遠くにみえるあの花火に
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2005年08月31日(水) 夏休み最後なので宿題の総仕上げです。


今夜もハヤシライス。
残り物だけどうっとりする。

昨日はスープに「わかめとエリンギ」だったので、
今日は「トマトとかき玉」です。
→トマトとかき玉は「母に習えばウマウマごはん」参照





夜、勉強をする。それから日記を更新。

勉強というのは簿記の勉強。
簿記だなんて、全く無縁に人生を歩めると思っていたんだけど。
そうは問屋が卸さなかった。
でも初歩の初歩からつまづいている。
なんだかよくわからんなぁ、と思いつつ勉強してる。
この勉強は12月いっぱいまで続く予定。
はーがんばらねば。






今日で8月も終わりだ。
8月の終わりを意識する年というのは、
実は私の中では珍しいことかもしれない。

いつもこのくらいの季節になると、気持ちは秋へ秋へと向いていて、
おかしいぐらいそわそわと浮き立っている。
だから8月が終わっていくのが名残惜しいとか、
学生だったら夏休みも終わりだなとか、
大学生ならまだあと一月も休みがあるんだね!とかいう驚きも、
あんまり感じていなかった。
早く早く、私の好きな季節よやってこいと思っていた。

でも今年は8月が終わる、ということをとても意識している。
だからどう、ということもないんだけど。








2005年08月30日(火) キッチンに立つ人の背中



昨日、夫が親子丼をつくってくれました。
それからポテトサラダも。

旅行から帰って以来、毎晩のように夫が食事を作ってくれています。

旅先で買ったほうば味噌に、きのこをのせて焼いたものや、
焼きサンマ、
肉じゃが、などなど。


私はもっぱら副菜ばかりで、
このあいだ知人宅で教えてもらった「もずくと山芋の酢の物」だとか、
いつもよくつくる「茄子とカニカマの和え物」とか。



それにしても、家に帰ると夫が台所に向かっているのです。
その姿はなんだかありがたくて神々しくさえあります。

ただいまーと玄関をあけると、リビングに続く扉がいつも開け放たれていて、
リビングの脇のキッチンがちらりと見えます。
ちらりと見えた流しのところに、夫が背を向けて立っています。
余裕があれば玄関まで出迎えてくれますが、
余裕がないときは「怒ってるのかな?」と思うような真剣な顔で料理をしています。

キッチンに立つ夫の背中というのは、
なんだか不思議であたたかく、
かぎっ子だった私には、小躍りするぐらい嬉しいことだったりします。

別にそれは夫に限ったことではなくて、
父でも母でも兄でも祖母でも家族であれば誰でもいいのかもしれませんが、
私にとって、「渇望している」といってもいいような風景なのかもしれません。

子供の頃よりもずっと、
今の方が自由で望みが叶っている、と感じるのはこういう時です。

愛する人がいて、その人のそばにいられて、
安心できる場所があって、
自分で自由に選択することができて。

だからこそもっと、夫にも、いろいろなことにも、
感謝しなくてはいけない、と。ちらりと、思うのです。





本日はハヤシライス。今日は私が作りました。
メニューが昨日のうちから決まっていたので楽ちんでした。
(メニューそのものも楽ちんなものですが)
夫が帰ってくるまでの間、たまねぎを炒めて、牛肉をいためて・・・
私は「完熟トマトのハヤシライスソース」が大の好物で、
作りながらウキウキうっとりしてしまいます。

夫が帰ってきて、「おいしそうだねー」くんくん。と鼻をうごかしました。
そうそう、たまにはごはんを作って出迎えないとね。







さて、本屋で梨木香歩さんの「沼地のある森を抜けて」を見つけました。
さっそく購入してきたので、そちらの方もウキウキと楽しみなことのひとつ。
また充実した「電車で読書」の時間が過ごせそうです。
(9/6ようやく読了しました。
なんというか、奥が深くて一読ではなんとも言えませんが、
でも根本的に、私が物語の中に求めるものと符合する部分があって、
その点で、少し泣けたのです。)



2005年08月28日(日) 葡萄と無花果

久しぶりにパステル画教室の日。

本日は葡萄(ピオーネ)とイチジク。





次回で仕上げなくてはいけない。
ケータイの画像が荒いので、ちょうどよくボケてていい。





パステルの後、母と買い物に行く。
かばんを買ってもらった。
どうもありがとう。

黒い皮のかばん。
うふふ。


2005年08月27日(土) 抜歯後にゆずを歌う


朝からだらだらとすごす。
スキマスイッチを聞きながら、パソコンをたたく。


まだ歯が痛くて、結局今日の夕方に歯医者に行くことになっている。
歯医者なんて何年ぶりだろう?
虫歯があるだろうなーと思いつつ、面倒で放置していた。
こういうことでもない限り、私の重い腰はなかなか上がらない。





いってきました歯医者。
ドクター小澤に親知らずを「えいやっ」と抜いてもらった。
特に腫れもせず、それほど痛くもならず。
先生からは「夜なんかに痛くなると思うので覚悟しておいてください。」
と脅されたが、なんともなかった。
そりゃ違和感は大いにあるけど、痛くて眠れないというほどでもなかった。

過去に一度、一本だけ親知らずを抜いた時も、たいして腫れず、痛くもなかった。

それより、先生から
「昔の治療後のあたりから虫歯になってるので、また近いうちに来てください。」
と言われる。
9月中に、また行こうかな。

歯医者って、一度治療をはじめると長いから嫌だ。
一回で全部やってくれ。と思う。



全部で1時間もかからずに終了。
夫に電話して、迎えに来てもらう。
家から少し遠い場所にあるので、徒歩では行けないのだ。

自転車を買ったら、ここへもすいーっと来れるんだけど。


車の中で、ゆずを歌う。
「お、元気だねぇ」と、夫が笑った。





2005年08月26日(金) 栗田有起さん『オテル・モル』読了。


「オテル・モル」読了。
電車の中で読んでいて、泣きそうになる。


栗田有起さんのことはのろのろさんのページで知って、
いつか読もうと思っていた。
PICNICAさんもすごくはまっているみたいだし、読もう読もうと思っていた。

そうしたら、不思議な縁で、
麦ふみクーツェの解説を栗田有起さんが書いていた。
それを読んで、すぐさまオテル・モルを購入した。

なんだかすごく適確に麦ふみクーツェのことや、
いしいしんじさんのことを書いていて、
そしてその言葉がやわらかくて、この人の小説はおもしろいに違いないと思えた。

でも、その解説から受けた印象とはまた違う印象のお話だった。
もっと女性的(内に秘めた激しさをもっていて)で、
そしてもっとユーモラス(淡々としたおかしさがある)だった。

