ぶらんこ
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2008年08月27日(水) 鈍い

昔から、知らないうちにあちこちぶつかったりして、いつの間にか青あざになっている、ということはよくあった。
注意散漫。


最近のは、、、それとはちょっと違う・・・ような気がする。


先日、おでこを強く打ってしまった。
ブルースはいつも壁に寄りかかるようにしてくつろいでいる。
その姿を見て無性に愛しくなり、撫でようと手を伸ばし腰をかがめた結果、目の前の壁に激突した。
我ながら、、、情けなかった。
しかも、かなり痛かった。コブもしばらく残った。



ここへ戻ってくる少し前には顔面をぶつけた。
超ご機嫌に、「快調、快腸、ご開帳〜〜〜!」と言いながら扉を開けたときだった。恥。
調子に乗りすぎたつもりはないのだが、一体どういうことだ?
扉の角の部分をぶつけたせいで、右頬の中央辺りが縦に切れてしまった。
赤い腫れは1日でおさまった。でも傷のほうは5〜6日しっかり残った。
姉は「ブラック・ジャックだ」と言って笑った。わたし自身は、「ウルキオラだ」と思った。
でも、けっしてカッコイくはなかった。遠目には、ゴミかなんか付いているような。そして近くで見ると、「切れてる」。
なんというか、自分で見ても笑える顔だった。



思うに、脳からの指令が鈍くなってきているような気がする。
身体能力の衰えというよりも、神経伝達そのものが遅くなってしまったのではないだろうか。
歳とともに多かれ少なかれそうなるのではないか。

・・・考えすぎか。





誕生日を迎えた友人に遅ればせながらお祝いの言葉を送った。
わたしと同級の彼女は、毎年わたしよりも一足早く歳を重ねる。おめでとう。

さて、彼女からの返事。

『44じゃないどやーーー 43どーーーー』


なんたること。
あぁ、神経伝達の鈍さがここにも、、、







2008年08月25日(月) 男・女、友情

飛行機のなかで、"Maid of Honer"という映画を見た。
"Maid of Honer"というのは『花嫁付添い人』。
結婚式まであれこれと花嫁の世話をする人のことで、新婦の姉妹や親友が選ばれる。
何人かいる介添え人(Bridesmaid)の中で代表的な存在が"Maid of Honer"である。
語源はどうであれ、名誉なことなのだろうと想像する。(語源は、女王・皇女の未婚の付添い人となっている)


実はこの映画、あまり見たいとは思っていなかった。基本的に昔から恋愛ものは好きではないのだ。
だが、こちらでこの映画が公開されていたとき、たまたまTVで"My Best Friend's Wedding"を見てしまった。
この映画は、"Maid of Honer"の元となった映画だ。
個人的にジュリア・ロバーツが好きなので見てしまったのだが、これが結構面白かった。驚き。
ちょっと歳とってしまったジュリアが(失礼、)なんだか良い味を出していたなと思う。
また、それとは対照的に、(当時の)キャメロン・ディアツがとっても若かった!



そういうことで、マイベスト・・が良かったので、こちらのほうも暇つぶしに見てもいいかな。。。と思ったのだった。


結果。


うーーーーーん。あんまし。。。。


予想どおりではあった。わたしとしては、マイベスト・・・の方が数倍上。
なので、どちらかと言うと、マイベスト・・のほうをお薦めしたい。



*ちなみに、"Maid of Honer"は邦題 『近距離恋愛』。
いやはやこのタイトルは、、、いかがなものかと思う。



  ・・・


さて、

―男女間の友情は成立するか。



たぶん、どちらか一方が恋愛感情(性的感情)を持っていたら難しくなる。かも。
それを隠して友情を育むというのもアリかもしれないが、それでは双方のバランスが取れていないように思える。
自分の本当の気持ちを表せないというのは、悲しいことだ。
それに、相手の性を尊重することって、大事なことだとも思う。
同性、異性に関係なく、お互いの「性」に対する理解、尊敬は、大切なことだ。
もちろん、この場合の「性」とは、外見上の性だけではなく。


セックス友達。という言葉がある。
自分には到底無理なことではあるが、そのような境地にある人たちはある意味、意識レベルが高いのかな。。。とも思ったりする。


ところでわたしは「中性的」な人が好きだ。どこか安心する(抑止?)。
たぶん、自分の内面によるものなのかもしれない。
或いは、単に、歳のせい。



以上のことを含め(ちょと強引ではあるが)、わたしは「男女間の友情は成立する」に、一票入れたい。
あらためて(再び)
 ♪歳をとるのは素敵なことです そうじゃないですか〜


  





2008年08月21日(木) 天空ショー

面接のために出かけていく。
都心の、ある庁舎のような所。国籍に関する面接だ。

窓口で申し込みをする。
まだまだ時間がありそうと思い、待ち時間の間、外を散策することにした。
そのとき、職員があるポスターを壁に貼りだした。禁煙のためのポスターらしい。

