限定鼓動

2004年10月30日(土) no titled

想いを言葉に

貴方に花を



2004年10月27日(水) ヒカリ

この眼が光を失う前に

貴方をもう1度見ておきたいのです

タイムリミットの宣告から5年

少しずつ

視界はぶれて擦れていくから

貴方を最後に

この眼の最期に



2004年10月26日(火) 救い

手を差し伸べて

私を

掬い上げてください

その手で

救い上げてください



2004年10月21日(木) 現実

「お前は何の我慢もしてないだろうが」
そう云われて、じゃぁてめぇは何我慢してるっつーんだよ、と
云い掛けて黙った私は、我慢した方だと思います。笑


誰の所為で死んだとか、
母親を亡くすことと娘を亡くすことのどっちが重たいだとか
今更、云っても仕方ないと誰もが判ってるのに
つい、口をついて出てしまう。
それを皆、判ってるから、最初は黙って聴いてやるけど
所詮、家族と云えど他人事で自分がいちばん辛いと皆が勝手に思ってる筈だから
いい加減、鬱陶しくなるもので。

泣いて喚いてそれでいいなら、そうしてるよ。
それで母さんが帰ってくるなら、ずっと延々そうしてるよ。
アンタの云うてることは、自分本位過ぎだ。
自分だけが辛いと思ってる。


何にも無いから、墓石も仏壇もすべて用意すんだよ。
49日に間に合うようにと、誰が必死で動いてると思ってんの。
母さんが居なくなった分の収入は誰が補う?
母さんがやってた家事一切、今、誰がやってる?
母さんが居ない現実を、皆、どうやって昇華してると思ってる?
皆、アンタと一緒なんだよ。
どうしようもない憤りや後悔や、そんなもん全部抱えて一人一人がやってんだよ。
起きて泣いて、誰かに当たって、また泣いて寝て…って
そんなん繰り返して生きていられる程
現状把握できない大人じゃないんだよ、皆。
そうやって押し込めて、それぞれの仕事を淡々とこなす私らの姿は
アンタから見たら、どうしようもなく薄情な姿だろうけどね
母さんが綺麗に片付けてきた部屋、維持してやろうと思うのよ。
一生懸命、一人で考えてやってきた家計も
しっかりキチンとやってやろうと思うのよ。
何がどこにあるか全部書いてあったお陰で、自分でしたことない衣替えもちゃんと出来たでしょ。
それぞれ収支の内訳や各々の引き落としの口座と暗証番号、正式な印鑑や書類の場所
全部書いて、事前に教えて私に預けてったんだ。預けてってくれたんだから
じゃぁそれを、それくらいはせめて、しっかりやってやろうと思うじゃない。


後悔せん訳ないでしょ。


けどね。
アンタが泣いてる姿を、いちばん嫌がったよ、母さんは。



2004年10月15日(金) 追憶

綺麗な記憶ばかりが遺る
そんなものだと思ってた
けれど貴女に苛立った事も
云い争った事も
すべて
鮮明に憶えてる



++++++++++++++++++++++++

彼は綺麗な晴日に逝って
貴女は深い夜闇に逝った

貴女が彼と同じ病に倒れて伏せて
私は平静を失った
“彼のこと”があったから
厭になる程識っていた
それがどんなものなのか。
けれど長い長い手術の後
意識を戻し
呼吸を整え
貴女は又、声を発した
私の名前を確かに呼んだ

感覚異常な私の傷痕
貴女の指先がしきりに撫でた
傷痕だらけのこの手を
本気で後悔した時間
あの手は確かに温かかった

交互の看護でその日
私は家に帰った
明日また来るからねと
不安押し込めて、期待を託して
病室の扉を閉めた
貴女は
不釣り合いに
可愛らしく手を振った

それが、最期。

あんな不釣り合いな仕草で
けれど
気を付けて、と気遣う
誰よりも知っていた筈の
いつもの優しさだった

あの日貴女は
確かに別れを告げた。


仕事先で倒れたあの侭
貴女を喪うのではなく
貴女は一度還ってきた
家族皆を呼んだ
たった二日
それでも貴女は還ってきてくれた

口調が悪くとも
優しいことは判ってた
だからどんなことがあっても
誰も貴女を心から嫌えなかった

告別式のその日は
朝から雨だった
けれど皆が貴女に会いに来てくれた間だけ
雨は綺麗にあがっていた
皆が貴女に別れを告げて
遺骨を抱いて戻った時には
土砂降りの雨だった


皆が濡れないようにと

貴女の優しさだと

誰かが云った。



2004年10月14日(木) 自己中心的徒然

例えば、光を失っても懸命に歩いている人だとか
例え車椅子だろうが、ちゃんと笑える人だとか
そんな人を引き合いに、私を止めても
一層、頭の奥が冴えていっただけだった。
死にたいと口にするまで、私が何をどう考えてきたか。
そんなことは一切無視で死ぬのはいけない、そればかり。
一体、どれだけの人が「どうして」死ぬのがいけないのか
説明できるんだろうね。
逃げたらいけない?…引き際も大事って云うよね。
笑えるよ、いっそ。

