2020年03月31日(火) |
やまない雨はないだろう |
朝から小雨がずっと降り続いている。
菜種梅雨。桜雨と言葉にすればこれも今の季節ならではのこと。
どんな空もありがたく受けとめてあげようとおもう。
月末の仕事をなんとか終えてほっと帰宅するなり
隣町の宿毛市からコロナの感染者が出たことを知る。
ついに来たかと思った。覚悟はしていたけれど
あまりにも身近なことで一気に恐怖心がつのる。
県の記者会見では感染経路は調査中とのこと。
一刻も早い公表を待ち望むばかりである。
決して軽はずみな行動はなかったと断言できるのだろうか。
感染者を責める気持ちはないけれど不信感がつのるばかり。
「みんなみんな前を向きましょう」と昨夜はそう思っていた。
そうして少しでも不安な気持ちを鎮めようとしていたのは確か。
けれども自分が前を向けない。情けないけれどそれが本当のこと。
どれほどの不安も受けとめられるほど強くなどないのだった。
いまはただ雨を受けとめている。やまない雨はないだろうと
ありのままの空に自分を重ねているとなんだか落ち着くのだ。
2020年03月30日(月) |
みんなみんな前を向きましょう |
小雨が降ったりやんだり。桜の花もしっとりと濡れるばかり。
どんな空であっても健気に微笑みひとの心を和ませてくれる。
志村けんさんの悲報はとてもショックで遣り切れない思いがつのる。
まるで親しいひとを亡くしたような喪失感が襲ってきた。
同時に恐怖心も。それが最期のメッセージであるかのように。
私たちはもっともっと危機感を持たなければいけないのだ。
どうか悲しまないで。それよりも身を守って欲しいと
そう叫んでいるような気がしてならない。
彼の死を決して無駄にしてはならないのだ。
ひとりひとりが自覚を持ってこの危機を乗り越えなければいけない。
茶の間にいつも笑いを届けてくれた。
それは演技ではなく心からの優しさだったのだと思う。
涙が出るほど笑い転げたこともあった。
可笑しくて泣けるなんてなんて幸せなことだろうか。
きっと日本国中の人々を見守ってくれるに違いない。
「だいじょうぶだあ」みんなみんな前を向きましょう。
2020年03月29日(日) |
ひとりひとりの我慢があれば |
夜明け前までぽつぽつと雨が。そうして曇りのち晴れの日曜日。
東京ではなごり雪が降ったよう。桜の花も冷たかったことだろう。
朝のうちに息子に電話。元気そうな声にほっとして川仕事へ。
海苔は少し元気になっていたけれど収穫は相変わらず。
ほんの少しの海苔でもありがたく精一杯に手を動かす。
やったらやっただけのことはある。何もせずに諦めるわけにはいかない。
あやちゃんが自転車に乗って作業場へお手伝いに来てくれた。
娘夫婦とめいちゃんはお買い物に行ったとのこと。
人がたくさん居るところには行ってはいけないのだと
学校で教わったことを子供なりにしっかりと守っている。
なんと健気なことだろう。えらいねあやちゃんと感心するばかり。
そんな我慢がストレスにならないように見守ってあげなくては。
東京から高知へ帰省してくる大学生が増えているとのこと。
誰も止める人がいないのだろうかと思うのは私だけだろうか。
今は自由であってはいけないのだと思う。我慢する時なのだ。
ひとりひとりの我慢があればきっと拡大は防げると思うのだけれど。
コロナ一色だった3月も残り少なくなった。
花は咲き誇り春爛漫なのが何よりの救いに思える。
けい君の入学式は予定通りに出来るのかな。
新学年の学校はちゃんと始まるのかな。
家族であれこれと話しながら食卓を囲んだ夕暮れ時のこと。
2020年03月28日(土) |
今日のことはもうお終い |
曇り日。夕方近くから雨が降り始める。
しっとりとあたりを潤すような優しい春の雨だ。
むくむくと木の芽のいのちを感じる。
やがて新緑の季節がやってくることだろう。
娘夫婦が仕事のため孫たちと過ごしていた。
土手の道はまるで我が家の庭のようで
自転車で走りまわる孫たちを微笑ましく眺める。
おもいっきり外遊びが出来て良かったなと思う。
お昼前に息子から電話。職場で発熱し早退したとのこと。
病院には行かないと言うので取り急ぎ解熱剤を届ける。
コロナだったらどうしようとはらはらと心配するばかり。
息子いわく感染するような場所には行っていないと。
昔から季節の変わり目にはよく熱を出す子だったので
今度もそうかなとあまり過剰に考えすぎないほうが良いかと。
夕方電話したら「もう治った」とケロッとしていた。
念のために明日の仕事を休ませてもらったと聞きほっとする。
よほど困ったことがない限り電話などしてこない息子。
それくらいの距離がちょうど良いのかもと思ったりした。
娘が帰宅。娘むこも早めに帰って来てくれる。
いつもと変わらないにぎやかな夕食。
ぽっとんぽっとん雨だれの音を聴きながらこれを記す。
朝からいろんなことを考えた一日だったけれど
もうリセットしよう。今日のことはもうお終い。
2020年03月27日(金) |
僕がいなくなってもだいじょうぶ |
目覚めた頃にはぽつぽつだった雨がやがて本降りになる。
しばらくは青空に会えそうもなく菜種梅雨に入ったのだろうか。
3×9が27で今日は「さくらの日」なのだそう。
