ぶらんこ
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2007年10月25日(木) 黄葉


 陽に照らされる黄葉
 いよいよ美しく

 




最近、音楽を聴かなくなった。
聴くのは、車を運転しているときくらいだと思う。
それはそれで良いのだが、よくよく考えてみると、暮らしの中でそういう欲求がなくなったらしいことに気付いた。


そのことを昨日こころに話すと、
「マミィ、それヤバイよ」と言われた。
・・・そうかもしれない。自分自身、愕然としている部分がある。


こころはずっと音楽を聴いている。
部屋にいるときもシャワーをするときも皿洗いするときもPCに向かっているときも。
そういう意味では、わたしも耳に入ってくる(彼女の)音楽を聴いている。
ただ、自らすすんで音楽を聴こう。という気持ちが薄くなっているのだと思う。


こころの保存している音楽のジャンル(?)はさまざまだ。
日本語・英語、歌詞(言葉)なし。わたしの知っている楽曲もあれば、まったく知らないものもあり。
特に気にならない楽曲から、逆に耳障り或いは不快な楽曲。などなど。
とにかく彼女は、莫大な量の音楽をいつもノリノリで聴いている。


わたしも以前は、音楽をかけながら掃除したり皿を洗ったりしたものだ。
なのにいつ頃からか、そういうことがなくなった。
音楽が「雑音」になってしまったのかもしれない。
そう気付いたときは、自分でもちょっとショックだった。
どうしちゃったんだろ。。。。。。という感じ。




「マミィも歳とっちゃったんだねぇ」と、こころは言う。
歳はもちろんとっているし、それが嫌だとは思わないけれど、そう言われるとどこか淋しい気持ちになる。
歳とった。というよりも「老いた」ということなのかな?或いは「乾いてきた」?

わわわ、、、今、書いてみて気付いたのだけれど、そうなのかもしれない。
「乾いて」きたのかもしれない。
「乾く」とは、「瑞々しさ」がなくなるということだ。
瑞々しい気持ちは心を豊かにする泉だ。



「ヤバイ」というこころの言葉がやけにしっくりと響く。
そして、車の中で聴く音楽もいつか雑音になってしまうのかな・・・という想いを慌ててキャンセルした。

うーーー。わたし、大丈夫か???


いやいや。きっと大丈夫。
人生の午後はいよいよ美しい。。。はず。(←ちょっと強引)





2007年10月14日(日) 柔和な顔

「柔和な顔」という言葉を見つける。
あぁいいなぁ・・・と思う。
そして、自分はどんな顔をしているのだろう・・・と思う。

柔和な顔って、見せようとして見せる表情なのではなく、きっと、にじみ出てくる表情なのかもしれないな・・と思う。
偽りとか取り引きとかとは無関係なもの。
きっと誰もが持っている、その人の「本当」の顔なのかも。


柔和な顔は、人の心の目を開いてくれる。


2007年10月11日(木) 成長痛

こころはよく「成長痛」で泣いたものだ。
最初はその痛みがどこからくるのかわからず(幼いこともあり、こころ自身、説明できない)、とにかくさすったりなだめたりしていた。
いつだったか姉から「これはきっと成長痛だね」と言われ、あぁそうかも。。。と、思い当たった。
それからこころは、「まみぃ、またセイチョウツウーがするー」と言って泣いた。
そんなにすぐ成長痛って決め付けちゃダメだよ。と言うのだけれど、10回のうち7回くらいは鎮痛剤が必要な程の痛みだった。
だいぶ後になってからは、「わたしには成長痛の痛みとそうじゃない痛みと、違いがわかるのよ」と言われた。
見ていて、そらそうだろうなぁーと、思った。
彼女自身、腕や脚をさすりながら、なるべくは薬を飲まずにやり過ごそうともしている様子だった。
それでも我慢できないとき、鎮痛剤のお世話になった。
「成長痛がする、ってことは、それだけ成長してるってことだからね。きっと、こころは背が高くなるんだよ〜」と慰めたものだ。

が、彼女の背は今だにわたしよりも低い。。。

「あんなに酷い成長痛があったのに、どういうこと???」と、こころは嘆く。
わたしも不思議に思う。
なんでこころはちびっこいままなんだろう?
まぁそんなことを本人には言わないが。


昨日、こころのバレーボールが終了した。
なかなかハードだったと思う。
練習内容(ドリルを含め)は、ソフトボールよりも格段にキツかったらしい。
それに加え、コーチ陣が非常に strict(厳格)だった。
ただ厳格、というのではなく、かなり偏っていた、という感もあり。。。
とにかく、彼女は心身ともに、かなり辛かったと思う。途中で「止めてやる!」とも思っただろう。
わたし自身、「止めてやれ!」と言いたかったくらいだ(良くない)。
それをなんとか完遂。
よくやったなぁ・・と思う。本当に、心から、手放しで、賞賛したい。


けれども、彼女の心には大きな傷が残ったと思う。
今もまだジクジクしてるかもね。
こころを見ていると、かなり痛い思いをしているのだろうなぁ・・と、感じる。
でも、この「成長痛」には、鎮痛剤は効かないのだなぁー。
こうやって、だんだん、母ちゃんが「手を出せること」がなくなっていくのだろう。
なんとかしてやりたい。と思っても、目に見えるようなことは、もう出来ない。しない。
やはり、ちょっと淋しい気持ちもある。
きっと今、母ちゃんに出来るのは、目に見えないサポートだけだ。さて、何が出来る?
ある意味、これは母ちゃんにとっても、「成長痛」???




先日、ホームゲームを一緒に観戦した義母が、試合を終えて帰ってきたこころにこう言った。
(ちなみに、この晩こころはなかなかの活躍ぶりだった。)

「あぁ〜あなたの背がもう少し高かったらって思うわ・・・!」
「んーーーグランマ!!」

「わ〜。。その話題に触れるなんて、なんというチャレンジャー!」
わたしがそう言うと、義母もこころも大笑いしていた。
ま・・・これが今のわたしたちに効く「鎮痛剤」なのかも。ね。



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