けろよんの日記
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2023年04月23日(日) マリー・キュリーの感想と派生

・工場の工員に健康被害が起きてバタバタ倒れるけれども
 会社は止めない、というあたり「ファクトリー・ガールズ」に似てる。
 来月「柚希礼音」「ソニン」で再演なのでまたみて、見比べたい。

・ラジウムガールズ、実際にアメリカであった話らしい。
 工場を相手取り裁判を起こしたけれども、裁判の途中でバタバタ
 みんな死んでいったという。が、勝利を勝ち取って労働と健康という
 側面で多いに進歩を促したとか。
  一人そこそこ長生きした人はラジウムを使った後からだが光るのが
 嫌で、できるだけ口にしないように気をつけていた。という話があり、
 アンヌちゃんも前に勤めていた工場での経験から、何かしらの対策は
 とっていたのかも知れない。(なんでこの子だけ生き伸びてるの?という疑問
 への回答。)
 大量にラジウムを使用する仕事をする男性には鉛のエプロンが与えられていた、
 という話はとことん辟易。
 (但し、少量のラジウムは身体にいいとされていたとのこと)
 物語の終盤でなくなった工場の工員にも一人一人名前があって
 それぞれに夢や希望がある、ということを示していたシーンはとてもとても
 よかった。
  そして同郷の人間としてマリーのことを私たちの星と讃えてたんだが、
 間接的に自分達の死の原因を作り、分かっていながら止めてくれなかった
 人にそう言えるものなのか?
  ほんとはそうじゃないし、どれだけラジウムの研究で成果を上げても
 その人達の命は取り戻せないと思っていたから死の床にあってもマリーは
 苦悩していて娘が憤るような死の広告文を出そうとしたんじゃないか?
 個人的に劇中で許してくれるのはアンヌだけでよかったような気がする。

 ・劇には出てこなかったマリー・キュリーの次女のエーブは
  父・母・姉・義兄・夫(平和賞)がノーベル賞を受賞してて
  家族の中でノーベル賞を取っていないのは自分だけ、といっていたとか。
 
・劇中でラジウムをガン治療(特に皮膚系効果)とあり、
 実際どうやったんだろう、、とそんでほんとに効果はあったのか
 放射線治療???と不思議。劇の途中では視力まで取り戻してたから
 ほんまか? と思った。

・女に次の機会がない。
 出世した女性に対する目の厳しさというのもあると思う。
 以前身内が会社の女性役職者が仕事ができないとぼやいていて
 だから女性はみたいなこと言い出したので、そうは言っても
 ずっと上司に恵まれなかったとあかん上司列伝が続いてたやん。
 つまり女性役職者の数が少ないから1人や2人あかんと全てが
 悪いになっちゃうんだよ、と言ったら納得してくれて、
 どんだけ上司に恵まれてないんだよ、と苦笑した思い出。

 ついでに言うと一回上に上がった女性役職者はとにかく
 あちこちに呼ばれまくってるイメージ(例えば弊社の取締役とか社外も社内も)
 そんで、ジョブホッピングしているイメージもある。
 1人の人を便利に使い倒そうとするんではなくて広く人材を求めて
 チャンスの欲しい人にチャンスをあげて欲しいなと思う。
 そうなると男性側のパイが少なくなるから増やさないのかな。

・ラジウムによって死んだ人は梅毒で死んだとされて、
 娼婦のようにふしだらであったと名誉が傷つけられた。
 不当におとしめられた。と。
 それに対して、そういう書き方は娼婦をおとしめているし、
 梅毒はいままたはやっているし、実際にかかって居る人がみたらどう
 感じるだろうという感想をTwitterで散見。確かに。
 ふしだらであること、梅毒であること、それは罪なのか
 おとしめられるものなのか、という疑問。
 


2023年04月18日(火) 笑の大学

「笑の大学」
作・演出: 三谷幸喜
出演:内野聖陽 瀬戸康史
於:4月15日(土) 兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール

昭和15年。日中戦争の真っ只中。
警視庁検閲係・向坂睦男(さきさかむつお)と劇団「笑の大学」座付作家の
椿一(つばきはじめ)が、1冊の脚本を手に取調室の机に向かい合って居る。
非常時においてふざけた芝居は上演させられないと検閲が行われている。
国体にそぐわない表現を容赦なしに排除せよ、書き換えろと
無理難題を要求する検察官とあくまで真正面からの書き直しに
挑戦する脚本家のやりとりは意外な方向に向かう・・・。

検閲官に内野聖陽・座付き作家に瀬戸康史を迎え、三谷幸喜自身の演出で
四半世紀ぶりの上演!まさかの4列目のというプラチナチケットを手配いただきました。ありがとうございます!

