ぶらんこ
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早々に起きて月を見る。皆既月食は既に始まっていた。
月の色が変わり、闇が膨らむ。 満天の星空。流れ星。 吸い込まれそうに美しい。 胸が逸る。心が静まる。
女性がひとり道路へ出てきて、軽くストレッチを始めた。 彼女の姿は街灯にぼんやりと照らされている。 「月を見て。月食が始まってるの」 声をかけようかと思ったが、あちらからわたしは見えないだろうか。驚かせてしまうだろうか。と、ためらう。 そこへ、もうひとり、女性が歩いてくる。 いつも一緒にウォーキングをしているのだろう。約束の時間に合流した様子。ふたりで歩き始めた。 と、後から来た女性が月を指差して言う。 「あそこ見て。月食が始まってる」 ふたりは一瞬、歩みを止めて月を見上げた。 月は薄暗い赤錆色の衣をまとって隠れているように浮かんでいる。
ふたりの後姿が見えなくなってから、一旦家の中に戻り、珈琲を淹れて裏庭のほうへ移った。 ちょうど良い場所に椅子を置いて座ると、B&Pも近くに来てのんびり。 二頭をそれぞれ交互に撫でながら月を眺める。珈琲がいつもより美味しい。 頭上はこんもりとした葉陰に覆われているが、その間から星たちがきらきらと瞬いていてとても綺麗だ。 少し向きを変えると、煙のような天の川が横たわっているのが見える。
夫はちょうど良い時間に月を見ることが出来た。 彼は「すごいね」と言って、仕事へ出かけて行った。 仕事じゃなかったら起きなかっただろうから、ちょうど良かった。 わたしは彼を送り出した後、ゆっくりと月を眺めることにした。 月の動きとともに、椅子を移動させながら、夜が明けるのを待った。 時々風が吹いて、葉っぱをさわさわと揺らし、心地よい音を奏でた。きりっとするあけがたの風。 それにしても、月はもちろん、星空もまた素晴らしく、あぁ早起きするモンだなぁ・・・と、しみじみ思った。 6時前。 月が消えてしまう前にこころを起こした。せっかくだからやっぱり見て欲しいな・・と思って。 彼女は寝ぼけ眼ながらに淡い色の月を見た。それから双眼鏡にて月食をしっかりと確認。 おぉ〜と、感動的な声をあげた後、「双眼鏡まで持ってきちゃって・・・」と、わたしのことを笑っていた。 (たぶん、終わりのほうしか見られなかったのが悔しかったのだろう。)
しばらくして、東の空がぼんやりと白み始めた。 星たちはゆっくりと姿を消していく。 月もまた、朝の空に混ざり始めた。
・・・
「まだ月が出んよ」と、メールが届いていた。 ちょうどわたしが月を見上げていた時間だった。「早起きして見た?」と、短いメール。
返事を書きながら、ちょびっとだけ感傷的になった。 さっきまで見ていた月が向こう側へ沈むことと、向こう側で「月が昇ってくる」ということ。 お月さんをここから向こうへと手渡したような気分。繋がる感触。
まぁそれはほんの一瞬だけだったけれど。 朝が始まり食事をこしらえる。それから、いつもどおりのその他いろいろ。 もちろん、あちらさんもまた、同じだろう。 それが至極当然であり自然であり。
でも、世界中のいろんなところで同じような時間に沢山の人が同じ月を見上げていたのだろうなぁ・・と、あらためて思う。 そして、それはとても素敵なことだと感じる。 その一瞬、人々の純粋な気持ちが合わさったような、そんな気がする。 その純粋さというのは、ナンセンスを楽しむような味わうような、そんな感じのもの。 そういうところに、人間の可能性が秘められているような、そんな気もする。
