遠くにみえるあの花火に
DiaryINDEXpastwill


2005年04月30日(土) それは途方もないことのような


兄の家に遊びに行く。

いつのまにか、兄も家庭というものを持ち、
奥さんがいて、子どもがいて、家まで建ててしまった。

なんだかそれは途方もないことのような気がするのに、
あの兄が、
と、思わずにはいられないのに、
本当にいつのまにか、人というのは、すごいものですね。





私だっていつのまにか結婚していた。
愛する人と暮らしているという、ただそれだけのことだけれど、
その愛する人と、私の親や兄弟が会話をかわしているということが、
びっくりするような、恥ずかしいことのような、
10代の頃には想像もできなかったことで、

結婚とか子供とか、家族って、途方もないことだと思う。

すごい!







それにしても、父がブログを始めたという。
父親と、あまりにも趣味が似通っているというのは気恥ずかしいものがあります。






さて、
「からくりからくさ」、「図書館の神様」読了しました。
どちらも、うんと好みの話で、
言うまでもなくすばらしかったのです。

今は「夜のピクニック」を読んでいます。





ところで今、気づきましたが、少し前の日記で、
小川洋子さんのことを小野洋子と書いていますね。
ファンの方、いらいらしたことでしょう(笑)
ここにお詫びして、訂正しておきます。
ごめんなさい。


2005年04月29日(金) 芦屋、夙川を散歩

セレブ気分を味わおう!ということで、
芦屋、夙川方面へ遊びに行きました。

「meets」という雑誌の「おつかいもん」特集号を携えて、いざ。


夏のようなひざしに、葉っぱの表と裏がきらきら反射して、
川の水面と、小さな子供たちと、素敵なカフェも、みんな輝いていました。

つつじが美しいなぁと、しきりにそればかり思って、
こんなにつやつやしているつつじは、
いつでも見ることができるというものではないはずだと思い、
心に刻むような気持ちで眺めました。



「ダニエル」という芦屋のケーキ屋さんに行き、
紅茶とミントのババロアを食べました。
さっぱりとした柑橘系のソースがかかっていて、
ほんのり後味がミントのババロアは、それはそれはおいしく、
ちょっと今まで食べたことが無いくらいでした。


夙川では、おいしいイタリアンのお店に出会いました。
Tapas」という名の、半地下のお店は、全くの偶然で見つけたのですが、
店員も、お店の雰囲気も、お料理も、
久しぶりに全てに○をつけられるお店でした。







「ダニエル」で注文した水出しダージリンを片手に川べりを散歩し、
夫の左手を軽く握っていると、
その指先の温かさに言いようのないものを感じて、
少し泣きそうになりました。



しあわせと言ってしまえば簡単なのですが、
それは、誰かに「ありがとう。」と感謝したいような、
あまりのことにびっくりしてしまうような、
そのうち罰が当たるんじゃないかというような、
そんな温もりなのでした。


けれどこういったものを、一瞬にしてさらっていくようなことが、
許されるわけがないというようなことが、
25日の事故では起こっていて、
いったいなんだって、と、心臓がうずくのを感じるのでした。








2005年04月25日(月) 材料は、ゆであずきの缶詰とアイスクリーム

そろそろアイスが食べたくなる季節ですね。


そんな一文に誘われて、「小倉アイス」をつくってみました。
つい今しがた、一度目の「冷凍庫から取り出して混ぜる」ということをしたところです。

これは例の「すてきなあなたに」に載っていたもので、
普通のバニラアイスに、缶詰のゆであずきをただ混ぜるだけというものです。

カップ一杯ほどのゆであずきに、本では同量のアイスを混ぜていました。
私はもう少しアイスを多めにして、1:2くらいにしてみました。

まぜて、冷凍庫で冷やして、また混ぜて、冷やして、を
2,3度繰り返すだけです。

それで、いったいどんな風にできあがるでしょうか。
できあがりが楽しみなのです。


今回、生まれて初めて2リットルのアイス、というものを買いました。
「きらきらひかる」の笑子のように、スプーンを片手にがしがしと食べるのも夢ですが、
まずは「小倉アイス」。

おしるこにしようと思って買ったあずきが、
結局使われずに転がっているところでした。


みなさんも、もしお家にゆであずきがあったら
ぜひ作ってみてください。

冬と春と夏をつなぐ、おいしいデザートに、
きっとなるのではないでしょうか・・・?


