ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2009年10月31日(土) 愛しいこどもたち

小春日和というのだろうか。ぽかぽかと暖かい一日。

午前中に少しだけ畑仕事をする。雑草がいっぱいだった。
例の蟹にやられていたキャベツも葉がまるく巻き始めた。
もう駄目だろうとあきらめていた白菜も少し元気になる。
ほうれん草はわずか。数えたら10本あった。じゅうぶん。
大根はとても元気。間引き菜でお漬物を作ることにする。

それが初めての収穫。若い緑が愛しいくらい嬉しかった。


お昼下がり。思いがけず息子君がやって来る。腹減った!
残り物の大根と厚揚げの煮付け。どんぶりで猫まんまする。

子供の頃から猫まんまが大好きだった事を一気に思い出した。
父親の行きつけの喫茶店によく一緒に行っていたのだけれど。
お父さんは珈琲。しんくんは?と訊かれると「猫まんま!」
朝御飯を済ませていても別腹でそれを掻き込んでいたらしい。

あれこれと話したい事があるようなないような。風のように。
いつも彼は去って行く。嵐みたいな子だねと後になり笑った。


サチコは昨夜急に発熱。心配していたけれど今朝は熱が下がる。
仕事中にまた悪くなるのではないか。大丈夫だろうかと気掛かり。
子供の頃にはめったに風邪も引かないとても元気な子供だった。
おとなになってからよく熱が出る。微熱が何日も続く時もある。

この先。仕事も家事もこなさなければいけない。ふっと不安になった。
幸い彼氏が料理好きなので手助けをしてくれるはずなのだけれど・・。
不安なことを数えていたらきりがない。うん、なんとかなるだろう。

今日は楽天でシューズボックスを買った。包丁に継ぐ二番目の買物。
まだまだ買わなければいけない物がたくさんある。来月が楽しみだ。


ひとり巣立ち。ふたりめが巣立とうとしている我が家。さびしさは。
もうすこし後にとっておこう。彼とふたりぼっちになったその時に。

愛しい子供たちのことをたくさん話したい。たくさん思い出したい。




2009年10月29日(木) 一期一会

朝の肌寒さがゆっくりと緩み始める。やわらかな陽射しだった。
猫になりたいと思うほどそれは真綿のように身を包んでくれる。


朝の道。国道の長いトンネルの手前で昨日の彼女に追い着く。
街路樹の近くに荷を下ろしひと休みをしているところだった。

つかの間の語らい。やはりもう何日もお風呂に入っていないとのこと。
昨夜のことを正直に話す。結局何もしてあげられなかった事を詫びた。

若い女性の身で野宿はどんなにか辛い事だろう。今日は行ける所まで。
重い荷物を背負っての旅は計り知れなくて。寝場所を探すのも苦労だ。

でも歩いてみます。少し不安そうな顔をしながら微笑んでくれたのだった。

12月8日で26歳になるのだそうだ。それまでにはきっと結願をしたい。
そう決めて大阪から四国に渡ったのだと言う。大丈夫きっと叶うから。
苦しい時や辛い時がどんなにあっても。嬉しいこともきっとあるから。

そう言って励ますのが精一杯だった。ぼちぼちと行こうね無理をせずに。

朝陽が射し始めた街路樹の下で名残惜しく手を振ってふたり別れる。
胸に熱いものが込み上げてくるのを振り切るように私は駆けて行った。

なんだろうこれは。それは痛みでもなく感極まったのでもない気がする。

涙がとまらなくなった。胸が熱くてならない。どうしようもなく熱くて。



これも一期一会なのだろう。ありがたい縁なのだろうとつくづくと思った。




2009年10月28日(水) わたしになにができるのだろうか

やわらかな陽射しを浴びてススキの穂が銀色に輝く。
老いたひとのようでありながらその姿が眩しかった。

すこしも誇らしげになくそっと控えめに歩む生き様。
そんなふうに私も生きたい。そんなふうに老いていきたい。



日暮れ間近。いつものようにあんずと川辺を散歩する。
お大師堂には人の気配がしていたのだけれど不思議と。
あんずが嫌がらず先へ先へと歩いて行ってくれたのだった。

そこにはお大師堂のお賽銭の管理をしている90歳のおばあちゃん。
そうしてその傍らにはとても若い女性のお遍路さんが佇んでいた。

しばし三人で語り合う。今夜はここで泊まるのだという彼女は25歳。
先月出会ったMさんと同じ年ということもあり親近感が湧いてくる。
そうしてあの時と同じように自分の娘のように思わずにいられない。

