□わたしのまいにち□

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2004年06月15日(火) 自宅に帰ってきました。

全くスバルからは連絡が無いので、仕方ないので自宅に帰ることにしました。
チャイルドシートは母の車につけているので、もしもtakuの調子が悪いようなら来てくれることになりました。

びっくりしたこと。
実家では、takuのおやつを青い紙袋に入れて隠しています。
見つけると、欲しがって泣いてしまうためです。
今日のおやつの時間に、食前の薬を飲ませて待っている間に母とこんな話をしました。
「takuちゃんのおやつ、その青い紙袋だからね、時間になったら食べさせてあげてね。」
「はーい、見られないようにしなくちゃね〜、見ると騒ぐもんね〜。」
時間になってから、takuが見てないことを確かめておやつを一袋取り、takuに渡しました。
「い、まーす(いただきます)」
とゴキゲンで食べていたtaku。
食べ終わって、物足りなかったようでキョロキョロし始めました。
すると、テケテケと走って母の方にいくと、「あれ、あれ!」と騒ぐのです。
あれ?と思ってみると、青い紙袋を指差してます。
母とびっくりしてしまいました。
もしかして、しゃべったこと理解してる?
どうやら、こちらが話してることは大体わかっているようなのです。
いつまでも赤ちゃんではないとは言え、びっくりしちゃいました。

ちなみに。
薬も吸入もひどく嫌がるtakuでした。
こちらの話を理解しているなら、とじっくり説得したら、ちゃんとお薬飲みました。
どうやら、わからないふりして逃げていたようです。
takuの方が賢かったかも?

ここ数日の不在で、ご心配おかけしてごめんなさい。
みなさんが気にかけてくださっていて、すっごくうれしかったです。
ありがとうございました!(o^∇^o)ノ


2004年06月14日(月) ちょうちょぉ〜。

やっぱり環境が変わると、takuの成長がよくわかります。
お昼寝したくなると、ばあちゃんにおんぶしてもらって寝るのですが、お庭をおんぶでブラブラしているときに「ちょうちょ、いた〜」とお話していたようです。
そのあとも、モンシロチョウが飛んでいると指をさして「ちょうちょ、いたえ〜(いたね〜)」と言います。
驚くほど、受け答えをしてくれるようになりました。
いつも二人きりのせいか、あまりお話をしなかったtakuでしたが、じいちゃん、ばあちゃん、おじちゃんにそれぞれ話そうとしているので、どんどん言葉を使えるようになっているようです。
たまにこうしてお泊りもいいもんだな〜なんて思いました。
わたしも、のーーんびりさせてもらって、ありがたかったです。
退院してからというもの、ちょっと頑張りすぎていたのかもしれませんが、すごく張り詰めていたような気がするんです。
良い息抜きになりました。
車はどうなったのか、連絡がないのでわかりません。
場所が場所なので、「無料だろ〜」とは弟の話ですが、そうとは限らないのでドキドキです。
いくらかかるんだろうなあ。
トヨタのスターレットに5年ほど乗っていたのですが、こういうトラブルは一切なかったんです。
次はマツダのデミオ。
デミオもトラブルはなかったけど、燃費が悪かったなあ。(古い年式だったからです。)
今回のスバルのインプレッサは、ずっと憧れていた車だったのですが、ちょっとガッカリ。
復職したら、トヨタの車に戻そうかな・・・。