2005年04月21日(木) ちょっとしたつぶやきとか。(ぶつぶつ)

本のまとめ買いをしました。
数えてみると8冊。

ちょっと魔が差して、ばかばかと買ってしまいました。
うれしい重みを感じながら帰宅。
うはうはと、どれから読もうかなーなんて考えています。

そのうちの1冊は漫画で、「ダーリンは外国人」の姉妹本、
「ダーリンの頭ン中」です。





おもしろいのは、どの本を読んでいても、
一文くらいは「はっ」として、書き記したくなる文があることです。


そういう文章のことはまた、近いうちに触れられたらと思います。







毎日なんとなく充実していて、
そして充実しているとなぜか日記へと気持ちが向かない。
それはどこかで日記が、私にとって自分の内側の空洞を埋めるためのものであるからかもしれないなぁと思う。
ぽっかり空いた穴、とかいうのではなくて、
もっと自分を見つめる、自分と向き合う、自分をよしよしする、
自分を観察する、自分を整理する、自分を認める、
自分を確認する、行為だからかなぁと思う。

充実した日常では、こまごまと動いたりしゃべったり笑ったりしているから、
充足感があって、満ち足りていて、確認しなくてもいいと思える。

日記を書こうと思ったり(つまりは文章を綴ろうと思ったり)ということは、
自分自身に話し掛ける行為なんだから、やっぱり内に向かっていく行為だと思う。
いいか悪いかは別にして。


それでいて、ひとさまの書く日記はいつも私に
知識や元気や癒しや、なんとも言えないふっと和らいだ気持ちを与えてくれる。
私の内に向いた日記も、誰かをふっとさせていればと思う。
顔も名前も知らない、でもよく知っている気がする誰かのために。







なんだか眠くて、頭がぼおっとしています。

学校も、仕事場も、家も、そこにいる自分が納得して
丁寧に心をくだいていることが、大切なのだなぁと思う。

でも、あちらでもこちらでも心を丁寧に、というのは難しいので、
心にも波があって、一定ではいられないので、
軌道修正しながら少しずつでいいよなぁと思う。





大人になって、時間が猛スピードで流れていくようになって、
しょうがないので長いスパンで物事を考えるようになりました。
目標も、1年とかじゃなく、5年とか10年とか。

若いうちは、1年でも長いように感じてしまうけれど、
本当はそうではないのだから、焦らずに長い目で自分をみたらいいと思う。





何を言っているのか、というと、
いろんな人の日記を読みながら、勝手にイメージを膨らませて、
この人にこんなことを言ってあげたいなぁと、思ったことを書いています。

日記って読むだけで返事を書くわけじゃないから、
でも読みながら、こちら側であれこれ思ってしまうから。



いつか、声をかけたいなぁとか。



そんな思いのたけを書いてみました。
なんとなく、語り掛けたい心境でした。



2005年04月16日(土) こういう家に住みたいなぁって

夏の日のような日差しの日。
ひなたは暑くて、はずした第一ボタンからのぞく首元が
強く熱をおびてしまう。


友人の新居にお邪魔させてもらった。
新築マンションの5階で、シンプルモダーンな内装の、
すてきな愛の巣。

部屋のところどころに自作の作品が額に入れて飾られていて、
それがまたセンスがよくてオシャレで、売り物のように完成度が高かった。
紙を切って、立体的に張り合わせたような絵。
幾何学模様のような、ふぞろいの丸が組み合わされている。
すてき。
製作費は1000円くらいだそう。

美大系の人って、自分でなんでも作れるからすごい。
普通に日曜大工みたいなことができてしまう。
うらやましい限りだ。

おじゃまをするからには手土産をと思い、自宅から芋焼酎を、
途中のデパ地下でフルーツのたくさん入ったロールケーキを、買って持っていく。
このロールケーキが当たりで、ものすごくおいしかった。
店の名前を忘れてしまったから紹介できないけど、また買おうと思うおいしさ。
スポンジがほわんとしてて、軽くていくらでも食べられそう。
おいしいねぇと言いながら食べる。
出してくれた紅茶は、私が新婚旅行のお土産にあげたピーチティーだった。
それもいい香りがしておいしかった。よかった。
(でもこの紅茶は日本でも売っていた・・・)


3時間ほどおしゃべりをして帰宅。
夫に駅まで迎えに来てもらう。
なんだか疲れていて、目がしょぼしょぼする。

夫の作ってくれたカレイの煮つけと、私が作った肉じゃがを食べる。
焼きそばとおみおつけも。

最近スーパーに行ったらなすびがたくさん売られている。
なすびを薄切りにして水にさらして灰汁を抜いたあと、
塩もみしてカニカマといっしょに醤油とごま油のドレッシング(箸でよく混ぜ合わせただけ)で和えるとおいしい。
私のやみつきの一品です。
なすびのきれいなものが安く売られていると買ってきて作ります。
あと、友人が訪ねてきた時に付き出しとして出したり。
とっても簡単。


