2009年04月30日(木) |
きのうとはちがうじぶん |
田んぼの稲がずいぶんと丈夫になり 列をなして縫うように緑がつらなる
けやきの木には溢れんばかりの若葉 仰ぎ見てはこころに満ちる清々しさ
一週間ぶりの山里だった。峠の道でお遍路さんを追い越し どのひとの足取りも軽快に見え。そうして元気をいただく。
自分はなんと情けない事だろう。ここ数日の体調の悪さに。 ついつい弱気になってしまい。くよくよと思い詰めてばかり。 何をするにもおそるおそる。それではまた転んでしまいそうだ。
どんな日も歩き続けていれば。まいにち新しい自分にあえる。 そう思うと勇気がわいてくる。転んだらまた起き上がればいい。
月末の仕事に追われているうちに。笑顔のひとつも生まれてくる。 愉快なお客さんが来てくれて。涙が出るほど可笑しなこともある。 『笑い』には不思議なチカラがあるようだ。お腹を抱えて笑うなど。 ここ最近なかったように思う。おかげでとても明るい気分になれた。
帰宅するなりその可笑しかったことを彼に話し笑ってもらえる。 今度はサチコの帰りを待ちかね。ついさっきまた笑ってもらった。
きのうとはちがうじぶん。いつだって待っていてくれるあしたに。
あいにいけるじぶんが。いまちゃんとここにいることがうれしい。
2009年04月29日(水) |
ゆうらゆうらとこの波に。 |
トレーナーはもう要らないかなとしまっておいたのを。 また引っ張り出して着ている。肌寒い朝にこれを記す。
空はなんと素晴らしく晴れていることだろう。そっと。 窓を開けてひんやりとした空気を吸って吐いてしながら。 どうにも落ち着けなくて。この苛立ちは何処からくるのか。
わからない。わかろうとするからきっといけないのだろう。
いいんだこれで。こんなありのままをそっとしておいたら。
そのうちなにを考えていたのかも忘れてしまうのにちがいない。
ゆうらゆうらこの波に浮かんでいよう。かたのちから抜いて。
昨夜けいちゃんの夢を見た。なんと我が家に同居することになり。 手荷物ひとつも持たず着の身着のままで遠い所から来てくれたのだ。 服が汚れていて洗わなくちゃって。でも着替えが一枚もないから。 うちの息子君の古いやつを。うんこれで大丈夫と言って喜んで着た。
家族は誰一人嫌な顔をせず。みんな歓迎をしてくれて嬉しそうだった。 ずっと一緒に暮らせるのだなって。私も嬉しくてすごくほっとしたのだ。
おかしな夢を見たな・・って苦笑いしながら。 けいちゃんが家族だったらどんなに救われるだろうと思った。
いつまでたっても私は母になれない。
追記:今日はお散歩に行けた。いま夕焼けがとても綺麗。
2009年04月27日(月) |
どんな日もあるのだから |
昨日から少し肌寒い。初夏の陽気に慣れ始めていたせいか。 カラダがこわばったようになり。なんとなく不調気味になる。
思うようにはいかないものだ。気の流れにうまくのれていない。 ついつい負に向かいそうになり。はっと気づくことが多くなる。
午後。気分転換も兼ね『春のいけばな展』を観に行った。 知らせてくれた友人にきっと行くねと約束をしていたし。 なによりも花たちにあえるのが楽しみでならなかったから。
そこはもう初夏の彩り。紫陽花や向日葵の花さえもあって。 とても心を和ませてもらった。まさに今の季節の彩りもあり。 好きだなって思ったのは。野ばらと野あざみをあしらったもの。 その作品の前に佇んでいると。まるで川辺の道のように思った。
私にはどちらも手折れない。手折るものではないと決めつけて。 けれどもこんなふうに存在できるものなのだと心を動かされた。
夕方。いつものお散歩に行きたかったけれど。行けないまま日が暮れる。 食後の後片付け。お腹を空かしたあんずの声。かすかな苛立ちがつのる。
どんな日もある。きょうはこんな日と潔く諦め。時に身を任せている。