空が曇れば「花曇り」雨がふれば「桜雨」そんな日本語が好きだ。
今朝はめいちゃんと保育園へ。担任の保育士さんが転勤とのこと。
お世話になったお礼をと保育室の前まで一緒に行ったけれど
他のお母さんと熱心に会話をされていて割り込むわけにもいかない。
めいちゃんも少しとまどっていた。「おはよう」が言えない。
「おはよう」と言ってくれない。なんとも寂しい気持ちになる。
仕事で郵便局のÅTMに行っていたら局員のY君が私を見つけたのか
駐車場まで追いかけて来てくれて転勤になったことを知らせてくれた。
それも栄転で隣町の郵便局の局長さんになるのだそう。
思わず拍手をしていた。なんだか自分の息子のように嬉しい。
けれどももうY君に会えなくなるのかと思うとやっぱり寂しい。
「かんぽ生命」の係だった彼には母の入院の度にお世話になった。
いつも親身になってくれてどれほど助かったことだろう。
「僕がいなくなっても大丈夫」とちゃんと引継ぎもしてくれるそう。
郵便局の庭先の桜をしばし仰ぐ。花びらから落ちる雨の雫は
決して桜の涙ではないのだと思った。きらきらと光る希望のよう。
2020年03月26日(木) |
なんとしても守りたい |
曇り日。午後からぽつぽつと雨が降り始める。
花や草木は雨を待っていたかもしれない。
ひとのこころもしっとりと潤ってほしいものだ。
めいちゃん保育園の「お別れ遠足」
曇り空なので心配していたけれど無事に行けたよう。
お弁当も美味しくお友達と遊んで楽しかったと喜んで帰って来た。
無邪気なこどもの笑顔をなんとしても守りたいとつくづく思う。
高知県内のコロナ騒動は今のところ落ち着いていて
入院していた感染者全員が退院したニュースが流れる。
新たな感染者を出さないためにも行動の自粛が大切に思える。
こればかりはそれぞれの自覚に任せるしかないけれど
自由奔放な県民性が仇にならなければ良いがと心配でならない。
お風呂上がりの孫たちのはしゃぎ声を聴きながらこれを記している。
なんと平和なことだろうとかみしめるような思いがつのる。
平穏無事は決して当たり前の事ではないと
今日と言う日に感謝し手を合わせて眠りましょうか。
2020年03月25日(水) |
背中をそっと押してあげましょうか |
少し冷え込んだ朝。潔く去れない冬にふとせつなさを感じる。
背中をそっと押してあげましょうか。私が春になれるのなら。
日中はたっぷりの陽射しに恵まれ春らしい陽気になる。
桜もぽつりぽつりと咲き始めこころが浮き立つよう。
世の中の不安もすべて春になってしまえば良いものを。
仕事で不手際がありお客さんのお宅へお詫びに。
やはり日頃からの誠心誠意が肝心に思え反省の一日だった。
「まあいいだろう」では済まない事が少なからずあるものだ。
今回は快く許してもらえたけれど以後はあってはならないこと。
お客さんの笑顔に救われてほんとうに神様のように思えた。
ゴールが未だ見えずいったいいつまでと嘆いた頃もあったけれど
今はとても遣り甲斐を感じていて仕事が好きでたまらない。
難破船のような会社の私は乗組員であり続けたいと思う。
決して沈めやしない。辿りつく島を目指そうと心に誓う。
ふと陰になり背中を押してくれているのは母なのではと感じる。
仕事一途だった母から受け継いだものがいま活かされているのだろう。
2020年03月24日(火) |
そこから夕陽が見えましたか |
寒の名残と言うより花冷えと言ったほうが良いのかもしれない。
やっと今日、高知城下の桜の開花宣言があったらしい。
日中は少し風があったものの春らしい暖かさになった。
四万十の桜もまもなく咲き始めることだろう。
母の担当医から連絡があり義父が病院へ行ってくれた。
急変があったわけではなく病状の説明だと言うこと。
救急搬送された時に義父は病院に来られなかったこともあり
詳しい説明を聞いていなかったから良い機会だと思った。
帰宅した義父はやはり深刻な顔をしていて
もしもの場合の延命処置をどうするかと訊かれたらしい。
私はすでに「望みません」と伝えてあったけれど
こればかりは私の一存では決められないことだった。
義父も迷いながらそう応えたのだそうだ。
「なるようにしかならんよな」義父の一言に私もうなずく。
そうして母の一生が終わるのならば見届けてあげたいと思う。
義父も面会は叶わず母の様子はまったく分からないけれど
今のところは少しずつ快復しているとのこと。
ただただ最悪の事態にならないことを信じて祈るしかない。
コロナ騒動さえなければ母の顔も見られるだろうに
少しでも会話も出来るだろうにと残念でならない。
母はどんな思いで耐えていることだろう。なんとも憐れなこと。
せめて夕陽の見える病室にいてくれたらと思う。
同じ夕陽を見ているのよと声を限りに母を呼びたい。
2020年03月23日(月) |
泣かせてしまってごめんなさい |
本日も晴天なり。朝からもう暖かく寒の名残も何処へやら。
そんな朝は洗濯物を干すのが楽しい。ついつい鼻歌が出て来る。
三連休の後でやっと月曜日となんだか嬉しかった。
いつからこんなに仕事が好きになってしまったのだろう。
少なからずストレスを抱えていても気にならなくなった。
する仕事のあるのはほんとうにありがたいことだと思う。
月曜日が憂鬱に感じる人は仕事に遣り甲斐を感じていないのだろうか。
