晴れたり曇ったり。強風注意報が出ており冷たい北風が吹く。
午前中空が霞んで見えたのは黄砂だったのだろうか。
春霞には程遠く真冬の寒さとなった。
朝のうちにダイハツへ。パワーウインドウの修理がもう出来たようだ。
やはり義父の診立ては正しくヒューズ交換で治ったらしい。
しかも代金は不要とのことでおどろく。
会社がダイハツ専門店なのでサービスしてくれたのだろう。
本来なら同僚に直してもらうべきだった。
「灯台下暗し」ではないが何とも頭が下がる思いである。
その足でカーブスへ行ったがショッピングモール内で
「雛人形展」をやっており足を止めずにいられない。
ずらりと並んだ雛人形の何と豪華絢爛なことだろう。
心がとても和みほんわりと春の気持ちになった。
カーブスでは今日も汗だくになる。
異常に思われたが真冬の汗はとても心地よい。
脂肪が筋肉に変わっているのなら尚更のことである。
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義父から電話がありボールペンが必要だと云う。
とっさに例の女性の顔が浮かび「持って来てもらえば」と告げる。
義父は狼狽えはしなかった。午後からでは遅いのだそうだ。
その後また電話があり病院の売店で買い求めたとのこと。
久しぶりに歩けたのが嬉しかったのか声が弾んでいた。
午後また電話があり病室が相部屋から個室に変わった報せだった。
最初から希望していたのだが空き部屋がなく待っていたらしい。
電話魔の義父のことこれで周りを気にせずに通話が出来るだろう。
それも嬉しかったのか随分と長電話になってしまった。
詳しい容態はまだ分からず医師からの説明も無かったが
三食の食事が摂られるようになったので少しは好転してるのだろう。
連休明けには退院出来るだろうと例の如くで勝手に決めつけている。
それに越したことはないが早過ぎてもいけないように思う。
とにかく容態次第であり安静第一ではないだろうか。
仕事の事は忘れて午後はひたすら寝ていた。
とにかく心身を休めなくてはならない。
「そろそろ起きないか」と夫に声を掛けられたのが四時である。
娘達が夕食不要と言ってくれたので夕食は「ほか弁」にした。
夕陽を仰ぎながら市街地へと向かう。ラジオは浜田省吾だった。
何と幸せなのだろうと思う。まるで夢を見ているようである。
入浴後に寝室で身支度を整えていたら「おばあちゃ〜ん」と呼ぶ声。
最初はめいちゃんの声だと思っていたらあやちゃんだった。
トイレのドアノブが壊れておりトイレに閉じ込められていたのだ。
「早く開けて〜」と叫んでいる。どんなにかパニックになっていたことか。
夜だから良かったが昼間独りの時だったら大変なことになるところだった。
「ありがとう、おやすみ〜」とにっこりの笑顔が嬉しかった。
子供部屋に閉じ籠ってしまうと顔も見られない日が多い。
会話も殆ど無く声を掛ければ機嫌が悪いのが常だった。
なんだか腫れ物に触れるような日々が続いているが
もう硝子細工ではないのだと思いたい。
しっかりとした意思を持ち自分を貫こうとしている。
そんなあやちゃんに「光」を当ててやりたくてならない。
雲ひとつない冬晴れ。風が弱かったせいか暖かさを感じる。
強い寒波は明日からのようでまた雪の日がやって来そうだ。
名残り雪となるかもしれないがかつて三月に大雪が降った年もある。
春彼岸までは油断が出来ず春らしさも手放しでは喜べない。
梅の花があちらこちらで咲き始めているが例年より2週間も遅いのだそうだ。
「梅は咲いたが桜はまだかいな」と云うが桜も遅れるかも知れない。
早朝義父からやっと電話があったが泣きそうな声で「帰りたい」と云う。
入院してから医師の説明が全くないそうで戸惑っているようだった。
その上に丸二日一切食事は出来ず水も飲ませてはもらえなかったらしい。
痛み止めの薬が飲めずもう限界を通り越しているようだった。
「帰るから迎えに来てくれ」と云うので逆らう訳にもいかず
一度職場に着いてから県立病院へ向かった。
そうしたらまた電話があり医師が許してはくれないとのこと。
まだ三日目である。それが当然のことだろう。
病棟の詰所まで行ってみたが面会も出来なかった。
午後からなら15分だけ許されるのだそうだ。
仕事もあり諦めて一度職場へと帰って来た。
週末までに車検完了を約束していたお客さんがいて
事情を話し待ってもらおうと思ったのだが絶対に駄目だと言い張る。
「もう他の車検場に頼む」と云うので困り果ててしまった。
仕方なく義父に相談して検査だけしてくれる工場が見つかった。
同僚と段取りをしてんやわんやの大忙しである。
午後、義父に見せなくてはならない大切な書類があり
再度県立病院に向かったが駐車場にまた例の女性の車があった。
面会は家族のみと制限されているはずだがどうやって叶えているのだろう。
詰所で面会届けを記入しなければならず続柄も必須であった。
まさか「妻」ではあるまい。「妹」ならなんとかごまかせるか。
すると正面玄関からその女性が出て来て危うく鉢合わせしそうになる。
手には義父の洗濯物だろうか大きめの袋を提げていた。
私は俯いて顔を背けたのでなんとか顔を合わせずに済んだ。
実のところそれほど拘る事でもあるまいと思う。
義父も独身でありその女性も独身である。誰も咎める筋合いはない。
15分の面会を終えまた職場へとんぼ返りだった。
お客さんが車を引き取りに来てくれて上機嫌で帰って行く。
来週には支払いに来てくれるとのこと大助かりである。
今日は他にも消防車のタイヤ交換もあって何と忙しかったことだろう。
タイヤチェンジャーの調子が悪く思うように作業が出来ない。
仕方なくまた平田町のガソリンスタンドに頼むことになった。
軽トラックにタイヤを積み込み2往復する。
お昼休みも無かったがそれどころではない忙しさだった。
同僚もパニック気味になっており「胃潰瘍になりそうだ」と嘆く。
私は気が張っていたのだろうけっこう元気に活躍した。
午後4時過ぎに退社。遣り切った感がハンパない。
明日は11日の振り替えで休業を決めていたので一気に気楽になる。
とにかくゆっくりと休み来週に備えなければいけない。
山あり谷ありであるがそれを「苦」だと思わないことだ。
何事も何とかなるものだと今日ほど思ったことはない。
夜明け前の気温は0℃だったが市街地では氷点下だったようだ。
海が近いせいか毎朝少しだけ気温が高いようである。
山里は気温が低く10時頃まで氷点下が続いていた。
メダカの水槽の氷がいつまで経っても溶けない。
昨日からみい太が行方不明になっており今朝も姿が見えなかった。
この寒空にいったい何処で夜を明かしているのだろう。
ばたばたと仕事。焦りは禁物であるがつい慌ててしまう。
「車検」は出来ないが整備は出来るのが幸いだった。
同僚と相談してとにかく整備を済ませることにする。
義父が退院したら一気に車検を完了させる予定だった。
その義父からは一切連絡がない。携帯の電池切れかもしれず
こちらから電話をするのは躊躇われた。
面会に行くことも考えたがそれも規制があるらしい。
それにまた例の女性と鉢合わせになるのも嫌だった。
昨夜のうちに数人の友人に報せたらしく
心配して電話を掛けて来てくれた人もいた。
けれども容態は全く分からず何も応えることが出来ない。
義父は「直ぐに帰る」と言ったのだ。その言葉を信じるしかない。
事務仕事は一段落しており2時半に退社する。
気分は落ち着かないが考えても仕方ないことだろう。
悪い方へではなく良い方へ考えるべきだった。
明日一日乗り越えれば後は何とかなると思う。