つもり。髪の毛を何度も掻きあげながらいまこれを書き終えるところ。
2009年04月25日(土) |
わたしをみてごらんなさい。 |
雨音に目覚める。いつまでも眠っていたいような朝。 動き出すのが億劫なのと。腑抜けたような脱力感が。 心地よいと思う。ふにゃふにゃとだらだらが似合う。
昨日川へ行ってとてもおどろいてしまった。海苔が。 一晩のうちに弱り果てて流れてしまっていたのだった。 嘆きつつも。もう寿命だったのだろうと潔くあきらめる。
もうじゅうぶん恵まれたことをありがたく思う。おかげで。 日々の暮らしが成り立つ。今年も自然に助けてもらったのだ。 明日からは後始末に励もう。最後まで感謝の気持ちを忘れず。
午後には雨もあがり薄日が射し始めていたけれど。ひたすら。 横になり眠ってばかりいた。だらしなさも気にならない時間。 あくせくと急く事は何もないのだと思うとありがたい休息日。
そんな一日が暮れていく。思いがけないほど紅い太陽が沈むのを見た。 ああ歩きたいなと思う。いてもたってもいられなくなり外に飛びだす。
待ってもう少しだけ待ってと太陽を追い掛けるように川辺を歩いた。 冬枯れたままの背高泡立ち草が。まるでヒトの影のようにそこにある。 手を触れればいとも簡単に折れてしまうだろう。老いたるその姿にも。 いのちが宿る。わたしをみてごらんさい。そんな声が聴こえるようだ。
水はひたひたと静かに流れる。今日の雨もともに流れているのだろう。 その水が紅く染まっては。太陽はもう引き止められずに落ちゆくばかり。
ああいるな・・と。わたしはわたしを確かめるように佇んでいられた。
精一杯の日々ってどんな日々なのだろう。
いったいどれほどの心を尽くせばいいのか。
わたしにはわからないことがたくさんある。
2009年04月23日(木) |
緑のトンネルを抜けて |
風さわやかにきもちよく晴れる。
10日ぶりに山里の職場に向かった。 なんと緑が若々しく萌えたことだろう。 いつかの銀杏も豊かな緑におおわれて。 山道はまるで緑のトンネルのようだった。
仕事の合間にすこし庭に出てはひと休み。 小手毬の花を手のひらにそっとのせてみる。 咲いたばかりの灯台躑躅は小さくて可愛い。
家を出る前の気の重さが嘘のように思った。 突然に行って喜ばせてあげようなどと思い。 行く気になっているのになぜか気が進まない。 たぶん環境の変化に気が向いていないのだろう。 その気になるというのはどんな気なのだろうと思う。
いつものことだけれど。それは行けばすぐに馴染む。 じぶんの機嫌というものはどうにも不可解なものだ。
あえてお昼休みをとらずにいたけれど。ほんのつかの間。 また庭に出て廃車置き場に転がっている古タイヤに座る。 そうして地面をながめていると。あちらこちらの雑草が。 またそれも可愛らしく小さな花を咲かせているのを見た。
ひとは生まれ変わってもまたひとに生まれるとは限らない。 つい最近読んだ本にそう書いてあったのをふと思い出した。
草もいいなと思う。花が咲かない緑の草でも生きていれば。
そんな命もありがたいなと思う。ひっそりと佇んでいられる。
迷いもない葛藤もないわだかまりも嘆きもない不安もない草。
雨のち晴れ。午後つよく吹きぬける西風が心地よかった。 吹かれたくてならなくなる。雨の残り香が漂う道を歩く。
川辺には野バラが満開になり。あちらこちらに群生している。 それはほのかに優しく匂い。立ち止まらずにはいられなかった。
自分がそこに佇んでいることをふと奇蹟のように思うことがある。 歩いてきたことを忘れて。そこに舞い降りてきたかのように思う。
蝶であるわけがなく鳥でもない。羽根らしきものは何ひとつない。 けれどもふわりとしたその感覚。それはどんな言葉でも言い表せない。
川岸に続く石段に腰をおろし。しばし放心していた。波立つ川面を。 ただぼんやりと見つめていると。何か灰汁のようなものがぽとりと。