おばあちゃんもひ孫のように思うのだろう。とても嬉しそうだった。
私もたくさん話したかった。それなのになんて日暮れが早いのだろう。


帰宅してからも後ろ髪を引かれるような思いで彼に相談をしてみる。
お風呂に入れてあげたかったのだ。それはお節介かもしれないけれど。
若い女性の事。髪も洗いたいだろう。ゆっくり湯船に浸かりたいだろう。

けれども彼はうんと言わない。やはりそれはお節介だよと言うのだった。
彼にそう言われるともう何も言えない。なんだか悲しくなってしまった。

なにがよくてなにがいけないことか。わたしになにができるのだろうか。


そのあと自分は髪を洗った。ゆっくりと湯船に浸かりながら彼女を想った。

ただただ申し訳ない。これがあたりまえのことだなんてどうして思えよう。








2009年10月27日(火) 暮らしのにおい

すっきりと爽やかな秋晴れ。山里へ向かう道の銀杏の木が。
昨日よりも今日と色づいているのをはっと仰ぎ見る朝だった。

日中はとても暖かくなり。陽だまりに猫があくびをしていた。
「みぃよ、みぃよ」と勝手に名前をつけて呼んでみたりした。

のどかないちにち。仕事の手を休めてはぼんやりとするのがいい。



お昼休み。年に一度の行商の刃物屋さんが職場に訪れてくれた。
『土佐打刃物』と言って高知の伝統工芸でもあるらしいけれど。
そんじょそこらの包丁とは比べ物にならないほど立派な品だった。

20年くらい前だろうか私も母に買って貰い今も大切にしている。
その時の嬉しかったこと。私も娘に買ってあげる日が来るかな。
まだ幼かった娘の嫁ぐ日のことをふっと思い浮かべたことだった。

「一年が早いですね」そんな世間話を交わしながら私の目は輝く。
今がその時だと思った。サチコもきっと喜んでくれるだろうと思う。

包丁の種類はよくわからないけれど普通のとお魚用とを二丁買った。
ひとつはサチコ用。もうひとつは釣り名人の彼氏用にと奮発をした。

ふたりが肩を並べてお炊事をする姿が目に浮かぶ。母の勝手な妄想。
だとしてもなんと微笑ましいことだろう。すっかりその気の母だった。

包丁は一生もの。これほど暮らしの匂いがするものはないように思う。


暮らす。とうのふたりにはまだ実感もなければ不安なことも多いだろう。
始まってみなければわからないことがたくさんある。少なからず苦労も。

父も母もそんなふたりをいつまでもそっと見守っていきたい。

それが我が家の太陽だったサチコへの恩返しだと思う。





2009年10月26日(月) 終わればまた始まる季節へ

くもり時々雨の日が三日続く。金木犀の花が散り始めて。
その上に降る雨は水彩絵の具のように路地を染めている。

なんと鮮やかな蜜柑色。はっとしながら胸をせつなくする。

この雨があがればまたいちだんと秋深くなることだろう。
そうしてひとつが終わる。終わればまた始まる季節が来る。



一昨日は。祖父の49日の法要があり母の生まれ故郷へ行っていた。
祖母のお墓参りからほぼ一年。祖父の住んでいた家は二年ぶりか。
家の中は老人ホームへ入居する前をそのままに残してあるおかげで。
あちらこちらに祖父の匂いを感じた。懐かしさが込み上げてくる家。

