遠雷

bluelotus【MAIL

アルコール
2005年01月09日(日)

不思議なことに、お酒をあまり飲みたいという気になりませんでした。特に嫌いでもなく、弱くもないのですけれど、人と一緒に出かけても軽くビールを飲む程度で、家で飲んだりということも全然しなくなりました。

唯一私が意識を失ったことがあるのはHの部屋で飲んでいたときだけです。目が覚めたとき、私が死んじゃうかと思ったとHは泣いていました。思い出しました。そんなことがあったから、死なれたときの私の気持ちがHにもわかっただろうと安心していた部分があったはずです。

外で一人で食事をしていても、ついでにビールを頼むくらいのことはできます。一人で外でバーなどでわざわざ飲みたいと思ったことが無いのでしたことはありませんが、行こうと思えば行けると思います(ただ、行きたいと思う店が近くにないので、出不精でもある私はわざわざ行こうという気になりません)。Hが一番好きだったバーに一度は行かなくてはと思っていますが、まだ行く気にはなれません。第一、女一人バーで飲みながら泣きでもしていたら、いかにも訳ありげで嫌らしい。

でも、今日はなんだか飲みたくなりました。けれど冷蔵庫にビールの小さい缶しかなく、中途半端には飲みたくなくて開けませんでした。明日、何か買ってこようと思います。きっとそこでまた、あの銘柄にはあの思い出がとか、このウィスキーが、そのジンは、などと見比べながら思い悩むことでしょう。

飲んで喧嘩になったこともありました。ぐるぐる歩き回ったあと泣きながら言い争ったその場所は、職場の窓からよく見えます。お互い前職にいるときに仕事に悩み、珍しく酔って熱く将来の夢を語ったこともありました。

昼間の明るい時間に、公園でビールを飲むのが好きでした。黒ビールにはまって、待ち合わせのカフェでお菓子をつまみにギネスを飲んでうれしそうにしていたのも覚えています。

部屋のインテリアを考えているときに、プライベートバーを作りたいと言って、ふたりで色々アイデアを出しあったこともありました。そのバーの飾り用にと私が持って行ったミニチュアの洋酒も、私専用ボトルキープだからと買っておいたジンも、料理用にと隠しておいた日本酒も、いつのまにか飲み尽くしていました。私が怒ると、なんとか言い訳をして取り繕うと必死で。

私に対するプレゼントを買うこともままならないから私があげても負担だろうし、せめて殆ど経験がないと言うコテコテの誕生日らしいことをしてみようと、買って行ったヴーヴクリコのハーフボトルと、小さいけどホールのチョコレートケーキ。今までシャンパンなんて苦手だったのにといいながら、嬉しそうでした。シャンパンのコルクを押さえている金具と、ケーキに乗っていたHappyBirthdayとHの名前の書かれたチョコレートのプレートを、いつまでも大事に大事にとってありました。チョコレートは冷凍庫に入れて。そして、携帯カメラで写した蝋燭に火を入れたケーキと瓶の画像を壁紙にして、やはり辛いときにはそれを見ているのだと言っていました。最後のメールのときにも携帯をあければその画像を見た筈なのに、それすらもう彼には届かなかったのでしょうか。

一人でお墓参りに行くと、ビールを一缶買います。半分飲んで、半分Hにと流して帰ります。私はそのときあまりおいしいと思えないのですが、Hが少しでも喜んでくれることを信じて。好きだった、「昼から公園でビール」には違いないのですから。


明けない
2005年01月05日(水)

結婚している訳でもないから、大っぴらに喪に服せないお正月。いなくなってはじめてのお正月。これから過ごさなくてはならない長い長い一年のはじまりのお正月。元旦以外は休みもなく、ずっと働いていました。

昨年、祖母が年末ぎりぎりに他界したために、寒中見舞いも用意せず来たハガキにも返事をしなかったので、今年はほとんど私宛の年賀状はありませんでした。今年も、出す気には到底なれず、いまも来た人に対しての返事すら準備していません。

年賀状をくれた人たちは、Hのことを知りません。幸せそうな新婚カップルの写真。毎年恒例の子供と一緒に旅行先で取った写真。私はその人たちのことがとても好きですけれど、それを見て、返事をするのは辛いのです。きっと今年も何も書かなかったのなら、来年こそ誰からも来なくなるでしょう。来年も、友達なんていなくてもいいなどと虚勢をはっていられるかどうかわかりません。寂しくてひとりぼっちだとすると、それはきっと辛いことでしょう。

もう、すでに、あのころ連絡を沢山くれたのに音沙汰の無い人もいます。私から連絡をするのが少し辛いのと、他に理由もあってこちらからメールしにくいままに数ヶ月経ってしまいました。そして、もっとも世話になった友人の引っ越しも決まっています。いなくなる日のことを考えるだけでどうしていいかわからないくらいですが、行っては嫌だと泣き叫ぶこともできませんし、止める理由もないのです。

辛いくらいなら友達なんていらない。私は一人で寂しく過ごして行くことが罰なのだろうから。ただでさえ少ないのに、今いる人たちもきっと離れて行ってしまう。Hも、寂しくて寂しくてしかたなかったのだから、それを私も一生かけて味わって償っていかなければならないのでしょう。Hのぶんも楽しく生きようとは、まだ私には思えません。後ろ向きだとわかっていつつも。

でも、寂しいのです。
友達のことも寂しいけれど、なによりも、Hがいなくて、寂しいのです。



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