2019年12月30日(月) |
「ごくろうさま」そして「ありがとう」 |
まるで春先のような優しい雨の一日。
少しぐらい濡れても平気と雨をたのしんでいた。
仕事納め。なんだかずっと旅をしていて
やっと目的地に着いたような安堵感。
今年もやれるだけのことをやったのだと
心地よい達成感もあった。
同僚と掃除をしてお昼には終えることが出来る。
「ごくろうさま」そして「ありがとう」
同僚のおかげでこの一年どんなに助かったことだろう。
帰り道に母を訪ねて無事に仕事納めが出来たことを伝える。
「えらかったね。よくやったね」とまるで子供をほめるように
それが照れくさくもありとても嬉しくおもう。
もうどこにも帰る家のない母が憐れにも思ったけれど
「ここが私の家だから」と言ってくれてとてもほっとする。
紅白に大好きな三山ひろしが出るのを楽しみにしているようだ。
お正月にはまた会いに来る約束をして家路についた。
今年はじいちゃんの入院騒ぎもあったりで大変だったけれど
母は元気でいてくれて落ち着き場所が決まってほんとうに良かった。
娘夫婦、息子夫婦、孫たちも元気でいてくれて
みんな笑顔で穏やかに新年を迎えられそうだ。
自分がどれほど恵まれているかを思い知らされる一年でもあった。
大きな災害があるたびにどんなにこころを痛めたことだろう。
あたらしい年がやってくる。ただただ平穏無事を祈るばかり。
この一年を締めくくるには拙い日記になりましたが
いつも読んでくださっている皆さまほんとうにありがとうございました。
「ゆらゆら日記」も来年には18年目に突入します。
ながいことこうして書き続けてこられたのも
ひとえに皆さまのおかげだと思っています。
どうか穏やかによいお年をお迎えくださいね。
2019年12月29日(日) |
すくっと前を向いている |
曇り日。肌寒く一日中暖房のお世話になる。
明日は雨とのこと。冷たい雨になることだろう。
今日も最小限の家事を。娘から言われていたので
トイレとお風呂掃除だけはなんとか済ませる。
後は炬燵に潜り込んで寝てばかりの一日だった。
午後、あやちゃんがお友達の家に遊びに行くと言う。
子供同士の約束なのでお友達のお宅に迷惑をかけそう。
気になって電話をしたらお友達のお母さんが是非にと。
隣の地区まで遠いのでクルマで送って行くことに。
めいちゃんが大泣き。一緒に遊びたかったようだ。
かと言ってめいちゃんまで押しかけるわけにはいかない。
じいちゃんとふたりで宥めていたらやっと泣き止んでくれる。
話せばちゃんとわかる聞き分けの良さ。大きな成長に思えた。
仕事だった娘が帰って来て「えらかったね」と抱きしめる。
今日のめいちゃんはほんとうに我慢してえらかったなと思う。
完璧には程遠いけれどまあまあ綺麗になったお風呂場で
湯船に浸かりながらこの一年を思い起こしていた。
いろんなことがあったけれど乗り越えて来たのだなと
感慨深く思う。過ぎてしまえばすべてが思い出になる。
明日は仕事納め。わたしはすくっと前を向いている。
2019年12月28日(土) |
さらりさらりと流れる川に |
風もなく穏やかな晴天。優しい陽射しが降りそそぐ。
雲ひとつない空を見あげているだけでほっこりと暖かい。
大掃除はしないと決めているので最小限の家事を。
それは普通の主婦なら当たり前のことなのかもしれないけれど
普段から掃除を怠けている私には少し特別なことであった。
埃だらけの床の間を片づけ早々と鏡餅を供える。
もうそれだけでじゅうぶんに思えていた。
冬休み中のあやちゃんと三人で昼食。
パスタを茹でてレトルトのミートソース。
そんな手抜きでも喜んで食べてくれて嬉しかった。
めいちゃんは今年最後の保育園に行っていてお迎えに。
担任の保育士さんが「よいお年をね」と言ってくれたのだけれど
その意味がわからないめいちゃん。「よいおとしってなに?」
もうすぐお正月が来ることをおしえると「ふ〜ん」と言って。
まだお正月の意味もわからない。それも微笑ましくあった。
午後は孫たちをじいちゃんに託したまま炬燵でお昼寝。
言葉に出来ないような倦怠感。とにかく休まなくては。
2時間ほど眠っただろうか、すっかり元気になっていた。
暖かな西日に誘われるようにお大師堂へ。
昨日いとこ夫婦が拭き掃除をしてくれていてとても助かる。
花枝に千両の紅い実を添えて新年を迎える準備も出来た。
トイレ掃除だけは毎年の私の役目でそれも済ませる。
鏡餅はSさんが大晦日までに供えてくれるとのこと
みんながそれぞれに出来ることをして一年を終えようとしている。
お大師さんにこの一年の感謝を込めて手を合わせた。
こころを込めて般若心経を唱える。
川面には西に傾いたおひさまがきらきら
さらりさらりと流れる川の水にふと我が身を浮かべた午後のこと。
2019年12月27日(金) |
なんたってお歳暮ですよ |
夜のうちに雨はあがり強い北風が吹き荒れる。
日中も冷たい風が身に沁みる冬らしい一日だった。
寒い風の中ジャンバーも羽織らず登園するめいちゃん。
まさに子供は風の子と絵に描いたような姿だった。
