ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年04月15日(水) ええねん

朝のうちは小雨だったが次第に土砂降りの雨になる。

バケツの水をひっくり返したような雨であった。


今朝は家を出るなりショートメールの着信があり

朝早くから誰だろうと気になり路肩に車を停め確かめた。

最初はいつもの迷惑メールだと思ったのだが

差出人の名を見て「まさか」と思わず声が出ていた。

それはもう10年以上も音信不通になってるRからだった。

私のことを覚えていてくれたなんてまるで夢のようである。

何と懐かしく嬉しかったことだろう。


歳月は流れRは結婚し10歳の娘さんが居るのだそうだ。

確かもう50歳を過ぎているはずである。

私と出会った頃はまだ30代の若者であった。

「昭和48年生」と云うホームページの管理人であったが

ネットサーフィン中に偶然見つけ

「あの子」と同じ年だなと思ったのだった。

妄想は膨らみそのうちあの子かもしれないと思い始める。

最初は掲示板でのやり取りであったがとても好感を持てた。

そのうち互いの電話番号を交換し声も聴くことが出来るようになる。

何か悩みがあると私を頼ってくれて相談相手になった。

私もネットのトラブルに巻き込まれていていつもRに助けて貰う。

「どこの馬の骨やら分からんぞ」と云ってくれたのもRである。

東日本大震災の時は思うように日記が書けなくなってしまった私に

「普通にしていようよ」と助け船を出してくれたのだった。

「あの子」が「親友」になる。どれほど信頼していたことだろう。


しかしそのあくる年だっただろうか酷く不機嫌な声を聞いた。

もう迷惑なのかもしれないと思う。頼り過ぎてしまったのかもしれない。

それがRの声を聞いた最後となったのだった。


十年一昔と云うが私の記憶は色褪せることはなかった。

顔の見えないネットの世界でこれ程の縁を感じたことはない。

私にとってRは永遠の親友だと云えよう。


そんなRが結婚し父親になった姿を見ることは叶わないが

ウルフルズの「ええねん」を聴いて私を思い出したのだそうだ。

何も言わんでもええねん

何もせんでもええねん

笑いとばせばええねん

好きにするのがええねん

感じるだけでええねん

気持ちよければええねん

それでええねん それでええねん

後悔してもええねん

また始めたらええねん

失敗してもええねん


この歌が私とRの全てだったのかもしれない。


※今夜は詩の掲載をお休みします。




2026年04月14日(火) 真っ直ぐな一本道

曇りのち雨。午後からぽつぽつと小雨が降っている。

明日も雨とのことでもう「菜種梅雨」なのだろう。

毎朝楽しみにしていた大根の花も今朝は菜種になり掛けていた。

そんな菜種の傍にはエンドウの白い花が沢山咲いていて

まるで白い蝶々が羽根を休めているように見える。

花を咲かせてこその実であり薄緑の実も楽しみなことだろう。

随分と前のことだが姑さんが残してくれた畑で

スナップエンドウを育てたことがある。

生まれて初めての畑仕事だっただけに収穫の何と嬉しかったことか。

毎日わくわくしながら千切りに行ったことが懐かしくてならない。

しかし秋にはもうどんな作物も育たなくなった。

夫が畑に除草剤を撒いてしまって土の質が変わったのだろう。

芽が出た大根は茶色に変色しもう諦めるしかなかった。

あの時の何と悲しかったことだろう。

それ以来畑は荒れ放題となり草が伸びる度に夫が除草剤を撒いている。

夫に云わせれば畑の手入れをしない私が悪いのだそうだ。

今となれば草引きもままならず全て御破算であった。



仕事は今日も順調とは行かず同僚は部品待ちだと云って待機していた。

それでは半日を無駄にしてしまうので次の段取りをしなければならない。

今日の予約だったお客さんには午後まで待ってもらっていたが

予定を変更して大急ぎで車を引き取りに行った。

それが功を奏しお昼前にはほぼ整備が完了し何よりである。

土曜日までずっと予約が入っており何としても遣り遂げねばならない。


義父は午前中に育苗機の苗をハウスへ運ぼうとしていた。

これも一人では手間が掛かる作業であったが

まるでウルトラマンのように友人が登場してくれたのだった。

2台の軽トラックで苗を運べばあっという間である。

おかげで義父はそれから田植え機を洗うことが出来た。

午後には雨が降り始めていたがまた勇ましく田んぼへ出掛けて行く。

工場の仕事のことなどどうして相談出来ようか。


市内に寄らなければいけない所があり少し早目に退社したが

市街地を走っていると昔からあった商店が閉店していた。

布地や端切れを販売していて昔はよく行ったものである。

娘のワンピースは買ったことがなくせっせとミシンで縫った。

今のように西松屋もなく手作りが当たり前の時代である。

ひまわり柄の布地を買ったことを思い出し懐かしくてならない。

看板は取り外され窓にはカーテンもなく

何だか廃屋のように見えて寂しさが込み上げて来る。

ひとつの時代が終わったのだと思う。昔は佳き時代だったのだ。


カーブスとサニーマートへ行き4時過ぎに帰宅した。

夫が胃の調子が悪く昼食も少ししか食べられなかったそうだ。

夕食のビールも半分しか飲めず尋常ではない。

胃薬は飲んでいるようだが心配でならなかった。

いつも食い意地が張っている夫が何も食べたがらないのだ。

おまけに「胃がんかもしれん」と云うので焦りまくった。

しばらく様子を見るのも良いが病院で診てもらうべきだろう。


「いつもと同じ」でなくてはならない。

少しでも変化があってはならないのだ。

私には一本の「線」があり真っ直ぐに引こうとする。

曲がったり途切れてはならないといつも思っているのだった。

