昨夜から雨が降りやまず。そうして四国も梅雨入りのニュース。
昨年よりも26日も早いのだそう。そのぶん梅雨明けが早いのかも。
夜明け前に雨音を聴きながらいつものように歌を詠み詩を綴る。
雨だれにあずけてみようか我がこころ落ちて流れて海になりたい
やがて海へと辿りつくそんな水に
汚れてしまえば澄めばいいのだと
言ってくれたのはそらでしょうか
詩はまだ続くのだけれど限られた文字数でのこと。
なんだかいつも崖っぷちに立たされているような気がする。
それでも精一杯に私なりの言葉を綴り続けている。
「雨の日曜日」むかしそんな歌があったことをふと思い出す。
ザ、タイガースだったか。まだ私が少女だった頃の歌だった。
今の歌は聴いてもすぐに忘れてしまうのに昔の歌はよく憶えている。
不思議だなと思う。それだけこころが純粋だったのかもしれない。
娘たちがスシローへ行くと5時前に出掛けて行く。
一緒にと誘ってくれたのだけれどなんだかまだ密が不安でならず。
それにたまには家族水入らずも良いだろうと留守番を申し出る。
じいちゃんがローソンのカツ丼が食べたいと言ってくれて
夕食は何も作らず楽をさせてもらった。なんとありがたいこと。
さきほど娘たちが帰って来て思ったよりも空いていたと聞きほっとする。
やはりまだまだ油断は禁物だと思う。なるべくなら外食は控えさせたい。
けれども孫たちの満足げな笑顔を見ていると何も言えなくなってしまう。
「たまごとイクラとアイスたべたよ」とめいちゃん。
「よかったね。またいきたいね」と笑顔でこたえる私だった。
2020年05月30日(土) |
目をそらすな息を書け |
晴れのち曇り。夕方からぽつぽつと雨が降り始める。
九州南部が梅雨入りしたとのこと。四国もすぐに後を追うだろう。
落下する一歩手前で書いているおそるおそるの無名のわたし
夜明け前にそんな歌を詠む。
劣等感のかたまりのような歌だけれど続けた詩の最後に
「目をそらすな息を書け」と綴った。
どんなに落ちぶれても決して自分を見失いはしない。
きっと死んでも無名のままだろう。だからこそいのちを賭けている。
孫たちと過ごした一日も暮れ始めた頃
友が一冊の本を携えて訪ねて来てくれた。
今年の始めに会った時に自分の本を出版したいと言っていて
まだ決心がつかないと言っていたのを背中を押したのだった。
その本が昨日出来上がったと早速に届けてくれたのだ。
昨日は彼女の64歳の誕生日でその日が出版記念日となる。
手に取るとあたたかい。それだけで心のこもった本だとわかる。
まるで自分の事のように嬉しかった。胸にぎゅっと抱きしめたいほど。
そうして彼女はわたしを越えていく。どうして手を伸ばせようか。
わたしは儚いネットの世界でこれからも息をし続けるだろう。
たぶんそれがわたしの宿命のようなものだと思っている。
いつかきっと最期の日が来る。ある日突然かもしれない。
だからこそ生きた証を残したい。息をいのちをただただ書く。
爽やかな夏日。風薫る5月も残り少なくなったのか。
風に吹かれているとすうっとこころが軽くなるような気がする。
いったいなにが重いのだろうか。自分でもよくわからないけれど。
月末の仕事もあり忙しい一日だった。
それはそれで遣り甲斐があり少しも苦には思わず。
ただ身体が思うようにならなくてはがゆくてならない。
それを年のせいだけにしてしまってよいものだろうか。
一時間ほど残業になり帰宅が遅くなる。
大量の洗濯物をたたみながらふうふうとため息が出る。
孫たちの可愛らしいパンツや靴下を手に取りやっと我に返った。
好きなんだなこれが。こんなに好きなのにため息はないだろうと。
もう川仕事も終わったので週末はのんびりと過ごそう。
家事も怠けられるだけ怠けてごろごろしようと思う。
あれもしようこれもしようと思わないことだ。
ふう、またため息。我ながらなんんじゃこりゃって思うよね。
もう寝ます。おやすみなさいまたあした。
2020年05月28日(木) |
たった四文字の「ありがと」が嬉しい |
からりっと晴天。爽やかな風のおかげでさほど暑さも感じず。
梅雨前線が少しずつ北上しているようで梅雨入りも近いのだろう。
今日のような爽やかな夏日もそろそろお終いなのかもしれない。
職場の庭のやまももの木にたくさん実がついた。
まだ緑色だけれどだんだんと紅くなってくることだろう。
むかし母が植えた木なのだそうだ。今はとても大きな木になった。
今日は定時で仕事を終えることが出来て母の施設を訪ねる。
クロスワードをしたがっていたので2冊ほど届けた。
やはりもう母には会えなかった。覚悟はしていたけれど
心の片隅でもしかしたらと期待していたので少しせつない帰り道。
運転中にメールの着信音が聴こえ息子かしらと車を停める。
それは息子ではなく母からだった。件名のみの「ありがと」
慣れない手つきで母が一生懸命に打ってくれたのがわかる。
「ありがと」それはどんな言葉よりも胸を熱くさせた。
すぐに電話して母の声を聴くことも出来たけれどあえてそれをせず
「ありがと」のまま。それがなんだか宝物のように思えていた。
言葉には不思議なちからがあるものだ。声に出さなくても
それは真っ直ぐに届く。たった四文字の「ありがと」が嬉しい。
2020年05月27日(水) |
私は決して完璧ではない |
晴れの予報だっけれどすっきりとは晴れず。
気温は28℃ほどで蒸し暑さを感じた一日だった。
紫陽花の花がほのかに色づき始める。あと少しもう少し。
なんだか雨を待ち焦がれているように見える。
雨が似合う花がほかにあるだろうか。いちだんと鮮やかになるだろう。
午後から仕事が忙しくなり定時では終われず一時間ほど残業。
お昼休みもなかったのでなんだかぐったりと疲れて帰宅する。
洗濯物は娘がたたんでくれていてなんとありがたいこと。
おかげで夕食の支度まで少し横になることが出来た。
年のせいだとは思うのだけれどずいぶんと疲れやすくなった。
空元気は嫌いなので正直に「しんどい」と言う。
なんのこれしきと頑張ることもしないのでため息も許す。
