2019年01月31日(木) |
山あり谷ありだけれど |
久しぶりの雨になる。気温も低く冷たい雨だった。
からからに乾いていた大地には恵みの雨になったことだろう。
孫たちとわいわい賑やかな朝。明日は保育園に鬼が来るって。
ふたりとも怖いけれど豆を投げてやっつけるのだそうだ。
「朝ごはんちゃんと食べないと鬼に連れて行かれるよ」と言うと
ふたりとも真剣な顔をしてお茶碗をピッカにするのだった。
そんな孫たちに今朝も元気をもらって山里の職場へ向かう。
じたばたしてもしょうがないと腹を据えるような気持ちでいたら
なんとかなった。お客様はほんとうに神様だと感謝するばかり。
一時間ほど残業になり帰宅するなりカレンダーを二月にする。
なんとも清々しい。「やったね」と自分をほめてあげたい。
またてくてくと日々を歩いて行こう。
山あり谷ありだけれどだからこそ空を見あげることも出来る。
2019年01月30日(水) |
かかってこいの気持ちになろう |
朝の冷え込みがうそのように日中はぽかぽかと暖かだった。
午後から曇り明日は久しぶりに雨になりそう。
昨夜は夢に亡き愛犬「あんず」が出て来てくれて
ふたりでどこかの公園のトイレの中にいるのだった。
おしっこを我慢しているあんずに「お母さんは後で良いよ」と。
そうしたらあんずがまるで水道の蛇口から出る水みたいに
すごい勢いでたくさんおしっこをしたのだった。
気持ち良さそうなあんずの顔に微笑んでいたら目が覚める。
愉快な夢だったこと。そして何よりも懐かしいあんずの姿。
すっかり荒らしてしまっているお墓にパンジーを植えてあげたい。
仕事は月末目前となり資金繰りが思うようにいかない。
ATMで記帳するもどこからも入金がなくてため息が出るばかり。
まあ明日の事だと気楽に考えることにした。なんとかなるだろう。
乗り越えても乗り越えてもまたすぐに月末がやってくる。
なんだか自分が試されているような気がしてならない。
ならば強気になろう。「かかってこい」の気持ちになろう。
帰宅して夕飯はみんな大好きな「すき焼き」
めいちゃんがみんなの器に卵を割って入れてくれたのだけれど
めったに泣かないあやちゃんが泣き出してしまった。
自分の卵は自分で割りたかったのだそうだ。
目を真っ赤にしてぽろぽろ涙を流していて可哀想。
「じゃあおじいちゃんはたまご二個にしようね」
「おお、それはいいな」と喜ぶおじいちゃん。
あやちゃんは涙をぬぐいながら自分の卵を割りましたよ。
よかった。よかった。すき焼きとっても美味しかったね。
2019年01月29日(火) |
もっと能天気でも良いのかもしれない |
少し冷え込みが和らいだ夜明け前。一切れのレモンのような月。
見あげながらああ生きているんだなとほっと嬉しくおもう。
あたらしい朝をきょうもいただく。いつもきせきのように感じる。
いつ何があるやらと覚悟の日々。もっと能天気でも良いのかもしれない。
今朝も元気いっぱいの孫たちを保育園に送り届けて山里の職場へ。
国道から見える朝陽のなんとまぶしいことだろう。
その光をいっぱいに浴びながらこころがおおきく息をしているのがわかる。
仕事は少し忙しかったけれどそれなりに出来る事をがんばる。
事務所から外に出たついでに気になっている梅の木を見に行く。
日に日に花が咲き始めているようだ。あたりいちめんに春が匂う。
立春頃には満開になりそうだ。また見に来ようとわくわくする。
2019年01月28日(月) |
夕暮れ時はとても楽しい |
今朝も冷え込みきりりっとした寒さが心地良い。
一週間後にはもう「立春」名残の寒さだろうか。
朝のテレビからは「立ち止まって自分を見つめ直したい」と言うひと。
息子と同じ年頃でふっと母の気持ちになる。
まだまだこれからの人生。好きなように自由に生きさせてあげたい。
思い遣る気持ちを大切にこれからを見守ってあげたいものだ。
少し忙しかった仕事を終えて帰宅。
ひと足先に娘が帰って来ていて洗濯物をたたんでくれていた。
「おつかれさま。ありがとうね」ちゃんと言葉にすればきっと伝わる。
例のお散歩は娘も三日坊主だったようで車で保育園にお迎えに。
私もふうっとひと休みしているうちに孫たちが帰って来た。
一気ににぎやかになる我が家。じいちゃんと微笑み合っていた。
娘と夕飯のしたくをしていたら、めいちゃんが冷蔵庫によじ登り
なんとも愉快な光景に娘と笑いが止まらない。
めいちゃんには踏み台など不要なようでどこでもよじ登る。
冷蔵庫の後は流し台によじ登りみんなのお箸やコップを取ったり
それをきれいにテーブルに並べてくれるのだった。
「めいちゃんすごいね。ありがとうね」照れ臭そうに微笑む顔。
むかし「夕暮れ時はさみしそう」と言う歌があったけれど
我が家の夕暮れ時はとても楽しい。
2019年01月27日(日) |
ありがとうをくりかえす母 |
いちだんと冷え込みの厳しい朝。
幸い雪の気配はなく夜が明けると雲ひとつない青空。
午前中、じいちゃん消防団の出役で地区の「芝焼き」に。
「野焼き」と言った方が良いだろうかその方が風情がある。