夫のカレイの煮つけは本を見て作ってくれていて、おいしく出来ていました。
私好みの甘い味。
「料亭の味ってかんじではないけど、家庭の味だな。」とちょっと不満気?な夫。

「おいしいよ。」という私。

とりあえず、
そんな感じで、今夜も夜がふけて行きます。

そろそろ本気で花粉症か?
鼻水がとまりません。。。



2005年04月14日(木) 夜の宴のよりそう

春眠暁をおぼえず。
この季節になると毎年口に出す言葉だけれど、
まったくまったく、眠っても眠ってもいくらでも眠れる。

このあいだからの風邪がまだ尾を引いていて、
鼻水がずるるーっとあふれ出てくる、そんな晴天の木曜日です。

今年はお花見らしいお花見(お酒をのんでどんちゃん)を
しなかったなーと思う。

そしてしみじみと、テレビ中継の中の美しい桜が、本当はいちばん
風流なかたちに眺められる桜風景なんだろうなーと思った。
まじかに見る桜は、花びらであり、がくであり、おしべであり、めしべであるから。


それでも、お花見ができなくてなんだか物足りない。
物たりなさはやはり「お酒」の宴的もりあげ小道具が足りないからだろうと
そんなことは百も承知なので、
今夜は甘酒を片手に、ベランダから花見でもしようと思う。

いただきもののよもぎ餅にきな粉でもまぶして、
甘い甘いと言いながら食べて飲もうと思う。

こういうとき、隣にいていつもあたりまえに夜を過ごしてくれる
双子の片われのような相手がいることを、うれしく思うのです。


2005年04月13日(水) パステル画教室のこと/小川洋子さんの「博士の愛した数式」のこと

思いがけず肌寒い日。
ブラウス一枚の薄着で表に出たら、ぴゅうっと春風が吹きぬけて、
なんとなく斜めうしろ45度の空を見上げたくなった。





先日、パステル画教室に行ってきました。
絵を描いたのは何年ぶりだろう?

よくあるカルチャーセンターのカルチャー教室の一講座。
教室はおじいちゃんやおばあちゃんばかりで、
たぶん60歳そこそこの方々ばかりなんだろうけど、
みんなかくしゃくとしていて、「嵐のコンサートに行く」なんて話している。

この講座は特に「初級」とも「入門」とも書かれていなかったから、
もしや・・・とは思っていたけれど、初心者なのは私を含め3人だけ。
授業はいきなり女性のモデルを使った人物画でした(服は着ています)。

せいぜい花とか果物とかを描くのかと思っていたら、
いきなり人物画でした。
高校生の頃に部員同士でクロッキーをして以来の人物画。

デッサンもろくにとれないけど、とりあえず描かなければ始まらないので、もくもくと描いた。
消しては描き消しては描いていく。

ある程度のところで周りをみわたすと、もうパステルで彩色し始めている!
思い思いのタッチで、思い思いの人物画ができあがっていく。
私もいそいで彩色する。
なんだかぬり絵みたいに平面的な絵になってしまう。
難しい。

あいまに先生が手を加えてくれたりしているうちに、
あっというまに2時間がたってしまった。



集中していたのと、前の晩から風邪気味だったことと合わせて、
なんだか頭がぼーっとしてしまう。

絵を描くことは子供の頃から好きで、
小学校低学年ぐらいまでは将来画家になりたいと思っていた。
調子に乗りやすい性質なので、ちょっとほめられるとすぐその気になるから、
もしくは自画自賛的にいけるかも、とか思っていたんだと思う。

絵とか歌とか、国語とか算数とか、やはりちょっと得意だとか、
子供の頃にほめられた経験があるとか、
そういうところから「好き」という気持ちがわいてきて
はじめて「すきこそもののじょうずなれ」に辿りつく気がする。
センスが体の内側にそなわっていないと、
好きになることさえ難しいことが世の中には多いなぁと思う。


画家は断念したけれど(というか一瞬の桜吹雪みたいな夢だから断念も何もないけれど)、
絵を描くことはやっぱり好きで、上手いとか下手とかいうよりも、
自分らしい絵を、自分の思うように、思う様描くのが楽しいと思う。

そして出来上がったものがそれなりに人からも好きだと言ってもらえる絵なら
尚のことうれしい。
それは小説を書いたりこうして日記を書いたりするのに対する気持ちと同じで、
自己満足なんだけど、でもちょっとの欲もある。
表現されたもの、というのは自分自身でもあるわけで、
全く別のものにはできないから(もちろん全く同じでもないわけだけど)
けなされるよりは、好感を持ってもらえる方が、やっぱりうれしい。

