ぶらんこ
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夜中に親に隠れてこっそりと家を抜け出す。 というのは、中高生くらいでは珍しいことではないのかもしれない。 わたしの場合、親ではなくて「教官」だったけど。。。
中学を卒業した後に入学した准看護学校は全寮制だった。 小さな学校で、全生徒数は30人前後だったと思う。 寮にはふたりの教官が一緒に住んでおり、週交替で学生達を監督していた。
寮の規則では確か「外出・外泊ともに月に1回限り」となっていた。 また、門限は夏と冬で違っていたが17時頃だったと記憶している。
当時わたしはその学校と並行して高校の通信教育を受講していた。 入学前、学校側に「看護学と並行して定時制の高校に通いたい」という申し入れをしたのだが断られたので、やむを得ず通信教育となった。 それも「看護学の成績に響くようであればただちに通信教育のほうを中止する」という約束の下、ようやく許可を得たのだった。
通信教育では、毎月各教科のワークを提出することに加え、月2回のスクーリング参加が必須だった。 スクーリング日(日曜日)には、指定された場所(電車で1時間ほどの女子高だった)まで行き、実際に授業?を受けたり運動?したりする。 体育の単位取得のためというのがメインだったように思う。秋には「体育祭」というのもあった。
だが、、、正直あまり役には立たないというか、15-6歳のわたしにとって年上の方々との交流は楽しいものではなかった。 共通の話題もない(その土地の方言が理解できなかった部分もある)。 彼らはとてもエネルギッシュだった。わたしは一番若かったので何かと借り出されたが、彼らのほうが遥かに活力があった。 出来る限り明るく振舞ったのだけれど、いつも「空回り感」が拭えなかった。 結局、最後まで疎外感を感じた。きっと、わたし側の心の問題だったんだろうな・・と、今は思う。
そんなスクーリングのために月2回外出していたので、それ以外の外出・外泊は必然的に不可能だった。 まして、遠距離通学だったがため門限にも遅れたのだが、それを特別に許して貰っていた。 周りの学生からは、そのことでチクリと嫌味を言われることもあった。「まこちゃんは特別でいいよね」
面白くもないスクーリングへと出向き、周囲からは特別視される。 自分のことを理解してくれる人なんて誰もいない。 あの頃はそんな気持ちで暮らしていた。それだけが心を占めていたわけではないけれど。
ある夜、兄が東京に来る、という電話があった。 兄が仕事で東京に来る。時間は短いけれど、皆で会おうということになった。まこも来ないか? そういう内容だった。
会いたい! と思った。 行きたい! と思った。
けど、外出は2回しか出来ない。今月もスクーリングだけでいっぱい。
「先生に訊いてみれば?」と言われたような気もするが、実はよく覚えていない。 覚えているのは「絶対に行くから!」と答えたことと、親しい子だけに話し、こっそりと出かけたこと。
朝、タクシーを呼んで駅まで行き、何度か乗り換えて新宿へ向かう。 ロマンスカーに乗り込んだときには、学校のことも寮のこともすっかり頭から消え去った。
携帯電話のない時代、どこでどうやって兄弟姉妹と落ち合ったのか?もう記憶がアヤフヤだ。 とにかく、兄と会った。姉たちも一緒だった。 新宿で何をしたんだっけ?なんか食べたのかな???あぁ、全然覚えていない、、、 なぜか、兄が白いジーパンをはいていたことと、「バレたときには兄が先生に話してあげるが」と言ったこと。 (後にこれを兄貴に話すと兄はすっかり忘れていたけれどね)
帰路。 新宿小田急線のホームで兄たちと別れた。寮に戻りたくなくて戻りたくなくて仕方がなかった。 ロマンスカーの中でひとり、さめざめと泣いた。そんな自分の姿を想像するだけで、今も胸が痛む。 寮に戻ってまた孤独な生活が始まるのだ、、、
ところがどっこい。そんな感傷に浸る暇はなかった。 寮に戻ってみると、事実を打ち明けていた友人が困った顔で言うのだ。 「先生にバレちゃったよ・・・もう大変なことになってる」