麦ふみクーツェの解説の中で栗田さんは
「読書とは、文字による合奏に参加すること」だと言っていた。
もちろん、合奏という表現は麦ふみクーツェからきているのだけど、
いわば栗田さんの小説も、合奏そのものだ。
読みながら、私は主人公の気持ちと呼応して
一緒に泣いたり踊ったり眠ったりさせてもらった。
合奏している楽しさと、それは似ていると思う。

不思議なホテル(オテル)、不思議な人たち、哀しい出来事、哀しい事実。

ユーモアを含んだおかしみと、悲痛なぐらいの哀しい出来事とが、
こんな風な形でふたつ絡まりあっている話をはじめて読んだ気がする。




2005年08月25日(木) だからつらかった、でもちょっと楽になった。



ずっと心の中にあった不満を、ようやく吐き出すことがきた。
吐き出したらずいぶんすっきりしたし、
また、その不満が私だけ感じていたものではないことがわかった。

最初は違和感だったと思う。
違和感が、怒りになったり、悲しみになったり、憤りになったりして、
しまいには諦めになっていた。

諦めて、それ自体を最初からなかったもののように考えようとしていた。
違和感だと感じたのは、私の気のせいだと。




諦めてから、ずいぶん経っていた。

ずいぶん経っていたけど、やっぱり心の中に違和感は存在しつづけていた。

その違和感から発生した怒りや悲しみや憤りは、不快感になって、
諦めとともに、ただ単に遠ざけていただけだったことに気付いた。

ひょんなことで、それを吐き出した。
そうしたら、それは私だけが持っていたものではなかった。

ずいぶん気持ちが楽になった。
これでまた、元通り、遠くへ遠くへ追いやって、なかったことにできる。

解決なんてないのだ。それはわかってる。
吐き出して、だからどうなるってことはない。

でも、もっと楽な気持ちで遠くへ追いやることができる。
きれいにダンボールの中にしまいこんで、押入れの、奥のほうへ。

このことは私にとって新しい展開だ。
何も解決はしないけれど、単純に言えば「安心」した。

吐き出すことで恐れていたこと―裏切るとか傷つけるとか悪い噂がたつとか―は、
なにもないことがわかった。
一人で抱えていなくてもいいことだった。

だから、よかった。





私はいつも、怒りは誰かに話して発散するし、悲しみは泣いて発散する。
だけどそれがずっと、このことに関してはできなかったのだ。

だからつらかった。
でも、ちょっと楽になった。




2005年08月24日(水) ことばには魂が宿るから

なるべく「きもちいいことば」を言いたいしききたい。






朝起きたら、風がとてもすずしくなっていた。
雨が降って、ぐっと秋の気配が近づいたようだ。

昨日の、あの嫌な言葉のことは、もう気にしないことにした。
気にしない、というのは、その言葉自体を忘れるってことじゃなくて、
それを「誰が言ったのか」に執着しないことにした、ということ。
たぶん、誰しも思っていて、でも言わないことってあるし、
たまたまその人の虫の居所が悪い時にぶちあたってしまっただけのことだと思う。
悪意はないのだろう。
「その人が言った」ということにこだわってもしょうがない。

いつもいつもその人から言われるなら話は別だけど、そうではないし。
身体的なコンプレックスは、自分で治していくしかないわけだし。






朝はやく、近所を歩いていたら、子供たちがラジオ体操に向かっていた。
夏休みももう終わりだけど、夏休みの習慣はまだ残っているんだなと思う。

すっかり記憶の外にあるけれど、
ラジオ体操というのはお盆の時期は中断されるのかもしれない。
お盆をすぎたあと、また8月末までラジオ体操があるのだろうか。





ある人からメールが来て、そのタイトルが「やっぱりプリン!」だった。
ネットでお取り寄せするプリンの共同購入のお誘いだった。
ひとつ500円くらいする。
で、6個いりだから3千円。
ひとりで6個もいらないから、一緒に買おうってことだろう。

大人のプリン
→でもその後話は途中で止まってしまった。。。







そしてやはり歯が・・・








栗田有起さんの「オテル・モル」購入。
歯の痛みも忘れて読みふける。


2005年08月23日(火) ほおっておいておくれよ



思いがけず心臓にぐさりとくる言葉を言われ、
涙がぽろっとでる。

ずっとコンプレックスに思っていることがあって、
でも気にしないようにしていること。
私自身にとってはマイナスなことだけど、傍目にはそうは思われないこと。

そういう身体的な特徴について、
乱暴な言い方で、周りに聞いている人がいるようなところで、言われた。

く、くやしい。
言い返せなかった自分がくやしい。
こんなことくらいで泣く自分がくやしい。


くそー。はげちゃびんめ。


とりあえず夫に愚痴をいって慰めてもらい、
ストレスを発散させる。


夜、父の誕生祝を改めて、という名目で飲みに行く。
父と母と夫と、父の友人夫婦と。

もちろん、「くっそー」という出来事については両親には言わない。
その場の空気を思いきり吸って、楽しく過ごす。
そうするうちに、くやしく悲しい気持ちもすぐに引いていった。


いつも行く居酒屋はこころやすく、ごはんもおいしく、
いい気分で酔いがまわる。
カシスのジャムみたいに甘いワインもどきを飲み、
これはワインじゃないねーといいながら、でもおいしく味わう。





また雨だ。
一雨ごとに秋が近づいてくる。

ちょっとずつ。



歯がやはり痛い。
じくじくと、時々痛む。
食べたり飲んだりするのに支障があるわけじゃないけど、
気になる。。。



2005年08月22日(月) 麦ふみクーツェ読了。父の誕生日でしたが・・


旅をおえた次の日は、なんとなく背中がふにゃりとする感じがする。
「なんでもないよ」という顔でいるけれど、
本当はまだ昨日の興奮が体の内側に残っている。

ふわふわとした一日の終わりに、父のところへ出かけていく。
父の誕生日にもかかわらず、母は旅行に行っていていなかった。
父自身も半分忘れていたようで、
「誕生日だから来た」と言ったら、
鼻から息をもらして力の抜けた顔で笑った。