2004年06月13日(日) 愛車入院。

土曜は、三人でショッピングセンターにでかけました。
takuのお弁当を持って、セルフのフードコートでお昼ご飯。
いそいそとお弁当を広げるわたしたちに周囲の視線が集まりますが、気にしない、気にしない。
気にしてたら、食物アレルギーッ子のおでかけは辛いものになっちゃいます。
パパがtakuのお弁当にあわせて、おにぎりのついたセットを買ってきてくれました。
「おんなじぃ〜♪」と喜ぶからです。
わたしは低インシュリンダイエット中なので、おそば。
みんなで楽しく食べました。
takuのサンダルを選んでいたのですが、オットが「服買えば?出してやるからさ。」との暖かいお言葉。
我が家は、一定額の生活費はわたしが管理しますが、それ以外はオットの管理なのです。
カットソーを3枚選んで買ってもらいました。
やけに気前がいいから、怪しいなあ〜と思っていると、やっぱり自分も靴をゲットしてました。
文句を言われないように手をまわしたようです。
そのあと、わたしの実家にみんなでお泊まりです。
いつも深夜に帰ってくる弟も早く帰れて、みんなでワイワイ食事して楽しい時間を過ごしました。
今日は、takuと二人実家に残り、オットは家に帰って庭仕事をする予定でした。
ところが。
朝起きると、母が「どうしてかわからないけど、私の車で行ったみたいだよ。」と言うのです。
早朝五時ころ出ると聞いていたので気づかなかったのですが、何故か私たちのインプレッサではなく、母のスターレットで出かけたようなのです。
不思議だな〜と思って、気づいちゃいました。
車、動かなかったんでは?!
実は、先月20日の日記に書いたのですが、突然エンジンがかからなくなり、弟に見てもらったことがあったんです。
早くちゃんと見てもらおうよ〜と言っていたのですが、「たまたまだよ。」って笑って取り合ってくれず・・・。
起きてきた弟と母とわたしと三人で「ほら見ろ〜〜」と大笑いしました。
「きっと今ごろ恥ずかしくなって、言い訳考えてるよね〜。」
「帰ってきたらいぢめちゃおうか。」
なーんて、話してるうちに帰ってきました。
「ね〜、どうしてスターレットで行ったのぉ?」
「ん?いや、あはは〜。」
やっぱり、エンジンかからないために勝手に母の車で行っちゃったのでした。
結局、ディーラーに電話したのですが、混んでいて代車も出してもらえず、夕方ようやく引き取りにきてくれました。
どうやら、クラッチを踏まないとエンジンがかからないようにロックされている装置がおかしくなってるようです。
車が無いままだと、takuが発作を起こしたりするのが不安なので、二人でお泊りすることにしました。
早く直るといいなあ・・・。


2004年06月10日(木) こども病院に行ってきました。

今日はM先生の外来なので、経過を診てもらいに行ってきました。
いつもついてきてもらう母は仕事で来られないので、一人でうろうろするtakuを見ながら診察を受けて大量の薬を受け取って・・・。
かなり不安だったのですが、大好きな付録のシールが大量についている「げんき」を買って準備万端にして行きました。
何度かごねて廊下に寝転んでしまったものの、そんなに混んでおらず、待ち時間が少なくて助かりました。
退院後、五種類の飲み薬、一種類の貼り薬、二種類の吸入をしていたのですが、今回経過が良かったので1週間様子を見た後、飲み薬が三種類、貼り薬が終了、一種類の吸入に変わります。
アトピーのころとはまた違ったケアなので、今はちょっと完璧を目指して頑張っちゃっていますが、様子を見ながら力の抜きどころを探っていきたいと思っています。
帰りに、病院の施設で児童養護施設があるのですが、そこのウサギに会いにいきました。
前回は飼育係のお姉さんがいて、takuと遊んでもらいました。
今回はお姉さんはいませんでしたが、ウサギちゃんは小屋の中で寝ていました。
takuは網の目の間から「どーじょっ」と草を差し入れて、しばらくすると「うさ、ばいばーい」と言って駐車場へ。
きっと毎回ウサギちゃんに会おうとするんでしょうね〜。

本で読んだのですが、子どもの成長に伴い、アレルギー症状の出る箇所が変わっていくことが多くあるそうです。
それをアレルギーマーチと呼びます。
アトピー性皮膚炎から喘息、喘息から花粉症やアレルギー性鼻炎などに変わっていくのですが、しっかりとアレルゲン対策をして抗アレルギー薬を服用することで予防することができるとありましたので、アレルギーマーチを防ごうと頑張ってきたつもりでした。
ですが、残念なことにtakuはしっかり喘息に移行してしまいました。
少なからず自分のケアが甘かったのではないかと落ちこんでいましたが、落ちこんでtakuが治るわけでもないのでまた頑張っていこうと思います。
少しでも発作を押さえ、takuの体力がつくようにしていきたいと思います。

夜、毎週定期配達をお願いしている卵が、入院していたために使いきれず古くなってきたので、酢醤油卵にしました。
栗原はるみさんのレシピだそうですが、とても美味しく簡単です。
お弁当にもいいかもしれません。
卵はゆでて殻をむき、酢大2、しょう油大2、砂糖小1に漬けておくだけです。
(元々どこかのサイトさんで紹介されていたのですが、だんだん目分量で作るようになったので、はるみさんのレシピと違うかも・・・)
わたしは、二つに切ってちょっぴり粗挽き胡椒をふるのがお気に入りです。


