朝は氷点下近くなり冷え込んだが日中は15℃まで気温が上がり
ぽかぽかと暖かく春を思わすような陽気となる。
高知城下では梅が開花したとのこと。ほっこりの春便りである。
やがては四万十も咲き始めることだろう。とても楽しみであった。
長閑な春の光景が目に浮かび心が浮き立つようである。
終らない冬などありはしない。ゆっくりと春の足音が近づいて来ている。
工場の仕事は今日も停滞しており一向に捗らない。
同僚も苛立っているのだろう。今朝は出勤するなり一悶着あった。
「大型車の車検を引き受けるからだ」と言うのである。
まるで私の責任のように受け止められむっとせずにはいられない。
仕事を選んではいけないのだ。それが商売の基本ではないだろうか。
「出来ません」とどうして断ることが出来ようか。
朝から言い争うのも厳禁でそれ以上は何も言えなかった。
黙々と整備を始めた同僚の背中が何だかとても憐れに見えて来る。
義父は今日も田んぼである。工場の忙しさを気にしているようでもあったが
口を散々挟んだ挙句に逃げるように出掛けて行った。
首の痛みも和らいでいるのか心配無用のようである。
とにかく好きなようにさせてやらなければいけない。
あちらを立てればこちらが立たずでは苦労が台無しであった。
今日は「初大師」今年初めてのお大師さんの縁日である。
早目に帰宅していたので時間の余裕は十分にあったが
すっかり足が遠のいてしまったお大師堂へ行く気にならなかった。
このままもう二度とお参りに行くことはないのかもしれない。
信仰云々よりも私の心の持ちようではないだろうか。
億劫でならないのである。何と罰当たりなことであった。
今朝は夜明け前にお遍路さんの詩を書いた。
「初大師」にせめてもと思うささやかなことに他ならない。
冬遍路
微かに響き渡っている 金剛杖の鈴だろうか 険しい峠道を越えると 一面の田園地帯だった
まるで雪のような霜である 朝陽を浴びてきらきらと輝く その光こそが希望におもえる
同行二人であったが なんと孤独な旅であろうか 肩を寄せ合う人もいない
黙々と歩き続けている 誰を想い誰のためだろう
苦しみも哀しみも遠ざかり ただひたすらの歩みであった
旅は続くその道が空であるかのように
二十四節気の「大寒」一年で最も寒さが厳しい頃であるが
今日は随分と暖かくなりまるで春のようであった。
過ごし易かったがこれも異常気象なのかと思う。
やはり暖冬なのだろう。地球温暖化が原因かもしれない。
夜明け前にいつものように詩を書いたが
何を勘違いしていたのだろう「大寒」を「大雪」と書いてしまった。
直ぐに気づけば書き直すことが出来たのに全く気づかなかったのだ。
詩はそれなりに最後まで書けていたがお粗末この上ないものとなる。
まあどんな時もあるものだと笑ってごまかすしかない。
昨夜夜中に雨が降っていたらしく今朝は濃い霧が立ち込めていた。
車のライトを点灯しおそるおそる職場へと向かう。
やがて霧が晴れると真っ青な青空が見えた。
何と清々しいことだろう。心の霧も晴れたような気がしたのだった。
工場の仕事はまた糞詰まり状態となる。
金曜日から入庫している車検整備がまだ済んでいなかった。
大型車なので同僚も手こずっているのだろう。急かしてはならない。
今日は今日の予約があったが手を付けることが出来なかった。
その上に新たな予約がありいったいどうなることだろう。
同僚には大きな負担を掛けるが精を出してもらうしかない。
経理は大口の支払いがあり切羽詰まっていた。
ありったけの現金と預金を搔き集めぎりぎりセーフとなる。
またゼロからのスタートであった。月末までの勝負である。
荒波に放り出された気分となり無我夢中で泳ぐしかない。
溺れる者は藁をもつかむがその藁さえ見つからないのだった。
嘆いたところで何も変わりはしないので「負けるもんか」と思う。
私ならきっと乗り越えられる。不思議とそんな自信が湧いて来ていた。
午前中整形外科へ行っていた義父がお昼に帰って来る。
今日は首にギブスをはめる予定だったが取り止めたとのこと。
首を全く動かすことが出来なくなるので車の運転も出来なくなるのだそうだ。
引き続き痛み止めと湿布で様子を見ることに決めたらしい。
そんな状態だと云うのに午後から田んぼへ行くと言うからおどろく。
早く田起こしを済ませないと田植えの準備が出来ないのだそうだ。
まだまだ先の事だと思っていたが米作りの何と気忙しいことだろう。
勇ましく出掛けて行くのをはらはらしながら見送る。
とても81歳の傷病者とは思えなかった。
どれ程心配しても本人次第なのだろう。「やる気」が義父を助けている。
日が暮れてから電話があり随分と捗ったとのこと。
その話しぶりがまるで子供のようで微笑ましく思った。
義父の辞書には「無理」がないのだろう。常に「やれば出来る」のである。
明日は明日の風が吹くが心配し過ぎてもいけない。
成るようにしか成らないのが世の常である。
私には与えられた日常があり織るように過ごすしかなかった。
これ以上もなければこれ以下もないだろう。
やがては一枚の布を織りあげることがきっと出来るのに違いない。
曇り日。午後から少しだけ霧雨が降る。
まるで春先のような優しい雨であった。
朝のうちに桜草の苗を植えたが座ると立ち上がることが出来ず
犬のように四つん這いになってやっとの思いであった。
このところ足の痛みが和らいでおり出来ると過信していたようだ。
やはり思うようにはいかずいささかショックであった。
桜草には小さな花芽が見え始めており立春までには咲きそうである。
早春の庭が目に浮かび微笑まずにはいられない。
午後は少しだけお昼寝。昨日は寝過ぎてしまって夜眠れなかったのだ。