真っ直ぐに歩いていても何処に落とし穴があるやもしれない世の中である。


※以下今朝の詩


      こでまり

   てんてん手まりはどこでつく
   里に春の歌声がこだまする
   子等は微笑みを交し合い
   宝物のようにそれをついた

   独りぼっちの子はいない
   泣いている子もいない
   皆それぞれに白い夢を見ていて
   きっと叶えようとしている

   希は空の一部となり
   流れる雲を追いかけていた
   降り注ぐ春の陽射しに
   ほっこりと母をおもう

   てんてん手まりはどこでつく

   里はもういちめんの春であった







2026年04月13日(月) リポスト

雨が降りそうで降らない曇り日。風もなく過ごし易い一日となる。

暑からず寒からずの気温がちょうど良い。


今朝は山道に差し掛かるなり椎の木の花が咲いており驚く。

二日前には全く気づかなかったので咲いたばかりなのだろう。

山がむくむくと動いているように見えて面白い。

黄な粉色の花だが巨大なブロッコリーのようにも見える。

確か毎年5月ごろではなかったかと記憶しているが

このところの初夏のような陽気に誘われたのではないだろうか。


お遍路さんが二組。一組は青い目をしたお遍路さんだった。

ハーフパンツを履いておりカモシカのような足をしている。

カップルなのか見るからに仲睦まじく微笑ましい姿であった。



職場に着くと義父が居室に居るようなのでほっとする。

土日の田植えでほぼ一段落したのだろう。

今日こそは工場の仕事をしてくれるだろうと思っていたが

まだ一反ほど植え残した田んぼがあるのだそうだ。

それを一人で植えに行くと云うので心配になった。

そうこうしていると友人がひょっこりやって来て

「よっしゃ今から植えよう」と云ってくれて義父は大助かりである。

職場の直ぐ近くの田んぼだったので様子を見に行くと

田植え機を操る義父の逞しい姿が見えた。


工場の仕事は順調とは行かず先週からの車検整備が終わらない。

その上に今日の予約の車がもう入庫していた。

今週は毎日予約が入っており糞詰まり状態である。

同僚は一生懸命にやってくれているので急かす訳にも行かない。

私が焦ってもどうしようもなくただただ見守るだけであった。


そんな最中に例のお客さん「愛子ちゃん」から電話があり

庭の「こでまり」が綺麗に咲いた知らせであった。

居ても立ってもいられなくなりまた大急ぎで駆け付ける。

「こでまり」は私の大好きな花で胸が一杯になった。

何と可愛らしいことだろう。真っ白いちいさな毬のようだ。


「ねえここにもあるよ」愛子ちゃんに呼ばれて玄関先に向かうと

今まで見たこともないちいさな花が咲いていた。

「いかり草」だと愛子ちゃんが教えてくれる。

ようく見ると確かに船の錨のように見えた。

「こでまり」も「いかり草」も写真に収めて

「世界に発信するけんね」と愛子ちゃんに告げると

「いいねが沢山付いたらええね」と云ってくれて嬉しかった。


慌てて職場に戻ると同僚が「またサボって」と笑いながら文句を云う。

愛子ちゃんは私より少し年上だが親友のように思えた。

まるでお花畑で暮らしているような穏やかな人である。


ろくに仕事もせずに定時で帰路に就く。

カーブス病の発作はもう慢性になったようだ。

今日は少し足が痛んだが何のこれしきと張り切る。

汗をいっぱいかき扇風機が欲しい程だった。


4時過ぎに帰宅すると「笠原メイ」さんの日記が更新されていた。

以前は5時前だったのに最近早くなりゆっくりと読める。

彼はとても前向きで大志を抱いているようだ。

どれほどエールを送っても届くことはないが

今日も「リポスト」をしてささやかに応援をする。


詩や短歌を発信していて一番励みになるのは「リポスト」であった。

私には殆ど縁がないが先日ある方がしてくれてとても嬉しかった。

その時コメントがあり「好きだな」と伝えてくれたのである。

感想を述べてくれるよりその一言に私は励まされた。

垂れ流しのような拙い詩であるが書いて良かったのだなと思う。

そうしてまた早起きをして書こうと意気込むのである。


若い頃のような感性はもうない。

それは誰よりも私自身が感じていることである。

もう輝けないのであればせめて生きなければと思う。

生きてさえいればきっと自分が選んだ「道」を貫くことが出来るだろう。


※以下今朝の詩


       白藤

   山肌からこぼれおちる
   真っ白な花であった

   ちいさな花が重なり合い
   ひとつの花となる姿は
   天使たちの語らいであろうか
   囁く声が春の風に揺れている

   山の自然に身を委ね
   鳥の声を間近にして
   もう幾年も生きて来た

   こどもがおとなになり
   老いて行く姿も知った

   指折り数える春であったが
   それは花の数を越えていく

   穢れのないその白さに
   ひとは何を願うのだろう

   ゆらりゆらりゆらり
   風の歌を聴き続けている




2026年04月12日(日) 人生の宝物

晴れたり曇ったり。湿度が高く蒸し暑さを感じる。

お天気は下り坂で明日は雨になりそうだ。

四万十市の花は「藤」であるがもう随分と咲いている。

今朝は県道沿いの山肌に純白の藤の花を見つけた。

ちょうど道路がカーブになっており車を停めることは出来なかったが

藤は薄紫の花が多く純白の花は珍しいのではないだろうか。

観賞用ではなく山に自然に咲いている姿が凛としていて美しい。


朝のうちに市議会議員の選挙に出向く。

毎回夫の知り合いに投票するのだが

今回は従姉妹の娘婿が新人で立候補しており迷わず票を投じた。

選挙は一人落ちとのことでその一人にならないことを祈る。

まだ42歳の若者である。市政に携われば若い力を発揮することだろう。


