今日も暖かく過ごしやすいいちにちだった。
とうとう11月も最後の日となる。 師走に入ればあらあらという間に今年も終わってしまいそうだ。 急ぎたくはないけれど背中を押されるように進んでしまうことだろう。
あっけなく過ぎていく毎日。とても平凡な毎日。 そんな日々をどれほど大切にしているかと自分に問う。
ただ流されているだけなのかもしれない。 けれどもその一日は一生に一度しかない一日でもあった。
ささやかなことを嬉しいと思いささやかな幸せを見つける。
そのためには自分が笑顔でいることがいちばん大切なこと。
思うようにはいかないときがたくさんあるけれど。
今日の笑顔に花まるをつけてそっと閉じたいと思う。
明日のことはなにもわからないけれど。
目覚めるたびに朝があることはとてもありがたいことだった。
2011年11月29日(火) |
おとななんだけどこども |
曇り日だったけれど気温は20℃を越えとても暖か。 散歩をしていると薄っすらと汗をかく。それが心地よい。 体力さえあればどこまでも歩いて行けそうに思った。
12月も目前。またすぐに寒い日が巡って来るだろう。 弱音を吐かず立ち向かうよう冬を乗り越えて行きたいものだ。
今夜は久しぶりに息子が帰って来て三人で夕食。 なんとなくそんな気がして鰹を買って来ておいて良かった。 タタキを作る。鰹は脂がのっておりとても美味しく出来る。
ご飯をおかわりしてくれる息子がとても嬉しかった。 この一年ほどですっかり痩せてしまっていたから。 たくさん食べて少しでも太ってくれたら良いなと思う。
相変わらず仕事が厳し過ぎて辛そうだった。 どんなにかストレスが溜まっている事だろう。 けれども以前のように深刻ではなさそうで少し安心する。
「次は焼肉にしようぜ」元気にそう言って帰って行った。
「いつでも帰って来なさいよ」笑顔で見送る母であった。
おとななんだけどこども。こどもなんだけどおとな。
父や母はどんなに老いても親でいられることがありがたかった。
2011年11月28日(月) |
またひとつ重ねてみては |
雨が降りそうで降らずなんとか持ちこたえていた空。
おもいっきり泣いちゃえば良いのにと声をかけてみる。
不安定な空はちょっと昔の誰かさんに似ている。
たんたんと仕事をする月曜日。 朝いちからちょっと苛立っている人もいた。 今にバクハツするのではないかとはらはらしながら。 出来るだけ穏やかに接するように心がけていた。 はあ・・疲れた。明日は笑顔でいてくれたら良いな。
除草作業の終わった散歩道にあまりにもたくさんのゴミ。 見るに見かねて今日こそはとゴミ袋を提げて出掛けたけれど。 作業員の人達が来ていてそれは綺麗に片付けてくれていた。 それがとても嬉しかった。除草以外の余分な仕事だったろう。 どうしてこんなにゴミを捨てるのかと悲しく思ったかもしれない。 ほんとに頭が下がる思いである。綺麗にしてくれてどうもありがとう。
お大師堂には若いお遍路さんがいてぐっすりと眠っている様子。 投げ出している足の裏が真っ赤になっていてとても痛々しかった。 よほど疲れているのだろう。戸を開けても気づかずに眠っていた。
起こしてはいけないとそっと戸を閉めて外から手を合わせて帰る。 お大師堂で寛いでくれるのが嬉しい。少しでも疲れを癒してほしい。
そうして夕陽が見えないまま日が暮れていった。
折りたたむようないちにち。昨日のうえに今日を重ねていく。
何も変わりない薄っぺらな紙のようなそれが束になっていく。
けれどもそれが私の宝物。そう言える日がきっとくるのだから。
2011年11月27日(日) |
平凡を絵に描いてみると |
曇り日。風もなく暖かな日曜日となる。
特に予定もなくのんびりだらだらと過ごすばかり。 平凡を絵に描いてみるとぽっかり浮かぶ雲のよう。
散歩道で小学生の男の子達と会う。 「柴ちゃんだ〜」と言って駆け寄ってきてくれた。 お菓子をくれようとしてくれたり頭を撫でてくれようと。 せっかく遊んでくれようとしているのにあんずが嫌がる。 男の子達に囲まれてびっくりしたのだろうか。 臆病なところはいつまでたっても変わらなかった。
「ごめんね」ってみんなに謝ってその場を離れる。 「ありがとうね」って言えば良かったのにと後から思う。
お大師堂に行けばすぐそばに水仙の花が咲き始めていた。 昨日は気づかなかったから今日咲いたばかりなのかもしれない。 つぼみがたくさんふっくらとふくらんでいて明日も楽しみだ。