2004年06月09日(水) 落ち着いてきたかな?

takuのゼイゼイも無くなって、だいぶ落ち着いてきたようです。
喘息発作が起きたら即入院、と言われているので毎日きちんと吸入して予防に努めているところです。
喘息のコントロールは家庭用吸入器の普及できちんとできるようになっているそうなのですが、我が家で購入した吸入器は本当に小さくて持ち運び便利なものです。
嫌がって顔を背けたりすることもしばしばなので、朝と夜はなるべくtakuが寝ているときにやってしまいます。
寝てると気づかないんですよね〜。
オットは最初は面白がって進んでやってくれてましたが、飽きたらしくやらなくなってしまいました。
今、復職後のことを考えてオットにもやってもらおうと画策中です。
3年も育児休業をいただいた上に復職せず退職っていうのはなるべく避けたいのですが、これからtakuの発作が頻繁で入院が度重なればどうなることか・・・。
かえって復職してご迷惑になるよりは、いっそ退職しようかとも考えてしまいます。
職場にわたしの代わりはいますが、takuの母親はわたし一人ですしね。
これからじっくり考えていかなくてはと思っています。

こんな忙しい時だからこそ、自分の時間を持とうと思っています。
フラワーアレンジメントを習おうかと通信講座をいろいろ調べています。
通学講座だと、takuを預けなくちゃならないですしね。
好きな時間にのんびりできるのはいいかな〜と思っています。
メールに作品の画像を添付して送ると、先生に添削してもらえるんですって。
さすがネット時代ですね〜。
オットも始めていいよ〜と言ってくれているので、体験レッスンを申し込んでみようかな。
ビギナークラスで、月2回のレッスンで一万円くらいだそうです。


2004年06月06日(日) じいちゃんの命日

今日はじいちゃんの命日です。
まだ中学生だったわたしは、担任から入院中のじいちゃんの容体が悪化したと知らされ慌てて早退しました。
じいちゃんは元々心臓が悪く喘息もあり、肺炎で入院したのですが、帰れることはないだろうと医師に言われていました。
でも、その前日にお見舞いに行ったら、メモにさらさらと「ごはんは?」と聞いてくれて「食べたよ〜」と言うと、にこっと笑ってうなずいてくれていたので、まさか急変すると思っていませんでした。
母と弟と三人でかけつけると、意識がなかったじいちゃんがわたしの声で目を開けて、必死で顔を見てくれました。
あの時のじいちゃん、忘れられません。
それから数時間後、じいちゃんは旅立って行きました。
あれからもう15年。
それでも、やっぱりじいちゃんが恋しいです。
実家の仏壇の中には、じいちゃんが書いた「ごはんは?」のメモと、意識を失う前、かけつけた親戚にあてて「みなさんありがとうございました。」のメモが残っています。
最後まで周りを気遣っていたじいちゃんは、わたしの自慢のじいちゃんなのです。

良い天気だったので、カーテンを洗濯しました。
結構ホコリがたまっているものなんですね。
ウォッシャブル生地のカーテンをつけていたオット、えらい!!
少しでもホコリやダニを減らせるように、家をスッキリさせようと奮闘中です。
疲れ過ぎないように頑張ります♪

そうそう、退院して帰ってきたら、体重が3kgほど減っていました。
でも、入院中は玄米リゾットとか栄養豊富なものを食べていたので、体調はいいです。
この体重、キープできるように頑張りまーす。


