2003年10月30日(木) |
Who Are You / The Who |
Y-BELL(b)が朝食を用意してくれる。朝コーヒーを入れてもらうのが何よりの幸せ。
ヨシト(vo.g)と待合わせなので、13時に出る。Y-BELLも一緒に出て帰る。
今日はヨシトのご招待で、某ブランドの展示会へ。音楽評論家のYHも一緒。会場ではPANTAさんにも会えて、結構お話出来たので嬉しい。
マイケル・モンローが着そうな¥65,000のジャケットを購入。(結局はヨシトのコネでタダになる)
そういえば去年この展示会にはレッチリのアンソニーが来てたんだそうだ。そしてヨシトたちに話しかけてきたって。なのにヨシトたちときたら「誰この変な外人」と無視したらしい・・・!
ヨシト、PANTAさん、YH、他女性二人と代官山のカフェで食事。移動はPANTAさんのロールス・ロイス。クラシックな車でかっこいい。
食事後、ヨシトと渋谷のカクテル・バーで飲む。
2003年10月13日(月) |
I Don't Sleep, I Dream / R.E.M. |
土曜の朝から寝ないまま、21時にみーこちゃんと恵比寿で会って、みるくというライヴ・ハウスへ。今夜はハノイ・ロックスのシークレット・ライヴ。スタンディングで、ど真ん中の前から2番目につける。
案の定マイケルが来ない。その代わりアンディが歌うが、時には口の端から涎を垂らすほどに陶酔している。これをすぐ目の前で見られて、かなり満足。
0時半頃ライヴが終わり、みーこちゃんと新宿へ。久しぶりの歌舞伎町ロックバーSF。
そして歌舞伎町メタルバーGZ。ここで一気に3日ぶんの眠気が来る。カウンターに額ぶつけてうとうとうと。
5時に、大阪へ帰るみーこちゃんと熱い抱擁をして別れ、うちに帰る。昼過ぎまで起きていて、PCの前で2時間だけ寝る。
2003年10月09日(木) |
sleep with loved one |
昨夜遅くにようやく私の状況を知ったY-BELL(b)が、午後に来てくれる。今まで知らなかったのは私が言わなかったからでもあるが、とにかく月曜からの3日間は珍しく仕事が多忙でうちに来ていなかった。
こちらが辛い時にたまたまそばにいない。この間の悪さを私は、愛情のなさと受け取る。例えば「運も実力のうち」というのは、「運」が結局は人の生き方の姿勢で作られることをさしている。この3日間の不在も、Y-BELLの私に対する姿勢の根本を表しているように思う。
そんなことを考えていたせいか、現れたY-BELLを見て妙に苛々する。初めてのことだ。
湿布などを買いに出てくれたが、その間に苛つきが高まって煙草を吸いたくなる。(普段の私は家では煙草を吸わない) ところがバッグの中にあった筈の煙草がない。Y-BELLが吸ってしまったようだ。苛々がつのる。
昨日から何故か激しく甘い物が食べたかった。Y-BELLを誘って近所に出かけ、シュークリームだのブラウニーだのと大量に買いこむ。
私は精神状態が悪くなると食べ始める。理想としては、どうせ悩むのなら美しく衰弱したいのだが、何か自動自己救済機能が働くらしくて、胃を満たして考える能力を鈍らせ、眠気を増し、ついでに体にも栄養をつける。
フォークナーの「八月の光」のリーナみたいな、牝牛になるのだ。
好きな男と寝ることも精神の安定になる筈だ。ところがこちらから私が連想するのは、セバスチャン・ジャプリゾの「殺意の夏」のエル。復讐のために、愛していない男と寝ることを繰り返す女。
どうして女の「行為」には、犠牲の概念がつきまとうんだろう?
2003年10月08日(水) |
love to turn you on |
月曜の午後に2時間寝て以来ずっと起きてる。時々がくっとなるくらい眠い。
'95年8〜9月の日記を発見。ノートに走り書き。この年は地震やテロで日本中が揺れたが、私にとっても忘れがたい。10月に結婚したんだ。私がパニック障害でくたくたにすり減っていた時に。
PCで清書をはじめる。長くて重い文章を刈り込む。熱があって辛いのにやめられない。
夜半過ぎ、とうとうPCの前で気絶。58時間ぶりの睡眠。
ところでこの3日間珍しくもひとりだ。Y-BELL(b)は私のこの状況すら知らない。
そして3日間ずっとビートルズの"A Day In The Life"の"Acetates"バージョンを、連続再生でぐるぐる聴いてる。10歳から愛し続けたこの曲の、裸の色気にくらくらする。
ポールが"Oh, shit !"と言うところで、毎回 turn on ・・・
女は変態だから男と寝るんだってさ。男は正常だから男とは寝ないって。・・・なるほどね。
少し具合が悪い。微熱。吐気。軽い頭痛。喉の痛み。風邪なのかな。夜の飲みをキャンセル。
顔に吹出物があるので、専門の皮膚科へ行く。
昔は太宰治の「皮膚と心」は、女心の揺れを見事に捉えた作品だなどと思っていたが、実際は肌荒れは肌荒れでしかなく、だからといってどうということはない。
そう思って、しかし一応引っぱり出して再読してみる。そしたら、女心の話などではなく、思いもかけない救済の歌だった。架空の美しい魂が、力強い醜さに打ちのめされ、架空の救済にほっとため息をついた。
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