今こそ思い悩んではいけない時だった。
資金繰りはまずまずで今日も3件の振込入金があった。
預金は今のところ潤っているが月末まで持つだろうか。
車検が完了しないと現金収入は皆無に等しい。
そこが腕の見せ所だがこの太腕の何と心細いことだろう。
当たって砕けろである。とにかく月末に向けて進むしかない。
勤続36年目であるがこれまでどれ程の苦難を乗り越えて来たことか。
母が現役だった頃は共に力を合わせて来たが今は単独である。
経営難はまるで谷底のように泥の水で満ちているように思う。
試されているのなら試して頂こうと気が張っているが
その「気」が崩れ落ちてしまうのが怖くてならなかった。
ゴールは見えない。私はいったいいつまで走り続けるのだろうか。
前回の最強寒波ほどではないが真冬の寒さが続いている。
幸いなのは冬晴れでたっぷりの陽射しが降る注ぐこと。
風は冷たいが陽射しを浴びるとほっとする。
土佐清水市の足摺岬では椿が満開となり見頃となっているそうだ。
以前のように出掛けることも出来なくなり幻のような椿である。
「椿のトンネル」を歩いたのは随分と昔の事になってしまった。
山茶花は散るが椿は落ちる。潔さよりも少し憐れに思えて来る。
耳を澄ませばポトンと音がするらしいがその音の何と儚いことだろうか。
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早朝に義父から電話があり昨夜は酷く体調が悪く眠れなかったらしい。
首の痛みとは別で下血があり血圧も低下していたそうだ。
あまりの辛さに救急車を呼ぼうかと思ったが朝まで辛抱したようだ。
心配でならず直ぐに駆け付けるべきだったがそれには及ばないと云う。
そうして自力で県立病院の救急外来へと向かったのだった。
一時間後には私も職場へ着いており急いで仕事の段取りを済ます。
そうして県立病院へ向かったのだが駐車場に義父の車が見当たらない。
その代わりに例の女性の車が直ぐ近くに停められてあった。
何となくそんな気がしていたので「やっぱり」と思う。
義父も余程心細かったのか頼らずにはいられなかったのだろう。
もし母が生きていても何の役にも立たなかったと思う。
けれども母がそれを知ればどんなにか嘆いたことだろうか。
義父の容態が心配だったが駐車場からそのまま帰る。
何とも複雑な気分であったがその女性に任そうと思っていた。
3時過ぎに義父から電話があり「十二指腸潰瘍」だったそうだ。
出血が治まるまでしばしの入院となってしまった。
原因は定かではないが痛み止めの服用し過ぎも考えられる。
やはり元を正せば首の骨折が災いしているとしか思えなかった。
義父は週末には退院すると言い張っていたが勝手に決めているようだ。
私と同僚は仕事の段取りでパニック状態である。
二人で助けあってこの急場を何としても乗り越えなければならない。
出来るのか?自分に問えば「何とかなるだろう」と応える。
幸い週末から三連休を控えており明日、明後日が勝負だった。
お客さんには迷惑を掛けるが理由を話せば待ってくれるだろう。
そう信じて立ち向かって行こうと思っている。
悪いことが続く時もあるものだ。順調とは限らないのが世の常である。
そんな時に嘆いても何も変わりはしないのだと思う。
受け止めて如何に対処するかである。決して逃げてはならない。
二十四節気の「雨水」雪が雨に変わる頃であるが
またもや寒波到来で日本海側は大雪になっているようだ。
長期寒波との事で厳しい寒さは来週まで続くらしい。
四万十は曇りのち晴れ。気温は低目であったが陽射しが燦々と降り注ぐ。
山里では時雨れる時間帯もあったが雪に変わることはなかった。
今朝の山道では7人のお遍路さん。最近では珍しく多い。
白装束ではなく黒装束のお遍路さんが2人歩いていた。
おそらく何処かのお寺の修行僧ではないかと思われる。
笠を深めに被っており顔はよく見えなかったが若者に思えた。
鈴々と鈴の音がこだまするように響く清々しい朝の道であった。
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8時半前に職場に着いたが義父は早めに県立病院へ行ったようだった。
気になってならずひたすら帰りを待っていたが
お昼になっても帰らず2時を過ぎても帰って来ない。
仕方なく同僚に伝言を頼み帰路に就いた。
帰宅して4時過ぎにやっと義父から電話があったが
昼食も食べられず朝からずっと検査詰めだったようだ。
先日のMRI検査では不足だったのだろうか。
不思議に思っていると義父から思いがけない事を聞く。
整形外科の医師の紹介状に何と「癌の疑いがある」と記されていたらしい。
実際に紹介状も見せてもらったそうだが確かに「癌」の字があったそうだ。
義父はどれほど驚いたことだろう。私も寝耳に水のような話である。
長時間の検査の結果癌の疑いは晴れたが義父は憤慨しており
「やっぱりやぶ医者だ」と整形外科の医師を罵り始めていた。
私にとっては最も信頼している医師である。
おそらく見逃せない部位があったのだろう。
気遣ってくれたことに感謝しなければと義父に伝えたことだった。
今回の怪我さえなければ病院へ行くこともなかっただろう。
高血圧も自力で治そうとするような義父であった。
81歳とは思えない体力がありその上に強い精神力を備えている。
決して生半可ではない。何としても遣り切ろうとする努力家でもあった。
私にはとても真似が出来ない。80歳まで生きる自信もなかった。
もしかしたら義父よりも先に逝ってしまうかもしれない。
決して諦めている訳ではないのだがどうしようもなく不安なのだった。
やがて春本番となり桜の季節がやって来るが
はらはらと散る光景が目に浮かんでならない。
朝の内には黄砂が、その後は快晴となったが冷たい強風が吹く。
予報通りの寒波到来でしばらくは真冬並みの気温となりそうである。
なんだか春と冬がおしくらまんじゅうをしているようだ。
朝の山道を行けば山沿いに梅の木があり小さな白い花が咲いていた。
民家からは離れているが近くに畑があり誰かが植えていたのだろう。
毎年いち早く咲きほっこりと気分を和ませてくれる。
今朝は車のトラブルがありパワーウインドウが開かなくなっていた。
昨日までは何ともなかったので突然に壊れてしまったのか。
一ヵ所だけならモーターの故障が考えられるが全部の窓が開かない。
義父に相談したらヒューズ系の故障かもしれないと云う。
月曜日であり車検が3台も入庫しており私の車どころではなかった。
ダイハツに電話したら今週いっぱいは修理が出来ないのだそうだ。
車検はもちろんのこと一般修理も予約制になっていた。
どこも忙しいのだなとしばらくは我慢することにする。
義父は一見元気そうに見えたが腕の痛みが辛いとのこと。
それでも無理を強いて「種籾」の準備をしていた。
「種籾」はそのまま発芽さすことは出来ず消毒が必要らしい。
米作りは本当に大変で何と手間が掛かることだろうか。
そんな忙しさの中で中古車が一台売れた。
商談は義父任せで余計に忙しくさせてしまったようだ。
明日は県立病院へ行く予定である。義父はまた俎板の上の鯉になるだろう。
まさか入院はないと思うが少しでも完治に向かうことを願って止まない。
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4時に帰宅。洗濯物を畳みながら夫と「三匹が斬る」を見ていた。
最後に奉行所の悪役人を一人残らず斬り殺すのだが
大罪になりそうなのに何のお咎めがないのが不思議でならない。