落ちた。
2009年04月20日(月) |
まあいいんじゃないのこんなわたしで |
二十四節気の『穀雨』夕方から静かに雨が降り出す。 田んぼの稲も。畑の里芋も。息をするように潤うことだろう。
家のすぐ近所の畑には南瓜の花が咲き始め。農家のひとが来て。 忙しそうにビニールを剥がしていた。雨を待ち望んでいたようだ。
そんな雨が降り出す前にいつものお散歩に出掛ける。 今日のあんずはとても素直で助かる。歩調を合わせてくれる。 とてもほっとした気持ちでゆっくりと歩く事が出来て良かった。
きっと私が苛立っていたのだろう。ここ数日を振り返りながら。 もうあんずと歩きたくないとふっと思ったことさえあったから。
だとすると今日の私は穏やかなのだろうか・・よくわからない。 けれどもそれをおしえてくれているように思いありがたかった。
じぶんわからないな・・ありのままがいちばんだと思いながら。 無意識に無理をしているのかもしれない。何かに拘ってみたり。 どうしてもそれをしないと落ち着けなかったり。余裕を失くす。
ばかみたいって思う時がいっぱいあって。なんとかしたくなる。 ばかでいいのに。なにもできなくっていいのにと今はそう思う。
いまのきもち忘れないでいよう。何事もなるようになるのだもの。
晩御飯は赤魚とお豆腐の煮付け。とにかく生姜をたくさん入れた。 私はとにかく生姜が大好きだから。甘辛いのも甘酢漬けも大好き。 あとはシメジのバター炒め。冷凍のシューマイ。ほうれん草のゴマ和え。 まあこんなもんだろう。あまり手の込んだものは作れなくても良いかな。
晩御飯の時にはお酒は飲まない。去年の秋くらいからそれはやめた。 ほろ酔い状態でお風呂に入るのがとても怖くてならないからだ・・。
そのぶん寝酒を楽しむ。お風呂上りのビールが美味しい季節になった。 あとは焼酎。ずっと芋ばかりだったけれど最近はまた麦もなつかしい。
そんなわけで今夜も酔って候。まあいいんじゃないのこんなわたしで。
午前中で川仕事を終え。午後からバドの大会を観戦に行く。
みんなが頑張っている姿を見たかった。応援したかった。 活気あふれるその場所で。自分を少しだけ情けなく思ったり。 半分は諦め。あとの半分はやれば出来るかもしれない望み。
継続はチカラなのだとずっと信じていたけれど。不安には。 勝てそうにない。気力だけではどうしようもない現実がある。
波があり過ぎて。浮いたり沈んだり。この海は果てしない。 もがけばもがくほど浮上できないことをもう私は知っている。
そんな自分を傍観しながら。この先をやり過ごしていくべきか。
ああ駄目だめ。こんなことを書いていたらどんどん負になる。
たくさんの活気をさずかったありがたい日ではないか。もっと。 こころから感謝出来るようになりたい。大切なことがきっとある。
みんなの笑顔。励ましのことば。仲間なんだよと認めてくれること。
たくさんのプラスをぎゅっと抱きしめて決して忘れてはいけない。
きょうもまるで初夏のよう。午後から半袖で過ごす。 そうしてすこしぼんやり。気だるさを楽しんでいた。
無気力もよいものだ。急く事は何もなくそれなりに。 庭に出れば花を愛で。ツバメの巣を仰ぎ見るばかり。
母ツバメは身じろぎもせずにずっと卵を温めている。 父ツバメは時々帰ってきては。物干し竿でひと休み。
あんずは陽だまりでまるで死んだように眠っている。 路地を行き交うひともなく。安心しきっているらしい。
なんだか時間がとまっているような昼下がりだった。
午後四時には洗濯物を取り入れて。お風呂を洗った。 晩御飯はじゃが芋のキンピラ。胡瓜と鯵の酢のもの。 あと冷凍してあったホタルイカ。酢味噌でいただく。
日本海の春だというホタルイカ。先日富山から届いた。 例のお遍路さんの奥様からで。ありがたくてならない。 あれ以来すっかり仲良しになって時々電話もしてくれる。 意気投合と言うのだろう。私達はよく気が合うようだ。