年末の仕事をそれなりに終えてほっと肩の荷がおりる。
資金繰りはやはり苦しかったけれどなんとか支払いを済ませ
同僚にお給料と少しだけれど寸志もあげることが出来た。
「少しだけれどごめんね。寒い思いをさせてごめんね」
労う気持ちが伝わったのだろう。にっこりと微笑んでくれた。
帰る時にクルマの助手席にお米が載っていてびっくり。
同僚がお昼休みに自宅から持って来てくれたらしい。
「お歳暮だよ」と。なんと嬉しいことだろう。
同僚の手作りのお米をありがたくいただく。
帰り道のなんと清々しいこと。
ああいい日だったなあと心からそう思った。
同僚は明日も出勤して仕事を終わらせてくれるそう。
月曜日にはビールをもって行こうと思う。
私からも「お歳暮ですよ」って渡したくてたまらない。
2019年12月26日(木) |
私は決して頑張りません |
雨が降ったりやんだり。寒さも感じず優しい雨だった。
例年なら初雪が降る頃。暖冬らしい空模様が続いている。
娘たちの年賀状がやっと仕上がり一枚は母に。
めったに会えないひ孫の姿にきっと喜ぶことだろう。
「ひいばあちゃんげんきですか」あやちゃんが書いてくれた。
年内の仕事も大詰め。今週中になんとか終えられそうだ。
事務仕事はたいして忙しくはないのだけれど
車検を終わらせようと同僚が一生懸命がんばってくれている。
ボーナスをあげられたらどんなに報われることだろうか。
厳しい経営難のうえに明日は年末の支払いが待っている。
仕事を終えて帰宅したらほのかにワックスの匂いがする。
お休みだった娘が床をきれいに磨いてくれていた。
まさに「夢に餅」思いがけなくてとても嬉しかった。
大掃除はしないと決めていたからどんなに助かったことか。
「トイレとお風呂場くらいはしなさいよ」と娘に言われる。
怠け者の私でもやれば出来るのかもしれない。
でも一昨年の大晦日に寝込んでしまったことが頭をよぎる。
あれもこれもと頑張り過ぎてしまったのだろう。
正直言ってこわいのだ。不安ばかりがつのり自信はない。
この弱気は何だろうと自分が情けなくてたまらないけれど
なんとしても元気に新年を迎えたいのだった。
だいじょうぶ。私は決して頑張りません。
2019年12月25日(水) |
おばあちゃんはダサイ |
夕方から雨が降り始める。ずいぶんと暖かな雨。
天気予報では大晦日あたりから寒波が到来するとのこと。
真冬らしい厳しい寒さの年明けになりそうだ。
今朝はおおはしゃぎの孫たち。
サンタさんからプレゼントが届いていて大喜びしていた。
私も娘に頼んで一緒に置いてもらっていたのだけれど
あやちゃんにパジャマ。めいちゃんにトレーナー。
それがすっかりあやちゃんにバレてしまっていて
「おばあちゃんはダサイ」と言われてしまった。
またまた笑ってごまかすしかない。
めいちゃんは気に入ってくれて早速着て登園してくれた。
仕事を終えてスーパーに寄るともうすっかりお正月商戦。
早めに数の子を買っておく。昆布巻き用の材料も。
大晦日の混雑をおもうとめまいがしそうだった。
毎年の事だけれど大晦日にはもう買い物に行かない。
押し寄せるように迫って来る年末。
慌ただしい思いをするのはごめんだなと思っている。
たとえお正月準備を何もしなくても新年はやってくるのだもの。
ゆったりと落ち着いた気分で新年を迎えたいものだ。
2019年12月24日(火) |
毎日が贈り物のように過ぎていく |
すっきりとは晴れず。それでも日中はぽかぽかと暖かい。
あたりいちめんが雀色。冬枯れた景色もまたよいものだ。
クリスマスイブ。保育園でクリスマス会があるのだと言って
めいちゃん大喜びでとても楽しみに登園する。
どんなにか楽しい一日だったことだろう。
仕事を少し早めに終わらせてもらって
ローストチキンを買って帰る。
市内でも有名な「ちきん館」はとても混雑していた。
後はお寿司にしてじゅうぶんなご馳走だと思っていたけれど
娘が「たったこれだけ」と言って不満そうな口ぶり。
なんだか子供みたいだなと可笑しくなる夕暮れ時のこと。
いくつになってもイブが楽しみだったのだろう。
今夜は眠っている間にサンタさんが来てくれるのだと
孫たちがとても楽しみにしている。
純真な子供心にサンタさんの存在がとても微笑ましく思う。
私もはっきりと憶えている。最後のクリスマスプレゼントは
「星の王子さま」と言う本だった。
母が買ってくれて枕元に置いてくれたことを知っていたけれど
それが最後のプレゼントだったとは思いもしなかった。
12歳のクリスマス。サンタさんは確かに存在していた。
いまは毎日プレゼントをもらっているように幸せな日々。
この贈り物のような日々にひたすら感謝している。
2019年12月23日(月) |
急ぐこともないだろう |
雨あがり。朝陽が射し始めるとあたりがきらきらと輝く。
通勤路の山道はまるで虹の中を走っているようだった。
年末が近づいているせいかお遍路さんの姿が殆ど見られず
通いなれた道にふと寂しさを覚えるこの頃。
ぼちぼちと仕事。いつもの年末と違うように感じるのは
やはり母が居ないせいだろうとふと思った。
