ユミコのメモ箱 DiaryINDEX|past|will
個展前日。夕方より搬入。
・・・うう〜〜ん、どう考えても私は私の欲求を満たすためだけに作っている。人にどう見られるかとか、どう見て欲しいとか、そういうことは最低限ギリギリの押さえるべきところのみを押さえ、大事なのは自分が納得できているか、自分がどう生み出したいか、自分が好きなカンジになったか、愛らしいものになったか。自分の思い描いていた通りになったか、いや、偶然(ではなく必然)が重なって思い描いていた以上の作品になったか。カタチになって、あのゾクッとするなんともいえない感激を味わえているか。
37cm×50cm リトグラフ ・・・誰もいなくなった、みたいな。↑完結。私はこの7番目が一番気に入っている。 10日ほど前に突然思いついてしまった新作のアイディア・・・練って練ってこねくりまわして、寝ても覚めてもそのことばかり考えているのになかなか進まず半ばあきらめかけていた昨日、ノート5頁に渡る言葉のメモ書きがクルクルクルッと一瞬にしてひとつの文章に繋がった。 こんな時、ああ、偶然なんてないのね、すべては必然なのね、って心底思う。 そして「大丈夫、この作品は神様に味方されている」と信じる。
37cm×50cm リトグラフ ↑次回、いよいよ完結! 「やさしくね やさしくね やさしいことはつよいのよ」 by ねむの木学園設立者、宮城まり子 本日で仕事が一段落。 これで明日からようやく脳みそをひとつにまとめて制作に打ち込める・・・・ラスト・スパートだあ!
37cm×50cm リトグラフ ↑シリーズ5作目。 制作を休んで今日一日仕事に徹するはずが、一昨日あたりから制作中の新作についてとんでもない閃きをしてしまい、脳みそ飽和状態!気分は仕事どころではないので、仕方なく(?)日本橋〜京橋〜銀座画廊めぐりをしつつその閃きを練って練って練る。アトリエに帰ってからは仕事。仕事、制作、仕事、制作、の日々。
37cm×50cm リトグラフ ↑このあたりから、おもしろいように変化していきます。 リト刷り、予定の版は本日ですべて終了。 あとは、いままで刷った絵を繋げて、追加の版を作って上から刷り込む予定。 いよいよ絵巻ってカンジになるだろう。ここからが楽しくなってくる、と同時に未だ先が見えない部分。 今日刷った最後の版。 加筆・修正をして2度目の版にしても、汚れがひどくてはじめはMAX液とH液を駆使してえらく困難な刷りであった。最近はMAX液の使い過ぎで、右手が青く染まってしまっているほどに。 これは私の腕が悪いのではなく、版が古いせいなのだ。 大学を出て八年が経つが、私はアルミ、ジンク、いずれの版も、買ったことが無い。 大学を出る前の夏に、ある方から幸運にもプレス機を譲り受け、ついでにもういらないからと版もごっそり頂いたのだ。その版はちょっと古いもので、ダメージが多く使い物にならない版もかなりあったが、毎回再版作業をその都度施して(新品の版なら必要無い作業)今まで使ってきた。面倒だけれども、版代が浮くことを思えばたいした苦労でもない。 ただ、ジンク版の損傷は思いのほか大きく、刷りに影響がでてしまったというわけだ。 でもこれがまた、いい体験になった。 刷り師のセンセイはよく、10枚ほど刷ると版が安定して刷りやすくなる、とおっしゃっていた。 でも私、普段10枚以上刷ることはほとんどない。 かといって、試し刷りを10枚もしてみる根気の良さもない。1〜2回の試刷の後、なんとかごまかしごまかし本番を刷りはじめる。 今日、はじめはあんなに汚れがついて、こりゃもうお手上げ、20枚近く刷るのは難しいな、そのまえに真黒になっちゃうよ、、、と半分諦めかけていたけれど、「そこをなんとか〜〜たのむ〜〜〜」と思いを込めてあの手この手を施していくと、あれまあ、15枚あたりから、版に汚れがつかなくなってきている。あれえ、びっくり。 そんなこんなで八年間、古い版のおかげで、版代が浮くばかりでなく刷りの腕まで上げたわけだ。感謝感謝。 その版が、とうとう底をつくのだ。 個展が終わって、次の大々的な制作に合わせて、いよいよ版を購入しなければならないだろう。ああ、版代稼がなくっちゃ。
今日もリト写真撮るの忘れた・・というかカメラ忘れた・・・・
37cm×50cm リトグラフ 所用で出かけ、帰りがけ雨宿りがてら吸い込まれるように入ったブックオフにて絵本6冊と文庫1冊を入手。絵本はどれも105円。大当たり。店員が価値をわからないって、すばらしい。 帰って制作。 最近、左手親指の付け根が痛いなあどうしてだろうと思っていたら、今日原因が判明。ローラーを持つ時に酷使しているらしい。長さ約30cm、径10cmほどのゴムローラーは、結構重い。右二の腕の筋肉痛もこのところ万年化しているし。 腰痛に次ぐ職業病だ。筋力をつけなくちゃ、とか気にしないといけないお年頃かしら?