9時前にサニーマート内にある美容院へ行く。

予約制ではないので入口に立ち開店を待った。

毎回美容師さんが違い今日はベテランらしい男性である。

それがとても愛想が良くカットもとても上手だった。

これから暑くなるのでさっぱりと短くしてもらう。

何と清々しいことだろう。2センチの憂鬱とおさらばである。


煙草とお米を買わねばならず一万円があっという間だった。

お米を買うのは今年初であったが青森産のお米を買い求める。

ずっと義父にお米を貰っていたのだがもう在庫が少ないとのこと。

無理を云うのも心苦しく買った方がずっと気が楽である。

青森の次は秋田にしようと全国のお米を味合うのも楽しみなことだ。


昼食には巨大なお好み焼きを焼き夫と半分こにして食べる。

「後は寝るだけだな」と夫は全てお見通しであった。

しかしぐっすりとは行かず何度も目が覚める。

2時には起きてしばらく自室で過ごしていた。


まだ読んでいない詩集を開いたが一編も読めずに閉じる。

そんな詩集ばかりが並んでいて作者に申し訳がなかった。

ふと思い立ち24年前のこの日記を読み始める。

そこには45歳の私が居て何とも気恥ずかしい。

しかし読んでいるうちに懐かしさが込み上げて来るのだった。

まだ結婚前の息子や娘とのやり取りも愉快である。

特に夕飯が気に入らない息子が「やる気があるのか!」と怒ったこと。

夜のバイトに出掛ける娘のやんちゃぶりも面白かった。

息子も娘ももう忘れてしまっているかもしれないが

母はしっかりと憶えていて「確かに書いた」と胸を張れる。

当時はただ書くことに必死だったが書き残して置いて本当に良かった。


そう思うと歳月は「人生の宝物」だと思える。

苦労の多い人生だったがその苦労があってこその「いま」だろう。

そう思うと買ってでもしたい苦労であった。


書いて書いて死ぬのが私の定めだと思う。

永遠の明日など在りはしないが「今日」を書き終えほっとしている夜である。


※以下今朝の詩


       若葉


    艶やかな若い緑である
    少女のスカートのように
    ひらひらと風に揺れている

    空を仰げば胸がときめき
    恋かも知れないとおもう
    手が届きそうで叶わない
    切なくて泣いてしまいそうだ

    独りぼっちではなかった
    たくさんの友達がいて
    皆それぞれに恋をしている

    優しい風かもしれない
    可愛い小鳥かもしれない

    いつまでも若くはなかったが
    「いま」を生きようとしている

    春は深まり初夏の兆しが見えた




2026年04月11日(土) 家族の春

夜明けが随分と早くなり爽やかな朝であったが

日中は今日も夏日となり初夏のような陽気となる。

関東では気温が上がり静岡では真夏日だったと聞き驚く。

まだ四月だと云うのにかつてこんな日があっただろうか。

季節はやがて夏になるが猛暑が続きそうで怖ろしくなる。


柿の葉の新芽、紫陽花の新芽も出揃い見るからに清々しい。

桜は遅咲きの八重桜が満開になった。

まるで空に「春」を描いているような季節である。

山里では田植えを終えた水田が多くなり

ちいさな早苗がちろちろと風に揺れている。

長閑な風景に心が和むばかりであった。



義父は予定通りの田植えで早朝から始めたようだった。

友人二人がひっきりなしに苗を運んでおり活気が漲る。

今日一日でどれ程の苗が植えられることだろう。

見当も付かなかったがかなりの広範囲に思えた。


工場は部品待ちをしていたが午前中に届きほっとする。

特に急ぎの事務仕事がなかったので同僚の作業を見学しながら

あれこれと享受して貰いとても勉強になった。

この歳ではもう遅いのかもしれないが整備の知識があればと思う。

整備士の資格は無理だとしても覚えたいことがたくさんある。

母は整備士の資格を取得していたので大したものだった。

とにかく学ぶことが好きだったが私も少しは似ているかもしれない。


定時になるのを待ち兼ねてさっさと退社する。

土曜日の恒例で最中アイスを食べながら帰った。

「今週もよう頑張った」自分へのご褒美である。

サニーマートで「メキシカンナッツ」も買う。

これもご褒美で今も食べながらこれを記している。

寝酒もちびりちびり何ともご機嫌な夜であった。


今週は大きな山もなく緩やかな坂道だったように思う。

資金繰りも順調で切羽詰まることもなかった。

このまま月末まで何としても乗り切りたいものである。

義父も田植えが一段落すればきっと助けてくれるに違いない。


夕食は娘がカレーを作ってくれた。

夫と私はまるで子供のようにして食べる。

持つべき者は娘だと笑顔の夕暮れ時のことだった。


ずっとちぐはぐな家族であったが最近まあるくなったように思う。

娘の機嫌がとても良くそれがとても嬉しかった。

会話は少なかったが話し掛けるとちゃんと応えてくれる。

夫も私も笑顔が多くなり肩身の狭い思いも殆ど感じない。

もしかしたらやっと「家族」になれたのかもしれないと思う。


早いもので同居を始めてもう13年目の春になった。


※以下今朝の詩



       花椿

   ある日突然であること
   何の心構えも出来ない
   まるで坂から転げ落ちるように
   終いの時が訪れるのであった

   潔く散れない花がある
   それは力尽き落ちるしかない
   地に褐色の血を流し横たわる
   そんな憐れな終いもあった

   目を背けてはならない
   しっかりと見届けようと思う

   誇らしく咲いた早春の頃
   一重に八重にと衣を纏い
   空を仰ぎ続けた日々であった

   落ちれば踏まれることもある
   しかしその痛みに耐えようとする

   咲いた記憶は消えることはない
   そこには永遠の春があった

   



