ぶらんこ
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−自分で自分のことをかわいそうとは思わない
思わない 思いたくない
どう感じようといいんだよ どう感じてもいい
辛かった 苦しかった
辛い 苦しい
でもだいじょうぶ だいじょうぶ
だいじょうぶじゃなくても だいじょうぶ
だいじょうぶにならなくても だいじょうぶ
勇ましくなくていいんだ 心のままでいいんだよ
今朝起きたら、辺り一面、新しい白に覆われていた。 雪はもう止んだようだが、とてもとても、寒い。
冬は大嫌いだ!と夫は言う。 わたしはそうでもない。否、そうでもなくなった。 寒いのは苦手だけれど、嫌いではない。 どんなに気温が低くても、そこそこ大丈夫なんだなぁ、と自分自身驚いている。 犬と外へ出たときの、キーンと痛いような空気が嬉しく感じることさえある。 呼吸するだけで胸の奥まで凍てつくような日には、言葉には出来ない、畏敬の念が湧いてくる。 雲のない冬の日の夜空の美しさは、何ものにも代えがたいほど格別だ。 そんなとき、冬もいいモンだな・・・と、素直に(のんきに)思う。
庭に建っている古い倉庫の床下に、野うさぎ一家が暮らしている。 同じファミリーなのかどうかはわからないが、ここへ越してきた頃から幾度も彼らの姿を見かけている。 彼らは天気の良いときに出てきて、ちょこんと座って何やら眺めていたり、雪の下にあるだろう草を掘り返したりしている。 最低でも4匹の家族だ。
犬たちはもちろん彼らの存在を知っていて、猛然と倉庫の東側に駆けて行くことがある。 きっと、庭に出た途端、野うさぎ一家が活動した匂いとか光とかの痕跡を感じるのだろう。 まぁ決まって彼らは既に床下に避難した後だけれどね。
先週、ほんの少しの期間だけれど、寒さの緩んだ時期があった。 そのとき、久しぶりに野うさぎの赤ちゃんが一匹、外へ出て来ていた。 夫が見つけ、わたしを呼んでくれたのだった。 彼女(彼?)は何を食べるわけでもなく、ただまぁるく座っているだけのように見えた。 かなり長い時間だ。時々、伸びたり縮んだりしていた。日向ぼっこをしていたのかなぁ?
わたしたちは珈琲を飲みながら、その子の様子を飽きることなく眺めた。 雪の積もったままの庭。 裸の樹たちは陽光を遮ることなく惜しみなく世界へと注いでいる。 そこでちいさく輝くいのち。
義両親はわたしたちの古い倉庫を新しくしたいといつも言う。 新しくしなくとも、せめて向きを変えたほうが良い、と勧める。 庭の景観のためにとのことだが、わたしたちはまったく気にならないし、今のままでいいと思っている。 (確かにかなり古いので、それなりの修理は必要だけれど) 以前うっかり、義父に野うさぎ一家の話をしたら、彼はうさぎ退治の方法について力説してくれた。 なのでそれ以来、その話は避けるようにしている。笑
うさぎが住みたいのなら住まわせておけばいいじゃないか。と、夫は言う。 別になんの問題もない、と言う。 わたしと夫はまったく違うタイプの人間だけれど、こんなところは価値観が似ているようだ。 背景にある想いに違いはあれど、こんなとき、彼が夫であることを嬉しく思う。
ところで余談だが、彼は人間よりも動物とのほうが波長が合うのではなかろうか・・と、最近、特に感じている。 それは人間の世界では「生き辛い」ことなのだろうけれど、その素晴らしさを彼自身、気付くと良いのになぁ・・と思ったりする。 気付いたところで何かが開けるような気がする。 もしかして気付いているのかもしれないけれど・・・いやどうだろう。。。
うんにゃ。決め付けちゃいかんね!彼は彼。わたしはわたし。
彼のことは彼にまかせよう。 わたしはわたしのことを。
野うさぎのことは・・・野うさぎにまかせる!