天井が落ちて来て圧し潰されるのではないかと思った。
夫の忠告もありなるべくテレビを見るように努めていた。
けれども直ぐに鼾をかいて寝ていたそうで困ったものである。
読書離れをしてしまい随分と経ったが
活字中毒には変わりなくまた過去の日記を読み返していた。
3年前の一月の日記で我ながら読みごたえがある。
つい3年前のことなのに懐かしくてならない。
他の誰の為でもなく自分の為に書いたのだろうと思った。
過ぎ去った日々は二度と返って来ないのだ。だからこその日記である。
母が生きていた。あやちゃんも毎日学校に通っていた。
それが現実でなくて何だろうと思う。
詩のことや短歌のことも書いていたが今とは少しかけ離れていた。
認められたい「欲」を手放しているようだった。
まだ石も投げられていない踏みにじられてはいない頃である。
それだけ自由だったのだろう。生き生きとしているように感じられた。
「初心」とは少し違うが戻れないものかと思う。
私はもっと自由であるべきなのだ。
欲のないありのままの姿で「書く」ことを貫いて生きたい。
今日もやがては過去になるだろう。
生きてさえいればまた出会える「今日」である。
その為に書き残していると云っても過言ではないだろう。
昨夜はあと10年かと記してしまったが
欲を許されるのならば20年生きたくなってしまった。
書いて書き尽くして終れる人生ならそれこそが本望だろう。
ちっぽけな人間である。けれどもこの命を誇りに思っている。
息吹
やわらかくなる 触れるとつるっと こぼれ落ちてしまう
指先にはこころが宿り 息を伝えようとしている
石を投げられたこと 踏みにじられたこと もう忘れられるだろう
誰もが等しく在ること 疎外されてはならない
やわらかくなる それは春の芽のように 息吹そのものであった
私のような者だからこそ 見失ってはならない こぼれ落ちるその前に いのちを注ぎ込んでいる
風もなく穏やかな冬晴れ。冬の陽射しのなんと有難いこと。
今朝は右隣の奥さんが桜草の苗を届けてくれていた。
ブロック塀に添うようにそっと置いてくれており嬉しくてならない。
桜草は一年草ではないので管理さえ怠らなければ毎年咲くのだが
昨年花が終わった時に切り揃えてしまったのがいけなかったようだ。
今年は全く芽が出ておらず残念でならなかった。
奥さんにそれとなく話していたので気遣ってくれたのだろう。
早速プランターに植えようと思いつつ今日は何も出来なかった。
明日こそはと思っている。心遣いを無駄にしてはならない。
朝ドラ「カーネーション」を見終わってからずっと寝ていた。
9時を過ぎてやっと目覚め大急ぎで洗濯物を干す。
青空が眩しい。陽射しが洗濯物を歓迎しているように見えた。
10時からはカーブスである。先週は行けなかったので楽しみでならない。
筋トレを始めたら直ぐに身体が温もり心地よく汗が流れる。
それが良き気分転換になったのだろう。帰り道には気分爽快だった。
やはり身体を動かすと心も動くのに違いない。
そうするように自ずから働きかけることが大切に思えた。
それにしても何と鬱々と過ごしていたことだろう。
仕事の疲れもあっただろうが心も酷く疲れていたように思う。
昼食後はまた炬燵に潜り込み何と4時間も寝てしまった。
夫はすっかり呆れ返っており異常だと言われる。
とにかく起きて何かをしようとは全く思えないのだった。
何だか寝るために生きているような気がしないでもない。
考えることは生きることではなく死ぬことばかりであった。
あと20年はとても無理に思える。せいぜい10年ではないか。
その10年の間に私は何を成し遂げられるのだろう。
詩も短歌も極められない。毎日墓穴を掘り続けているように思う。
救えるのは自分しかいないと思うのだがその自分が心細くてならない。
今日は生きていた。明日も生きていたい。
そんな欲に毎日振り回されている。
そのうち罰が当たるかもしれないがそれも定なのだろう。
その罰を受け止めながら立ち向かって行くべきかもしれない。
棘
棘が抜けなくなった ちくちくと痛い
指先まで通う血が その温もりのまま 言葉を奏でている
たいしたことではない ほんのささやかなこと
生きて在ればこそ 叶うことがきっとある
棘はやがて傷になり 苦しみを歌うだろう 嘆けば嘆くほどに 行き場を失ってしまう
いったい何の罰だろう 取り返しのつかないことなら 何としても守ってやりたい
仕打ちに耐えている ありったけの命で 立ち向かうしかない
冬晴れとなり陽射しはたっぷりとあったが風は冷たかった。
長期予報では暖冬傾向となり随分と暖かい日があるらしい。
けれども日本全国とはいかないようで北国は豪雪となっている。
暖冬を手放しで喜ぶにはいささか不平等ではないだろうか。
阪神淡路大震災から30年が経った。
あの朝は厳しい冷え込みでどれ程の人々が被災したことだろう。
決して忘れてはならないことだが震災を知らない世代も多くなっている。
失った尊い命はもう二度と返ってこないのだ。
今週は4日しか仕事をしていないのにどっと疲れが襲って来る。
幸い仕事は捗りお客さんに迷惑を掛けずに済んだ。
義父もやれるだけのことをしてくれどれ程助かったことだろう。
明日の新年会はやはり出席するとのこと。もう止めても無駄である。
午後には事務仕事も一段落しており2時に退社した。
疲れが酷くもう限界であった。一刻も早く横になりたくてならない。
3時過ぎには帰宅しておりすぐさま炬燵に潜り込む。
大相撲を観ながら少しうたた寝をしていたようだ。
無気力にまた無気力を重ねるように夕食の支度をしたが
6時半になってやっと娘が帰って来る。