資金繰りの辛さに加え母の浪費癖が酷くて
ぶつかり合い口争いの絶えなかった事も今では懐かしい。
もう母と向かい合って仕事をすることもないだろう。
だからこそこの経営難をなんとしても乗り越えようと思う。
少し残業になり帰宅。ホームセンターで腐葉土を買ってきたので
一昨日買った葉牡丹を植えたかったけれど出来なかった。
少しだけ休もうと炬燵に潜り込んでしまうとまた起き上がれない。
週末まで置いておこうか。急ぐこともないだろう。
夕飯にカマスの塩焼き。孫たちにも一匹ずつお皿に。
時々はそうしてお魚をきれいに食べる練習をしている。
めいちゃんは苦心していたけれどあやちゃんはなんとか。
骨だけになったお魚が喜んでいることをおしえる。
お風呂上がりの孫たちのはしゃぎ声。
いつもと変わらない平和な夜にこれを記す。
今日も「いい日」でした。ありがとうございます。
2019年12月22日(日) |
希望を持って春を待とう |
冷たい雨が降りやまず冬至らしい寒さ。
一年で最も昼が短い日。そうして少しずつ春に向かっていく。
午前中はじいちゃんと一緒に買い物へ。
「荷物持ちだな」としぶしぶだったけれど嬉しい。
年末はどこのお店もすごい混雑するので
酒類など早めに買いそろえておきたかった。
雨の中、ビールやお米など重い物を運んでくれる。
ずいぶんと助かりとてもありがたかった。
買い物を終えてから海苔の漁場を見に行く。
一週間前に張り終えた海苔網の緑がほっと嬉しい。
順調に生育しているようで何よりに思う。
希望を持って春を待とうとうなずきあったことだった。
午後はぬくぬくの炬燵に潜り込みまたうたた寝。
家事らしいことは殆どせずひたすら怠惰に過ごす。
義父から電話があり母に会いに行ってくれていたそう。
本音を言えばもっともっと気にかけてあげて欲しいけれど
多忙な義父に無理も言えずやっと今日それが叶った。
母にもきっと春が来るだろう。
思うように動けず今は辛いだろうけれど
暖かくなれば痛みも無くなり楽になるだろうと信じている。
「悪いこと」「いいこと」私はあまり区別せずに生きている。
何があっても受けとめる心さえあれば乗り越えられるのだもの。
今日も「いい日」でした。ありがとうございます。
家族みんなで柚子湯で温まりました。
2019年12月21日(土) |
あしたがあるさと思って |
曇り日。午前中は陽射しがあったけれど午後はどんより。
明日は雨の日曜日になりそうだ。
大掃除などしないと決めてからずいぶんと気が楽。
年末の気忙しさから少しでも解放された気がする。
午前中はめいちゃんと一緒に買い物。
ホームセンターで葉牡丹とビオレを買った。
本屋さんに家計簿を買いに行ったら
めいちゃんが絵本のコーナーに釘づけになる。
サンタさんの絵本がとても気に入ったようす。
「買おうかね」と言うと「うん!」と喜んでくれた。
午後は炬燵に潜り込んでしまうともう起き上がれず
自分でも納得がいかない重だるさは何なんだろう。
「いつものことだろう」と笑い飛ばしてくれるじいちゃん。
今日は21日でお大師さんの縁日だった。
今年最後の縁日なので「終い弘法」と言うらしい。
今朝はお参りに行こうと決めていたのに結局行けなかった。
なさけないような申し訳ないような複雑な気持ち。
出来ないことがあってもよい。自分を責めるのはよそう。
そう言い聞かせてみると「まあいいか」と思えるようになる。
お大師さんもきっとゆるしてくれることだろう。
今日のことはもうおしまい。あしたがあるさと思って
じたばたしなくてもあたらしい年がきっとやってくる。
冬晴れ。気温は平年並みとのこと。それでもずいぶんと暖かい。
冬の花の少ないこの時期。真っ赤に熟れた南天の実にこころが和む。
あやちゃんのジーパンやっぱり駄目だった。
今朝は「リサイクルショップに持って行けば」と言う始末。
娘の提案でお店に相談して取り替えてもらうことにして一件落着。
今日もぼちぼち仕事。なんとか残業を免れて
やっと母に会いに行くことが出来た。
「無理に来なくてもいいのに」と口では言っていても
やはり嬉しかったのか満面の笑顔で迎えてくれる。
腰の痛みは少し和らいでいるようでほっとする。
介助がなくてもベットから起き上がれるようになっていた。
昼食は大好物のカレーだったそうでとても美味しかったと。
満喫とは言えないまでも母の暮しが落ち着いているのが何より。
話し相手が欲しいだろう。友達もいなくて寂しいだろう。
プライバシーはしっかりと守られているようだけれど
それも良し悪しではないかとふと考えさせられる。
「友達なんていらない」と母は言うのだけれどなんだかせつない。
母に会えたことでとてもほっとして家路を急いだ。
今日は夕焼け空がきれい。飛行機雲がふたつも見えた。
ご近所さんで薪でお風呂を沸かしてるお宅があって
煙突から煙がたなびいているのを見るのが好きだ。
のどかで平和な夕暮れ時のこと。
今日も「いい日」でした。ありがとうございます。
2019年12月19日(木) |
あしたは明日の風が吹く |
曇り日。時おり陽射しがあるもののすっきりと晴れず。