昔からの冬の習わし。じいちゃんが参加するのもとうとう最後。
午後やっと母の病院へ行く事が出来た。
出役で疲れているのにじいんちゃんが運転して連れて行ってくれた。
でも残念ながら母との面会は叶わず。
インフルエンザの流行で家族も面会禁止になっていた。
ちょうど担当の看護師さんがいてくれて母の様子を聞くことが出来た。
やはりまだ腰に痛みがあり歩けないとのこと。
幸いインフルエンザには罹っていないこと。
忙しそうだったのであまり長話も出来ず仕方なく帰ることに。
車に乗るなり母から電話あった。「会いたかったのに残念」と。
そうして何度も「ありがとう」を繰り返す母だった。
思いがけずに入院が長引いていて母も心細かったのだろう。
面会は叶わなかったけれど行って良かったのだと思った。
帰りながらじいちゃんと今後の事をあれこれと思案したり。
「まあその時のことさ」とじいちゃんの言葉に救われる思い。
うん、なるようになるよね。なんとかなるよねって家に帰った。
2019年01月26日(土) |
虹のアーチをくぐり抜けて |
夜明け前にはさほど寒さを感じなかったけれど
天気予報では午後から雪になると言う。
今日は娘がお休みだったので孫たちも保育園をお休み。
私は急ぎの仕事があったのでこれ幸いと山里に向かった。
いつも土曜日は休ませてもらっているので
今日は貢献出来るなとちょっと嬉しい。
する仕事のあることはほんとうにありがたいことだ。
お昼頃からやはり雪が降り始める。
最初はちらちらだったのがやがてどかどかと降り始めて
なんだか怖くなってしまってはらはらと窓の外を眺めていた。
じいちゃんに電話したら「こっちは降ってないぞ」と言うので
少し安心してとにかく仕事をやっつけようと奔走していた。
午後4時やっと仕事が片付く。いつもよりずいぶんと遅くなった。
もう雪もやんでいて陽射しがとても優しくてありがたい。
帰り道、きれいな虹が見えていた。わあっと思わず歓声をあげる。
虹のアーチの下をくぐり抜けるようにしながら家路を急ぐ。
帰宅したらめいちゃんが玄関にとび出して来てくれて
「おばあちゃんおかえりなさい」なんと嬉しく癒されたことか。
台所では娘がマカロニグラタンを作っていた。
おなかがぐうっと鳴る。はふはふしながらおなかいっぱい食べた。
2019年01月25日(金) |
どりょくはきっとむくわれる |
はんぶんより少しふくらんだ月を見あげる夜明け前。
少しずつだけれど夜明けが早くなっている。
朝の気忙しさも忘れて空をみあげているのが好きだ。
月と向かい合うようにして東の空がほんのりと紅く染まる。
今日は保育園で「コマまわし大会」があったのだそうだ。
誰のコマが最後まで回り続けているか競いあったらしい。
めいちゃんがやりました。クラスで優勝したらしくすごいです。
実は上手くコマを回せなくてお友達に先を越され
泣きべそをかいていたこともあったのだそう。
頑張り屋さんのめいちゃん。それからいっぱい練習して出来るようになった。
やがて男の子よりも上手になった。ほんとうにえらかっためいちゃん。
もっとえらいなと思ったのはそれを決して自慢しなかったこと。
娘と私が今夜はお祝いしなくちゃねと言ったら
「そんなことはしなくていい」と言う。
夕食の時も自分からは話そうとしなくて娘が代わりに話していた。
照れ臭かったのか「もういわなくていい」と言ったりもして。
4歳の幼子のこころに何かが芽生えているのを感じる。
勝ち負けではない。努力はきっと報われると言う事かもしれない。
めいちゃんにとても大切なことを教わったような出来事だった。
成長し続けている孫たちに負けないように
私も成長しなくてはいけないなとあらためておもう。
2019年01月24日(木) |
出来ない日があってもよし |
今朝は昨日ほど冷え込んでおらず
少し欠けた月がはにかむように微笑んでいた。
夜明けを待ちかねて洗濯物を干す。
午前7時、孫たちが起きて来て一気ににぎやかになる。
もう木曜日なのかととても早く感じていた。
日々がてくてくと歩いているようだ。
追いかけるのでもなく追い越すのでもなく
私も一緒に手をつないで歩いているのだろう。
仕事を終えて帰り道。ものすごい睡魔におそわれる。
ルームミラーで自分の顔を見たら目がつぶれそうになっていた。
これはいかんと車の窓を開けて風を浴びてみたり
やっとの思いでいつものスーパーまで辿り着く。
帰宅して炬燵にもぐり込むなり5時前まで眠っていた。
いつの間にか娘と孫たちが帰っていて
今日はお散歩おやすみだったようだ。
やっぱり三日坊主やなあとじいちゃんが笑っていたけれど
出来ない日があってもよしと思う。出来る日にがんばろう。
夕食は野菜炒めだったのを娘がホットプレートでしようと。
キャベツやもやしやピーマン玉ねぎなど炒めてたくさん野菜を食べる。
特売の豚肉はあやちゃんが喜んで食べてくれてびっくりするほどの食欲。
最後に目玉焼き。質素な夕食もとてもご馳走に思えた。
みんな笑顔で嬉しい。今日もこんなに穏やかな一日をいただきました。
2019年01月23日(水) |