夫に訊けば時代劇とはそう云うものなのだそうだ。
悪者イコール死である。今の世では考えられないことであった。
私も灰汁が強く決して善人とは思えないが
今のところ誰からも恨まれてはいないようである。
ただ嫌われることはある。正直過ぎるせいかもしれない。
ずばっと本音を言ってしまう時があって相手を傷つけてしまうのだ。
どれほど縁深くてもそれは忽ちに切れてしまうものだった。
縁は儚く一度切れてしまうと修復は不可能に等しい。
けれども私は自分を責めることをしない。
責めてしまえば私自身が傷ついてしまうからだろう。
いつだって「去る者は追わず」であった。
そうして「来る者は拒まず」を貫きながら生きている。
雨上がりの曇り日。気温は14℃まで上がり暖かな一日となる。
ご近所に寒桜の樹があるのだが例年ならそろそろ咲く頃であった。
しかしわずか百メートル足らずの距離を歩くことが出来ない。
情けないことである。ささやかな春を目に浮かべるばかりであった。
サニーマートで古い友人に久しぶりに会った。
マスクはしておらず肌艶の良さにはっと驚く。
彼女は人一倍行動力を備えており躊躇わず何処にでも行く。
以前には岡山の倉敷まで一人で行ったこともあった。
アマチュアカメラマンで県下でも認められておりその腕前は凄い。
コロナ禍前までは度々あって写真を見せてもらうのが楽しみであった。
けれどもこの四年程の間にそんな機会も遠のいてしまっていた。
友人と呼んで良いものか。彼女には大勢の友人がいるようである。
ほんの立ち話であったが彼女が眩しくてならなかった。
私がどれ程努力をしても彼女に手が届くことはないだろう。
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山里の義父の事が気掛かりであったが電話もせずに過ごしていた。
おそらく安静にはしていなかったことだろう。
工場は休みだが田植えの準備をしなければならない。
まるで米作りに命をかけているように思われる。
明日は会えるが少しでも元気を取り戻していることを願って止まない。
最低限の家事だけで後はひたすら寝て過ごす。
「また夜眠れなくなるぞ」と夫に云われ3時には起き上がっていた。
退屈でならずまた昔の日記を読み返すばかりである。
今日は8年前の2月と3月の日記を読んだ。
あやちゃんは4歳、めいちゃんは2歳である。
その頃はよく一緒にお風呂に入っていたようで懐かしくてならなかった。
今では着替えをしている姿でさえ見ると怒られてしまうのだ。
もう幼子ではない。二人とも少女の階段を上り始めている。
あやちゃんはもう大人の階段と云っても過言ではないだろう。
ふれあうことは殆ど無くなり会話も随分と少なくなった。
ただ二人ともおじいちゃんの夫とはよく話すようだった。
私はきっと「ウザい」のだろう。それも過度の老婆心のせいかもしれない。
いつまでも変わらない事など在りはしないのだと思う。
この私でさえ数年の間に随分と変わったと自覚している。
足が不自由になったせいもあるが行動力はすっかり失せてしまった。
日に日に老いが身に沁みるようになり「いのち」の不安が付き纏う。
前途が心細くてならないのだ。未来などあって無いに等しい。
けれども生きたくてならずもがき続けているような日々であった。
種を蒔けば芽が出てやがて花が咲く日も来るだろうが
その種を蒔く行為に躊躇っているように思う。
たった一粒の種を手のひらに載せひたすら春を待っている。
曇り日。気温は10℃を超えていたが肌寒い一日だった。
今夜から明日の明け方にかけて雨になりそうである。
一雨ごとに春とはいかないだろう。来週はまた寒波になりそうだ。
けい君11歳の誕生日。元旦に会ったきりだが元気にしているだろうか。
息子が仕事なら独りぼっちで留守番をしているかもしれないと
電話をしてみたら「今日は誕生日だぞ」と息子の弾んだ声がする。
新しいゲームを買ってもらったのだろう。父親と一緒に遊んでいるようだった。
寂しい思いをしていなくてほんとうに良かったとほっとした。
今春にはもう6年生になる。あっという間の11年だった。
母親のことで辛い思いをした頃もあったが「いま」が一番に思う。
真っ直ぐに成長することをただただ祈るばかりである。
今日は11年前の2月の日記を読み返していた。
満月だったのだ。まるで月から授かった天使のような「いのち」である。
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朝のうちにカーブスへ行っていたが午後はまたひたすら寝て過ごす。
義父から着信が2回あった。最初は仕事の段取りの相談であったが
二回目には酷くしんどそうな声で首や腕の痛みを訴えていた。
朝のうちは地区の田役に行っていたらしく力仕事をしたのだろう。
無理をしてでも務めるのが義父の性分である。
とにかく早めに寝るように伝えたが何とも弱々しい声であった。
いったい何が義父を突き動かしているのだろうと思う。
壊れてしまうまで身体を酷使しようとしているとしか思えなかった。
私と義父の会話を横で聞いていた夫が「まるで母親だな」と云う。
いつものことだがあまり良い気がしなかったのかもしれない。
夫は未だに義父の事を「おとうさん」と呼んだことがなかった。
ぐるぐると空回りするように色んなことが押し寄せて来る。
順調とは行かない事ばかりでいつまで経っても落ち着かない。
これ程までに私を試しているのはいったい誰なのだろうと思う。
義父はもちろんのことだが私も夫も老い先は短い。
未来を考えるほどの心の余裕もなかった。
生かされる限りのささやかな未来なのだろう。
その時に思い残すことがないような生き方をしたいものだ。
穏やかな晴天。気温も15℃まで上がり春らしい暖かさとなった。
このまま春本番となれば良いのだがまだ2月である。
立春を過ぎたとは云えまだまだ冬の名残があるだろう。
「寒さなければ花は咲かず」私の好きな言葉であった。
今朝は義父に昨日の医師の話を伝えたが全く動じない。
思っていた通りへらへらと笑い飛ばすばかりだった。
おまけに医師の事を「やぶ医者」だとのたまう。
痛みが酷ければ深刻にもなるだろうが少し楽になっているようだ。
それはそれで良いことだが「安静」のあの字も考えていない。
今日は農家仲間さんと畔の草焼きに出掛けて行く。
勇ましい姿はとても怪我人には見えなかった。
工場の仕事は一段落し例の大型車の車検整備が完了する。
後は検査だけだと喜んでいたらシャーシの溶接が必要とのこと。
鉄骨部のKちゃんが出張しており今日はお手上げとなった。
仕上がりは来週になりそうだが何とほっとしたことだろうか。
事務仕事も特に忙しくなく2時に退社させてもらった。
今週も遣り切った感で満たされ気分は上々である。
週末はゆっくりと休みまた来週に備えなければいけない。
今日も娘が休みだった。何か変だなと思っていたらちゃんと話してくれて
今月いっぱいで病院を解雇されるのだそうだ。
寝耳に水のような話であったが新しい検査技師を雇い入れたらしい。
そうなれば娘はもう不要である。なんだかとても理不尽なことに思えた。
娘は「もういい」と云う。さほど気に入った仕事ではなかったようだ。
病院側は「受付」の仕事を勧めてくれたらしいがそれも断ったのだそうだ。
受付は病院の「顔」であり気が進まなかったらしい。
あと何日勤められるのか定かではないがおそらく休みが多くなるだろう。
娘が家に居てくれると助かるが手放しでは喜べない複雑な心境である。
今朝はあやちゃんの事も話してくれて思いがけなかった。
