聞こえない。

最初この男の子は、彼女が男だと気づかない。だから、"I can't understand why she walked like a woman and talked like a man"(なんで彼女は、歩き方は女らしいのに、男みたいな喋り方なんだろう)と言ったりする。"When she squeezed me tight she nearly broke my spine"(彼女が僕をきつく抱きしめたんで、背骨が折れるかと思った)というコミカルな歌詞もある。
でも、この女性経験が皆無な男の子は、何の予見も偏見もなく、「ローラ」に飲み込まれていく。

この歌には「まがいもの」がいくつか出てくる。ローラと会ったクラブでは、シャンペンを頼むとコカコーラの味がするという。そして二人は、電気製のキャンドルの下で踊る。「ローラ」もまがいものの女だ。彼はそれにだんだん気づきながらも、やがて性差を含む一切は混じりあい、しまいには世界を揺るがすまでになる。ゆるく始まったメロディは、次第に高まり熱をおびてくる。
まがいものや、間違えることのうつくしさが、ここにはある。先ほどのカントの言葉のもっと前の部分に「美しいものが呼び起こす喜びは、あらゆる利害というものと無関係である」という箇所があって、これには非常にうなずける。私をこれをもっと進めて、「美は完全に無益である」と言いたい。私が十代で到達した結論は「文学は飢えた子供を救わなくてもいい」だが、飢えた子供を救うのでは、文学の孤高の美は成り立たないのだ。

これだけのものを、ポップミュージックの世界でつくってしまうレイ・デイヴィスというひとは凄いと思う。

そしてこの独りよがりの"kink"(ひねくれ)こそが、Kinksというバンドの真骨頂である。だから、現在の日本で、いかにもヒット狙いの単調なラヴソング(基本的にレイは普通のラヴソングを歌わない)である"You Really Got Me"だけでキンクスというバンドが広く知られているのは残念だ。
しかし本国においては、"You Really Got Me"はチャート1位になったが、"Lola"も2位にまでなったのだ。そして今でもキンクスは人々に愛されている。ロンドンの本屋に入れば店主がハタキがけをしながら"Waterloo Sunset"を鼻歌で歌い、地下鉄がビクトリア駅に停車すれば男の子が"Victoria"を歌いだす。

―――またロンドンに行きたくなってきたなあ。

Lola (ローラ)  *Kinks の曲。(1970)



2008年11月17日(月)  Let me stand next to your fire

19時から新宿ロックバーCでSBバンドの飲み会。の、筈が。
18:50到着。あ?早いじゃん。って、実は飲みの前にMY(b)と別件で会う筈が、「新宿駅で18時頃」と言われていたのに家を出たのが18:20で完全にアウトになった次第。MYごめんね。見捨てないでね。

遅刻の理由は色々あるけど。今日AM(g)から来たメールで「美しい」とおだてられていい気になり、すっぴんで出かける予定が、ふと出掛けにメイクしてしまったのが原因。(ヒトのせい)

さてとにかく新宿ロックバーC。なんと5ヶ月ぶりのC。あれから新宿自体ほぼ全く来てないから。
最初の1時間はMG(g)一人でやってた。「私の好きなのお願い」と一言いっておいたら、コートニー・ラヴレッチリフー・ファイターズニルヴァーナブラック・クロウズと、私とMGの接点が立て続けにかかる。選曲もばっちり。・・・ご無沙汰してたのに覚えててくれてありがとねー。
マスターが現れたのでとりあえず抱擁してビール一杯おごる。何しろマスターが9月に両腕骨折したっていうのに、ようやくお見舞いに来れたのだ。(既に治ってるしw) ヒトにはおごるが、自分の飲みは、声をかけて来てもらったJTにたかる。煙草ももらう。いつもありがとねー。
DJがマスターにかわり、ホールハノイジャパンストーンズゼムジョーン・ジェットパティ・スミスC.C.R.エアロスミスクラッシュB.C.R.ジャニスチープ・トリックバスター。そろそろアレ聴きたいな・・・と思ったとたんにかかるガンズ&ローゼズ。・・・楽しい。
チンザノ山ほど飲んで、がんがん踊る。メンバーが22時で帰るというので、私も一緒に引き上げる。(帰り際にマスターの「帰れるもんなら帰ってみやがれ攻撃」にあった。"Violet"とかかかるしw)