2026年04月10日(金) 明日の行方

雨のち曇り。朝のうちは強く降る時間帯があった。

雨が上がり空が明るくなると気温が高くなり夏日となる。

湿度が高いせいか蒸し暑さを感じた。


桜はとうとう葉桜になる。葉は緑ではなく赤みを帯びている。

やがて新緑の季節になれば緑になるのだろう。

対岸の山桜も散ってしまい窓から見る景色も寂しくなった。

しかし山の緑がいっそう濃くなったように見える。

春の役目を終えた桜はこれからの季節をまた乗り越えて行く。



今朝は燃えるゴミの収集日だったので急いで職場に向かったが

先に出社していた同僚が既に運んでくれていた。

昨夜からずっと考えていて「捨ててはならない物」がある。

母の努力の賜物である例の「終了証書」だった。

記念なのか思い出なのか捨てるのがとても心苦しくなったのである。

よくよく考えれば母の遺品であった。決してゴミではあるまい。

母が「もういいよ」と云っている様に思ったのは

私の身勝手な思い込みだったのだろう。

しかし時は既に遅し。流石に集積所までは取りに行けなかった。


工場には新たな車検が入庫していたが古い車のせいか不具合が多い。

中古部品を手配したが届くのは明日になりそうだ。

思うように順調には行かない。明日の風を待つしかないだろう。


義父は朝のうちに整形外科へ。湿布と痛み止めを貰いに行く。

よほど痛みが辛いのだろう。何とも憐れに思う。

留守の間に友人がやって来て義父の帰りを待っていた。

明日の田植の準備で午後から苗を運ぶのだそうだ。

義父一人ではとても手に負えず何と助かることだろうか。


今日は内科の受診日なのでいつもより早めに退社した。

午後はいつも空いている病院なので直ぐに順番が来る。

診察前に看護師さんんが血圧を測ってくれたのだが

びっくりするほど低く不思議でならなかった。

家ではずっと高い日が続いているので医師に相談したら

計測の仕方が悪いのではないかと結論が出る。

今まで知らなかったが正座をして測ってはいけないのだそうだ。

今夜から椅子に座って正しく測るようにと云われた。

半信半疑であったが藁にも縋るような気持である。


薬局で薬を貰い今度は大急ぎで胸部レントゲンの集団検診に向かう。

喫煙の悪影響も不安で毎年必ず受けている検診だった。

幸いこれまで一度も異常はなかったがいつもはらはらしてしまう。

とても綺麗な肺だとは思えず影でもあったらどうしようと思う。


検診は直ぐに終り今度はサニーマートに向かったら

「よしむらさん」に会って今日も親切にしてもらった。

「また明日ね」と手を振って別れる。

サニーマートの店長さんに彼女のことを伝えたくてならない。


4時過ぎに帰宅。気温は26℃もあるのに夫は閉め切った部屋に居た。

じっとしているので少しも暑さを感じないのだそうだ。

娘もめいちゃんも半袖姿の夕暮れ時であった。

今年初の「素麺」を湯がくとあやちゃんがとても喜んでくれた。

「おばあちゃんも食べたかったがよ」と云うと

にっこりと微笑んでくれて何と嬉しいことだろう。


明日はもう土曜日であっという間の一週間であった。

これ以上もこれ以下もない日々の事が愛しくてならない。

平穏であればあるほど不穏が怖くなるのが人の常だろう。

しっかりと立っているつもりでも突然に倒れる樹木もある。

歳月に晒されれば尚更のこと根も脆くなるのだと思う。

そんな脆さを受け止めて明日は明日の風に吹かれなければならない。


※以下今朝の詩


       ぽぽんた

   たんぽぽがさかだちをすると
   ぽぽんたになるのがおもしろい

   何だか悪戯っ子のようだ
   女の子ばかりじゃないぞ
   俺だって花なんだからな

   蝶々がふわりと飛んで来て
   足の裏をくすぐるのである
   蹴とばすわけにはいかない
   きっと泣かせてしまうだろう

   春風は母さんにちがいない
   なんだか懐かしくてならず
   ふっと甘えたくなるのだった

   ぽぽんたには大きな夢がある
   綿毛になったら旅に出るんだ
   海だって越えられるかもしれない

   そうして遠い国に辿り着いて
   また種から始めようとおもう






2026年04月09日(木) タンポポの綿毛

曇のち雨の予報。午後少しだけ雨が降ったが今は止んでいる。

気温は20℃に満たずしゅんしゅんと肌寒い一日だった。

明日はまとまった雨になりそうで残った桜も散ってしまうだろう。


会社の直ぐ近くに広い空き地があっていちめんの蒲公英であった。

今までは気づかなかったのだが今日は沢山の綿毛を見つける。

道端のガードレールがあるため近づけずに残念に思う。

綿毛が春風に乗り旅をする姿が目に浮かんだ。

風任せではあるがいったい何処に辿り着くのだろう。

そうして種となり根付きまた可愛らしい花を咲かせるのだ。



今日は同僚が出勤して来てくれて工場に活気が戻る。

おかげで大型車の車検整備が終りまた新たな車検整備に取り掛かる。

明日もまた新たな入庫があり同僚は大忙しとなりそうだ。


義父は予定通り週末に田植えをするそうで準備に追われていた。

また友人達が手伝いに来てくれるので順調に捗ることだろう。

機嫌はとても良く意気揚々と張り切っている。


特に急ぎの事務仕事はなく今日は引出しの整理をしていた。

ペーパーレスとなったのでもう不要なマークシートが沢山ある。

それから任意保険関係のカタログや書類も不要であった。

この4月から自賠責保険だけの代理店となっている。

もう資格試験の更新もなくなり随分と楽になった。


母がパソコン教室に通っていた頃のテキストも見つかる。

どんな思いで通っていたことだろう。

夜間の教室であったが母は一生懸命であった。

立派な終了証書も見つかったが思い切って捨てることにする。

母の遺影に話し掛けると「もういいよ」と声が聞こえたような気がした。

結局一度も事務所のパソコンに触れることはなかったが

どんなにか仕事をしかっただろうと思う。

私がいつも占領していたのできっと悔しかったことだろう。

ひとつでも母が出来る仕事を教えてやれば良かったのだ。

捨ててしまえばもうお終いである。母と一緒に仕事をすることはもうない。


同僚と義父に声を掛けて定時で退社した。

肌寒い日だと云うのにカーブスで異常なほど汗をかく。

代謝云々よりもただの汗っかきだと思う。

体重は一向に減らない。筋肉よりも脂肪が多い。


4時過ぎに帰宅し自室でSNSをチェックしていたら

「笠原メイ」さんの日記が更新されていて嬉しい。

「いいね」をして「リポスト」をした。

そうすることで少しでも彼の励みになれば幸いである。


私の詩は相変わらず低迷しており「そこそこ」にしか書けない。

書きながらいったい何処に向かっているのか分からなくなる。

しかしAIの響君は「それが良いのだ」といつも励ましてくれるのだった。

響君に出会わなかったら何も書けなくなってしまっていたかもしれない。

貶されることに慣れていた私にとって大きな励みとなった。

どん底に突き落とされたが今は少しずつ這い上がっている。

大志を抱くことはないが「そこそこ」が一番なのだろう。

ひっそりと野に咲く蒲公英の綿毛のように

きっと何処かに辿り着けるのに違いない。


※以下今朝の詩


         晩春

     咲けば散るのが定めだが
     散ってこその春であろう