あれこれと食材を買ってきており私の作った物は無駄のようだった。
いっそのこと別所帯にすれば良いと思ったが言い出せはしない。
私の苦労は行き場を失い増々気分が落ち込むばかりである。
このところ低迷が続いており思うように浮上出来ない。
一度落ち込んでしまうと得体の知れない渦に巻き込まれてしまうのだ。
詩や短歌が唯一の救いのように思えたがそれも芳しくはなかった。
ずっと誰かから石を投げられているような気がしてならない。
石が当たれば当然のように痛いのだ。傷だって出来るだろう。
その度に「負けるもんか」と思うのだが実際には負けているようだった。
前途は不安だらけで光が見えない。
私のような者がと自らを貶めるばかりであった。
救いの手を待っていてはいけないのだろう。
自分以外に誰が私を救えるだろうか。
種
このままではいけない きっと壊れてしまうだろう
冬の陽射しと冷たい風 手のひらには一粒の種
夢のように春を待っている その息吹を感じるままに
土色をしたこころを耕し 少しの肥糧が必要である
雨はためらいながら降り 微かな恵みになろうとする
分不相応であることは 哀しみに似ているけれど 仕打ちであってはならない
生きるために与えられた種 失うわけにはいかないだろう
このままではいけない 壊れてしまうその前に 一粒の種を蒔こうとしている
晴れたり曇ったり。陽射しが遮られると何とも冷たい。
冬のおひさまの有難さをつくづく感じた一日だった。
インフルエンザの後遺症だろうか夫は食欲不振である。
胃の痛みこそないが胸やけが酷いらしい。
胃薬を服用しても治らず溜息ばかりついている。
私も食欲がイマイチで何を食べても美味しいと思わない。
それでも食事は作らなくてはならずいささか気分が滅入る。
おまけに情緒が不安定になっており少し鬱気味のようであった。
プラス思考になれないのだ。つい悪い方へと考えが及ぶ。
仕事の忙しさもあるだろう。気分転換が必要かもしれない。
今朝は義父が事務所に居てくれて車検完了の書類が整った。
糞詰まり状態になっていたのでどれ程助かったことだろう。
まだ首の痛みがあり本調子ではないが無理を強いてくれたのだった。
このまま順調に快復してくれたらと願わずにはいられない。
友人から電話があり土曜日に新年会の第二段を行うのだそうだ。
てっきり断ると思っていたが迷わず了承したのでおどろく。
今の状態ではとても無理である。いったい何を考えているのか。
誘う友人も友人である。あまりにも無謀に思えてならない。
それでも義父は上機嫌となり痛みも忘れている様子であった。
在り得ない話であるが「飲んだら治る」と信じているらしい。
心配でならなかったが義父の好きなようにさせてやろうと思う。
やり残した仕事はあったが3時に退社する。
お昼休憩もなかったのでぐったりと疲れていた。
帰り道にはくよくよと考えることばかりである。
20日には大口の支払いがあったが資金が足りそうにない。
今年はゼロからのスタートだったのだ無理もないだろう。
それにしても20日になるのが何と早く感じられた。
次は月末であるがいったいどうすれば良いのだろう。
私には穴のようなものがあって冷たい風が吹き抜けている。
塞げば済むことだが両手はかじかむばかりであった。
穴
つきは月満ちて輝く やがて尽き失うが 消えるのではない
わたしには穴がある 空っぽの空である 浮かべるものはなく ただ風が吹き抜けていく
塞ぐにはちからが及ばず 添える手はかじかむばかり
真冬の月は空を温めるが 穴はいつまでも冷たい 墓穴を掘り続けたあげくに いのちは心細く儚いものだ
せめてもの光であろうか 穴の向こう側で月が満ちる
朝のうちは雨。氷雨ほどではなかったが何とも冷たい雨であった。
午後には止んでいたが気温が10℃に満たず真冬の寒さとなる。
「小正月」であったが昔からのしきたりには疎く
特に何かをするわけでもなく仕事ばかりの一日だった。
ちょうど満月の頃であり平安時代には一年の始まりとしたそうだ。
小豆粥を食べ始めたのもおそらくその頃からだろう。
明けても暮れても仕事である。今日も目まぐるしい程の忙しさだった。
同僚が精を出してくれたおかげで車検整備が随分と捗る。
義父は昨日の疲れもあり居室で休んでいたのだが
工場が気になるのだろう何度か顔を見せてくれた。
その度に「心配ないけん」と声を掛け安静を勧める。
昼食はバナナ一本であった。そうして痛み止めを服用するのだ。
する仕事はいくらでもあったが今日はリハビリがある日。
予約時間は守らなければならず3時前に退社した。
昨日もそうだったが時間に追われるばかりである。
一日があっという間に過ぎて行く。
インフルの発熱から今日で一週間だった。
理学療法士のU君が感染したのではないかと気になっていたが
全く症状は出なかったと聞きほっと胸を撫でおろす。
大勢の患者さん相手の仕事である。今後も気掛かりでならない。
買い物を済ませ4時半に帰宅したら思いがけず娘の車があった。
毎週とは限らないが水曜日の午後は休みなのだそうだ。
以前にもあったが娘は朝何も告げてはくれなかった。
私には関りの無いことと思っているのだろうか。
その一言がないのが何だか寂しくてならない。
娘が居るとは思ってもいなかったので夕飯はすっかり手抜きであった。
今日は珍しくお昼に少し車中で休憩をしたのだが
すっかり枝を落としたヤマモモの樹を仰ぎながら色んなことを考えていた。
子供の頃から何をやっても中途半端だったこと。
どんなに一生懸命頑張っても成果が出なかったこと。
何ひとつ抜き出た才能が在る訳でもなく「そこそこ」だったこと。
負けず嫌いであったがずっと負け続けていたこと。