仕方なく仕事をしているのならとても憐れに思えてならない。
どんな仕事であってもきっと誰かの役に立っているのだろうに。
つかの間のお昼休みを車の中で過ごしていたら
見たこともないような薄紫の蝶々がまるで花びらみたいに舞っていた。
羽根を休めようとしない。ひらひらと春風に戯れているばかり。
きっと春風がよほど嬉しかったのだろう。無我夢中なのだったのだろう。
仕事を終えて帰宅。おひさまの匂いのする洗濯物をたたむ。
孫たちのパンツの大きさを比べてこれはめいちゃんこれはあやちゃん。
可愛らしいパンツや靴下を手に取るだけで楽しくてならない。
夕飯のメインは「サバの味噌煮」あやちゃんが食べられないと言って
娘に叱られ挙句には涙を流しながら食べようと努力していた。
でもやっぱり食べられない。目を真っ赤にしてごめんなさいと。
そうそう誰にだって苦手なものはある。大丈夫よあやちゃん。
明日はあやちゃんの好きなものを作ろうね。
せっかくの楽しい夕食に泣かせてしまってごめんなさい。
2020年03月22日(日) |
これが幸せでなくてなんだろう |
薄曇りの空。時おり陽射しもありぽかぽかと暖かい。
朝のうちに行方不明になったドローンを探しに行ってみたけれど
やはり簡単には見つからず。もう諦めたほうが良さそうだ。
家族で話し合いお詫びのしるしを届けることにする。
それが精一杯の誠意だろう。あやちゃんにもちゃんと教えたい。
川仕事はまたしばらくお休みでのんびりの日曜日だった。
珍しく掃除をする。台所と寝室と目についたところだけ。
じいちゃんが「雨が降りそうだな」と笑っていた。
私は決して完璧な主婦ではない。暇さえあれば寝ている。
そんなだらしなさもけっこう気に入っているのだ。
午後は例のごとくお昼寝。うつろうつろと気持ちよい。
3時過ぎに目覚めてじいちゃんと大相撲の千秋楽を観ていた。
無観客の大相撲が無事に千秋楽を迎えられて良かったと思う。
呼び出しの声。拍子木の音。お相撲さんの気迫も間近に感じられた。
素潜り漁に行っていた娘むこがたくさん牡蠣を獲って帰って来る。
晩酌の肴にとうはうはと喜ぶじいちゃん。なんとにぎやかな台所。
ああ平和だなあと嬉しかった。これが幸せでなくてなんだろう。
2020年03月21日(土) |
寒の名残も何処へやら |
まだ寒の名残があった朝。日中はまるで初夏のような陽気となる。
桜便りも聞かれる頃。春爛漫を待ちわびていたこころにも花が咲く。
市内の保育園では卒園式があった。けい君もめでたく卒園。
その姿を一目見たかったけれどコロナ騒動で出席は出来ず。
息子からメールが来るかなと待っていたけれどそれも空振り。
あれこれと干渉しないと決めているのも少し寂しいものだ。
きっとそのうち会えるだろう。にこにこ笑顔のけい君に会いたい。
今日も少しだけ川仕事へ。収穫量は昨日よりも少ない。
また来週末に様子を見に行くことにして早々と帰って来る。
あやちゃんが自転車に乗ってお手伝いに来てくれた。
「この子は使えるね」とじいちゃんと微笑み合うほどに
なかなか手際が良い。娘が小学生の頃をふと思い出した。
休校中にあやちゃんは海苔職人になった。大きな成長だと思う。
午後少し困ったことがあった。近所のお友達と遊んでいたあやちゃん。
お友達のお父さんが小さなドローンを飛ばしていたらしく
少しだけ操作をさせてもらっていたらドローンが行方不明に。
お友達のお父さんは「いいよ」と言ってくれたらしいけれど
娘が困り果てて落ちた付近を探したけれど見つからなかった。
高価なものなのだろう弁償しなくてはと頭を悩ますばかり。
お友達のお父さんは「あやちゃんが気にするから」と
大げさにしないように気遣ってくれたようだった。
おかげであやちゃんはまったく気にしていない様子。
それではいけないでしょと娘は言う。もっともなことだった。
決してわざとではなくても過ちを犯すことは誰にでもあるけれど
精一杯の誠意を尽くすことがいちばん大切なことなのだ。
そんなハプニングもあったけれど笑顔で夕食。
どんな日もあってよし。そう思って明日に向かおう。
春分の日。春を分かちあう日と書く。
少し風の強い一日だったけれど陽射しは春そのものだった。
三連休をいただき何もせずにいるのももったいない気がして
海苔の様子を見がてらじいちゃんと川仕事に行っていた。
二週間ぶりだったので少しは状態が良くなっているかもと
期待もむなしくやはり海苔は悪い状態のままだった。
それでもなんと健気なことかしっかりと生きているのがわかる。
少しでも収穫してあげなくてはと精一杯に手を動かしていた。
ほんのわずかの収穫だったけれど娘と孫たちが作業場に来てくれる。
「おてつだいしたい」とあやちゃん。その気持ちがとても嬉しい。
娘が隣の地場産市場で「ぼたもち」を買って来てくれた。
それはそれは美味しい。なんだかとても懐かしい味がする。
亡き祖母を想う。亡き姑を想う。お彼岸の中日らしいひと時。
午後はひたすら寝てばかりで怠惰に過ごす。
「もう4時だぞ」じいちゃんの声でやっと目を覚ました。
今夜は手作り餃子。娘が手際よく下ごしらえをしてくれる。
めいちゃんも手伝ってくれて50個の餃子が出来た。
ホットプレートで焼いて熱々のをはふはふとそれは美味しい。