帰宅するつもりで中央線に乗ったが、荻窪で丸の内に乗り換え南阿佐ヶ谷ロックバーBへ。既にほろ酔いで気分いい。
しばらくしたらAC(g)がレッチリのブートDVDを持って登場。'99年のウッドストック。マスターと3人で鑑賞。最初っからフリーが見事に全裸で飛び跳ねている。勿論無修正で丸見え。このライヴをちゃんと通して見るのは初めてだが、ジョンが最高。完全に没頭していて、たまらなく色っぽい音色だ。
ふと見れば客席が燃えている。興奮した観客が放火したらしい。2ヶ所、いやいつの間にか3ヶ所。既にあたりは暗く、遠くから見るとまるで山火事のようだが、それに気づいてもいないかのように演奏を続けるレッチリ。おまけにラスト曲が'Fire'だって。―――出来すぎ。
続いてマスターがツェッペリンのDVDをかけた。'95年、ロックの殿堂の授賞式だが。なんとニール・ヤングが一緒に演奏している。曲はツェッペリンの'When The Levee Breaks'なのだが、ニール・ヤングのギターが音を支配していて、彼の曲にしか聞こえない。おそろしく単調なことを繰り返しているだけなのに、飽きさせずに攻め込んでくるこの存在感。ツェッペリンすら勝てないとは。凄い。凄すぎる。
感動してACの手を握りしめる。・・・そういえば、初めて会った時にも抱擁してるし、思えばこの2ヶ月間でACが一番接触の多い男性ってことになるなあ。・・・なんか悲しい。(いや、ACに不満があるんじゃなくて。「抱擁+手を握る」だけでトップに来ちゃうってのがね)
今日もちょっと寒かったのでACに寄り添って暖をとっていたが。これからもっと寒くなるし、おまけにクリスマスとか年末年始とか、独りが寂しいシーズンが来る。かといって一緒に過ごす男性を適当に調達すると、後で物凄くイヤな気分になることはもう充分経験済み。

とりあえず寒いので3時に帰る。寒くて出不精になるのが、毎年この時期独りでいる最大の原因か?

Let me stand next to your fire (誰かに寄り添って暖をとりたい)  *Fire / Red Hot Chili Peppers (1988) / Jimi Hendrix (1967) の歌詞。



2008年11月16日(日)  Flap on the guitar

朝8時にMY(b)からメールで、今日西荻にIT(drs)のライヴを観に行こうという。ドレスコードの参考までに「どういう音楽?」と訊いたら、プログレとのこと。
一眠りしてからシャワーを浴び、プログレを観る格好・・・と考える。ライヴハウスに行く時の基本は、「ステージに出ている奴よりかっこいい」なんだけど。プログレにどう対抗すればいいのか。
着席の平和なハコを想像し、「お嬢ちゃん風」にまとめてみる。マリークワントの黒の長袖シャツ、ヒステリックスのピンクのミニスカ、グレースコンチネンタルのロングジャケット、髪にはマゼンダピンクのヘアピン。顔はすっぴん。
会場のWaverに着いてみて「しまった・・・」と思う。打ちっぱなしのオールスタンディングだ。そうと知っていたらもっとハードにきめてきたのにぃ。

ITのバンドは5人編成で、音楽はスティーヴ・ハケット。と、書いたが、そんなものを私が知るわけもない。
プログレを聴くのなんて久しぶりだし、ましてライヴでなんか初めてかも。この変拍子に乗ってみせるのが面白くてたまらない。よくこんなのコピー出来るなあ。
リズム隊は手馴れている感じだが、ギターとキーボード(どちらも非常に巧い)はそーっとそーーっと弾いていて、よくこんなに一音一音を大事にするなあと感心する。これをギターというのなら、いつもAM(g)が弾いてるのは何なんだろう、と思ったりw
フルート奏者の女性が、とても上手いし可愛らしい。

南阿佐ヶ谷へ移動。20時までお茶して時間をつぶしてからロックバーBへ。PT(g)も到着。
以前からPTと私でBで音合せしてみようと言っているのを知ったMYが、PTを呼んでくれたのだ。ついでにMYはその為にエレアコ・ベースを背負ってきている。
3人でカウンターに座ったまま、せーので"Frederick"をやってみた。両側の二人はそれぞれの楽器をアンプにつなぎ、私は生声。実は生声で歌うのが一番好きだ。一番上手に声が出せる。
歌い終わったら、聴いていたお客が「鳥肌たった」と言ったので、非常にいい気になる。(多分たたせたのは楽器隊)