山茶花や水仙や。冬には冬の花が咲いてくれることのありがたさ。
どんなに寒くなってもそんな花のように微笑んでいたいものだ。
2011年11月26日(土) |
きんつば美味しかったよ |
寒さが少し和らぎ久しぶりの小春日和となる。
近くの地場産市場まで歩いて買物に行く。 従兄弟に会ったり親戚のおばさんに会ったり。 歩いていると思いがけず会話が進むものだった。
新鮮なほうれん草を買い、好物の「きんつば」を一個買った。 普段は甘い物を控えているけれどたまに食べたくてしょうがない。 「きんつば」美味しかった。三個ぐらい食べたいくらいだった。
市場のすぐ隣が私の畑がある場所。もう諦めてはいたけれど。 やはり豌豆の芽は出ておらずなんとも情けない気持ちで帰路に着く。 どんな時もあるものだ。今年が駄目でもまた来年挑戦してみようと思う。
午後は散歩の時間までまたごろごろと茶の間で過ごす。 なんと無駄な時間だろうとつくづく思うけれど。 それも平和なひと時だった。何もすることがないそれもありがたいこと。
あんずの甘え声に急かされるように散歩に行く。 無理やりお大師堂まで連れて行かなくなって彼女はご機嫌のようだ。 歩く距離も今までの半分ほどだというのに満足している様子。 「もういいの?」と訊いてもさっさと家路を急ぐようになった。
それから私は自転車でお大師堂に行きゆっくりとお参りをする。 平穏な一日に感謝をし、みなの無事を祈り手を合わしている。
そうしてとても清々しい気持ちになって家路に着く。
今日も平凡で何気ない一日だったけれど。それがいちばんありがたいこと。
相変わらず寒い日が続いている。 南国高知の天狗高原にも初雪が降ったそうだ。
平野部にもやがてそんな日が訪れることだろう。 寒いのは苦手だけれど雪景色は決して嫌いではない。
昼間。仕事でとある老夫婦のお宅を訪ねた。 農作業の手を休めてくれてしばし語らう。 おじいさん、おばあさんと互いを呼び合うふたり。 なんとも仲睦まじくほっこりとした気分になった。
帰り際に蜜柑をいただき二人して私を見送ってくれた。 その笑顔のあたたかいこと。とても嬉しくてならない。
そうしてクルマを発進させた途端。胸がいっぱいになり。 なぜだか涙がほろほろと溢れ出してきたのだった。
もちろん嬉しさもある。けれどもそれ以上に感じたのは。 私達もあんなふうに老いていけたらどんなに良いだろうか。 彼とふたり長生きをしてお互いを思い遣りながら暮らしたい。
それがなんだか夢のように思えて感極まったのだと思う。
生きてみなければわからないこと。もしかしたと思う不安。
まだまだこれからの人生だと思いたいのだけれどやはり心細い。
10年前には思いもしなかったことが今は現実となり押し寄せてくる。
生きたい。いきたい。生きたい。いきたい。それが私の夢になった。
空はよく晴れていたけれど冷たい風が吹き抜ける。 一週間後にはもう師走。なんと早いことだろうか。
日々は穏やかなようでいて駆け足で過ぎて行くばかり。 焦ることなど何ひとつないのだけれど気が急いてくる。
ゆっくりのんびり行こうではないかとつぶやいてみる。
昨日考えさせられることがあって。 今日から散歩のスタイルを変えてみることにした。
真っ先にあんずの散歩を優先させること。 好きなように歩かせてあげて道草もさせてあげる。 いつものコースより少し短いのだけれど。 彼女にとってはそれでじゅうぶんのようだった。
もちろんもう嫌な思いをさせることもない。 あの雄叫びのような泣き声を聞くこともなかった。
そうして一度帰宅してから今度は私の日課を全うする。 自転車に乗ってお大師堂にお参りに行くのだった。 今日は風がとても冷たかったけれど自転車の気持良いこと。 何よりもあんずに嫌な思いをさせないで済むのがいちばんだった。
もっと早くこうしていれば良かったとつくづく思う。 そもそもそれぞれの日課を同時にしようとしていたのが間違いだったのだ。
5分や10分の時間を惜しむことなどない。 これからはそうしてそれぞれの時間を大切にしたいと思う。
お大師堂では広島から来たと言う若いお遍路さんと出会った。
これからもいろんな出会いがあることだろう。楽しみなことだ。
音もなく静かに冷たい雨が降る。 すっかり冬篭りの気分になり炬燵で過ごすばかり。