それが自分に対する優しさだと思うのは私だけだろうか。
ありのままがいちばんに思う。私は決して完璧ではない。
炊飯器にご飯がいっぱい残っていたので「オムライスにしようか」
娘に相談すると「たまごのお寿司にしようよ」と
ミツカンの寿司酢でちゃちゃっと寿司めしを作ると
娘が手早く薄焼き卵を焼いてくれてそれはすぐに出来上がる。
ごちそうさまでした。今夜も家族みな笑顔でとても嬉しかった。
2020年05月26日(火) |
笑顔でおなかいっぱい |
曇り空のまま日が暮れようとしている。今夜は雨になりそう。
夕食後の散歩に出掛けた孫たちが土手の道を走っていて
はしゃぎ声が聴こえるのを微笑みながらこれを記し始めたところ。
お世話になっている同人誌の原稿締切が迫っており
2ヶ月間書き溜めていた短歌を7首選び昨夜メール送信する。
その際にSNSで発信している旨を載せて欲しいとお願いしたところ
「宣伝行為は一切受け付けておりません」とお返事をいただく。
お仲間の皆さんに読んで欲しいと言うささやかな願いのつもりが
なんと愚かで浅はかで非常識な事だったのか思い知らされた。
あくまでも印刷物なのだ。ネットの世界とはまったく異質のもの。
「ネットの世界とは関わりたくありません」まさにその通りだと思う。
言葉に出来ないような孤立感に苛まれながら頷いている自分がいた。
予定通りに川仕事最終日。やっとすべての撤収作業を終える。
最後の一本の竹杭を抜き終えたところで「おつかれさん」の声。
ふたりで顔を見合わせながらなんとも心地よい達成感を味あう。
夏が過ぎ秋が来ればまた漁場の準備を始めなければいけないけれど
それまでは川仕事がなくゆっくりのんびりの日々を送れそうだ。
昨日の事もあり今日は山里の職場を休ませてもらっていた。
おかげでお昼寝も出来て身体を労わることが出来る。
無理の出来ない身体になったことを自分がいちばん知っている。
夕飯は川仕事の打ち上げも兼ねて「すき焼き」をした。
お肉大好きのあやちゃんが大喜びでわしわしと食べてくれる。
それがとても嬉しかった。笑顔って良いなとおなかいっぱいになった。
2020年05月25日(月) |
野あざみが綿毛になった |
今日も晴れたり曇ったり。なんだか梅雨の晴れ間のような蒸し暑さ。
梅雨入りが近いのかなと思えば今年は遅れるのだそう。
ラジオからは短い梅雨になりそうですねと声が聴こえる。
そのぶん局地的な豪雨が心配されるとのことどうなることやら。
四万十川の土手にたくさん咲いていた野あざみの花がもう綿毛に。
それはタンポポのように可愛らしくもなく憐れな姿だった。
ふと我が身をかさねる。私の綿毛もきっとそうなのではないかと。
老いることはとてもせつない。それでも空を舞えるのだろうか。
朝のうちに川仕事を終え休む間もなく山里の職場へ。
うん、けっこう元気だなとその時はそう思っていたけれど
午後になると一気に疲れが襲って来てしんどくてならない。
仕方なく急ぎの仕事だけ済ませて早めに帰らせてもらった。
帰宅前に母の病院へ寄る。今日は施設へ移る日だったので
テレビと携帯電話を届けた。母の希望ではなかったけれど
担当の介護士さんが「少しでも楽しみを」と言ってくれたのだった。
そんな気遣いがとても嬉しかった。母もきっと喜ぶことだろう。
そのうえにまた思いがけず母に会わせてくれると言う。
母はリハビリ室に居た。机に向かって何か描いているようだった。
その姿を遠くから見ただけでじゅうぶんだと思ったけれど
またしばらく会えなくなるからと介護士さんが車椅子を押して来てくれる。
自分でも不思議なくらい母に優しく語りかけていた。
2メートルの距離も気にならないほど母はにっこりと微笑んでくれる。
目頭を熱くしながらの帰り道にどれほど母を想ったことだろう。
我が身の老いなどほんとうに些細なことなのだ。
母はどれほどせつないことか。心細く淋しいことだろうと。
2020年05月24日(日) |
毎日が奇跡のように過ぎていく |
晴れたり曇ったり。気温は高くほぼ真夏日となったけれど
爽やかな風のおかげで過ごしやすい一日だった。
いつものように午前四時に起きて短歌と詩を書く。
それが日課になりもうずいぶんと月日が流れた。
某SNSでのこと。私にとってはささやかな発信場所である。
ある方が「言霊に飢えているのでは」と感想を伝えてくれた。
まさにその通りだと思う。飢えているからこそ書けるのだと思う。
率直な感想をいただいたのは初めてのことでとても励みになった。
今日も朝のうちに川仕事へ。潮の引きが早く2時間足らずの作業。
やはりあと二日はかかりそう。明日明後日と二足の草鞋を履こう。
これから暑さとの闘いになるので一気に終らせたほうが良さそう。
早めに昼食を終え近くのスーパーへ買い出しに。
駐車場はいっぱいの車だったけれど店内はさほど混雑しておらず
ほっとして久しぶりにゆっくりと買い物が出来た気がする。
ビールと3日分の食材。やはり毎日の買い物はまだ控えたい。
それにしてもどこかで影を潜めているだろうコロナが気になる。
全国の非常事態宣言が解除されればきっとまた動き出しそうで怖い。
もう大丈夫と行動する人が増えなければ良いがと案ずるばかり。
どうかどうかと祈り続ける日がこれからも続くことだろう。
我が家は今日も平和。なんだか毎日が奇跡のように過ぎていく。
2020年05月23日(土) |
しみじみとかみしめる幸せ |
朝のうちは曇り空だったけれどしだいに晴れてくる。
陽射しが射し始めると一気に初夏。あたり一面がきらきらと眩しい。
枇杷の実がもう色づき始めた。懐かしく子供の頃を思い出す。
ひとつでいい千切って食べてみたいと思う。きっと甘くて美味しい。
子供の頃にそうして母に叱られたことがあった。
どうしてうちには枇杷の木がないのだろうとちょっと悔しかった記憶。
早朝より川仕事へ。撤収作業もあとは竹杭を抜くだけになった。
じいちゃんが一本ずつ抜いては私が洗って川船に載せていく。
少し気を緩めたら船の周りに杭がいっぱい浮かんでしまって