ご主人は今頃どこを歩いているのだろうと気掛かりになる。 托鉢修行のこと。野宿のこと。日々耐え難いことだろうに。
奥様はとてもあっけらかんとしたひとで。なるようになる。 「泣きたかったら泣いたらいい」と告げているのだそうだ。
さずかった縁をかみ締めながら。私の日々も流れていくばかり。
ありがたい縁もあればかなしく儚い縁だってあるものだ。
どんなに大切に想っても。去る時がくれば潔く散る花のように。
ああ・・なんだかなにをつたえたいのかうまくいえない・・・。
2009年04月17日(金) |
耳を澄ましてきいてごらんよ |
夜明けとともにさえずるつばめ
ぴちくりぴちくりと三回ないて
そのあとずぃ〜とうなるのです
あれはなにかのサインなのかな
きみも耳を澄ましてきいてごらんよ
ぴちくりぴちくりずぃ〜てなくから
そうしてまぶしい朝がやってくる
きのうとかわらないような朝でも
どこかあたらしくどこかさわやか
わたしはぽつんとたたずみながら
確かなことも自信ひとつもなくて
けれどもそれがありのままだから
ほんのすこしうごくことを試みる
ぴちくりぴちくりなけたらいいな
そうしてずぃ〜とうなってみたい
じぶんにできる精一杯のサインを
空にはなって風のように流れたい
2009年04月15日(水) |
へいわだなといまをおもう。 |
昨日の雨のおかげだろうか。爽やかに緑が匂う。 風も五月の頃に似て。鯉のぼりも元気におよぐ。
土手には名も知らぬ花。その黄色が緑に映える。 息を大きく吸いながらそんな土手を仰いでいた。
心呼吸と私は名付ける。新鮮な空気で心を満たす。
藤の花ばかりではなかった。もうツツジも咲き始め。 民家の庭先などにそれを見つけると。はっと嬉しい。 あれはいつの春だったろうか。ツツジばかりの公園。 またきっと来ようねと約束をしたきり行けずにいる。 今年も行けそうにはないけれどあの日が忘れられない。
ゆうがたすこし胃痛。堪えながらまたあんずとお散歩。 苛立ちそうになりながら。それを宥めつつ川辺を歩く。 夕空に飛行機雲が見えた。光る機体はそのまま星に似る。
しばし立ち止まっていたいけれど。それをさせてくれない。 あんずも苛立っているのだろう。お腹が空いているのかも。
ふたりよく似ている。そう思うとふっと可笑しくなってくる。
そうしてきょうが暮れていく。夜風も心地よくいつもの窓辺。 あれはもしや蛙の声か。どこからともなく鳴き声が耳に届く。
へいわだなといまをおもう。胃痛を宥めつつまた酒を煽る夜。
2009年04月14日(火) |
身ひとつのそれは透明のこころ |
久しぶりの雨。朝のうちはどしゃ降りになり嵐のようだった。
なんだか胸までも打つようにそれが降る。痛さよりもむしろ。 心地よさを感じ。纏ったものをすべて脱ぎ捨てて裸になりたい。 そんな衝動さえ感じる。そうして綺麗さっぱりと水に流したい。
それはいったいなんだろう。目には見えないその衣について考える。 もしかしたら紙のようなもので。いとも容易く破れ溶けるものかも。
しれないのだけれど。わからない。だからまた考えることが出来る。
川仕事が中止になったおかげで。12日ぶりだろうか山里へ出掛ける。 大雨の中をひたすら歩き続けているお遍路さんを何人か追い越した。 とても心苦しくなるものだ。同時にその苦労を思うと頭が下がるばかり。
雨に打たれたいと言ったところで。水に流したいといったところで。 いったい自分に何が出来るというのだろう。ナニモデキハシナイのだ。
それでもその日あたえられたことをする。それ以外に何が出来ようか。 晴れならば晴れた日のことを。雨ならば雨の日のことをするほかない。
溜まった仕事をこなしながら。堰を切ったように話し掛ける母の相手。 よほど話し相手が欲しかったのだろう。いつもなら苛立つような事も。 不思議と苦にならずにこやかに相槌を打った。穏やかさというものは。 そのまんま自分にかえってくるものらしい。母の笑顔を嬉しく思った。