次の講習は2週間後。
それまでに、また自分でもくもくと修正しなくてはいけない。




今は小川洋子さんの「博士の愛した数式」を読んでいます。
本の交換会の時に借りたもので、せっせと読んでいます。

物語はおだやかに、しずかちゃんの牛乳風呂のようにやさしく進んでいて、
この親子と博士の生活を眺めていると、
相手と正しく向き合うということの大切さを、せつせつと、
思わずふふと笑ってしまうようなエピソードの合間に感じるのでした。


物語はおそらく、せつない方向に流れていくんだろうと予想しているのでが、
これから先、どうなっていくのか楽しみなのです。



2005年04月08日(金) 島本理生さんの「ナラタージュ」読了

ものすごくいいお天気。
ぷるる ぷるる と遠くにいる彼女に電話をしたら、
電話に出た彼女の声は鼻づまりの声だった。
きっと花粉症でつらいのだろうと想像する。
こんないいお天気で、桜も満開なんだから、きっとたくさん花粉が飛んでいるんだろう。

春はゆううつだと、江国さんが言っていた。
私も昔から春は苦手だった。さびしくなるから。


でもいつのまにか、私は春が大好きになってしまっている。
生命のみなぎる春。
やわらかく、なまぬるい風の、ゆるんだ感じがたまらない。
花屋の店先に色とりどりの花があふれて、デパートの中もパステルカラーに染まる。

いろいろな人たちの、ウキウキした幸福な気分が詰め込まれたみたいに、
春のひざしがそこここにあふれた世界。


日が落ちるのも、日が昇るのも、とてもはっきりと、変化していく。
一日がはっきりと長くなっていく。
遊びの時間の延長をゆるされた子どもみたいに、ぱっと、走り出したくなる。






ああ、やっと一週間を終えた。
否定的な意味ではなく、充実感のようなものを抱えている。

今読んでいる小説「ナラタージュ」が佳境にさしかかっていて、
ぼろぼろ涙をこぼしながら読んだ。
じっと息をつめて、押さえ込まれていたものが、
いっきに溢れて出して、物語はぐんぐん頂点に達していく。

あの、感情を押し殺して淡々と語られていたことの意味は、
このへんにあったのか、と思う。

ひどく感情移入をして、お風呂に入っている間もぼーっとしてしまう。
夫が先に眠ってしまったあともページを繰ることをやめられなかった。

一気に読める小説がいい小説とは限らない、と保坂さんは言っていたけれど、
でもやっぱり、一気読みするほど夢中になるってことも悪くないと思う。



2005年04月07日(木) 春の湿度

島本理生さんの「ナラタージュ」を読んでいます。

この人の書く物語は少女漫画のようだなぁと密かに思うのですが、
でもいつも、ひっそりと森の中で息をひそめているような、
しっとりとした濃霧の湿った匂いに似た文体が、なんだか好きなのです。
実際、物語の中には雨やシャワーや、何かしら湿度を連想させる情景が多いような気もする。

体の内側の湿度。
吐く息のあたたかいしめり気。

物語の中は夏だというのに、(いや、日本の夏だからか)
じめじめした湿気が、多く語られている。


いま、半分読んだところ。
本をぱっと開いたときに、その文字のサイズ(小さい)と、薄さ(なんとなくグレーっぽい黒)に驚いて、
島本理生さんらしいような気が、なんだかしたのでした。








ここしばらく、お仕事が忙しかったのですが、
それが理由で日記を書いていなかったのではなく、
ただ春なので怠け者を再発していただけのような気もします。

昨日は夫のくまたろうに連れられて、夜桜を観に行きました。
ライトアップもまともにはされていないような、小さな町の小さな桜並木だったのですが、
それでも缶ビールを飲みながら夜道をぶらぶらしていると、なんとなく幸福なのでした。

久しぶりに二人きりで居酒屋に入り、ひとしきりしゃべりました。
「三代の松」という名の栗焼酎があったので、珍しいと思いそれを頼みました。

栗、の風味はあるようなないような。
一口目だけ、ほんのり甘みがある気がしましたが、
あとはただ強いお酒だ、という印象でした。

思いの他酔いがまわっていて、二人でちどりながら家路に着きました。








春の雨のしめり気と匂いがなんだか好きで、
このいい香りのする季節を楽しみながら日々をおくっています。


豆ごはん |MAIL

My追加
素材提供