その週の担当教官は日頃、特にうるさくない、どちらかというと楽チンな先生だった。だから、ちょっと甘く見ていたのもあった。 どうしてバレてしまったのか。何かきっかけがあったような気もするが、もう覚えていない。 とにかく、わたしが朝のうちにいなくなったことに気付き、隠れて外出したことを知ったらしい。 神妙な面持ちで彼女の部屋を訪ね謝罪したのだが、あんなに感情的な先生をそれまで一度も見たことがなかった。 夜叉のような顔で怒られた。「あなたのせいで!」 目が赤く腫れぼったかったので、泣いていたのだと思う。 さっきまでわたしも泣いていたのだけれど、そんな気持ち、どこかへ吹き飛んでしまった。
それから、もう一人の教官と面接し(こちらのほうは怖い存在)、学校長とも面接し、反省文を提出し(させられ)た。 ひょっとして停学とかなるのかな、、と思ったがそれはなかった。(あったっけ?)
反省文には「本当に悪かった」というようなことを書いた。でも罪悪感は殆どなかった。まぁ少しはあったけど・・・先生を泣かしたし。 確かに隠れて外出したのは良いことではない。でも、外出したことについては後悔してなかった。 なぜなら、バレたっていいという気持ちで出かけたし、正直に理由を言ったって、どうせ許可はされないだろうと思ってたからなぁ。 あ・・・今の台詞はこころがよく言うやつと似てるぞ。。。笑
まぁ若いうちだから出来たことなのでしょう。内容からすればかわいいモンですな。
ところで、この後に実はもう1回だけ、教官に隠れて外出したことがある。 それはわたしだけでなくクラスの有志何人かで、オールナイトのアイス・スケートへ出かけたのだ。 友達の彼だかが夜中に車で迎えに来てくれて、確かあけがた4時半頃に戻った。 で、これはバレなかった。笑
友人たちはその後も何度か出かけていたけれど、わたしはその1度限りだった。 理由は夜の富士急ハイランドが寒かったのと眠かったのと、そんなに楽しくはなかったから。 思うに、この年代って、考えてるようであまり考えてないのかも(わたしだけかな?)
ところで、もし、こころさんが夜中にわたしたちに隠れて出かけたりしたら・・・
なるべく感情的にならんようにしたいものですが・・・内容にもよるか?笑
でも、本当に隠しておきたいことは親にもきっと言わないんだろうな〜。
今はどうなのかわからないが、昔、わたしが小学校の頃は、授業が始まるときに決まり文句(挨拶)があった。 生徒は日直さんの掛け声で席を立ち、先生に向かって一礼しながら「お願いします」と言うのだ。 当時は悩むこともなく皆に倣ってしていたのだけれど、なんだか軍隊みたいだな。起立!礼! なんて「号令」って言ってたし。
まぁそれで大抵の先生は「はい、お願いします!」とか言って授業を始めた。 が・・・当時、ひとり、ちょっと(?)変わった先生がいたのだ。
彼は理科の先生だった。 確か低学年の頃は担任がすべての教科を任されていたが、4年か5年からは理科や音楽は専門の先生がいた。 だから彼に教わったのは4年生になってからだったと思う。
「理科室」は校舎1階の端にあり、奥に倉庫のような資料室の付いた、大きな教室だった。 普通の机ではなく、作業台のような大きな机がいくつか並んでいて、生徒は班に分けられて座った。 黒い遮光カーテンを引かれた窓際には怪しげな液体瓶が置いてあり、タマゴから孵化する雛(鶏)が順番よく並んでいた。 (けっして見まいと思いつつ、ついつい目をやってしまっては酷く後悔したものだ) 他にも、虫やら貝殻やら石の標本があったり顕微鏡やらビーカーやらがあったり独特な匂いもあったりで、とにかく特異な雰囲気を放っていた。
そんな理科室は、どこか神秘的かつ魅力的な場所だったのだが、あまり近付きたくない場所でもあった。 その理由が、彼(=理科の先生)だったのだ。
彼は、一言でいうと、「怖い」先生だった。 どう接したら良いのかわからない、近付き難い先生。
理科の授業は、とにかく「緊張」の時間だった。 (他の子はどうだったのかわからない、少なくともわたしにとってはそうだった。ええかっこしぃの小心者だったからね)
まず、授業がなかなか始まらないことが多々あった。
起立、礼、 お願いします そう言ってから座った後、なぜか先生が何も言わないのだ。 子供たちが、なんなんだろう・・・と思い始める頃、
「お願い・・・・・・されません」
先生の、低く抑えた声が教室中に響く。
最初の最初にこの言葉を聞いたときは、子供心にうろたえたよ。 お願いされません、って、、されません、って、、、どうすればいいのよ???