どんな空の時もあってよし。ありのままがいちばんなのだ。
仕事が忙しく少し残業になってしまう。
今日も母のところに寄れず気がかりでならない。
何かあれば電話があるだろうと義父は言うけれど
母が寂しがっているのではないかと気がかりなのだった。
そう言いつつ母を恋しがっている自分に気づく。
まるで少女の頃のような自分がいた。
帰り道に西松屋へ寄りあやちゃんのジーパンを買う。
お気に入りのジーパンを今朝は洗濯していて
ひどく不機嫌だったので洗い替えをと思ったのだった。
きっと喜んでくれると信じていたけれど
意に反し「こんなのじゃだめ」と言い放つ。
「おばあちゃんはセンスがない」とまで言う始末。
ちょっとした反抗期なのかもしれない。
それも成長の証だと思ってただただ苦笑いをするばかり。
娘が明日の朝にはきっと穿いているよと笑っていた。
明日の朝を楽しみにしていましょうか。
夕焼け空は見えなかったけれど今日も平穏無事に暮れていく。
日々がとんとんとんと単調に過ぎていくばかり。
そんな平凡こそが幸せなことなのだろう。
2019年12月18日(水) |
笑ってごまかすしかない |
くもりのち晴れ。今日も異常なほどの暖かさとなる。
ぽかぽか陽気に誘われて蝶々が飛んでいるのを見た。
めいちゃんを保育園に送り届けてから山里の職場に向かう朝。
保育園にはすぐに着いてしまうけれど車中のおしゃべりが楽しい。
車から降りるなり駆け出して行く姿はやっぱりうさぎさんのよう。
仕事はぼちぼちの忙しさ。年賀状を投函したのでほっとする。
仕事納めは30日になりそう。気持ちよく新年を迎えたいものだ。
母の様子が気になり帰り道に寄りたかったけれど
今日はあやちゃんの下校時間が早く家路を急ぐことに。
じいちゃんが留守だったので独りにさせるわけにはいかなかった。
3時過ぎには「ただいまあ」と元気に帰って来る。
それでも最近は少しお疲れ気味のようで
今日も宿題を後回しにして毛布をかぶってうたた寝をしていた。
冬休みまでもう少し。早くゆっくりと休ませてあげたいものだ。
娘が遅くなる日で一人で夕食の支度を頑張る。
手抜き料理だけれどそれなりに美味しそうに出来た。
でもあやちゃんは気に入らない様子。
娘が「おばあちゃんがいっしょうけんめいつくったのよ」と
言ってくれてやっと箸を付けてくれた。
手抜きがすぐにバレてしまうのだ。笑ってごまかすしかない。
おばあちゃんはもうそんなに頑張れなくなって
張り切ることもしないですっかり怠け者になりました。
そんなふうにしながら自分のからだを守っています。
曇りのち雨。12月とは思えないほどの暖かさとなる。
なんだか大きな地震でもあるのではないかとふと不安になるほど。
今朝は「乾太くん」の本稼働。そのパワーに感動さえ覚える。
出勤前にはもう洗濯物がふっかふかに乾いていた。
嬉しくてならない。思い切って購入してほんとうに良かった。
仕事を少し早めに終わらせてもらっていつもの病院へ。
ひと月がとても早く感じる。もうお薬が無くなっていた。
主治医との面談でもうビタミン剤の処方が出来なくなったとのこと。
12月から法律なのか法規なのか変更になったそうで
市販で手に入る薬を病院では処方が禁止になったのだそう。
私の服用していたのは「アリナミン」と同じ成分だったそうで
薬局で購入することは出来るけれど飲み続けるには高価だった。
「困ったどうしよう」とすっかり困惑していたら
主治医の先生がにっこりと笑って「だいじょうぶですよ」と。
そうして「元気が出るおくすり」を処方してくれたのだった。
そう聞いただけで元気が出てくる魔法のお薬のようだった。
長いおつきあいの先生は私が暗示にかかりやすい事を知っていて
そう言ってくれたのだと思う。なんとありがたいことだろう。
体調の不安は常にあって死の恐怖もつきまとう日々。
それでも欲張りなものだから長生きがしたくてたまらない。
空元気は大嫌いなものだからいつも正直に向き合ってきた。
お薬に頼るばかりで情けないと思う時もあるけれど
ひとつひとつのお薬のおかげでこうして元気でいられるのだもの。
元気に年の瀬を乗り越えましょう。
まだまだわたしはくたばりませんよ。
2019年12月16日(月) |
我が家に「乾太くん」がやって来ました |
晴れのち曇り。今夜には雨が降り出しそうな空模様。
寒さは和らいでいるはずなのだけれどなんとなく肌寒い。
仕事を少し早めに終わらせてもらっていそいそと帰宅する。
今日はガス屋さんが来てくれて乾燥機を設置してくれていた。
娘が休みで家に居てくれたけれど気になってしょうがない。
カタログでは見ていたけれど早く実物が見たくてたまらなかった。
工事は一日がかりだったようで夕方になりやっと終了。
さっそく試運転をすることになって生乾きの洗濯物を入れてみる。
まるで我が家がコインランドリーになったような嬉しさ。
夕食の支度をしているうちにすっかりふかふかに乾いていた。
娘とふたり手を取り合うように喜んでもう雨の日も大丈夫。
なんとも頼もしい見方が出来た。名前は「乾太くん」だ。
家族6人の大量の洗濯物。雨の日は車に積んで出勤していた。