「5円運動実施中!」
大きく書かれたその言葉とともに、カラフルな花が描かれていた。
よく見ると、その花はチュッパチャプスが並んで出来たものであった。

これでは反則の罰が軽すぎるんじゃないか?と、褐色の肌の男性らが話している。
わたしも同感。
喫煙者が5円出してチュッパチャプスを買わされる。はたしてこれで禁煙に繋がるのだろうか???
まだまだ日本は喫煙天国なんだなぁ・・・と妙な納得をする。


樹の下に寝転がっていると、わたしの名前を呼ぶアナウンスが聞こえてきた。
通された小部屋には6人ほど集まっていたが、わたしが入ったと同時にひとりかふたり、部屋を出て行った。
壁際に椅子が用意されている。座っている者、立っている者、それぞれである。

ひとりの女性が「葬儀なんかの時にはこの保険があるから助かる」といったことを話している。
それを聞いていたふたりの女性は強く同意している。
別の誰かが幾らくらいなのか訊ねると、ひとりが簡単なメモを手渡す。もうひとりは、「まったくあなたはきちんとしていないんだから・・・」と茶化している。

目の前に置いてあったパンフレットには、国籍取得後の例が紹介されている。
老夫婦の暮らし、本名の代わりに偽名を使った場合、ホテル支配人の嫌がらせ、幸福な人生とは・・などなど。

思いきって、隣の女性に声をかけてみる。
「国際結婚と国籍って、何か問題があったんでしたっけ?こういうの、大昔に来たような気もするのですが・・・」


そうこうしているうちに奥部屋にて個別の面接があるらしく、ひとり呼ばれて行った。
現れた担当官は、「もうすぐ夕食だから急ぐわよ」と冷たい表情で言い放ったが、それにしてはなかなか次の人が呼ばれない。


どうでも良いような気分になり、また外へ出て待とうと思う。
辺りは夕暮れ迫る頃。わたしはビルの屋上へ来ている。
道路には、帰りを急ぐ車の列が音もなく動いていて、まるで別世界のように見える。


雲が多い。桃色から橙色の綿雲が浮かんでいる。
寝転がると、自分のためだけに天空が拡がっているようだ。

突然、どこからか巨大な2組の男女が現れ、綿雲のなか笑顔で歩いている。
また政府の広告だ。最近は天空を使ってのものがやたら多い。
なんの広告だったのやら。特別な関心を寄せずに見ていたが、彼らが通り過ぎた後に雲が動き始めた。
綿雲はそれぞれ行くべき場所がわかっているかのよう。だんだんと集まり、形を成す。

まずはピラミッド。
天空に、巨大なピラミッドが中央に大きくひとつ、その後方にちいさくふたつ現れた。
その様子は圧巻で、ため息が出てしまう。
しばらくすると雲はまた動き始め、フェニックスが飛び立った。
周囲にいた人達は大きな声をあげ、喜んでいる。(いつの間にか屋上は多くの人で溢れていた)
わたしも胸がドキドキし、嬉しいような熱いような気持ちが沸き起こる。

フェニックスが飛び去ると、小さな星がひとつふたつ瞬き始めた。
天空は少しずつその色を変え、夜の帳が下りてくる。
静かな気持ちになってそれを見ていると、そこへ巨大なのび太君が笑顔でやってきた。
ドラえもんもいる。彼らは、黄色や赤のアニメらしい花を振りまきながら歩いている。
思わずのび太君に手を振る。(手を振ってしまってから、ちょっと恥ずかしくなる)
すると、のび太君はわたしを見て、手を振り返すではないか。
おーーーコンタクトも可能なのか!!と、心底驚いてしまう。
やるじゃないか、政府。


のび太君たちが去った後、頭上には満天の星空が残った。
いつの間にか人々も去り、わたしはひとり、星空に浮かんでいる。




                                     am03:40, 08/15/2008



2008年08月20日(水) “砂漠の花”

この出会いがなければ
あなたと出会うこともなかった
はじめの日のことは
もうとうに忘れてしまったけれど


そこからは何が見えますか
わたしのことも見えますか
きっともうすべてのことが
よしとされる世界だから
だれかれの区別なく
なんの心配もなく
あなたはそこで
静かに笑っているのかな


ありがとう
ありがとう
どんなにくり返しても
足りないくらい

ありがとう



たぶん誰も知らない
あなたがくれたもの
わたしはここで
これからも大事にするから
ずっとずっと持ってくから








2008年08月17日(日) 洋の暮らし

“洋の暮らしをこころがけましょう”

病院の待合室で見つけた言葉だ。
腰の悪い患者さんに対する色々な対策が述べられており、それらをまとめたのがこの一言であった。
個人的には、こりゃかなり強引じゃないか?と、思う。
こんな表現では、きちんと理解されないでしょう。医療側からのアドバイスにしては、なんともお粗末。