その後私のオリジナル"Night Singer"など2曲を練習してみたり。その他の曲をやったり。リハとミニライヴと両方兼ねたようで楽しかった。

二人は電車で帰り、私だけ残って3時まで飲む。

Flap on the guitar (感情が全部ギターに出てる)  *Night Siniger / Screaming Bunny (2004) の歌詞。



2008年11月10日(月)  Make me hard, make me happy, make me beautiful

3日前にハニー(drs)からメールが来て、色々書いてあるんだけど、その最後に、私に出会えて本当に良かった、私と出会わなかったら今の自分は存在していない、とあった。・・・そんなことを言ってもらえるなんてとても嬉しいけど、それより何だか心配になり、「まだまだこれからも続く関係だからね?」と返信した。
最近ハニーはちょっと精神的に弱り気味なのだ。励まさなくては。そうだ、前のメールで、私の影響でガービッジを好きになったと言っていたから焼いてあげようと思い、今夜CD5枚分を送った。
・・・しかしよく考えたら、弱っている人にガービッジってのはどうなんだろう。

ガービッジは、'95年のデビュー直後にPVで知った。いつもリアルタイムの情報が皆無な私にしては珍しい。思えば最初からシャーリーしか見ていなかった。CDの中ジャケの写真を見て、なんて細い腰だろうと感心した。音も歌詞も目つきも、挑戦的で尖っていた。'Stupid Girl'のPVでは、「職業=女」といわんばかりに見えたが、だんだんと、自分が女であることを嘲笑っているふうにも思えてきた。
世間的には評価の高いらしい2ndを聴いた時、何だこれはと思った。明るくお洒落でポップ、としか取れなかった。前はあんなに硬く突っ張っていた女の子が、すっかり化粧も上手になって、媚のひとつも覚えたように感じた。その良さがわかるまで、随分かかったが。
よくきいていると、2ndの歌詞がどれも、非常に救いがないと思えてきた。それからあっという間にその言葉に飲み込まれた。特に'Medication'に。
Somebody get me out of here
I'm tearing at myself

これはしばらく私の呪文のようになった。

2005年に出た4thを聴いた後で、たまたまネット上の記事でシャーリーの子供時代の話を読んだ。赤毛で緑色の眼であることで常に苛められ、メイクなしで外出できなくなり、暴力的になる一方自傷癖もあり、腕も脚も傷だらけだったという。15歳で学校を中退し、バンドを始めてようやく自分の居場所を見つけたという。これを知って一気にあの歌詞が腑に落ちた。私は、シャーリーが劣等感にとらわれていることなど思いもしなかったのだ。実際は根強い容姿コンプレックスの塊だった。
バンドを始め、ガービッジで成功し、今は幸せになったかのように語ったりもする彼女だが。しかし今でも、例えばライヴ中に客に唾を吐きかけられたといって火がついたように怒り、やった奴を絶対に引きずり出してやると宣言する。普通に考えたら客席からステージまで唾を飛ばせるわけもなく、実際には客が水鉄砲で水をかけたらしいが。そんな判断力も吹っ飛ぶくらいの怒りようだ。
―――まだ今でも、こんなに弱いのだ。

私は何故かシャーリーを冷静に見ていられない。勝手に感情移入して心配している。幸せそうな歌詞や発言があるとほっとする。
結婚しているとだけきいていたから、じゃあ基本的には幸せなんだろうと思っていたが。
今夜何となくシャーリーのことで検索をかけてみたら、彼女が既に離婚していることを知った。おまけに、'98年の時点でまだ自傷癖があったことも。その時自分を傷つけようとした理由が、メンバーが女性について語っているのを聞いてショックを受け、自分を「痩せてないし、魅力的な体じゃない」と思って恥じたというのだ。
―――まだ、駄目なのか。まだ容姿に自信が持てないのか。そう思ったら涙が出てきた。

4thをつくる段階で解散寸前までいき、出した後に一度活動休止宣言をし、2006年頃からシャーリーがソロを出すと言いながらまだ完成していない。
結婚生活も破綻した今、シャーリーが、「ガービッジ」なしでやっていけるんだろうか。