 世相は暗いし、設定も陰湿。三谷幸喜といえど、これは笑えるのか???
小首をかしげながら席についたが、会場前の三谷幸喜のアナウンスで
速攻笑ってしまう。それから1時間50分ノンストップ。爆笑につぐ爆笑。
かつてこんなに笑ってしまう舞台をみたことがあっただろうか、、いやない。
脚本はもとより、それを再現する俳優お二人がすごい。

 向坂役の内野さん、なんだか体形まで変わったように見える、、
身体がずいぶんぶ厚くスリーピースの背広に筋肉が満ち満ちている。
最初の5分で、四角四面でガッチガチ。
あ・・・この人ものすごくメンドクサイ人だ(笑)
とは思いながらも、さらっと出てくるプライベートがキュートで
人間味を感じる。(最貧前線とは全く違うタイプのおじさんなんだが)
そして愛妻家っぽい。

椿役の瀬戸さん、なにこれめちゃくちゃ顔ちっちゃ、顔綺麗、スタイルよい、
フェアリーなのかな???
愛想はあるけどトキューサから天真爛漫さを抜いて、もう少し強かな感じ。

 三谷幸喜の脚本、自分にはめちゃくちゃ面白いときと、イマイチ冗長かなと
感じる時があるんだけど、今回は鎌倉殿に続き前者。
思うに、三谷節のしつこさとシェイクスピアなみに回りくどい台詞を
どう演出するか。役者さんがどう演じるかのニュアンスで随分見る側の
印象が変わるのかなと思う。

例えば、台詞の間であったりスピード感であったり、表情、仕草。
今回のように2人しか登場人物がいない場合、
全くごまかしが効かないわけで、、、。まことに役者を選ぶ脚本である。

年齢も性格も目的も全く違う2人が一つの脚本に頭をつきあわせて
あーだこーだしていくうちに脚本がどんどん面白くなってしまってしまう
その過程に笑い・笑い・笑い。
2人の関係性もずっと親しく近しくなるが、気をゆるした脚本家が
「この書き直しは、国家の検閲に対する自分なりの反抗だ」と
打ち上けた途端、ほぼ気のいいおじさんになっていた検閲官が
すっと我に返り、
「この脚本から笑いの要素を全て排除するように」(喜劇なのに!) 
と再び国家権力の仮面を被ってしまう。

気の良い個人が国家権力の名の下に無慈悲な業務を黙々と遂行する怖さ。
この恐怖は決して戦時だけの話ではない。

一方、別な感想としてこのシーン、
向坂が自分のアイデンティティ
(笑いを介さない男、四角四面、検察官としての矜持)
を崩壊させられる男の最後の抵抗だと思った。
自分が全く不必要なものだと上からみていた
「喜劇」「笑い」にいつの間にか夢中になって取り込まれているのだ。
自分は翻弄されていたという自覚に
驚き・怒り・恥辱の気持ちでより厳しい態度で「笑い」をはねつけたように
見えた。

 最終の脚本の訂正は椿の最高傑作として、向坂の最後の牙城を崩したが、
時は既に遅く、椿には赤紙が届き上演は叶わなかった。
なんたる皮肉、そして喜劇は一転して悲劇になる。

この瞬間に向坂は不要なものを全て脱ぎ捨て一個人に戻った。
椿に脚本へのサインをねだる姿は推し作家へのファンのそれにしか見えない。
愛らしく、微笑ましく、そして悲しい。
「この本をなんとしても上演する、だから必ず生きて帰って来て欲しい」と
ファンとして渾身の思いを捧げる。
(すごいファンレターならぬファンワード)
そのためには「戦場では笑いなど考えてはいけない」
と戦場を知る男の凄み。
緩急ないまぜの演技の幅がえげつなく広い。
全てを諦めた椿の投げやりな様子も、向坂の言葉に喜びを隠しきれない。
屈指の名場面に全会場の観客は「椿帰ってこいよ!」と同調していただろう。

脚本家である三谷幸喜は、「この芝居を制限の中で何かを作ること」
ということが本題だとどこかのインタビューで、見かけたけれども。
その何倍もいろいろな意味を持つ舞台だ、と思わされました。

ほんとにいいお芝居を見せていただきました。感謝です!


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