夕食後の夕焼け空。今日も平穏無事に暮れていく。
世の中の不安も薄れていく。ああ「いい日」だったなあと思う。
2020年03月19日(木) |
空とゆびきりげんまんをした |
朝のうちには晴れ間が見えていたけれど午後から雨になる。
やわらかで優しい春の雨。少しくらい濡れても寒くはない。
昨夜も母の夢を見る。それはとても元気な母の姿だった。
スーパーの果物売り場に居て林檎とバナナを買っていた。
目をキラキラさせてそれはそれは嬉しそうな顔をしていた。
「おかあさんは大丈夫よ」そんな知らせだったのかもしれない。
会えないもどかしさもそんな夢のおかげで救われたような気がする。
仕事を早めに終わらせてもらって定期の通院を予定していたけれど
来客があり少し遅くなる。コロナの影響なのか病院は空いていた。
すぐに医師との面談があり処方箋をもらって薬局へと向かう。
それからが長かった。30分ほど待ってやっと薬をもらえる。
薬なのになんだか宝物のように感じるのは不思議なことだ。
買物を済ませて帰宅するともう寝転ぶ時間もない。
娘と孫たちも帰宅していてすぐに夕食の支度に取りかかる。
もやしを炒めていたらじいちゃんが「またもやしか」と。
「私が食べたいの」と言うとへらへらと笑っていた。
娘が鶏肉と茄子を揚げてくれて南蛮漬けに。
孫たちにはパスタを茹でてレトルトのミートソースにする。
あやちゃんがパスタを2人前ぺろり。その食欲にびっくり。
貧乏所帯の夕食もみんなで食べればごちそうになる。
私はもやし炒めばかり食べておなかがいっぱいだった。
夕食後の窓辺で思いがけずに夕焼けが見える。
あしたは晴れる。空とゆびきりげんまんをした。
2020年03月18日(水) |
楽しみはいくらでもあるのだから |
朝はまだ寒さを感じたけれど日中は4月並みの暖かさとなる。
陽射しをいっぱいに浴びているとなんと平和なのだろうと思う。
不安の数をかぞえていたらきりがない。嘆くのもおろかなこと。
それよりも春をたのしみ笑顔で過ごしたいものだ。
娘がお休みだったのであやちゃんも学童には行かず
今日もサイクリングを楽しんだようだ。
新しいヘルメットも買ってもらったそうでとても喜んでいた。
少なくとも我が家は休校を嘆いてはいない。
受けとめる気持ちさえあれば楽しみはいくらでもあるのだ。
仕事がとても忙しく一時間の残業になった。
帰り道のラジオを聴きながら夕食の献立を考えるのがちょっと好き。
こころは家路を急ぎながら家族の笑顔が目に浮かんでくる。
孫たちにチキンナゲット。麻婆豆腐と豚ニラキムチ。
胡瓜の酢の物と菜花の胡麻和えに決まった。
娘と肩を並べて夕食を作るのも楽しい。
一番風呂に入ったじいちゃんが真っ先にテーブルを陣取り
出来る片っ端ビールの肴にしてしまうのも愉快なこと。
まるで居酒屋さんみたいねと笑いながら腕を振るう女将と女中。
夕食後に煙草をくゆらせながら窓辺から夕陽を見るのも好きだ。
ほっと肩の力が抜けて一日の終わりをかみしめているような時間。
そうしていつも思う。あしたのことはまたあした。
今日も「いい日」でした。ありがとうございます。
2020年03月17日(火) |
人生まだまだこれから |
冬が最後のお別れに来たような朝。
しんしんと音が聴こえるような冷え込みだった。
彼岸の入り。やっと本格的な春になりそう。
日中はとても暖かくなり春風がそよそよと吹く。
じいちゃん68歳。母82歳の誕生日。
朝から孫たちの「おめでとう」の声に嬉しそうなじいちゃん。
入院中の母が憐れに思う。きっと誕生日も忘れているだろう。
面会にも行けないもどかしさにふっと切なさが込み上げてくる。
今夜はじいちゃんの好きな「ひっつけ寿司」を作る。
土佐久礼産の新鮮な鰹が手に入って良かった。
握ったばかりのお寿司をつまみ食いするのが最高に美味しい。
他にはタラの芽の天ぷら。孫たちにはフライドポテト。
タラの芽は今朝良心市で見つけて思わず歓声をあげていた。
山道の途中にある民家の庭先に良心市があるのだ。
その良心市にはベンチが置いてあって
「お遍路さんひとやすみして下さいね」と書いてあり心が和む。
遍路道ならではの優しい心遣いがとても嬉しく思う。
ビールの後に焼酎を飲み最後にワインでほろ酔ったじいちゃん。
穏やかな笑顔を見ているだけでなんとも幸せな気持ちになる。
もう68ではなくまだ68だ。人生まだまだこれからですよ。
元気に長生きしようではないですか。
2020年03月16日(月) |
いつもと変わらない我が家 |
昨夜は家が揺らぐほど強い風が吹き荒れ時雨降る朝を迎える。
もう少し気温が低ければ雪になっていたことだろう。
日中も風がとても冷たかった。太陽が負けてしまったよう。
あやちゃんは学童へ。めいちゃんは「おばあちゃんといく」と
言ってくれて元気に保育園へ向かった朝。
保育園のそばに桜の花が咲いていた。まだ染井吉野ではなさそう。
桜の花にもいろんな種類があっていまだに覚えられずにいる。
冷たい風に揺れる桜に春の便りをもらったような朝のこと。
仕事をしながらやっと義父に母のことを詳しく話すことが出来た。
救急搬送された時に真っ先に駆けつけて来て欲しかったのだけれど
今更どうして責められようか。私に任せてくれたのだと思いたい。
急変すれば覚悟が必要。義父はどんな気持ちで聞いてくれたのか。