小学校の卒業式は出席しない。中学入学の準備も迷っているようだった。
入学説明会には行かなければならずとても気が重い様子である。
制服はめいちゃんも着られるが来年には制服自体が変わるのだそうだ。
「無駄」と決めつけてもいけないがそう思うのが当然だろう。
「ジャージだけ買おうか」と云うので私も頷いていた。
娘とこんな話が出来るとは夢にも思っていなかった。
よほど精神的に参っているのだろうと察する。
母親だから話せることもあるのだろう。
それは20代の頃の娘と同じだった。
何事もなるようになるだろう。あれこれと思い悩んではいけない。
そう思っていても人生にはそれが付き纏うものである。
良かれと思ってしたことが最悪になることもあるのだった。
日々が手探りなのだ。そこには「絶対」は在り得ないのだと思う。
不確かなあやちゃんの未来。家族の行く末。
私と夫の寿命。誰も教えてくれないことに立ち向かう日々である。
青空となり陽射しは十分にあったが強風が吹き荒れる。
南風なら春一番だろうが冷たい北風であった。
全国的に吹き荒れたようで火災が延焼している処もあるようだ。
まだ鎮火のニュースは流れず何と気の毒なことだろうか。
日中は10℃まで気温が上がったが風のせいか真冬の寒さであった。
明日は穏やかな晴天になるらしいが来週にはまた大寒波のようだ。
三寒四温を繰り返すのが今の季節の習いであるが
少しでも暖かくなる日が多くなることを願って止まない。
誰もが春を待ち侘び心に蕾を抱いていることだろう。
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仕事は車検が三台完了。同僚と義父のおかげである。
週末にかけては例の大型車の車検整備を完了させる予定であった。
入庫してからもう随分と経った。お客さんが何度か様子を見に来て
その度に頭を下げるばかりで心苦しくてならない。
3時前に退社しリハビリに向かう。
義父の紹介状を受け取っていたら診察室から医師が駆け寄って来て
かなりの重症とのこと。とにかく安静にするようにと言われた。
仕事などもっての外なのだそうだ。穏やかな医師だが語気が荒い。
無理をしていたら大変なことになると念を押された。
県立病院を受診すると入院の可能性もあるそうで
言われた通りに従わなければいけないのだそうだ。
入院と聞いて一瞬目の前が真っ暗になった。
一週間位ならなんとがなるがそれ以上となると会社存続が危うい。
同僚と私だけでどうやって会社を支えて行けば良いのだろう。
いくら考えてもそれは到底無理な話である。
検査員の義父が居ないと車検が出来なくなってしまうのだ。
収入は忽ち途絶え会社は倒産となってしまう。
それは義父に限らず私や同僚であっても同じことだった。
一人でも欠けたらお終いである。三人で守り続けて来た会社なのだ。
義父には明日話すつもりだが笑い飛ばすかもしれない。
そうして安静どころか余計に仕事に励むことだろう。
そうなればもう私の手には負えなくなってしまう。
精神力だけで治る怪我では決してないのだ。
悪いことばかりではなかった。今日は新車が一台売れる。
義父が契約に行ってくれて順調に成立した。
顧客は私の古い友人であり新車購入を勧めたが
最後の契約は義父に任せて良かったと思う。
朗報もなくてはならない。会社はそうして成り立っている。
山あり谷ありの日々である。今はおそらく山だろう。
「そこに山があるから登る」と言ったのはある探検家だったか
私達はもちろん探検家ではないが似たような者なのかもしれない。
苦労は多いが平安もある。そうして生かされているのだろう。
山に登れば空が近くなり眩しい程の陽射しがある。
手は届かないがそれが人生の「山」なのに違いない。
「谷」には小川が流れ岩陰にひっそりと咲く春の花があるだろう。
久しぶりに雨の一日となる。 日中の気温は6℃に留まり随分と冷たい雨だった。
けれども一雨ごとに春ではないかと思わずにいられない。
「雨水」まであと6日である。雪が雨に変わる頃である。
今日の雨は冷たかったが植物には恵みの雨になったことだろう。
職場の紅梅は咲き始めていたが先日の雪の影響だろうか
蕾は沢山見えているが寒さに戸惑っているようだ。
「頑なに口を閉ざす」沈黙を貫いているようにも見える。
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仕事は今日も活気に満ちていた。順調には違いないが
例の大型車は手が付けられず義父も同僚も頭を悩ませている。
おまけに林業を営んでいるお客さんの車が現場で故障してしまい
同僚が駆け付けたが直ぐには直りそうになかった。
傘を差すことも出来なかったのだろうずぶ濡れになって帰って来る。
寒さで震えており何とも気の毒でならない。
直らないと仕事が出来ないとお客さんは困り果てていたが
簡単な修理では済みそうになかった。
入庫となると工場はまた大変なことになり先へ進めなくなるだろう。
明日も明後日も車検の予約が入っており途方に暮れるばかりである。
工場が気になりつつも2時半に退社した。
身勝手なことだが炬燵が恋しくてならない。
その上に身体が怠く眠気もあり早く帰りたくてならなかった。
きっと雨のせいだろう。雨には不思議な魔力のようなものがある。
娘が昨日に引き続き今日も休みとのこと。
今朝はちゃんと伝えてくれて嬉しかった。
水曜日は病院の検査室がお休みなのだそうだ。
毎週ではないようだが詳しくは訊けなかった。
娘が家に居てくれるととてもほっとする。
家事もしてくれておりどれ程助かることだろうか。
炬燵に潜り込み夫と「三匹が斬る」を見ていたが
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
目覚めればもう5時である。夫の笑い声が聞こえていた。
自分では気づかなかったが鼾をかいていたのだそうだ。
娘が居てくれるだけで緊張感がすっかり薄れていたのだろう。
私はどうやらいつも気が張っているようだった。
あれもこれもしなければとどうしても自分に課してしまう。
決して完璧主義ではないがやってしまわないと落ち着かないのだろう。
けれどもいい加減なところもいっぱいある。
上出来でないところが私らしさかもしれない。
それだけお粗末な人間だと云っても過言ではあるまい。
後どれ程生きられるのか定かではないが
お粗末な一生も良いのかもしれないと思っている。
背伸びをせずに私らしく生きて行きたいものだ。
氷点下の朝が続いているが日中は穏やかな晴天となる。
やっと最強寒波が遠ざかったのだろう。
後は本格的な春を待つばかりである。
しかし雪国では落雪や雪崩の被害が出ているようだ。
春の兆しを手放しでは喜べない複雑な心境である。
祝日返上の仕事であったが順調に捗りほっと安堵であった。
来客もあり同僚は出張修理に出掛けてくれる。
お客さんの何と喜んでくれたことだろう。
バッテリーを交換しなければならず困っていたのだそうだ。
一般修理も完了しお客さんが直ぐに支払いに来てくれる。
僅かの金額であるが「ゼロ」の懐には大助かりであった。
義父は先日壊してしまったサービスカーを直してくれる。
自分の過失だからと責任を感じていたらしく一生懸命であった。
昼食も食べないまま3時前まで頑張ってくれた。
皆の協力あってこそのことである。祝日に仕事をするのも良いものだと思う。
まだまだ今週一杯は大忙しだ。どうか順調にと願うばかりである。
3時半にはサニーマートに着いており娘に電話してみた。
何か食べたい物はないか?作りたい物はないか?