ワオワオで「犬と私の10の約束」という映画を見た。
犬の十戒というものがあることを初めて知る。
自分がなんといいかげんな飼い主だろうと深く反省させられた。 思いやりの足らなさ。優しさの足らなさ。愛情の足らなさ。 すべてが思い当たる事ばかりであんずがとても可哀想になった。
いまからでも遅くはないだろうか。心を改めなければと思う。 そうすればもっと心が通い合うのではないかと信じたい。
雨上がりの散歩道。今日はお大師堂に立ち寄るのをやめにする。 繋がれている間に泣き叫ぶのは何か理由があってのことだろう。 寂しいのか。心細くて不安なのか。それを理解してあげなければ。 今まで通りにしていてはいけないのだなと深く考えさせられた。
今日はとてもおとなしくて素直だったあんず。
きっと彼女にとって最高に嬉しいお散歩だったことだろう。
初霜が降りとても寒い朝だったけれど。 日中は風もなく穏やかな小春日和となる。
お昼休みに庭に出て日向ぼっこをした。 見上げる空は雲ひとつなくなんとも心地よい。
まるで時間がとまったようにしばし佇んでいた。 どこからか名も知らぬ鳥の声が聞こえてきたり。 あたりの山々が所々色づいているのにはっとしたり。
あふれんばかりの自然に恵まれていることをありがたく思う。
ここは私の第二のふるさと。9歳から12歳まで暮らした山里。 子供の頃には感じることもなかった郷愁をいま感じている。
父がいて母がいて弟がいて「ゆう」という名の犬がいた。 思い起こせば懐かしいことばかり。ずいぶんと歳月が流れてしまった。
縁あってこの山里で仕事をするようになってもう23年が経つ。 なんだか駆け抜けたような歳月だったなとつくづく思っている。
若かった母もすっかり老いてしまった。 そういう私も追いかけるように老いを感じている。
苦労を重ねてきた母。そばにいてあげるだけだった私。
どん底だった時もあったけれど今はこうして平穏でいられる。
おひさま。ぬくぬくであったかいな。
日向ぼっこをしながら過ぎ去った日々がとても愛しく思えた。
いちだんと肌寒い朝。風も冷たく身震いをするほど。 まだまだこれからが冬本番。少しずつ慣れていくだろうか。
年々寒さに弱くなっている我が身を感じる。 子供の頃には大好きだった冬が苦手になる。 霜柱を踏んだり雪遊びをしたのは遠い昔のこと。
いまは老いた猫のようになって陽だまりをさがしている。
このままで良いのだろうかと猫はおもう。 もっともっと冬の楽しみを見つけたいものだ。
いつもの散歩道。ついに冬の防寒着を着て行く。 フードをすっぽりと被ればとても暖かかった。 何人か散歩仲間に会うと皆まだ薄着で頑張っている。 少し恥ずかしくなってそっとフードを外したりした。
お大師堂は西日が差し込んでぽかぽかと暖かい。 しばらくそこでまったりとしていたいのは猫のせいか。
相変わらず泣き叫ぶあんずのこともあまり気にならなくなった。 どんなに呼んでも私はわたしの日課を全うするしかない。
せっかくの穏やかな気持ちが犬と喧嘩していては台無しだもの。
と。猫はおもう。ぐんぐんと早く家に帰ろうと急ぐ犬の後から。
わざとゆっくりと歩いてみせる猫であった。
雲ひとつない青空。小春日和かなと思っていたけれど。 風がだんだんと強くなり木枯らしのように吹き荒れる。
朝のうちに買物に行った。食料品を買い衣料品を見る。 特に欲しい物もなくあれこれと手にとっては元に戻す。 普段はそんな時間がないから日曜日ぐらいはと思った。
午後は例のごとくごろごろ。炬燵がとてもありがたい。 「アッコにおまかせ」を見ているうちに眠り込んでいた。 何度か目を覚ましてはまたうとうととついに三時になる。
洗濯物を取り入れているとあんずがまた大声で叫び出す。 「早くしろ」と命令されているようでちょっとむっとした。
甘えているだけだよ。彼が言ってくれてはっと我に返った。 知らず知らずのうちに犬と張り合っている自分が可笑しい。
冷たい向かい風の中を突っ切るようにしてふたりで歩いた。 もしもあんずがいなくなってしまたらとふと考えていた。 私はひとりでも散歩を続けられるだろうかなんて思った。
ながくてあと5年。犬の寿命の短さをあらためて感じる。 そう思うとどんなに喧嘩をしてもこんなに愛しいものはなかった。
甘えたいだけ甘えればいい。いっぱいわがまま言えばいい。