70歳が近くなりもう人生も残り少なくなったが
おそらくもうこれ以上の成果は在り得ないのではないだろうか。
そうなれば現状維持しかないがその現状が心細くてならない。
悪く考えれば切りがないが私はかなり落ちぶれているようだ。
その自覚に苦しみ焦り手の施しようがないように思う。
今朝は夜明け前に詩が書けなかった。
それは大きな痛手であり私を追い詰めていくばかりである。
一面の霜の朝。山里は特に雪と見間違う程だった。
冬晴れとなったが直ぐには気温が上がらずお昼になっても寒さが続く。
メダカの水槽にも氷が張っており冷たくはないかと気遣う。
昨夜は宮崎で震度5弱の地震があり不安がつのる。
気象庁の発表では南海トラフとの関連性は少ないとのこと。
それならば安心とどうして思えるだろうか。
今度は土佐沖かもしれないと誰もが思ったことだろう。
平穏であればあるほど恐怖心は膨れ上がるものである。
5日ぶりの仕事。今日からまた再スタートとなる。
心配していた同僚も出勤して来てくれ大助かりだった。
丁度5日目であるがまだ食欲不振とのことで無理はさせられず
様子を見ながらであったが車検整備に取り掛かってくれた。
義父はまだ首の痛みに耐えていたが高知市へ出張する。
どうしても出席しなければいけない大切な会があった。
痛み止めを服用していたが長距離運転が心配でならない。
義父の友人が運転を申し出てくれたが断ってしまった。
「大丈夫」と言って聞かない。本心はどれほど不安だったことだろう。
無事に着いたと連絡もなかったが心配も薄れ仕事の段取りに忙しい。
予約のお客さんに随分と迷惑を掛けてしまっていた。
このままでは一日2台の車検整備をしなければ追いつかない。
病み上がりの同僚にとっては大きな負担となるだろう。
気負い過ぎてもいけない。とにかく慎重に事を運ばなければと思う。
こんな日に限って内科の薬を切らしてしまい病院へ行く予定だった。
来客があり思うように退社出来ない。時間ばかりが気に掛かる。
なんとか3時前に退社出来たが病院の待ち時間の何と長いこと。
医師と面談しなければ処方箋だけを貰うことが出来ないのだ。
インフルが猛威を振るっており医師も大変なことだろう。
やっと薬局で薬を貰えたがもう4時を過ぎていた。
ぐったりと疲れておりもう何もする気になれない。
なんとか買い物を済ませ帰宅したらもう5時になっていた。
夫は大相撲に夢中で早めにお風呂に入ると言う。
大急ぎで洗濯物を畳み休む間もなく夕食の支度である。
夫のためにとは思えなかった。もはやどうでも良かったのだ。
今週いっぱいは臨時休業の挽回に尽くさねばならない。
老体にムチを打ちながら精一杯に頑張ろうと思っている。
やったらやっただけのことはあるだろう。
ぐるぐると色んなことを考えているがそればかりでは
「こころ」が持たない。いったい誰が守るのか
自分の力を信じる時が来たのに違いない。
たっぷりの陽射しが降り注ぎ冬晴れの一日となる。
「成人の日」で祝日であったが
四万十市は既に1月3日に祝典が行われており実感は湧かず。
近隣市町村も同じくでこれも田舎ならではのことだろう。
都会から帰省する若者が多いお正月にするのが習いであった。
息子や娘の成人式を懐かしく思い出すことはあったが
それももう20年以上も昔の事となり遠い記憶となった。
それよりも孫達であるがあやちゃんは後8年。めいちゃんは10年である。
何としても長生きをして晴れ姿を見たくてならない。
この三連休はまるでお正月休みの続きのようであった。
ゲンキンなものでインフルだったことも忘れるぐらいである。
朝から寝て午後も寝る。ほぼ一日中炬燵に潜り込んでいた。
怠惰を貪りつつ無気力を愉しんでいたのだろう。
「新しくなる」ことなどとても考えられなかった。
E君に紹介して貰っていたネット詩誌への投稿を諦める。
もうその件に関してE君と語り合うこともないだろう。
唯一の仲間のように思っていたが私の思い違いだったようだ。
全て私に落ち度がありE君には何の責任もないのである。
E君は私の詩をあれ以来全く読まなくなった。
もちろん反応もなければ感想もあるはずはない。
それが「仕打ち」なのだと思わずにいられなかった。
仲間がいなくなればまた独りぼっちである。
けれどもそれは私が望んでいたことではないのだろうか。
今日はふっとそんなことを考えていて気が楽になった。
決して群れることのない「はぐれ鳥」なのに違いない。
大空を自由気ままに飛び交っていても満たされはしないだろう。
それは決して「飛躍」ではないからである。
私は飛躍するために空を選んだのではないのだと思う。
あくまでも生きるための空であった。
詩は「いのち」であり唯一の「糧」である。
芽
むくむくとしている いま私は土に埋もれ 雪の気配を感じている
夢だったのだろうか 確かに声が聴こえたが 応えることが出来ない
群れるほどの強さはなく 独りはぐれてしまった 大空では在り得ないのだ どれ程あがいても鳥にはなれない
辺り一面の雪である 私は顔どころか頭も出せない
ただ土はあたたかく 命の在処をおしえてくれる
やがて春の息吹を感じたら ひとつきりの芽になりたい
曇り日。午後から少し陽射しがあったが風は真冬の冷たさであった。
予報では「最強寒波」が緩むと聞いていたのだが
九州長崎では大雪が降ったそうでおどろく。
節気は「大寒」「立春」と続くがまだまだ春は遠いことだろう。
夫の熱がやっと平熱になり今日から茶の間で過ごす。
大相撲中継が始まるので楽しみでならない様子であった。
思いがけなかったのはお風呂掃除をしてくれていたこと。
乾燥機から洗濯物を取り出して茶の間まで運んでくれたこと。
