2007年01月29日(月) |
You were the first one |
夕べ26日の日記をアップしたが。後半大部分及びタイトルがNobu(b)に対する非難で、これがもう正論なだけに容赦なく、正論なだけにつまらない。
何よりも、彼が思慮が浅いだけで悪気がなく、どちらかというと私に対する好意が嵩じてやったことなのは解っているし。*
なので書き直した。後半を全部、YouTubeで見た映像の話にした。そしたら思わぬいいものが書けた。
タイトルにジャパンの歌詞をつけたら、快いカタルシスに圧倒され、その曲──'Taking Islands In Africa'を何度も何度も聴いた。
思えば私がベースギターという楽器をきちんと認識して聴いたのは、ジャパンのミック・カーンが最初ではないか。だから今でも、縁の下の力持ち的なベースではなく、自己主張の強いベースが好きだったりするんだろう。ミック・カーンは最初フレットというものすら知らなかったので、フレットレス・ベースを買ってしまい、それであの奏法になったんだという。──私もミック・カーンの音を聴く側として、似たようなことをやったのかもしれない。
*Nobuが、私がbbsに書いた音楽関連の書込みを、まんま自分のmixiにアップしたのだ。
You were the first one (あなたが最初だった) *Video Killed The Radio Star / Buggles (1979) の歌詞。
2007年01月26日(金) |
Outside there's a world waiting |
Nobu(b)は15時過ぎにうちから出勤。今日は珍しく余裕を持って出た。
二時間くらいして、食事する。夕べリハ後に薄いピザ一切れ食べたのを除けば、まる二日ぶりの食事。チーズクロワッサン、ハムエッグ、林檎、コーヒー。こういう食事が一番好き。毎食こうでもいい。洋風の朝ご飯みたいな、素材だけの食事。
YouTubeで偶然見つけた映像に涙ぐむ。これは、三ヶ月前にやはりYouTubeで、ステージで怒り狂うシャーリー(ガービッジ)を見て以来の、胸に迫る映像だ。あの時も、観客に水鉄砲の水をかけられて、唾を吐きかけられたと勘違いして火がついたように怒っているシャーリーを見て涙が出たが。
今回もまた、本音をむき出しにしている20歳の女の子。自分でも音痴だとわかっているが、オーディション番組に出て、「私には、歌えなくても次代のアイドルになれる資質がある。歌うことは大好きだから、あなた方が歌い方を教えてくれれば覚える」と涙ながらに訴えるのだ。そして審査員たちに、「これは歌のオーディションだから」とにべもなく(当然だが)断られ、激昂する。
───救いようのないアホだし、こんな子とは関りたくもない。けれど、この臆しない態度は尊敬に値すると思う。
この子は、よくわからないことは、とにかくやってみようと思ったのだ。完璧に間違っているかもしれないが、誰がそれを決める? 少なくとも誰かが彼女にやらせるというのなら、やってみればいい。ダメ出しは他人に任せればいいことだ。自分で謙虚に自分を限定していては、いつまでたっても成長なんか出来ない。
私もそう思ったから、いきなりロックバーを辞めて、英語講師になるというムチャをしたのだ。自分で納得できる実力がつくまで待っていたら、一生かかっても無理だと思ったから、見切り発車した。やってみたら出来た。逆に実力は、教え始めたらどんどん身についた。この一年あまりで、リスニング力も語彙も格段に上がった。
そもそも。実際のロック・アーティスト達がみんな謙虚だったとしたら。音楽シーンはどんな寒々しい状況になっていたことか。ニール・ヤングのようなヘタクソが歌おうと思ったことの素晴らしさ。よくぞ歌おうと思ってくれた、と聴くたびに感謝する。
オアシスのリアムは───あの愛すべきどアホは、「世界一になろうと思った」と言って、なったのだ。
願わくばあの20歳の女の子が、この先もっともっと体当たりで多くの経験をして、学び、伸び、魅力的になるように。
きっと、夢のように豊かな人生が待っている。
Outside there's a world waiting (そこに、世界が待ち受けている) *Taking Islands in Africa / Japan (1980) の歌詞。
2007年01月21日(日) |
The more I see the less I know. The more I'd like to let it go |