それで私は今夜、海を隔てて遠くにいるシャーリーをまた勝手に心配する。同じようにやはり遠くにいるハニーを。
それから自分自身を。
みんな、強くならなきゃいけない。でもそれまでは、時々誰かに自信を取り戻せるようなことを言ってもらう必要がある。
大丈夫―――三人とも、周りに支えられている筈だ。

Make me hard, make me happy, make me beautiful (私を強くして、幸せにして。私のこと綺麗だって言って)  *Sleep Together / Garbage (1998) の歌詞。



2008年11月09日(日)  G-L-O-R-I-A

"Gloria"は、不思議な曲である。
1964年に、ゼムのシングルのB面として発売された。ゼムとしてはビルボード100位内がようやくという感じだったが、'66年にシャドウズ・オブ・ナイトがカヴァーしてビルボード10位になる。どちらも当時のいわゆるガレージロックで、現在のリバイバル・ガレージとはまた違う。
しかしシャドウズ・オブ・ナイトのバージョンが(バンド名も含め)ロック史に名を残した気配も全くなく、要するに"Gloria"は、ヒットした曲とは言えない感がある。
だが、えんえんと今日まで愛されてきた曲であり、今現在も一部のロックマニアの間では、おさえていて当然の名曲とされている。
「一部の」と書いた。そう、この曲は、ロック好きの間ですらも、人によってあまりにも認識度が違うのだ。ゼムというバンド自体が抜けやすいところだったりするのかもしれないが。しかし、仮にゼムというバンドを知らなくても、この曲はかなりの数のアーティストに愛され、カヴァーされてきた。

私自身は、10代の頃にドアーズのバージョンでこの曲を知った。"Alive She Cried"の1曲目で、このアルバムは私のベスト10アルバムに入っている。原曲にはない喋りの部分も含めあまりにもドアーズ的で、私は長い間これをドアーズのオリジナルと信じて疑わなかった。今聴きなおしてみると、レイ・マンザレクが素晴らしかったんだなと思う。

パティ・スミスのバージョンに出会ったのはかなり後だ。タイトルがそうでなかったら気づかなかったかもしれない。そのくらい別物となりはてていた。オリジナルの倍の長さになっているが、当然で、「キリストは誰かの罪の為に死んだけど、あたしのじゃないわよ」という歌詞で始まる最初の1分半は完全に原曲にないものをつけ加えている。その後もとても同じ曲とは思えない。

U2に同名の曲があるがこれは無関係――と思ったらU2は別の曲の後半にゼムの"Gloria"を取り込んでいる。ジミヘンのバージョンはかなり長くて重い。他にもAC/DCトム・ペティなど、多くのカヴァーがある。
ちなみにレッド・ホット・チリ・ペッパーズの"Venice Queen"はグローリアという名の友人の死を悼んだ曲だが、歌詞で"G-L-O-R-I-A"とこの名前をスペルアウトするのは、やはりあの"Gloria"を意識しているのではないか。スペルアウト部分は、"Gloria"の命であるから。

YouTubeでずっと以前に"Gloria"を検索したら、パティなど色々出てくるのに、肝心のゼムが全く出てこなかった。昨日もう一度やってみたら、ゼムが一件出てきたが、しかし初めて聴くバージョンだった。通常のスタジオテイクよりうねりがあってなかなかいい。なのでふと、久しぶりに帝王さま(b)にメールして、URLを送った。Kinkstonesのレパートリーに"Gloria"を入れたのは帝王さまなのだ。大好きな曲だった筈だ。
そしたら今日返信が来て、その中に、色んな"Gloria"を聴いたけどKinkstonesのバージョンが一番好きだとあった。
おお。実は私もですw
しかし「Kinkstonesバージョン」も何も、このライヴの時点でKinkstonesというバンドはリハ5回したのみの出来たてバンドで、しかもわけあってライヴ依頼が来たのが1週間前だったので(なのにメンバー全員即快諾)、ライヴ当日にメンバーが一ヶ月ぶりに顔を合せるという状態だったのだ。それで自信満々、あの出来である。無論実力もあったと思うが、あの時のバンドのノリと勢いは、ちょっと得がたいものがあった。
しかも実は私はこの曲に最初かなり手こずっていたらしい。ライヴ一ヶ月半前の日記にそう書いてある。おまけにその日記で見ると、あのライヴ前に"Gloria"をリハでやったのって、たった2回だったんだなあ。

