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新しい日記でリスタート。
日記はおまけのつもりだったのに。 ほとんどここしか更新していない(しかもサボリ気味)。 いいのか、そんなんで? いや、いいかあ、別に(葛藤)。
おいおい、過去の日記もこっちに移植しようかなあ。
目下のところ、歯科での愛読書は「ブラックジャックによろしく」(置いてあるから)。
ストーリーがちょうど外科編のクライマックスで、思わず泣きそうに。 待合室で、何食わぬ顔して読み続けるのにかなり苦労してしまった。
末期ガン患者にとって、「死とは?」がテーマで、 「生きることだ!」「だって、生きたいでしょう!」と主人公は叫ぶ。 たしかに、そうだ。 よく「死に向かって生きている」とか「死ぬために生きているようなもの」とか言われるけれど、「生」と「死」は表裏一体。 死んでなければ生きてるし、生きてなければ死んでいるんだから。 「どんなふうに死ぬか」は、結局「どう生きたか」なのか。
医学の進歩は喜ばしいことなんだろうけれど、 それが故にきっとこういう問題も増えていくわけで。 難しい。
その前まで読んでいたのは、「ブラックジャック」だった。 他にも、病院や医者絡みの本がたくさんある歯医者だ。 病院に、この手の本がたくさんあると、なにやら逆説的なものを感じてしまう。 もしくは、それだけ自信もあるぞ、とも読み取れるけど。 (いや、たぶん、そんなふうな深い意味はないんだろうけれど)
「Dr.コトー診療所」も置いてくれないかなあ〜。
2004年07月07日(水) |
泣かないために描く(見えないものを見る) |
『見えないものを見る──絵描きの眼 作家の眼』読了。 絵描き=伊勢英子、作家=柳田邦男。
「ものを見る」ということ。 ただ漫然と「見る」のではなく、「捉える」ということ。 しかも、「本質を捉える」ということ。 本質と言っても、その人によって異なる。 実は、「自分にとっての真実を感じ取ること」→「自分を見つめ直すこと」なのだと。
そう。『はじまりの記憶』へ繋がっているのだ。
伊勢さんは、やっぱりすごい。 極限まで、追い求めようとする人。 自分を許そうとしない人。 その精神エネルギーはどこから湧き出てくるのか。 わたしなんか、すぐに妥協してしまうのに。
「泣かないために描いている」というところ、鳥肌が立った。 しかも、それでも泣いてしまったとき、悔しい、というのだ。 自己の精神の昇華見たいのが、絵によってなされているのだろうか。 それさえも超えて、あふれ出てしまう想いってどんなものなんだろうか。 そんな体験を、わたしもできるときが来るだろうか。
来週は、参議院選挙だ。 普段、あまり真面目に政治のことなんて考えていないけれど、 投票に行く。 今のところ、欠かしたことはない。 でも、つい口をついて出る「どうせ誰が当選しても一緒」。
それって、本当に? 「どうせ一緒」なのは、自分なんじゃないの? 「どうせ、何もしない自分」 「どうせ、何も期待していない自分」 「どうせ、諦めている、自分」
政治に限らず、ごく身近にも、 諦めモードがはびこっている、この頃。 少々飽きてきたよ、この状態に。 行動しないうちから、諦めちゃって、 変に考え深くて、まるで批評家みたいに理論武装して、 でも、肝心なときにそれを発揮しないで、 陰でぶちぶち言っているばかり。 なんでもかんでも、マイナス方向に決めつけて、 悪い方に悪い方にと、邪推して、 なんでもないことを変にあげつらって、あざ笑って、 ヒガイシャ意識で、傷なめあって、 結局、疲ればかり、溜め込んでいる。
だから、なんなんだ? 暴れろ、とか、波風立てろ、とかってわけじゃないけど、 なんか、もっとやってみても、いいんじゃないの? ねえ?
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