入院準備に足りないものがあり仕事を終えてから病院に届ける。
面会禁止だけれど病室に入らなければと許しをもらえて
ドアを少しだけ開けて寝ている母の顔を見ることが出来た。
目を開けて欲しかった。大丈夫よと笑って欲しかった。
病状は落ち着いていると言う看護師さんの言葉を信じるしかない。
複雑な気持ちを抱えながら帰宅するといつもと変わらない我が家。
大相撲を観ているじいちゃん。娘も帰宅したばかりだった。
やがて孫たちも帰って来ると一気に花が咲いたようになる。
今日も「いい日」なんだなあってつくづく思った。
夕食後、窓辺にいて沈む夕陽をしばし眺めながら
あしたのことをかんがえられるのも幸せなことなのだろう。
2020年03月15日(日) |
はっけよいのこったのこった |
北風と太陽の一日。どちらもまるでお相撲さんのよう。
はっけいよいのこった。今日の勝負はまた取り直しになる。
母の様子が気がかりでならず病院に電話していた。
コロナ騒動さえなければ面会に行けるのになんとももどかしい。
かと言って毎日電話をするのも憚られ複雑な思いがつのる。
今のところは落ち着いているようでとにかくほっとした。
急変するようなことがあればすぐに知らせてくれるのだそう。
危篤状態にならない限り会えないという事なのか・・・。
孫たちのところにふたいとこの「まあちゃん」が遊びに来ていた。
にぎやかさも微笑ましくとても平和な日曜日の午後。
はしゃぎ声を聴きながら炬燵でしばらくお昼寝をする。
何も考えずにいられる時間がとても必要に思える。
あれこれと押し寄せて来るものから逃げるのではなく
立ち向かっているからこそ「やすむ」ことが必要なのだ。
そうして穏やかな気持ちを保つ。「わたし」と言う名の自分を抱く。
いつのまにか日が暮れていた。今日の夕陽のことを私は知らない。
明日もあしたの風が吹くことだろう。
はっけよいのこったのこった。
2020年03月14日(土) |
冬がお別れに来た日に |
朝のうちぽつぽつと雨が降っていたけれどすぐにやみ
午後は強い北風が吹きまた寒気が戻ってきたようだ。
「寒の別れ」と言う言葉を聞いたことがある。
春彼岸を前にして冬がお別れに来るのだそうだ。
いつも通りに山里の職場に向かい急ぎの仕事だけ済ます。
それから母を迎えに行き病院へ向かった。
「行きたくない」と駄々をこねていた母も車に乗ると
おしゃべりを始めて体調の悪い事を忘れているようだった。
診察までの待ち時間にそれは起きた。
悪寒を訴え始め座ってはいられないほどしんどいと言い出す。
最初は久しぶりに外出したせいだろうと思っていたけれど
刻々と容態が悪化し始め看護師さん達が慌ただしく動き始める。
心電図や胸部レントゲンを終えてから「心不全」だと分かった。
主治医の先生も深刻な顔をしてすぐに救急車の手配をしてくれる。
その頃にはすでに母の意識が薄れていて呼びかけにも反応がない。
「がんばって、しっかりして」とみんなで口々に叫んでいた。
それはまるで悪夢のような時間。私は母が死ぬのだと思った。
県立病院へ向かう救急車の後を追いながら涙があふれてくる。
母が死ぬのだと思っているのなら私が殺したのも同然だと。
なのにどうして涙が出るのだろう。悲しいのか辛いのかも分からず。
悪夢から覚めたのはそれから二時間ほど経っていただろうか。
救急の処置を終えた母がはっきりと目を開けて私を見ていた。
お医者様から説明がありなんとか命をとりとめたことを知る。
入院手続きを終えて夕陽の道を帰る。
目に染みるように紅い夕陽がまるで母のいのちのように見えた。
曇り日。午後には晴れ間も見えて暖かい一日だった。
三晩続けて母の夢を見る。
会いたい気持ちのせいだろうと思っていたけれど
ふと胸騒ぎを覚えて職場から施設へ電話をしてみた。
そうしたらここ数日少し体調が悪いとのこと。
腰や足の痛みを訴えており食欲もないと言うのでびっくり。
常駐の看護師さんがいてくれるので安心していたけれど
たまたま今週はお休みだったのだそうだ。
施設側も連絡を取り合って様子見をしていてくれたらしい。
仕事を早めに終わらせてもらって母のもとへ。
玄関には面会禁止の貼り紙がしてあり仕方なく母の部屋の窓辺へ。
母は思ったよりも元気そうに見えたのでさほど心配なさそう。
アイスクリームを食べていた。「うんまい」と微笑みながら。
来月の通院日まで様子を見る事ことにして帰宅したのだけれど
追いかけるようにケアマネさんから電話がかかってくる。
それは母の異変を知らせる電話だった。まるで寝耳に水のごとく。
幸い救急車を呼ぶほどの事はなかったけれど明日には病院へ。
一日でも早いほうが良いだろうと話し合ってそう決めた。
心臓の持病があるので念のための受診だった。
結果次第では入院しなければいけないかもしれない。
ざわざわと波が押し寄せてくるような心もとなさ。
心配し過ぎてもいけないのだろう。不安がってもいけないのだろう。
母の口癖を思い出す。「心臓に毛がはえているのよ」って笑って。
2020年03月12日(木) |
今は耐える時なのだろう |
寒の戻りなのか今朝は少し冷え込んでいたけれど
日中はたっぷりの陽射しが降りそそぎとても暖かくなる。
彼岸の入りも近くなり冬の名残もあと少しのことだろう。