「鶏と茄子の南蛮漬け」が食べたいと言ってくれて嬉しかった。
普段は殆ど会話がないのでまるで子供のように思ったのだ。
母親であることを再認識する。確かに私が産んだ娘だった。
帰宅すると娘が洗濯物を畳んでくれており何と助かったことだろう。
おかげですぐさま炬燵に潜り込み夫と「三匹が斬る」を見れた。
今日は「夢に餅」と夫に云えば「またそれか」と笑われてしまう。
亡き姑さんの口癖だったのだ。いつの間に似てしまったのだろう。
他にも美味しい物を食べた時に「馬勝った牛負けた」もある。
姑さんとは折り合いがあまり芳しくなく良い思い出も少なかったが
私は嫁として認められて姑さんを手本にして暮らしていたのだろう。
涙したこともいっぱいあったが姑さんのおかげで今の私があるのだと思う。
夢に搗き立てのお餅が出て来る。それは柔らくてとても美味しい。
朝は氷点下の冷え込みであったが日中はたっぷりの陽射しが降り注ぐ。
けれども風の何と冷たいことだろう。まるで「北風と太陽」であった。
山里は所々に雪を残し田畑は一面の霜である。
気温も平野部よりも低くぶるぶると震えあがるような厳しい寒さだった。
看板猫のみい太は何処で眠っていたのだろう。
義父が目覚めた時には姿が見えなかったそうだ。
朝食係のお客さんの車が見えると走り寄って来たらしい。
猫は寒さに弱いがみい太はとても逞しかった。
家の中では飼ってはやれず可哀想に思う時もあるが
野良猫の思いをすればどれ程恵まれていることだろうか。
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工場は怒涛の忙しさである。大型車の車検整備が終わらないうちに
新たな車検や一般整備が舞い込む。私の段取りが悪いのだろう。
代車を貸して帰ってもらったがこのままではとても手に負えない。
私の一存であったが明日の休みを返上することになった。
義父も賛成してくれ同僚も頷いてくれとてもほっとする。
とにかく今週中に引き受けた車検を完了しなければならない。
問題は古い大型車でやっと部品が揃ったところだった。
複雑な修理のため義父の腕が頼りである。
首の痛みも忘れたかのように今日も精を出してくれた。
医師から仕事は控えるように言われているらしい。
そんな忠告を素直に聞くような義父ではなかった。
来週には県立病院を受診するが医師が紹介状を書いてくれているとのこと。
私がリハビリの日に受け取る手筈が整っている。
あれこれと忙しかったが3時に退社させてもらった。
帰り道に平田町のお客さんに車検証を届けに行く。
郵送はなるべくしないように心掛けている。
今朝も山里のお客さんに届けに行ったのだが
義父が書いてくれた地図を頼りにまるで探検気分であった。
それが人里離れたぽつんと一軒家でなんだかわくわくする。
猪や猿が出て来そうな谷深い場所で薄暗い程日当たりが悪い。
なんと午後2時を過ぎないと日が当たらないのだそうだ。
わざわざ来てくれたのかとお客さんは上機嫌であった。
それこそが車検証を届ける意義なのだろうと思う。
買い物を済ませ4時には帰宅していた。
自室で一服してから洗濯物を畳む。
「三匹が斬る」は途中からだったがやはり面白くてならない。
今の俳優さん達で令和番が出来ないものかと思った。
例えばauのCMの桐谷君とかの3人組である。
きっと高視聴率間違いないと思うのだがどうだろう?
高齢者は時代劇に飢えていると云っても過言ではないはずである。
「想像のつばさ」は朝ドラの「花子とアン」だったか
私もよく想像のつばさを広げる時がある。
けれども私の場合は「妄想」が正しいのかもしれない。
決して在り得ないことを如何にもあるかのように想像するのだった。
例えば私の死後にこの日記が書籍化されるとか。
SNSの詩が認められ詩集が発刊されるとか。
そうなれば草葉の陰でどれほど報われるだろうかと思う。
叶わないことほど切ないことはなく儚い夢と消える運命であった。
雲一つない冬晴れ。昨日までの雪が嘘のようであった。
おそらく最強寒波の峠を越えたのだろう。
このまま春らしくと願うがまだ寒の戻りがありそうである。
今日の風は南風。土地では「沖の風」と呼ばれている。
これも春の兆しに違いなく心地よく風に吹かれていた。
朝のうちに髪を切りに行く。2センチの憂鬱もさっぱりだった。
けれども鏡に映った顔の何とおぞましいことだろう。
今日ほど自分が醜いと思ったことはなかった。
若い頃の面影など何処にもない。もう手遅れだなと思う。
髪は軽くなった。そうして気分も軽くなればそれに越したことはないが。
午後は例の如くでまた炬燵でごろごろと寝るばかり。
もうお休みは要らないと思う。明日が待ち遠しくてならない。
どれほど疲れを感じても仕事が好きなのだろう。
3時過ぎに目覚めれば夫が洗濯物を取り入れてくれていた。
おひさまの匂いがする洗濯物は久しぶりである。
それからしばらく自室に籠り8年前の2月の日記を読んでいた。
母のこと。孫たちのこと。川仕事のことなど懐かしい。
毎朝孫たちを保育園に送り届けるのが日課だったようだ。
二人の写真もあり幼い頃の何と微笑ましいことだろう。
母は入退院を繰り返していた。仕事が身体に堪えていたのだと思う。
楽をさせてやりたいと願う気持ちでいっぱいだったようだ。
孫たちはもう私を頼ることはなくなり母は死んでしまった。
僅か8年とも思うが随分と歳月が流れたことを感じる。
書き残した日々は「記憶」そのものであり私の「宝物」なのだろう。
あと何年この場所で書き続けられるか定かではないが
たとえ消滅する定めであっても書き続けたいと強く思う。
娘達が夕食不要とのこと。夫と牛肉多めの野菜炒めを食べた。
宿毛市内に「天下茶屋」と云う焼き肉店がありそこのメニューである。
お店にはもう何年も行ったことがないが家で手軽に食べられるのが良い。
娘はどうやら「気志團」のコンサートに行っているようだ。
何も話してはくれなかったがあやちゃんが教えてくれた。
若い頃には追っかけをしていて名古屋まで行ったこともあった。
どんなにかテンションが上がっていることだろうか。
もう40代だが一瞬で20代に変わってしまうことが出来る。
何でも話してくれた20代の娘はもういない。
知らないことがどんどん増えて行くばかりであった。
歳月は確かに「記憶」に違いないが「過去」にだって成り得るだろう。
私のように波乱万丈に生きて来た者には「傷」だって残る。
その「傷」が「罪」になり死ぬまで背負っていかなければならない。
それでも生きたいと願う。それが私の「人生」なのに違いない。
昨夜の暴風はやはり雪の兆しだったのだろう。
今朝は3センチ程であったが雪が積もっていた。
幸い日中は降らず積もっていた雪がどんどん融けて行く。
お隣の宿毛市では朝のうちに大雪となり大変だったそうだ。
眼科に行っていた同僚から電話があり前が見えないほど降っていると云う。
次は四万十市内の整形外科だそうで雪の心配をしていた。
青空が見えており陽射しが降り注いでいることを伝える。
同じ高知県西部でも油断できない最強寒波であった。
午前中にカーブスへ行き心地よく汗を流して来た。
異常な程の汗である。けれども代謝が良くなっているとは思えない。
計測日であったが体重計などにどうして載れようか。
お腹周りはおそらく一メートルに達しているだろう。
今日もお仲間さんが声を掛けてくれて足の痛みを気遣ってくれる。