ふたりきりで短い晩餐。
「なんにもないけどおめでとう。」をしつこく言って帰る。

翌日に飲みに行く約束だけとりつけた。





なんとなく歯が痛む気がする。
歯というより歯の周りの歯茎が。
私は親知らずをかかえていて、そこが痛いのだった。






読書タイム。


「麦ふみクーツェ」を読み終わる。
最終的にはとても晴れ晴れとした気持ちで読み終えることができ、満足。
文庫判を読んでいたのだけど、最後の解説が栗田有起さんだった。
解説がまたすばらしくて、うれしくなる。

この本を読みながら、
私はやっぱり変な人と言われてもいいや、と思えた。
へんてこでも、人生は前へ前へと進んでいくことがわかったし、
前へ進むからには、自分自身のことを認めてあげるしかないんだなと。


ひらきなおるってわけでもなくて、スマップの歌みたいに、
「もともと特別なオンリー・ワン」ってことを意識しようかなと。
(8/21、8/22とも8/30UP)



2005年08月21日(日) 6食共にした仲


朝目覚めたら、しのしのしのと雨が降っていた。
緑が濃くて、窓にきりとられた土と葉と雨の気配にうっとりとする。
窓を開けなくても雨の気配は忍び込んできていて、
街中とは10度近く低い山の中はとても肌寒い。
私は黒いポロのパーカーを持参していたのでそれを羽織る。
これは夫と形違いのおそろい。
(夫は同じ黒に赤い刺繍糸でポイントの入ったトレーナーだ。)

まだ皆眠っていて、ひとりでお湯をわかし、その間テレビをみる。

だいたい長く眠った順に起きだしてくるもののようで、
私の次によく眠った人が起きてきた。
タバコを吸うというので、灰皿を渡して、代わりにライターを少し借りる。
蚊取り線香に火をつけるが、なかなかつかない。
その前にライターがなかなかつかなくて笑われた。

結局蚊取り線香もつけてもらい、
思う存分窓を開け放つ。
窓は足元まである大きなもので、そこからバルコニーに出ることができる。
昨日はここから花火をしたらしい。

「テニス、できないかもしれませんねぇ。」などと話ながら
皆が起きるのを待っていたら、順々にばらばらと起きてきた。
みんながだいたい起きたところで、
朝ごはんを作る人あり、シャワーを浴びる人あり。

朝ごはんはオムレツ、クロワッサン、
昨日の残りの焼きそば、それからスイカ。
残り物のチーズ。などなど。

朝ごはんを食べながら、チェックアウトしたあとどうするか皆で相談する。





「山を下りたら晴れてるかもしれないよ」
とコテージの貸主であるおばさんが教えてくれたので、
とりあえず下りてみることにする。

駄目ならそのまま飛騨高山の方へ行こうか?などと言い合う。

で、下りてみたら小雨。
テニスコートにはテニスをしている人たちが。

私たちもはりきってテニスをすることにする。
(といっても、私はかなり下手なのでボールにあてるのがやっと)

テニスコートは山を下りてきたすぐのところなので、
周りを山に囲まれていて、すごくいい雰囲気。
山の緑を眺めながらするテニスは最高だった。


テニスの後は、汗を流すため近くの温泉にいく。
温泉は安くて、500円で入れた。
設備も整っていてきれいで、とても快適。

温泉から出る頃、またも激しく雨がふりはじめる。
いそいで車に乗り込み、また山を越えて帰ることにする。

途中、ひとつも信号がないくねくねした道を進み、
川を越え、そのたびに小さな橋を渡る。
橋には、ひとつひとつ名前がついていて、
あまりに短すぎて一瞬で通りすぎてしまうようなものにまで名前がつけられていた。

「これって、周りに目印になるものが何もないから
こんな小さな橋にまで名前がついてるんですかねぇ」
と言ったら、妙に感心された。

言ったあとで、そういえば交差点もないもんなぁと気づく。

道の駅でお昼を食べて、激しい雨の中高速にのる。

車の中はずっとスキマスイッチで、
「空想クリップ」と「夏雲ノイズ」が交互にかけられていた。

「全力少年」ではみんな大合唱。


ミスチルと槇原敬之でも大合唱する。

「同年代っていいですねぇ」と、ひとりがしみじみ言っていた。







地元までたどりつき、夜も遅くなってきたので、
みんなでチェーンのうどん屋に行った。


丸二日間、朝も昼も晩ご飯も、6食を共にしたことになる。

「なんだかずいぶん長く一緒にいたんだねぇ。」
最後はまた夫の運転する車の助手席で、
そう感想を述べ合ったのでした。


2005年08月20日(土) 山の中は激しい雨がふっていました




AM7時30分出発。
車に荷物を満載して、まずは一緒に行く友人たち3名を迎えに行く。
途中コンビニによってお茶とおにぎり、
それからプリンと「栗原さんちのおすそわけ」なるパンナコッタを買う。
朝ごはんを食べずに出てきたので、とてもおなかがすいていた。
助手席に座って、むしゃむしゃと食べる。

京都まで来て三人を拾ったあと、いざ岐阜へ。
高速道路をぶいーんとすすんでいく。
運転は夫ではなく、友人がしてくれる。
その人はもともと岐阜出身なので、道も良く知っているらしい。
岐阜についてからもう一人拾う。計6人のテニス合宿がスタートする。

宿泊先は山の中にある格安のコテージ。
キッチン、リビングダイニング、和室、ロフトがある。
お風呂は広くて新しく清潔で、トイレもきれいだった。
脱衣スペースには洗面台もあり、かなり快適。

街のスーパーで買ってきた食材を冷蔵庫にいれ、ひといきつく。
この日はあいにくの雨模様で、というか山の中なので激しい雨で、
バーベキューをするかどうか相談する。


結局、バーベキュー場は少し離れた場所にあるということで、
面倒なのでやめにして、部屋の中で食材を焼くことにする。

魚焼きグリルやフライパン、その上食器まで用意されていて、これもまた快適。
4時くらいから料理し始めて、ちょっとずつ作っては食べていく。
男子(だんし)三人は皆料理上手なので、
自分たちで包丁をにぎり、フライパンを揺すってくれる。

