けろよんの日記
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「ザ・シークレット」ロンダ・バーン/角川書店 確か数年前に流行ってましたね。この本。 図書館の棚にあったので手にとってみました。 要するに 成功する人たちには共通する「秘密」がある。 それは「引き寄せの法則」というもので、 ・人のもつ願いを既に実現したものとしてみなすこと ・願い事はポジティブに願うこと。 (失敗しませんようにと願うと失敗を引き寄せてしまうので、 「成功する」と思うこと。) ・感謝の気持ちがベース
ということらしいです。 うーん? しばらく前に読んだ 「宇宙に上手にお願いする法」ピエール・フランク/サンマーク出版 とほぼ同じこと書いてます。 読んだことないけど、「思考は現実化する」とか、 その他のちらっと読みかじった啓蒙本、 成功本と共通するであろうものが沢山あると思います。
「自分の欲しいものや状態が既にかなったと考えてポジティブな 波動を発生し宇宙と共鳴させる?する?ことによって現実化する。」
でもってもう一つ思い出した本が、某所会員さんなら皆さんご存知。
「運と幸せがどんどん集まる「願い事手帖」のつくり方」 ももせいづみ/主婦の友社 ですね。これも引き寄せ本ですわ。
但し、願いを手帖に書き込むという作業や、 すぐ叶いそうな小さな願いごと 例えば「マンゴープリンが食べたい」とかねw を混ぜることによって、実現性を上げて引き寄せ能力を訓練する。
こちらは富士山登山くらいの課題をブレークダウンして、 近所の100m級の山のトレッキングくらいから始められるようにした、 ある意味実用(!)本と言える。 別の言葉で言い換えたら、ESPとか魔法でまずは軽いものを 浮かせてみよう!みたいな感じ。
結構は花丸ついてます。私の手帖。(叶いそうなもの沢山書きましたが)
とはいえ、 現実の自分のないものに対してあるように振舞うというのは 非常に根性がいることではないでしょうか? 「そんなことあるはずない、できるはずがない、ありえない」 という思いは実に簡単に 思考に入り込んでくる。 その願望に対する思い入れが強ければ強いほど自分で自分を マインドコントロールできるぐらいのものすごい気合か、 危ない人スレスレの思い込みがいるですよ。きっと。
でもまあツラツラ考えるに、 願いは何かと考えることって大事ですわね。 自分にとって何が気持ちのいい状態なのか、 どうありたいのかということを突き詰めて 考える機会を持つということです。
欲しい、手に入れたいと具体的考えることによって アンテナが張られて結果的に手元にくるということも あったりするし。
こうである自分(ポジティブ)は想像しづらくても、 こうなっちゃった自分(ネガティブ)を考え続けないと いうのはある程度コントロール可能ですし、 精神衛生上にもよさそうです。
というわけで私もバンバン精進して 願い事をどんどん叶えていこうと思います。 まずは来月のオフを貸切人数の8人でばっちり楽しい新年会の宵。w
【追記】 ザ・シークレットに続いて宮本輝の「にぎやかな天地」 を読んでましたらば、登場人物に 自分の願いを叶った姿を想像することでほぼ願いをかなえていくという女性が出てきました。 びくーり!!! これってシンクロニティとかいう奴かしら。
あと、関西が舞台だから当たり前といえば当たり前ですが 縁のある地名「和歌山市駅」とか、京都とか、滋賀がバンバン 出てくるし。
ちなみに小説冒頭にかの料亭「播半」の建物についての描写が 結構長く出てきます。 (主人公の実家が甲陽園付近なので) とても興味深い建物だったようでお料理も含めて行ったことがないのが 返す返すも残念です。
明け方急に閃いた!
父と娘とその恋人との三角関係である。 という林望の主張。
それを読んだ際に考えた親子関係ってのが私の場合 まずフツーの父と娘だったのだわ。
なので、 クリスティーヌのあちらとこちらにフラフラする 感じが納得できなかったのだった。 (自分にとって父は父であり 恋人に代わるものでは全くありえなかったので。)
そもそも前提条件が違うんだっ!
音楽の世界での圧倒的な指導者、 オペラ座の影の支配者かつ少女の庇護者として 君臨する怪人。 (きっとクリスティーヌに意地悪した同級生や先輩なんかは クリスティーヌが気づかぬ間に不幸な目にあったに違いない。)
絶対的な支配力をもっていた。 また、その美声や天才に魅了されてもいたに違いない。
しかし、7歳でその世界が崩れ去ったとはいえ、 クリスティーヌには無償の愛を捧げてくれる父の存在も しっかり根を張っていて。
(仮)父として恐れながらも慕っていた怪人の 次第にエスカレートしていく狂気変貌に おぞましさを感じつつも、支配されていた記憶に 動かされて戻らずにはいられない。 婚約を隠したいという気持ちも (仮)父にみつかれば何をされるか解らないという恐れから。
クリスティーヌの側からすれば これは(疑似)近親相姦の匂いがする。
「高校教師」の世界やん! 父娘は父娘でもいびつな方だ。 クリスティーヌと怪人の間には性的関係はなかったであろうけれど、 ラウルの出現による嫉妬でさらに狂った怪人が 身も心も我が物にしようとする。 終局的には結ばれるかもという前提でのあのセクシャルさだ。
親子であって親子ではない疑似関係が 三角関係にさらに捻れを加えるのだ。
なるほど。
謎はすべて解けた!(嘘)
2010年12月17日(金) |
オペラ座の怪人(金曜ロードショー) |
ラウル(俳優さんの名前忘れてる!)のもみあげと ジェラルド・バトラーのややかすれた声で歌う歌と エミー・ロッサムのお口ポカンが嫌いだったわー。 ということをさっき思い出したー!
童顔で清純派な顔をしているのに、 細いウェストと丸みのある乳をやたら強調する 衣装がなんかとあるタイプの男の萌えや妄想満載って 感じですっごい厭だ。 あの白いタイツとの組み合わせなど、もう、、。
もとい、本題。 クリスティーヌって超ファザコンなんだーー!!! って気付いたの今頃かよ。 って突っ込みはさておいて。 教師として指導するファントムに父を重ねてたのだな。
安らぎ・安定・無償の愛を提供する存在として 父の存在を求めていたのか。
さらに今更のようにファントムの狂人さが 目に入った。 虐待されたこどもが大人になって可憐な少女に 歪んだ愛情を注ぐ。
それから最後のシーン。 あれはもしかしたらファントムへの愛情というよりは、 むしろラウルへの愛情の形。 どこまでも憎んだ相手でも愛するラウルのためならば 身を捧げる。 という圧倒的な力にファントムは敗北を悟って引きさがるのか。 ラウルも命を惜しまない。 (そういえば映画では「僕をみすてろ」という台詞を 「僕をみすてるのか?」ととんでもない誤訳がまかりとおっていて 目を疑ったもんだが。あの時に比べたら戸田奈津子訳減ったよね?)
今回は劇団四季が吹き替えだったので、 台詞がほとんど四季版のもので変更がなかったようだ。 アンサンブルのところも画面の右左上下をうまくつかって 歌詞がながされていたので、いまさらながら こんな歌唄ってたのかー!と目からウロコボロボロだった。
後冒頭のマダム・ジリーがメグ・ジリーだということを 初めて知った!
そんで、見世物小屋のシーンって映画公開時あったっけ? と首をかしげたのでした。 まあなんといっても5年以上前ですしな。記憶不鮮明。 (2005年2月だった。)
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