プープーの罠
2007年05月19日(土)

昇華

『行けなくなりました。』

トールさんに連絡を入れて私は行かなかった。
予定通り。

特に用があったわけでもないので
ぷらぷらと美容院に行き
髪を少し切る。

私がえんえんと髪を伸ばしていたのは
八木君が触れた部分の髪を切りたくなかった
からで、
あの頃の私は今と同じくらいの
腰まであるエクステンションをつけていたりしたが
地毛は肩につくかつかないか
くらいの伸ばしかけで、
八木君は夜中に目を覚ました時なんかに
思い出したかのようにふと私の頭を撫でてくれ、
顔にかかった髪を手櫛でそっと後ろに流してくれる。
私は目も開けずにそれを堪能した。

その記憶がある髪はもう毛先へと押しやられ
痛んでちぎれたり抜けていったり、実際のところもう
跡形もない
のかもしれないけれどとにかく私はその
八木君の触れた髪
に、執着を持っていた。

それを自分の意志で断ち切る
というのは、古典的だけど
心持ちがすっきりするし
物理的にもすっきりする。


 本当のところ、私があのフォーラムに行こうと思ったのは
 タカハシヒデオも興味がありそうだと思ったからだ。
 私が探していたのはあのツリ目だった。
 結局来てはいないようだったけれど。


八木君は
仕事が立て込んできてそのまま音楽活動もやめた
ようで、そしたらもうライブに誘われることもない
だろうし、そうなれば私に連絡する
ような用なんてないのだ。
もう何も。

別れたのはゴールデンウィークの前だった
のでちょうど三年になる。

修復する機会もちゃんと別れる機会もないまま
私の思いは自縛霊のように佇み月日だけが過ぎてきた。

人の細胞は4年ですべて入れ替わると言う。

私の中の八木君を知ってる細胞はあと4分の1。
切った髪も入れたらもっと少なくなっているかも。
その残りがすべて入れ替わる頃には
私は彼のことをきちんと整理できるのかな。

2007年05月11日(金)

凍える指

一人で行こうと予定していたフォーラムに
ちょうどトールさんから誘いがあった。
海外組含め、一同が集まるらしい。

入口で待ち合わせ、
入ればすごい混みようで
待ち合わせなければ会えなかっただろう

というようなことをトールさんに洩らしたら
 八木君も来るって言ってたけどこれじゃ入れないかもね。
と言われる。

八木君は定時に来た試しがない
ので待ち合わせの頭数としては自然と
カウントされない。

来るんだ。

講壇がよく見えるところに潜り込んで
私はステージの横にある出入り口に目をやる。
私は鳥目で暗いところがあまり見えない。
すでに似たような風体の人がたくさん溢れ返っていたけど
八木君は仕草のシルエットで見分けられる。

あっいた

静かに繰り広げられる講演の中
手を振るわけにもいかないので
素早くメールで居場所を送る。

送信してまたそっちの方に目をやると、
もうそれっぽい姿はなかった。
返事もない。

見間違えたかな

と、やはり出入り口を眺め
講演なんてそっちのけになっていたら
だいぶ経った頃に肩を叩かれ、それは八木君だった。

こんばんは
こんばんは

それからすぐに講演は終わってしまい
八木君は聴けたんだか来ただけで終わったんだか、
ともあれフォーラムがメインの今回の集まりはそれで解散となった。

駅までの道すがら
何人かで並んで歩いてる一瞬、
八木君と二人 隣り合わせで話をした。
私が公開日を教えた映画について。
見に行ったよ
そうなんだ。
そうなんです。

…おもしろかった?ですか?

まあまあ、ですかね。
それだけで会話は終わって、

八木君と敬語で話す
それはそれほど珍しいことではない
ハズなのにそこから滲み出る
彼に対するよそよそしさ
に自分で少し戸惑う。

そして私は初めてそれを
きまずい
と思った。

体を翻す
ように反対隣りの人の方を向き、
かといってますます話すことなんてないので
聞いているふりのような案配。

駅に着いて沿線ごとに別れる
八木君とは違う沿線。

ばいばい
と手を振る時
八木君の顔を見た。
彼は私の方を見て
にこり
とした。

友好の顔だ。

彼がそれほど親しくない相手に見せる
人見知りがちな愛想笑い。

「来週イベントやるからまたみんな揃うしその時にゆっくり」
同じ沿線のトールさんは、そう言って先に降りた。
八木君もさっき誰かとそんな話をしていた。

あの笑顔を反芻しながら、
あぁ終わったのかな
と思い、そのまま私は静かに受け入れた。



来週は行かない。
私にはもう用のない集まりだ。

索引
「プープーの罠」 written by 浅田

My追加