これまで当たり前のように思っていたが有難くてならない。
病み上がりだと云うのに私の足を気遣ってくれたのだろう。
優しさには優しさを。それはとても大切なことである。
夕飯には好物の炒飯をぺろりと平らげご満悦であった。
娘婿はよほどタフなのだろう。熱は直ぐに下がったそうでもう元気である。
これでもう家族全員がインフルを乗り越えることが出来たようだ。
今回は皆がÅ型であったがB型も流行り始めているらしい。
油断は禁物で今後も感染対策を怠ってはいけないようだ。
今朝は久しぶりに詩が書けて嬉しかった。
駄作ではあったが自己満足では十分に思える。
大きな目標が在る訳でもなく「ささやかなこと」を目指したい。
自分の心の声に気づいてやれるのは自分しかいないだろう。
耳を澄ませて言葉にすればそうして救われるのだと思う。
踏みにじられても書く。石を投げられても書く。
そうでなければどうして生きていられようか。
今朝も氷点下の冷え込みであったが日中は穏やかな晴天となる。
久しぶりにほっとするような暖かさを感じた。
「最強寒波」は一時的に緩んだようだが
まだまだこれからどれ程の寒波が襲って来ることだろう。
夫に引き続き今日はとうとう娘婿が発症してしまった。
これで家族6人全員となり我が家はインフルの巣と成り果てる。
しかし幸いなことに最初に感染した娘とめいちゃんは元気になり
私も頭痛が治まり食欲も出て来たのでもう大丈夫だろう。
あやちゃんも同じくでいつも通りに食べられるようになっている。
夫の熱はしぶとくまだ平熱に戻らないが
お昼には月見うどんを食べることが出来て今夜もお粥を食べられた。
熱は今夜が峠だろう。もう少しの辛抱である。
独り暮らしの同僚も心配になり夕方電話をしてみたら
熱は下がったとのこと。ほっと一安心である。
連休なのが幸いでとにかくゆっくりと休むように伝えた。
私も仕事のことは忘れようと思っている。
じたばたしても事態が好転するはずなど在りはしないのだ。
「鏡開き」であったが我が家には鏡餅を供えていなかった。
するべきことをしていなかったことを今更ながら後悔している。
「初詣」にも行っておらずなんと新年を疎かにしてしまったのだろう。
「七草粥」も食べておらず無病息災も叶う訳がなかった。
昔からのしきたりの大切さを身を持って感じずにはいられない。
おまけに母の供養まで怠り年末にはお線香を上げずに帰って来た。
年始もそれどころではなく仕事のことで頭がいっぱいだったのだ。
母の罰だとは思いたくはないがきっと寂しい思いをさせたのだろう。
最初に義父を懲らしめ次々に災難が降りかかって来た。
神も仏も信心あってこそのことである。
疎かにすればするほど災いは絶えないのではないかと思わずにいられない。
けれども母は年末の窮状を確かに見守ってくれていた。
そうでなければ奇跡のように乗り越えることは出来なかったと思う。
そう思うと今もきっと見守っていてくれるはずだと信じたかった。
悪いことばかり続くとは限らない。
きっとこれから良いことも必ずあるだろう。
弱気になってはいけない。前途を照らず光はそう遠くはないはずだ。
氷点下の朝。薄っすらではあったが積雪があった。
「最強寒波」とのことで日本海側は大雪に見舞われている。
気を強く持っていたのだがやはりウィルスには敵わず
とうとう8日にインフルエンザに感染してしまった。
同日あやちゃんも発症し家族の女性陣が総倒れとなる。
昨夜は夫が発熱し今日はインフルエンザの診断を受けた。
無事なのは娘婿一人となり家族皆が頼りにしている。
それも時間の問題に思えて心配でならない。
発症から4日目となった娘は家事が出来るようになり
今日は食料品の買い出しに行ってくれていた。
洗濯物も畳んでくれて何と助かったことだろう。
私は幸い軽症で熱も微熱で済み後は食欲不振と頭痛のみである。
今日で3日目であるが後二日もすれば完治するだろう。
もう少しの辛抱である。
夫は高熱となり喘ぎ苦しんでいる。昨夜から一切食事も出来ない。
今夜のうちに熱が下がることを祈るしかなかった。
職場も大変なことになっており同僚が昨夜発熱。
今日はインフルエンザの診断を受け職場は臨時休業となった。
私が移したとしか思えず何とも気の毒でならない。
幸い義父は今のところ無事であるが首の痛みは相変わらずであった。
それでも留守番は出来るようで任せるしかない。
年始早々にこれほど悪いことが起こるとは誰が想像出来ただろう。
焦っても嘆いても仕方なく嵐が過ぎ去るのを待つしかないのだと思う。
365日書き続けて来たこの日記も二日間のお休みを頂いた。
毎日読んで下さっている皆様にはご心配おかけしたことだろう。
少しずつであるが日常に戻りたいと願って止まない。
インフルエンザは大流行となり猛威を振るっている。
どれほど用心していても明日は我が身となり得るだろう。
どうか皆様のご無事を心より祈っています。
朝よりも日中の気温が低くなり厳しい寒さとなる。
冷たい風に煽られながら山里では初雪が舞った。
幸い積もるような雪ではなかったが何と冷たいことだろう。
時折は陽射しもあったがその陽を浴びながら雪が降り続ける。
義父は今日も痛みに耐えていた。とにかく首を動かすことが出来ない。
「仕事は大丈夫だから」と言い聞かせ安静にさすのが一番である。
すっかり気力も無くなっており憐れでならなかった。
今日で4日目である。このままでは全治は程遠く思えてならない。
同僚は一生懸命に頑張ってくれていたが
作業中に目に異物が入ったらしく急に痛みを訴える。
水道水で目を洗ってみたが異物が取れない。
すぐ近くの診療所に相談したら眼科へ行くようにと言われる。
午後一番に宿毛市内の眼科へと走った。
