ぶらんこ
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話しているそばから主題から離れていくような感覚。 一体、何が欠けているのか・・・を、昨夜ぼんやりと考えていた。
ぶれるということは、軸が不確かだということか? では軸となるものは?
起きたら、テーブルの上に袋に入ったドーナツが置かれていた。 スカさんが早朝に買ってきてくれたらしい。 嬉しいサプライズ。
大好きなねじりドーナツを珈琲と一緒にいただく。 とっても美味しい。 やっぱりねじりドーナツに勝るドーナツはないね〜。
ねじりドーナツ。ねじりドーナツ。 羊男も大好きだったねじりドーナツ。 この形がたまらない。 手に持ってちょうど良い。
と、
ぱっ と 閃いた。
ねじりドーナツ!
基盤となるものが必要。 すべてはそこから始まり、そこへ還る。 軸となるもの。
ねじりドーナツは、家族の形。
こころよ
かたくなであれ
あらけずりであれ
ひたむきであれ
まっすぐであれ
こころよ
その雫をだいて
やはらかであれ
ときに
悲しいうたが
なぐさめになるように
エンピツ日記の新着リストを眺めてはちょこっと覗いてみたりしている。 覗いてみたいな・・と思わせる何かというのは、日記のタイトルだったりその日の題名だったり作者のハンドルだったり。 本屋さんで、本を選ぶのと同じような感覚かもしれない。
面白いな、と思うのは、タイトルや題名はもちろんその作者が付けるのだろうが、ハンドルもまた作者自身が付けている、ということだ。 当然と言えば当然なのだけれど、自分の名前って本来は自分で付けられないものだから、面白なぁ・・とあらためて感じた次第。
ところで、この前こころとふたりで今年の卒業生のリスト(新聞に載っていた)を見ながら「名前」の話になった。 ある知り合いの子の名前を見て驚いていたら(かなり仰々しい感じ)、本名と呼び名が違うことは多いよ、と他の例まで教えてもらったのだった。 いろんな名前を聞いては、ほぉ〜 おぉ〜〜〜 へぇ〜〜〜と感嘆の声。 でも、その後、「わたし、自分の名前が大っ嫌い!」と言われて、あらららら。。。
へぇーそうだったの!!と、びっくり。
理由は「つまらない名前だから」だそうだ。 そっか。それは残念だね。。。まぁわかるけど・・・でもなかなか変えられないからねぇ(変えようと思えば変えられるだろうけれど)。
わたしは自分の名前がわりかし好きだ。 大昔は名前でよくからかわれたので、「嫌だなぁ・・・」と思ったこともあったけれど、今は大丈夫。 好き。というよりも、しっくり来る。という感触かもしれない。 こころさんもいつか、そう感じてくれると良いなぁ・・と願う。
少し前の話だが、仔犬(生後6ヶ月)を迎え入れようかどうしようか・・という話が我が家であった。 新聞に載っていた記事をスカさんが見つけたのがきっかけだった。 仔犬を飼いはじめたは良いが、自分達の手に負えなくなったのだろう。
受け入れたい気持ちはあった。 でも、悩んでいるうちに彼は貰われていった。きっと、縁がなかったのだろうと思う。
実は、悩んでいる間、仔犬の名前を考えていた。(変な話だ) その子を何度か見たことがあったので、すぐに名前が浮かんだ。 それは Chaos(ケイオス)。 日常的に、混乱・無秩序状態という意味でしばしば使われる。 日本語にすると、もうぐちゃぐちゃのめちゃくちゃー!という感じ。やんちゃなオゥシーパップにはぴったりだ。 ちなみに、辞書できちんと調べてみると、ギリシャ神話の原初神であり、カオス理論というものも出てきた。 んーなかなか深い名前でますます気に入ってしまった。
言葉に込められた力(言霊)は確かにあると思う。 たとえその言語を知らなくても。 でも、心のまんまを言葉にのせられることって、本当に少ない。 だから、そのまんまを受け取る必要もないし、自分が抱いている言葉のイメージを手放しても良いのかな。。と思ったりもする。
と、ここまで書いてみたが、やっぱりうまく言えてないな。。。
簡単に言っちゃうと、いろいろ(勝手に)思い込まずに、シンプルかつオープンでいたいな、ということです。
ありがとう。
2008年05月16日(金) |
competition |
The life is tough.