とにかくせっせと洗い続けなければいけない忙しさだった。
潮はどんどん引いていくので2時間ほどでもう限界となる。
あと3日もあればすべて終わりそう。明日も頑張ってみようか。
早めに昼食を済ませ横になるなりぐっすりと眠っていた。
目覚めればもう3時。我ながらなんと怠惰なことだろう。
それもいつものことと笑い飛ばしてくれるじいちゃん。
家族で釣りに行っていた娘たちもとっくに帰って来ていて
けっこう大きなサイズのキスが7匹。2匹はあやちゃんが釣ったのだそう。
とても嬉しそうな得意顔をしていた。どんなにか楽しかったことだろう。
夕食に天ぷらにしていただく。骨も素揚げにして骨せんべいにした。
みんな笑顔の夕食が私にはいちばんのごちそうに思える。
コロナの話題もなくなんと平穏な一日だったことだろう。
それがどんなにありがたいことか。しみじみと幸せをかみしめている夜。
2020年05月22日(金) |
いつまでも笑顔でいてね |
晴れの予報だったけれど曇り日のまま。
爽やかな風のおかげでずいぶんと過ごしやすかった。
風に揺れる栴檀の木の花を仰ぐ。空を薄紫に染めてなんともきれい。
今朝あやちゃんに「今夜はポテトサラダにしようかね」と言うと
「やったぁ」と喜んでくれて笑顔のまま元気に登校して行く。
ほんのちょっとしたことなのだ。これからも心がけようと思う。
仕事を少し早めに終わらせてもらって母の病院へ。
病状がとても落ち着いていて予定より早めに退院が決まったとのこと。
そうしてそのまま病院内の施設へ移ることになったのだった。
昨年の秋までお世話になっていた施設なのでとても安心に思う。
母の事だから「また帰って来たよ」とすぐに慣れることだろう。
今日は手続きを済ませ来週の月曜日からの入居になった。
母には会えないだろうなと諦めていたのだけれど
思いがけず相談室のすぐ隣のリハビリ室に母の姿を見つける。
車椅子にちょこんと座ってなんだかとても可愛らしい姿だった。
付き添ってくれていた介護士さんが少しなら良いですよと言ってくれて
ほんのつかの間だったけれど母と話すことが出来て嬉しかった。
2メートルの距離。手を握ることも出来ず頭を撫でることも出来ず
それはとてももどかしかったけれど母の笑顔は真っ直ぐに届いた。
愛しさが込み上げてくる。私はこんなにも母に会いたがっていたのか。
帰り道は胸がいっぱいになって目頭が熱くなっていた。
お母さん長生きをしてね。そうしていつまでも笑顔でいてね。
2020年05月21日(木) |
思いっきり甘えさせてあげたい |
少し肌寒い朝。日中もさほど気温が上がらず過ごしやすい一日。
梅雨入り前のいまがいちばん良い季節なのだろう。
爽やかな風に吹かれているとこころもふわりと軽くなる気がする。
あやちゃんが大盛りパスタを嬉しそうに食べてくれた晩ごはん。
ほんとうに久しぶりの笑顔だった。とてもとてもほっとする。
昨日まであれこれと心配ばかりしていたけれど
どうやら原因は私にあったようだとやっと気づく。
コロナの不安から毎日の買い物をやめてしまったおかげで
ついつい買い置きをした食材でその日のメニューを決めていた。
以前のように「あやちゃん晩ごはんは何がいい?」と訊きもせず
そんな日々がずっと続いており不満がつのっていたのだと思う。
もっと早く気づいてあげれば良かった。あやちゃんごめんなさい。
休校中の我慢を思うとどうしてこれ以上の我慢を強いられようか。
わがままも許してあげたい。思いっきり甘えさせてあげたい。
疲れて帰って来るのだものせめて好きな物を食べさせてあげたい。
そんなことを思いながら孫たちのはしゃぎ声を聴いている。
あやちゃんの声がとても明るい。それはそれは救われるような笑顔。
2020年05月20日(水) |
大もりのパスタがたべたい |
二十四節気の「小満」万物のいのちが満ちる頃。
尊敬する詩人、白井明大さんの著書「日本の七十二候を楽しむ」には
いのちが、しだいに満ち満ちていくころと書いてあった。
私にとっては宝物のようなその本を開き空を見あげた朝のこと。
草や木に負けないように生き生きと過ごしたいと思った。
仕事を終えて今日は買い物をしなければならずスーパーへ。
隣接する美容院が空いていたので髪をカットしてもらう。
鬱陶しかったのをずっと我慢していたのでさっぱりと気持ちよい。
ただ少しの間だけマスクを外さなければいけなかった。
「店内消毒済み」と書いてあってもやはり不安なものだ。
スーパーは混雑しており気が気ではなく大急ぎで買い物をして
逃げるようにして帰って来る。なんとか三日分の食材を確保。
もう大丈夫と決して気を緩めてはいけないとつくづく思うのだ。
用心に越したことはない。これからも気をつけていよう。
あやちゃん学校の帰りにそのままピアノ教室へ。
お友達も一緒だったようで安心だったけれど
やはり今日も元気がなくひどく疲れているように見えた。
何かと葛藤しているように感じるのは気のせいだろうか。
心の中は見えない。弱音も吐かない。「だいじょうぶ」と言うばかり。
今夜も夕飯は殆ど食べず「無理に食べなくてもいいよ」と娘が。
それからひとり二階にあがったのでそっと様子を見に行くと
何かにとりつかれたようにゲーム機を握りしめて遊んでいた。
私に気づくと「見ないであっち行ってて」と怒った顔をする。
おばあちゃんはちょっとかなしい。でもあやちゃん大好きだから。
それからお風呂に入る前に内緒話をするように近寄って来て
「あやはね、大もりのパスタがたべたい」と言ってくれたのだった。
食欲がないのではなかった。食べたい物がちゃんとあるのが嬉しい。
買い置きのパスタがあるので明日は作ってあげよう。
きっときっと笑顔のあやちゃんに会える気がする。うんだいじょうぶ。
2020年05月19日(火) |
これが老婆心というものか |
雨あがりの爽やかな晴天。夏日にもならず過ごしやすい一日だった。
山里の田んぼの畦に咲く黄色い花がとても可愛い。
花の名に疎く何という花なのか知らずにいるけれど
