ぶらんこ
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2008年02月29日(金) サーチライト

灯りは鼓動のよに

止むことがない

遠ざかっては

またやってきて

黒い波を

照らす

そしてまた

真夜中に月が昇る

やがて鼓動は

音を奏で

海を

あたためるだろう
















2008年02月25日(月) FGM

先日、あるTV番組を見ていて、衝撃的事実を知る機会を得た。
考えがまとまらないままだが、出来るだけ心に添って書き留めておこうと思う。  
    

   「わたしは7歳のときに割礼を受けました。
   わたしの国では伝統的かつ積極的に行われることなのです。」


circumcised???
彼女の言葉を聞いたとき、最初は意味がわからなかった。
割礼(Circumcision)???誰のこと???


   わたしの身に起きたことはどうしようもないこと。もう起こってしまったことだから。
   そのことについて、わたしは何も出来ない。それはもう変えられない。
   でも、このことを広く知らせたい。
   わたしの身に起きたことを世界に知らせることに、自分の人生を捧げたい。
   今も尚、多くの少女たちがFGMを受けさせられ苦しんでる。そのプロセスの中で死んでしまう子もいる。
   わたしが声にすることで、未来の少女たちを救えたら・・と願っている。



彼女の言葉の意味を教えてくれたのはこころだった。
学校(保健)で習ったのだと言う。


正直なところ、信じられなかった。
あり得ない!と思った。
何かの間違いでしょう、と思いたかった。
でも、わたしの疑問(解剖学的)に対するこころの答えを聞き、事実であることを認めざるを得なかった。
それは「割礼」なんかじゃない。「虐待」でしかない。。。

元医療従事者として、その事実を知らなかったこともショックだった。
だから、詳しいことを知りたいと思った。知るべきだ、と思った。


 ・・・・・・・・

*女子割礼(Female Circumcision)*
現在では、(生々しい表現であるが)事実に基づき、*女性性器切除(Female Genital Mutilation)*と言われる。
FGMについては、このサイトが最もわかりやすく紹介されていると思う。⇒"FGMとは" FGM廃絶を支援する女たちの会


 ・・・・・・・・



随分前になるが、友人と一緒に「笑っていいとも!」を観に行ったことがある。
そのとき、オスマン・サンコン氏が出ていたのだが、オフレコでの彼の話が印象的だった。

初めて日本人女性と性交したとき(直接的な表現ではなかったが)、女性が突然大声を出したので非常に驚いた、という話があった。
会場は どっ と笑い出した。
サンコン氏は、まじめな表情で付け足した。
「いや、本当に驚いたんです。僕の国では、女性はけっして声を出さないんです。
だから僕は、もしかしたらその女性を殺してしまったのか!と思った。本当に怖かった。」

当時、わたしは22歳か23歳くらい。この話題がどのように終結されたのかは覚えていない。
女性蔑視(男性崇拝)の影を感じ、さらにそれが笑い話になってしまったことに、少しばかり嫌悪感を覚えた。
でも、サンコン氏自身は、けっして笑いを誘うつもりで紹介した話ではない、とも感じた。
どちらかと言うと、笑いに包まれ、困惑している様子だったと記憶している。
女性はいかなる場合でも男性に従順しなければならない。という古くからの慣習。
暮らしのなかでしっかりと根付き、起源とか理由などという発想すらないもの。
・・・しかし、その後わたしは、それ以上深く考えることはなかった。
あれは、遠い国の遠い出来事。。。




考えてみるとあれから20年だ。。。
今、彼の国の女性達が性交時に声を出せなかったことについて、あらためて考えている。
問題は、もっともっと深いところにある。
彼女達の苦痛は、もっともっともっと、深いところにあった。