「洋の暮らしって、何じゃ?」一緒にいた姉が言った。
「たぶん、椅子の生活っちゅう意味じゃないか?」
ふ〜ん。。。といった表情の姉。
「けど、椅子に座ってるとキツイんだよねぇー。やっぱ、床っちゅうか畳に座るほうのが楽なんだよねぇ〜」


しかーし。実は、その「暮らしのなかの姿勢」っちゅうのが問題なワケで。
腰痛を予防するための椅子への座り方は、簡単に言うと、背筋を伸ばし、姿勢よく、深く、腰掛ける。
これは、意識してでないと、なかなか出来ないものだと思う。
また、床に座る場合、あぐらや足を投げ出すのは、腰に負担がかかっている。
だから、本人は楽なのかもしれないが、実は腰には良くない。
ま、知っててもなかなか出来ない、っちゅうのが本当のところでしょう。


そう言えば、母もそうだった。
ソファではなく、いつも床に座りたがる。いや、座るというよりも、足を伸ばすといった感じ。
(彼女は心臓が悪いので、足を下ろしていると浮腫んでしまうこともあり、その加減が難しいのだ)
で、立ち上がるときが一仕事だった。えーっこらどっこいしょ!と、本人も周囲の人間も、大騒動だ。
これは、ちょっとした喜劇だった。ちょびっと涙を誘うような、喜劇。

歳をとると、身体のあちこちにガタが来る。
だから、あっちこっちを、まぁまぁとなだめながら暮らしていかにゃならんのだ。




今日、ひとり掛けのリクライニングソファに座っているときに、ふと、
あーーーこれって「洋の暮らし」なのか???と思った。でも、自分にとって「洋」とはなんぞや?

しばし考えてみたが、これは結構、奥が深いことのよな。。。「わたし」を客観視するための一手段でもあるのかも。
「和」「洋」そして、「島」かな〜。




「ね、洋食を食べましょう、とか、そういう意味じゃないよね」
姉の言葉を思い出し、ひとり、ぷぷっ と笑っている。





2008年08月15日(金) それぞれの

人って、変わらない。
けど、変われるものだ。とも思う。


6月24日。前夜になってバタバタと荷造り、AM3時に家を出た。
ダラス経由で日本(成田)へ向かう。慌てて出てきたので、何か忘れているような気になってしまう。

以前、連絡しておいた友人がダラス空港まで会いに来てくれた。
講義や州試験に追われ、詳細を計画してなかったことが悔やまれたのだが、彼女からの電話のおかげで会うことが出来た。

何年ぶりだったろう。
お互いどこにいるのかわからず、ケイタイで話しながらやっとその姿を確認。
手を繋いで歩いている女の子を見て、手を振ったのだった。

「もう赤ちゃんじゃないね。オネェチャンだね〜!」と、こころが驚く。
そう言えば、前回会ったのは彼女が1歳前後だった。本当だ。もうオネェチャンになってる。


「あーーー!!いたいた!!」
友人の声がする。相変わらずのテンションだ。
元気そうで安心。少し痩せたかな。いや、だいぶん痩せたみたいだ。
しっかりと、「母」の顔をしている。凄いなぁ。。。と思う。
何が凄いのかよくわからないけれど、彼女の表情を変えたのは子どもの存在なのだと思う。
たぶんわたしが忘れてかけていた、「こどもの力」を感じたのかもしれない。

積もる話がありそうなのに、実際会ってみると、他愛のないことばかり話している。
あまり時間がないから。というのもあるのだけれど、そんなモンかな・・とも思う。
それよりも、ただ会えたことが嬉しかった。
見て、触れたことが、嬉しい。
この地で暮らしている彼女の「生」を感じた。心が温かくなった。



友人と別れ、ゲートへと向かう。
こころと、チケットを手に、搭乗の順番を待った。
グループ名を呼ばれ、ふたりで確認しつつ並んでいると、誰かが後ろから肩を叩く。
振り返ってみると、綺麗なユニフォームに身を包んだ空港職員さん。
一瞬、ん?まだ並ぶのが早かったのか???と思った直後、こころとふたりで「あぁ〜〜〜〜っ!!!」

なんとそれは旧友Sであった。
そうそう。彼女にも随分前に連絡だけしておいたのだ。
でも、仕事中で会えないだろうとのことで、あらためて連絡しなかったのだ。
それなのに、彼女はちゃんと時間を覚えていてくれて、わざわざ仕事を抜けて会いに来てくれた。本当にびっくり!

列が動くなか、一瞬の再会を喜び合った。
そのまま搭乗口に向かうわたしたちに、彼女は姿勢良く、「それでは、行ってらっしゃいませ!」と一礼してくれた。
わたしとこころはふたり同時に「カッコイイ!!」と叫んで大喜びだ。笑



ふたりの友人に再会し、ダラスでの生活を懐かしく思い出した。
あれから、みんなそれぞれの暮らしを送っている。これからも、それぞれがそれぞれの。



人って変わらない。
そして、やっぱり、人は変われるんだな。と、あらためて嬉しくなった。




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