そしてもうひとつもっと昔に住んでいた山の家にも行くことが出来た。
去年行った時にはもの凄い荒れようでとても悲しかった事を覚えている。
けれども今年は親戚の叔父さんが手入れをしてくれたそうで見違える程。
庭の松の木も枯れもせず。物置には祖父の使っていた農機具まであった。

土間から今にも祖母の声が聴こえてきそう。祖父の笑顔が見えてきそう。
ここはたいせつなふるさとなのだと思う。忘れる事の出来ない記憶の家。

無事に法要を終え長い道中を帰路に着く。また来年もきっと帰って来よう。




さて我が家ではやはりサチコ一色の日々。巣立ちは来月の中旬と決まった。
あれこれと準備をと急いていたけれど。まだ新居に荷物を運ぶ事が出来ない。
この分ではいよいよとなるまで息をつめるように待ちわびるしかないようだ。

サチコは少しずつ衣類の整理などを始めている。母は少し手持ち無沙汰でいる。

「お母さんこの服あげるね」そっと置いてあったTシャツに涙ぐんだりしている。



2009年10月22日(木) すくっと前を向くしかない

今朝はきりりっと身が引き締まるような寒さだった。
明日はもう二十四節気のひとつ『霜降』だということ。

晩秋はつかの間のことですぐにでも冬になってしまいそうだ。

なんだかとてつもないちからで押し流されているような日々。
振り向いてはいけないのだろうか。すくっと前を向くしかない。



お休みだったサチコと一緒に和風ハンバーグを作った。
いつもは適当なサチコも真剣な眼差しで手伝ってくれる。

母の味などたいした事はないけれど覚えてくれるのが嬉しい。
「私がいなくなったらもう作らないかもね」と言ったりして。
父親を苦笑いさせてみたり。うん、めんどくさいよねと私も笑う。

あと少しの日々。サチコの好きな物をたくさん作ってあげたいと思う。



ふっとふたりきりの暮らしをおもう。しばらくは寂しいことだろう。
けれども巣立ったふたりのこどものことを思いながら肩を寄せ合い。
互いを労わりあいながらともに老いていく。そんな夫婦になるだろう。

思い起こせばながい道のりを。やっとここまで辿り着いたのかと思う。

27歳だった彼。22歳だったわたし。若き日が走馬灯のように映る。



2009年10月21日(水) そわそわの肝っ玉母さん

いちだんと肌寒い朝。陽が昇るのを待ちかねて洗濯物を干す。
そんな陽が日中は思いがけないほど暖かくなり少し日向ぼっこ。

職場の廃車置場の古タイヤに腰をおろして真っ青な空を仰いだ。
光が降り注いでいる。空の手のひらであるかのように私を包む。

ああいるんだなと思う。そんなぽつねんとした在りかが好きだ。

去年の今頃はとても体調が悪く。ついつい不安にかられていたっけ。
明日死ぬかもしれないと本気で思った。崖っぷちに立っているような。

あの場所から踵を返したのだろうか。ゆっくりと後ずさりしたのだろうか。

だとするとここはどこだろう。ここまでどうやって歩んできたのだろうか。



いまは肝っ玉母さん。ぐじぐじと不安がっている場合ではなかった。
寝ても覚めてもサチコのことを考えていられるなんて幸せなことだ。

食料品を買いに行っていても。真っ先に家庭用品を見に行ってしまう。
包丁を見たり台所の水切りを見たり挙句にはお風呂の蓋まで見ている。
そうしながら独り言をつぶやき。まだ今日はいいかさていつ買おうか。