今回バンドScreaming Bunnyで、この曲をやることになった。実は一度6月の南阿佐ヶ谷ロックバーBセッションでMY(b)、KP(drs)と共にリハなしぶっつけでやってはいる。ただその時のギターはNY(パティ大好き26歳)だった。しかも3人にコピーしてもらったのは、何とKinkstonesのライヴ音源だ。
今回はゼムのオリジナルからやり直すので、全く違う音になる筈だ。
後年、MYがしみじみと振り返って、「色んな"Gloria"を聴いたけど、やっぱりSBバンドのが最高だねえ・・・」と言えるようにしたいものである。うん。(AM、よろしくw)

G-L-O-R-I-A (ジー・エル・オー・アール・アイ・エー)  *Gloria / Them (1964) の歌詞。



2008年11月08日(土)  Far more shocking than anything I ever knew. How about you?

火曜の夜にふとこの日記の冒頭にでかいフォントで「レッチリを聴けっっっ!!!」と書いて、このライヴ映像をリンクした
またかよ、またですか、また'Can't Stop'ですか、という声が聞えてきそうというかもうわんわん聞えるが。
実は最初は他の曲の映像を張ったのだ。で、いややっぱりこっちの方がジョンのギターがさえるなとか、こっちの方がフリーのベースが際立つなとか、色々あれこれ取っかえているうちに、結局コレになった。
だってどうせレッチリのマニアなら、YouTubeで出せるくらいのライヴはもう見てるでしょ? それよりも、今私のサイトでこの映像で初めてレッチリを聴くという人に、最高の1曲を聴かせたいと思うと―――やっぱりどうしてもこれになる。私がこの世で一番好きなもの、というだけでなく、4人の良さが存分に発揮されている曲でもあると思うから。
'Can't Stop'のライヴ映像は何十パターンも見ているが、このポーランドのライヴもいい。イントロの盛り上げ方がドラマチックだ。フリーはどのライヴでも瞬時も手を抜かないから、要はジョンに緊張感があるということだ。
土台という言葉がぴったりのがっしりしたチャドのドラム、地鳴りのように骨に響くフリーのベース、これがたった二人の出す音か。そこにふらふらと乱入するギタリスト。おい大丈夫か、ちゃんと弾けるんだろうな。・・・ああ、はらはらする。胃がひっくり返りそうになる。そしたらジョンが、あれを弾く。
――――――――あの、短い、イントロの、フレーズを。
自分で張ったこの映像、自分で何回見たことか。そしてそのたびに、いちいちジョンが弾くイントロで涙ぐんでいる。・・・よーし、よく弾いた。よくやった。ここさえきっちり弾いてしまえば、この曲はギタリストはあとはもう何をしていてもいい。あとは全部残り3人がどうにかしてくれるから。息つく暇も与えずドラマを叩き込んでくるチャドのドラム、ベースを兼ねるようなアンソニーのボーカル、ギターを兼ねるようなフリーのベースが、全部しっかりと受け止めてくれる。

私は、あまりにレッチリを好きなので、その良さを説明も出来ないほどだが。一番自分で説明がつかないのは、ジョン・フルシャンテというギタリストの何がそんなにいいのかということだ。
レッチリは、4人全員があまりにもかけがえのないバンドだが、しかしどうしても誰か一人を抜かなければならないとしたら、ジョンになると思う。そう認識しながらも私は、ジョンがいない時期のレッチリを全く聴けないし、彼はやはり(変なふうに別格になってしまったグレアム・コクソンを除けば)私のベストギタリストなのだ。

でも、ジョン好きは結構いる。特にギタリストはジョン好きが多い。
ロックバーでレッチリがかかる。隣に座っている男の子が嬉しそうに反応する。私はにっこり笑って話しかける。「レッチリ好き?」―――「大好き」という答えがかえってくる。その次によくあるセリフがこれだ。「俺、ジョンが好きなんですよ」って。
ああ、あなたもジョン好き? 私も。私も泣くほどジョンが好き。けど、一体なんでなんだろね?
初めてレッチリを聴いた時、デイヴ・ナヴァロがギターを弾いていた。それで私は歯牙にもかけず無視した。以後レッチリというバンドに全く注目せず、おかげで二度目にちゃんと聴いたのはなんと'By The Way'だ。ロックバーでジョンの弾くその曲を聴いた私は、隣にいた男の子の腕をひっつかんで訊いた。「これ、誰?!」って。そしたら彼が答えた。「レッド・ホット・チリ・ペッパーズだよ」って。―――あれからだ。あれから始まった。
その直後に'By The Way'のアルバムを手に入れて'Can't Stop'に出会った私は、この日記の赤いタイトルの下にこう書く。"Far more shocking than anything I ever knew. How about you?"―――'Can't Stop'の歌詞だ。
そして一切本名を使わなくなり、Screaming Bunnyとして動き始めた。