母さんはいつも優しいわけではないけれど。ゆるしてねあんず。
朝から激しい雨と風。まるで嵐のようだった。 雨音を聞きながら家の中でまったりと過ごす。
そんな雨もお昼過ぎには小降りになりサチコがやって来た。 悪阻も治まったようで食欲が出てきたらしくたこ焼きを持参。 たくさん買って来たのだよと言うので私もごちそうになった。
茶の間でお腹の赤ちゃんのビデオを見る。 ひと月前より確かに大きくなっていてほっとする。 元気に動いている心臓。時々手も動かしていて可愛い。 へその緒らしきものも見える。しっかりと繋がっているんだ。
なんとも神秘的なせかい。感動もひとしおであった。
また来月のお楽しみね。元気に帰って行く娘を見送る。 その頃には雨もやみうっすらと陽が射し始めていた。
雨上がりの道を散歩する。とても清々しい気分だった。 青空がなにかのごほうびのように雲の間から見えた。
増水して濁った川に夕陽が道のような光を映し出して。 きらきらと眩しく光る。その光が水を清めてくれるように。
ゆっくりとゆっくりと歩いた。しんこきゅうをいっぱいした。
小雨だった雨が夕方から本降りになってきた。 雨水の弾ける音。地面を叩きつける音。 そのリズミカルな音が耳に心地よく響いてくる。
雨の夜が好きだ。うまく言葉に出来ないけれど。 なんて言ったら良いのだろう。すっぽりと水に。 つつみこまれた湖のなかの生物のようなきもち。
ラベンダーのお香を焚きうっとりとしているいま。 あれこれと日々の事など綴ろうとしていたけれど。 それがなんだかどうでも良い事のように思えてきた。
いまはいまをたのしもう。それがいちばんかもしれない。
今日も平穏な一日だった。とてもありがたいこと。
明日は娘のサチコが顔を見せてくれるそうで楽しみでならない。
2011年11月17日(木) |
なんでもないことだけれど |
晴れのちくもり。週末は雨になりそうだ。
夕陽の見えない散歩道を歩く。 ひっそりとしていてし〜んと静かだった。 ただ川の水だけがひたひたと囁いている。
夕食の支度を終えさあ食べようとしたら。 炊飯ジャーの中がかっらぽであらまあだった。 おにぎりでも買って来ようと急いでコンビニへ行く。
そうしたら思いがけずに温かなご飯を売っていて助かる。 お茶碗を汚さなくてもと彼が言いパックのままで食べた。
大相撲中継を観ながらいつもと変わらない平穏な時間。 そそっかしくてちょっとヘマをしたけれどそれも忘れる。
明日の朝はちゃんとご飯が炊けていますように。 そうしてまた平穏にいちにちが始まりますように。
なんでもないことだけれど。それがとても幸せなことに思える。
ご飯を食べたりお風呂に入ったりお布団でぐっすり眠る。
そんな日々の当たり前のことがとてもありがたいことに思える。
ストーブの準備をしておいてよかった。 今朝はそのオレンジ色に心まで暖かくなる。
北の地からはもう雪の便りが届き始める。 どんなにか寒いことだろうと気遣っている。 ながいながい冬。耐え忍ぶような毎日だろう。
南国の冬はつかの間。寒いと言うのも心苦しく思う。
日中はありがたいことに小春日和。 仕事の手を休めてはその陽射しを浴びた。
おひさまのちからはすごいなとおもう。
からだのなかから芽が出てきそうだもの。
それはいつかまいた種。生きているなっておもう。
その芽を大切に育てて春になったら花を咲かそう。
帰宅していつもの散歩道。 除草作業がどんどんと進んでいる道を歩く。 川沿いの道には刈られたススキが横たわっていた。 それはたくさん。なんだか安らかに眠っているよう。
刈られるということは無残なことではないのかもしれない。 ふとそう思った。ススキは少しも悲しそうではなかったから。
げんじつをうけとめるというのはこういうことかな。
なんだか散髪をしてもらってすっきりとしたような根。
だって根はいつまでも生き続けることが出来るのだもの。
その根のことを愛しくおもう。生きているよねって語りかける。
朝の肌寒さが日に日に増していく。 明日の朝も冷えそうでストーブの準備をした。
寒いのは苦手だけれど暖を取る楽しみがある。 炬燵も好き。ストーブのオレンジ色も好きだ。 そうそうそれからお気に入りのちゃんちゃんこも。
今日は父の命日。もう8年が経ってしまった。 しんみりと思い出すことも多いのだけれど。 いつまでも寂しがっていては父が悲しむだけ。 そう思うといつも通りに微笑んでいるのがいちばん。
