ぶらんこ
index|past|will
陽に照らされる黄葉 いよいよ美しく
最近、音楽を聴かなくなった。 聴くのは、車を運転しているときくらいだと思う。 それはそれで良いのだが、よくよく考えてみると、暮らしの中でそういう欲求がなくなったらしいことに気付いた。
そのことを昨日こころに話すと、 「マミィ、それヤバイよ」と言われた。 ・・・そうかもしれない。自分自身、愕然としている部分がある。
こころはずっと音楽を聴いている。 部屋にいるときもシャワーをするときも皿洗いするときもPCに向かっているときも。 そういう意味では、わたしも耳に入ってくる(彼女の)音楽を聴いている。 ただ、自らすすんで音楽を聴こう。という気持ちが薄くなっているのだと思う。
こころの保存している音楽のジャンル(?)はさまざまだ。 日本語・英語、歌詞(言葉)なし。わたしの知っている楽曲もあれば、まったく知らないものもあり。 特に気にならない楽曲から、逆に耳障り或いは不快な楽曲。などなど。 とにかく彼女は、莫大な量の音楽をいつもノリノリで聴いている。
わたしも以前は、音楽をかけながら掃除したり皿を洗ったりしたものだ。 なのにいつ頃からか、そういうことがなくなった。 音楽が「雑音」になってしまったのかもしれない。 そう気付いたときは、自分でもちょっとショックだった。 どうしちゃったんだろ。。。。。。という感じ。
「マミィも歳とっちゃったんだねぇ」と、こころは言う。 歳はもちろんとっているし、それが嫌だとは思わないけれど、そう言われるとどこか淋しい気持ちになる。 歳とった。というよりも「老いた」ということなのかな?或いは「乾いてきた」?
わわわ、、、今、書いてみて気付いたのだけれど、そうなのかもしれない。 「乾いて」きたのかもしれない。 「乾く」とは、「瑞々しさ」がなくなるということだ。 瑞々しい気持ちは心を豊かにする泉だ。
「ヤバイ」というこころの言葉がやけにしっくりと響く。 そして、車の中で聴く音楽もいつか雑音になってしまうのかな・・・という想いを慌ててキャンセルした。
うーーー。わたし、大丈夫か???
いやいや。きっと大丈夫。 人生の午後はいよいよ美しい。。。はず。(←ちょっと強引)
「柔和な顔」という言葉を見つける。 あぁいいなぁ・・・と思う。 そして、自分はどんな顔をしているのだろう・・・と思う。
柔和な顔って、見せようとして見せる表情なのではなく、きっと、にじみ出てくる表情なのかもしれないな・・と思う。 偽りとか取り引きとかとは無関係なもの。 きっと誰もが持っている、その人の「本当」の顔なのかも。
柔和な顔は、人の心の目を開いてくれる。
こころはよく「成長痛」で泣いたものだ。 最初はその痛みがどこからくるのかわからず(幼いこともあり、こころ自身、説明できない)、とにかくさすったりなだめたりしていた。 いつだったか姉から「これはきっと成長痛だね」と言われ、あぁそうかも。。。と、思い当たった。 それからこころは、「まみぃ、またセイチョウツウーがするー」と言って泣いた。 そんなにすぐ成長痛って決め付けちゃダメだよ。と言うのだけれど、10回のうち7回くらいは鎮痛剤が必要な程の痛みだった。 だいぶ後になってからは、「わたしには成長痛の痛みとそうじゃない痛みと、違いがわかるのよ」と言われた。 見ていて、そらそうだろうなぁーと、思った。 彼女自身、腕や脚をさすりながら、なるべくは薬を飲まずにやり過ごそうともしている様子だった。 それでも我慢できないとき、鎮痛剤のお世話になった。 「成長痛がする、ってことは、それだけ成長してるってことだからね。きっと、こころは背が高くなるんだよ〜」と慰めたものだ。
が、彼女の背は今だにわたしよりも低い。。。
「あんなに酷い成長痛があったのに、どういうこと???」と、こころは嘆く。 わたしも不思議に思う。 なんでこころはちびっこいままなんだろう? まぁそんなことを本人には言わないが。
昨日、こころのバレーボールが終了した。 なかなかハードだったと思う。 練習内容(ドリルを含め)は、ソフトボールよりも格段にキツかったらしい。 それに加え、コーチ陣が非常に strict(厳格)だった。 ただ厳格、というのではなく、かなり偏っていた、という感もあり。。。 とにかく、彼女は心身ともに、かなり辛かったと思う。途中で「止めてやる!」とも思っただろう。 わたし自身、「止めてやれ!」と言いたかったくらいだ(良くない)。 それをなんとか完遂。 よくやったなぁ・・と思う。本当に、心から、手放しで、賞賛したい。
けれども、彼女の心には大きな傷が残ったと思う。 今もまだジクジクしてるかもね。 こころを見ていると、かなり痛い思いをしているのだろうなぁ・・と、感じる。 でも、この「成長痛」には、鎮痛剤は効かないのだなぁー。 こうやって、だんだん、母ちゃんが「手を出せること」がなくなっていくのだろう。 なんとかしてやりたい。と思っても、目に見えるようなことは、もう出来ない。しない。 やはり、ちょっと淋しい気持ちもある。 きっと今、母ちゃんに出来るのは、目に見えないサポートだけだ。さて、何が出来る? ある意味、これは母ちゃんにとっても、「成長痛」???
先日、ホームゲームを一緒に観戦した義母が、試合を終えて帰ってきたこころにこう言った。 (ちなみに、この晩こころはなかなかの活躍ぶりだった。)
「あぁ〜あなたの背がもう少し高かったらって思うわ・・・!」 「んーーーグランマ!!」
「わ〜。。その話題に触れるなんて、なんというチャレンジャー!」 わたしがそう言うと、義母もこころも大笑いしていた。 ま・・・これが今のわたしたちに効く「鎮痛剤」なのかも。ね。
|