どうやら日本の花ではなく外来種らしいと耳にしたことがある。
どこかの国から旅をしてきたのだろうか。種が生きて生きて咲く。
仕事を少し早めに終わらせてもらって定期の病院へ。
コロナ対策で今回から医師との面談無しで処方箋がもらえる。
おかげで待ち時間もなく薬局に行けたけれどとても混雑していた。
これでは何も変わらないと複雑な思いに駆られ外でしばらく待機。
30分ほど待ってやっとお薬をもらえた。これが私の宝物だと思う。
午後4時半を過ぎてあやちゃんが少し疲れた様子で帰宅する。
今週から平常授業となり少しずつ慣れるだろうと思っていたけれど
やはり長い休校の後で体力が長続きしなくなっているようだった。
おまけにマスクかぶれ。口の周りに汗疹のような湿疹が出来ていた。
食欲もなく夕飯は食べたくないと言うので娘がおにぎりを作る。
心配しながら見守っているとなんとか一個だけ食べてくれた。
宿題をしなければ眠ることも出来ない。なんだか可哀想でならない。
これが老婆心というものかと思うと少し気が軽くなる。
「だいじょうぶよ」と娘の言葉を信じようと思えるのだった。
さっき台所のテーブルを見たら残っていたおにぎりがなくなっていた。
どうやらあやちゃんが食べたようだ。よかったよかった。
2020年05月18日(月) |
空の気分はいかがなものか |
朝はぽつぽつだった雨が次第に本降りになり午後は土砂降りに。
ちょうど帰宅時間と重なり運転するのがとても怖かった。
どんな空であってもおまかせしようといつも思うのだけれど
空の気分はいかがなものか。時には泣いて暴れたい日もあるのだろう。
大量の洗濯物は乾太くんがふっかふっかに乾かしてくれていた。
思い切って買っておいてほんとうに良かったと思う。
これから梅雨時になっても大活躍してくれることだろう。
洗濯物をたたみ終えてからめいちゃんの保育園へお迎えに。
今日は娘が遅くなる日でいつもなら延長保育をお願いするのだけれど
今朝は「おばあちゃんとかえりたい」と言ってくれためいちゃん。
気まぐれだとわかっていてもとても嬉しかった。
下校時間まで待ってあやちゃんも一緒にと思ったのだけれど
雨も小降りになっていたので大丈夫だろうと先に帰って来る。
そうしたらまたすぐに土砂降りの雨になってしまった。
はらはらと心配していたらじいちゃんが「これも試練だぞ」と。
そうもう2年生だもの。雨にも負けず風にも負けはしないと。
傘が役に立たずびしょ濡れになって帰って来たあやちゃんは
なんだかとても逞しく成長したように見えた。
かと思えばまだ幼さも。お風呂上がりのはしゃぎ声が微笑ましい夜に。
2020年05月17日(日) |
やればやっただけのことがある |
空は薄雲におおわれていたけれどおおむね晴れ。
まるで梅雨の晴れ間のように蒸し暑い一日だった。
5月も半分を過ぎたのか。毎日が駆け足のように過ぎていく。
私の種はどこに行ったのだろう。種まきもせずに焦りながら
もしかしたらまだ実が残っているかもしれないとこころをまさぐる。
早朝より川仕事。からだを動かすのがとても楽しみだったけれど
無風状態で汗だくになり今にもくたばりそうになる。
「もう少しだがんばれ」じいちゃんとふたりでやれるだけの事を。
後には心地よい達成感が待っていた。やればやっただけのことがある。
撤収作業も今月いっぱいには終えられるだろう。もうひとふんばりだ。
午後にはお昼寝もしてゆっくりと身体をやすめる。
いつのまにか孫たちのところにふたいとこのまあちゃんが来ていて
それはそれはにぎやかになっていた。楽しそうなはしゃぎ声。
そんな声に微笑みながらまたうとうとと眠るのも心地よい。
コロナの話題も日に日に薄れただただ平和をかみしめている。
このままコロナが終息してくれたらどんなに救われるだろうか。
そんなことを思いつつもコロナ対策を忘れずにいる日々だった。
雨の土曜日。今はもうやんでいて蛙の声が耳に心地よい。
雨あがりの空はまだ暮れず見えないおひさまの気配を感じている。
どんなに灰色の雲であってもその上にはかならずおひさまがいると
おしえてくれたのは母だったか。ふとそんな母を恋しく思う。
早朝より川仕事の予定だったけれどあまりの雨にお休み。
娘夫婦が仕事だったのでゆっくりのんびりと孫たちと過ごす。
ふたりとも朝からタブレットを離さずトイレにまで持っていくありさま。
かと言って出掛けることも出来ずどうして叱れようか。
午後少し早めにカレーを作る。甘口と辛口のふたつのお鍋。
家中にカレーのいい匂いが漂いなんだか幸せな気分だった。
平日には作れないカレー。まさしく今日は「カレー曜日」
晩酌の肴が何もなく近くの魚屋さんへ「鰹のタタキ」を買いに。
最近めっきりこのパターンが多くなった。もはや常連さん。
スーパーで買った鰹で私が作るのより家族の評判が良いのだ。
お店の手作りのタレをかけるだけですぐに食べられるのも良い。
すぐ近所なのにコロナ前には行ったこともなかったけれど
常連になってからはあれこれ世間話をするのも楽しくなった。
昔ながらの魚屋さん。そこにはとても懐かしい雰囲気がある。
こんな時期だからこそ新たな発見もあるものだなと感慨深く感じた。
もちろんのこと夕食は美味しく家族みな笑顔で嬉しい。
もしかしたらこれが「素敵」なのかなと思うのだけれど
やはりどうしてもその言葉に抵抗があり好きにはなれなかった。
ただ「いい日」だったとはっきり言える。
平穏無事がやっぱりいちばんなのだろうと。
2020年05月15日(金) |
素敵っていったい何ですか? |
どんよりとした曇り日。今夜はこれから雨になりそう。
それにしても日が長くなったものだ。
もう7時だと言うのに外はまだ明るく灰色の空がはっきりと見える。
特に何もない平凡な一日を望んでいたらその通りになった。
私は「素敵」と言う言葉があまり好きではなく
変わり者なのかもしれないけれど「素敵な一日を」と言われたら
思わず「なにそれ?」と過剰なほどに違和感を感じてしまうのだった。
「素敵」とはどんなことを指すのでしょう。素敵って何ですか?