だって父はいつもそばにいてくれるから。 その存在を確かに感じている毎日だった。
そうしてみんなを見守ってくれている。 平穏無事でいられるのは父のおかげだと思う。
「ねえ、おとうちゃん」遺影に手を合わせ話しかける毎日。
「おお、そうか。それはよかった」と応えてくれる父。
これからもいっぱい私の話を聞いてね。
そうして一緒に喜んでいっぱい微笑んでいてね。
おとうちゃんいつもありがとう。
今日もねみんなが無事で元気でいられたよ。
朝の肌寒さもつかの間。すぐに暖かくなりほっとする。 春風に似た風が吹いていた。風に吹かれながら空を仰ぐ。
そんな時はふと何かを考えようとしてしまうくせがある。 どうしようもできない事だったり堂々巡りだったりして。
いやいやと首をふる。ただ空を仰いでいるだけでよいのだ。 ぼんやりとしている時間。それがとても大切に思えてくる。
そよ吹く風に吹かれながらぽつねんとしている自分を見る。 心細いことなど何もない。こんなに生きているのにと思う。
大橋を渡って帰宅していると土手の除草作業をしていた。 ああまたそんな頃。なんともあっけなく刈られていく草。 どんどんと雀色に変わっていく土手はなんだかさびしい。
これも冬支度。そうして春の新しい緑を待つしかなかった。 蓬や野スミレや土筆。土の中で息をしている命たちを想う。
老いたススキにさよならを告げるように散歩道を歩いた。 また季節が巡ればきっと会える。決して悲しみやしない。
そうして今日も平穏に暮れていった。
「ありがとうございました」今夜も手を合わせて眠りにつこう。
小春日和に誘われてパンジーの苗を植える。 殺風景だった庭が一気に明るくなった気がする。
パンジーは寒さに強い花。 雪に埋もれることがあってもきっと大丈夫。 そんな花に元気をもらって私も春に向かいたい。
夕暮れ間近の散歩道。夕陽がとても綺麗だった。 川向の山に溶け込むようにして落ちていく太陽。 川面が茜色に染まり水の頬を撫でるように落ちる。
私は平穏をかみしめていた。決して砕かないように。 そっと抱くようにしてそれを胸につつみこむように。
誰もがみんなそうであればどんなにかよいだろうか。 太陽はひとつきりだと言うのにそれぞれの一日がある。
どんなに微笑んでいても涙をながしているひともいる。 そう思うとこころが痛む。どうしようもできないけれど。
出来ることは祈ること。それが私に与えられていること。
手を合わせ目を閉じると不思議な光が見えることがある。
それはきっとこころの太陽。ひとつきりの太陽がそこにある。
快晴ではなかったけれど久しぶりに青空が見えた。 気温も高くなりぽかぽかと暖かい小春日和となる。
平穏な週末ではあったけれど気掛かりな事もあった。 少しでもちからになりたいとはがゆいように思うばかり。
そうしてどうしてもっと早く気づいてあげられなかったのだろうと。 自分を責めたくもなってくる。そのために出会った人かもしれないのに。
今はただ無事を信じて祈るばかり。どうか光を。 すべての光をその人に届けてあげたい気持ちでいっぱいである。
生きているってすばらしいこと。
枯れ始めた野菊だってちゃんと生きている。
老い始めたススキだって風の中で息をしている。
川は海に抱かれるために流れることをやめない。
みんなみんなあたえられたせかいを生きている。
見守られていることを忘れないで。
きみは決して独りぼっちではないよ。
今日も不安定な空模様。時々小粒の雨が落ちる。
幸いなことにこころは晴れている。 くよくよと思い詰めることもない。
どんな時もあるものだけれど。 こんな時を大切にしたいものだ。
多忙だった仕事を終えて帰宅。 今日もあんずの叫び声に急かされ散歩に行く。 途中で自転車に乗った子供たちと一緒になり。 ワンちゃんと遊びたいよと言ってもらって嬉しかった。
ちょっと繋いでおくから遊んであげてねと言った矢先。 リードが首輪から外れてしまってあんずが逃げてしまった。
子供たちも一緒に追いかけてくれたけれど。 追えば追うほど好き勝手に逃げ回るのだった。
「野良犬になっちゃっうよ」子供たちの言うとおり。 「お菓子をあげてみようか」そう言って協力もしてくれた。
けれどもとても素早くてどうしても捕まえられない。 そのうち子供たちも諦めてしまって「ばいばい」となる。