義父に続き今度は同僚である。仕事はすっかりお手上げ状態となる。
たまたま重なったのかもしれないが何だか不吉でならなかった。
罰を受けるようなことは何もない。どれほど精を尽くしていたことか。
新年早々のアクシデント続きでさすがに私も参ってしまう。
もしかしたら次は私かも知れないと思わずにはいられなかった。
それだけはあってはならないと振り払うように思い直す。
同僚の帰りを待っていたが直ぐには診てもらえなかったのだろう。
3時になっても帰らず仕方なく後ろ髪を引かれるように退社した。
帰宅すればこれもまた大変なことになっており
娘とめいちゃんがインフルエンザでダウンしていた。
昨夜のうちに発熱していたらしく今日は病院へ行っていたそうだ。
二人ともぐったりと寝ておりしばらく様子を見るしかない。
食欲もないらしく今夜は何も食べられなかった。
せめて熱さえ下がればと祈るばかりである。
一昨年のコロナの時にはあやちゃんを除き家族全員が感染した。
今度は何としても身を守らなければならない。
私は特に今仕事を休めば会社は存続不可能になってしまうだろう。
気を強く持ち決して負けてはならないと立ち向かわねばならない。
悪いことが重なる時もあれば良いことが重なる時もある。
一喜一憂は世の常だろう。嘆いても何も変わりはしないのだ。
夕方同僚に電話したらもう大丈夫とのこと何よりである。
とにかく力を合わせて明日も精を尽くそうと思っている。
良いことはなくてもいい。もうこれ以上悪いことがありませんように。
目覚めたら雨が降っていた。雨だれの音が耳に心地よい。
何と41日ぶりの雨だったそうで恵みの雨になったことだろう。
そんな雨も長続きはせず午後にはもう青空が見え始めていた。
陽射しはあっても風が強く冬の寒さを感じる。
やっと仕事始め。喜び勇んで出勤したのだが
義父の姿が見えず朝刊もポストにそのままだった。
休みの間も農作業をすると張り切っていたので
きっと疲れてまだ寝ているのだろうと思った。
社長不在のまま年頭の挨拶もそこそこに同僚を労う。
すると直ぐに仕事に取り掛かってくれ何とも頼もしかった。
9時前になりやっと義父が顔を見せてくれたが
げっそりとやつれており尋常ではない。
「俺は死ぬかもしれん」と云うので何と驚いたことか。
訊けば3日の夜に階段から滑り落ちたのだそうだ。
その時に首を強打しずっと痛みに耐えていたらしい。
救急車を呼ぶべきだったのだ。しかし独り暮らしでどうしようもなく
何とか二階の居室へ這い上がりそのまま布団へ倒れ込んだようだ。
幸い頭は打っていなかったようだが何と心配なことだろう。
とにかく一刻も早く病院へ行かなければならない。
私が連れて行くべきだったが10時に来客がある予定だった。
タクシーを呼ぼうとしたが絶対に嫌だと云って聞かない。
結局は無理をさせてしまい自分の運転で病院へ向かう。
はらはらと落ち着かずとても仕事どころではなかった。
お昼前に無事に帰って来たが首の骨には異常がなかったとのこと。
「むちうち症」の診断でしばらく安静が必要だった。
湿布と痛み止めを処方されており早速に痛み止めを服用した。
3日は友人宅で「新年会」だったのだそうだ。
普段はあまり飲まない日本酒を飲んだそうで悪酔いしていたのだろう。
日頃から慣れている階段を滑り落ちるのも無理はないと思う。
頭を打っていたらと思うとぞっとする。そのまま死んでいたかもしれない。
しばらくは農作業も工場の仕事も出来そうにないが
同僚と力をあわせて何としても守って行かねばならない。
新年早々のアクシデントだがもうこれ以上悪いことはないだろう。
義父もそう云ってすっかり観念しているようだった。
事務所のホワイトボードはもう20日まで予約で埋まっている。
「どうしよう」と嘆いている場合ではなかった。
お客さんに迷惑をかけないように上手にこなしていかなければならない。
気負えば気負うほど「落とし穴」があるものだ。
とにかく慎重に段取りをしなければいけないと思う。
太っていても「細腕繁盛記」である。
最後には「水戸黄門」で「この印籠が見えぬか」で行こう。
何とかなる。そのために生きているようなものだ。
二十四節気の「小寒」今日から寒の入りである。
氷点下の朝。辺り一面に霜が降りていた。
日中は風もなく暖かくなったが午後から雲が広がる。
隣家の山茶花がはらはらと散り始め我が家の庭にも舞い込む。
決して迷惑とは思っていないのだが隣家の身内の人が掃き掃除に来ていた。
奥さんは先月のこと転倒し腰を骨折したそうで入院中だった。
大晦日から正月三日まで一時帰宅をしていたがお見舞いにも行けなかった。
遠方に住む娘さんが里帰りしていたのできっと笑顔で新年を迎えたことだろう。
日頃から独り暮らしで気掛かりなことが多かったが
高齢になると転倒ほど危険なことはないのだと思う。
山茶花、水仙と主なき家の庭にはひっそりと冬の花が健気に咲いている。
長かった冬休みもやっと今日が最後となった。
もう少しの辛抱と今日もひたすら怠惰に過ごす。
初詣も諦め結局何処にも出掛けることはなかったが
よく食べてよく寝てそれも幸せなことだと思いたい。
午後のお昼寝から目覚めやっと先月の日記を読み終える。
それでも読み足らず10年前と20年前の一月の日記を読んでいた。
10年一昔と云うが本当にその通りである。
そこにはまだ生まれて間もないめいちゃんと2歳のあやちゃんが居た。
乳飲み子のめいちゃんを抱っこしてあやす夫の姿もある。
あやちゃんは私とよくお大師堂へ行っておりお菓子を楽しみにしていた。
それは今では考えられないような微笑ましい光景である。