娘がお休みだったのであやちゃんも学童をお休み。
めいちゃんも休みたくなったのだろう今朝はぐずぐず。
「おばあちゃんといく」と言いながら朝ごはんも食べない。
機嫌を取りながらしばらく待っていたけれど今度は
「おかあさんといく」と言い出してしまって
なんだか後ろ髪を引かれるような思いで家を出た朝のこと。
春の陽気に誘われて娘とあやちゃんはサイクリングに行っていたよう。
土手の道をずっと走って海が見える場所まで。
自転車が上手に乗れるようになって楽しくてたまらないようだ。
休校も良かったのかもしれないとふと思う。
ながいながい春休みを子供なりに楽しもうとしているのだろう。
仕事を終えて帰り道。無性に母に会いたくなってしまった。
コロナ騒動さえなければいつでも会いに行けるのだけれど
面会禁止になっているようでどうしようも出来なかった。
電話をしてもなかなか出てくれない。お願いだから出てと
先日は30回ほどコールしてやっと出てくれたのだった。
元気で変わりない様子にほっとしながら笑顔が目に浮かぶ。
会うことが叶ったら泣いてしまうかもしれないほど恋しい。
こんな気持ちになったのは初めてのことだった。
思うようにはならないこと。今は耐える時なのだろう。
ついついもがきたくもなるけれど辛抱しなければいけない。
春が来れば夏も来る。どうかどうか平和な世の中をと祈るばかり。
雲ひとつない青空。春が空から降ってくるようだった。
しっかりと受けとめて前を向かなければいけない。
決して忘れてはいけない日。もう9年の歳月が流れてしまったのか。
思い出せば胸が苦しくなる。複雑な思いに苛まれるばかり。
だからこそ笑顔であたえられた日々を全うしなければならない。
あやちゃん今日も学童へ。仲良しのお友達に会えたそうで良かった。
楽しかったようで笑顔で帰って来るとほっと安堵する。
なるべく毎日は行かないように指示が出ているようで
娘がお休みの日は家で過ごすことになりそうだ。
めいちゃんの保育園は休園を免れていて助かっている。
集団生活の不安は少なからずあるけれど覚悟をしてのこと。
なんとしても守りたい気持ちが「ちから」になればと願う。
先の見えない不安の真っ只中で希望を持って日々を過ごしている。
やまない雨がないように終わらないコロナもないだろうと思いたい。
明日はあしたの風が吹くのなら心地よく吹かれてみようではないか。
2020年03月10日(火) |
ドラえもんとなかまたち |
雨のち晴れ。きらきらと眩しい陽射しが降りそそぐ午後。
暖かさを喜ぶように蝶々がひらひらと飛び交っていた。
あやちゃん今日から学童へ行く。
久しぶりにお友達に会えるのを楽しみにしていたけれど
全校生徒のうちわずか7人しか来ていなかったそうだ。
殆どの生徒が自宅で過ごしているよう。
それでも楽しかったのか元気に笑顔で帰って来る。
卒業式には皆に会えるだろう。しばらくの辛抱だ。
学童も少人数ならばと少し安心もしたけれど
自宅に居ても外出すればどこで感染するかわからない。
娘にはなるべく人混みに連れて行かないように言ってあるけれど
子供にとってそれがどれほどのストレスになることだろう。
出来る限り伸び伸びと過ごさせてあげたい気持ちでいっぱいになる。
今夜は昨夜渡せなかったお駄賃をちゃんとあげられた。
「またおてつだいしたい」と目をキラキラさせて喜んでくれる。
海苔がいっぱいとれたらいいねと私も希望を捨てずにいよう。
学校が休校になってから毎日のように好きな絵を描いていた。
「ドラえもんとなかまたち」我が孫ながら最高に上手。
2020年03月09日(月) |
あどけない寝顔が愛しくて |
晴れのち曇り。お天気はまた下り坂のよう。
雨の気配を感じながら窓辺でこれを記している。
めいちゃんはお父さんとお風呂。はしゃぎ声が聞こえている。
あやちゃんは夕飯前に眠ってしまってそろそろ目を覚ますだろうか。
今日は川仕事の後の作業を娘と手伝ってくれたようだ。
収穫量がわずかだったので娘に任せて山里の職場へ走っていた。
おかげで急ぎの仕事も無事に終えてほっとして帰宅。
家の前の路地で自転車の練習をしていたあやちゃんが
「おばあちゃん5百円ちょうだいね」と言うので
てっきり自転車が上手に乗れるようになったからだと思って
「おかあさんにもらいなさい」と言ってしまったのだ。
でもそれは違った。いっぱいお手伝いをしたからだったのだ。
勘違いとは言え子供心を傷つけてしまって深く反省。
あやちゃんはショックだったようで嘆いていたと後から娘から聞く。
ごめんねあやちゃん。お手伝いしてくれてありがとうね。
あやちゃんが目を覚ましたらそう伝えようと思う。
お手伝いをいっぱいして自転車も上手に乗れるようになって
今日はちょっと疲れてしまったようだ。
あどけない寝顔を何度ものぞきに行きながら愛しさが込み上げてきた。
2020年03月08日(日) |
こんなにも平和なのに |
雨あがりの朝。青空が広がりすっかり春の陽気となる。
ご近所さんの庭に日に日に花が増えていくのが嬉しい。
我が家の葉牡丹もにょきにょきと伸びて黄色い花が咲いた。
今日も川仕事。海が荒れていたせいか川の水が引かない。
一時間ほど潮待ちをしてやっと船を漕ぎ出す。
昨夜の雨で川の水が濁っていたけれどなんとか収穫する。