串にささった焼き鳥用の鶏に、ねぎを切って挟んで「ネギ間」をつくったり、
アルミホイルにきのこをたくさん入れて、ホイル焼きをつくったりする。

手の込んだことは何もしなかったけど、
肉、ソーセージ、とうもろこし、茄子など、いろいろ焼く。

で、食事の合間にはもちろんお酒。
今回は友人が「お取り寄せ」したという「魔王」なる焼酎を飲む。
それから梅酒も。
 ※この梅酒にやられて、私はこの日、ひとり気分を悪くする・・・。


実はこの日は、一緒に行ったメンバーの誕生日でもあって、
その人(女子)のために、昨晩チーズケーキを焼いたのだった。
こっそりチョコペンでお祝いの言葉を書き、ロウソクをたて、
部屋の電気を暗くして、はぴばーすでー♪を歌う。
あんまり予想外のことでびっくりしたらしく泣いて喜んでもらえた。

チーズケーキを美味しく食べ、かなり酔いもまわり、
私ひとり先にお風呂に入ることにする。

そうそう、誕生日のほかにもうひとつイベントがあって、
それは先程の運転手(男子)の就職祝いを贈るというもの。
再就職おめでとーと言って、名刺入れを渡した。


その後、まだまだ宴はつづくも、私だけ倒れるように眠る。

「スイカも花火もあるし、起こしてあげるよ」と言われ、安心して眠るが、
起こされたにもかかわらず、記憶なし。

夜中12時ごろ目覚めたら、頭が痛い、吐き気がする。
ううーん。。。
とりあえず薬を飲んでむりやり眠る。
 ※翌日自分のデジカメを見たら、花火をしている皆の写真があった。残念。

翌日はひとりだけ6時半くらいに起床。
起床は7時半の予定だったので、ひとりでぼけっとテレビをみたりして過ごす。
(8/28UP)


2005年08月19日(金) 夏雲ノイズ・・・夏合宿前日のこと

昼間、のろのろさんのブログで知った「きょうの猫村さん」を眺める。
ほとんどひとめぼれに近いような形で、おもしろく読む。
私も本、買おうかなぁ。
こういう動物もののちょっとシュールでぶさいくかわいいのとか、
けっこう好きだな。
人間でもそうだけど、味のあるキャラクターって好きだ。

夫に同じものを見せたら、いたく気に入った様子で、
えんぴつでしゃしゃーっと描いただけなのにうまい絵が好きだと言っていた。
後日、ふたりして、それぞれ本屋をあたってみるが見つからない。
アマゾンで買おうか、という話にまで盛り上がる。


夜は、仕事を早めに切り上げて明日からの旅行の準備と、
それから、チーズケーキを焼く予定にしていた。
20日〜21日にかけて、岐阜県のとあるコテージを借りて、
友人たちと泊りがけで飲んだりテニスしたりする予定だったのだ。

車での移動を予定していたので、何かCDを借りようと
レンタルショップで夫と待ち合わせをする。
私のほうが店に先についたので、ぼけっと眺めていたら夫からメールが入る。

そこには「財布を会社に忘れた・・・今気付いた」とある。

「まぁ。なんと。」

しょうがないので、とりあえず夫が店に来るのを待って合流し、
CDを借りて、ふたたび夫と共に夫の仕事場へ行く。

これはこれで、久しぶりの夜のドライブだという気がして、
なんだかテンションがあがる。

CD屋で、ゆずとスキマスイッチとケツメイシを借りたので、
それを聞きながらいく。

ゆずの「飛べない鳥」と「からっぽ」が実は好きなんだという夫。
へぇ。

ゆずを合唱しながら進む。


財布を無事とりもどし、帰る途中で天下一品(ラーメン屋)による。
おごってくれた。





さて、気を取り直してチーズケーキを焼く。
と、いっても作ったのは夫で、私はその横で旅行の準備にいそしんでいた。

バスタオル、シャツ、パンツ、歯ブラシ・・・
夜寝るときはこのTシャツでいい?翌日の着がえは?
テニスする時の半パンはこれでいいの?
などとききながらかばんに詰めていく。

夫はケーキもつくる。
といってもチーズケーキ以外は作っているのを見たことがないんだけど。
たまにクッキーなんかも焼いたりする。


途中、あまりの眠さに、焼き上がりをまたずに私だけ先に眠る。
すまない。。。。



明日から東海地方は雨がちだそうだけど、
さて、晴れるのでしょうか・・・。


2005年08月18日(木) ルシーナ・コンティ「朝の港」のこと


旅先のホテルで、とても好きな雰囲気の絵に出会いました。

レストランの壁にかけられていたその絵は、
どこかの港町の風景が描かれていて、水彩の、
涼しげな印象の絵。

画家の名前は「コンティ」ということ。
嘘か本当か、そこに掛けられた絵に「260,000」の数字がついていたこと。
その絵が水彩画であるということ。

それぐらいしかわからなかったけれど、
家に帰り着いてからインターネットで調べてみたら、
ひっかかりました。一件だけ。
ネットの絵画オークションのページで、
私がみた絵が正に売りに出されていました。
リトグラフなので、それほどのお値段もついていません。
あの壁にかかげられた「26万」という数字は、いったいなんだったのでしょう。
あれは原画だったのでしょうか。。。

なんにしろ、とても美しい絵で、
食事の間も夫の顔ではなく絵の方を、じーっと眺めていたのでした。
ルシーナ・コンティ


2005年08月17日(水) ああ勘違い/「麦ふみクーツェ」のふしぎなかなしみ

8月16日分更新しました。
よければどうぞ。





よくよく私の記憶ってやつはいいかげんなもので。
うろ覚えにもほどがある・・・と思う。

東京で食べたチョコレートは、
PIERRE MARUCOLINI Chocolate Shop GINZA」であって、
ユウさんやのろのろさんが言っていた「100% chocolate cafe」ではなかった。
・・・ことに今日気がつきました。
「チョコレートカフェ」を「チョコレートショップ」と勘違いし、
しかもそれしか覚えていなかったために、
ひどく遠い遠い対岸にたどりついてしまったようです。







