ぶらんこ
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2005年12月20日(火) |
ask yourself |
I want everything. I want nothing.
もしかしてこのふたつ まったくおんなじことなのかもしれないね
どうですか?
自分自身に
問うてみよ
もちろん
良い意味で!
You may say I'm a dreamer...
“自分が何を望んでいるのか”
といったことを深く考えるのは、日々の暮らしのなかではついついおざなりになってしまう。 でも、「そうじゃない」とか「なんとなく違う・・・」といった感覚はときにあるんじゃないかな、と思う。 それはきっと、自分が「望んでいない」ことだからなのかもしれない。 望んでいないことをするのは苦痛だ。 それはきっと「(今)しなくても良いこと」なのかもしれない。
この前、仕事が長引いて帰りがもの凄く遅くなった。ものすごーーーーーく、遅く。 やっと家にたどり着き、リビングルームに行くと、こころが一生懸命アンテナを動かしていた。(こころには早いうちで連絡を入れていた) うちのテレビは映りがメチャクチャ悪い。 アンテナの位置で、まったく見えなくなったりもする。 こころは両膝をついて、そのアンテナを微妙に動かしながら奮闘していた。 それを見たら、思わず涙がほろり。。。と出てしまった。
つっ立っているわたしに気付いたこころが、「まみぃ!どうしたの!?」と叫ぶので、余計に涙があふれてしまった。 見つかっちゃったので、そのままをいをいと泣き出した。もうどうとでもなれ、という感じ。
こころはわたしをソファに座らせて、ハグしてくれた。 「かわいそうに、まみぃ」と言いながら。 彼女に優しくされたので、わたしはもっと泣いた。 どうせだから、と馬鹿みたいに盛大に。
そして、口をついて出たのは、帰り道、あれやこれやと考えていたことではなく、至極単純な言葉だった。 自分でも驚くほどに。 そしたらなんだかアホらしくなってきた。 たくさん泣いて言いたいこと言ったら、すっきりした。 こころの食べたらしい空のどんぶりを見て、「まみぃもラーメン食べたい」とつぶやき、ふたりで大笑いした。 (こんな母親、いないだろうなぁ・・・・・・)
ちょっとばかり無理をしたり、わざわざ困難なことを選んだり。 それもまた、自分が「望んでいること」なのだろう。 なぜなら、そうしないことのほうがもっともっと苦しいから。 そして、わたしが望むことはわたしにしか叶えられないし、誰かが望むことも、その誰かにしか叶えられない。 わたしはわたしのやりかた。誰かさんは誰かさんのやりかた。 「こうしてあげたい」とか「こうしたほうが良い」とか、そういうのは、きっと余計なお世話なのだ。 「過信」はいかんし「指導」はいらん。 それは看護師と患者(介護者)でも。 自分でちゃんとやりたいようにやっていくのだ、人間という生きものは。 それで良い。それが良い。
写真は11月の朝の海。 光る海はあなたとよく似ている。
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