書き出し、書き出し。 書き出しが浮かんでこないとなかなかねぇ・・・と思いつつ、書き出してみる。
去年のことを少し。
1〜3月。初めての本格的な「厳冬」というものを経験。 自己防衛として(だと思う)、まだまだ寒くなる筈・・と、必要以上に頑なな戦闘態勢だった、と、後になってから知った。 (友人からWinter Blueという言葉を聞き、冬の鬱というものを初めて知った。というか、たぶん、初体験した!) 家に篭りっきりにならぬよう近所のジムへ通う。当初1マイルでヘトヘトだったのが、3〜4マイルはへっちゃらになった。
4月。大袈裟ではなく、生まれて初めて(!)春の訪れを喜ぶ。 久しぶりに顔を出した土の愛しさ。いのちの芽吹き。心躍るとはこのことよ。これまでいかに身体と心を固くしていたかを実感する。 世界の死滅と再生について妄想。 こころさん無事に堅信を受ける。後は野となれ山となれ。どうかすこやかに育んでいきますようにと願うばかり。 こころの春ソフトが始まる。気温はまだまだ低いが、屋外スポーツを毛布持参で心から楽しんだ。
5月。畑の開墾に着手。計画性の無さを認めつつ、ただただ始めてみる。ジムに通っていたわりに身体はへなちょこのままだった、と痛感。 コミュニティカレッジのサマークラスでCNAのコースを発見。帰国日程にも間に合うスケジュールだったので、ドキドキしながら申し込む。 家人を気遣いながら(?)心のなかで帰国準備を本格的に開始。
6月。コミカレにてクラスを受講(英語での聴講というものを初めて経験する)。 ヤング・アメリカンとのギャップに苦しむ。文化の違いプラス歳の差。という思い込みから解放された頃、ようやく楽しくなる。 波乱の変更で、帰国前日にCNA試験を受ける。長い一日。食欲のないわたしの目の前でガツガツと食べるクラスメイトを見て心から尊敬する。 若いということは怖れを知らない。彼らは試験そのものよりも終わった後のことを考えていた(素晴らしい!) 夜中過ぎまでかかってパッキング。翌朝慌ただしく帰国の途へ。家人の様子に申し訳なく感じるとともに、叱咤激励したくもあり。
7月。帰省。鹿児島〜奄美。 食事を作るのが楽しくて仕方がない。食材いろいろ。日本って美味しい国だ〜と心底思う。 4姉妹で計画した長兄の還暦祝いを霧島にて。懐かしい話でおおいに盛り上がる。 皆で競った名無しの俳句(短歌)大会が楽しかった。名無しだというのにわたしの作品はすぐにバレた。イヤラシサが出てたのだろうか。笑 母を連れて島へ帰る。車なし電話なしPCなしのスローライフをじっくり味わう。 島に帰った途端、母が活き活きと動き出し驚いてしまう。母にとっての島というものについて、深く考える。 再び鹿児島に戻る。温泉三昧。思い切って大分への小旅行を決行する。人生楽しまなくちゃ。
8〜9月。我が家はやっぱり落ち着くなぁ・・・とあらためて思う。嬉しそうな家人を見て、単純だなぁ・・と笑えてくる。 思いがけずマイ畑からの収穫がぼちぼちあり。来年への意欲を新たにする。 こころさんがホームシックになってしまうのでは・・と危惧したが、拍子抜けに元気に順応してくれた。 CNAの認定を晴れていただいていたことを確認。仕事探しを始める。 友人の訃報に涙する。あれこれ思い起こす。感謝の言葉をどれだけ連ねても足りないくらいだ。
10月。就職のためのレジュメを作成。近所にあるホームケア部門に申し込み、面接試験を2次まで受けるがバツ。 結果に結構、凹んだ。という事実に尚、凹む(ややこしい)。 気を取り直し、ちょっと離れた街のナーシングホームに申し込む。面接を受けるが、週末勤務必須とのことで悩んだあげく、辞退。 その後、週末・・・日勤のみであれば仕方ないかなぁ・・思いつつ、しばし静観することにする。
11月〜12月。いきなり寒くなる。雪も沢山降る。女手だけの雪かきは相当キツイ、、、と痛感する。 去年のことを思い出し、変に力まずに冬を迎えるぞ、と誓う。固くなっちゃイカンよと言い聞かせている。 母の具合いが悪くなり家族と連絡を取り合う。動揺してても何にもならない。現実に何が出来るかを考えろ。 結果オーライに皆で喜ぶ。「老いる」ことについて、考える。母のために(自分は)何をしたいのかを具体的に考える。 オバマ氏が次期大統領に決定する。高揚した群集の前で浮き足立つことなく演説する彼の姿に感銘を受ける。 デプレッションの中、わたしの仕事探しは中断したまま。 年明けからでいっか・・・とのんびり構えることに決めた途端、お気楽な気分になった。
と、こんな感じか。 出来るだけ素直に書き出してみたが、実際はもっとぐちゃらぐちゃらしていた。 過ぎてしまったから簡潔に書けるものなのか、或いは簡潔にしか思い出せないのか?
去年は、「健康」というものについて考えた一年だった。 病気になる。ということ。 からだの不調。こころの不調。 調和とは。
さて、今年はどんな日々が待っているのだろう。 どんな日々を創りだすのだろう。 まぁすべては自分次第です。
今年もどうぞよろしくお願いします。
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