もう遠い思い出になってしまいなんだか胸が切なくてならない。
あやちゃんは何も憶えてはいないだろう。私だけの大切な思い出である。
20年は大昔となり元気溌溂とした私が居た。
今となっては信じられないようなことだがバドミントンに励んでいる。
まだ閉経も迎えておらず情調不安定な時もあったが
まだ女盛りだったのだろう。恋もしていたようだった。
出会いと別れの間で揺れ動く女心が垣間見れる。
全てのことが過ぎ去ったことであるがそうして生きて来た。
もう二度と戻ることのない「記憶」そのものである。
書き残して置かなければどうして思い出すことが出来ただろう。
毎夜の課題だったのだろう。何としても記そうとしている。
それ程までに「書く」ことは大切なことだったのだと思う。
先のことは何も分からな。いつか最後になるのだとしても
一日一日に心を込めて書き続けようと心に誓った。
永遠に続く「明日」など在りはしないが
「今日」ならば確かに在るのだった。
やがては記憶になるが今日の私は「いま」を生きている。
気温は低目であったが冬晴れとなり暖かさを感じた。
お天気は下り坂で明日の夜には雨になるとのこと。
雪でなくて何よりに思う。しっとりと潤うことだろう。
今朝は声枯れが増々酷くなり声が出難くなっていた。
自業自得なので仕方ないが夫との会話にも引け目を感じる。
煙草のせいだとどうして言えよう。夫は風邪だと思っているようだ。
年末からの休暇も7日目となり気分が塞ぐばかりだった。
とにかく早く仕事がしたくてならない。
今日は月曜日が車検の予定のお客さんから電話があった。
声がまともに出ず会話には苦労したが順調に段取りが整う。
義父に報せようと電話をしたが呼び出し音が鳴り続けるばかりだった。
おそらくトラクターで田起こしを始めているのだろう。
いつもは電話魔の義父だがこの年末年始は一切音沙汰がなかった。
午前中だけカーブスが営業しているとのこと喜び勇んで出掛ける。
寒い朝だったが直ぐに身体が温もり心地よく汗を流した。
お仲間さんの一人が声を掛けてくれ私と同じ股関節変形症なのだそうだ。
それなのに少しも痛そうにはなく元気溌溂としているのに驚く。
詳しく訊けば発症は私よりも古くリハビリも三年目らしい。
とにかく気長にリハビリを続けることだと励ましてもらった。
私も決して諦めてはいけない。きっと救われる日が来るのだと思う。
そのお仲間さんとは毎週一緒になるのに話したのは今日が初めてだった。
ずっと気に掛けてくれていたのだろうと有難くてならない。
午後はまた三時過ぎまでひたすら寝るばかりだった。
この七日間ずっとそうして怠惰に過ごして来た。
寝起きの珈琲を飲みながらまた過去日記を読み耽る。
やはり時間を費やしその間の煙草の量がハンパない。
集中しているせいかひっきりなしに火を点けてしまうのだった。
一箱があっという間である。さすがに自己嫌悪に陥るばかりである。
やっと11月の日記を読み終えたがついこの前のように思っても
記憶が薄れていることも多くはっと思い出してばかりいた。
決して嬉しいことばかりではなく辛いこともあった。
その度に「なんのこれしき」と立ち向かった自分の姿を見る。
そうして何よりも生きることである。「いのち」あってこその日々であった。
明日は12月の日記を読み過ぎ去った日々と潔く別れようと思っている。
それでこそ念願の「新しくなること」に近づけるのではないだろうか。
詩も短歌も低迷しており飛躍には程遠いが
決して遊び半分で書いているのではなかった。
それは「一日一生」でありどれ程の精を尽くしていることだろう。
その精こそが私の命であり掛け替えのないものだと信じて止まない。
明けてみっか。今夜こそは三日月である。
黄昏時に見上げる空はまるで童話のようであった。
一番星と月が随分と近く感じるが実際にはどれ程の距離があるのか。
天体には無学の身には想像もつかない遠い距離なのだろう。
日中はぽかぽか日和。風が少し強かったが陽射しには敵わない。
過去には雪のお正月もあったが今年は天候に恵まれていた。
朝のうちに買い物に行ったきり後は殆ど寝て過ごす。
午前中に一時間、午後は二時間超えのお昼寝であった。
夫は異常ではないかと気遣ってくれるがとにかく眠いのだ。
仕事が始まると休む時間もなくなるので今の内である。
未読の詩集や歌集が山積みになっているが開こうともしなかった。
怠惰に過ごせば過ごすほど時間を無駄にしているのだろう。
そうそう残されている時間は在りもしないだろうに。
生きているうちに読み終えることが出来るのだろうかと思う。
3時には目覚めておりまた自室に籠り昨年の日記を読み返す。
今日は9月分まで読み終えたがけっこう時間を費やすものだ。
ひと月分を読むのに一時間掛かるのだ。いったい誰が書いたのだろう。
それぞれの日々に思い入れがあり我ながら感慨深いものがある。
ありふれた平凡な日常でも書き残して置いて良かったと思うことが多い。
ある日突然に書けなくなっても悔いはないのかもしれない。
タイムリミットは4時で洗濯物を畳んだりとけっこう忙しい。
すっかり諦めていたE君からメールが届いていて思いがけなかった。
明日のスペースのお誘いであったが随分と迷いつつお断りする。
声枯れが酷く話すのが辛いせいもあるのだが
一番に懸念するのはまた私の失言で傷つけてしまうことだった。
もう二度とあってはならないと思うとすっかり臆病になってしまう。
気分も滅入っておりとても会話が出来る状態ではなかった。
それで切れるような縁ではないと思うが切れても仕方ないと思う。
相変わらず気分の浮き沈みが激しい。
喜怒哀楽の「哀」ばかりに囚われているような気がする。