梅雨時などはもう大変でコインランドリーの順番待ちも。
どんなに仕事で疲れていても洗濯物を乾かさなくてはいけなかった。
それが少なからずストレスになっていたことを思い出す。
「ようこそ乾太くん」明日は雨の予報なので頼りにしていますよ。
2019年12月15日(日) |
ゆっくり慌てずに日々のことを |
冷たい北風さんはどこへ行ったのやら今日もぽかぽか日和。
暖かいのは嬉しいけれどいつまた寒気が襲ってくるのやら。
そう思うとやはり冬らしい寒さがふさわしいようにおもう。
予定通りに川仕事の最終日。
漁場にすべての海苔網を張り終えてほっと安堵する。
じいちゃんと顔を見合わせて「やったね」と声を掛け合う。
後はひたすら海苔の順調な成育を待つばかりだった。
大幅に減作をしたので例年通りの収穫はとても無理だろう。
それでも希望を持って春を待ちたいとおもう。
午後はまた炬燵でお昼寝。じいちゃんもぐったりしていた。
ふたりとももう若くはない。体力勝負をする歳でもなかった。
ただやれば出来たという心地よい達成感があるだけ。
お父さんと初めての魚釣りに行っていた孫たちが帰って来る。
あやちゃんは一匹だけ釣れたけれどめいちゃんは駄目だったよう。
得意顔のあやちゃんにふてくされるめいちゃん。
晩ご飯に煮付けたらめいちゃんはひどくご機嫌斜めだった。
「はんぶんこしようね」とやっと笑顔になってくれる。
釣ったお魚は粗末にしないこと。残さず食べてあげること。
娘がそう言い聞かせていた。お魚さんも喜んでいることでしょう。
夕焼け空がきれい。今日も平穏無事に暮れていく。
どんどんと年末が近づいてくるけれど
ゆっくり慌てずに日々を愛しみながら過ごしていきたいものだ。
2019年12月14日(土) |
もうひとふんばりなのです |
朝の寒さもつかの間。日中は今日もぽかぽか日和となる。
夜になってもあまり気温が下がらず暖房がいらない。
お風呂で温まって愛用のちゃんちゃんこを羽織ればじゅうぶんだった。
今日も川仕事へ。順調にはかどりほっとしている。
明日で終わりそうなのでもうひとふんばりだった。
お仲間さんのいとことお孫さんの姿。
若者は溌剌としていて頼もしく見えるけれど
80歳近くなったいとこがなんだか憐れに見える。
誰にだって限界はある。いとこも辞めることを考えたらしい。
でもお孫さんが「俺がやるから」と言ってくれたそうだ。
後継者問題は深刻で、我が家もいつまで続けられるやら。
その前に海苔の絶滅もあり得て未来はそう明るくはない。
それでもみんな諦めずに一生懸命がんばっているのだ。
程よい疲れもあり午後はまた炬燵に潜り込む。
暇さえあればごろごろ寝てばかりいるものだから
家事も最低限で年末の大掃除などとても考えられない。
身体をいちばんに思って無理はしないことに決めた。
娘が帰って来て一緒に洗濯物をたたんでくれる。
やがて下田のおばあちゃんに預かってもらっていた孫たちも。
娘むこのお母さんは私と同い年なのにとても元気だった。
聞けば夜勤明けだったそうで頭が下がる思い。
快く孫たちを預かってくれてほんとうに助かっている。
娘むこは会社の忘年会で5人で夕食。
あやちゃんがすごい食欲で大盛りチャーハンをぺろり。
今夜もみんなの美味しい顔が見られて嬉しかった。
「いい日」でした。ありがとうございます。
2019年12月13日(金) |
ぐっすりと眠りましょう |
たっぷりの陽射し。北風も和らぎぽかぽかと暖かい一日。
今年は暖冬なのだろうか。しばらくは穏やかな日が続きそう。
山里の職場を休ませてもらって川仕事に専念していた。
大潮だけれど川の水があるうちに作業が出来る。
先日よりずいぶんと楽だった。ありがたき浮力なり。
海苔の赤ちゃんも順調に育っていて嬉しい。
まるで我が子のように思って愛しさが込み上げてくる。
寒さはまったく感じずむしろ薄っすらと汗をかくほど。
喉の渇きに空腹も加わりふたりともふうふうとしていた。
それでも今日の目標を達成するとなんとも心地よいもの。
午後は炬燵に潜り込んでゆっくりと休む。
やがて娘とめいちゃんが帰って来てしばらくするとあやちゃんも。
年賀状用の写真を撮るのだとふたりとも着物を着て
めいちゃんが私の口紅を「かして」と言って愉快なり。
どんな年賀状が出来るのだろうと楽しみなこと。
晩ご飯。娘がさつま芋のシチューを作ってくれた。
私は豚バラ大根を作ったりほうれん草の胡麻和えも。
みんなでにぎやかな晩ご飯。笑顔がいちばんのご馳走。
お風呂の時間になってあやちゃんが寝入ってしまった。
無理に起こすのも可哀想でそっと寝かせてあげることに。
金曜日ともなるとやはり疲れが出てくるのだろう。
口では生意気なことも言うけれどやっぱりまだ幼さが残る。
お風呂上がりのめいちゃんがはだかんぼうで走り回っている。
おばあちゃんは日課の日記を書き終えました。
後はお布団に潜り込むだけ。今夜もぐっすりと眠りましょう。
2019年12月12日(木) |
溺愛することが愛ではない |
よく晴れてたっぷりの陽射しがありがたい。
陽だまりにいると暖かいのだけれど北風が冷たかった。