私ももう知らない。勝手にすればいいわ。 土手で遊んでいる彼女を無視して家に帰って来た。
そうしたらとぼとぼと後を追ってくるではないか。 犬小屋まで戻ったところをソーセージを見せてやっと捕まえた。
でもなんだか叱る気にはなれなくてそっとしておく。
毎日どんなにか我慢をしていることだろうと思うと。 たまには好きなようにさせてあげても良いだろうと。
人間だと80歳が近いおばあちゃん犬である。
それなのにいつまでたっても甘えん坊でやんちゃなところがちょっと好き。
今日も曇り日。いちだんと肌寒くすっかり初冬を思わす。
おひさまが恋しい。やわらかな陽射しをいっぱいに浴びたい。
仕事から帰宅するなりあんずが叫ぶように声をあげる。 おしっこを我慢していて私の帰りを待ちかねていたようだ。
ほらほら大急ぎと全速力で土手へと駆けていく彼女。 私も引っ張られながら走った。ふぅ早くも息が切れる。
彼女はとても気持ち良さそうにおしっこをする。 その恍惚とした顔。なんともいえない顔をする。
そうしてそれが済むと今度はのんびりと歩き出す。 相変わらず草と戯れるのが好きで道草ばかりしている。
お大師堂の近くの石段の手すりに彼女を繋いだ。 それが彼女にとっていちばん嫌なことのようだ。
とにかく悲鳴のような声をあげて叫び続けている。 置いとけぼりにされるのがよほど寂しいのだろうか。 単に我がままなのだろうか。それは知る由もないけれど。
泣き叫ぶ我が子を独りぼっちにするような母の気持ちになるのだ。
けれどもそれがもう日課になってしまった。 そうして私はやっとお大師堂にお参りすることが出来る。
そこまでしなくてもとふと自分を咎めるような気持ちにもなる。
けれどもこれだけは譲れないと強気になってしまうのだった。
お大師様もきっと毎日微笑んでいることだろう。
ワンちゃん今日も泣いてますよってつぶやいているかも。
「ありがとうございました」手を合わせ何度も頭をさげて。
決して急ぐことなく彼女の元へと帰る。
そうして頭を撫でてあげるとご機嫌になる彼女であった。
どんよりと曇り日。気温も低く肌寒い一日だった。
昨日少し興奮気味だったせいか。 今日は気が抜けたようにしぼんでいた。 いいえ元気がないのでは決してなくて。 平穏な一日を楽しむような気持ちだった。
嬉しかったのはずっと応援していたお遍路さんが。 今日無事に結願した事。感動で胸がいっぱいになった。 ほぼ二ヶ月の長い旅だった。どんなにか疲れた事だろう。 けれどもたくさんの経験をしてすごく成長したのではと思う。 きっと彼にとって一生忘れられないお遍路旅になる事だろう。 縁あって私も出会うことが出来た。感謝の気持ちでいっぱいである。
お疲れさま。おめでとう。それ以上に「ありがとう」と伝えたい。
仕事を終えてクルマに乗ろうしていたら。 職場の庭にいた母が大きな声で叫ぶように私を呼び止めた。
そこには山茶花が一輪。今日開いたばかりのように咲いていた。 あたりの風景が冬枯れていくなか。その花のなんと可憐な事だろう。 まわりにはたくさんの蕾。それが希望のように微笑んでいるではないか。
耳を澄ませば冬の足音。冬の花だってしっかりと生きていてくれるのだ。
PS:先日の試験の結果がわかりました。合格です!ほっとしました。
久しぶりに肌寒い朝。ああ立冬だなって思ったのもつかの間。 日中はまた気温が高くなりすっかり小春日和となる。
真っ青な空は抜けるようにどこまでも広がり。 降りそそぐ陽射しはまるで光の天使達のよう。
手のひらをかかげてそんな空を仰いでみるのがいい。 生きていることがどんなに幸せなことかがきっとわかる。
今日は嬉しいことがたくさんあった。 先日からのお遍路さんふたりとまた出会うことが出来たのだ。 ひとりは山里での道で。もうひとりは帰り道の県道で。 ふたりともとても元気そうに歩いていてすごく嬉しかった。 つかの間の立ち話にも笑顔で応じてくれてますます嬉しく。 名残惜しかったけれどきっといつかまた会えるような気がした。
そんな嬉しい再会の後。先日頂いた安産のお守りを娘に届けに行く。 サチコもとても喜んでくれた。これで絶対に安心だねとほっとした様子。 心のこもったとても心強いお守り。きっと丈夫な赤ちゃんが生まれます。
それからサチコの好物のさつま芋の甘煮を作ってあげた。 アパートに行っても玄関ですぐに帰ってしまう事が多かったから。 「食べたいよう」と言って甘えてくれたのがすごく嬉しかった。
