ふつうのおんな

2005年08月29日(月) いろいろ考えるとこあって

27日の日記は削除しました。

ぼやいてもしょーがねーや
ってことが書いてあったんですが 自分だけで消化することにします。

人の感情を裏読みせずなるべく前向きに行くよう頑張ります。

chick me

2005年08月26日(金) 盗撮してる奴捕まえました


今朝 切符売り場でパスネット買ってるとき目の前にいた女性。
ヒールはいた私よりさらに5センチくらい背が高かったので ふとその人の足元を見たんですよ。ヒールかなって。
そしたらペッタンコのサンダルでものすごいミニスカートで
「あーこりゃのぞかれそうだな」
なんて思ってました。

カードかって改札くぐってホームに上がるエスカレーターで1人の男がわたしとその女性の真中に立ってた。
そしたらその男が2段階段を上がって彼女の真後ろに立った。

普通に考えたら暑いし肌と肌がくっついたらうざいから離れたままのはずだし、覗くとしたら階段を下がるはずだよなーなんて思いながらふと横を見ると(エスカレーターはサイドがプラスチックで自分の姿が割とちゃんとうつる) その男どう見ても怪しい。

自分の体の真中あたりに両手を持っていてごそごそしてる。
最初は露出してるのかと思ったけど肩の動きからしてそうでもなさそう。

もしかして!と思ってぱっとその男の横に立ったら デジカメで彼女のスカートの中を撮ってた。

あーいうときって「なにやってるんですか」とかじゃなくてとっさに逃がずもんか!って思うみたい。
そいつの腕つかんで「それデジカメだよね」って言ったら目が泳いでる。

女の子に「あなたスカートの中とられてたよ。駅員さんよんできて」って呼びに行かせてる間 そいつの腕つかんだまま
「このへんに住んでるんでしょ。地元でこんなことやって恥かしくないの?」って言ったら「すいませんすいません」ってだらだら汗かいてた。
つかんでる腕はどんどん体温下がってくし。
「いま謝りましたよね。認めますね?」って更に言ったら「すいません」って。

駅員に「携帯とりあげた?」って聞かれて「デジカメでした。それはできなかったからこっそり消したかもしれないけど 間違いなく撮ってました」って答えた。
次からは腕じゃなくてカメラをつかもう。

覗かれた女の子は恥かしいのかどっかいっちゃったんでお巡りさんいわく、やられた本人が訴えないと事件にならないけどあなたがいいというならこっぴどくお灸据えておくからって。
で、私の連絡先とか書いたんだけど初めて自分の手が震えてるのに気がつきました。

学生時代に何度か痴漢捕まえたことあったけど あれは自分が被害者で腹がたったからだったし駅員に突き出すまではしたことなかった。

たまたま逆切れされたりしなかったけど されてたらどうしてたんだろ
って考えると やっぱり私もメリケンサックとか持ち歩こうかな、と。

私はこの世の犯罪の中で性犯罪が一番嫌いです。
性欲は本能と結びついているもので そこからの欲求に抗うのは難しいのかもしれない。
だけどこれほど形にならないものを奪う罪って 他にはあまりない。

相手の被害が形にもお金にもかえられないからやる方には解からないんだろうけど。

今回撮られた彼女にも自己防衛の意識が欠けてたことは事実だと思う。
覗かれたいなら話は別だけどミニスカートでしかもタイトじゃなくてAライン気味のなんだから覗かれないように気を配れよ。と。

ともかく 朝から大変でした。

chick me

2005年08月20日(土) ともだちって

久々に古い友人たちとランチをした。
友達は中学からのつきあい。
中学・高校・大学と付属だったので12歳からずっと 仲がいい。
中学高校で6年間同じ陸上部だった友人の数人が私にとっての数少ない親友だ。
めったに会わなくても根っこのところで思いやりをもてあうというのは 大人になるとそうないことだと私は思う。

そのうちの二人と会ったわけだが 一人が
「学生時代からの友達って利害がなくてほんとに気楽だよね」
といった。
うん 利害が絡まないと ずっとずっと純粋に友達。
困ったときは全力で力になりたいと思うし きっとできるだけのこと全部するとおもう。

じゃあ友達と仕事をしてる状態は?

しかも今はオットの会社に所属してもらっているけど近いうち私(個人事業主)の下にスライドしてもらう予定だとしたら?

同じ職場に常駐し 同じ業務を分担している状態は?

りっぱな利害関係だ。

私は職場でも彼女を下の名前でちゃんづけで呼んでしまうことがある。
呼んだ後でいつもはっとする。
公私の区別がついていない と。

彼女の仕切り方や業務の進め方に口出ししそうになるとき 友達としての自分と一応は上司(つーか今いる職場では先輩か)としての自分とがばばっと交錯して 結局は口をつぐむ。
言う内容ではなく言い方で失敗するのは怖いから。

彼女はとっても有能で頭もいいし割り切るとこは割り切れるドライな一面もある。
だから会社に引き入れた。
そしてそのときから そういう状態になる前までのように自分に起きたすべてのことを何もかもさらけ出すことはできなくなった。
たとえばオットとの間でおきた揉め事の愚痴。
これはイコール自分を雇っている人への不信感を募らせる。
そして自分自身の深いところ。
雇う雇われるがある以上 全部を出すことはできない。