「北風と太陽」のお話を思い出すような冬の一日。
愛犬あんずの命日。もう7回忌にもなった。
たくさんの思い出の中でいまも走り回っている。
ペットロスという言葉があるけれど
私たち家族にはそれがなかった。
むしろ天寿を全うしたあんずを褒めたたえてあげていた。
人間よりもずっと短い寿命の犬の最期を見届ける
その覚悟がなければ犬を飼う資格がないとさえ思える。
厳しい言葉だけれど悲しんでばかりではいけないのだ。
溺愛することが愛ではない。そうつけ加えておこう。
お墓参りにも行かなかった。好物だったお饅頭も供えず
ただただあんずの思い出話をしながら夜を迎える。
あんずと遊んだことを憶えていないあやちゃん。
あんずの存在さえも知らないめいちゃん。
お父さんもお母さんも家族に恵まれ幸せに過ごしていますよ。
2019年12月11日(水) |
せつなくて優しくて穏やかな午後 |
曇り日。日中は暖かくなる予報だったけれど
やはり陽射しがないと肌寒く感じるものだ。
冬のおひさまのありがたさをつくづくと感じる。
仕事が早めに終われたのでやっと母のところへ。
午後から入浴があったそうでベッドで寛いでいた。
とても気持ち良かったと嬉しそうにしていた。
もう独りでの入浴は無理になってしまって
ヘルパーさんの介助がほんとうにありがたい。
腰の痛みはまだ続いており可哀想でならないけれど
歩行器をついて歩く時はまったく痛くないと言うこと。
寝たきりにならないようになるべく歩かせてくれているようだ。
皆さんとても親身に介護してくれていてただただ感謝しかない。
帰り際にホールに居た車椅子の老女と少し話をした。
いつも私の顔を見るたびに微笑んでくれる穏やかなひと。
手を握るととても冷たかったのでしばらくさすっていた。
少し認知症のようだけれどちゃんと会話が出来て嬉しかった。
「また来るね」と言うと「楽しみにしているから」と言ってくれる。
なんだか母がふたりいるような気がして胸が熱くなる。
もっともっとふれあいたいと心からそう思った。
ホールの窓から老女が手を振って見送ってくれる。
ふっと涙があふれてきた。せつなくて優しくて穏やかな午後のこと。
2019年12月10日(火) |
もう眠くなりましたよ |
日中はぽかぽかと暖かい今日も小春日和。
仕事の手を休めてはつかの間の日向ぼっこ。
どこからか猫がやって来ておいでおいでをしたら
にゃおんにゃおんと鳴いて可愛らしかった。
そういえば先日母を病院へ連れて行った時に
母が真面目な顔をして「猫のたたりかもしれん」と
主治医の先生に言っていたのを思い出した。
子供の頃に猫をいじめたことがあるのだそうだ。
先生が「そうかもしれませんね」と言って皆で笑ったっけ。
母の様子が気になりながらも今日も直帰する。
痛みが少しでも和らいでいることをただただ祈るばかり。
週末には川仕事を控えているのでそれまでに会いに行こう。
あやちゃんピアノ教室の日。ぎりぎりまでテレビを見ていた。
娘が「どうするの?ピアノやめるの?」と問うと
「やめない」と言って大急ぎで出掛けて行った。
先が思いやられるけれど楽しく続けて欲しいと願っている。
どんな習い事も「強制」があってはならない。
子供が進んでやりたいことをやらせてこそ伸びるのだと思う。
いつもならとっくにお風呂に入っている時間なのだけれど
ふたりとも子供部屋でそれぞれの机に向かっている。
お風呂は最後にふたりだけで入るのだそうだ。
ずいぶんと成長したものだなと微笑ましく思う。
おばあちゃんは焼酎を飲んでもう眠くなりましたよ。
2019年12月09日(月) |
微笑まずにはいられない |
今日も青空。日中は気温が上がりぽかぽかと暖かい。
お隣のアロエの花が咲き始めた。冬に咲く花だったのか
毎年見ているはずなのに忘れていてはっとおどろく。
川仕事の予定だったけれどじいちゃんの提案で延期。
あまりにも潮が引きすぎるので週末まで待つことに。
川の水があったほうがずいぶんと楽なので大賛成だった。
おかげで山里の職場に行ける。仕事も気になっていた。
月曜日のせいか来客も多く忙しい一日となる。
合間を見ては年賀状の宛名書きをしていた。
印刷ばかりではあまりにも味気ない気がして
宛名だけは毎年手書きにしている。
少しだけ残業になったけれど4時前に帰宅。
娘が洗濯物をたたんでくれていたのでほっと嬉しい。
「ゲゲゲの女房」の再放送に間に合って良かった。
炬燵に潜り込んで見る至福のひと時である。
5時を過ぎるとじいちゃんが一番風呂。
珍しくめいちゃんが一緒に入ると言っていたのに
「やっぱりやめた」と言って上半身裸で戻って来る。
そのまま上着を着ないで裸のままで晩ご飯を食べた。
そんな姿を見られるのもあとどれくらいだろうと思う。
愉快なめいちゃんに微笑まずにはいられなかった。
今日も穏やかないい日でした。ありがとうございます。
2019年12月08日(日) |
やってみないとわからない |
久しぶりの青空。朝は冷え込んだけれど日中は小春日和になる。
冬のおひさまはほんとうにありがたいものだ。
海苔の赤ちゃんが可愛らしく芽を出し