私は「ふつう」が好き。それがいちばんの幸せに思えてならない。
ささやかなことに喜びを感じ笑顔でいられるのがいちばんだと思う。
いつもと変わらないこと。それがきっと「いい日」なのだろう。
今めいちゃんが独りでお風呂に入っている。
鼻歌を歌っていてなんだかとても楽しそう。
ついつい覗きたくなって見に行ったら「だめ!」と叱られてしまった。
見て良いのはお母さんだけでおばあちゃんは駄目なのだそう。
ふふっと愉快。そうしてそんな成長がとても嬉しく思う。
それだけで「いい日」になる。我が家はとても平和なのでした。
2020年05月14日(木) |
決してもう大丈夫なのではない |
連日の夏日が続いている。今日のおひさまもとても元気。
空気が乾燥しているせいか蒸し暑さは感じられず
吹き抜ける南風はとても爽やかでなんとも心地よいのだった。
職場のすぐそばの田んぼにおたまじゃくしがたくさんいて
大きいのや小さいのや蛙のこどもだけれど親子みたいに見える。
風に揺れる稲の緑を潜り抜けるようにすいっとすいっと泳いでいた。
可愛らしいものだなと心が和む。のどかな山里の平和な風景だった。
新緑の山道を通って帰宅。車の窓を全開にしてとても気持ち良い。
今日で食材が切れてしまう。明日はスーパーに寄らねばならぬ。
仕方ない事だけれど気が重く少しストレスを感じているようだ。
今日は国の非常事態宣言がついに解除された。
「やっと」とはどうしても思えずとても複雑な気持ちになる。
決して気を緩めてはいけないこれまで通りでありたいものだ。
夕方、市長さん直々に市内放送が流れ一層気が引き締まる思い。
もう大丈夫なのではない。まだまだこれからなのだと思う。
夕食は冷凍してあった牛肉で牛丼。家族みな喜んでくれて嬉しい。
とにかくあるもので出来るものを作る。これからもそうしよう。
お風呂上がりの孫たちのはしゃぎ声を聴きながらこれを記す。
こんなにも平和なのにと思わずにいられないけれど
我が家の非常事態宣言は続く。そうして大切な家族を守ってみせよう。
2020年05月13日(水) |
なんとしても守ってあげたい |
最高気温は26℃。いかにも初夏らしい一日となる。
今日も爽やかな風が吹きとても心地よく感じる。
外回りの仕事がありちらっと近くの公園へ寄ってみた。
池には睡蓮の花が咲き始めゆうらゆうらと風に揺れ
まるで池を泳ぐお魚のように見えて可愛らしいこと。
つかのま座ったベンチで風に吹かれながらふふっと微笑んでいた。
仕事を終えて帰宅。今日はあやちゃんのピアノ教室が再開。
教室はすぐ近所なのだけれど県道を横断しなければならず
じいちゃんが横断歩道の手前まで送って行ってくれた。
学校に続きピアノ教室となんだか一気にいろんな事が再開。
手放しでは喜べないし決してコロナが終息したわけでもない。
ついつい油断をしそうになっては「まだまだ」と気を引き締める。
季節柄コロナがおとなしくなっているだけなのだと思う。
夏が過ぎ秋から冬になればまた猛威を振るい始めるのではないか。
一刻も早いワクチン開発をしなければまた大変な事になるのでは。
そんな不安もあるけれど今はこの平穏無事をありがたく受けとめている。
どんな日であっても与えられた一日。乗り越えていかなければ。
めいちゃんが保育園から帰って来て近所のお友達と外遊び。
ピアノ教室から帰ったあやちゃんもふたいとこのまあちゃんも
家の前の路地はそれはそれはにぎやかなはしゃぎ声が聴こえていた。
伸び伸びと自由なそんな子供たちを久しぶりに見た気がする。
なんとしても守ってあげたい。笑顔いっぱいの子供たち。
2020年05月12日(火) |
ああなんて平和なのだろうと思った |
今日もほぼ真夏日に近かったけれど爽やかな風に助けられる。
風は薫り緑だろうか花々の色だろうかそれとも空の青だろうか。
目には見えないはずの風が見えたような気がしたのだった。
あやちゃん今朝も元気に登校。後姿を見送りながら手を合わす。
おそるおそる。それでもかつての日常が確かにそこにある。
どうか何事もなくこのまま安全に学校生活を送れますように。
めいちゃんはぎりぎりまで朝ごはんを食べていたけれど
「おばあちゃんといく」と言ってくれて大急ぎで準備を始める。
ポニーテールが可愛い。我が孫ながら惚れ惚れとする後ろ姿。
新緑の山道を通り抜け職場へ。今日もぼちぼちと仕事だった。
幸いなことに職場はコロナの影響もなくいつもと変わらない。
それがどれほど恵まれていることかとなんだか申し訳ないような。
苦境に立たされている経営者の多さに心を痛めているこの頃。
もしも影響を受けざるを得ない職場ならとっくに倒産していただろう。
自転車操業なのでペダルをこぎ続けなくてはいけないけれど
それを苦に思ったことはない。パンク修理だってちゃんと出来る。
今日は食材を買い求めなくてはいけなくて郊外のスーパーへ。
空いていてほっとする。とりあえず肉類など3日分ほど買って帰宅。
メニューはストックしてある食材で考えるのがもう日課になった。
娘がスマホで検索して思いがけない新メニューが出来る日もある。
コロナと向き合いながらの暮しにもすっかり慣れてきたようだ。
夕食後、娘夫婦と孫たちが夕散歩に出掛けて土手の道に
夕陽を背にそのシルエットがほのぼのとした絵のように映る。
ああなんて平和なのだろうと思った。穏やかな夕暮れ時のこと。
2020年05月11日(月) |
久しぶりのランドセルがまぶしい |