サチコがお休みの日が待ち遠しくてならない。一緒に買物をしようね。

相変わらずそわそわと落ち着きの無い母だけれど。心はとても弾んでいる。



2009年10月19日(月) 立ち止まれない秋に

昨日より今日と朝の肌寒さが増しているようだ。
秋が深まっていく。立ち止まれずにふかく深く。

山里へ向かう道の銀杏の木がほんの少し色づく。
毎朝仰ぎ見ることだろう。それを楽しみに思う。



今日サチコたちの新居がやっと本決まりになった。
ほっとしたのもつかの間。あれこれと準備があり。
またそわそわと落ちつかない母親になってしまう。

けれどもそれも楽しみ。忙しいほどそれは嬉しい。

ちゃんと暮らしていけるように買い揃えてあげたい。
貧乏な親だけれど精一杯の事をしてあげたいと思う。


幼い頃からお菓子ひとつねだることをしなかった娘。
今も変わらなかった。だからこそしてあげたいのだ。



早ければ来月早々にも我が家を巣立っていくことになる。
一緒にお炊事をしたり台所でふざけあったりすることが。
とても貴重な時間に思える。なんだかしんみりとしそう。

かといって立ち止まれない。秋が深まるように前へ進むしかない。



2009年10月17日(土) サチコの帰りを待っている

あたりがすっかり暗くなった頃。ぽつりぽつりと雨の音がした。
久しぶりの雨の匂いがなんだか心地よく感じる。胸のここらへん。
ざわざわとしていたのが潤い始めて水を与えられた植物のようだ。


窓を少しあけたままにしてサチコの帰りを待っている。
昨日はふたり気が重いまま不動産屋に行ったのだけれど。
部屋を見せてもらったとたん一気に目が星になったのだった。

もうここしかない。ここが好きここに決めようよとサチコが言う。
もちろん私も同感だった。窓からは息子君のマンションが見える。
親としてこんなに安心な場所はないと思う。なんと心強いことか。

気がつけば急がないという気持ちはどこへやら。また急ぎ始める。
今度はサチコも同じらしくさっそく彼氏に連絡をとることになった。


今日は彼氏とご両親が部屋を見に行っているはずだった。
きっと気に入ってくれると思う。そう信じて結果を待っている。

「お母さん決まったよ〜」とサチコの明るい声が聞きたくてならない。
ふたりいっぱい頭を悩ませたのだもの。やるだけの事をしたのだもの。


どうかどうか一歩の前進を。祈るような気持ちでサチコの帰りを待っている。



2009年10月15日(木) ふくざつなきぶん

爽やかな秋晴れ。金木犀の香りがほのかに漂ってくると。
そのありかを確かめたくてならない。見つけると嬉しい。

オレンジ色の花が真っ青な空によく映える。なんだか風も。
喜んでいるように吹く。届けたくてならない贈物のように。



そうして過ごす山里でのいちにちは。時間がとまったようにのどか。
だというのに私のこころは逆らうようにそわそわといそがしかった。

急がなくても良い事と何度も言い聞かしているというのに気ばかりが。
先へ先へと向かってしまう。ため息をつきながら駆け出して行くよう。


明日。サチコがお休みなので私も休みをとったのだけれど。
たぶんすぐには決まらないと思う。決めてはいけないようにも思う。
気のせいかもしれないけれど。なんとなくそんな気がするのだった。

少し憂鬱でもあり苛立ちもある。それはサチコも同じようにみえる。
この気分も明日になれば晴れるのだろうか。そう信じてみたい気持ち。

動けばそれなりの収穫があるだろう。動かなければ何も始まらないのだし。


日が経つにつれて複雑な気分になる。これも親の試練のようなものだろうか。






2009年10月13日(火) もっとゆっくり

朝は肌寒かったけれど日中はやわらかな秋の陽がふりそそぐ。
散り始めたコスモス。ひとひらふたひらとせつなさを感じる。

その種が希望のように風に揺れている。倒れずに空をみあげて。
陽の光をいっぱいにうけては。巡り来る季節の糧になるように。



早朝は少しだけ川仕事。終えるなりお弁当を作り山里へと向かう。
いつもの峠道が工事中のため西回りの国道から行かねばならない。
ラッシュ時はとうに過ぎていたけれど苦手な道だった。少し緊張。

やはり山道をくねくねとのんびり走るのが好きだ。風景を見ながら。
お遍路さんに会釈をしたり。清々しい気持ちで一日を始めたいものだ。


仕事は来客が多くけっこう忙しかったけれど。隙を見てはネットをする。
頭の中が不動産屋さんでいっぱいだった。あちらこちらと検索しまくる。
急がないと決めたのにやっぱり落ち着かない。ああほんとに困ったものだ。