先の女性はこうも言っていた。

   わたしは一生、結婚しないつもり。
   FGMによって、男性とセックスできない身体になったから。



彼女は美しい21歳の女性。ソマリアからの移民だ。
ソマリアで行われているFGMは、最も深刻なタイプの陰部封鎖(infibulation)である。






2008年02月22日(金) 風に乗る

「あんたまでそんなことをするって言うのかぃ?もうすぐ帰国するってときにどうして・・・。」
ママさんが悲しそうな顔で言った。わたしにもその理由はわからなかった。

マリアのように彼を信じているから、というのでもなかった。
それよりも、自分が心から恋人を愛しているのかもわからなかった。
「大丈夫。何もかもうまくゆくよ。」と言われ、きちんとした返事もしないままに話が進んでいた。
かと言って、特別、嫌だとも思わなかった。
どちらかと言うと、やってもいい、という気持ちに傾いていた。それは自分でも不思議だった。


わたしはマリアの隣で、女たちに囲まれ、その準備をしていた。
顔には赤や黄色のカラフルな化粧が施された。
身につけているものは、首から下げられた大きな数珠のようなものとおなじような耳飾り。
そして腰に巻いた一枚の布。上半身は裸だった。
困る!と思ったが、マリアの顔を見てあきらめた。ここまで来てそんなことを言ったってはじまらない。
マリアは静かな顔をしていた。
この儀式で認められたら、1年待たなくとも彼と結婚できるのだと言う。
「あなたは軽いからきっと大丈夫。風があなたの体を持ってってくれるわ。」
マリアにそう言われると素直に安心できた。そのマリアは、とてもふくよかな体型をしていた。


女たちに連れられて外へ出ると、男たちが待っていた。
目の前には高い崖がある。
崖の中央には、大きな岩がまっすぐに切られたような、平らな場所があった。
崖の真下は深い碧色をしている。そこだけ波がないように見えるが、良く見ると渦を巻いていた。
・・・めまいがする。

恋人はわたしを見て言った。
「風は充分にある。きみは鳥のように空を舞うだろうね。大丈夫。僕を信じて。」
男ふたりがわたしの両側に立ち、腕をつかんで歩き始めた。それを見た恋人は崖の上へと駆け上がる。
てっぺんへ着いた彼は、そこからゆっくりと中央の岩まで降りていった。
わたしは、彼の凧はどこにあるのだろう・・・と思いながら彼を見ている。
一体どうやってわたしを空に飛ばすのだろう?


岩場へ到着した恋人が合図を送った。男たちは手をたたいて歓声を送った。女たちは踊り始めた。

―ママさんがわたしに言った。
「もしも駄目だと思ったらあきらめていいんだよ。ただ、跳べばいい。飛ばなくてもいいの。わかるね?」



わたしは崖の上へと向かった。
飛べるだろうか、風に乗れるだろうか・・・と思いながら歩いている。
上まで行かなくちゃわからないな、と思いながら歩いている。
マリアは大丈夫だろうか、と思いながら歩いている。
「古くから大和の国にいたと言われる類のもの」を、おもいながら歩いている。
遠い小さな国のこの儀式の意味を思いながら・・・歩いている。
どうなるのだろう・・・どうするのだろう・・・と、思いながら、歩いている。

                                              04/21/2003



検索中、偶然ガーナに関する記事を見つけた。
海に面した小さな国であること、公用語が英語であることを知ってびっくり。。。
もしかしてもしかする?かな???


ガーナはFGM禁止法を有している国だった。





2008年02月21日(木) 儀式

なんとなく、ここはガーナだ・・・と思ったが、ガーナには海がなかったような気がする。
タンザニアか・・・もしかしたら大陸ではなく、島なのかもしれない。
拡がる海の青が深い。白い波がたくさん見えるのは風が強いのか。
わたしはそこで暮らしていた。そして、帰国の日が迫っていた。


薄暗いカフェ。小さな窓からは外の海が見える。恰幅の良いママさんがお金を数えていた。
いつも不機嫌なケリィがやってくる。わたしは彼女の笑っているところを一度も見たことがない。
ケリィはエプロンを投げ、帰ってしまった。ママさんは「あんたにやるお金はないよ!」と怒鳴っていた。

いつもおどおどしている風に見えるが、とても気の良いマリアがやってきた。
マリアはもうすぐ結婚することになっている。人々は彼女のことが大好きだ。
彼女の心は澄み切っていて、一緒にいると気持ちが安らぐ。
決して何か言うわけでもないのに、彼女を前に話していると、自分の行くべき道が見えるような感じ。