すこしもさむくないわ |
目覚めた時にはさほど寒さを感じなかったけれど
外に出ると霜が降りていて思いがけない冷え込みだった。
一年中はだかんぼうで寝ているめいちゃん。
今朝も肌着を着たがらずトレーナーだけで保育園へ。
「すこしもさむくないわ〜」と歌ったりして愉快なり。
山里も一面の霜だった。職場のメダカのお家には氷が張っていた。
まるで眠っているようなメダカたち。指でちょんちょんとすると
元気に泳ぎ始めて「ああ良かった」とほっとこころが和む。
仕事を終えて早目の帰宅。今日は娘がお休みだったので
また歩いて保育園へお迎えに行くことになった。
やはり歩き始めてすぐに足が痛む。左足の股関節のあたり。
左足を引き摺るようにしながらゆっくりと娘の背中を追いかける。
娘の歩くののなんと早いこと。あっという間に見えなくなった。
やっと保育園が見えたと思ったらもう孫たちが外に出て来ていて
めいちゃんが「おばあちゃ〜ん」と笑顔で駆け寄って来てくれた。
「おばあちゃんあしいたい?だいじょうぶ?」ほろりと涙が出そう。
帰り道はまた不思議なことにまったく足は痛まず。
てくてくとどこまでも歩いて行けそうな気がする。
遠回りをして初めて通る裏道から県道に出て土手に上がり帰った。
娘が言うには「足が温もって来たら痛みが無くなるのでは」と。
そう言われてみると確かにそんな気がする。
最初の内だけ辛抱すればいくらでも歩けると言うことだろう。
思わず「やったあ」と声が出そうなくらい嬉しくなった。
明日も歩いてみようと思う。やればできるなにごとも。
2019年01月22日(火) |
出来ることからがんばってみよう |
風が少し冷たかったけれどたっぷりの陽射しに恵まれる。
冬枯れた景色をつつみこむようにおひさまはとても優しい。
仕事中に母の病院から電話があった。
今日から療養病棟に移りしばらく経過を診るとのこと。
地元の県立病院だったら転院を強いられていたことだろう。
愛媛県の県立病院は日常生活が出来るようになるまで
責任を持って看護してくれるのかとほっと安堵するばかり。
退院まで長くなるかもしれないけれど安心して任せられる。
近いうちにまた義父が様子を見に行ってくれるとのこと。
私たち夫婦も今度の日曜日には行ってみようと思っている。
仕事を終えて帰宅したら一足先に娘が帰っていて
散歩がてら歩いて保育園へお迎えに行ってみようと言う。
娘と並んで歩き始めたけれどやはりすぐに足が痛くなる。
娘の背中に励まされるように一生懸命に歩いた。
めいちゃんが独楽回しの練習をしていて
「おばあちゃんみてみて」と得意顔で披露してくれる。
それは男の子みたいにかっこよくてとても上手だった。
帰り道、あやちゃんと手をつなごうとしたら
「もうこどもじゃないけん」と言って愉快なこと。
娘と孫たちの後ろ姿に追いつくようにがんばって歩く。
そうしたら不思議なことにまったく足が痛まなかった。
大根足さんにちびっ子パワーが注入されたのかしら。
ふふっと嬉しい。歩こうと思えばまだまだ歩ける気がする。
弱気になってはいけない。出来ることからがんばってみよう。
2019年01月21日(月) |
白梅のせつなき胸に青き空 |
夜明け前、少し西に傾き始めた月を見あげる。
煌々と輝きなんとうつくしいのだろう。
寒さも和らいでいてしばし見入っていた。
ふと自分にはそんな時間がひつように思う。
孫たちを送り届けて山里の職場に向かう山道で
ラジオから懐かしい「あずさ2号」が流れて来た。
聴きながら口ずさみながらなぜか胸が熱くなり
どうしたことか涙がほろほろとこぼれる。
このせつなさは何だろうと自分でも不思議だった。
あるひとの顔が浮かぶ。3年前に亡くなってしまったけれど
お葬式に行かなかった。お線香のひとつもあげられないまま
私はいまだにその死を受け止められずにいる。
仕事はとても忙しかったけれど心には余裕を持ちたい。
心を亡くしたり荒らしたりしてはいけないと自分に言い聞かす。
郵便局に行ったついでに少し遠回りをして梅の花を見に行った。
とてもきれいに咲いているよと教えてくれた人がいてくれて
真っ青な空に純白の梅の花を映してみたかった。
つかの間のことだったけれどとても心が和みほっとする。
2019年01月20日(日) |
うさぎさんがおもちつきしてるね |
二十四節気の「大寒」さほど冷え込みもせず雨のち晴れる。
午後は風が強くなり北風小僧が走り回っているようだった。
「立春」の声を聞くまでは雪のちらつく日もあることだろう。
午前中は地区の初会があってじいちゃんが行ってくれる。
私は買物に行ったりコインランドリーへ行ったり。
母が入院して一週間。気にはなっていたけれど行かず仕舞い。
義父が様子を見に行ってくれていたそうで連絡があった。
そろそろ退院ではと安気に考えていたけれど
まだ腰の痛みが取れず自力では歩けないのだそうだ。
ただの打撲にしてはおかしいと義父も心配していた。
もう一度よく調べてもらった方が良いのかもしれない。
義父が積極的に動いてくれるのでずいぶんと心強いのだけれど。