37cm×50cm リトグラフ 先日のリトグラフ『十葉扁舟』シリーズ7作のうちの、2作目。 リトグラフをよく知る方以外には分かりにくいかもしれないどうでもいいことではあるが、技法的な解説を少々。 このシリーズ7作は、すべて同一の1版から刷られた絵である。 ジンク版に、まず先日の1作目を描画して、刷る。 通常、刷り終わった版は、保存するなり破棄するなりして終了、となる。 でも今回は、この1作目の描画を部分的に消去したり加筆したりして、新たな2作目の版として、保存(製版処理して、寝かせる)。 そして、上の2作目を、刷る。 この2作目の版にまた加筆・修正をして、明日の3作目、となる。 この作業を10回繰り返して、10作の絵を刷ったのだ。 だから10点のリトができあがり、只今『THE LIBRARY 2005』で公開中の立体作品『十葉扁舟』の1葉に1点づつ、計10葉の重なった作品として貼り込んであるわけなのだが、このうち7点は平面作品として単独に見せてもいいんじゃないか、と考え、サインを入れた、というわけだ。 残りの3点は?というと、平面として単独に見せるには、ちと刷りが甘かった、というのが正直なところ・・・・というのも、10回も加筆・修正を繰り返すことで、版そのものがかなりくたびれてくるのだ。カットした3点は、ラスト2点と、中盤の1点である。 この方法は、学生の時には銅版(エッチング)で試したことがあった。 腐食して刷り、またその版を腐蝕して刷り・・・を30回ほど繰り返して、最後には真黒の絵にした。 ジンク版はアルミに比べて加筆・修正するのに適しているという性質があるので、以前から「リトでもやってみたい」と思っていたこの方法にはジンク版が合うと考えていた。 リトはアルミ版が主流であるが、私は以前ここで述べたようにジンク版が好きだ。今回10年ぶりに使ってみて、ますますこれはいい!と感じた。 そしてこの『刷っては加筆・修正し、また刷り・・・』という方法も、自分のリトグラフに対する物足りなさを解消する、しっくりくるものであった。 ちなみに現在制作中の新作(個展『むかうのくには廻る』)も、この方法を取り入れている。 版画の性質。版画の利点。版画で制作する意味。 これを最大限に活かした作品、というのが、私の技法面からアプローチしたコンセプトなのだ。 そんなわけで、絵が刻々と変化してゆく様も楽しんでいただければ、これ幸い。
35cm×50cm リトグラフ 昨日、描画中の版にアラビアゴムを塗ろうという時に、時間より早くひまわりさん現われ、あたふた。部屋は制作状態(つまり、散らかっている)のまま。 そのひまわりさん(小2の女の子)が、版の絵を見てひとこと。「これ、顔にみえる」・・・・ほほう、おもしろいこと言うねえ。 そう言われても、私には顔にみえないんだけど・・・・ 日頃、こどもたちには「いろんなふうにみえる絵は、いい絵だねえ」と言っている。見る者の目を喜ばせる絵。 そうか、そうか。顔にみえるか。よしよし。 今日は2版する予定でいたが、よくよく考えたら、1日でこなすにはちと大変な労力であるし、そんなにあわてなくても充分間に合うことが判明したので、1版をゆっくり確実に刷る。 そう、こんなふうに時間をかけて丁寧に、余裕のある作業をしなければ。よしよし。 ・・・・間際になって焦ったりすることにならなければいいのだが。 上のリトは、十葉扁舟シリーズ7点のうちの、1点目。本当は10点あり、和紙に刷ったものを立体作品に使用したのだけれど、そのうち7点を平面作品として出してもよかろうと判断し、版画用紙に刷ったものにサインを入れた。 何度撮ってもピントが甘いので、このへんで妥協。
佐藤由美子
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