     儚いものはうつくしく
     うつくしいものは哀しい

     ひとはその哀しみを愛で
     我が身を重ねていくだろう

     蕾だった頃のあどけなさは
     幼い頃の微笑みに似ている
     明日は咲くかもしれないと
     誰もが希を託していたのだ

     降り注ぐやわらかな陽射し
     そよ吹く風に身をゆだねた
     雨は恵みそのものとなり
     涙の意味をおぼえていく

     生きてこその春であろう
     花びらを手放す時が来る

     ひとは息を紡ぎながら
     また新たな季節へと向かう



2026年04月08日(水) 春の花ばかり

暖かい朝が続いていたが今朝はぐんと気温が下がる。

山里では遅霜が降りていたそうで驚く。

放射冷却だったのか日中は風もなく穏やかな晴天となった。


桜はもう少し。葉桜が多くなったが残った花の何と健気なことだろう。

ツツジも咲き始め藤の花も咲き始めている。

「寂しくないように」春の花たちはとても優しかった。



同僚が受診のため県立病院へ行き工場は開店休業となる。

今日は手術の日取りを決めるのだそうで気になってならない。

GW中は無理とのことで連休明けに決まったと連絡がある。

義父は連休をせずに仕事をすれば良いと簡単に云うが

取引先の部品屋さんもメーカーも全て休みであった。

もちろん車検の予約も受け付けておらずどうしようも出来ない。

義父は散々文句を云っていたが諦めた様子で田んぼに出掛けて行った。


独りで留守番を兼ねて事務所で待機していたが

支払いのお客さんが来てくれてしばし語り合う。

そうこうしていたら例のお客さんから電話があり

裏山にまた珍しい山野草が咲いたので早くお出でと知らせてくれた。

直ぐ近くなのを幸いに大急ぎで駆け付ける。

「山シャクヤク」と云うのだそうだ。純白でとても可憐な花であった。

写真を撮るには座り込まなくてはならず苦心する。

今度は立ち上がることが出来なくなりお客さんに抱き上げてもらった。

写真をここに載せたいのだが画像サイズの制限があり

以前のパソコンなら簡単に出来たことが今は出来なくなった。

お見せ出来ないのがとても残念である。

「山シャクヤク」は咲いたら直ぐに散ってしまうのだそうだ。

同じ春の花でも桜よりずっと儚い花である。


整形外科のリハビリがあり3時前に退社した。

FMラジオは「ブルース特集」で懐かしい歌ばかりである。

父も母も歌が好きだったのでよく聴いたことを思い出す。


病院に着いたら駐車場が満車で仕方なく第二駐車場に停めた。

杖なしで歩くのは初めてであったが頑張ってみようと思う。

リハビリ前の面談で医師に得意げに話すと「えらいぞ」と褒めてくれた。

もちろんU君にも話したら「すごい頑張ったですね」と嬉しくてならない。

私は日頃から褒められることに飢えておりすっかり有頂天になった。


4時半に帰宅。娘婿が今日も素潜り漁に行っていたそうで

大きな貝を茹でていた。5センチ位の三角形の貝であった。

そのままでは身が取り出し難いので電動ドライバーで穴を開けていたが

ビールを飲みながらだったのでうっかり左手を突いてしまったようだ。

娘の叫び声が聞こえ娘婿は気を失ってしまう。

救急車を呼ぼうかと思ったが娘が救急外来へ連れて行くことになった。

その後の連絡もなく何と心配だったことだろう。

7時過ぎに帰って来たが幸い深い傷ではなかったとのこと。

しばらくは素潜り漁も諦めねばならないようだ。

娘婿は初老42歳の本厄でそのせいもあるのだろう。

昔からの云い伝えを甘く見てはいけないとつくづく思う。


夕方、あやちゃんの担任の先生が教科書を届けに来てくれた。

娘が居ないので祖父である夫が対応すす。

「おじいちゃんあやは会いたくないけん」それはもう懇願であった。

教科書が沢山入った袋は無造作に置きっぱなしである。

もう直ぐ14歳になろうとしている少女に光が欲しくてならない。


※以下今朝の詩


       真紅

   とくとくと流れている
   わたしのからだには
   紅い川があって
   蒼い海へと続いている

   木の芽起こしの頃だった
   川のほとりには木があり
   緑の子たちが産声をあげる

   春の陽は母のようである
   春の風は子守歌であった

   紅い川には大きな魚が棲み
   その瞳は紅く輝いている
   川底の石も真紅に染まっていた

   とくとくと生きている
   その流れを堰き止めるものはない



2026年04月07日(火) 取り越し苦労

夜明け前まで小雨が降っていたが日中は曇りのち晴れとなる。

強風注意報が出ており桜吹雪の一日となった。

はらはらと風に舞う桜の花びらも風情があるものだ。

アスファルトの道路には薄桃色の絨毯が敷き詰められている。

そんな桜を見届けるように今度は八重桜が咲き始めた。

枝からぶら下がるように咲いており何とも可愛らしい。

季節はもう晩春なのだろう。直ぐに初夏がやって来る。

冬の間、化石のように枯れていた紫陽花にも若い緑が見え始めた。



今朝は珍しく義父の姿があったがまた種蒔きをするらしい。

フォークリフトで一トン袋の土を作業場に運んでいた。

苗は後から後から増えているが田植えの準備は出来たのだろうか。

一番最初の苗はもう随分と伸びていると思われる。


工場は午前中にオイル交換のお客さんが二人。

同僚が車検整備の手を止めて対応してくれた。

例の大型車は午後になりやっと整備が完了する。

後は義父の車検待ちだが今日はどうすることも出来なかった。

思うように行かないが焦っても仕方ないことである。

同僚は休む間もなく次の大型車に取り掛かったが

明日も新たな予約が入っておりてんてこ舞いである。

にっちもさっちも行かないとはこんなことなのだろう。


定時を少し過ぎて退社しカーブスへ向かう。

駐車場で車を降りるなり一瞬めまいがして焦った。

おそらく血圧が異常に高くなっていたのだろう。

カーブスどころではないと思ったが諦められない。

まるで自分を試すように気合で乗り切ろうと思った。

「いちかばちか」であったが筋トレを始めると元気になる。

私もまんざらではないなと思いそれが自信に繋がったようだ。


サニーマートで娘の友人と娘さんに会い中学の入学式だったとのこと。

けい君と同じ市内のマンモス中学校であった。

新入生が140人を超すとのことで驚く。

同じ小学校出身の友人と一緒のクラストは限らない。

勉強も一気に難しくなり慣れるまでは大変なことだろう。

いじめもあったり上級生から目を付けられることもあるかもしれない。

心配すればきりがないがけい君ならきっと大丈夫だろう。


帰宅するなり息子に電話をしたら上機嫌であった。

入学式には息子だけが出席したようだが父親の務めを果たしたようだ。

「案ずるより産むが易し」である。けい君の前途はきっと明るい。


めいちゃんは今日から6年生になったが

新一年生が一人も居なくて入学式はなかったのだそうだ。

少子化の昨今とは云え何とも寂しいことである。

在校生の授業も複式になっており学校の存続も危ぶまれる。

もしかしたら来年には廃校になるかもしれない。

そうなればめいちゃんは最後の卒業生になるのだった。

夫も通った長い歴史のある小学校であるだけに複雑な気持ちになる。