夕方、降り注ぐ夕陽を浴びながら孫たちが散歩に出掛けたので
私も少しだけ歩いてみる。ゆっくりと歩けば足の痛みも気にならず。
三日坊主になるかもしれないけれど毎日歩くように心がけたい。
夕食時、窓からきれいな月がぽっかりと見えた。
孫たちが喜んで窓を開けて「うさぎさんがおもちつきしてるね」って
みんなでしばしお月見をして笑顔で穏かな夕暮れ時のこと。
2019年01月19日(土) |
80歳でもきっとだいじょうぶ |
少し風があったけれど今日も冬晴れの真っ青な空。
午前中にてくてくと歩いてお大師堂まで。
もうSさんが来てくれていたのか窓を開け広げて
絨毯や座布団を外に干してくれていた。
ああ気持ちが良いなあと清々しい気持ちになる。
ゆっくりと手を合わせて穏やかな朝に感謝する。
お供えのお菓子とお線香を補充してからの帰り道。
川辺の道をゆっくりと歩いて空を仰ぎ、川を眺め
すっかり葉を落とした木々が好きだなあとおもう。
大橋のたもとまで歩きたかったけれど足が痛くなり断念。
悔しいくらいに足腰が弱ってしまってそれも仕方なくって。
これでは歩き遍路も無理だなあと夢を諦めかける自分がいた。
でも決してお遍路を諦めたのではない。バス遍路だって良いのだ。
70歳を越えてからも行ける。80歳でもきっとだいじょうぶ。
お昼前に孫たちを迎えに行って午後は一緒に遊ぶつもりだったけれど
例のごとくでほったらかして炬燵でうたた寝をしていた。
なんと3時間も寝ていたらしくじいちゃんもすっかり呆れ顔。
いつの間にか娘も帰って来ていてなんと怠け者のおばあちゃんでしょう。
今夜は久しぶりにめいちゃんとお風呂。とても楽しかった。
お乳をむぎゅっとされて痛かったけれどいっぱい笑った。
朝の冷え込みもつかの間のこと。雲一つない青空に恵まれ
日中はぽかぽかと暖かくなった。まるで陽だまりの猫日和。
仕事でお客さんの家を訪ねたら、お布団をたくさん干していて
ああいいなあって思う。ぬくぬくのお布団で寝てみたいものだ。
おひさまのにおいにつつまれてぐっすりと眠れることだろう。
少し残業になり帰宅する。じいちゃんが洗濯物を取り入れてくれていた。
孫たちの可愛いいのをたたむのが好き。自然と笑みがこぼれてくる。
娘も遅くなる日で孫たちは延長保育をお願いしていた。
夕食の支度が出来て6時前になりやっと帰って来る。
お刺身大好きのめいちゃんのそれは美味しそうに食べること。
わいわいと賑やかな夕食。家族団らんを絵に描いたようだった。
娘たちが帰る前にじいちゃんと話していたこと。
ふたりっきりだったら毎晩何を食べていたのだろうねって。
「刺身はないな」とじいちゃんとうなずきながら笑い合った。
夕焼け空も見ないうちにあっという間に日が暮れる。
穏かな一日を今日もありがとうございました。
2019年01月17日(木) |
なんとしても守りたいこと |
朝食前に黙祷を。人として出来ることをとおもう朝。
阪神淡路大震災から24年目の朝のこと。
何も知らない孫たちのあどけない笑顔を見ていると
なんとしても守りたいことでこころはあふれるばかりだった。
「おばあちゃんいくよ」今朝も待ちかねているあやちゃん。
「めいもいく」と大急ぎで服を着るめいちゃん。
寒い朝だったけれど今朝も元気いっぱいのふたりだった。
さあおばあちゃんも行きましょうと私も山里の職場に向かう。
仕事は小休止でさほど忙しくもなく時間が流れる。
同僚ものんびりモードでたまにはこんな日もあってよし。
今日しかないかなと私のミライースの車検整備をしてもらった。
午後、母から電話があるかなと思っていたけれど
今日はなし。特に変わったこともなかったのだろう。
昨夜の日記の最後に50年も昔の事を書いてしまって後悔していた。
心の片隅でまだ母を責め続けている自分がいるのかと自問自答する。
亡き父の遺影に語り掛けるように「ゆるしてあげようね」と手を合わす。
2019年01月16日(水) |
福の神さんになりたい |
風が少し冷たかったけれどそんな冬らしさが好きだなと思う。
娘がお休みだったので洗濯物を干しておいてくれるとのこと。
ほっと楽な朝。残り物を詰め合わせて自分用のお弁当を作る。
孫たちは風の子。めいちゃんはジャンバーも羽織らずに薄着で
今朝もふたり仲良く車に乗って元気に保育園へ行った。
保育園ではもう節分の準備を始めているようで
「鬼さん」や「福の神さん」やとても楽しそう。
その福の神さんの役目を私にとちらっと話が出ていたようだけど
今年は他の人に決まったようで来年こそはと伝言があった。
ふっくらと太っていていつもにこにこしているかなと思ったり
福の神さんだなんて光栄なこと。気が早いけれど来年がとても楽しみ。
仕事中に免許センターから電話あって、先日の母の認知症再検査は
やはり不合格だったとのこと。今後の事いっさいを義父に任せる。
私は関わらずにいたほうが良いようだ。なるようになるだろうと。
母は今日も機嫌よく電話をかけてきて、とにかく食事が美味しいと。
車椅子でトイレにも行けたと嬉しそうに話していた。