「マリア、どうしてもそれをすると言うのかい?」
ママさんが心配そうにマリアに聞いた。マリアは「そうね。」と言って微笑んだ。
「彼のやりたいように、って思うの。わたしは彼のことを信じているし。なんにも心配ないわ。」
わたしが「何をするって言うの?」と聞こうとしたとき、迎えがやってきた。


「決めたことがあるんだ!」
彼はわたしの恋人らしい。まだ若い。心からわたしのことを好いているのだろう。まっすぐな目をしている。



彼に連れられ、広い丘のようなところへと行った。
背の高い葉たちが風に揺られ、波のように押し寄せてくる。緑の波の向こうには、やはり青い海が見える。
丘には大勢の人々が集り、思いおもいの姿勢で空を見上げていた。
陽はようやく傾きかけたところ。海風が強い。陽射しはそれほどでもなく、暑さは感じない。


どこからか聞き慣れない金属音が聞こえ始めた。手をかざし空を見上げると小さな飛行機が飛んでいる。
飛行機?
ちがう。飛行機のような形ではない。つまり、羽らしきものがない。円盤?のような感じ。
人々は皆、それを眺めている。喜んで手をたたいている人もいる。
わたしは何がなんだかわからない。恋人は紅潮した頬でそれを見ている。
それは、生きもののようにも思えた。

と、その円盤はとんでもない飛行をして(目では追えないような)空に文字らしきものを書き始めた。
―ように見えた。が、わたしにはそれが読めない。
この国の言葉でもないのだろう。隣にいた恋人にもわかっていないようだった。
円盤はしばらくその無茶苦茶な飛行をした後に、突然消え去った。
いきなり、ぱっ と、消滅したのだ。

わたしは酷く怖ろしいものを見たような気持ちになり、顔を覆った。
あれはきっと宇宙人で、何か悪い啓示のように思え、体が震えてしかたがなかった。
すると、ひとりの老人が穏やかな口調でわたしに言った。
「心配ないよ。あれは、古く大和の国にもいたと言われる類だから。」


恋人はそんなわたしを気にする風でもなく興奮気味に言った。
「やっぱり決めたよ。僕らも儀式に参加しよう!」 






2008年02月16日(土) Rock

先日、ひょんなことから『エアギター』の話になった。⇒ガチャピン日記


ガチャピンって凄い!!と大絶賛のこころだったが、何を隠そう彼女も以前はエアギターの名奏者だった。
とは言え、当時はふたりとも「エアギター」なんて言葉すら知らなかったけれどね。


   エアギターとは;はてなダイアリー
    Air Guitar:簡単に言ってしまえば、ギターの弾きまね。パントマイム。
    空想のギターを奏で、音楽とシンクロさせて、チョーキングではイタい顔を、ギターソロでは激しいライトハンド奏法やタッピングを行う。
    すべては、ロック愛から成される奇跡とでもいうべきだろう。



これを読むと・・・いや〜こころさん、あなたも確かに奇跡だった!
なぜって、誰に教えられるでもなくやってたもんね〜。
かなり小さい頃からやってたよね〜。
しかし・・・なんであんなに「入って」たんだろうね〜。
わたしの声(歓声)なんて、外野のもっと向こうみたいで、あなたにはまーーーったく聞こえてなかったものね〜。


こころは、表情もさることながら、奏法もなかなか凝っていて、それなりにストロークだのアルペジオ?だのを使い分けていた。
わたしが好きだったのは、右手の指がギターのネック部分まで上がってくるところ。
もちろん、メロディに合わせてのことなので、そのようなシチュエーションにいつもお目にかかれるとは限らない。
決まったパターンなどなかったことに、あらためて驚いてしまう。

大抵、エアギターを披露してくれるのは車のなかだった。
助手席で目を瞑りながら演奏するこころさんを横目で見つつ運転するわたし。という図。
8歳の頃にはもう弾いていたな〜。
クラシック・ロックから、もちろんスピッツも。