最近、英語ではなく島口を勉強している。 ここへ来てなぜ???という感じだが、流れ的にそうなった。 特に「声に出す」ということを重点的に行っている。 なかなか流暢になってきたような気がする。 しかし独学なので「ひとりよがり」になりがちだ。 大切なのは、なめらかさとメリハリ。英語と一緒やね。 さて、成果を知り得るには誰かに聴いてもらうしかない。 母が退院したときにでも電話をかけるか。
ここで暮らしていると、帰ったときによく「英語が話せる」と(勝手に思い込まれて)褒められる。 わたしとしては、どちらかというと英語ではなく「島口が話せる!」と言われてみたいものだ。
なのでこっそりひっそりと、独学中。
食事のとき、「沢山食べると太る体質?」と聞かれた。 わたしは「どうかな。もう歳だから。そうかもね。」と答えた。 「じゃ、小さい頃は?」 「小さい頃はお腹一杯食べるってこと事態なかったからなぁ」と、ここで自分の言葉に笑ってしまった。 確かにそうだった。小さい頃は、常にお腹を空かしていたような気がする。
「じゃぁいっちばん最初に、お腹いっぱい食べた!って思い出は?」との質問に記憶を辿ってみた。が、鮮明な思い出はなかった。 「そういえば、教会のキャンプではいっぱい食べられて嬉しかった。今思えば、美味しい食事にありつけるからこそ参加してたのかもしれない。カレーとか、スイカとか。それから、カルピス!」 でっかいアルミのやかんに入った冷たいカルピス。やかんには水滴が沢山ついていたっけ。
小さい頃のわたしは痩せていた。わたしだけでなく、兄弟姉妹みんな痩せっぽっちのポキポキだ。 貧しかったもんなぁ。。。 その一言に尽きる・・・。というのが、なんだか可笑しい。 しかし今はみんなそれぞれだ。弟は今でも(たぶん)痩せギスだけど、彼もそのうち中年太りの域に達するだろう。 わたしは、というと。まぁボチボチといったところかな。 いやいや。自覚がないというのは要注意だ。食生活に気を付けなければ。それからワイン。???
ところで、こんな話をしていて、ふと思った。 「『ひもじい』って言葉、知ってる?」 答えはもちろん、「知らない」だった。 そうだろうなぁ。ひもじいなんて、最近ちっとも聞かないしね。今の子たちは「オナカスイタ」って言うのかもね。
そんなこともあって、家に帰ってから「ひもじい」という言葉を辞書で調べてみた。 「ひもしい」とも言うのかと思っていたが、それは大きな間違いで、「ひもじ」という名詞の形容詞化ということだった。 ひとつ、勉強になった。
幼い頃のわたしにとって、「ひもじい」という感覚は身近なものだった。そのひもじさは、身に迫る純粋な空腹感だった。 今でももちろん、空腹感を覚えることはある。 でも、「食」は手の届くところに確実に存在するので、昔のそれとは全然違っている。 物質的に充分に満たされているからなのだと思う。
では精神的には? hungryとは、精神的な飢えのことも指す。 満たされていない。と、いうと、なんだか不幸な感じが漂ってしまう。 かと言って、満たされている。とも言い切れない。
って・・・これは「欲望」なのかなー。欲望という言葉はどうも「不純」な感じがする。 ということは、純粋さが欠けているのか?今のわたしには?
