ぶらんこ
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山間の村。 家族で旅行を楽しんでいる。 散策を終え、ゆるやかな丘を登って行くと、眼前には大きな海が開けていた。 ここは初めて来る場所だ。島とはまた違う美しさ。
海はどこまでも青い。ところどころ小さく白波が立っている。 初夏の風がさわやかに吹きあげてくる。 大型のフェリーが寄港しており、既にツアー客らしき人々であふれている。 そうだ、次はフェリーだった!と思い出す。
わたしたちはいそいそとフェリーに乗り込んだ。 大袈裟とも言えるシャンデリアがこの場には似つかわしくないほどに煌めいている。
出航前に、とトイレを探すのだが、なかなか見つからない。
部屋を取っていない人々だろうか、あらゆる場所に人が座っていた。中には横になっている人もいた。 辺りは、奇妙に圧縮されたような、フェリー特有の空気に満ちている。 装飾のかけらもない暗い階段を歩きながら、どこか心細い気持ちになってきた。
と、上方からバラバラと階段が崩れ始めた。 やっぱり。 なぜかそんな予感があった。 わたしは落ち着いて甲板へと向かった。
甲板に出ると、いつの間にか友人が一緒にいた。 彼女はいつものように肩からプロフェッショナルなカメラを下げている。 わたしたちは舳先に立っている。はてしない水平線を前に。 大きな声を出している筈なのにお互い何を言っているのか聞き取れず、ふたりして笑っている。 潮風が強い。少し肌寒いくらいだ。彼女は持って来た碧色の毛布を取り出してそれにくるまった。
と、そのとき。
目の前に大きなおおきな影が広がった。 それは、ゆぅるりと海面に近づいてくる。 影はその形を少しずつ現しながら、さらに大きくおおきくなっていく。
くじら。。。
くじら!!! ナガスクジラ!!!
息をのむ。とてつもない大きさだ。
ふと、身体を乗り出して真下を眺めていることに気付く。 そうだった。この船は水空両用だった。 「こういうとき、飛べるってのはいいよね」 友人が紅潮した顔で言う。万歳!テクノロジー。 わたしも興奮しながら頭をぶんぶん振って頷く。 本当は、振り返って船上に突き出ているであろう巨大な2本の羽を見たい気持ちもあったが、くじらから目を離すことが出来ない。
それほど高く飛んでいるのではないようだ。 ただ、くじらがあまりにも大きいので、うまく距離感がつかめない。 このフェリーはかなりの大きさだった筈だ。 そういえばスピードもどれくらいなのか、よくわからない。
船のまわりには、3頭〜4頭ほどのくじらがいた。くじらは群で泳ぐのだろうか?こんなことってあるのだろうか? そのうち、右側後方から赤ちゃんくじらがやってきた。 母くじらの半分にも満たない大きさだ。実際どうなのかわからないが、それでもゆうに8メートル程はあるように思えた。 母くじらは、子どもにその場を譲るように先へと泳いでいった。
子くじらは何度か海面に顔を突き出した。 大きな口が開き、笑っているようにも見える。
友人はカメラを取り出し、その姿をおさめようとしている。 舳先からは身体の半分以上、そのまま海へ落ちてしまいそうなくらいだ。 わたしは慌てて彼女の腰に手を伸ばす。
碧色の毛布が狂ったように風になびく。 彼女は何かに憑かれたようにシャッターを切っている。 わたしは友人をしっかりとつかむ。 友人と毛布の間から子くじらの飛び跳ねる姿が見える。
「あの子、毛布が欲しいんだよ!」 なぜかそんな気がして、友人にそう叫んだ。 「毛布をあげて!」
友人は毛布をはずし、子くじらに届くよう長く垂らした。 子くじらは、これまで以上に大きくジャンプして・・・
なんと毛布をちぎり、肢体を反転させながら海の中へと戻って行った。 それから、母くじらを追うようにどんどん先へ泳いでいった。 母くじらは子どもを待っていた。 2頭は一緒になって軽く飛び跳ね、海のなかへ消えた。
周囲から、お客さんたちの歓声があがった。拍手喝采だ。
くじらの母子は時折、海面に姿を現しながら、そのまま前方へと進んでいった。他のくじらたちも一緒だった。 わたしたちはくじらが見えなくなるまで、何も言わず水平線を眺めていた。
船はいつの間にか、また海面を進んでいた。
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