リストカット症候群。
最近よくこの言葉を耳にする。どうやら一部の青少年や自殺予備軍の間で流行っているらしい。そういえば、妄想の果てに家族を惨殺した若いカップルも、リストカットしてその写真をホームページで公開していた。 かくいう僕の友人にも自分で何度も手首を切っている奴がいる。
どうやらリストカットというのは、自殺にいたるまでの通過地点のようなものだと考えてもよさそうだ。 僕はこれまで死について考えながらも、具体的な行動は何一つおこしてこなかった。怖い怖い怖い、としか思わず、それ以上の思考を放棄。結局は死ぬか生きるかの二者択一なんだと自分に言い聞かせ、その過程にあるものには わざと目をつむってきた。
なにが言いたいかというと、要するに自殺するのにも段階があるということだ。突発的に死を選ぶ人間もいるけど、それが出来ないのであれば、まずリストカットして少しづつ死に慣れていきましょうってわけだ。
でも正直いってリストカットだって十分怖いよ。
2004年08月21日(土) |
××さん。僕と一緒に死んでください |
あれは小学校の頃、クラスで女の子が酷いイジメにあっていた。
<助ける> 僕はそんな薄幸の少女を OR <助けない>
もちろん助けない。見てるだけ。だって助けちゃったら、ボクまでイジメられちゃうジャナイカ。 触らぬ神に祟りなし。臭い物には蓋。見ざる聞かざる言わざる。長いものには巻かれろ、寄らば大樹の陰。
小学校のときも、中学校に行っても、高校生になっても、社会人の今も現在進行形でずっーと傍観者。
たのむから俺だけはターゲットにしないでくれよ。ボクはそんなくだらないことに関わりたくないんだ。ガクガクブルブル。 ずっとそんな感じで生きてきました。
この世界に絶対的な正義は存在せず、神さえももう既に死んでいる。 もちろん僕の中にも正義なんてものは存在しない。
ゆえに僕は生きる価値を見出せない。
死 それは人生の終着点 それは苦痛からの解放 それは永遠への旅立ち
ダメです。どんなにプラス思考で「死」について考えてみてもやっぱり、怖いものは怖いです。自分を騙せるほど、僕は嘘が上手くないんですよね。 馬鹿正直というか何と言うか。
死ぬのは怖い。でも世の中苦しいこと、つらいことがすごく多くて、そりゃ楽しいこともあるけど、でもやっぱり僕が生きていくにはすごく無理をしなきゃいけないんですよ。 耐えて、耐えて、また耐えて。なんとかこの20数年を生きてきたんですけど、まだ普通にいったらあと50年はあるのですね。
生きるも地獄、死ぬも地獄、ならば生き抜いてその生をまっとうしようではないか。って思えたらいいのに。
死にたいと思ったことは何度もあるけど、それを実行にうつしたことはまだ一度もない。 包丁を持ってきて、自分の首にあてたり、天井からロープをたらして首を 吊ろうとしたことはあっても、それ以上のことは出来なかった。
だって怖いよ。 包丁で首切ったら痛いにきまってるじゃないか。 窒息死だって苦しくないはずがない。 睡眠薬は確実性が低いっていうし、もし生き残っちゃたら いたたまれないよ。 僕は自殺未遂をした困った子っていうレッテルを貼られて、みんな腫れ物 をさわるような、珍獣をみるような目で僕を見るんだ。
無理無理、自殺なんて絶対無理。
情けない。僕にはリストカットする勇気さえないよ。
最近死にたいと思うことが多いです。 いや、ほんとはかなり前から、自殺しようと考えていました。 高校の頃から、何度も死のう死のうと考えていて、結局もう23 になってしまいました。
自殺のニュースをみると、得体の知れない憧れと悲しさが混じった 複雑な気持ちになります。 自分で自分を殺すことが出来るなんて本当に凄いと思います。
臆病な僕にはとてもマネできそうにないです。
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