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「新撰組!」とうとう油小路。 藤堂平助の最期。
だいたいにおいて、大河ドラマは歴史ドラマだから、 ストーリーはわかっている。 だから、油小路のことも、結末は知っていたわけで。
だけど。やっぱり悲しい。 中村勘太郎の藤堂平助は、平凡で、優しいやつ。 斬り込み隊長だったらしいけど、そんな雰囲気はなく、 どっちかというと後ろから尻尾振ってついてくるような感じ。 争いごとは避けたいっていつも思っている。
その平助がかつての仲間と今の仲間の狭間に苦しんで、 最期には自身の義を貫いて、絶対にかなわない相手に向かっていく。 このときの勘太郎の形相がすごい。まさに鬼の形相。 心が泣いている。
あまりに平助がぽーっとしていて、 頼りなさげでどうなのよ、って思う面もあったけど、 この最期のシーンを観れば、勘太郎しかできなかったと思えた。 さすが、歌舞伎役者。 どんなジャンルでも本物の役者はすごいものだと思ってるけど、 着物の所作とか、この表情や心の表し方は、やっぱりさすが。
話の中身はまったくダメダメだったけどね。。。 (頼むよ、三谷さん!)
似て非なるもの。 〈〉と<>。
不等号が、括弧になんてなりえないことくらい、 わかろうというもの。 素人なら別にいいけど、 それを扱うのを生業としている人ですら、 十中八九間違っているのは、なんで?
電話をするのは苦手だ。 とりたてて用もないのにかけるなんてできないし、 用事があっても、なんとかかけずにすむ方法はないかしらと思ってしまう。 (ついでに言えば、メールも苦手だ)
けれど、今日は違った。 会っていたときは、きちんとお祝いを言えなかったような気がして なんとなく気持ちの高揚も手伝って、 すんなりと指が動いた。
おめでとうとありがとうをくり返すだけの、たいした会話じゃなく、 けれどそれだけで、向こうが喜んでくれたのもわかって、 うれしくて、うれしくて、あったかくなった。
2004年10月14日(木) |
それにしても、熱燗が飲みたくなる(川上弘美『センセイの鞄』) |
川上弘美『センセイの鞄』読了。
こんな関係が、本当にあったらいいのにと、うらやましく思う。 しかしまた、本当にあったら、たいへんかもしれないとも思う。
人が、人として、なにか物理的なところを超えたところで、 通じ合っているという感覚。 通じ合うというより、感じ合うという方が近いか。
最終形として、「正式なおつきあい」をすることになっても、 男と女を意識するようになっても、 やはりそういったものを超えたところに、 二人の意識があるのだろうと思うのだ。
***** 読み終わったのは、本当はもう2週間くらい前なのだ。 小学校に、「初めての感動を大切に」が口癖の教師がいたが、 「新鮮な感動も大切に」と思う今日この頃。 読みたての勢いで書いてしまうのが、 なかなかに楽しいものだと、気づいたというのに。
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