でも、競って勝つことが目的ではない筈。 むしろ、「勝つ」ことに無頓着でありたい、とさえ思う。
この世界ではきみは簡単に死んでしまう。と、あなたは言うのだろうか。
いいえ、それは違います。 誰にも知られずにひっそりと生きるでしょう。 そうしてそれをわたしはしわせと感じるでしょう。
Meals on Wheelsと呼ばれるボランティアに参加した。 日本でいうところの配食サービス(home-delivered meal program)だが、決定的な違いは、配達がボランティアで構成されている点だと思う。
このボランティアを知ったのは、教会で手渡される週刊誌からだった。2ヶ月くらい前だったと思う。 すぐに申し込んでみようかな・・と思いながらも躊躇いがあり、そのままにしていたら翌週、また募集がかかっていた。 それを見て決心がつき、申し込んだのだった。
Meals on Wheelsはカウンティ(郡)或いは市、町レベルで運営されている。 また、その名はさまざまで、わがカウンティでの正式名はCongregate Mealsである。 (congregate;集まる[める]=つまり、皆で集まっての食事。という感じかな〜)
初日。 告げられた場所へと少し早めに向かった。そこは高齢者専用のコミュニティだ。ほぼ中央にコミュニケーションセンターがある。 そこの厨房で食事が作られ、我々ボランティアによって配達される、という仕組みだった。 到着すると担当の女性が元気良く迎えてくれた。電話で打ち合わせした女性だ。 想像どおり、彼女は(控えめに見ても)軽く70歳を超えた感じの女性だった。 周囲にテキパキと指示を与えていて、小柄ながら貫禄があり、頼もしい限りだ。そのパワーに、一緒にいるだけで嬉しくなってしまう。 わたしが、まったくの初参加であることをあらためて伝えると、彼女は「あぁそうだったわね!大丈夫よ!」と肩を抱いて歓迎してくれた。
まず書面にサインをし、担当区域の小冊子を渡された。 配達する食事を確認した後、彼女の持つ書類とダブルチェックしながら配達方法を教えてもらう。 (と言っても、住所の確認程度で、実にあっさりとしたもの) 配達は8軒分だった。思っていたより少なくて、ちょっと安心。 小冊子には町の簡単な地図も入っているし、初心者でもなんとかなりそうだった。
食事は袋に入った飲み物やデザート類と、保温庫に入れられた食事のトレイである。 それらは順番良く並べられているのだが、配達先を間違ってはいけない、と慎重に何度も確認した。 この町の地理に詳しくないこともあり、地図とともにストリート名を確認しながらの配達だった。 また、名前を見ててっきり女性だと思って届けると男性だったり(その逆もあった)、 はたしてこの人は家族なのだろうか、まさか間違った場所なんてことは・・・ と、ヒヤヒヤしたのだが、後になって男性にも女性にもある名前だと教えられて目からウロコだったり。。。
そんなこんなで、初日は思った以上に時間がかかってしまった。 コミュニティセンターに空の容器を返しに行くと、ホールには既に大勢の老人達が食卓に着いていて、ちょうど食前の祈りを唱えていた。 (Congregate Mealsはコミュニティの住居者のみでなく町の誰もが参加可能で、車でやってくる方々も沢山いらっしゃった)
翌日からはかなりスムーズに配達出来た。 利用者さんともちょこちょこっと話をしたり、とても楽しかった。 中には無愛想というかunhappy,grouchyな方もいらしたが、まぁそんなものだろう。 独居という生活体形は、たとえそれが自身の意思であろうとも、やはり淋しいものだろう。 また、配達希望者というのは、日常のなかで外出することが困難な方々なので、尚のことだと思う。 しかしながら、大概の方々はにこやかに迎えてくれたし、嫌な思いをすることは全然なく、ありがたかった。 そして、あっという間に5日間が過ぎてしまった。
昨日は最後の日だったので、利用者さんにお礼を言いながら配達した。 利用者さんも、週毎に配達者が変わることを知っておられる様子で、お互いに「ありがとう」を言い合った。 お昼前、毎日1時間にも満たないほどの時間だったが、とても楽しく良い経験だった。 機会があれば、是非また申し込んでみようと思っている。
ところで、このように「気軽に」参加できるシステムが完成されていること自体が素晴らしいなぁ、とあらためて感じている。 配達のボランティアはわたし以外にも7〜8組ほどあり、その殆どが高齢者夫婦だった。 途中で気付いたのだが、こころの学校のシニアも参加していた。 どうやら、各々の配達ルートにより、ボランティアの依頼先(というのかな?)が決められているらしい。 各団体(教会とか学校とか)は、依頼された期間のボランティアを募集する。 わたしの教会の場合、期間は5週間で、各ボランティアの担当は1週間。 それが例えばひとりで1ヶ月だったら・・・なかなか出来るものではない。。。かもしれない。 前もって決められた短い期間だからこそ、やってみようかなー。と思えるのかもしれない。 (ちなみに、こころの学校のシニア達は毎日違うメンバーだった)
さて、あっという間に5日間が過ぎ、あぁこんな簡単なことだったらもっと続けても・・とも思ったのだが、 それくらいだからちょど良かったのかも・・・と、今になって思い直している。 なぜなら、色んな人が参加できる機会が沢山与えられること=マンパワーの充実。に繋がるのかな。。。と思ったりして。
最後に。 Congregate Mealsは月曜日〜金曜日の昼食のみだ。 一食分のコストは約$4.75となっているが、食費の支払いは義務付けられず寄付金で良いとされている。 ただし、利用者が60歳未満の場合のみ、総コスト分($4.75)の支払いが要求される。 もちろん、配達サービスを受けるのも、ボランティアで構成されているので完全な無料である。
この国のボランティアの歴史、意識の高さを感じる。
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