自力で歩けるようになればすぐに退院になることだろう。
本音を言えば一日でもながく病院にいて欲しい。
そのほうがどれほど安心なことか。やはり私は薄情なのだろう。
こころでどんなに切り離そうとしても血の繋がりは決して切れない。
私と弟は50年前に捨てられた子供だったというのに。
2019年01月15日(火) |
顔がしわくちゃになるくらいの笑顔 |
朝のうちぽつぽつと雨が降っていたけれど
ほんのお湿り程度ですぐに青空が見え始めていた。
風もなくぽかぽかと暖かい。とても真冬とは思えないほど。
連休明けでどうかなと思っていたけれど
めいちゃんとても機嫌が良くふたり仲良く保育園へ。
ちびっ子パワーをいただき私も元気に山里の職場へ向かう。
朝一の急ぎの仕事があったけれど順調に片付きほっと安堵。
同僚と納車に行ったお得意先でまた車検の予約を頂いた。
気がつけば顔がしわくちゃになるくらい笑顔になっていて
お客様も満面の笑顔。あらためて笑顔の大切さを感じる。
午後から義父が母の病院へ行ってくれた。
昼食がビーフカレーだったらしく大きな牛肉が入っていたそう。
母はそれがとても美味しくて嬉しかったようだ。
すぐに退院が決まるかもしれないけれど、楽しみもあって良かった。
先の事を考えるよりも今日の事を今の事を大切にしなければいけない。
2019年01月14日(月) |
母は温泉が大好きだから |
お天気も良く日中は暖かくなりそうだったので
娘と孫たちとどこかに出かけようかねと話していた朝のこと。
愛媛県の南宇和県立病院と言うところから突然の電話。
昨夜母が救急搬送され入院している知らせだった。
愛南町に「一本松温泉」という母のお気に入りの温泉があって
昨夜も出掛けていて入浴後にロビーで転倒したらしい。
とにかく行かなくちゃ。義父にも連絡をして大急ぎで家を出る。
じいちゃんが一緒に行ってくれてとても助かった。
母は幸い骨折はしておらず打撲のみでしばらく安静が必要とのこと。
大事に至らなくて良かったと思うしかない。
入院の手続きなどはあえて義父に任せる。
別居はしていてもたった一人の家族ではないかと改めて思った。
退院後の母のことも考えながらどうしても複雑な気持ちになるけれど
なるようになる。きっとなんとかなるだろうと思うことにした。
帰宅途中に遅い昼食。ラーメンセットを美味しいねえと
じいちゃんと向かい合って微笑みながら食べた。
2019年01月13日(日) |
友と呼ぶよりも同志なのだろう |
風がことこと窓をたたく。雨ではなくて星が降っていた。
夜明け前の風にふれてみる。それは思いがけなくあたたかい。
大寒を前にして冬はいったいどこに隠れてしまったのだろう。
軽く朝食。今日は久しぶりに友と会う約束をしていて
隣町のホテルでモーニングセットを食べながら語り合うことに。
話したいことがたくさんあったけれどまずは友の話を聞きたい。
定年退職後の彼女はとても生き生きとしていて魅力的だった。
会うたびに刺激をもらうのがとても楽しみでもある。
わくわくとするきもち。それはとても言葉では言い尽くせない。
旅の話。写真の話。文芸活動の話。それは私とはかけ離れていて
ただ日々をこうしてささやかに書き続けている自分には誇りを持てる。
だからと言って決して競い合う気持ちはない。私は「わたし」だもの。
それぞれの人生。それぞれの生き方があるものだとつくづく思った。
それを「どう生きるか」それは私達にとっての大切な課題だと思う。
友と呼ぶよりも「同志」なのだろうとあらためて感じたことだった。
書くことは生きること。そう言ったのは誰だったのか。
その言葉をそのままにいただき今日も生きていました。
2019年01月12日(土) |
雨だれの音が耳に心地よく響く |
目覚めたら静かに雨が降っていた。懐かしいほどの雨音。
ぽっとんぽっとん雨だれの音が耳に心地よく響く。
気がつけば自分の息さえも雨だれになっていた。
知らず知らずのうちにこころが渇いていたのかもしれない。
娘夫婦が仕事のため私は三連休をいただいていた。
のんびりの朝だったけれどいつもの時間に孫たちを保育園へ。
今朝は上機嫌のめいちゃん。ふたり仲良く車に乗り込む。
可愛らしい長靴と傘の花。雨を楽しむように門をくぐるふたり。
土曜日は3時間ほどですぐにお迎えの時間だった。
帰るなり二階の部屋へ駆け上がる孫たち。
「おばあちゃんはこなくていい」と言うのでふたりだけで遊ばす。
気になって時々様子を見に行ったけれど喧嘩もせずに仲良く遊んでいた。
おかげでじいちゃんと録画してあったドラマを見て過ごす。
あの世界的な名作「レ、ミゼラブル」の日本版かつ現代版で
涙するほど感動的なドラマだった。こころにいつまでも残ることだろう。
夕方近くに母から電話があった。
「昨日はほんとにありがとう」となんだか照れ臭くなるような。
日頃の親不孝が一気に報われたような気がしてとても嬉しかった。
しばし穏やかに語り合う。母の声はとても弾んで楽しそうだった。
2019年01月11日(金) |
優しい顔には微笑みが返って来る |
お天気が下り坂のせいだろうか少し寒気が緩む。