で、いつ頃だったか・・・突然、彼女はエアギターを手放してしまった。
中学2年くらいかなぁ。。。1年の終わり頃だったかなぁ。。。
わたしがどんなに頼んでも頑なに拒み続け、しまいには怒り出した。
だから、今はもう久しく聴いていない。



「あなたのエアギター、大好きだったんだけど。」
「もうーーーなんであんなことしてたのか、自分でもわかんない!」
「なんで急にやめちゃったの?恥ずかしくなったの?」
「理由はわかんないけど・・・きっかけは・・・マミィが笑ったから・・でしょ?」
「笑ってないよ!っちゅうか、笑ってたってのは、喜んでたんだよ!」
「そうかもしれないけどーーーそのときはそう感じなかったのかも。。。」
「わたしはね〜大っ好きだったんだから。心から感動してた!凄い!と思った。本気で尊敬した!」
「本当?え〜でも・・・少しはバカにしてたでしょ?」
「いや全然。眩しいくらいに羨ましかったね。バカにしてる気持ちは一切なかった。」
「ふーん。。。そっか〜〜〜」


「じゃぁ。。。ということで誤解も晴れたことだし、ここらで心を解放して、一発・・・」
「解放って、何よ。」
「心を開いて!」
「もう出来ないよ〜〜〜」




残念。。。
でもいつかまた聴ける日が来る筈。。。と、密かに願っている。
なぜなら、彼女のなかにはロック愛がある!と(勝手に)信じているから。笑






2008年02月03日(日) pom-ponとクレヨン

こころの学校へ来ている。どうやら単なるOpen Houseではなく、こども達のショーもあるらしい。
なぜか義母と義妹も来ている。ふたりはわたしたちの斜め前に座っている。

次の演目までしばらく間が出来、周囲が次第に騒々しくなってきた。
義母と義妹も立ち上がり、一緒に行こうと誘われる。

わたしたちはある教室に入り(こころの教室ではないようだ)、そこでしばらく談笑する。
ホールへ戻る頃、「忘れるところだった!」と義妹が大きなカバンからpom-ponを取り出した。
彼女は義母にもそれを渡し、わたしの分も持ってきているから取ってね、と言う。
小さな銀色のpom-pon(ひとつだけ入っていた)を取り出し、わたしは夫のところへと戻った。


こども達が後方から入場してきた。
こころがわたしたちを見つけ、にこにこと手を振りながら前へ進む。
彼女は薄桃色のタートルネックのセーターに赤紫色のジャンパースカート、白いタイツ、紺色の靴という姿。
髪は下ろしていて、赤いカチューシャをつけている。黒く縁取られた小さなハートが彼女のお気に入りの。

「なんて嬉しそうなの!見た?ねぇ見た?」
義母と義妹が振り向き、興奮気味に話しかけてくる。ふたりの開放的なリアクションに少し照れ臭いような気分になる。

こども達が壇上に2列になって並んだ。こころは前列の中央付近にいる。
さて、音楽が流れ、身体を揺らしながらこども達が歌いだした。
軽快な歌。伝統的な童謡なのだろうか、わたしは知らないが、周囲の大人たちも皆口ずさんでいる。

と、突然、客席の大人たちが一斉に立ち上がり、「Yes!」と叫んでまたすぐに座り、これを何度か繰り返した。
「Yes!」「Yes!」
義母と義妹はもちろんのこと、多くの人がpom-ponを振っている。
歌を知らないわたしはドギマギしてしまう。どうやら盛り上がりのコーラス部分で合の手「Yes!」が入るらしい。
わたしもなんとか真似ようと思うのだが、なかなかどうして。リズムがまったく噛み合わず困った状態。
隣にいる夫は踊る気はさらさらないらしく、片手でこめかみを押さえ、うつむいたまま笑っている。
それを見たわたしも急に可笑しくなって笑い出した。


大人たちが立ち上がるたびに、壇上のこども達の姿が見えなくなる。
周囲に合わせようと何度か試みて立ち上がってはみたが、ころころ笑い転げてしまい、どうもうまく行かない。
あきらめたわたしはもう立ち上がらないことにした。座ったまま、とりあえず1個だけのpom-ponを振る。