んー。中途半端。
いつかはなくなるのか。空腹感。
・青のダイブ・
上空から飛び降りることになった。当然ながら風がもの凄く強い。ゴーグルをかけていて良かった!と興奮気味に思う。 ガイド?の女性が飛び出すタイミングを指示している。次はわたしの番だ。 彼女に「Go!」と背中を押され、宙に放り込まれる。身体が上向きになってしまったのを、懸命に立て直す。空を見上げたまま落ちるのは危険だからだ。 パラシュートを広げても、落ちる勢いはさほど変わらないように感じている。それでも地面はまだまだ遠く、青い世界に包まれている。 わたしは心の中で、こんな状態でも突然に地面が近くなるのだろう、と緩みそうになる気持ちを抑えている。 時々、3,2,1と数えながら目の前を凝視してみるが、青い世界はどこまでも果てしなく続いている。
・駅・
訪問看護の仕事に戻ることになった。場所は奥多摩の辺り。山道と列車、古い家屋という町だ。 数年ぶりとはいえ、ここの暮らしに変化はないから。と、ステーションの所長に、しょっぱなからひとりで訪問するよう指示される。 休みの日。確認のために地図を見ながら訪問先へ向かう。 山道を進んでいくと、古いトンネルがあった。トンネル内には灯りがなく、あちこちで水が滴り落ちている。 トンネルを抜けると道が開け、右上方に古い駅が見える。 なぜか、列車に乗ってみても良いかも。。。という気持ちになり、車を降りる。 わたしは友人の大きな犬(ゴールデンレトリーバー)を連れていたが、彼も一緒に車を降りる。 遠くから列車の汽笛が聞こえる。 駅の構内へ行く階段を探そうと思ったが、列車が近付いてきたので、手前にあったスロープを駆け上った。かなり急な勾配ではあったが、なんとか登れた。 が、いつの間に列車が到着していたのか、奥のほうを人々がぞろぞろと歩いている。何人かは、既に下に降りていて、山道の向こう側へ進んでいる。 もう列車は行ってしまったらしいことに気付いたわたしは、しょうがないので車に戻ろうと決心する。 が、あらためて見ると、駆け上ってきたスロープが緊急用のものだということに気付く。 それでも友人の犬は上手に滑り降り、駅から少し離れた広場へと駆けていった。広場では、若い女性がジャックラッセルとフリスビーで遊んでいる。飛び入り参加したわたしの犬に驚く様子がないので、ちょっと安心する。 下方で、突然声がする。 身体の大きな男性が「ここを使うなんてクレイジーだ!」と英語で叫んでいる。 自分でも確かにそうだ、と思うのだが、バツが悪いので「なんてことなかったわよ」と一応英語で言い返している。 「先にそれを投げて。こっちで受け取るから」と言われ、一瞬なんのことかと思うが、すぐに自転車のことだと気付く。 わたしは彼に自転車を投げ、彼は「おうおうおう!」と大袈裟に叫びながら受け止め、駅の柱へと立てかけてくれた。 いよいよわたしの番ね、と思って、スロープの先に立つ。 青い布が風になびいてひらひら揺れている。そのさまがますます弱弱しく感じられ、心許無い気分になる。 先の男性がいたずらっぽい目で見ているので、恐怖心を悟られてなるものか、と、思い切って飛び乗る。 両手を胸の前で組んで、両足もきっちりとクロスさせた。思ったよりも青い布は頑丈に出来ているみたいだ。
降り立ったわたしは友人の犬を呼び寄せようと思うのだが、はて名前はなんだったっけ?と悩む。それから、「ジャッキーでいっか」と思いなおし、彼を呼ぶと、ジャッキーはフリスビーをくわえたまま駆けて来た。 わたしは、「それにしても駅の夢が多すぎる」と言いながら、彼と一緒に車に戻る。
灯台の中をゆっくりと登っていく。 結構な広さ。あちこちに窓があり、中はとても明るい。思いのほか風もよく入る。前を行く女性のスカートがひらひらと揺れている。
友人が先頭を進んでいる。 何やら叫んでいるけれど、よく聞き取れない。 ガイド役の彼は、この辺りの景色について話しているか、或いはいつもの潮流の話をしているのだろう。 人々は皆、興味深そうに聞いている。 窓から外を眺めては、なるほど・うんうん、と頷いている。 彼に巧みな話術があるとは思い難いが、彼の海に対する愛情に、人々は引き込まれる。