爽やかな朝もつかの間、日中は真夏日となり戸惑うほどの暑さ。
沖縄は梅雨入りとのこと。もうそんな季節になってしまったのか。
ゆっくりと身体を慣らしていかなければ老体に堪えそうだ。
あやちゃんの学校が再開。どんなにかこの日を待ちわびていたことか。
いつもよりずっと早起きをしてとても楽しみにしていた。
久しぶりのランドセルがまぶしい。笑顔で送り出した朝のこと。
まだまだ不安がいっぱいでおそるおそるの日々になるけれど
どうか安全にと祈りつつ見守っていきたいと思うばかり。
綱渡りのような日々を乗り越えて逞しく育ってほしいものだ。
今日も県内の感染者無し。ほっとしながらも気を引き締める。
決して油断をしてはいけない。用心の上に用心を重ねようと。
買物をしない日だったので新緑の山道をたのしみながら帰宅。
対向車もない。人っこひとりにも出会わず狸の姿さえない道。
毎日この道を帰れたら良いなと思った。とてもとても安全なのだ。
帰宅してパソコンとにらめっこ。例のSNSのためのダウンロード。
職場ではあっという間に出来たのに光回線ではないので少し手間取る。
なんとかプラウザの移行が整いほっと一安心だった。
「6月1日からも会えますね」と言ってくれたひとがいる。
それがとてもとても嬉しかった。私は消えなくても良いのだと。
2020年05月10日(日) |
我が家にはふたりの母 |
雨が降ったりやんだり。まるで梅雨時のように蒸し暑かった。
穀物や植物には恵みの雨になったことだろう。
我が家のアマリリスも明日には咲いているかもしれない。
「母の日」亡くなった義母や入院中の母を想う。
なにひとつカタチには出来ないけれどせめて感謝の気持ちだけはと。
生んでくれたこと育ててくれたこと母のおかげで今の私がある。
そう思うと思春期の痛みも貴重な試練を与えてくれたのだと
恨みもせずに母の人生を認め受け入れているじぶんがあった。
昼下がり娘が母の日だからと圧力鍋を買って来てくれた。
「豚の角煮を作ってね」とまるでこどものような顔をして
プレゼントなんてまったく期待などしていなかったので
それはとても思いがけず嬉しかった。「高かったでしょ」と言うと
「ニトリだから」と。「じゃあお値段以上ね」と笑い合った午後。
娘には孫たちから花束のプレゼント。お小遣いで買ってくれたそう。
私だけが母の日なんて申し訳ないと思っていたのでほっとする。
我が家にはふたりの母。なんだか感慨深く思わずにいられない。
「ありがとう」でいっぱいになる笑顔の一日だった。
2020年05月09日(土) |
ついに追い詰められたのかと思った |
曇り日。夕方からぽつんぽつんと雫のような雨。
蛙の鳴き声が聴こえている。きっと雨が嬉しいのだろう。
夜明け前のこと。いつものように歌を詠み詩を書こうと
開いた某SNSにプラウザの移行を促すメッセージが表示されていた。
今のままでは6月1日にページの閉鎖とありひどく困惑する。
まるで私から書くことを奪おうとする手段のように思えて悲しい。
ついに追い詰められたのかと嘆きそうになりながらのヘルプ要請。
そうしたら親身になってくれるお仲間さんがたくさんいてくれて
ほんとうにありがたいこと。新しいプラウザへの移行を勧めてくれる。
もうそうするしかないとダウンロードのページを開いたものの
不安でならずどうしても押すことが出来なかった。
いったいどこまで小心者なのかとなんとも情けない気持ちになる。
気を落ち着かせてしばし考える。まだ今月いっぱいの猶予がある。
月曜日になり職場のPCも同じ状態ならばサポートに相談しよう。
善は急げと言うけれど慎重に事を進めるのも良いのかもしれないと。
この日記のサービスもいつ終了するのかわからない。
もう18年目。ほんとうに長いこと思う存分に書かせてもらった。
書く場所を与えられていることにただただ感謝するばかり。
2020年05月08日(金) |
月は欠けても散りはしない |
午前四時。月明りに誘われるように窓を開けると
それはきれいな満月が見えた。
「フラワームーン」とは誰が名づけたのだろう。空に咲く月。
歌人でも詩人でもないくせに歌を詠み詩を書く。
老いぼれて落ちぶれてそれでもなお生き永らえているのだった。
少し肌寒さを感じた朝。曇り空のまま午後になりやっと陽射しが。
洗濯物のことを考えていた。きっと喜んでいるに違いないと。
帰宅したらあやちゃんが踏み台に上がって洗濯物を入れてくれていた。
「よいしょよいしょ」と声がする。「ありがとうね」と嬉しい。
来週の月曜日から学校再開が決まったようだ。
まるで長いトンネルの出口に立っているような気分なのだろう。
そこには明らかに昨日までとは違うあやちゃんがいた。
そんなあやちゃんにどうして不安などと言えるだろうか。
安全な学校生活を送れるように見守ってあげなくてはと思う。
きっときっとだいじょうぶ。そう信じて背中を押してあげたい。
今日で連続9日の県内感染者無しのニュース。
自粛緩和のおかげで営業を始めた飲食店等もあるようだ。
それはまるでコロナへの挑戦のように感じてならない。
決して救われたのではないからこそ闘っていくのだろうと。
おそるおそるではあっても今は前に進まなければいけない時。
恐怖心や危機感が少しずつ薄れているように感じるこの頃。
また大変なことになるのではと不安がればきりがなく
ただただ立ち向かって行くしかないとつよく思うばかり。
月は欠けても散りはしない。枯れもしない花のような月。