「Yes!」「Yes!」「Yes!」
愉快な音楽とともに人々の声が鳴り響き、しゃらしゃらとpom-ponが揺れる。
いつか自分もこんなことが出来るようになるのだろうか、いやそれはないな。。。
そんなことを思いながら、尚のこと可笑しくてたまらなくなる。



  ・・・・・・・・・・・・・


授業風景を見ることになる。
たまたま入った教室で、席に着くように言われ、なぜか一緒に授業を受ける形になった。

夫とふたりで席に着く。周囲は、20代〜30代の大人たちばかりだ。
前方には世界地図が用意されている。講師は髪をひとつにひっ詰めたややふくよかな女性で、洒落た眼鏡をかけている。

「では、アリゾナ州に色を塗ってもらいましょう。じゃぁ・・・そうね。。。あなた、お願い!」

指示されたのは、ネパールかインドネシアか?東南アジア系の顔つきで、褐色の肌に黒い巻き髪の若い男性だった。
彼と一緒に座っているのは友人なのか家族なのか・・男女混じって5人ほどいた。
どうやら彼らは英語がそれほど堪能ではないようだ。
質問の意味を仲間内で、彼らの言語で話し合っているようだった。

アシスタントらしき女性が、にこにこと笑顔を振りまきながら、講師から渡されたクレヨンを彼らのところへと持ってきた。
透明なプラスチックのケースに入ったやたら大きなクレヨンだ。

紙の地図に色を塗ると、前方へ張り出された大きな地図にも同じ色が塗られる仕組みになっているらしい。
彼は悩んだ末にクレヨンを一本取り出し、さささと塗り始めた。

「あ〜〜〜〜あ、、、」
周囲から声が漏れる。声のトーンで、間違っていると判断したのだろう。彼は塗り始めた色を消しゴムで消した。

仲間と話し合いながら、また色が塗られた。今度は茶色っぽい赤だ。わたしは「そうそうアリゾナはその色よね!」と妙な確信を覚える。
だが、「いや。その色じゃない」と夫が言う。
よーく見ると、塗られた色の隣にはエジプトが見えた。
あーーー違う!アリゾナはエジプトの隣じゃないもんね?違うよね?
夫はそれには答えず、色が違う、と言い張る。だんだんわたしも、そっか・アリゾナはもうちょっと違う色だったかも。と思えてくる。

そもそもクレヨンが違うからなんだ。と夫が強く言う。
彼らが渡されたのは18色のクレヨンだったが、アリゾナ州の色は18色クレヨンには「ない色」と言うのだ。
正しい色は、最低でも36色クレヨンじゃないと無理なんだ。あのクレヨンからは選びようがないんだよ。
そう言われてみると、なるほどそうだよなぁ〜と納得する。

18色のクレヨンを手に、これでもないあれでもないと選ぶ彼らを見て、いたたまれない気持ちになった。
あの人たちは英語がわからないみたいだから、言ってあげたほうがいいよ、ね、講師にちゃんと言ってあげたほうがいいよ。
遠慮がちな夫をなんとか押して、説得した。

おもむろに手を上げた夫に気付いた講師が、得意そうに肯き発言を促した。
彼女は彼の説明を聞いた後「あぁ〜。。。」と声をあげ、慌ててアシスタント・ティーチャーに36色のクレヨンを持って行かせた。


新しいクレヨンの色を見ながら、彼らはまた話し合いを始めた。
薄暗い赤茶色が塗られると、にわかに周囲から拍手が沸き起こった。
わたしは、やっぱり地理が得意っていいよなぁ〜と、しきりに感心しまくっている。



  ・・・・・・・・・・・・


変な夢。

こころ曰く、バスケットのParent's Nightに参加できなかったことへの罪悪感が見せた夢なんでしょう!と。
なるほどそうかもしれない。
それにしても、小さな姿のこころが夢に出てきたのは久しぶりで、目覚めてからも楽しい気分が残っていた。
こういう夢を覚えている。というのも、悪くない。笑


最近、「ねむりと記憶」についての面白い記事を見つけた。
最高です。お時間のあるときに、是非どうぞ。







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