さて。
気をとりなおして・・・。
今日は気づいたことがもうひとつある。

麦ふみクーツェ」を読みながら、何かに似ている、
なんだか知ってる、この感じ。と思っていて、
それが何か、ようやく思い当たった。

それはジョン・アーヴィングの「ホテル・ニューハンプシャー」。

アーヴィングの他の作品は読んだことがないし、
いしいしんじさんの作品も他には読んでいないから、
二人の作風が似てるとかなんとか、
そういうことが言いたいわけじゃない。
もちろんストーリーだって全然違う。

でも「なんだか知ってる、この感じ」の先に、「ホテル・ニューハンプシャー」があった。

いったい何が「麦ふみクーツェ」と「ホテル・ニューハンプシャー」をつなげるんだろう?
何かと何かが似てるって思うときに、たいていの場合がそうであるように
考えてはみたけれど明確な理由はわからない。

ただ、その物語から放たれる空気に似たものを感じるだけ。
どちらのお話も、ふわふわとした異世界に足を踏み入れたような違和感があって、
その空気になじむのに少し時間がかかる。

でもその少しの時間をすりぬけたあと、
驚くほどあっというまに物語の空気に溶け込んでいって、
その世界の空気をずっと吸っていたいと思う。

ずっとずっとその世界のおかしみやかなしみを感じとっていたいと思う。
一度吸ってしまったら中毒になってしまうような空気。
ちょっと不思議な出来事もおかしな登場人物も当たり前のように自然になじんでいくその空気。

どこかの誰かがいしいしんじさんの作品を宮沢賢治に近いと言っていた。
たぶんそちらの方が正しい意見だろうなと思う。
でも私は「セロ弾きのゴーシュ」も「銀河鉄道の夜」もまともに読んだことがない。
だからこそ思う。
「麦ふみクーツェ」のそこはかとない哀しみは、
「ホテル・ニューハンプシャー」のどうしようもない哀しみを思い出させるのだと。



とはいえ、
それはあくまでも私の主観だ。
しかも、まだ半分くらいしか読めていないから、
これから先、どんな風に物語がしめくくられるのかも分からない。
哀しみなんて吹き飛ばすハッピーエンドかもしれないし、
ずっとずっと恒久的に、この哀しみの空気が続くのかもしれない。

だから今この時点であれこれいうのは間違ってるんだろう。


今日はこれから読書に戻ろうと思う。

「麦ふみクーツェ」を読みすすめて、また何か感じることがあれば書くことにしよう。
ひとまず今日は、このへんで。


2005年08月16日(火) 五山の送り火。チカチカと光るものの正体

今年もまた、五山の送り火をマンションの屋上から眺めた。
昨年同様知人のお宅にお邪魔し、
片手にビールやチューハイを持っったまま屋上に上がる。

屋上の床はスポンジのようなふわふわとした素材でできていて、
一歩ずつ歩くたびにこころもとない感じがする。

夫やその友人たちは、漫才コンビのTIMのように
全身をつかって「大」の字をつくっては喜んでいる。

私は去年ここに書き記したことを思い出そうとしながら、
去年抱いたのと同じ感想をまた抱いた。
―街の中心からやってくる白いまたたき(カメラのフラッシュに違いない)を、とても美しいと思う。―

部屋に戻ってから、よく冷やされたロゼがおのおののグラスにそそがれ、再び宴が再開される。
その口当たりの良い甘いワインにうっとりし、ホスト役であるご夫婦の手料理に舌鼓をうつ。

それから、
誰かが手土産にもってきたオレンジ色のチーズ。
こちらはしっかりとした赤ワインにとてもよく合う。
塩気の強いチーズ。
なんていう名前だろう?
尋ねるのを忘れてしまった。

おいしいごはんも、おいしいお酒も、魔法みたいに一瞬だけど、
そのチカチカした感じは、さっき見た白いまたたきと同じくらい美しいと思う。

たのしいこと、ゆかいなこと、幸福なことは、
いつもその辺でチカチカ光っていて、
手をのばすとか、見る角度を変えるとかするだけで、
ちゃんと自分のそばにあると簡単に感じることができるもののような気がしてくる。

いつものごとく酔っ払い、
最終の二つ前くらいの電車に揺られて帰ったけど、
帰ったあともなんだかふわふわとしていた。







京都の人は、五山の送り火が終わると秋の訪れを意識するらしい。
翌日から、秋めいた涼しい風が吹きはじめたことも、
また本当のこと。



2005年08月15日(月) 14日〜15日の旅。目的は、日常の延長にある


旅。
旅と日常のさかいはどこにあるんだろう?

14日の朝早くから新幹線にのり、特急きぬに乗って、
鬼怒川温泉へ行ってきました。
夫とふたりだけの旅行は新婚旅行ぶり。

新幹線で2時間半、浅草から、さらに2時間かけて鬼怒川へ。
ほとんどが電車に乗っているような旅で、特別観光もせず、
ホテルで温泉につかり、おいしいものを食べてお酒を飲み、
マラソンを見て眠る。
そんな日常となんら変わりのないような、
ささやかな旅でした。

途中、中国人らしきおばさんと、黒人系のお姉さんに
こちらも旅行者であるにもかかわらず道をきかれました。
それもまた、ひとつのいい思い出。


東京駅へお昼過ぎに到着し、浅草へ移動してから、
ネットで調べておいた店で天丼を食べた。(「葵丸進」)
浅草滞在時間は約1時間だったので、ちょっと急ぎ気味に。
運良く店に着くとすぐに席に座ることができ、念願の天丼を注文。
それから生ビール。
おいしくて、ぱくぱく食べる。
最後の方はおなかいっぱいで、もっと大きな胃袋が欲しいと切実に思う。

鬼怒川温泉では、ほとんどホテルからでることもなく、
温泉とごはんを堪能する。

ごはん(和食の懐石)を食べながら、またビール。それから冷酒。
まわりを見渡すと、家族連れが多く、
けっこういいお年のおじさんおばさんも多いが、なぜか皆洋食を食べている。
テーブルにはワイングラス。