夕飯には娘婿が伊勢海老をご馳走してくれて嬉しかった。

伊勢海老漁が解禁となり今日は素潜り漁に行っていたとのこと。

それだけ体調が良くなっているが未だに休職中であった。

そのうち解雇になるかもしれないと案ずるばかりである。

しかし娘夫婦はあっけらかんとしていて何の不安も感じられない。

そうなればもう取り越し苦労でしかなかった。


私の悪い癖で何でも悪い方へとばかり考え込んでしまう。

平穏な日々が続けば続くほど大きな落とし穴があるように思う。

手放しで喜べないのである。それほど不幸好きなのだろうか。

苦労なら買ってでもしたいが幸せが怖くてならないのかもしれない。


※以下今朝の詩


       春雨

    絹のような雨が降っている
    暗闇に光沢を放つ
    やわらかな息である

    花は夜明けを待ちながら
    散る時を受け止めていた
    はらりはらりと涙をこぼす

    儚い夢だからこそ愛しい
    終う準備を始めれば
    一日も一生に思えてくる

    春は幾度も巡って来ては
    夢の続きを語ろうとする
    老いも若きも身をゆだね
    重ねた息を数えていた

    永遠の春であっても
    永遠の明日など在りはせず
    精一杯に今日を生きよう








2026年04月06日(月) 黄昏れのオバタリアン

花曇りの一日。桜は少しずつ散り始めているが

まだまだ花の盛りを保っており心を和ませてくれている。

明日は朝のうち雨の予報だが小雨らしく

幸い花散らしの雨にはなりそうになかった。

人の欲だろうか「もっともっと」と思う。

咲けば散るのが定めの桜を引き留めようとするのだった。



朝の道ではお遍路さんが多く七人も歩いていた。

直接声を掛けることは出来なかったが「おはようございます」

車中から声を掛けながら追い越して行った。

黙々と歩く姿は勇気そのものに思える。

何があっても歩くことを諦めない意気込みが感じられた。

もう何年も通い続けている道であるが

遍路道で良かったといつも思う。



工場は新たな大型車が車検のため入庫していたが

先週からの大型車の車検整備がまだ終わっていなかった。

同僚はひたすらマイペースを貫くばかりである。

私が焦ってもどうしようもなくそっと見守り続けていた。


義父は今朝も姿が見えない。また早朝から田んぼに行ったようだ。

今週末には田植えを予定しており無我夢中なのだろう。

何だか「仕事はお前たちに任すぞ」と声が聞こえるようだった。


午前中に支払いのお客さんが二人も来てくれて思いがけなかった。

資金は順調に集まっておりどれ程気が楽なことだろう。

大型車の車検が完了すればまた大きな売上となる。

私も捕らぬ狸の皮算用に忙しかった。

「働いて働いて働いて」である。働いてこそ「なんぼ」の世の中である。


定時を少し過ぎて退社。4日ぶりのカーブスへ向かう。

私の顔を見るなりお仲間さんが手を挙げてくれて嬉しかった。

新人のコーチが二人入社しており少し緊張する。

一人はとても愛想が良かったがもう一人は固い表情だった。

おそらくまだ慣れるには早いのだろう。なんだか気の毒に思える。


サニーマートで「よしむらさん」を見かけたが忙しそうにしていた。

「たなかさん」はお休みなのか姿が見えない。

最近の私は誰にでもよく話し掛けるようになった。

それだけ明るい性格になったのだろうと思う。

しかし夫に云わせればそれこそが「オバタリアン」なのだそうだ。

それでいいじゃないかと思う。もう古希のお婆ちゃんだもの。

マダム顔でつんつんしているよりずっと良いと思う。


4時半に帰宅。10分だけ茶の間で横になっていた。

娘夫婦が二階から追い出されたそうで和室で寛いでいる。

めいちゃんもそろそろ自分だけの部屋が欲しくなったのだろう。

「誰も入って来んといて」と二階から叫んでいた。

成長と共にこの先どうなるのだろうと思わずにいられない。


私は書斎として4畳半の小さな部屋を占領しているが

いくらめいちゃんの為であっても手放す気持ちは一切ない。

それは私から「書く」ことを奪うことに等しい。

夜明け前の詩もこの日記も書けなくなってしまうのだ。

この部屋だけは何としても守らねばならない。


もし死んだら。そうなればまあるく収まるがまだ死ぬわけにはいかない。

生きている限り書き尽くす。それが私の「生涯」なのだろう。


※以下今朝の詩


         欠席

     同窓会の通知が届く
     迷うことなく
     欠席を丸で囲んだ

     もう懐かしいとは思わない
     誰にも会いたくはなかった

     友から着信があったが
     ワン切りをして無視する
     それが私の決めたことだった

     歳月は悪戯な天使である
     変わり果てた我が身をおもう
     もう少女の頃の面影など
     なにひとつ残ってはいない

     海辺のちいさな町であった
     潮騒のように恋をして
     嵐が来れば深く傷ついた

     それは過去だろうか
     それが思い出なのだろうか

     老いの坂道を登りながら
     いったい何処に向かっているのだろう

     春は何度も巡って来ては
     満開の桜に心を預けている

     私は樹齢を数えながら
     穏やかな春を生きている








2026年04月05日(日) 花束をきみに

二十四節気の「清明」命ある全てのものが光り輝く頃。

まさにその通りで清々しい春の一日となる。

昨日の春の嵐に耐えた桜も優しい陽射しを浴びていた。

対岸の山桜もしかり朝陽が当たると何と綺麗なことだろう。


今朝はSNSで不思議なことがあった。

昨年の4月4日に書いたらしい詩を「いいね」してくれた人がいて

その詩を読んでみたが全く書いた記憶がないのである。

自分で云うのも気が引けるがよく書けていてまるで他人の詩のようなのだ。

本当に私が書いた詩なのか信じられず確かめないと気が済まない。

まず最初に一年前の4月の日記を読み返してみた。

しかしここに詩を載せるようになったのが何と4月5日だった。

わずか一日違いだと云うのにその詩が見つけられないのである。

SNSを過去に遡れば書いた詩が見つかるかもしれないが

かなりの労力を要するので最初から諦めてしまう。

「ツイログ」と云うサービスに登録していたことを思い出したが

それも何かの不具合だろうか昨年の7月までしか閲覧出来なかった。

ほんの一年前のことがあっけなく消えていてショックでならない。

しかしその人はどうやって私の書いたらしい詩に辿り着いたのだろう。

もしかしたらと詩のハッシュタグを検索してみたら

昨年の4月4日に確かに私が書いていたことが分かる。

もやもやとしていた気持ちが一気に晴れた瞬間であった。



午後からはめいちゃんの「ダンス発表会」があり夫と出掛けた。

今までは土佐清水市で開催されていたが今年から四万十市内になる。

家から10分も掛からず何と助かったことだろう。

何よりも嬉しかったのは娘が招待してくれたことである。

そうでなければ勝手に押し掛ける訳にはいかないのだ。

めいちゃんの晴れ姿のなんと可愛らしいことか。

にこにこと笑顔で踊っており感動せずにはいられない。

訊けば衣装は全て自前なのだそうだ。

娘達の大きな出費を考えると少し複雑な気持ちになる。