海苔網を漁場に張る川仕事に行っていた。
夜明けを待ちかねるように出掛けたけれど
思ったよりも潮が引いていて少し苦労する。
水の浮力がないと網がとても重くなってしまうのだ。
寒い朝だったけれど身体はすぐに温まる。
朝陽をいっぱいに浴びて精一杯に頑張った。
海苔の赤ちゃんが順調に育ってくれますように。
後は天に任すしかない。どうかどうかと祈るばかり。
今年は例年よりも減作をして全部で80枚ほど。
あと3日もあればすべてを張り終えられるだろう。
山里の職場も繁忙期なのでなんとか両立させたい。
今はまだ序の口。春の収穫期を思うと少し不安になる。
やってやれない歳ではもうなくなってしまったのだ。
でもやってみないとわからない。そう思うことにしよう。
夕飯はあやちゃんのリクエストで豚汁。
愛媛の麦味噌で作ったらほんのりと甘くて美味しかった。
こころもからだもぽっかぽか。今日も「いい日」でした。
二十四節気の「大雪」曇り空でしんしんと冷え込む。
おひさまが恋しい。明日は晴れてくれそうだ。
母の通院日。先月までお世話になっていた病院へ。
まだ腰の痛みが続いておりやっとこさ車に乗れた。
ヘルパーさんの介助がとてもありがたい。
血液検査、心電図等あれこれの検査を終えて
大好きな主治医の先生に会えた母はとても嬉しそう。
母の事をよく分かってくれている先生が
「お酒を一杯ひっかけたら痛みが治るかもしれんね」って
談笑が続きなんとも楽しい診察になった。
心臓の持病は落ち着いており次は二ヵ月後のこと。
私の負担も少なくなりほっと安堵する。
帰り道、買い物がしたいと言い出した母を宥めつつ
痛みが治まり歩けるようになったらと約束をする。
なんだか子供みたいな母が憐れでもあり愛しくもあった。
そうして母と半日を過ごす。ほっこりと穏やかな時間だった。
娘として出来ることを精一杯にと改めて思う。
また会いに行きましょう。いっぱいの笑顔で。
どんよりとした曇り日。寒さが身に染みる一日だった。
もう真冬なのだろう。明日はもう二十四節気の「大雪」
早起きをがんばっためいちゃん。今朝も元気に保育園へ。
今日は市内の小高い山へ登山に行く日だった。
みんなでバスに乗って登山道まで行くのをとても楽しみにしていた。
保育士さんからなるべく薄着で登園するように言われていたけれど
あまりの寒さに大丈夫だろうかと心配でもあった。
仕事は午前中でほぼ片づきいつもより早めに帰宅する。
風邪の引き始めだろうか寒さがとても身に堪えていた。
帰るなり炬燵に潜り込む。天国と思うほど暖かだった。
娘とめいちゃんが帰って来てそのまま外遊び。
窓から見るとジャンバーも羽織らず薄着のままだった。
やはりこどもは風の子。寒さを楽しんでいるよう。
やがてあやちゃんも帰って来て友達と遊びたいと
隣の地区の公園まで車で送って欲しいと言う。
もう4時半を過ぎていたので駄目だよと言うと
しばらくふてくされてぷんぷんとご機嫌ななめ。
また「おばあちゃんだいきらい」と言われそうで
はらはらしていたら娘がしっかりと宥めてくれて助かる。
晩ご飯にあやちゃんの大好きな南瓜煮を作る。
よほど嬉しかったのかご飯をおかわりしてくれる。
みんな笑顔。それがほっこりと暖かくって寒さも忘れていた。
今日も「いい日」になりました。ありがとうございます。
晴れのち曇り。陽射しがなくなるとやはり肌寒い。
すっかり葉を落とした銀杏の木が寒々と空を仰いでいた。
今朝もめいちゃんと保育園へ。
「おばあちゃんといく」と言ってくれると嬉しいものだ。
明日も一緒に行ってくれるかな。早起きがんばろうね。
仕事は今日もぼちぼちの忙しさ。
午後から自動車保険の新規契約がありお客さんのお宅まで。
先月から業務提携をしたプロ代理店の人と一緒に行く。
息子よりも少し若いかな。なかなかの好青年である。
今までは何もかも一人で対応しなければいけなかったけれど
頼もしい助っ人が出来てとても心強く感じる。
私にもしもの事があっても万全のフォローをしてくれるので
業務提携はいわば仕事の「終活」でもあった。
仕事を終えて帰宅すると娘が洗濯物をたたんでくれていた。
台所もきれいに片づけてくれていてほんとうにありがたい。
肩の力がすうっと抜けてしばしのコタツムリであった。
重いランドセルを背負ってふうふうとあやちゃんが帰って来る。
昨夜のことなどもうすっかり忘れてくれていて
いつもと変わらない笑顔がとても嬉しい。
玄関のランドセルはいつも翌朝までそのままだった。
宿題を取り出したときはガバッとふたが開いている。
それも微笑ましくて玄関でカバさんを飼っているみたい。
ああ今日もいい日だったなあとほっこりとこれを記す。
いちだんと冷え込んだ朝。今季の寒さを更新する。
車のフロントガラスが真っ白に凍っていた。
珍しく早起きをしためいちゃんを保育園に送って行く。
車から降りるなり駆け出して行く後姿は
まるで雪うさぎのよう。寒さを楽しんでいるのがわかる。
子供って逞しいなあとパワーをもらった朝のこと。
今日は63歳の誕生日だった。
この日が来るたびに13歳の誕生日の朝を思い出す。