収穫を再開したばかりだというのに今後の目処が立たない。
明日を区切りにまたしばらく休むことになりそうだ。
二足の草鞋を履く覚悟も出来たと言うのに途惑うばかり。
今日も作業場に娘と孫たちが来てくれてにぎやか。
天日干しの作業を手伝ってくれて助かった。
わずかな海苔だったけれど陽射しをいっぱいに浴びて嬉しそう。
もっともっと手伝いたいと言う孫たちに「もうお終い」は残念。
午後は買物を済ませてからたっぷりとお昼寝。
それから早めにカレーを作る。甘口と辛口とふたつのお鍋。
あやちゃんが三杯もおかわりをしてすごい食欲だった。
大相撲が終わってちびまるこちゃん。
こんなにも平和なのにと世の中の不安が嘘のように思える。
平穏無事をかみしめながら暮れなずむ空を仰いでいた。
2020年03月07日(土) |
猫たちの笑顔を借りたい |
曇りのち雨。ぽつんぽつんと雫のような雨がいまも降っている。
そんな雨音を聴いているだけで身も心も癒されるようだ。
幾日ぶりだろうか、久しぶりの川仕事へ。
やはり海苔の状態は良くないけれどなんとか少し収穫をする。
川底には網から落ちた海苔がまるで死骸のように沈んでいた。
弱り果てて落ちるしかなかった海苔が憐れでならない。
作業場まで戻ると娘と孫たちが遊びに来てくれてそれはにぎやか。
娘は手伝ってくれるつもりで来てくれたのに
収穫量が少なく私ひとりでじゅうぶんだった。
孫たちのはしゃぎ声が楽しく笑顔で作業をする。
猫の手も借りたい忙しさはなくても猫たちの笑顔は嬉しいものだ。
お昼前には作業が終わり山里の職場へ行けたけれど
無理はするまいと午後はゆっくりと休むことに決める。
買物に行ったついでに美容院へ寄り髪をカットしてもらった。
2センチの憂鬱もあっという間に軽くなり生まれ変わった気分。
買物をしていたらトイレットペーパーもティッシュもちゃんとあった。
慌てて買い急ぐ人もいないようでもう大丈夫だろうとほっとする。
マスクで顔を覆った人ばかり。子供のマスク姿も多かった。
マスク売り場にマスクはない。この現状をどうしてくれよう。
県内のコロナ感染者がまた増えて今日は10人になった。
おそらく日に日に増えていくだろうけれど
世界的に見てもほぼ80%が軽症なのだそうだ。
コロナイコール死ではないことが唯一の救いに思える。
とにかく免疫力を高める努力をして立ち向かっていかなければ。
元気いっぱいの孫たちの笑顔をなんとしても守ろうとおもう。
2020年03月06日(金) |
やはり私は試されているのだろう |
冷え込みの厳しい朝だったけれど日中は春の陽気。
陽だまりでずっと日向ぼっこをしていたいほど。
「猫になりたい」という歌があったのをふと思い出す。
仕事を終えて帰宅するとあやちゃんが
お昼にじいちゃんとチャーハンを作って食べたとのこと。
今まで食べたチャーハンでいちばん美味しかったそうだ。
「せかいいちおいしかった」と言うので思わず笑みがこぼれる。
プチドライブも兼ねて海苔の様子も見に行っていたよう。
品質はかなり悪いけれど収穫出来ないこともないと言うので
たとえわずかでも明日からまた収穫を始めることになった。
職場の忙しさもあり明日も出勤する段取りで帰って来ていたので
少しパニック気味になりながら義父と同僚に電話をする。
義父が「諦めたらいかんぞ」と言ってくれてとても心強い。
やっと二足の草鞋を履く覚悟が出来たように思う。
やってやれないことはないだろう。弱音を吐かずに頑張ってみよう。
やはり私は試されているのだろうとつくづく思う。
神様は乗り越えられない試練を与えないのだそうだ。
肝がすわったような心持になりなんだか晴々とした気持ち。
とにかく目の前のことに立ち向かっていかなければいけない。
2020年03月05日(木) |
冷たい北風もなんのその |
啓蟄と聞くとほっと春を感じるけれど思いがけず
寒の戻りがあり冷たい北風の吹く一日だった。
国道沿いの白木蓮の花が散り始めていた。
花の命は儚いものだなとせつなくおもった朝のこと。
めいちゃんは元気に保育園へ。
あやちゃんはじいちゃんとお留守番。
例年なら川仕事の最盛期なのだけれど
不漁も良かったのかもしれないとふとおもう。
学童もお友達と肩を寄せ合って遊ぶわけにもいかないようで
だからと言って独りで留守番などどうしてさせられようか。
仕事は今日も多忙。ただただ嬉しい悲鳴をあげるばかり。
出来ることを精一杯に。決して頑張ってはいないのだけれど。
帰宅したら娘とあやちゃんが洗濯物をたたんでくれていた。
休校のあいだ家のお手伝いをすると決めたのだそう。
微笑ましい姿を見るとほんわかと一日の疲れが癒される。
夕飯は野菜たっぷりの煮込みラーメン。
家族みんなでわいわいとこころもからだも温まる。
今日も「いい日」でした。ありがとうございます。
2020年03月04日(水) |
ささやかなことに楽しみを見つけよう |
目覚めた時にはしとしとと雨が降っていた。
雨音が優しくこころに沁みる。泣いているのではない
雨は微笑んでいるのだとおもった朝のこと。
出勤時間になりめいちゃんまだはだかんぼうで朝食も食べておらず
先に出掛けようと思っていたら「おばあちゃんといきたい」と
嬉しくなって待つ。たまには遅刻も良いだろうと時間も気にせず。