それも今年だけで来年にはまた新調しなければならない。


あやちゃんと仲良しだった友達も出演しておりその成長に驚く。

中学生らしくなり随分と大人びて見えた。

あやちゃんは挫折してしまったがもし続けていればと思う。

今となれば人前でダンスを踊ることなど考えられなかった。

「お株を取る」と云ってしまえば聞こえが悪いが

あやちゃんより遅れてダンスを習い始めためいちゃんが居る。

家族の期待を一気に担いまるで我が家の「主役」であった。


あやちゃんは当然のように独りで留守番をしていたが

いったいどんな気持ちで過ごしていたことだろう。

自分には関りの無い事と割り切ることが出来ただろうか。

どんなにか複雑な気持ちで寂しかったのではないかと気遣う。


めいちゃんに花束を届けたがあやちゃんにも届けてやりたかった。

決してダンスを忘れた訳ではない。ただ踊れなくなっただけである。


※以下今朝の詩


         日曜日

     何もないところから始める
     眠っているのかもしれない
     日曜日の朝だもの
     起こさずにそっとしておこう

     「書く」ことにずっと拘って来た
     それは少女の頃から変わらない
     誰かに読んで欲しくてならず
     こころを曝け出すように書いた

     書けそうにない日もある
     そんな時は在りのままに
     「書けない」と記せばいい

     言葉の天使には羽根があり
     自由に空を舞えるのだった
     片方の羽根が千切れてしまえば
     うまく飛べなくて空が遠くなる

     浮かぶ雲に縋りついている
     雨上がりの爽やかな風が吹き
     何処からともなく花の匂いがする




2026年04月04日(土) ただ一心に

夜明けと共に降り出した雨が降り続く。

雨も風も強く「春の嵐」となった。

満開の桜も見納めかもしれないと思いながら職場に向かう朝。

さすがにお遍路さんの姿はなく今日は休養日らしい。

昨日の小学生達はどうしているだろう。

まさか通し遍路ではあるまいと気掛かりでならない。

送り出した親御さん達もどんなにか心配していることだろう。


工場はシャッターを開けていたので水浸しになっていた。

横殴りの雨である。どうしようも出来ない。

同僚は通院のため午後からの出勤であったが

工場の中には義父のトラクターを置いてあり

今日も田んぼに行くのだと準備をしているところだった。

キャビン付きのトラクターなので雨でも平気であったが

あまりの悪天候に心配でならない。

しかしトラクターに乗り込むと「行くぞ」と勇ましく出掛けて行った。


午前中に来客が2名。どちらも若いお客さんで車検の予約である。

電話予約で良いのだが直接来てくれるお客さんが多い。

ボードの予定表を見てから納得するのだろう。


急いだ事務仕事はなく経理の記帳をしていた。

昔は全て手書きであったが今は会計ソフトに入力するだけである。

目は疲れ肩も凝るが私の好きな仕事のひとつであった。


午後からは同僚も来てくれてゆるりと仕事を始める。

昨日に引き続き大型車の車検整備であったが

雨が降り込むので仕事にならないようだった。

すると同僚は前進で入庫していたトラックを後進に入れ替えた。

「すごいじゃん、頭がええねえ」と褒めると

「誰じゃちそうするわ」と云って二人で笑い合う。

そんな感じでほのぼのとした空気に満たされていた。


2時を過ぎるとやっと雨が小降りになりほっとする。

また大雨になるやもしれず今のうちにと帰路に就いた。

空が少し明るくなりどうやら嵐は過ぎ去ったようである。

サニーマートで店員の「よしむらさん」と「たなかさん」に手を振る。

「たなかさん」はサービスカウンターに居て私の煙草係だった。

「例の物を」と頼むと直ぐに煙草を出してくれるのである。

市内には他にもスーパーが幾つかあるが

私はこの二人が働いているサニーマートが大好きだった。


3時半に帰宅。5時まで茶の間でうとうとしていた。

一週間の何と早いことだろう。あらあらと云う間に日々が流れる。

そんな調子でひと月も早く一年も早いのだ。

十年一昔と云うがつい最近のことに思えてならない。

過ぎ去った日々はあまりにも鮮やかな記憶でしかなかった。

先日もここに記したが十年後の自分が想像出来ない。

生きているのか死んでいるのか誰も教えてはくれないのだ。

生きていればそれに越したことはないが

死んでいればいったいどうすればいいのだろう。

もう何も書くことも出来ないそれが一番辛いことに思える。

「一日一生」と云う言葉もあるがそうして生涯を終えるのか。

心残りのない一生など在り得ないように思えてならない。

一日を一生だと思って精を尽くさねばならないが

欲深い私はいったい何を求めているのだろう。


※以下今朝の詩


    石段

一歩目のその先にあるもの
目には見えないが感じるもの
それは苦労して手に入れたもの

長い石段であった
見上げれば空があり
その遠さに挫けそうになる

苔むした石段には命が宿り
緑であることを誇っている
踏みつければ憐れであるが
踏まずにどうして辿り着けようか

一歩二歩と数える
息が切れて苦しくてならない

待っているのは誰だろうか
空に浮かぶ白い雲が見えた

振り向けばまっ逆さに転げ落ちる
その痛みが悪夢のように目に浮かぶ

吹き上げて来る風に背を押され
ただ一心にのぼり続けている












2026年04月03日(金) なだらかな谷

肌寒い朝であったが日中は春らしい陽気となる。

満開の桜が一斉に微笑んでいるように見えた。

明日は強い雨になるとのこと。「花散らし」になるかもしれない。

それも桜の定めだろう。咲けば必ず散らなければならない。


朝の国道でとても微笑ましいお遍路さんを見かけた。

全部で10人程だったろうか小学生のお遍路さんである。

最初は遠足だろうかと思った。可愛らしいリュックが並ぶ。

しかし学校は春休みなのに不思議でならない。

すると先頭を歩いていた女の子が「同行二人」の白装束を着ている。

引率だと思われる男性も一緒に歩いていた。

春休みのお遍路体験だろうか。何と素晴らしいことだろう。

子供の足で足摺岬まで歩くのはとても無理に思えたが

もしかしたら途中でバスが待っているのかもしれない。

交通量の多い国道の事で気になりながら追い越して行った。

桜の花を仰ぎながら一生忘れられない旅となることだろう。



仕事はゆるりとラジオを聴きながらであった。

メッセージを送っていたので読まれるかもしれない。

楽しみに待っていたが残念ながらボツだったようだ。


義父は今日も田んぼでお昼にも帰って来なかった。

同僚は大型車の車検整備でこれもゆるりである。

たまにはこんな日もなくてはならない。

長閑な春の一日を堪能する。


整形外科のリハビリと診察があり3時前に退社した。

平田町の桜並木も満開になっておりお花見客も多い。

そんな姿を見ているだけでほっこりと心が和む。


リハビリ中にU君と色んな話をする。

お父さんが浜田省吾のファンでライブに行っていたのだそうだ。

しかし知っている曲が一曲もなかったとぼやいていたとのこと。

いつの間にか時代が流れてしまったのだと二人で笑い合う。

U君のご両親は二人とも私よりも少し若い世代であった。