必ず治ると言ってくれたのがとても励みになった。
義父から3回の着信。最初は仕事のことであったが
最後には整形外科の医師から電話があり県立病院へ転院が決まったとのこと。
よほど重症なのだろう。手に負えなくなったようだった。
義父はそれを全く深刻に受け止めてはおらず笑い飛ばしていた。
県立病院なら安心であるが気長に通わなければいけないだろう。
例年通りに農作業が出来るだろうか。それが心配の種になった。
一刻も早く痛みが和らぐことを祈ることしか出来ない。
午後は例の如くで炬燵に潜り込み寝てばかりだった。
とうとう3時過ぎまで寝てしまい何と怠惰なことだろうか。
夫はテレビを見ていたがCMの「リライブ」シャツを欲しがる。
もう長いこと慢性の腰痛に耐え続けている日々であった。
ネットで調べたら8800円もする高価なシャツである。
「めっちゃ高いよ」と伝えるとよほど欲しかったのだろう
「お前は自分の欲しい物をぽいぽい買うくせに」とのたまう。
それを言われたらどうして反論出来ようか。
来月が誕生日なのでプレゼントを兼ねて買うことにした。
それで夫の腰痛が和らげば安い物かもしれない。
贅沢は禁物であるが日々の暮らしは何とか成り立っている。
食費は私のお給料で賄い光熱費などは夫の年金で支払っているが
先月分の光熱費の何と多かったことだろう。
電気料だけでも5万円を超えガス代、灯油代で10万円に達する。
夫の年金だけではとても賄いきれない金額であった。
娘夫婦に相談出来れば良いのだがそれが出来ず頭を悩ましている。
言えば角が立つだろう。夫もそれを心配していた。
いつかは私も職を失う日が来るだろう。
それは義父次第であるが今回の怪我で前途はそうそう明るくはない。
もう高齢の義父である。いつ何があっても不思議ではあるまい。
もしものことがあれば会社存続は不可能であった。
あれこれと考えていると目の前が真っ暗になってしまう。
それは決して「いま」ではないのだと思いたい。
冬が終われば春である。その真っ只中を生きている。
夕方から強い風が吹き荒れており雪の兆しを感じている。
午前中は思いがけずに晴れて気温も10℃まで上がった。
しかし予報通りに午後から小雪が舞い始める。
今夜も雪の予報なので明日の朝はまた雪景色かもしれない。
なんだかここ数日ですっかり慣れてしまって騒ぎ立てることもなくなった。
最強寒波ももう少しの辛抱である。来週には一気に暖かくなりそうだ。
昨年の夏の猛暑を思うと春は短く直ぐに夏になってしまうかもしれない。
地球温暖化なら今の厳しい寒波はどうしたことだろうか。
戸惑うことが多いが受け止めながら過ごすしかないのだろう。
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午前中に義父は整形外科へと向かった。
お昼過ぎに帰って来たがあまり詳しい説明はなかったらしい。
県立病院の医師と連携して治療に当たるものだと思っていたので
なんだか肩透かしをくらったような複雑な気分になった。
当の義父はけろっとしておりそのうち治ると楽観的である。
深刻に考えるよりその方が完治の近道かもしれない。
昼食を食べ終えると作業着に着替え精力的に仕事を始めていた。
大型車の車検整備が完了しており車検場に乗り入れる際に
大きな物音がして何事かと外に飛び出してみると
大型車の後部がサービスカーに接触していた。
バックドアのガラスは飛び散り大きな凹みが出来ている。
首にギブスを巻いているため後部の確認が出来なかったようだ。
へらへらと笑い飛ばす義父。まるで子供の悪戯のようであった。
これが同僚であったらどんなにかお叱りを受けたことだろう。
幸い中古のバックドアが見つかり近いうちに修理をすることになる。
お客さんの車だったら大変なことになるところだった。
金曜日は同僚にお給料を支給する日である。
月給制ではなく週給制の我が社であった。
一度には払えないので分割払いだと云えば聞こえは良いが
それだけ資金繰りに頭を悩ませている証である。
今日も預金残高はほぼゼロ。現金も数千円しかなかった。
しかしそこで嘆くような私ではない。
ここは立て替えておこうと自分の貯金から引き出して来た。
貧乏人であるが年金を少しずつ貯めているのである。
今日はそれが役に立ち「我ながらすごいな」と思った。
近いうちの大口の入金がある予定なのでその時に返してもらうのだ。
そうでなければ私もすっからかんになってしまう。
車検に手間取り書類を書き終えたらもう4時である。
これでこそ金曜日だと心地よい達成感があった。
今夜は娘達が夕食不要とのことで簡略しようと思っていたが
無性に焼き肉が食べたくなり普段は買えないような「黒毛和牛」を買う。
夫の何と嬉しそうな顔。ビールの後に日本酒も飲んでいた。
二人暮らしも良いものだなと思ったが毎日となると寂しいことだろう。
あやちゃんが二階から降りて来る。
一緒に食べないかと誘ったが遅くなっても両親と食べるのだそうだ。
あやちゃんの姿を見て驚いたのは夏の短パンを履いているではないか。
いかにも寒そうで気遣わずにはいられなかった。
「ぜんぜん平気」と笑顔が返って来る。それが若さなのかもしれない。
夜が更けるに従って風が一段と激しくなった。
まるで地震のように窓ガラスががたがたと鳴っている。
ふとあやちゃんが独りきりならどんなにか心細いことだろうと思った。
私達の存在も決して無駄ではないのだろう。
眠る前には必ず「おやすみい」と声を掛けるようにしている。
あやちゃんも大きな声で「おやすみい」と言ってくれるのが嬉しい。
今朝も厳しい寒さだったが雪は降っておらずほっとする。
安心していつも通りに家を出たのだが
昨日とは正反対に伊豆田トンネルを抜けると雪が積もっていた。
真っ白な道である。それはそのまま峠道まで続く。
いくら冬タイヤでも怖くなり緊張しハンドルを握りしめていた。
やっとの思いで峠を越えると山里はまた雪の形跡が全くない。
なんだか今日も狐につままれたような気分だった。
日中の気温は3℃と厳しい寒さであったが
まるで春であるかのように陽射しが降り注ぐ。
紅梅が一輪二輪と咲き始めてやがて満開になることだろう。
終らない冬など在りはしない。春の足音がゆっくりと近づいている。
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朝一でタイヤ交換のお客さんが来てくれたが
タイヤチェンジャーの調子が悪く順調にはいかない。
仕方なく平田町のガソリンスタンドまでタイヤを持って行く。
外注となると工賃は右から左となり儲けはゼロである。
損得ばかりが商売ではないのだと自分に言い聞かせていた。
機械類は寒さに弱いのだそうだ。さて修理費はとまた悩みが増える。
義父は二日酔いだったのか昼過ぎまで姿を見せなかった。
特に急ぎの仕事もなかったので休養日でも良かったのだが
何かしていないと落ち着かない様子である。
明日はまた整形外科なのであれこれと考えていたのかもしれない。
気丈な義父だが心細くなる時もあるのだろう。
話したくてならない素振りであったがそれが果てしなく続く。
逃げる訳ではなかったが2時過ぎに退社した。
一刻も早く炬燵に潜り込みたくてならない。
3時半には帰宅出来てそれが叶った。
何と幸せなことだろう。炬燵愛がどんどん大きくなる。
