遠雷

bluelotus【MAIL

わたしだけ
2004年12月31日(金)

もう、見ている方もいないと思いますが、書いてみます。

前回の日記のあとは落ち着いたような落ち着いていないような日々が続いていましたが、年末に向けてまた情緒不安定になりました。涙のこぼれる回数が、また増えてきました。師走と言う名通りに走り回り忙しくしていますが、ふと息をついたときにあのときの情景を思い出します。一年を振り返る番組で当時流れていた歌や、ニュースを見れば苦しくなります。そして、去年の今頃のことも。

あのときも決していい状況ではありませんが、今思えばなんと前向きで、年をなんとか越せばきっと来年はいいことがあるだろうと信じられていたのでしょう。心の底ではふたりとも信じていなかったのかもしれませんが、少なくとも信じたいと思い、こんな私たちでも明るい未来という希望を持っても構わないはずだと思っていました。仕事が見つからなくて、どうにもならないために年末から新年にかけて短期バイトを連続して入れ、とても辛かったことでしょう。出かけて行く前に落ち合い、あまり余裕もないだろうからと栄養補給のゼリーやカロリーメイトを買って渡し、Hの希望で単語帳というんでしょうか、リング式の小さいメモも買ってそれに色々なことばを書きました。それを見て、つらくてもがんばるのだと。たからものにするのだと言って。その後、友人がHの家に行くと、Hはひとりでそのメモを見てニコニコしていたと聞いたことがありました。決して誰にもみせなかったそうです。Hの家に行くたび、気が向くと書き足していったものです。そして、それはお願いして棺に納め、Hとともに灰になりました。

そもそも、Hとの出会いも年末でした。出会ったのも、その出来事が無かったらつき合っていなかっただろうと言う出来事も。私はそのことがあった場所はいい意味でも悪い意味でも混乱が始まった場所だからとその後はあまり行きたがらなかったのですが、Hは思い出の場所だから、お礼参りに行きたいと希望していましたのでこの時期に毎年行っていました。でも、今年は行かなかったのです。Hは食べものにも困るような状況で、わざわざ電車賃を私に借りて行くようなことはしませんでしたから。また、来年行けばいいよと気軽に言っていたのが間違いだったのでしょうか。ジンクスはまもるべきだったのでしょうか。

今年、私は一人で行きました。でも何だかんだとずるずると家を出るのを伸ばし、仕事場に用があった為に寄ったりして、やっとついた頃にはすっかり日も暮れて、その場所は閉まっていました。きっと、まだ一人で行くには辛かったのです。行きたくなかったのです。でも、一応は行ったということでHには勘弁してもらおうと勝手に決めて、帰ってきました。年が明けて、また行く気になれば行ってみます。また一年たって、年末になるかもしれませんけれど、必ず行って中に入って、帰りに甘酒を飲んできます。Hは待っていてくれるでしょうか。

ゆく年来る年を見ながら年越しをするのが悲しくて、日記を書くことでHとともに年越しをしようと思い書き始めましたが、途中お香を焚いてみたり、別のことをしてみたり、文を直したりしていたらあっという間に年を越してしまいました。いつのまにか除夜の鐘も聞こえません。静かに除夜の鐘だけを聞きながら過ごす年越しというのも初めてですが、もし私のこのくよくよする気持ちも煩悩であるのなら、少しは晴れているかもしれませんね。なんとか生きて、生きて、一年を過ごせますように。私だけ一つ年をとって、Hを置いて行ってしまう初めての一年目は、どんな日々が待っているのか、不安です。



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