どう?久しぶりの母の手料理。味見するサチコの笑顔がまた嬉しい。
すっかり有頂天になってしまった母はふわふわしながら家路に着いた。 嬉しいことがこんなにたくさんあって良いのかしらとふと思ったけれど。
以前のように不安になったりはもうしない。
お大師様がごほうびをくれたのかなって思うようになった。
ありがとうございました。今日も心から手を合わしています。
私信:「Fちゃんお誕生日おめでとう」
生まれた日があるから今があるのですもの。 これからも前を向いて突き進んでいきましょうね。
ここ数日ずっと気温の高い日が続いていたけれど。 明日の朝から平年並みになりまた冷え込みそうだ。
明日はもう立冬。冬の足音がすぐ身近に感じられるようになる。 毎日が駆け足のように過ぎていく。秋と語り合う日々は僅かだった。
朝の国道で昨日出会ったお遍路さんを追い越す。 長いトンネルの中間あたり。確かにその人の後姿だった。 寒くなれば野宿も大変なことだろう。どうか元気でと。 手を合わすような気持ちでその姿を目に焼き付けて行った。
夕方の散歩道。お大師堂に立ち寄ると備え付けのノートに。 その人が書き残してくれた言葉と綺麗なスケッチが書かれてあった。 四万十川に沈む夕陽を描いたそれは素晴らしい風景画だった。
感動で胸がいっぱいになる。そうしてここで寛いでくれた事が嬉しい。
おせっかいな私のこと。良かれと思った事が良くない事がたまにある。 けれどもそれが私の言う「種まき」なのかもしれないとつくづく思った。
ささやかな縁でも決して粗末にしてはいけない。
ためらわずに声をかけることも大切なことだと思う。
日々。一期一会。これからもたくさんの人と巡り会いたいものだ。
2011年11月06日(日) |
お遍路さん(その7) |
今日も青空は見えずすっきりとしないお天気。
昨日に引き続きお大師堂に泊まる予定のお遍路さんを待っていた。 その人もミクシィを通じてお遍路中だと知った人だったけれど。 昨夜メールを頂きお大師堂のことを教えることが出来たのだった。
28歳の青年。なんだか自分の息子のように思って見守っていた。 まさか私のことを頼ってくれるなど夢にも思っていなかったので。 昨夜のメールはほんとうに思いがけずに嬉しいことであった。
そろそろ着く頃かしら。窓辺から土手の道を何度ものぞく。 そうして午後3時半頃。大きな荷物を背負って歩くその人を発見。 もちろん顔も知らない人だったけれど確かにその人だと思った。
すぐに駆けつけたいような気持ちをほんの少しがまんして。 いつもの散歩の時間を待ちゆっくりとお大師堂を目指した。
そうしたらその人が外に出て私のことを待っていてくれた様子。 不思議だったのは初対面だと言うのにまったくそれを感じさせない。 なんともいえない懐かしさ。まるで再会したような気持ちになった。
ほんのつかの間だったけれどいろいろと話しをする事も出来て。 とてもありがたい貴重な時間を頂いたように思う。
ささやかな。ほんとうにささやかな縁にほかならない。
けれどもこんな出会いがあるから私の人生もまんざらではなかった。
「またきっと会いましょうね」そう言って別れる。
後ろ髪を引かれるような思い。なんとも名残惜しいお別れだった。
どうかこれからも元気で。晴れて結願の日を迎えられますように。
私はまた母のような気持ちになり彼の日々を見守っていきたいと思う。
11月とは思えないほどの蒸し暑さ。 夕方から小雨が静かに降り始める。
昨夜は娘夫婦と双方の家族が揃いささやかに小宴。 実は一緒に暮らし始めてもうすぐ2年だというのに。 いまだ顔合わせのような儀式めいた事をしていなかった。 だからあちらのお母様やご兄姉と会うのも初対面となる。
堅苦しさは抜きにして気楽に会いましょうと言うことで。 市内の居酒屋さんの座敷でわきあいあいと飲み交わすことに。 おかげでみんな笑顔の楽しい夜を過ごす事が出来た。
これからもっと親しくなれることだろう。 娘夫婦もほっとした様子。私達もすごくほっとしたのだった。
娘サチコの悪阻も峠を越えたようでだいぶ食欲も出てきた。 後はただただ順調を祈るばかり。毎日手を合わせていたいと思う。