4時からのテレビは「新三匹が斬る」だった。
これもシリーズで33年前の時代劇である。
とにかく役者さんの若いこと。高橋英樹はまだ40代に見えた。
ラストには悪者を斬りまくるのだが思わす「やれ〜」と声が出る。
血は一切流れない。決して残虐ではないところが好ましい。
テレビを見ながらであったが夫とあやちゃんの話をした。
今朝は早起きをしており私に「行ってらっしゃい」と言ってくれたのだ。
その後茶の間に入る姿を見たので気になっていた。
訊けば時々ふらっと茶の間に来て炬燵に潜り込むのだそうだ。
そうしてたわいのない雑談をするらしい。
夫はそれが嬉しいらしくあやちゃんも良き気分転換になっているようだ。
そんなあやちゃんをどうして独りぼっちに出来ようか。
何かが変わるのだとしても娘達との別居は在り得ないと思う。
卒業式も行かなくていい。中学生にならなくてもいい。
にこにこ笑顔で鳩ぽっぽのようにくくっと笑うあやちゃんでいて欲しい。
雪は昨日の朝よりも積もっていておどろく。
雪国に比べれば些細なことだが戸惑うばかりであった。
冬タイヤが絶対に安全と過信してはならず
道路の様子を見ながらおそるおそる家を出た。
やはり四万十大橋は凍結しており皆のろのろ運転である
橋を渡り終えると坂道と急カーブがあり最も危険であった。
無事に国道まで出ると何とほっとしたことだろうか。
交通量の多い国道は凍結しておらずスムーズに走れた。
伊豆田トンネルを抜けると驚いたことに殆ど雪が積もっていない。
山道も峠道も同じで何だか狐につままれたような気分だった。
山里の民家が見え始めても全く雪が降った形跡がないのである。
同じ高知県西部でもこんなにも違うのかと思わずにいられなかった。
職場に着くなり車に積もっていた雪で雪だるまを作る。
ボンネットの上に載せれば何と微笑ましいことだろう。
何だか子供のように得意顔になっていた。
日中は陽射しがあったが風がとても冷たい。
時おりにわか雪が舞ったが風に飛ばされて行く。
日和雨ならず日和雪なのだ。陽射しを受けてきらきらと輝いていた。
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気掛かりだった義父はけっこう元気でほっとする。
昨日の検査の詳細は県立病院から整形外科へネットで送信されるらしく
明後日また整形外科で説明があるのだそうだ。
昨日は首にギブスを巻かれておりそれが暖かいと気に入っている様子。
もっと早い手当てが必要だったのだろう。首を固定するのは大切なことだ。
安静にする気は全くなく今日もよく働いてくれる。
宿毛市まで納車に行ってくれ午後には廃車予定の車を搬送してくれた。
おまけに今夜はまた友人達と飲み会だそうでとても楽しみな様子である。
そうして不調のストレスを解消しているのだろう。
リハビリのある日だったので2時半過ぎに退社したが
帰り道は横殴りの雪となってしまった。
にわか雪のようであったが前が見えないほど降り怖ろしいほどである。
病院へ着くと雪も止み駐車場も空いていてほっとした。
リハビリ前に医師とスマホ越しに面談があったので
義父がお世話になる話をしたのだが「重症だぞ」と言われた。
まだはっきりとは分からないが骨折している可能性があるのだそうだ。
義父にはそれとなく伝えているらしいが私には何も言ってくれなかった。
おそらく心配をかけてはいけないと黙っていたのだろう。
それも検査の結果次第のことで騒ぎ立ててはいけないのではと思う。
とにかく完治までは程遠い。なんとしても耐え抜いて欲しいと願った。
4時半に帰宅したがもう炬燵どころではなかった。
気温はどんどん下がっており早めに台所のヒーターを点ける。
灯油が二日と持たないそうで夫は嘆くばかりであった。
今現在もそうだが娘達の団欒があり消すのは毎晩10時である。
それをどうして咎められようか。何も言えない日々が続くばかりであった。
「いま」を変えようとするのはとても困難に思える。
こうすればいいああすればいいと思うことはあっても叶えられない。
そんなことに拘っていると「幸せ」も逃げて行くような気がする。
けれども受け止めることの何と多いことだろう。
夜の雨が雪に変わり夜が明けると一面の銀世界だった。
小雪どころかぼたん雪でどかどかと怖ろしい程に降る。
日中は陽射しがあり雪は直ぐに融けたが夕方からまた降り出してしまった。
四万十市には大雪警報が出ていてどれ程降るのかと不安でならない。
全国的にも雪の地域が多く特に北海道の帯広では豪雪になったようだ。
能登の被災地でも雪が降り続いており気の毒に思う。
耐えることがあまりにも多過ぎるのではないだろうか。
今週いっぱいは最強寒波が続きそうだが今が「底」だと思われる。
ゆっくりと少しずつ春の兆しが感じられることを願ってやまない。
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午前中に車検2台が完了。義父が精力的に動いてくれ助かる。
しかし腕の痛みは今朝も酷く無理をさせてしまったようだ。
来客も在り応対もしてくれ午後から県立病院へと向かった。
検査の結果を持参しまた整形外科に行かなければならず大忙しである。
連絡も出来なかったのだろう。気になりながら私も帰路に就いた。
大事に至らなければ良いがおそらく完治までには相当掛かりそうである。
「雨水」になれば田植えの準備もしなければならず
今の状態ではそれどころではないのではと気遣うばかりだった。
義父は決して弱音を吐かず「なんとかなる」と云い通す。
日頃から「諦めたら何もかもお終い」が口癖である。
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お昼に少し休めたので昨日届いた詩集を開いてみたが
2編ほど読んで先に進めなくなった。
著者には悪いが少しも心に響かない詩だったのだ。
上手な詩でもそう云うことはある。上手だからこそかもしれない。
それだけの自信が伴わなければ詩集など出せないのだと思う。
言い換えればどんなに稚拙な詩でも心に響く詩があるのだ。
一度読んだら忘れられないような詩である。
残念だがもう二度とその詩集を開くことはないだろう。
著者にお礼の手紙を出すのも控えたいと思っている。
何と無礼なことかと思うが何を伝えれば良いのか分からなかった。
「書くこと」に拘り続けている日々である。
認められたい欲は随分と薄れたが読んで欲しい気持ちはいつまでもある。
身の程知らずであるが誰かの心を打ちたいと願ってやまない。
そうしてその人の心にずっと残り続けるような言葉を綴りたいものだ。
立春。名ばかりの春であるようだが今朝は随分と暖かだった。
晴れたり曇ったりだったが陽射しは優しく降り注ぐ。
午後から一気に風が強くなった。大寒波の兆しだろうか。
数年に一度の最強寒波だそうで気象庁の会見もあったほどである。
不要不急の外出を控えること。仕事はどうしたら良いのだろう。
無理をしてでも出勤する人が多いのではないだろうか。
確かに危険ではあるが恐怖心を煽るような報道に思えてならない。
注意だと受け止めれば用心に用心を重ねることだろう。
こんな時こそ「かかってこいや」である。弱気になってはいけない。
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今朝は出勤するなり義父が腕の痛みを訴えていた。