2004年06月05日(土) アレルギーマーチにより喘息発症

5月29日(土)の午後から、takuが咳き込むようになりました。
風邪かな?と思っていたのですが、熱はなく機嫌よく遊んでいたので、特に受診の必要はないだろうと思っていました。
ところが。
夜になると痰がからんだようになり、泣き喚きます。
のどが痛いのかと思い、砂糖水を作って飲ませますが泣きやみません。
そのうち、泣きつかれてスースーと寝てしまいました。
オットと二人、明日の様子を見て休日当番医に連れていこうと言うことでtakuの隣で寝ていました。
takuはうなされたようになり、苦しそうでなかなか熟睡できないようでした。
オットとかわるがわる抱っこして寝かせたのですが、さすがに様子がおかしいので30日の朝一番で当番医へ連れていきました。
メモにtakuのアレルギーに関することや、服用中の薬、かかりつけの病院などを書いていき看護師さんに渡すと、すぐに聴診器でtakuを診てくれました。
「これは、こども病院に行ったほうがいいから、連絡しておきますね。」
そう言われて、こども病院に向かいました。
こども病院で吸入、点滴を受けましたが、血中酸素量が足りず即入院。
上気管支炎、喘息発作と二つの病名が書かれていました。
間の悪いことに、オットは6月1日から3泊4日の出張が入っていて、かなりのショックを受けていました。
「大丈夫よ〜、私なんとかやれるもん。」
私も不安だったのですが、オットにはそう言っていました。
ずーっと点滴されているtakuはかなりご不満で、ぐずぐずしていましたが、それでも体調が良くなるにつれ器用に片手で遊ぶようになっていました。
3ヶ月ぶりのこども病院だったのですが、回診に来てくださったM先生はにやりとされながら
「しばらくでした。」
なんておっしゃっていました。
「やっぱり来ちゃいました〜。」
なんて冗談はさておき、最も心配だったことを質問。
「これはアレルギーマーチで喘息に移行した、と考えていいんですよね?」
「うん、ベースに食物アレルギーがあるからね〜。そうだね。」
やっぱり、成長につれアレルギー症状が起こる部位が変わることから、アトピーから喘息に移行したようです。







点滴があるので、管の届く範囲でしか遊べません。
具合の悪いときは良かったのですが、元気になるにつれぐずって大変でした。
本や、朝晩の「おかあさんといっしょ」が子どもたちの楽しみなようです。
takuもベットの上で本を読んだり、テレビを眺めたりして過ごしました。
わたしも本屋さんで雑誌を買って眺めていました。
いつものComoは発売日前で書店になく、買おうか迷っていた「栗原はるみのすてきレシピ」を買いました。
看護師さんたちはとても細やかに気遣いをしてくださって、takuにはこんなかわいいシールをくれました。




点滴の管をいじらないように包帯をしているのですが、その上に食パンマンのシールを貼ってくれたのです。
お向かいのベッドの男の子は、アンパンマンやバイキンマンなどたくさん貼ってもらって、大喜びしていました。

ちょっとびっくりしたのは、二十代前半のママが看護師さんや周りのママと話す時に敬語を使わないこと。
「○○ちゃん、具合はどうですか?」
「あのさー、ちょっと咳してんだけど、元気みたい〜。」
って感じだったんです。
もう一人二十代前半のママがいたのですが、そちらの方にはお熱を出している下のお子さんがいるそうで、寝ているお兄ちゃんを置いてその子の様子を見に行きたいから、何かあったらよろしくと頼まれました。
1時間ほどして、ママは帰ってきたので会釈したら無視されてそのままでした。
お兄ちゃんは寝てたわけだから別にお礼しなくていいやあ〜って思われたのかもしれないのですが、頼まれて時々様子を見ていたわたしとしては、ちょっと哀しかったかな。
こういうのをジェネレーションギャップと言うのかもしれないですね。
いつも年上のママとお付き合いしていたので、良い経験になりました。
でも、同じく二十代前半のママのお友だちは、とても礼儀正しい方なので、年齢だけではないのでしょうね。

結局、4泊5日して退院許可がおりました。
家でも吸入をしなくてはならないため、吸入器の購入を指示されました。
買うまでは病院の吸入器をお借りすることになり、とりあえず実家で一泊してわたしも身体を休めることに。
takuを見ていてもらっている間に自宅に戻り、一通り掃除をしておきました。
まだゼイゼイしているので、少しでもアレルゲンを減らしておかなくてはならないのです。

今日、5日は退院後の経過を診ていただくため受診しました。
お薬をひどく嫌がり、こぼしながら飲ませているためかあまり良くなっていませんでした。
「苦しくなったら、入院の準備して電話かけて来てください。いつでも診るから。」
というありがたいお言葉をいただきました。
何しろ、アレルギー対応で食事を出してくれるのはこども病院くらいでしょうから、他で入院と言われても困るんです。
岩手県盛岡市周辺では休日の小児の入院受入病院が輪番制になっているので、こども病院以外の時に発作が起きたらどうしようと思っていたところでした。
これからもこども病院にお世話になりそうです。

携帯やPCにメールをくださった方、掲示板に書きこんでくださった方、本当にありがとうございました。
お陰様でtakuもわたしも元気です。
まだ吸入や増えたお薬に慣れませんが、頑張っていこうと思います。


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