我々と逆でもよさそうなものなのにねぇ。。と言いながら、
牛の冷しゃぶを食べる。
おいしい。
冷酒をくいくいっと飲む。

おなかいっぱいで部屋に戻って、うつらうつらしながらマラソンを見る。
マラソン終了と共に就寝。


翌朝は朝風呂のあとバイキングの朝食で、
ホテルの朝ごはんって好きだ、と改めて思う。

私は主に洋。
クロワッサンと、ソーセージ、スクランブルエッグ。
サラダと果物。それからコーヒー。

夫は和洋折衷。
和(ごはん、味噌汁、納豆、豆腐)+
洋(ベーコン、ソーセージ、スクランブルエッグ、サラダ)
極めつけはオレンジジュース、レーズンバターロール。

「どうして旅先の朝ごはんって食べられるんだろうね。」
なんて言いながら平らげていました。
普段、朝はほとんど食べないのに。


順調にチェックアウトし、また特急きぬに乗って浅草まで戻る。
今度の浅草及び東京滞在時間は2時間と少し。

帰りの新幹線まで、銀座でぶらぶらすることに。
することないねー、暑いねー、といいながら、
本屋で涼んでいると、銀座特集の雑誌が山積み。

何気なくぱらぱら見ると「ピエールマルコリーニ」。
このチョコレートショップってユウさんやのろのろさんが言ってたとこかな?
と思い、夫に話すと、さすが「歩くカーナビ」と自称するだけあって、
地図をみて、すぐそこだよ行ってみよう、ということになる。

本当に迷うことなくすぐたどりつく。すごいね。
で、やっぱりチョコレートショップは並んでいたんだけど、
隣のアイスクリームは並んでなかったので、
暑かったし、中に入ることに。

どひゃー。メニューはアイスとコーヒー紅茶しかないのね。

せっかくなので、私はチョコレートアイスを挟んだチョコレートケーキを注文し、
夫はマンゴーのソルベ(ソルベってシャーベットだよなぁ・・・)とチョコアイスを注文。

一口食べて、「鼻血ふきそー」は私の第一声。
「うわっ。めっちゃマンゴーや。」は夫の第一声。

上質なチョコレートって、濃厚で、カカオたっぷりで、鼻血もの・・・。

食べ終えた後で「あれ?写真とらなくてよかったの?」と夫。
「ああ!食べる前に言ってよ!」とは私。

天丼も、ホテルのごはんも、ちっとも写真に収めなかった。
ここでもまた、おいしいものを目の前にだされて魅了され、撮影せず。

「東京に来てオシャレなもの食べたから満足。」と言ったら、
ものすごくあきれた顔で「なんておばさんくさい発言。」といわれる始末。

この店が大阪にあったら、これ食べる??と夫。
いや、どうやろ。一回くらいかわいいお店やし行ってみようと思うんちゃう。
でも、メニューの中で一番安いやつ頼むんやろ?
ええ?なんでよ、もう。・・・でもそうかも・・・。

なんてくだらないことをえんえんとしゃべる。

お姉さん、お水ください。なんて言って。


狭いお店の3階から下りると、
いつのまにかアイスクリームの方も並んでいる。
タイミングよかったねー。
天丼の時といい、ついてるね。と言い合う。
(天丼も、私たちが店から出るころはすごく並んでた。)



おなかいっぱいだし、ちょっと運動ってことで銀座から歩いて東京駅へ。
意外と近いね。
東京の人は歩かないのかなぁ・・歩くのかなぁ・・・。

お昼いらないかも。といいつつ、
東京大丸の地下でお寿司を買う。
「高菜や」で、黒穴子の一本寿司を購入。
これが当たりで、新幹線の中でうまいうまいといって食べる。
今回の旅で一番おいしいかも???なんて思う。

「キースマンハッタン」で栗のパイ?のようなものも買う。
すごくおいしそうだったので、思わず購入。


新幹線の中で、ふいに、長距離恋愛をしていたら・・・という想像に陥る。
この、新幹線に乗っている間の不毛な時間。
きっと「私はいったい何をやっているんだろう?」と
自問せずにはいられなくなるんじゃないか、と想像する。

それからホリー・ガーデンの、静枝がよぎる。
30歳で、不倫で、遠距離で。
岡山からの帰りの新幹線で、静枝が果歩に電話をする場面。
ほっとしたような、疲労しきったような声の静枝。
それを聞いている果歩。

自分だったらどうだろう?と想像する。
この人でなくてはいけないんだろうか?と何度も何度も問いかけて、
でも今はこの人でなくては、と自分の気持ちにすがるんだろうか。

夫と、遠距離だったらどうだったろう?
そう夫に、実際横にいるので訊いてみたら、
「どうだった・・・って言われてもなぁ。」との返事。
それはそうか。

続かなかっただろうか?
それとも私は、さっさと今の生活を捨てて、夫のそばで暮らしただろうか?
どっちだろう。

今なら、なんとなく、遠距離は選ばないと思う。
側に行くか、きっぱり別れて、そばにいられる人を探すか、
そのどちらかだと思う。
遠距離だけは嫌だ。

そんなあれこれを、ただ想像する。

男友達の彼女が、彼の転勤にひっついて北海道、東京都と
移動している事実なんかも思い出しながら、そのパワフルさにあきれながら、
私ならどうするだろう?と。




で、そんな想像は先程の夫の「そんなこと言われてもなぁ。」で一蹴され、
何事もなく、手土産うはうはで帰宅。

今にいたっています。
旅の終りはあっけないものです。


家にたどりついてしばらくしたら、雨が降り始めました。
今はなんと雷も。
窓がびかびかっと光っています。


そうそう、新幹線での読書は、
いしいしんじ「麦ふみクーツエ」でした。


2005年08月12日(金) いつのまにかものすごくリラックスして


朝、
寝返りもうたずにじっと深い眠りについている二人を横目に、
朝ごはん(いつもの、ハムやソーセージ、いり卵、きゅうりなどの生野菜、
それプラス、トマトのスープ)を用意する。

それらにラップをかけて、梨もむいて冷蔵庫にいれ、メモを書き、
二人を起こさないように気をつけながら、静かに家を出た。
世間はお盆休みに突入しつつあるけれど、今日もお仕事。