あやちゃんはとうとう今日から休校になってしまった。
早起きはしたもののパジャマのままでタブレット三昧。
それではいけないと娘に叱られしぶしぶと着替えていた。
今日は娘がお休みなので家で過ごすことにして
学童は来週から行くことに決めたのだけれど
なるべくなら集団生活を避けたほうが良さそうに思う。
県内で小学生のコロナ感染が発表されたばかりで
ひしひしと不安がつのる。もう決して他人事ではなくなった。
なんとしても孫たちを守りたい気持ちでいっぱいになる。
仕事を終えて帰宅。今日も多忙だったけれど疲れは感じず
毎日がやりきった達成感に満ちていてとても有意義に思う。
ストレスを感じずに仕事が出来るのはほんとうにありがたいこと。
決してご馳走ではない質素な夕食。
それでも誰も文句も言わず食べてくれるのが嬉しい。
ささやかなことに楽しみを見つけよう。
何があっても笑顔で乗り越えようと思っている。
2020年03月03日(火) |
とにかく前を向かなければ |
晴れのち曇り。すっかり春の陽気となりぽかぽかと暖かい。
白木蓮に続き雪柳の花も咲き始めて朝の道も嬉しくなる。
「おひな祭り」保育園で浴衣を着て踊るのだと言って楽しみに
めいちゃんいつもより早く準備をして元気に登園する。
平和だなとつくづくと思う。コロナの事など忘れてしまいそうだ。
仕事は今日も多忙だったけれど順調にはかどりほっとする。
すでに来週の予定もぎっしり。なんとか乗り越えられるだろうか。
帰宅してじいちゃんに海苔の様子を尋ねてみたけれど
まだ回復は見られず日に日に弱っているようだった。
諦めずに希望を持とうと思っていても前途が暗いままで
最悪の場合の覚悟もしておいたほうが良いのかもしれない。
二足の草鞋を履く自信がなくなんとかならないものかと
思ってはいたけれどまさかこんなことになるとは思ってもいなかった。
これも天の定めか。受けとめつつ前を向かなかればとつよく思う。
夕飯は孫たちの好きなイクラの手巻き寿司に。
あやちゃんが「ぜいたく〜」と声をあげながらたくさん食べてくれる。
ささやかだけれど家族でおひな祭りが出来て良かった。
平穏無事をかみしめながら今日も暮れていく。
不安なことばかりにとらわれていてはいけないのだ。
2020年03月02日(月) |
ふと現実を忘れるほどに |
弥生三月らしい暖かさとなる。
優しい陽射しを浴びながらふと現実を忘れるほどに。
仕事の予定が詰まっており山里の職場へ。
川仕事の目処が立てばそちらを優先しなければならず
明日はどうなることやらとなんだか落ち着かない。
そんな日に限って仕事が順調にはかどらず少し苛立つ。
とにかく今日の事をと精一杯の一日だった。
お昼に気分転換をと職場のパソコンでネットを開いたら
思いがけないメールが届いていてとても嬉しかった。
送信日は昨日の朝。気づくのが遅くなってしまい申し訳ない。
取り急ぎ返信はしたものの言葉足らずではなかっただろうか。
昨年の秋から同人誌に短歌を載せてもらっている。
その拙い短歌を「好きだ」と言ってくれるひとが居てくれたのだ。
いつも自信がなく揺らぎ続けている私にとってそのメールが
どんなに励みになったことだろう。救われたような気がする。
いや確かに救われたのだ。私はこのまま書き続けても良いのだと
そっと背中を押してもらったのだと思う。なんとありがたいこと。
けれども私は自信を持ってはいけない。己惚れてはいけない。
私はわたしのままでありのままを詠い続けようと思う。
不安や心細さをそのままに「いのち」を伝えられるように。
自信にあふれたひとの言葉は誰の心にも響かないことを
わたしはすでに知っているから。
2020年03月01日(日) |
ありがたく手を合わせて |
曇り時々雨がぽつぽつ。陽射しがないとやはり肌寒い。
そうして弥生三月が始まる。カレンダーには桃の花が微笑む朝。
川仕事の目処が立たずのんびりの日曜日だった。
しばらく様子を見ながらまた収穫を始めたいと思っている。
このまま諦めるわけにはいかない。きっとだいじょうぶだろう。
朝のうちに買物に行ったら異常な光景を目にして驚く。
開店と同時に流れ込む人々。紙製品の棚はすでに空っぽだった。
高齢の女性が困って嘆いていたりあんまりではないかと心が痛む。
マスクが不足しているのは仕方ない事だとしても
デマが飛び交い紙製品を買い占めるのはもってのほかだと思う。
殺気立った人々の姿を見ているとなんだか悲しくなってしまった。
我が家は今のところ大丈夫。そのうちデマも薄れていくだろう。
国中がパニックになっているのを少しでも改善されることを願う。
気分転換も兼ねてじいちゃんとプチドライブ。
隣町に住む叔父を訪ねて元気な笑顔にも会うことが出来た。
叔父の家庭菜園には豌豆の白い花が可愛らしく咲いていた。
港町ののどかな風景をたのしみながらゆっくりと帰って来る。
夕飯前にめいちゃんが苺をひとパックぺろりと平らげる。
「めいはおみかんよりいちごがすき」と言うのでまた買って来よう。
夕飯は鉄板焼き。お肉やウィンナーを焼いてわいわいと楽しい。
こんなにも平和なのだ。ありがたく手を合わせてごちそうさま。
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