実は、最初は自分が何にそんなに魅せられているのか気づいていなかった。だんだんと、ああ私はこのギターを聴いているんだなとわかってきた。それ以来6年間ずっと、うっとりと聴いている。
ソロのジョンもかなり好きだが。しかし「レッチリのジョン」には遥かに及ばない。やはり、「ジョンのいるレッチリ」が、現存するバンドでは、世界一愛するバンドだ。

*えーと、何度も言いますが、R.E.M.は「宇宙一愛するバンド」です。どっちが上かは訊かないように。

Far more shocking than anything I ever knew. How about you? (こんな衝撃は初めてなんだ。あなたはどう?)  *Can't Stop / Red Hot Chili Peppers (2002) の歌詞。



2008年11月07日(金)  For unspoken value, aesthetic and charm

よその英語ブログにこういうのが張ってあった。メルセデス・ベンツのCMらしい。訳は以下の通り。
「フライドポテトとハンバーガーとミルクシェイク下さい」
「・・・ここ、図書館よ」
最後は同じことを繰り返しているだけだが、オチになっている。
このブロンド女性の、最後の満足そうな顔が、かっわいいのなんの。

YouTubeのこの映像のタイトルが'The Blonde'となっている理由はすぐ知れる。欧米では「ブロンド美人=低脳」という長年の偏見があるのだ。アメリカンジョークで「あるブロンドが」と始まれば、その女性がいかにおつむが弱いかを笑う話に決まっていて、ブロンドネタは1ジャンルとして確立しているほどだ。
昨年夏にミス・ティーン・サウスカロライナが世界中でよってたかって馬鹿にされた件もある。

上のCMは、あそこで終われば笑えるコントで済んだ。しかし最後に"Beauty is nothing without brains."(知性を伴わない美は無価値だ)という文があられる。
―――こんなCMを世に出したメルセデス社こそが低脳の極みだと言いたい。
「ブロンドが馬鹿」といういう通俗的決めつけ、その例のあまりのレベルの低さ(これが本当なら、単なる馬鹿ではなく立派な知的障害だろう)、そして最後のきいたふうな薄っぺらな文章。はっきり言うがこのCMをつくった人間は、頭が悪いだけでなく品がない。
しかしこのCMが失敗している最大の理由は、主役のブロンド美人が、どう見ても馬鹿に見えないからだ。きちんとした知性と自信の裏づけがないと、ああいう顔にはならない。表情も人間的魅力に溢れていて、演技も上手い。自分の求められている役どころを理解し納得したうえで、きちんと演じている。要するに、彼女の勝ちである。

ついでに言うと、このCMは、頭のいい女に対する偏見も含んでいることが、図書館の司書であるブルネット(=知的女性のシンボル)が、デブで服装もダサいことからうかがえる。とにかく全てが「類型」だ。

同じブログに以前こういうのも張ってあった。カントリー・シンガーであるブロンド美人が、小学生とクイズで対決する番組に出た時の模様だ。賞金をチャリティに充てる為に出演したらしい。
彼女は自分が笑いものにされるのを承知で、しかし堂々と、楽しいトークを繰り広げている。「ブダペストはヨーロッパのどの国の首都か?」という問いに、「なんて馬鹿げた問題かしら・・・ヨーロッパって国じゃないの?」と答え返すあたりは、頭がいいとすら感じる。加えて非常に人当たり良く魅力的だ。人間が出来ている。これに対して、「(あなたが質問をきちんと理解出来ないのは)あなたが女だからだ」と発言する司会の男性は品性下劣である。
このYouTube映像のタイトルも'dumb blonde'(低脳なブロンド)だが。こういうことを平気で言う奴に限って、たいした教養もないのが常だ。
南米の首都を次から次へと言わしてやろうか? ああ?

For unspoken value, aesthetic and charm (語らずとも顔に出る真価、美しさと魅力)  *Fan Mail / Blondie (1977) の歌詞。



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