わたしはこの灯台を登るのは初めてだ。 本当のところ、入場料が要るらしいが、友達のよしみで、ツアーに無料(内緒)で仲間入りさせて貰った。 知り合いが彼以外に誰もいないので、ひとり黙々と登っている。 退屈ではない。誰にも邪魔されることなく人々の様子を観察できるのが、実は楽しい。
海はどこまでも深い青をしている。風が強く、白い波が沖のほうまで続いている。 窓からの潮風がいつまでも肌に残る感じがして、何度も外を見るのだが、海の様子にあまり変化はない。
視線を感じてふと見やると、友人の彼女がにこにこと笑いながらわたしのことを待っていた。 (友人の恋人はなぜか女優の「小雪」さんだった) わたしはこのとき初めて彼女に会うのだが、友人の恋人だということは以前から知っていた。 失礼のないようにしなくては、と思い、ふたりのことをジロジロ見ないように努める。 でも、ふたり並んでいると友人が彼女の背丈の半分くらいしかないのがすごくすごく可笑しい。 それを彼らに悟られないよう、わたしは努めて自然に振舞っている。
そのとき、波しぶきが小さく顔に当たった。 あれ?と思い外に目をやると、波が大きくうねり、沖からどんどんと打ち寄せてくるのが見えた。
優しい顔の小雪さんが気になる。 彼女は泳げるのだろうか。友人はちゃんと彼女を守れるだろうか。と、心配になる。 でもすぐに、まぁ大丈夫でしょう。と思いなおす。 わたしは長袖を着ていて、これなら海に沈んだときにも大丈夫。と、どこか落ち着いた気持ちで波を待っている。
友人らと駅の構内にいる。 駅は海の上に浮かんでいる。 それぞれ、始発の列車を待っている様子。 休暇前の高揚した雰囲気が充満している。
友人夫妻が親しげに話しかけてくる。 長い休みになるので、留守中こどものことが心配だと言う。 奥さんはこども達を置いて行くことがとても気懸かりらしい。 全然大丈夫でしょ。と、旦那さんの方は屈託なく笑っている。
少し離れたところに、もう一組の友人夫妻が立っている。 ふたりでスーツケースの中身を確認している様子。 何気なく見ていると、旦那さんがわたしに気付き、にこりと笑う。 ぺこりと会釈しながら、長いこと会ってなかったけれど変わってないなぁ。。と少し不思議に思う。
「あーーー忘れてきたんだ!」と、先の友人が叫ぶ。 奥さんはどこかほっとした表情で、「しょうがないから帰ろう」と話している。 でも彼のほうはあきらめがつかない。あれがなくてもなんとかなるよ、と奥さんを説得しようとしている。
「すぐに拾って来るから」 いつもどおり、わたしが名乗り出る。 彼は大きく笑って「おぅ!玄関に置いたままだからすぐにわかるよ」と言う。 奥さんは「そんな。もう時間がないからいいわ」とためらっている。
「すぐに戻るから」と言いながら、わたしは海のなかに飛び込む。 「耳抜き。忘れんなよ!」と、友人が頭上で叫ぶ。
凪。海のなかは思った以上にひんやりとしている。 「いつも必ず誰かひとりは忘れものをする。これは昔から決まっていることみたい」わたしは心のなかで思う。 それから、やっぱりこの仕事好きだなぁ・・・と、あらためて嬉しい気持ちになる。
静寂に包まれ、ふと振り返る。 光の輪の向こうに、浮かんでいる駅が遠ざかっていくのが見える。 友人の家までの道筋を反芻しながら、わたしはさらに深く潜って行った。
キーンと冷やした白わいんを飲んでいる。
さっきこころが言った言葉。 「マミィと飲むようになったら楽しいだろうなぁ」 なんなら今飲めば?と、そそのかしたのだが、それは案の定、却下された。 あと5年。 そのときも同じ気持ちであれば、どんなに楽しいか・どれだけ特別なことか(?)わかるでしょう。
何もかもが心のヒダまで滲みる夜。 夜気がだいぶ涼しくなってきて、肌寒いくらい。
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