今日はミクシィを通じてお知り合いになったお遍路さんと再会する。 なんと嬉しいことに安産のお守りをいただくことが出来た。 感謝感激。涙が出るほど嬉しくこんなにありがたいことはない。 サチコもきっと喜ぶ事だろう。とても心強いお守りだった。
ささやかな縁でもこうして気遣ってくれる人がいてくれる。
それがどんなにか幸せなことかとあらためて感じたことだった。
少し薄暗いような曇り日。 気温も高めで蒸し暑さを感じるほどだった。
朝のうちに久しぶりの畑仕事をする。 夏の間にすっかり荒れていた畑だったけれど。 彼が暇を見てミニ耕運機で耕してくれていたのだ。 おかげですっかり諦めていた種蒔きをすることが出来た。
スナップえんどうの種を蒔く。 相変わらず素人の手つきだけれど。 芽が出てくれたらどんなにか嬉しい事だろう。 そうしてそれが育ってくれるのが何よりの楽しみ。 もちろん収穫までこぎつけたらもっと嬉しいけれど。
畑仕事に限らず。毎日が種蒔きなのだと思うことがある。 たとえばちょっとした何かを始めようとしたとき。 先のことは何もわからなくてもやってみないとわからないから。 すべてが良い結果になるとは限らなくても挑戦するような気持。
それから日々の出会いもまた種蒔きに似ているなと思う。 縁があるからひとは出会う。その縁を育てる楽しみがある。 それも先のことは何もわからない。ぷっつりと途絶える時もある。 けれどもどんなにささやかな縁でも忘れずにいたいと思うのだ。
出会えてほんとうに良かったと思える花が咲く。
その花が実になることを信じる喜びもある。
種を蒔く。こころの畑に種を蒔く。
曇り日。相変わらず暖かい日が続いている。
今日は損害保険の試験があり高知市まで出掛けていた。 二時間ほどの列車の旅。がたんごとんと響く音だったり。 車窓から見える風景だったりがとても好きな私だった。 終点は岡山。途中下車せずそのまま旅がしてみたいものだ。
けれども今日はそれどころではなくて。 そわそわどきどきと落ち着かないまま列車に揺られて行く。
高知駅から試験会場までは弟のタクシーに世話になる。 久しぶりに会う弟。車中ではずっとおしゃべりがやまない。 運転手の制服が似合っている。弟も頑張っているのだなって思う。
試験は人生初体験のコンピューター試験だった。 パソコンの画面に問題が次々と出てきたりするもの。 よほど緊張していたのだろう。マウスを持つ手が震える。 残り時間も表示されていてだんだんと焦ってくるのだった。
これは心臓に悪いなと思った。きっと血圧もあがっていただろう。 うっすらと冷や汗のようなものまでかきやっと試験が終了した。
試験は思った以上に難しかった。まだまだ勉強不足のようだ。 結果は来週にはわかるらしい。どうか合格していますように。
試験会場を出ると弟のタクシーが待っていてくれた。 弟の顔を見ると一気に緊張がとけてほっと微笑むことが出来た。
高知駅で帰りの列車を待つ間。「高知おもてなし隊」というので。 思いがけずに「よさこい踊り」を見ることが出来た。 鳴子も手渡されて一緒に踊ってみましょうとか照れくさかったけど。 見様見まねでやってみたらすごく楽しかった。
ああ、もう試験終わったんだなって。その時すごく嬉しかった。
早いものでもう11月。 今年もあと二ヶ月かと思うと。 あらあらと言う間に時が流れてしまいそうだ。
霜月といえどもぽかぽかと暖かいいちにち。 ある朝とつぜんに霜がおりる日もあるだろう。 立冬も近くなり身構えるような気持ちでいる。
冬は決して嫌いではないのだけれど。 年々寒さに弱くなっていく我が身を感じる。
さて。今日もいつもの散歩道。 お大師堂に向かっていると顔見知りのお遍路さんが出迎えてくれた。 山梨のMさん。前回の再会からちょうどひと月が経っていた。 よほどの健脚と見えてその早さにとても驚いてしまう。 慣れてくるとこんなものですよと笑っていたけれど。
私のひと月とMさんのひと月はあまりにもかけ離れていて。 日々だらしなく過ごすばかりの自分が情けなく思えてくる。
けれどもそうして生きていくしか道がない。 Mさんの生きる道がどれほど尊いことだろうか。
歩き続けている限りまたきっと会える日が来る。 それはとてもありがたい縁なのだとつくづく思う。
じゃあまたね。なんだか友達みたいに声を掛け合って別れた。
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