皆でやれば恐くない。
それは、騒ぎ立てる大人たちがコドモに対して
「集団」生活や行動を徹底した結果でない?
ちょっと一理あると思わん?
一人じゃ逝けないから誰かを誘った。
同じ考えの人が集った。
皆がいれば、自分の中の歯止めがなくなった。
集団は、個々の尊重でなく纏める方に意義がある。
異論者を消去しようとするいじめと同じ、
一人ではダメでも二人なら。
なんて集団の中で生きた結果。
それだけのこと。
自分論。こんな考えも有りでしょう?

死にたいよ、そりゃぁ。
今でも。こんな時でも。

まぁ、あたしは誰かと死ぬ気にはならんけどさ。

死にたいよ、ずっと、やけどねぇ、生きてくよ。
あたしには、死ぬだけの勇気は無いから。

人間なんて皆、身勝手さ。量は違えど我儘は持ってる。
とやかく云える程、あんた何も知らんでしょ。
そら子供遺して往くだとか、勝手も勝手、最低だとか思うけど。
つうか自己中、そんなん卑怯、最悪だ。

容せないなんて思う反面、
それで、
その最期の身勝手でさ。
ラクになれたなら、いいのにね。
なんて。

あたしだっていきたいよ。
でもいった先も、同じような処かも知れないよね。



2004年10月08日(金) 怠い

熱があったので、甘ったれな私は頑張る気もなく学校休みました。
で、夕方まで寝て、いい加減病院行ってこいと云われて病院行って来ました。

面倒なので、いつもの心療内科へ。
精神科と内科なんだから、風邪薬もくれるんじゃないの?と思いつつ
くれなかったら、いつものレキソタンやらトレドミンやらを
風邪薬と云って見せたら、父親も祖母も納得するだろうなぁなんて。
レキソタンも風邪薬も見分けつかんからね、何度教えても。
行ったら風邪薬もくださいと云う前に
先生が風邪薬も出しときますと云ってくれました。

日記書こうと思って帰ってきたけど、やっぱりダルイ。



2004年10月06日(水) no titled

熱もないし、咳も止まったので
学校行ってきました。
原付で1時間と15分。しんどい身体には、この距離堪えます。

この間から、所謂、新興宗教というやつに誘われています。
正式な意味で言えば、ほとんどの宗教が新興になるそうだけど
所謂、です。世間一般が持っているイメージの新興宗教。
別に私は誰がどの宗教を信じてようがどうでもいいし、
つうか、宗教の自由は法で認められている訳だし
けれど、それを他人に押し付けるな。
教えが素晴らしいからとか、教祖様は本当にお優しいからとか
それならまだいい。
私の母親があんたの夢に出てきて、供養を求めてるとか云うな。
名乗った訳でもないのに、何で見たこともない私の母って判る?
何だか私には理解できないチカラで判るんだろうけど。
私の母親は、私が大嫌いな人間のところへ出ていって
救いを求めるような人じゃない。
仮に母親のそれが本当で、夢に見たってのも真実だとしても
どうしてその宗教に入らないと供養できないのかが判らない。
厚意だと思おうとしても、いい加減腹が立つよ。

いつまでも、気にしてくれて有難うなんて云ってられる程
私も人間出来てないんだ。



2004年10月03日(日) いつかの日

追試再試が終わって、昨日からバイトも復帰して
あー、何か…次々と日常が戻ってくる。
日常に戻っていく。

母は、もう居なくて
どんなに「ただいま」と叫んでも、「おかえり」なんか返ってこなくて
仕事が長引いた日、少し疲れた顔をして「ただいま」を云う母も
二度と帰ってこない。

親は何れ喪うもので、母親が死んだことも、何等特別なことじゃぁ無い。
けれどそんな風に幾ら理解し直してみても
全て受け入れ昇華して手を合わせられる程、私は強くなかった。
強い弱いの話じゃないんだろうけど、
私にはまだまだ無理だ。

あんな母子関係でなければ、後悔も少しは薄れたろうか。
気が合わなかったのも、お互い口が悪かったのも、お互い様の事実で
その時その時は、お互いに必死だった。
けれど失くして気付くのでは遅いと、
もう何度も経験しているのに、また繰り返し。
大切なものは失ってから気付く、だなんて
どこかの歌詞みたいだ。

二度と会えない貴女へ。
身勝手に、いっそ、潔い程に叫べるよ。

ごめんなさい、と
ありがとう。

呼吸が弱くなってきた貴女を前に、
耳だけはずっと聴こえてるから、という医師の言葉を信じて
囁いた言葉、聴こえたかなぁ、母さん。

…大好き。


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