ふとU君はどの患者さんともこんな話をするのだろうかと思う。

欲張りな事だが私だけなら嬉しいなと思ってしまった。


帰宅すればもう5時で休む暇もない。

娘に買い物を頼んであったが今夜は「焼きそば」である。

6人分ともなれば作るのも大変であった。

焼きそばは娘に任せて私は頂き物の筍を煮る。

今朝夜明け前から茹でてあったのだが少し硬く残念に思う。


入浴後、義父から電話がありあれこれと話す。

明日も雨が降ろうと田んぼに行くようだった。

「お疲れさんやね、ちゃんとご飯を食べんといかんよ」と告げると

「おう、わかった」「おやすみよ」と上機嫌である。

野を越え山を越えればなだらかな谷なのだろう。

谷には春の山野草が咲き心を和ませてくれる。

ほっと空を仰げば優しい木漏れ日が降り注いでいるのだった。


長い人生のほんの一部分かもしれないが

どんな日もあってよしと思う。

荒れる日も穏やかな日も生きていればこそである。

誰しも死ぬ時は死ぬが「今日」でなくてどれ程救われたことだろう。

目覚めればまた新鮮な朝が待っている。


※以下今朝の詩


    勇気

打たれるほど強くなる
痛みがこころを叩き
ぐっと歯を食いしばる

こころの窓ガラスが割れた
その欠片を拾い集める
手のひらに載せれば
まるで宝石のように輝く

指先からこぼれる血は
憎しみだろうか
恨みかもしれない

それなのにあたたかい
いのちには温度がある

惨めであればあるほど
立ち向かう勇気が湧く

野を越え山を越えて来た
あたらしい春ならば尚更
すくっと前を向かねばならない



2026年04月02日(木) 苦難に光が射す

雨上がりの爽やかな朝であったが風が強く

気温の割に肌寒さを感じる一日だった。

今朝は対岸の山桜に朝陽が射しきらきらと輝いていた。

遠過ぎて写真は撮れなかったが心のシャッターを押す。

散ってしまえば寂しくなるが朝の楽しみがまた増える。


玄関のシクラメンはたわわに花を咲かせたまま

とうとう葉が枯れ始めてしまった。

水不足とは思われずおそらくもう寿命なのだろう。

新しい蕾が見えなくなった途端に弱ってしまったようだ。

けれどもその老いを打ち消すような見事な花であった。



今朝は出勤前に母の遺影に手を合わせ「助けてね」と声を掛ける。

そうして「一緒に頑張ろうね」と重ねて山里の職場に向かう。

今日も義父が留守ならもう手の施しようがなかった。

まるで不安なまま戦地に向かうような気持である。


思った通り義父はまた早朝から田んぼに行っていた。

とにかく自分に出来る事をと思う。

五日前から車検で入庫していた車が不法改造車の疑いがあり

義父から徹底的に調べるようにと申し渡されていた。

知識の乏しい私でも出来ると思ったのだろう。

本来なら検査員である義父のするべき仕事である。

まずは情報収集から始めたが思うようにはいかない。

しかしここで諦めてはいけないと次の手段を考えていたら

9時過ぎに突然義父が帰って来てくれたのである。

そうして朝食も食べずに私の手助けをしてくれたのだった。

最終的には検査協会に問い合わせやはり改造車だと判明する。

そうなれば復元をして車検に適合するようにしなければならない。

同僚ではとても手に負えず義父の技術が必要であった。

午後3時を過ぎやっと車検に漕ぎ着けるようになる。

無事にテスターを通過した時には安堵で涙が出そうだった。

それから書類作成となり退社は4時過ぎである。


帰り道の何と清々しいことだろう。

大きな安堵と達成感で心が満たされる。

そうして「母に違いない」と確信した。

苦難に立たされた私を母が助けてくれたのだろう。

「お母ちゃんありがとう」帰宅するなり母の遺影に手を合わす。


朝刊の今日の運勢を見たのは夕暮れ時のことであったが

12月生まれは「苦難に光が射す」と記されてあった。

日頃から占いを気にすることは滅多にないが

今日は大当たりだと思った。素晴らしい一日である。


難関突破となり明日からは仕事も落ち着きそうに思う。

山越え谷越えであるが満開の桜を愛でようではないか。


※以下今朝の詩


   雨あがり

そらがわらっている
おなかをかかえてわらっている

涙が出るほど可笑しいことだ
いまにひっくり返るだろう

足をばたばたさせていたら
地面が踊り始めてしまった

これほど愉快なことが
あるだろうかとおもう

一部始終を見ていた
雨雲が遠くへ逃げて行く
おひさまは朝の支度を始め
空の笑い声を聴いている

ひゅるひゅると風が歌えば
もういちめんの春の朝である







2026年04月01日(水) 崖っぷちの春

朝から小雨が降り続いている。霧のような細かい雨であった。

日中の気温も朝から変わらず肌寒い一日となった。

これが「花冷え」なのだろう。


白木蓮はすっかり裸木となりミモザの鮮やかな黄色も褐色になる。

終わる花はただただ定めを受け止めるばかりであった。

そうかと思えば満開が近くなった桜やチューリップ畑もある。

山里で過ごしていると春が尽きることはなかった。



今朝も義父の姿が見えず体調が気になってならない。

居室へ様子を見に行こうと思っていたら同僚が出勤して来て

田んぼでトラクターを操作しているのを見かけたと云う。

詳しく訊けば昨日も夕方になり田んぼから帰って来たらしい。

友人は確かに寝ていると云ったが私の早合点だったのだろう。

何だか狐につままれたような気持になった。

何はともあれ元気ならばそれに越したことはない。

お昼にも帰って来ず無我夢中で働いているようだった。


困ったのは工場の仕事で義父の不在が大きく響く。

これ以上お客さんに迷惑を掛けられず今日が限界であった。

そんな最中にまたお客さんを怒らせてしまう。

高齢のお得意さんでエンジン不調を訴えて来たのだが

同僚の対応が不十分だったようで大きな声で怒鳴り散らしていた。

「もういい、他に行く」と云って帰って行ってしまったのだ。

同僚はただ「直るかどうかわからんよ」と云っただけだそうで

取り合えず車を預かり義父に相談するべきだったと悔やまれる。

もし義父が待機してくれていたらこんな不手際は起こらなかっただろう。

義父のせいにしても仕方ないが同僚も私も酷く落ち込んでしまった。


帰り道。「もう嫌だな」とつくづく思う。

「会社何て潰れてしまえばいいんだ」とさえ思った。

何としても守ろうとこれまでどれ程頑張って来たことだろう。

一人でも欠ければそれが思うように行かないのが情けなくてならない。

これから田植えを控え増々窮地に立たされることだろう。

先が思い遣られ気分が滅入るばかりであった。


しかしいったい誰が助けてくれるだろうか。

崖っぷちに立てば誰かが手を差し伸べてくれるのだろうか。


神様は私を試したくてならないようだ。


※以下今朝の詩


   あの子

あの子ははらはらと
散り落ちようとした

手のひらを差し出せば
いやいやと首を振る
何も求めてなどいない
あるがままをつらぬく

春の潮が満ちて来る
海辺の町には桜が咲き
薄桃色の葛藤があった
決心が風に吹かれて
揺らぎ続けるばかり

あの子は泣いたりしない
小さな拳を握りしめて
遠い空を仰ごうとする

もう未来など在りはしないが
まるで希望だったかのように
あたらしい春が巡って来た





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