たぶん、このとき先生が「やり直し」とか言ったのだろう。 今になって思い出すのは、何度も繰り返された「お願いします」という言葉と、目を閉じたまま顔を横に振る先生の姿、 え?また?なんで?という気持ち、馬鹿みたい、、、というあきらめ、じゃったら授業なしで帰らせてくれ!という悲痛な願い・・・まぁ色々。 けど、そんなこんなの葛藤とともに、やっぱりその度いちいちうろたえるのだから、純粋だったのかも。
あの頃の自分たちがそんなにふざけてたのかどうか。 今ではもう思い出せない。 教師にかなりコントロールされてたんだなぁ・・・と、苦々しくは感じる。 子供にとっての「先生」という存在って、強大なんだなぁー ってね。
嫌いな先生ではなかったようにも思うが・・・どうなのかな。 思い起こすと「怖い」というイメージしか湧いてこない。というのが、ちょっと淋しい。 あ、でも、先生が「お願いされません」と言ったとき、たまーにちょっと口元が緩んでいたことがあったのは覚えている。 怒っているだけじゃなかった。それは確かだ。
そうそう。彼のあだ名は「ガーブリ」だった。 誰が付けたのかはわからないし、由来も知り得ない。 TVか漫画のキャラクター名のような気もするし、怖いイメージを名前にした島口なのかもしれない。
はげー、ガーブリ、好っかんかったーーー!
直訳すると、「ガーブリ(先生)は好きではなかった」だが、島口で言うとね、愛情がこもっているのだよ。(と、思いたい。笑)
・・・
ところで、なんでこんな話を思い出したかというと−
こころがあるクラスで日本の学校について説明する機会があったらしい。 彼女はそこで、小学校の頃の体験入学の話や、約3年間の中学生活の色々を話したのだそうだ。
そのときね。。。授業の始め方についてマミィの『お願いされません』の話もしたかったんだけど あはは!それは〜 英語にしても意味が伝わらないちゅうか説明が大変でしょう〜 うん・・・だから話さなかった それにしても、そんな話あなたよく覚えていたわねー
というワケ。笑
ちなみに、この国では授業開始の決まり文句などはなく、「お願いします」に合致する英語自体、存在しない。 あえて言うならば、 Good morning/afternoon! という先生の言葉に Good morning/afternoon, Mr./Mrs. xxxx! などと子供たちが返す。
これも小学校くらいまでかも。。。しかも、日本の学校みたいに授業と授業の間の「休み時間」もないから、状況が違ってくる。 また、高校生ともなると、先生が入室しようがしまいが授業が始まろうが始まらまいが、「勝手にどうぞ」ってな態度だろう。
規律で強制するか、規制なしで自由にするか。 まぁどちらにしても、ティーンエイジャーの中身はさほど変わらない。だろうね。笑
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