晩御飯の時。彼と差し向かってサチコの幼い頃の思い出話をした。
保育園をオサボリした話。送り迎えをしていた彼が二日酔で起きられず。
「さっちゃんも一緒に寝る」と言って保育園へ行かなかったのだけれど。
明くる日にお迎えに行ったら先生が「お父さん二日酔は治りましたか?」
「俺、あの時のことが忘れられないよ」と笑いながらどうしようもなく。

ふたり目頭が熱くなった。私の寂しさ以上に父親である彼は寂しいと思う。



急いではいけない。もっとゆっくり。私のこころはどこに向かっているのだろう。



2009年10月12日(月) 夕焼けがとても綺麗だった

朝の肌寒さ。日に日に秋が深まっていることを感じる。
空は秋晴れ。澄み切った空気が新鮮で美味しいと思う。


早朝から川仕事だった。海苔網を張る作業をする。
網には海苔の種がくっついているはずなのだけれど。
今はまだ目には見えない。畑の作物が芽を出すように。
やがて緑の芽が出てくれるのだろうか。少し不安だった。

祈るような作業。どうか無事に育ってくれますようにと。



日中は。お休みだったサチコとまた頭を悩ます事になる。
見つけていた部屋が気に入らないというわけではないが。
彼氏と相談した結果。もっと他の部屋と見比べてみよう。
もしかしたら他にも良いところがあるかもしれないと言う。
すっかりその気になっていた母にごめんねと謝るのだった。

