今日も戯言
DiaryINDEX|past|will
出席不足で単位が来ない可能性が高い授業が目白押し。せめて4回出てれば単位はできるだけ差し上げますといわれても僕はしっかり3回しかでてないわけで。
そういえば昨日書いた例の発表。僕だけじゃなくて他の班もやったんだが、参考資料に赤旗とか聖教新聞とかあげるのはやめてくれ・・・。素人にはお薦めできない。つーか玄人にもお薦め出来んぞ、授業で使うのは。
あとはまあなんかいわれたときに瞬間的にうまい答えを返せるようになりたい、というのは前からか。
韓国と会談して結局物別れ。茶番もいいとこ。初めからやらなければいいのに。
少しそれと関連して、以前も書いたが明日発表なので歴史教科書について。 ある特定の人達は中韓がいちゃもんをつけるから教科書を変えようという。そうすればこれからの国際化社会に必要な国際調和が生み出せる、と。これはマジな話で、しかも教師になるための授業でそういうことをいう学生が少なからずいて、こいつらは赤いのか頭が弱いのか、いずれにしてもやばい人たちだと判断した。
これは靖国以上に重要で象徴的な問題であって、日本の次世代を担う人材を育成する根本基盤である教科書をなぜ外交的・政治的駆け引きに使い、他国(まして・・・)の影響で変えねばならない? それがおかしいことがなぜわからない? こんなことをいう人たちの家はきっと朝日新聞でしょうね。
ということを発表でぶちまけてこようかと思ってます。
こういう問題で中韓と争うのは経済関係を損ねるという意見もよく聞きます。もっとも品質が悪いことで有名でなおかつ賃金も上がってきて、さらに著作権無視のパクリがお家芸である国と経済関係を作ることがどれだけ重要なのかは寡聞にして知りませんが。
それにこういう実利のない国家のメンツ争いができるのはやっぱり国家自身でしょうから、その意味では国家の最重要課題の一つでしょうね。少なくとも郵政民営化よりは。
2005年06月20日(月) |
後輩I&Mコンビの二の舞 |
我ながら信じられないんですがね。
起きたら4・5限の試験をぶっ飛ばしてました。たしか徹夜でレポートやって11時くらいにまさか試験じゃないよなと思って友達に確認したら実は試験で・・・というところまでの記憶はあるのですが。 さすがにこの授業まで切るつもりはなかったんで単位計算に若干の支障をきたしそう。Xさえこなければ2学期以降挽回できるんじゃないかと踏んでるんだがどうか。
とりあえず徹夜の成果かレポート1つは書き終えた。まあいい出来だと思う。試験2つ分の価値があるかどうかはともかくとして。
そういえば特にレポートしながらサッカー・F1・ゴルフを見たんだが意外にもにもゴルフが一番面白かった。ほかの2つは完全BGM。ゴルフの優勝シーンはちょっと感動してしまった。
念願の焼肉に行ってきた。そろそろ試験だったりするので自然とそういう話をするわけだけども、一緒に行った2人の授業行ってない自慢にはさすがについていけなかった。いや、お前も行ってないだろという意見は至極もっともであって謹んでお受けするが、さすがに
「この2週間まったく学校行ってない」
といわれれば黙って白旗を振るしかない。 人事ながら彼らの今後が思いやられる。
来週の金曜までにレポートを3本書かなくてはいけない。そのうちの1本はゼミレポート。さすがに厳しいが、といってあまり深刻になることもないか。いざとなれば締め切りなんてぶっちぎっちゃってもいいんだし。 まあ切羽詰っても楽しくないしね。楽しくなければ学問をやる意味はない、とはしつこく教授にいわれることでもあるし。最近楽しいと思えるときが増えてきた。嬉しい。
とある授業の同じ班の人から来週発表のためのまとめをメールでもらうことになってたんだが、エラーが出て受信できない。Yahooめ・・・役に立たん。僕は彼の連絡先を一切知らないし、彼が電話してきてくれることを期待するしかない。というかそうでないと困る。 もっとも、一番困るのは来週この授業を絶対にさぼれないという事実だが。
どんな授業だったかといえば「日本は歴史教科書を変えるべきか否か」について。一言で変えるといっても今が愛国心が育たないから育つようにしたいのか、日本万歳すぎるから中韓マンセーにしたいのか、あるいはその辺を超越して別の変え方をしたいのか、それが明確でないから議論も成立しない。 まあそれだけ多くの意見が聞けたのはそれなりに興味深い。
要はその程度のことも一致していないほど話がまとまっていないということだ。こんな状態でどうこうしたって意味はないだろうし、結局現場の教師次第ということになるんだろうね。それがいいのかどうかは知らん。
個人的には中国だの韓国だのには逝ってもらってよろしいんですが。
日日学類の「日本の政治と社会」なる授業をとっていたんだが、切った。先生が日本中世史の先生でわりと楽しみにしていた授業だったのに、その内容はといえば史料を読んで書き下すだけ。僕にとっては当たり前のことでも日日の人には難しいらしく。出てても面白くないし、イライラするし。
そもそも漢文を読むっていうのは現代文に直すのが目的ではなくて、そこからさらに中身を考えるのが大事なのに・・・。高校の古文やら漢文の授業でも同じことを思ったけどね。
そういえば火曜日の発表は来週に延期になった。ああ、めんどくせぇ・・・
明日発表のレジュメは昨日1日で書きあげた。正直いってやっつけ仕事な感は否めない、かもしれない。
メインの参考文献に中村吉治『日本の村落共同体』(日本評論社、1957)を使ったんだが、全然史料が出てこなくて困った。それは彼が社会経済史の人だからかもしれないが、史料的裏付けがないといまいち信憑性に欠ける、というか居心地が悪い。
で、レジュメを書いて思ったこと。僕は地方政治とかについての興味はあるけど、それは「中央と対置される地方」であったり「全体の中での一要素としての地方」に興味があるのであって「地方そのもの」には大して興味がない、ということ。奥州藤原氏にしても一番関心があるのは中央政府との関係性。それに改めて気づいたような。はっきりいえば村落共同体なんてくそくらえだ。こんな機会でもなければやることもなかっただろうなあ。
2005年06月04日(土) |
電気をつけたまま寝たのは久しぶり |
昨日の発表はまあまあよかったと思う。ただ、自分ならこういう突っ込みするっていうのに対して答えを準備しておいたのにそのほとんどが役に立たなかったのは残念。というか、正直いってこいつらあんまりやる気ねーんじゃねーかとは思って少し苛立ち。一方で人の質問のおかげで新しいインスピレーションが生まれたりもしたけど。
その後、家に帰ってから部活でも行くかと思ってたんだが、帰った瞬間に寝たらしい。起きたら日が変わっててびっくり。まあいいや。
レジュメ一応完成。 自分で言うのもなんだが、前日に印刷まで終わってるなんてはっきりいって奇跡だ。いつもは当日の朝に打ち終わって印刷は発表1時間前、みたいな感じだからね。もっともこいつが終わっても火曜も別の発表だからそれの準備をすぐにでもはじめなきゃいかんわけだが。
しかし実際のところ、レジュメを作るのはしんどいけど、それができてから発表までの間は実はけっこう楽しみだったりする。どんな突っ込みが来るかとか、こういうことをいわれたらこう返そうとか、そういうのを考えて準備するのは面白い。自分の思いつかなかったようなことをいわれることも多いわけでそういうのもまた。
もちろん現実に「答えに窮するような質問」をもらった時はそんな余裕はほとんどないんだけれどね。
|