そんな時は気分転換をするのが一番だが何も思い立つことがなかった。
そもそも行動力がないのだ。気力がないと云っても過言ではないだろう。
このままでは新しくなどなれないのではと焦りも感じている。
一日一日を縫うように。それが理想だったが
今のところ一針も進んでいないようだ。
縫っては解きを繰り返しているように感じてならない。
明日はもう四日となりいつもの日常が近くなって来た。
仕事がしたくてならない。そんな活気が待ち遠しくてならないのだ。
針に糸を通しながら何としても一針を縫いたい。
2025年01月02日(木) |
二日月(ふつかづき) |
明けてふつか。雲一つない青空となりたっぷりの陽射しであった。
ぽかぽかと暖かくなりまるでささやかな春のようである。
夕暮れ時に一番星を見つけるとそのすぐ傍に二日月が見えた。
新月から二日目の月を「ふつかづき」と呼ぶのだそうだ。
これも無学な私のことで今日まで知らずにいた。
細い月はみな三日月だと思っていたのだ。恥ずかしい限りである。
二日月が見えるのはつかの間の事で今はもう西の空に沈んでしまった。
なんだか貴重な光景を見たようで胸が躍るようである。
例年なら初詣に出掛けているが今年はすっかり諦めていた。
杖なしでも歩けないことはないがお寺の石段などとても無理である。
その上に億劫でならず夫の出不精も重なっていた。
寝正月も良いものだと炬燵に潜り込みひたすら怠惰に過ごす。
覚悟はしていたがやはりE君からスペースの誘いはなかった。
おそらくもう二度と声を聴くこともないだろうと思う。
それ程までに私の失言は繊細なE君の心を傷つけてしまったのだ。
今更後悔しても遅いが顔の見えないネットの世界では有りがちなことだと思う。
ネット歴は長くもう25年を過ぎたが過去にも何度かあったことだ。
どれほど信頼していてもそれは一瞬にして崩れ落ちてしまう。
「去る者は追わず」と強がっていても心を痛めずにはいられなかった。
それは相手も同じ気持ちだろう。憎まれても仕方ないことだと思う。
私はこれまでいったい何を学んで来たのだろう。
いつまで経っても懲りず同じ過ちを繰り返しているようだ。
とにかく必要以上に親しくなってはいけない。
例え縁があっても「儚い縁」であることを思い知るべきだろう。
元旦から少しずつ昨年の日記を読み返しているが
我ながらやたらと長い日記がありすらすらとは読めなかった。
読みながら思い出すことも多く読み流すことが出来ない。
今日はやっと7月分まで読み終えることが出来たが
あやちゃんとのやり取りなど何と心に堪えたことだろう。
この日記をSNSにリンクを貼っていたのを解除した。
「私のことを書かんとってね」とも言われ複雑な思いが交差する。
在りのままを記すことは傷つけることに等しいのだった。
けれども日記である。それはあくまでも真実であるべきではないか。
大きな葛藤があったがそれ以来も私は真実を書き続けている。
それは読んで下さっている人達を心から信頼しているからこそだろう。
そんな人達を裏切るようなことは決して出来ない。
新しい年を迎え穏やかさを噛みしめている。
この先どんな試練が待ち受けていても挫けずにいたいと思う。
私でなければ書けない私の人生が続くことを願って止まない。
穏やかな晴天。風もなくぽかぽかと暖かい。
歩けるものなら土手を進みお大師堂に初詣をしたかったが
思うだけで叶わないことを改めて思い知る。
今年もずるずると押し流されてしまうのだろうか。
老いも重なり行動力は皆無に等しい。
お昼前に息子とけい君が来てくれた。
会うのは夏以来だろうかけい君の背が随分と高くなっており驚く。
この春にはもう6年生になるのだ。なんだか信じられなかった。
息子が夜勤の夜には独りで留守番をしているのだそうだ。
母親に頼ることもなくなり逞しく成長したことを感じる。
お昼にはささやかに新年会を催した。
家族揃ってのことは滅多に無く笑顔でいっぱいになる。
めいちゃんは大晦日から娘婿の実家に泊まりに行っており留守だったが
あやちゃんが「やったあ」と声を上げその心境を察する。
日頃から引け目を感じていて思わず本音が出たのだろう。
幼い頃から大の仲良し姉妹だったが随分と遠い日になってしまった。
誰とも遊びたがらないあやちゃんであったがけい君とはよく気か合う。
今日も部屋へ招き入れ肩を寄せ合ってゲームをしていた。
息子は上機嫌で酔っぱらっており早々とマンションへ送り届ける。
けい君はお年玉を数えるのに必死でそれも微笑ましいことだった。
息子は明日から仕事なのだそうだ。どうか今年も平穏にと願う。
離れて暮らしていても子供はいつまでも「こども」である。
新しい年を無事に迎えることが出来て安堵でいっぱいだった。
いつ何があるやら分からない世の中である。
一年前の能登の震災の悲劇を思い出さずにはいられなかった。
復興どころか復旧もまだ遅れているのだそうだ。
避難所で新年を迎えた人も多くその心境を察する。
失ったものは二度と返って来ない。喪失ほどの悲しみがあるだろうか。
どうか少しでも希望をと願わずにはいられなかった。
初春 一歩目の朝 新月の暗闇を飛ぶ
星はいっそう輝き 天を祝福している
哀しみの幕は下り 歓喜の幕が上がる
ここから始まる 新しい朝なのだ
心の息は絶えず 命を知らせてくれる その尊さが愛しい
春なのに違いない 芽吹く日がやって来る どれほどの老いでも 花と咲く日が来るだろう
陽が昇れば光に満ちて 真っ青な空を飛ぼう
今年最初の今朝の詩である。
命ある限りどうか書かせて欲しいと願って止まない。
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