電車の中は学生が夏休みに入った頃から徐々にすきはじめていたけど、
さらにがらがら。
席に座って、「ハゴロモ」を読む。


8時ごろ夫におはようメールをするけれど返事がなく、
9時ごろにメールをしても返事がない。
ちゃんと二人は起きて出かけたんだろうか?という不安がよぎる。

でも私と違ってそのへんはしっかりした人なので、
そのまま放っておくことにする。


3時頃に夫から、「朝ごはんありがとー」というメール。
ちゃんと仕事に行っていたみたい。よかった。





夜は何かエスニック料理のような辛いものが食べたいなぁと思っていたら、
夫が「キムチ鍋」を作ってくれていた。
さすが。

おいしいねーと言い合って食べる。

昨日泊まっていった彼はちゃんと出かけたの?とか、
今日は別の知人の家に泊まるらしいので、そのことについてなど、
いろいろとしゃべる。


そしてつくづく、私は夫の前だととってもリラックスしているなぁと思う。
ごはんを食べるにしても、人がいると緊張して、ぼんやりできない。

夫の前だと、あきれるぐらい気を許していることに気付いてしまった。

うーん。
それっていいことなんだろうけど、ダメ嫁まっさかさま・・・なのでは。


2005年08月11日(木) また、京都にかえってくるんだって。

夏休み。

家の中にいても7時をすぎたあたりから急に気温があがって、
だらだらだらだらと、果てしなく汗をかいてしまう。
毎日毎日、
蝉の声を合図に一気にぶわっと夏の一日がおしよせる。


よしもとばななさんの、夏の話が読みたくなる。
「ハゴロモ」は夏の話ではなく冬の話なので。


「ハゴロモ」を読んでいて、
そうだったそうだった、こんな話だったと思い出す。
ばななさんの、いつも人と人との会話から力をもらって元気になっていく、
あの感じを思い出した。
とてもとても弱っているときに、
何気なく笑顔でかわした会話のはしばしから、主人公が癒されていく感じ。

内側に沈んでいくのではなくて、
会話とか労働とか、外に向かっていくことで
エネルギーを徐々に蓄えていく感じ。





京都市立美術館へ「ルーブル美術館展」を観に行く。
地下鉄「東山」駅で降りて、疎水の支流沿いを歩いていく。
空は今日も半分くらい厚い雲に覆われている。

18世紀末〜19世紀初期にかけて、
生きてえがいたフランス画家の絵が多く展示されていて、
光の強弱や柔らかそうな肌の質感などをおもしろく眺める。

この頃の時代の絵に、人間くささや個性などはまだなくて、
宗教画や時事を扱った絵画、肖像画などはどれも
とても美しいけれど全然リアリティがない。
単純に身にまとっている衣装や装飾品に
なじみがないということもあるだろうけど、
描かれている人物のその目に、
こちらに語りかけてくるようなリアリティがない。

絵にまつわる歴史や、描かれている時代の事柄について
あまりに無知なために、ただただ、
筆の跡の全くないようなガラス一枚向こう側のようなその絵画たちを
ぼーっと眺める。
一緒に観に行った父は、いろいろ感想をもらしていたけど。





夜、急遽知人(夫の友人)が泊まりにくることになった。
今日は鶏とごぼうの炊き込みご飯にしようと、以前から決めていたので
その部分のメニューは変えず、それに合わせて晩ご飯は和食でいくことにする。
イカと小松菜の煮物をつくる。
あとは小芋のお味噌汁と、残り物とか(!)納豆を出す。

以前京都にお勤めで、今は岐阜にいる彼が、
また京都に戻ってくることになったという。
まぁびっくり。

まだ京都での住まいも決まっていないのに、
来週17日から働いてくれと言われているらしい。
で、明日は物件探しをするんだとか。


8時半ごろ到着。
ちょっと見ない間にまた少し太ったというかたるんだというか、
そんな体系になっていた。

「運動ぜんぜんしてないからさー」
「京都に来たらまたジム通おうかな」
「またテニスやろうよ、テニス。」

ひとしきり他愛のない話をして、ごはんを食べて、
私は先に就寝。


2005年08月10日(水) 空をみあげて、よしもとばななさん「ハゴロモ」再読中


最近、空を見上げなくなったなぁと思う。
去年の今ごろは窓の外の空ばかり見上げていたのに。
そんな風にふと思ったので、ビルのすきまから空を眺めてみたら、
夕立の降り始める少し前の、むうっとおしだされた灰色の雲が
空にわきおこっていた。

空を見上げる余裕を失わないようにしようと思う。

今年も夏は暑くて、
街の中はエアコンの室外機からもれる熱気と、
車のエンジンが発する熱と、
人と、
そういうもろもろで、とても暑くて、
自分の皮膚の上に体温より高いんじゃないかっていうような
不快な、あたたかい空気がのっかってくる感じとか、
今年も夏は、やっぱり暑い。







よしもとばななさんの「ハゴロモ」を再読しています。
思いがけず、
ぐっとこみあげるものがあったりもして。

主人公の女の子が両親たちのことをこんな風に語るところがあって、

 (両親は)仲がいいというよりも相性がよく、
 自分の幸せのことばかり考えているクールな人同士だったので
 ものごとを深く掘り下げて考えずにすんだから、
 いつも楽しそうに出かけていったのだと


これ、私と私の夫との関係も、まさしくこういうものかもしれない。とふと思う。
口ぐせのように「仲良しだね」と言い合っているけれど、
そしてそれは口に出されるたびに、二人を本当に仲良くさせるのだけれど、
けれどもそういうこととはまた別に、
私たちは本当は仲がいいというより、相性がおそろしくいいのだと思う。
そしてお互いすごくマイペースだから、
自分自身の幸福のことをたぶんきっと無意識に、一番に考えている。

そんな私たちは基本的に、難しいことは考えない。それが共通点。


・・・・そんな思いがふと頭をよぎる。


「ハゴロモ」。とても久しぶりに手に取った。
話の内容をすっかりきれいさっぱり忘れていて、新しい気持ちで読む。

思いがけずぐっとくるところがあったのは、
たぶんさらりと読み流していた部分をじっくり読んでしまったからで、
お話の始まりの部分、
主人公の八年もの長い愛人生活が終わりを迎えたことの説明に、
ひどく動揺してしまった。

いつものくせで、
つい今の夫との生活が破綻してしまった時のことを考えてしまう。
当たり前にあると思っている日々が、唐突になくなってしまった時
いったいどうやって対処していったらいいんだろうと思う。

「ハゴロモ」の主人公はどうやって乗り越えていくんだろう。
時間以外のものに癒されるのが嫌だ、という彼女。
たぶん、よしもとばななさんらしいやり方で、
驚くぐらい粘り強くかっこよく消化していくんだろうな。




2005年08月09日(火) 調味料バトン

のろのろさん、いつもとても楽しみにブログを読ませてもらっています。
今回も、おもしろそうなバトンをパスしてくださって有難うございます。
はりきって答えてみたいと思います。