もう50年。半世紀が経ったというのに忘れられない。
フラッシュバックしては辛い気持ちがよみがえって来る。
母の家出がどうして私の誕生日でなければいけなかったのか。
その理由をどうして今更訊くことが出来ようか。
もう過ぎたこと。母を責める気持ちは少しもないはずなのに
記憶の中の少女が憐れでならずぎゅっと抱きしめたくなる。
夕方、あやちゃんとめいちゃんが喧嘩を始めて
めいちゃんが大泣きになっていたので止めに入る。
その時ついめいちゃんをかばってあやちゃんを叱ってしまった。
娘に任せておけば良いものをどうしてしゃしゃり出たのか。
それからあやちゃんが泣きだしてしまって
「おばあちゃんなんかだいきらい」と言い出す。
晩ご飯も一緒に食べたくないと言うので私も悲しくなった。
そのままそっとしておけば良いものを
「今何て言ったの?もう一回言ってみなさいよ」と声を荒げる。
心の中では「誕生日なのに」と叫んでいる少女の私がいたのだと思う。
そうはっきりと感じた。とても情けないことだけれど。
娘が助け舟を出してくれて一件落着となる。
みんなで鍋を囲みながらあやちゃんも笑顔になってくれて良かった。
笑顔が何よりの贈り物。記憶の中の少女にも笑顔をあげよう。
2019年12月03日(火) |
自分を責めるのはよそう |
陽射しはたっぷりとあったけれど冷たい風。
いかにも12月らしい冬らしさだった。
あやちゃん「マラソン大会」の日だったけれど
昨日から眼がひどく充血しており
学校から娘に連絡があり見学になってしまったそう。
マラソンが苦手なあやちゃんは喜んでいたけれど
みんなと一緒にがんばってほしかったなと少し残念。
市販の目薬で様子見。きっとすぐに治るだろう。
昨日休んでしまったので仕事が山積みだった。
慌ててミスをしてはいけないと慎重に取り組む。
こつこつと餌をついばむ鶏さんみたい。
定時で終われたけれど母の様子を見に行かず直帰。
帰り道に寄れるのになんだかとても疲れてしまっていた。
看護師さんやヘルパーさんに甘えている自分を感じる。
いや「甘え」ではない。頼りにしているのだと言い聞かす。
自分を責めるのはよそう。どんな日もあるのだから。
あやちゃんピアノ教室の日でさっき帰って来て
家族4人水入らずでにぎやかに夕食を食べているところ。
めいちゃんがいつになくハイテンションで微笑ましい。
孫たちの声に癒されながらほっとこれを記す。
2019年12月02日(月) |
心から母が愛しいと思った |
雨のち晴れ。風が強かったけれどたっぷりの陽射し。
明日からしばらくは晴天の日が続きそうだ。
昨日から母の腰痛が酷くなり今日は病院へ。
しばらく安静にしていたら治るだろうと思っていたけれど
あまりに痛がるので看護師さんやヘルパーさんも心配していた。
幸いすぐ近くに以前入院していた県立病院があって
8時半には受付を済ませ車椅子の母と順番を待つ。
それがなかなかの長丁場だった。やっとお昼過ぎに診てもらえる。
レントゲンの結果では骨折もなく痛みの原因が分からず。
治療法もなくとにかく安静にしているしかないようだった。
歩くこともままならず一気に介護が必要になってしまったけれど
「安心して任せてくださいね」と言ってもらえてほっと安堵。
独り暮らしだったらまた大変なことになっているところだった。
親身になってくれる看護師さんやヘルパーさんにただただ感謝。
皆さんとても優しくて母もどんなにか助かっていることか。
この高齢者住宅を選んでほんとうに良かったと思う。
午後から職場に向かう予定だったけれど遅くなり諦める。
月初めで気になる仕事もあったけれどそれどころではないと。
母に付き添って過ごした一日がとても貴重に思えていた。
このまま寝たきりになるのかもしれないと弱音を吐く母を
精一杯に励まして笑顔で別れる。「ありがとうね」と母の声。
胸に熱いものが込み上げてくる。心から母が愛しいと思った。
2019年12月01日(日) |
冥途の土産をいただいて |
午前中は晴れていたけれど夕方からぽつぽつと雨。
夜の冷え込みはなくしっとりとあたたかい。
昨夜はバドミントン仲間と久しぶりの集い。
古きよき仲間たちのなんとありがたいことだろう。
思い出話に花を咲かせながら楽しい夜を過ごさせてもらった。
そうして互いの近況を。当時はまだ小学生だった子供たちが
立派に成人し結婚話も出て来ているとのこと。
歳月の流れを感じながらとても感動せずにはいられなかった。
年長者の私のことを今でも仲間だと言ってくれる。
それはほんとうにありがたく嬉しいことだった。
人生でバドミントンに出会ったことは一生の宝物だと思う。
そうしてかけがえのない大切な縁をいただいたのだった。
またきっと会おうねと名残惜しく別れる。
冥途の土産だなんて言ったら「何を言っているの」と叱られた。
でも私にはやっぱり冥途の土産のように思えてならない。
こんなに嬉しいことが再びあるとは思えないのだった。
老いていくわが身に花を添えるような出来事。
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