朝から暖かいのはありがたいことだけれど
やはり真冬らしい寒さの方がなぜか落ち着く。
今朝はめいちゃんがご機嫌ななめでやけを言って泣いてばかり。
「もうおいていくよ」あやちゃんがいかにもお姉ちゃんらしくて
玄関で泣いているめいちゃんをおいて先に保育園へ向かった。
春からはもう一年生になるあやちゃん。
めいちゃんは年中組になる。ぐんと成長したふたりを見るのが楽しみ。
仕事はさほど忙しくはなかったけれど、母から電話があって
急きょまた母のアパートへ駆けつけていた。
今日は掛かりつけの病院の通院日だったのだけれど
お財布が見つからないと言う。中には保険証や診察券が入っていて
すぐに見つかったけれどお財布には小銭しか入っていなかった。
病院も自分で運転して行くと言って聞かない。
仕方なく今日も母の車の後にくっつくようにして出掛ける。
やはり運転はとてもしっかりとしていて安心して後をついて行けた。
病院の相談員さんがとても親身になってくれてありがたい。
今日も母の診察に付き添ってくれると言ってくれて助かった。
認知症の事も医師に話してくれるとの事。すっかり甘えさせてもらう。
本来なら娘の私がするべきことなのだろう。
わかっているけれどついつい頼ってしまう自分がいた。
だからと言って自分を責めるのはよそう。
今日は穏やかでにこにことしていた母。「ありがとうね」と
言ってくれてとても嬉しかった。
私もきっと優しい顔をしていたのだろう。
2019年01月10日(木) |
40年目の結婚記念日 |
氷点下にこそならなかったけれどしんしんと冷え込む朝。
そんな寒さにもすっかり慣れてしまって暖を取るたのしみがある。
いつものように孫たちを送り届けて山道を走っていたら
ラジオから「1月も10日になりましたね」と聴こえて来て
はっと閃くように思い出した。今日は結婚記念日だったのだ。
12月の私の誕生日に入籍をしていたので挙式の日の事など
もう何年も思い出すことがなかった。じいちゃんもきっと
忘れていることだろう。もう40年目の結婚記念日だった。
走馬灯のように過ぎ去った日々を懐かしく思い出した朝のこと。
仕事を終えていつもの病院へ。お薬だけ処方してもらう。
変わったことは何もない。ただ体重が増え続けているだけ。
でも元気だから良いさと思う。嘆くことなど何一つなかった。
お薬に頼りながらだけれどこれからも元気でいようと改めて思う。
今日は娘がお休みだったのでずいぶんと助かる。
夕飯の支度も手際よく手伝ってくれて今夜もみんなの美味しい顔。
早目にお風呂にも入れてのほほんとしながらこれを記す。
2019年01月09日(水) |
梅の花が咲き始めましたよ |
寒の内らしい冷え込み。ひゅるひゅると北風の吹く夜明け前。
体内時計さんが少しお寝坊をしてアラームさんに起こしてもらう。
寝過ぎるぐらい寝ているのだけれどつかれが出始めたのだろうか。
自覚症状はまったくないというのに身体はとても正直なもの。
まあこんなもんでしょう。今日もそうして一日が始まる。
いつものように保育園へ向かう朝。孫たちのなんと元気なこと。
ちびっこパワーはほんとうにありがたく今日もおすそわけ。
山道の人里離れた所にぽつんと梅の木があってもう花が。
あたりの木々にまるで守られているように咲いていてこころが和む。
今日は母の認知症検査の再試験のある日。
義父が心配していた通り母はすっかり忘れていたようだ。
仕事の手を休めて急きょ母のアパートへ駆けつけていた。
自動車学校まで私が送り届けると言うのを頑なに拒む母。
仕方なく母の車の後にくっつくようにして一緒に出掛ける。
母の運転はとてもしっかりとしていて感心するほどだった。
認知症でさえなければと残念に思うばかり。
夕方義父が電話をしたら試験問題の殆どがわからなかったとのこと。
今回も駄目かもしれないなと義父も残念そうにつぶやいていた。
義父と相談し、結果を待って今後の対処をすることにした。
なんだかとても母が憐れでならないけれど仕方ない。
午後からの仕事を終えて帰宅。今日は娘の帰宅が遅い日で
6人分の夕食作りに奮闘する。
手を抜こうと思えばいくらでも手抜きが出来るけれど
今日はちゃんと作ろうと思った。
そのかいがあって家族みんなの美味しい顔が見られて嬉しかった。
氷点下にこそならなかったけれど真冬らしい冷え込み。
やはり少しずつ夜明けが早くなっているようだ。
午前6時、見あげた空は薄く紺色に浮かび上がっていた。
夜明け前、燃えるごみを出しに行ってくれていたじいちゃんが
まさかの転倒。庭先で前のめりになりお向かいのブロック塀へ激突。
額から血を流して帰って来たのでとてもびっくりした。
幸い額と膝と手のひらを擦りむいただけで済んで良かったと思うことに。
後頭部だったら命を落としていたかもしれなかった。
やがてはそれも笑い話になっていたけれど
孫たちが「おじいちゃんのおかおがこわい」と怯えていた。
転ばぬ先の杖か。急がず慌てず何事も慎重にとつくづくと思う。
仕事は少し忙しかったけれどそれなりに終えてほっと安堵。