【質問:次のメニューにどんな調味料をかけますか。薬味はふくみません。 】

目玉焼き→ しょうゆ。
      でも目玉焼き自体を、最近めっきり食べなくなった。
      ごくたまに焼いたら、トーストにのっけてレタスなんかと一緒に
      挟んでぱくりと食べます。そういう時は何もつけません。

納豆  → もともと付いているタレとからし。
      まだまだ納豆初心者なので、応用はあまりしません。
      ごはんに乗せたりもせず、納豆だけむしゃむしゃ。

冷奴  → しょうゆ。刺身醤油とか、生醤油とか、少し濃いめのものを。

ぎょうざ → もともと付いてるタレ。
       無い時は、しょうゆ+酢+ラー油

カレー → 昔、生卵+ソースというのにはまったことがあるけど。
      今はなにもかけずそのまま。

ナポリタン→ そのままで。それ以外に何があるんだろう?

ピザ  → そのままで。辛いのが苦手なので、タバスコはかけません。
      パルメザンチーズも苦手。

生キャベツ → ソース・・・かな。自家製ごまドレッシングもおいしい。
        
トマト → そのままが一番。

サラダ → 我が家には市販のドレッシングがないので、
      基本的にマヨか、ごまドレ

カキフライ → 揚げたてには何もかけない。最終的にはソース。
        
メンチカツ → ソース。何もかけないことも。

コロッケ → 基本的には何もかけない。たまにソースも。

てんぷら → 揚げたては天つゆ。塩。スーパーの安いてんぷらはソースかな。

とんかつ → ソース。はじめから最後までソース。

ごはん(おかずなし) → 調味料は・・・かけないかな。
             おかずなしなら、ふりかけとか。塩ぐらいかけるかな。


【質問:周囲に意外と驚かれるけれど好きな組み合わせ。 】

驚くのかどうか・・・
最近は作っていませんが、豆腐サラダに市販のイタリアンドレッシングをかける、
というのが好きでした。豆腐と、刺身こんにゃくと、大根と人参のうすぎり(皮むき器でスライスする)のサラダ。何かにレシピが載っていて、食べてみるとおいしくてはまりました。


【質問:一般的だけど苦手な組み合わせ】

トマトにマヨネーズ。
トマトの赤い果汁にマヨがまざった時の色が苦手。もちろん味もちょっと・・。


【指令:五人にまわしてください。】 

ああ・・・バトン。。。
どなたか受け取ってくれる方いるかしら?
私もここでゴールかな。








のろのろさん、こんな感じでいかがでしょう?


2005年08月08日(月) 鶏のからあげを揚げながら、遠くに見えるあの花火を・・・

一年前、
テレビから流れる野球中継を横目に見ながら眺めたのと同じ花火を、
今年はからあげを揚げながら、ちらちらと眺めました。

窓枠に切り取られたまだ明るい夕闇の中に、
ぽんぽんと、さーっと光る花火。
昨年はなかった場所にマンションが建ち、少し見えにくくなった花火。

遠くに見えるあの花火に私は。

いろいろと、思うこともあったような気がするけれど。





花火というのは、どうしてあんなに美しいんでしょう。
それが一瞬のひかりだからか、
夜の深い紺色のなかに放たれる輝きだからか、
もう何度も見慣れていて、見飽きてもいるものなのに、
毎年、夏の夜の花火は、美しいと思うし、また見たいと思う。





2005年08月07日(日) 淀川の、大きな花火を眺めて

あーねむい。
今、非常に眠く、ほろ酔いの中で日記を書いています。

今日は、午前中に夫と買い物に行き、
お昼に白ワインをあけ、夫の作ったトマトスパゲティをたべました。
チーズやおかき、焼き茄子やサラダなんかをつまみながら、
至福のひとときでした。
冷たく冷されたワインはおいしくて、くいくいとグラスが空いてしまいます。

二人で一瓶ですが、酔っ払った。







島本理生さんの「一千一秒の日々」読了。
少しずつ読もうと思っていたのに、昨日、
洗濯機を何回かまわしている間の時間に読んでしまった。

恋愛においての愛憎。
その憎の部分は、人の醜いところは、もっと避けられるべきだろうと思うのに、
そこのところも必要な部分として描かれていて、
なんだか居たたまれない気持ちになる。
ああ、見たくない、と思うのに、
ああ、覚えがある、と、思う。

恥ずかしい気持ちになる。

けれど、どの感情も、これが本当なのかもしれない。

今回の登場人物は男の子たちが魅力的でよかった。
「ナラタージュ」の男の子たちは今ひとつ好きになれなかったけど。

けど、それにしても、今ふと思ったけれど、
島本理生さんの小説に出てくる人たちとは、
それが男でも女でも、あんまり恋愛したいとは思わないということに気付いた。
みんななんだかナイーブで、後ろ向きな感じがするからかな。。







淀川の花火を見にいく。

みんな花火が好きなんだなぁと思う。
花火のためにこれだけの人が集まるのだから。

花火。

この日記をはじめてもうすぐ1年がたちます。
どうしてこんなタイトルにしたんだろう?と自分でも不思議だけれど、
花火というもののイメージがもたらす素敵なものに
少しでもあやかれたらと、思うのでした。

淀川の花火へは、「南方(みなみかた)」という駅で下車し、
歩いて淀川の河川敷までいき、
そこでたこ焼きやフランクフルトを食べながら、
もちろんビールも飲んで、花火を眺めたのでした。
とてもとても高い空へ、大きな花火がどどーんと打ちあがる様は
なんともいえず圧巻で、口を開けてぽかーんと眺めていました。

とても素敵ないい夜でした。







銀色夏生さんの「つれづれノート14」を読んでいます。
ときどき出てくる、人間関係についての考察がおもしろく、
あーわかる。そうかも。そうかも。と、思う。

―私のことを怖いと思ったあの人は、私のことが分からなかったから、
私のことが怖かったのだろう―

―私のことがわかる人にとっては、私はちっとも怖くないのだから―


それにしても、銀色夏生さんはどんどん独自の道を進んでいっている。
14冊。ずっと読んできて、最初は憧れが強かったけれど、
最近は、少し心配する気持ちが増えてきた。
大きなお世話だろうけど。




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