夕べは0時半帰宅。今朝は珍しく一人でベッドに入り、18時近くまで7時間寝た。
起きるなり、飲まず食わずでPCにはまり、二時間してからようやく顔を洗ってコーヒーを飲む。ま、これは私にはごく普通のこと。
携帯の天気予報は、明け方が雪だといっている。雪は大好きなので、楽しみにして待ってみるが、結局朝まで降らず。
NORITAさんのブログに、「MTVロック検定」なるものが紹介されていた。3級からあるという。
・・・何だそれ。アホか。
有害であること。無価値に価値を見出すこと―――私がロックに与えた定義はそれだ。哲学と音楽の価値は結びつく。ロックはソクラテスのいう「無知の知」を達成する手段になってくれる筈だ。だから私は、己を誇らしげに「ダメ」だと宣言する。
なのに、「ロック3級」だ?────吐気がするわ。
すっかり刺々しい気分でそのことをbbsに書込んだら、sKamさんから「どんな問題出すんだろ」というレス。どうせこんなんでしょ、というのをずらっと書いておいたら、sKamさんが全て回答! しかも内容が爆笑モノだったので、一気に気分がなごんだ。
例えばこうだ。「Q: ビートルズが影響を与えたバンドを三つ書きなさい」──「A: 知りません」
・・・知らないよねえ、そんなの。知るもんか。
The more I see the less I know. The more I'd like to let it go (知れば知るほどわからなくなる。かまわなくなる) *Snow(雪) / Red Hot Chili Peppers (2006) の歌詞。
2007年01月18日(木) |
Tender timing |
火曜の夜にsKamさんからラモーンズの音源が届いた。私がくださいと言ったのだが。
何と、506曲! ダウンロードするだけで8時間かかった。506曲って、一曲5分として2,530分・・・あ、いや、ラモーンズだから1,000分くらいかなw
今朝はそれを聴いてみる。ラモーンズはある程度聴いてはいたが、ジョーイ・ラモーンのソロを聴くのは初めて・・・ではなく3年7ヶ月ぶりの二度目。(日記にそう書いてある) 'What A Wonderful World'のカヴァー、何てひねりのないw 素直で可愛らしいほどだ。けれどしっかりとラモーンズ・サウンド。
そのまま、年代順に一気に112曲聴いてみた。ブートライヴもあるので、同じ曲が何度もかかるし、そもそも曲が短いからころころ変わる。ちなみに'It's Alive'の曲を頭だしすると、後半の殆どの初めは「フォッ」だ。「1、2、3、4」の「4」というわけ。カウントの途中で曲を区切るからそうなるのだ。ビートルズのアメリカ版のデビュー・アルバムは、一曲目の'I Saw Her Standing There'の出だしのカウントが「4」から入っていたらしいが。それと同じね?w
しかし112曲も聴いたら吐気がするかと思いきや。何故か飲まず食わずだったので腹が減った、という程度の疲れ方だった。本当に素直なサウンドなんだろうなあ。
火曜の朝から寝ていないけど。強烈なまでに眠りたくない。動けないくらいの状態なのに寝るのを嫌がる自分を見て、これはもしやもう一種の「不眠症」と言えるんじゃないかと思ったら、悲しくなってきた。
そんな時に、自覚なしに失礼な発言をする子供じみた大人がいたり。おかげで一瞬パニックを起こした。けれどそのせいでダメージを被るのは納得いかないので、その怒りを利用してぐっと堪える。
かと思えば、夕べ腹をたてた原因であるNobuは、案の定私が怒ったことすら気づいていず、今日の私の状態をあどけなく心配していたりする。
久々にかなり鬱々とする。久々に、お馴染みの「私、誰にも愛されていないわ。死んだ方がいいんだわ」まで突っ走る。
そしたらbay city rollersさんから、まずはbbsにかぐや姫の「アビーロードの街」のYouTube映像、次いでmp3がメールで届いた。───私が少し前に、欲しいとbbsに書いておいたのだ。
何て素晴らしいタイミング。
「お見舞い」みたい、と感激する。そしてmp3を聴いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・じーーーーーーーん。
ちゃんと聴くの、どのくらいぶりだろう。懐かしいなあ。