午後には雨もやみ薄日も射す。帰宅して食後まだ外が明るいのを幸いに。 行かないつもりだった散歩を思い立つ。今日は一人で行ってみたかった。 最近のあんずはあまりにも勝手気まま過ぎて。歩きながら𠮟ってばかり。 私が甘やかすのがいけないのだと彼は言うけれど。上手く躾けられない。
ひとりで歩きたかった。私だって勝手気ままに好きなように歩いてみたい。 けれどもあんずの顔を見ると。その甘えた声を聴くと吹っ切る事が出来ず。 結局ふたりで駆け足になり家を出て行く。ぜえぜえ息をしつついつもの道。
向かい風がとても強くて。なんだかその風に立ち向かうようなこころだった。 苦労があるわけではない。困難があるわけでもない。ただ風に吹かれる。
吹かれているとなにかがとんでいく。ああこれは何だろうとまた考える。
そんな紙のようなものに今日を記す。身ひとつのそれは透明のこころで。
暖かさを通り越して暑さを感じる。半袖の似合う日。 桜はすっかり散ってしまったけれど。藤の花が咲く。
その白いのと薄紫の花が。陽射しに映えてまぶしい。 そよ吹く風が匂う。甘くささやくような太陽の吐息。
川仕事も残り少なくなり。もう一息だと今日も頑張る。 体調の不安を抱えながらここまでこれた。やれば出来る。 自信とまではいかないけれど。乗り越える日々が嬉しい。 しんどい日もいっぱい。でもその疲れが心地よく思える。
燕さんが卵をあたため始めた。ただただそっと見守るばかり。 可愛らしい雛達の頭が巣から見え始める日も近いことだろう。 ちいさな命を想う。なんだか自分が卵を抱いているように想う。
一昨日のこと。東京の友より『独活』が届いてとても嬉しかった。 初めて見るウド。長くて大きくてびっくり。そしてその食感がまた。 なんともいえない香と爽やかな味。生でシャキシャキとご馳走になる。 昨夜はその皮をキンピラに。今夜はバター炒め。黒胡椒とよく合った。
ささやかな縁をいつもありがたく思いつつ。心遣いに感謝するばかり。
私はこんなにちっぽけだけれど。ひとがたまらなく好きでならなくて。 ときどきふっとそんな自分の存在を。コレデイイノカと不安におもう。 でもじぶんはおおきくはなれない。じぶんはこれで精一杯だとおもう。
ありのままでここにいよう。ずっとここにいよう。ぽつんとここが好き。
2009年04月08日(水) |
どんな日もあってよし |
夕方の散歩から帰ると薄っすらと汗をかいていた。 歩いている間はとても心地よかったのだけれど・・。 一瞬のぼせたようになりふうふうと息切れがする。
勝手なもので。寒いほうが良いなあと思ってみたり。 その後足元にじゃれついて来たあんずを叱ってしまう。 いったい何を苛立っているのだろう。不可解なわたし。
時々ゆったりさを失う。おだやかさを見失う時がある。
散歩中に見つけた野苺を思い出す。食べてみたかった。 子供の頃に食べたきり。あの頃はそんな楽しみもあった。 そういえば弟は畑の唐辛子を食べてしまったことがある。 泣いて苦しみ大騒ぎをしたっけ。可哀想で私も泣いたのだ。
家族で山菜採りに行ったり。野山には自然の恵みがいっぱいだった。
いまではちゃんとアク抜きをした蕨や蕗を買う事が多い。 でも今日は従姉妹が筍を持って来てくれて嬉しかった。 去年の暮に買った圧力鍋がとても便利で。すぐに柔らか。 ほんの10分もあれば味も滲み食べられるようになる。
大好きな筍。食べ過ぎていつも胃腸を壊すけれど明日も食べたい。
とりとめもなく今日を記しているうちに。すっかり穏やかになった。 書くことはいつも私を救ってくれるような気がする。まんまるくなり。
あとはぐっすりおやすみなさいと。自分自身を労われるようにおもう。
どんな日もあってよし。思い煩うことのない今を仕合わせとよぼう。