幸い指は動くが痛みが激しく千切れてしまいそうだと云う。
首からの神経が悪さをしているとしか思えず心配でならない。
掛かりつけの整形外科ではなんだか心もとなく
私が通っている整形外科へ行くことになった。
先日医師が義父の首を気遣ってくれていたのだった。
受診を勧めてくれていたので良い機会だと思う。
受付に電話をして相談したら直ぐに来るようにと言ってくれた。
義父はまだ朝食も済ませていなかったが大急ぎで出掛けて行く。
お昼前には連絡がありやはり首の捻挫が原因らしかった。
首から腕に繋がっている神経が骨に当たり痛みが出ているらしい。
詳しく調べるには県立病院へ行きMRI検査が必要とのこと。
紹介状を書いてもらって早速明日検査に行くことになった。
いくら我慢強い義父でも悪化すれば大変なことになるらしい。
修理の仕事どころか農作業も出来なくなるだろう。
義父もすっかり観念しておりまるで俎板の上の鯉である。
心配し過ぎてもいかずとにかく検査の結果を待つことになった。
階段から転倒して丁度今日でひと月である。
どれ程の痛みに耐えて来たことかと思うと憐れでならない。
工場の仕事は同僚のおかげで少しずつ捗っており助かっていた。
ゼロから始めた資金繰りも今日は入金がありほっとする。
何事もなるようになっているのだろう。ようは嘆かないことだ。
帰宅したら見ず知らずの方から詩集が届いていた。
どうして私のような者にと不思議でならない。
昨年まで参加していた同人誌には執筆者の住所が記載されており
おそらくそれを見て送ってくれたのだろう。
これも何かの縁だろうと思い明日には読んでみようと思っている。
同人誌を追放されたからにはもう二度とこんなことはないだろう。
そう思うと貴重な詩集に思えてならなかった。
今の私はSNSだけが頼りである。
やがてネットの海の藻屑のように消えていくだろう。
2025年02月02日(日) |
何があっても「福はうち」 |
雨上がりの朝。気温は高めで随分と暖かだった。
午後には青空が見え始めすっかり春の陽気となる。
この暖かさも明日までで明後日からは大寒波の予報であった。
都心の大雪を心配していたが今日は降らなかったようだ。
過剰な程の報道になんだか振り回されているような気がする。
ゆったりの朝であった。すっかり怠け癖が付いてしまって
最低限の家事を済ますとまたごろごろと寝てばかり。
買い物には行かねばならず手巻き寿司の具材を買って来ていた。
夫が「昼飯は何だ?」と問うので特に何もないことを伝えると
久しぶりに「一風」へ行こうかと言ってくれ何と思いがけないことか。
もう行くこともないだろうとすっかり諦めていたのだった。
なんだか夢を見ているような気分になり嬉しくてならない。
11時の開店を目指して西へと車を走らす。
「一風」は宿毛市へ入ると直ぐ右手の国道沿いにある。
20分程のプチドライブであったがうきうきと心が弾んでいた。
チャーシュー麺と半炒飯のセットを食べる。
ラーメンのスープも飲み干しお腹がいっぱいになっていた。
夫も満足そうな顔をしておりよけいに嬉しくてならない。
以前のようにもう度々は来られないだろう。
私から誘うことはするまいと思う。夫の気分次第が一番である。
帰宅するなりまた炬燵に潜り込み4時前まで寝ていた。
異常としか思えないが寝れば寝るほど元気になるようだ。
明日からはまた仕事である。お昼休憩もまともに在りはしない。
娘が鶏の唐揚げを揚げてくれ私は手巻き寿司の準備をした。
昨年北海道の友が送ってくれた海苔がまだ残っており助かる。
節分は恵方巻が習いだが手巻き寿司の方が家族には好評であった。
恵方を向くこともせずにひたすら巻いて食べる。
豆撒きは残念ながら出来なかった。
「鬼が来るよ」と云っても孫達はもう無関心である。
娘も同じでなんだか「節分」を忘れているような様子であった。
寂しいものだなと思う。それでも福が舞い込んでくれるだろうか。
平穏無事を祈るばかりの日々であった。
いつ何があってもおかしくない世の中である。
家族の健康はもちろんだが大地震の不安も大きい。
それはある日突然の事で避けられはしないのだ。
どれほど精一杯に生きていても命の保証などあってないに等しい。
だからこそ守らなければいけないが何と心細いことだろう。
「鬼はそと福はうち」と心の中で呟くばかりの夜であった。
2025年02月01日(土) |
「おんな」はもう嫌だ |
午後から本格的な雨となり雨音が耳に心地よい。
気温が低ければ大雪になっていたことだろう。
猛烈な寒波が南下しており都心の明日は雪になりそうである。
大都会に雪。どんなにか戸惑うことであろうか。
四万十は明日も雨で水曜日は雪の予報になっている。
積雪は毎年の事で慣れてはいるがやはり不安になってしまう。
どうか降り過ぎないようにと祈るばかりであった。
朝のうちに一時間程寝てカーブスへ行ったが
今日はどうしたことか駐車場が満車状態で停めることが出来ない。
カーブスは市内のショッピングセンター内の一角にあり
第二第三と駐車場があるが何処も満車状態であった。
諦めて帰ろうかと思ったがしばし待機していたらやっと空きスペースが出来る。
他にも待機している車が数台あったがお先に失礼させてもらった。
カーブスは一階にありエスカレーターで降りなければいけない。
そこで一歩踏み出すことが出来なかった。咄嗟に転びそうになってしまう。
決して怖くなどないのに足が云うことを聞いてくれないのだ。
やっとの思いで一階に降りて杖を付きながらカーブスへ辿り着く。
その時点でもう汗が流れておりふうふうと息切れがしていた。
筋トレを始めれば息切れが増し心拍数が異常に高くなる。
コーチに心配をかけてしまったがなんとか一周をまわり終えた。
もう汗びっしょりである。脂肪燃焼とはとても思えない。
それだけ体力が無くなっているのだろう。肥満が身体に堪えているようだ。
昼食後は倒れ込むように寝ていた。何とまた三時間もである。
それだけ時間を無駄にしているのだが情けないとは思わなかった。
週末はとにかく寝ることである。そうして再生されているのだと思う。
寝ている間に不可解な夢を見た。深層心理だとしても納得がいかない。
夢の中の私は「おんな」なのだ。何とおぞましいことだろう。
否定すればするほど同じような夢を何度も見てしまうのだ。
めいちゃんのダンス教室があり娘達は夕食不要とのこと。
このところ毎週のことで随分と助かっている。
夫は好きな物が一品あれば一切文句を言わなかった。
今夜は「こてっちゃん」とても嬉しそうに食べてくれる。
いつかはまた夫婦二人の暮らしが始まるだろうが
今のところ娘達が出て行く気配は感じられない。
娘が「いつまでも居ないから」と言ってからもう何年も過ぎた。
あれは確か洗濯機が壊れた時だった。娘はちゃっかりしている。
我が家は既に乗っ取られており私達が居候になっているようだ。
老いるばかりの二人である。そのうち追い出されてしまうかもしれない。
夫とよくそんな話をする。笑いながらであっても決して愉快な事ではなかった。
明日のことが分らないのだものどうして未来のことが分るだろうか。
一日ごとに寿命は縮まり天に召される日が近づいて来ている。
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