2020年05月07日(木) |
不自由さを学びながら |
風薫る五月。まさに今日はそんな一日だった。
爽やかな風にいつまでも吹かれていたい気持ち。
そうして鳥のように空を飛べたらどんなにいいだろうか。
GWがやっと終わりまた日常が始まる。
よほど仕事が好きなのだろう嬉しくてならない。
生きがいと言うほどのことではないのだけれど
それだけ遣り甲斐のある仕事を与えられているのだと思う。
感謝しなければならない。する仕事のあるのはほんとうにありがたい。
めいちゃんも久しぶりの保育園。なんと20日ぶりの登園だった。
早起きをして上機嫌でそれはそれは嬉しそうにしていた。
あやちゃんと一緒だったとは言えよく我慢をしたと思う。
どんなにかお友達と遊びたかったことだろう。
あやちゃんももう少しの辛抱だと思う。
県の自粛緩和もあってか県内では再開した学校もあるようだ。
不安は確かにあるけれど子供にとって何が最善かとも考える。
何よりもストレスがつのりそろそろ限界なのではないだろうか。
昨日のあやちゃんの様子がとても気になってならなかった。
本来こどもは伸び伸びと自由にそれがいちばんなのだろう。
学校が再開されてもしばらくはそれも制限されるだろうけれど
そんな不自由さを学びながらこどもは成長していくのだと思う。
そう思えば休校も精神的に大きな学びなのではないのだろうか。
あやちゃんが笑った。晩ごはんをいっぱい食べてくれた。
2020年05月06日(水) |
空は空の気分のままで |
曇り日。青空は見えなかったけれど薄日が射し蒸し暑くなる。
空は空の気分のままでぼんやりとしているのも良いもの。
伝えたいことがうまく伝わらないそんなこころを空に映す。
川仕事がお休み出来たのでのんびりの一日だった。
朝の気忙しさがないだけでずいぶんとゆとりを感じる。
仏壇にお線香もあげられない日が続いていたので
今朝はゆっくりと手を合わせ久しぶりの般若心経。
孫たちをじいちゃんに託して5日ぶりの買い出しに。
車で5分ほどのスーパーは思ったよりも空いていてほっとする。
メモを片手に必要なものを買い揃えマイバックには入りきらない。
段ボール箱に入れて駐車場を往復しただけでどっと疲れる。
でもそれで毎日の買い物が避けられるならと苦には思わず。
いくら自粛の緩和がされても決して油断をするつもりはない。
午後、めいちゃんが「ひま、たいくつ」を連呼するので
近くの海辺までドライブに行くことにしたけれど
あやちゃんが嫌がりふてくされたようにご機嫌が悪い。
無理やり連れて行ったけれど笑顔すら見せなかった。
誰もいない海。めいちゃんと綺麗な貝殻をたくさん拾った。
お母さんが帰って来たら見せるのだと言ってそれは嬉しそうに。
あやちゃんはまったく無関心でさっさと車に乗ってしまった。
少しでも気分転換になればと思ったのだけれど
無理強いがいけなかったのだろう。そっとしておいてあげれば良かった。
そんなあやちゃんも夕方にはやっと笑顔になり
お母さんとハンバーグ作りに奮闘していた。
私は手出しをせずそんなふたりを微笑ましくながめていた。
美味しいハンバーグが出来て良かった。めでたしめでたし。
2020年05月05日(火) |
大切な家族を守りたい |
「立夏」すっかり初夏らしくなり半袖で過ごす。
まだ炬燵も暖房器具もそのままで扇風機を出したくなるほど。
早朝からの川仕事も思いがけない暑さが身に堪えた。
朝のうちは涼しいだろうと水分を持って行ってなかったので
喉がからからに乾きもう少しで熱中症になるところだった。
撤収作業は収穫よりも肉体労働でくたくたに疲れて帰宅する。
「明日はやすもうか」とじいちゃん。もちろん私もうなずく。
娘が仕事だったので孫たちと過ごす「こどもの日」
あやちゃんが朝ごはんを食べておらず「食べたくない」と。
りんご病の名残だろうか腕や手にかすかに発疹が見られた。
お昼にやっとみかんの缶詰を食べてくれてほっと安堵する。
一日中のタブレット。それもどうして叱れようかとおもう。
午後、高知県知事の記者会見があり自粛の緩和をするとのこと。
感染者が出ていない日が続いているとは言え不安がつのる。
ほんとうにそれで良いのかと疑心暗鬼になってしまいそうだ。
我が家はそれには従えない。大切な家族を守ることに徹したい。
娘むこの伊勢海老漁のおかげで今夜もご馳走。
お刺身はぷりぷりとしていてとても美味しかった。
買い物に行かなくてもこうして夕食を食べられるありがたさ。
ちょっとした自給自足をたのしんでいる我が家だった。
2020年05月04日(月) |
雲のうえにはたしかにおひさま |
雨あがり。曇り空のまま一日が過ぎる。
陽射しこそなかったけれど空は明るい。
雲のうえにはたしかにおひさまがいる。
早朝より川仕事。とうとう最後の収穫だった。
わずかな収穫量だったけれどやれるだけのことを
やったのだと心地よい達成感があった。
過酷な環境のなかで精一杯に育ってくれた海苔にただただ感謝。
自然の恵みをいただけることはこんなにもありがたいこと。
娘むこは素潜り漁に。今日も大漁で帰って来る。
高知では「ナガレコ」と言うアワビに似た貝をそれはたくさん。
とても食べきれずまたご近所さんにお裾分けをする。
明日は伊勢海老漁なのだそう。楽しみにしていましょう。
夕方、総理の会見があり緊急事態宣言の延長が決まる。
今の状況を考えるとそれは当然の事に思えた。
決して気を緩めてはいけない時。油断してはいけない時だと思う。