2009年04月07日(火) |
沈むんだな・・暮れるんだな・・ |
まるで初夏の陽気。ご近所にはもう鯉のぼりがお目見えする。 そよ風にそれは上手く空を泳げずにいたけれど。もうそんな頃。 やっと春本番を迎えたと思っていた季節が。とても急ぎ足で。
進み始めている。私も上手くは泳げない空の鯉の気持ちになった。 ここはそっと風を待ちつつ。その時がくれば心地よく泳いでみよう。
今朝のこと。めったにしない口喧嘩のようなものを彼としてみる。 なんだかとても悲しくなってしまった。もう顔もみたくないって。 思っていたのに。10分もしないうちにそれどころではなくなり。 ふたり川仕事に精を出す。鶯の歌声が救ってくれたのかもしれない。
悪いのは自分なのだと思う。忙しさに苛立っていたのだろうと思う。 それを指摘しない彼。いつまでも尾を引こうとしない彼を尊敬する。
おにいちゃん。彼はいつまでたっても私の兄のような存在だ・・。
午後。庭でつかのま花いじり。紫陽花の新芽が艶やかな緑だったり。 大好きなキャットテールも萌えてきた。そうして紫のツル日日草や。 何よりも諦めていた『わすれな草』一昨年種を蒔き育てていたのが。 やっと今年初めて咲いてくれたのだ。ちいさな青い花が嬉しかった。
つばめが何度も頭上を行き交う。猫のひたいほどのちいさな庭でも。 うずくまって語りかけるように草花を愛でる。至福のひと時である。
夕陽の頃。染まる川面をみたくなり。またとぼとぼと散歩に出掛ける。 太陽がはっとするほど紅くて。こころのどこかにせつなさが込み上げる。
沈むんだな・・暮れるんだな・・って何度も振り向きながら家に帰った。
2009年04月06日(月) |
苦しゅうはないぞ申してみよ。 |
青空と東風。気温も一気に上昇し汗ばむほどの陽気になる。
っと書き始めていた日記を消す。なんとあっけなく消える。 ふぅ・・・っとため息をつきながら。いつもの寝酒を飲んでいる。
むしょうに甘い物が食べたくてならず狂ってしまいそうで。 お菓子のひとかけらもなく。はっと思いついたのが食パン。 マーガリンを厚めに塗りグラニュー糖をかけて食べてみた。
これがとても美味しい。なんだか昔なつかしい味がするのだ。
いまはとにかく眠い。この気だるさを愉しみながらこれを記す。
苦しゅうはないぞ申してみよ。そんな言葉が似合いそうな夜だ。
きっとひとが恋しいのにちがいない。煩悩のひとつであろうか・・。
2009年04月05日(日) |
耳を澄まして頷くばかり |
昨日の雨の匂いが漂ったままの曇り日だったけれど。 しきりに鶯の歌声が聴こえ。この春に心をなごます。
寒さもやっと峠を越えたようだ。陽射しを待ちつつ。 四日ぶりの散歩に出掛ける。土手はもう緑にあふれ。 あちらこちらに野あざみが咲き。その棘ある花さえ。 そっとふれてみたくなる。なんとも鮮やかな可愛さ。
お大師堂のすぐそばにワゴン車が停まっていて人が。 たくさんいるのに少し気後れしつつ、そっと近づく。 お遍路さんではなさそうだ。8人くらいの若者達が。 土手に寝そべって。どうやらお昼寝をしているふう。 鼾をかいているひともいて。起こしてはいけないと。 忍び足で通り過ぎようとした。「こんにちわぁ」と。 ひとりの青年が挨拶をしてくれたので皆が起き出す。
なんと照れくさいことだろう。でも微笑ましい光景。 挨拶をしただけで何も訊けずに。お大師堂に向かう。 帰りにもういちど話しかけてみようと思っていたら。 すぐさま帰り支度を始めたようで。そのままになる。
そのかわりその場所にぽつんと小さなテントが残る。 ワゴン車の人達とは違うようだ。お遍路さんの杖が。 テントに立て掛けてあった。今日はここまでと決め。 もう野宿の準備が完了したのだろう。中に人の気配。 お大師堂に泊まれる事を知らないのかもしれないと。 声をかけてみようと思うが。それも出来ず立ち去る。