それがいつなんの不安につながらせてしまうか分からない。

私のそういう感情を仲のよい職場の人につと漏らしたとき
「彼女の性格なら雇う雇われるとか気にしないんじゃないの?」
とその人はいった。

やっぱわからないんだな と思った。
言われる側ではなく言う側のことなんだよね。

私は人を使うのは多分そう下手じゃないと思う。
現場より一歩ひいたところで営業したり サポートしたり 仕切ったりするのは嫌いじゃない。

だから彼女の仕事の保障もどうにかできるとおもう。
今の職場の来年度の契約形態が定まれば すくなくとも3年 いまの給与を保障できる状態で仕事を見つけてあげられる。
3年というのは彼女も出産などがあるだろうからとりあえずの3。
その先は経ってみないと正直わからない。
この業界にまる7年。今の職場にまる4年。
それなりに人との付き合いも広がってるし。

私自身 ものすごく仕事ができるわけじゃないというのは私が一番よく分かっている。
私に求められているのはスキルだけではないというのも同時によく分かっている。

だから彼女の一人くらいなんとでもしてあげられる。
それは「してあげる」という上から見たものではなく「多分できる」という気持ちだ。

彼女が友達であることに甘えてはいけないと思っているのに甘えていることもあるし、甘えている状態を申し訳なく思っている。
思ってるだけじゃないのもよく分かってる。

よく言われることで「友達と仕事をするのはトラブルのもと」というのがある。

彼女との間にはトラブルといえるほどのことは起きていつもりだし 最低限金銭的なことでのトラブルはこの先も絶対に起こさないでいくつもりだけどね。

ただ、彼女がいつまで私を友達の目で見てくれるかは分からない。

私の元ではなくもっといい条件でしっかりとした保障のあるところに移りたいといわれることがこの先出てきたとき 私はソレを裏切りととらないでいけるかが分からないのだ。
普通の雇用関係なら抱かない感情を 友達であるが故抱いてしまうかもしれない。

実のところ 友達を自分の手元に置いていることにこだわっているのは 私だけなのだろう。
それにまつわる不安も。

度量の狭さに自分でいやになる。

あー今日の日記はただの愚痴のぶちまけで文章になってませんね。
ごめんなさい。

chick me

2005年08月16日(火) 何でもいいとは願ったけれど

母の墓参りは日曜の済ませていたので昨日は心の中で手を合わせるだけだった。
しかし「お盆で帰ってきてるというなら夢に出てきてくれないかな」と思いながら眠った。

そしたら

母が妊娠しているという夢だった。

会社の人に母の出産があるので会社を休むことが出てくると告げながら「あれ?でも母の体って火葬したよな」などと考えているのだ。
で 適当に「子宮から摘出しておいた」などと答えているのだ。
めちゃくちゃ。

目が覚めてから おかしくなった。
なんで妊婦の設定なんだろ。

ちなみに私の妊娠のお告げとかじゃないですから。

chick me

2005年08月12日(金) 思い出す姿の違い

どうして妹は元気だった母を思い出して泣き
私は苦しむ姿ばかりを思い出すのか

ようやくわかった。

今朝会社に行く電車の中で 母が病院でゆっくりお風呂に入っていたら掃除のおばちゃんにでかい声で「長風呂の人がいるせいで帰りが遅くなる」といわれ とても悲しくなったけど文句を言わなかったことを急に思い出し、そのときの母の表情や気持ちを想像して怒りと悔しさで涙が止まらなくなった。
何度か書いてるけど 私はよく母のことを急に思い出して それは大体悲しい情景で 電車でも歩きながらでも家にいるときでもシャワーを浴びながらでもぼろぼろと泣き出す。

モルヒネで朦朧としているのに最後の最後まで浮腫みでパンパンの身体を引きずりながら自力でトイレにいく姿とか。
おならが出れば腸が動いている証拠だから と30分くらいウォシュレットで刺激してみたりとか 母は本当に執念の努力をしていた。
肝・腎機能が低下しててどう頑張っても最後のほうは何も出なかったけれど。

今思えば母の吐瀉物の色が黒くなっていった頃から もう体の中の機能はいろいろとだめだったのにね。

ともかくそういう辛い思いばかりがよみがえる。

それは 私が悪いんだってこと。
癌がわかってから2年あった。
旅行に行ったり週末は顔を出したりしたけれど 思い出をちゃんと作っていないのだ。
なにか特別なことではなく 泊まって一晩中話すとか そういうこと。

妹は生活をいっしょにしていたのだから 日常のいろんなことに母の面影を見て寂しくて泣くのだろうけど
11月からの入院中と3月から6月3日まで 私と母の過ごす時間は病室がほとんど全てだった。
最初の入院のときは妹が毎日通っていた。私ははじめの10日間は毎日行ったが2週目から健常者なみに復活してあっという間に退院が決まったのでまた日があいていた。

そして3月からこっち。
入院して1週間たつ頃には「絶対に毎日お母さんに会わなくちゃ」と思っていた。
急激に時間が過ぎるのが怖くなった。

私は家族の誰よりも 母が少しずつ内側から壊れていく様子を見つづけていたのだ。

ここ数年の間で母と顔を合わせて語り合った時間を全て足してもあの3ヶ月には及ばない。
日常で親孝行をしてこなかった分 長女として果たせなかった責任の分 私はずっと悲しみからは抜け出せないのだろう。

この悲しみの発作に襲われる日々は 罰であり 懺悔の時間なのだと ようやっと腑に落ちた。
であれば、心いっぱいに受け止めよう と思った。

chick me
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