母もちょっとでしゃばり過ぎたのだろう。急ぎ過ぎたのだろう。
ふたりがそう決めたのなら母もそのつもりで手助けをしたいと思う。

不動産屋さんは祭日でお休み。しばらくはふたり揃っての休みもない。
サチコのお休みに合わせて母がお供をすることに決めるしかなかった。

なんだかまた振り出しに戻ったような気持。とんとん拍子にはいかない。
そう思いながらも。そうしてサチコを引き止めているような気持になる。

あっけないほどに去って行くよりもこうしてゆっくりのほうが良いかも。
そのほうが寂しさも薄れてくれるのかもしれない。いまは覚悟のときだ。




夕焼けがとても綺麗だった。その暮れなずむ空を窓辺から仰ぎ見ていた。
土手のススキが影絵のように揺れている。カラスが二羽山のお家に帰る。

かわいいななつの子があるからよ。そんなうたをふっとくちずさんでいた。





2009年10月10日(土) ばいばい。またね。

空はいちめんが青い海原のようであり
真っ白な魚が群れをなして泳いでいるようだった。

なんど仰ぎ見たことだろう。夕暮れ時には茜色の魚たち。


散歩中。ちいさな女の子ふたりと出会う。
一年生くらいだろうか笑顔が可愛かった。

川のほうは危ないよと言ったのだけれど。
あんずのことを気に入ってくれたらしく。
みんな一緒にお散歩をすることになった。

お大師堂まで行く。今日はお遍路さんの靴がある。
外でお参りしようかねと三人で手を合わせて帰る。

ばいばい!またね。そんな声が耳に心地よく響く。
むじゃきであどけなくてとてもこころがなごんだ。

こんな頃があったなとむかしむかしの娘をおもう。



サチコの帰りを待ちながら買い揃えなければいけない
家具などをメモする。まるで自分のことのように思う。
冷蔵庫はあそこ食器棚はあそこ配置まで考えてしまう。

「あんまりおまえが仕切るなよ」と彼に注意されたけれど。
どうしてもでしゃばってしまう。母とはこんなものだろうか。

今日は夕方。サチコの彼氏が部屋を見に行っているはずだった。
あそこに決まれば良いな。気に入ってくれたら良いなとおもう。

順調に契約が整えばさっそく電気屋さんに行こう。家具屋さんも。
ふたりになるだけ負担がかからないように出来る限りの事をしたい。

母って急いでいるねと昨夜もサチコに言われた。どうしてだろう。
自分でもよくわからないけれど。たしかに母は急いでいるようだ。

かといって引きとめるわけにはいかない。まるで応援団長のような母。



2009年10月08日(木) しんみりとおもう

幸いにも台風の直撃を免れ思いがけないほどの青空になった。
被害を被ったところも多い事だろう。明日は我が身だと思う。


海苔の網を張る予定だったけれど川の濁りもあり中止になった。
かといって職場へは向かわず。そのまま仕事をさぼってしまう。

サチコがお休みだったから思い立つように今日の予定を組んだ。
とても強引だったと思う。けれども思いがけずに喜んでくれた。

ふたりで不動産屋へ行く。残念ながら例の『ハイソ』は成約済み。
ほんのひと足違いだったらしい。さあどうしましょうと頭を悩ます。
あれこれと他の物件を探していたら似たような条件のやつが見つかる。

さっそく見せてもらうことになりどきどきしながら現地へと向かった。
日当たり良好。窓を開け放すと風通しもよく新品のエアコンも付くらしい。
洋間だけでなく和室もあるのが良かった。サチコはベットが苦手だから。
台所も使いやすそうで気に入る。ベランダも広い。これは最高だと思う。

家賃は『ハイソ』より少し高いけれど「なんとかなるよ」と母は連発だ。
調子に乗って駐車場の料金は母がカンパしてあげるからと約束までした。

上機嫌のサチコがとても喜んではしゃいでいるのが何よりも嬉しかった。
母はまるで自分がそこに住むような気持ちになる。家具の置き場所やら。
すっかりその気になってしまって。サチコ以上にはしゃいでしまったのだ。
あとは彼氏のおっけいを貰うだけ。きっと気に入ってくれるだろうと思う。



夜になりしんみりとおもう。こうして手助けをしながら娘の背中を押している。

いざ送り出してしまったらどんなにか寂しいことだろうとその日がこわくなる。

けれども母は背中を押し続けるのだろう。それが母の使命のように思って。






2009年10月07日(水) なんとかなるよ

嵐の前の静けさなのだろうか。ただ雨音だけがあたりを満たす。
海は随分と荒れているらしいけれど。海鳴りひとつ聴こえない。

かすかに鈴虫の声。それがいつもと変わらない穏やかさだった。



サチコの好きな鯖の味噌煮を作る。びんヨコのお刺身も添えて。
今日は魚尽くしだねと喜んでくれた。笑顔がとても嬉しかった。

ふたり揃ってのお休みがとれなくて少し苛立っているふうでもある。
手頃な賃貸マンションを見つけていても下見に行けないのだそうだ。

でしゃばりでお節介の母は外観だけでもと思い昨日ちらっと見に行く。
『ハイツ』のツの字が崩れていて『ハイソ』になっていたのだけれど。
それが笑いの種になり早速彼氏に報告していた。ハイソウナンですと。

母はきっと今後もでしゃばる事だろう。お節介だと怒られたっていい。


心配な事。不安な事もたくさんあるけれどそれはサチコも同じだと思う。
だからこそ母はどんとかまえていたいものだ。なんとかなるよと言って。




ここ数日は雨ばかりで散歩もお大師堂にも行けずにいる。
手を合わせて願い事をしないのが私流だったのだけれど。

どうかサチコを見守ってあげてくださいと今は手を合わせたい気持ちだ。




2009年10月06日(火) 太陽とわたし

とても大きな台風が不気味に近づいている。

今はまだ静か。雨上がりの宵闇に鈴虫の声。


サチコの帰りを待っている。あと30分か。
昨夜から一気にしぼんだように元気がない。
話せずにいた事を打ち明けて楽になったと。
勝手に思い込んでいたけれどそれが違った。