帰宅して彼にその話をすると。ひとそれぞれなんだ。 テントで寝るのが好きなのかもしれないじゃないか。 そっとしておいてやるのが良い時もあるんだよと言う。
私は時々どうしようもなくお節介なひとになるから。 良かれと思ってしたことや言った事がいけなくって。 ひとに迷惑をかけたり。不愉快な思いをさせてしまう。
うん・・きっとそうだね。ぐっすりと眠れるといいな。 ああこの川辺好きだなって。また来てくれたらいいな。
帰り道に高台の桜を確かめに行った。花びらの絨毯と。 わずかに残ってくれている桜を。この目で見届けると。 なんともいえないせつなさと。清々しい気持ちになる。
潔いことが好きだ。散る時を知り。なんの未練もなく。
かなしまないでおくれ。せいいっぱいの時が終わったよ。
そんな声がきこえてくるようで。耳を澄まして頷くばかり。
2009年04月02日(木) |
おかげで自分も笑顔になれる |
きもちよく青空。風はやはりまだ冷たいまま冬の名残り。 そんな寒さも今日が峠だという。春本番の陽射しを思う。
急遽川仕事が中止になったため。山里の職場へと向かう。 ほんとうは気が進まない。どうしたことか気が重くなり。 ぐずぐずと迷っていたけれど。怠け者もいい加減にして。 行こうと決めてしまうと行きたくなり。気も楽になった。
おどろいたのは。もう田植えの準備をしている事だった。 すでに植えられている田んぼもあり。思わず声をあげる。 早いものだ。もうそんな頃になったのかと感動さえ覚えた。
動いてこそ見つけられる風景がある。来て良かったなと思う。
そうして何よりも母が喜んでくれた。同僚も大歓迎をしてくれ。 あれやこれや仕事をやっつけながら。自分も嬉しくてならない。
じぶんは出来るだけの事をやはりやってみるべきなのだろうと。 やれば出来ることがある限り。尽くしたいものだとつくづく思う。
お昼になり急いで帰宅。春遍路さんに出会いながら山道を下った。 姑さんが待っている。足の具合が思わしくなく病院へ行ったけれど。 午後から休診との事。明日の予約をしてそのままとんぼ帰りだった。
帰り道で。例の美味しい鯛焼きを買ってあげるとそれは大喜びして。 助手席でうはうは言いながら平らげていた。美味しい顔って嬉しい。
ばたばたの一日だったけれど。なんだかとても充実感を覚えた一日。
ひとの笑顔にあえる。おかげで自分も笑顔になれる。ありがたいことだ。
2009年04月01日(水) |
この目こころに花よとどめん |
四月。思いのほか風が冷たく強く吹き荒れた一日。 その風に桜吹雪。ひとひらも受け止めも出来ずに。
ただただ風に吹かれているばかり。どうしようも。 できないことがある。もっと思い知らねばいけない。
淋しさでも悲しみでもないことを。受け止めながら。 桜のように潔く去って行くひとを。そっとみおくる。
なんて清々しい別れなのだろう。さようならよりも。 大切な言葉がありがとう。心からそう伝えたかった。
散り際が愛しくてならず。今日も高台の神社へ行く。 急な坂道を先になって登ってくれるあんずに助かる。 人間だともう80歳くらいだと思う。彼女はえらいな。
今日こそ見納めだねなどど呟きながら桜をあおいだ。 桜吹雪の真っ只中にぽつねんと佇んでいるとまるで。 冥土の道のりに立っているような気になってしまう。
ははは。母さんも年だねって。すぐに気を取り直し。 また来年らいねんと歌うように呟きながら坂を下る。
なんとしても見届けなければと。いったいどうして。 こんなにこだわっているのだろう。よくわからない。
わからないけれど。またすぐにこの坂を登るだろう。 葉桜を確かめ。花びらの絨毯を踏みしめる事だろう。
いま満ちてあすは散るのか桜花この目こころに花よとどめん
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