同僚の咳が辛そうなので帰りに良く効くらしい咳止めを買う。
みんなでいたわり合い支えあってこその職場だと思う。
帰宅するとじいちゃんが額に大きな絆創膏を貼っていた。
娘が買って来てくれたそう。これなら孫たちもこわがらないだろう。
いつものようににぎやかな夕食。みんなが笑顔で煮込みラーメン。
2019年01月07日(月) |
穏かな日々にぽつんとあるもの |
少し冷え込んだ朝。新月だったので星がいっそう光を増す。
散りばめられた星で天使たちがおはじき遊びをしているよう。
体内時計はよくしたもので月曜日を知っているらしい。
4時のアラームが鳴る前にはっと目が覚める。
車のフロントガラスの霜を落として保育園へ向かった。
姉妹仲良く後部座席に座って微笑ましい姿がルームミラーに映る。
そうしてウサギのように跳びはねながら門をくぐるうしろ姿。
さあ、おばあちゃんもお仕事に行きましょうか。
風邪で寝込んでいた同僚が復活して、今日から本稼働。
まだ少し咳が出ていたけれど元気になってくれて本当に良かった。
早速に来客もあり一気に活気が出て来る。
お客様は神様。今年も感謝の気持ちを忘れずに過ごしたいと思う。
母からも電話がありもう限界のようだった。
義父の計らいで少しだけ生活費を送金する。
おそらく三日ともたないだろう。
母の浪費は留まることを知らない。
だからと言って母を責めてもどうしようもなく
なるようになると腹をくくるような思いだった。
穏かな日々にも少しくらいそういうこともあって良し。
いただいた日々だとありがたく受け止められる自分でありたい。
帰宅して炬燵でひとやすみ。
「こたつむり」は可愛らしい生き物のようだ。
2019年01月06日(日) |
目に心に沁みる姿にほろりと |
二十四節気の「小寒」今日から寒の入りとなる。
やはり今年は暖冬なのだろう。曇りのち晴れて
午後はぽかぽかと暖かくなり寒の入りもどこへやら。
今日は四万十市消防団の「出初式」別名「初うま」
昨年末にとうとう引退が本決まりになったじいちゃんにとっては
現役最後の出初式となった。分団長の制服もとうとう最後。
本当はあと数年は続けて欲しかったけれど
体力の限界もあり何よりも平成最後の年に辞めたいと言う。
三月いっぱいで引退。ほんとうにもう少しになった。
娘と孫たちと見学に行く。消防車の一斉放水もあった。
じいちゃんの制服姿が目に心に沁みるようにまぶしかった。
馬子にも衣裳と言えばじいちゃんは照れて笑うばかりだけれど
私はじいちゃんのきりりっとした制服姿がとても好きだったから。
とてもとても名残惜しいけれど最後の記念写真を撮る。
2019年01月05日(土) |
怠け者を絵に描いたような一日 |
寒さが和らぎ真冬にしてはずいぶんと暖かな朝だった。
いつもより少し寝坊をしてのほほんと夜明け前のひと時をたのしむ。
娘夫婦はお仕事。孫たちも7時には起きて一気に賑やかになる我が家。
8時には保育園へ。今日はめいちゃんも一緒に車に乗ったのだけれど
何をぼんやりしていたのか保育園へ向かわずに市街地へ向かっていた。
「おばあちゃんどこいくの」と孫たちからブーイングの嵐。
みんなで大笑いをしてなんとも愉快な朝のこと。
青空はつかの間だった。午前中に散歩しようと思っていたのだけれど
曇り空のせいにして怠けてしまう。お大師堂にも行かないまま。
すぐに孫たちのお迎えの時間になり保育園へ向かう。
午後はものすごい睡魔におそわれついつい炬燵で寝入ってしまっていた。
孫たちは姉妹仲良く遊んでくれていたけれどじいちゃんにお任せ。
なんとだらしないおばあちゃんなのだろう。
今夜は娘夫婦が新年会で孫たちも連れて行くと言うので
夕飯の支度もせずコンビニ弁当で済ませた。
そんな手抜きにもじいちゃんは笑ってゆるしてくれるのでありがたい。
気がつけば朝から洗濯物を干しただけで殆ど家事もしていなかった。
怠け者を絵に描いたような一日。まあたまには良いかと自分をゆるす。
あれもこれもは出来ない歳になった。
我武者羅でもいられない。張り切る事などとんでもないことだ。
ただただがんばって生きているそんな日々。
ほぼ氷点下の朝。きりりっと冷たい空気が心地よい。
ほんの少しだけれど夜明けが早くなったような。
薄く紺色の空に明けの明星が取り残されていた。
仕事始め。孫たちも今日から保育園でにぎやかな朝。
あやちゃんは早めに支度をして「おばあちゃんいこうよ」と。
めいちゃんはのんびりさん。仕方なく置いて行くことに。
今朝は久しぶりにあやちゃんとタッチして別れた。
にこっと笑ったあやちゃんの前歯がなくてふふっと愉快なり。
山里はあたり一面霜の朝。朝陽が射せばきらきらときれい。
気温も平野部より低くすっかり氷点下になっていた。
同僚から電話があり風邪で寝込んでいるとのこと。
本格的な仕事は来週からにすることにして「大丈夫よ」と伝える。
開店休業になってしまったけれど同僚が元気になるのが一番。
事務仕事だけぼちぼちとこなす。今日は来客もなかった。
仕事の電話もなかったけれど、お昼に母から電話がある。