嬉しくてたまらなくはしゃぐ様子もなくって。
なんだかとても憂鬱そうに見えてしまうのだ。

もっともっと聞いてあげなければいけないことが。
あるのではないかと思う。母の直感なのだけれど。


ずっとずっと太陽だったこどもが曇り空になった。

こんどは母が太陽になろうか。今こそ太陽になろう。


だってわたしは太陽の母だもの。宇宙なんだよ母は。



2009年10月05日(月) さざ波に揺れながら

曇り日。一気に肌寒さを感じて七分袖の服を着た。
一歩踏み出したような秋。やがてそれも深くなる。

背中を押しているのは誰だろう。振り向くのがこわくなる。
流されているのだとしたらその水は何処からくるのだろう。



平穏な日常にさざ波がたつ。ふっと大きな息を吹きかけられたように。
そこだけが揺れる。どうしようもなく揺れてただ身をまかせるばかり。


サチコがとうとう結婚を決意したらしい。その事を話し出せずにいて。
ずっと悩んでいた事を知った。あらためて家族の絆の深さを感じながら。
もしかしたら私の執着心が邪魔をしていたのかもしれないともおもった。

覚悟はしていたこと。娘の幸せを願わない親などいるはずもないのだから。
もちろんそれは淋しい。けれども泣きながら話すサチコが不憫でならない。

いつもの笑顔であっけらかんと「わたしいくよ」と言わせてあげたかった。



結婚式はしないのだという。とにかくふたりで暮らし始めることになりそう。
もう部屋探しを始めているようで。はらはらとしながら見守るしかなかった。



うす紅の秋桜が秋の日の何気ない陽だまりにゆれている。

そんな歌があった。母は縁側でアルバムをひらいてみたい。

あなたがわたしのこどもでなくなるはずがない。

わたしがあなたのははでなくなるはずがない。







2009年10月03日(土) 見せてあげたい

昨日はこわくなるほどたくさん雨が降ったけれど。
今日はすばらしくよく晴れて爽やかな陽気になる。

畑が気になり朝のうちに見に行く。ほうれん草が。
大雨で流れてしまったのだろうか。それとも蟹か。
半分くらい少なくなっていた。大根はだいじょうぶ。
強い雨に打たれたせいかみなうなだれていたけれど。

ネットを張るのは取りやめになった。彼が言うこと。
蟹に食べさせてやるのも良いではないか。残ったら。
自分たちが食べれば良いのだしほんの少しで良いよ。

私もうなずく。初めての試みだものそれくらいの気持ち。
収穫できれば幸い。もし駄目でもまた次があるのだから。




夕方は散歩。刷毛で描いたような雲が紅く染まりきれい。
すると月が。ほぼまん丸でくっきりとそれも絵のようだ。

ススキ。猫じゃらし。野菊。せいたかあわだち草も咲いた。
そんな草花も絵のように空いちめんが大きな絵画のようだ、

ぐいぐいと先を急ぐあんずをたしなめながらしばし佇む。
見せてあげたいひとがいる。そのひとの姿をそこに映す。

恋というものではない。いとしいのだ。どうしようもなく。



2009年10月01日(木) こんなにも近くにある

空はなかなか晴れてくれなくて今日もどんより。
もう10月なのだと思えば風の色も少し変わる。


仕事中。母と向かい合って昔話をしたのだった。
最初は例の沢蟹の話しから。祖父の山の家には。
すぐ近くに谷川が流れていてその蟹が沢山いた。

母は子供の頃その蟹を食べたことがあるのだと言う。
あの頃は何だってご馳走だったのだと遠い目をして。

お米を作り野菜を作り鶏を飼って牛も山羊もいたっけ。
絞りたての山羊の乳。そうして生みたての卵の温もり。

母が子供の頃を思うように私も幼い頃を思い出していく。
お山のお家が大好きだったコドモの頃にかえっていった。

祖母が作ってくれたおはぎのとても美味しかったことや。
じゃが芋を蒸してすり鉢で練って卵とお砂糖を入れたのや。
なんて懐かしい味なのだろう。いつまでも忘れられない味。

一気に胸に熱いものが込み上げてくる。とても淋しかった。
カナシイのとは違う。なんて言葉にすれば良いのだろうか。

過去。とても遠く過ぎ去った日々がこんなにも近くにある。

いつもは喧嘩ばかりしている母がとても温かで優しく思える。

母の子供に生まれてよかったとやっと感謝出来たような気がした。


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