幸いと言っていいのか高知県はここ数日感染者が出ていない。
ほっと安堵しながらも危機感が薄れるわけではなかった。
一段と気を引き締めて用心しながら過ごして行こうと思う。
学校はどうなるのかなと娘が心配していたけれど
市の教育委員会が決めたことに従わなければいけない。
一日も早く通学させてあげたい気持ちと感染リスクの不安が交差する。
親の心配をよそにのほほんとしているあやちゃん。
今日はお友達からお手紙が届いてとても嬉しかったようだ。
会えないからこそのふれあい。「やさしさ」を学んでいるのだろう。
こどものこころは決して荒んでなどいない。
おとなもそうでありたいとこころからそう思った出来事だった。
2020年05月03日(日) |
生まれて来てくれてありがとう |
久しぶりの雨。まだ降りやまず雨音を聴きながらこれを記し始めた。
午後7時を過ぎたけれどまだ外は薄っすらと明るい。
ふとこのまま雨が見えなくなるまで空を仰いでいたくなる。
あやちゃん8歳の誕生日。家族皆でささやかにお祝いする。
食欲はどうかなと心配していたけれど
大好きなイクラのお寿司。ステーキも鶏のから揚げも。
最後にはケーキも食べられてほんとうに良かったなと思う。
笑顔がいっぱい。おなかもいっぱい。とても楽しい夕食だった。
もう8歳なのかと感慨深い。いつのまにかすっかり成長して
幼児から少女へと少しずつ階段をのぼっているように思える。
なんとしても長生きをしてその成長を見守りたいものだ。
いまは学校へも行けずお友達にも会えずどんなにか寂しいことか。
それでも嘆くこともせずに毎日を健気に辛抱し続けている。
ほんとうにえらいなといっぱいほめてあげたかった。
あやちゃんお誕生日おめでとう。
生まれて来てくれてありがとう。
大好きなあやちゃんがずっとずっと笑顔でいられますように。
立夏を前にして夏日となる。少し蒸し暑さを感じた。
つい先日までの肌寒さが嘘のよう。もう季節が変わったのだろう。
早朝より川仕事。朝陽がきらきらとまぶしい。
川風も心地よくせっせと手を動かし精一杯の収穫。
今日が最後の収穫の予定だったけれど思いがけず
まだ海苔が残っている網を見つけあと二日ほどは収穫出来そう。
連休中には終えられるだろう。もうひとふんばりしてみよう。
9時半には作業を終えて山里の職場に向かう。
孫たちはじいちゃんとお留守番。それもすっかり慣れたよう。
あやちゃんは平熱。ほっぺも赤くならずに済み幸いだった。
ただ少し食欲がなくまだ本調子ではなさそう。
昼食はカップ麺やおにぎりばかりで栄養面がとても気になる。
それだけ学校給食に頼っていたことをあらためて感じさせられる。
仕事は忙しかったけれどなんとか片づき明日から連休に。
3月4月の繁忙期を乗り越えられたのだなと感慨深く思った。
心地よい達成感を糧にしながらまたぼちぼちと頑張って行こう。
夕方、釣りに行っていた娘婿が大漁で帰って来る。
鰤に平目。鯵もたくさんありご近所さんにお裾分けする。
貧乏所帯の我が家にはほんとうに贅沢なごちそうだった。
平目のお刺身は初めて食べたけれどそれはそれは美味しい。
夕食後久しぶりにめいちゃんとお風呂に入った。
泡ビオレで背中を撫でながら愛しさが込み上げてくる。
ぷりんぷりんの可愛いお尻。思わずぎゅっとしたくなる。
今夜はコロナの話題もなくとても平和だった。
2020年05月01日(金) |
未来を信じてあげなければ |
夏も近づく八十八夜。まさに初夏を思わすような一日。
ツツジが枯れ始めたらアマリリスが咲き始める。
季節の花はそうしてバトンタッチをしながら心を和ませてくれる。
そうして鮮やかな新緑。陽射しを浴びてきらきらと輝いていた。
孫たちをじいちゃんに託して山里の職場へ。
連休前でもう暇かなと思っていたけれど
駆け込みのお客様があり少し忙しくなった。
お昼にじいちゃんから電話がありあやちゃんが発熱とのこと。
めいちゃんの時もそうだったけれどぶり返す熱。
明日にはほっぺが真っ赤になっているかもしれない。
早めに帰宅したかったけれど残業になってしまった。
おまけに今日は買い物をしないと食料が尽いてしまっていた。
少しでも空いているお店にと郊外のスーパーに寄ったら
マスクが入荷しているとのことで混雑している店内。
おそるおそる大急ぎで買い物をして逃げるように帰って来る。
マスクはあえて買わず。必要なひとがたくさんいるだろうと。
帰宅したら娘が先に帰っていて洗濯物をたたんでくれていた。
心配していたあやちゃんは解熱剤が効いている様子。
お昼ご飯も食べられなかったそうでなんと可哀想なこと。
すっかり元気になっているめいちゃんはパワー全開で
娘とお散歩に出掛けてしまってなかなか帰って来ない。
「あやも行きたかった」としょんぼりうなだれるあやちゃん。
この子はずっと我慢をしてきてそのうえにまた我慢を強いられている。
連休明けの学校再開も延期になりいつ再開するやら未定とのこと。
それは息子のところのけい君も同じで一年生なのに学校へ行けない。
コロナの犠牲になっている子供たちの未来を思うとつい嘆きたくなる。
けれどもおとなが嘆いてしまうと子供はよけいに悲しくなるだろう。
未来を信じてあげなければ。励ましてあげなくてはと強くおもう。
学校は消えて無くなるのではない。いつまでも子供たちを待っている。
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