「お金がない」と言う。ATMに行っても残高がないと言う。
通帳を記帳させたら連日のように万単位のお金を引き出しているよう。
そのお金を何に遣ったのかと訊けば「わからない」と応える。
そうして母の年金はあっという間に無くなってしまうのだった。
義父とも相談してしばらく様子を見ることにした。
おそらく食料は山のように買い込んでいることだろう。
心を鬼にする。何が親孝行か親不孝かもうわからなくなった。
憂鬱には決してなりたくない。ただ少し母との距離を置きたい。
そう思う私は本物の鬼なのかもしれないけれど。
帰宅したら先に帰っていた娘が洗濯物をたたんでくれていた。
縁側にちょこんと座って「おかえりい」と言ってくれて。
「ただいまあ、ありがとうね」ほっこりとこころがあたたかくなる。
2019年01月03日(木) |
少しだけ歩けた。それでじゅうぶん。 |
明けて三日。朝の冷え込みが厳しく氷点下になる。
夜明け前、街灯に照らし出される車は真っ白に凍っていた。
放射冷却だったのか日中はぽかぽかと暖かくなった。
今日はもうどこにも出掛けずに「ふつう」に過ごすことに。
じいちゃん少し疲れが出たのか風邪気味でしんどそう。
元旦から連日の長距離運転をさせてしまったせいだろう。
熱が出なければ良いがとはらはらと見守るばかり。
午前中に散歩を兼ねてお大師堂へ。
鏡餅がふたつに増えていた。お線香の差し入れもあって嬉しい。
とても清々しい気持ちでゆっくりと手を合わすことが出来た。
帰り道、川辺の道を歩きながら大橋のたもとまで行ってみようと。
でも駄目だった。左足の股関節のあたりが痛みだして断念。
なんとも情けないけれど無理をしてはいけないのだろう。
出来ないことは出来ないと受け止める心が必要に思う。
少しだけ歩けた。それでじゅうぶんと思いたい。
午後、孫たちが帰って来る。ぎゅっと抱きしめたくてたまらない。
それなのにめいちゃんには逃げられてしまって愉快なり。
「おとまりしたのえらいでしょ」って顔をしてあっかんべえしていた。
そうして少しずつ成長していく孫たちがとても頼もしく思えた。
明日からまた保育園。おばあちゃんと一緒に行こうね。
ひっそりと明けてふつか。
夜明け前に見あげた空には折れてしまいそうなほど細い三日月。
寄り添うように光る金星。なんだかそれはメルヘンの世界のよう。
じいちゃんが「今日は西に行ってみるか」と言ってくれて嬉しい朝。
目的地も決めずにとにかく西に向かって気ままにドライブ。
松山道の高速に上がる前にやっと目的地を決める。
宿毛佐伯フェリーが休業中なので新居浜港に行ってみようと。
フェリーに乗るわけでもないのに心はすっかり九州だった。
ふたりとも夢をふくらませて大分で一泊して鹿児島へ行こうと。
そんな話で盛り上がってとても愉快で楽しかった。
新居浜は初めて訪れる町で、いかにも港町らしく潮の香りがする。
周囲の山の高い所には民家がたくさんあっておどろく。
ふと母の故郷を思い出した。初めてなのになんだか懐かしくて。
みかん農家だった亡き祖父母が今でも住んでいるような気がした。
またきっと来よう。そうしてフェリーに乗って九州へ行こう。
帰宅したら娘たちも出掛けていて高知市内まで遊びに行っていたよう。
えらく静かに帰って来たなと思ったら孫たちがいなくてびっくり。
なんと娘婿のお姉さんのお宅でお泊りをするのだそう。
あやちゃんは何度もお泊りをしているけれどめいちゃんは初めて。
どうしても帰らないと言うので仕方なく置いて来たそうだ。
めいちゃんだいじょうぶかな。ちょっと心配なおばあちゃん。
孫たちのはしゃぎ声も聴こえなくて我が家はひっそりと静かな夜。
2019年01月01日(火) |
あたらしい年を一歩一歩 |
ひっそりと静かに新年を迎える。
こころはとても穏やかだった。
なんだか新しい本のページを開くような心地よさ。
「お寺へ連れて行って」じいちゃんにお願いして
今まで行ったことのないお寺に連れて行ってもらった。
四国霊場36番札所の「青龍寺」まで足をのばす。
どんなお寺なのだろうとわくわくと心がはずむ。
それは小高い山の上にあった。本堂まで見上げるほどの石段。
その長い石段を軽々と上るじいちゃんの背中を追いかけながら
はあはあ息を切らしつつやっとの思いでたどり着く。
足腰がかなり弱っており最初で最後なのかもしれないとふと思う。
たくさんの参拝客に混じって般若心経も唱えられなかったけれど
心を込めてお参りをすることが出来てほんとうに良かった。
手を合わすといろんな想いがこみ上げてくる。
せっかちなじいちゃんに急かされて後ろ髪を引かれるように石段を下りた。
それでも「海を見ながら帰るか」と言ってくれてありがたいこと。
横浪半島はほんとうに久しぶりでとても懐かしく思う。
海は凪いでいてまるで春の海のように穏やかだった。
心が洗われるよう。どこまでもどこまでも広く眼前に広がる海。
とても清々しく穏やかな心のままで、また一歩一歩日々を歩んでいこう。
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