私は、後から思えばすごくませた子供で。10歳そこそこで毎日のように喫茶店に入りびたって(親戚が経営しているところが二軒あった)、高校生や大学生のバンドマンたちに混じって遊んでいた。(時々議論とか吹っかけていたらしく、20代の時に小学生である私に言い負かされた人の証言とかがあるw) 薄暗いオレンジの光の中で、アイスティー飲みつつ、音楽を聴いていた。その頃に覚えた曲のひとつが「アビーロードの街」なのだ。
日本の'70年代四畳半フォークが、アメリカのフォークとは完全に別物であることは、子供の頃から何となく見当がついていた。私は3歳でS&Gを聴き始めたので、思えばフォークロックから入ったのだが、アメリカのフォークにはドライな明るさがあるのに対し、日本の「フォーク」は女々しくひ弱でウェットで、徹底的なモラトリアムだった。それに対する嫌悪を微かに感じながらも、そこにあえて浸る快感もあった。では日本のフォークの作り手たちに自覚はあるのか?───私はあると思った。あればこそ、いっそう始末におえなく、いっそうムダになる。
「文学は飢えた子供を救えるか?」という問いに対する私の答えは、「文学は飢えた子供を救わなくていい」なのだ。全ての芸術は文明の滓であり、だから芸術はどんな現実にも侵されずに独りで立っている。
───しかし思えば私のヘタレ男好きって、ここらで形成されてたりしてね?
間隔をおいて、何度も「アビーロードの街」を聴いた。鬱の原因は何ひとつ解決しないままだが、もう大丈夫だ。
朝10時に、ようやく倒れるように眠りにつく。
Tender timing (いたわりのあるタイミング) *Going for The One / Yes (1977) の歌詞。
2007年01月16日(火) |
Kiss me blind somebody should |
午後に銀行へ。20年メイン銀行だった三菱の口座を解約。銀行を一本化してみたら、お金がないのがはっきりした。また節約しなきゃ。
美容院へ。昨日カラーをしたら、色はダメだわ、髪は痛むわ(おかげで夕べは髪がひどい状態)で、直しの再予約に行ったのだ。この数年カラーは自分でやっているが、やっぱり髪も化粧もプロにやらせるより自分でやった方が綺麗になる。エステなんか何の役にもたつわけない。
このところガービッジの1stに入っている'Fix Me Now'が気になる。いや、シャーリーの書く歌詞はいつだって気になる。
私はいつも、シャーリーが幸せだろうかと心配していて。現実に今彼女は結婚しているらしいからきっと幸福なんだろうけど。
私が、心配というよりも、その心境を思うと痛みを感じるほどに思っている女の子は、多分もうこの世にはいない。かつては───ガービッジの2ndの出た1998年頃までは、その子はいた。その子はシャーリー自身だったかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
彼女は自分に自信がなく、攻撃的になったり自虐的になることで自己を守ろうとしたり、シニカルな冷笑で平気そうにしてみせたりする一方で、わたしもうだめなの、と悲鳴をあげている。
わたし誰にも愛されていないわ。
少なくとも一緒に寝る男がいて、少なくとも抱きしめられている。でも彼女は彼を信用できない。彼はどうせ自分を解ってくれないし、自分を裏切っていると思っている。彼女の孤独は深くて、一人でおもてを歩く時、一足ごとにそれが彼女を飲み込もうとする。
言いたいことは、生まれてからずっと思っていることは、たったひと言だ。
Kiss me blind somebody should
誰かわたしを、愛してるっていってちょうだい。
去年、ある男性にこう言われた。「俺はおまえの為なら何だってしてやれる。おまえが望むならどんなことでもしてやる。でも、おまえは俺の為に何をしてくれる?」
私は返事をしなかった。だって私は彼を愛していなかったから。何をしてあげるつもりもなかったのだ。
でも、もし私が誰かを本当に愛したら。何だってしてあげられると思う。私は私の人生をその人に傾ける。エディット・ピアフが歌う通り、「大金を盗みにいってもいい 祖国を売ってもいい 友達を捨ててもいい 世間の大問題もどうでもいい」もの。
そして、して欲しいことはたったひとつ。「愛して」ほしい。
でもそれは実は、彼にも、彼の人生を傾けてほしいということに他ならない。
Kiss me blind somebody should (誰か私に、夢中でキスして) *Fix Me Now / Garbage (1995) の歌詞。
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