2009年03月31日(火) |
雨上がりの夕空を仰ぐ |
もう三月もお終いなのか。とてもとても急いでいるように思う。 桜も満開になり少しずつ。はらりはらりと散り始めてしまった。
今年ほど桜を愛でた年はない。感慨深くその花を仰ぎ見るばかり。 見納めだと何度呟いたことだろう。また季節が巡って来てくれる。 そう信じていながら。その儚さをしかとこの目で見届けたい気持。
そんな気持ちはどうしようもなくて。せつなさを身に纏うかのように。
気掛かりなのは我が家のツバメ。古巣の修復作業をしていたはずが。 ここ数日それが滞っていた。そのくせ夜になるとふたり寄り添って。 今にも崩れ落ちそうな巣で眠っているのを見る。まさかこのまま卵。 それはあまりにも危険で無茶ではないかと。家主は心配でならない。
それが今日とてもほっとした。古巣に濡れた土が縁取りされていた。 またやる気を出してくれたらしい。どうか丈夫な巣にと願うばかり。
夕方。無性にあんずが甘える。けれども母はお散歩に行かなかった。 気まぐれなのだ。今日はなんとなく行く気にならなくてごめんよね。
雨上がりの夕空を仰ぐ。明日は晴れるのだろうか薄っすらと夕焼け。
四月になればと思うようなことも今はなにもない。毎日が無事に暮れ。 朝が来てくれるだけでいいなと思う。そうして動き出せる自分でありたい。
のんびりと元気でいよう。ゆったりとおおらかにまんまるでいたいものだ。
曇り日。風も冷たく冬の名残のままお陽さまを恋しく思う。 来週にはまた暖かくなるとのこと。もう少しの辛抱だろう。
月末も近くなり。午後から山里の職場に行くつもりだった。 けれどもお昼ご飯を食べるとなんとなく嫌になりとりやめる。 連絡をせずに行ってびっくりさせてあげようと思っていたが。 我ながらあっぱれなほど怠け者になってしまったらしかった。
まあいいか・・・が最近ずいぶんと多くなる。あれやこれや。 おかげでずいぶんと気が楽になり。のほほんと過ごしている。
そういえばかなしみもあった。もうそれさえも忘れてしまう。
結局午後は。お休みのサチコとふたり久しぶりに買物に行く。 一緒に買物をするのはとても嬉しい。母はついついはしゃぎ。 荷物は持ってくれるし楽ちんで。会話も漫才風になる楽しさ。 クリーム入りの鯛焼きも買う。美味しくて幸せな気分だった。
帰宅してひと休み。寒いこともありお散歩はやめようかなと。 思うまもなく。また桜が見たくなり出掛けることにしてみた。 ここ数日の寒さのおかげで開花も止まっているらしいとの事。 いまは8分咲きくらいだろうか。まだ散り急ぎもせずにいる。
お大師堂の桜を仰ぎ。帰り道に高台の神社にも行き桜を愛でる。 なんだか見納めのように思って。しばしぽつねんと佇んでいた。
こんなに潔く散る花はないのだもの。儚くも精一杯に咲いては。 ひとの心を和ませてくれる。ありがたい花だとつくづく思った。
きょうもいい日だった。なにひとつ思いわずらうことなどない。
しあわせは『仕合わせ』とも書く。その意味が少し解った気がする。
2009年03月26日(木) |
流れているのかもしれない。 |
寒の戻り。今朝は起きるなりちゃんちゃんこを羽織る。 年に似合わず熊さん柄のオレンジ色のちゃんちゃんこ。 冬のあいだずっとお世話になった。ありがたい一着だ。
川仕事もいつものヤッケでは肌寒く。息子君のおさがり。 中学の時に着ていたウォーマーを着る。胸にネーム入り。 少し照れくさいけれど。これも温かく重宝している一着。
またすぐに春の陽気になるだろう。冬の衣類をしまって。 あとひと月もすれば初夏の服を出すようになることだろう。
毎日がとんとんと過ぎゆき。一週間があっという間に過ぎる。 流されているのかもしれないし。流れているのかもしれない。
川仕事のあと立ち寄ったコンビニの入り口で。可愛い子犬と。 お遍路さんの青年に出会った。自転車の旅らしく背中に犬を。 まるで赤ちゃんを背負うようにしてしょっていた。つい声を。 かけずにいられなくなり少しだけ立ち話し。寒いですねえと。 何処からここまで辿り着いたのだろう。独りでも大変な旅を。 愛犬とともに夜は何処で泊まるのだろう。あれこれ気掛かり。
けれども詳しくは何も訊けないまま。ただ見送るだけだった。 咄嗟に自分の格好が気になってしまったのだ。中学生の格好。 そんなこと気にせずにもっと話せば良かったと後で悔やんだ。
春休みのせいか。このところ若いお遍路さんをよく見かける。 なんだかみんな自分の子供のように思えてならないのだった。
夕暮れ間近。薄っすらと明るいのを頼りにお散歩に出掛ける。 ゆっくりのんびりとはいかなかったけれど。野あざみの花が。 スギナに囲まれてもう咲いているのを見つけて嬉しくおもう。
お大師堂には灯りが点っていた。旅の疲れを癒している頃か。 どんなにかお風呂に入りたいことだろう。今夜も冷えそうだ。
扉の外から手を合わせて帰る。暗くなりそうで駆け足で帰る。
私は毎日お風呂に入れる。あたたかなお布団に包まって眠れる。 あたりまえのように思って過ごす日々が。申し訳なくも思った。
耐えているひとがいる。辛いひともいる。忘れてはいけない大切なことだ。
2009年03月25日(水) |
ほっとこころを和ませて |
花冷えというのだろうか。冬の名残のような風が強く吹く。 あふれるほどの春を感じ。そっと見送るように冬を想った。
潮は大潮になり見る見る間にそれが引いていくのがわかる。 水があるうちにと急かされるように川仕事に精を出すばかり。 朝が早いだけあって午後は寛げる。忙しさも救われる思いだ。
久しぶりに本を読んだ。ほんの数ページだけでまたうたた寝。 庭のクルマの中で目覚め。ツバメの姿を微笑ましくながめる。 独りぼっちだったのが二羽になった。巣作りが本格的になる。
私も動き出したくなり風に吹かれながら早目のお散歩に行く。 高台の桜を仰ぎ見ながら。お大師堂の桜も見事に咲いていた。 強い風に煽られているというのにそれはまだ散り急ぎもせず。
ほっとこころを和ませてくれる。ああ来て良かったなと思った。
きょうはとてもいい日だった。
2009年03月23日(月) |
そうして暮れていく今日。 |
彼岸の明け。晴天に恵まれ春らしい陽気になった。
先月亡くなった伯母の35日の法要があり朝から出掛ける。 早いものだ。日々が日常になりあっという間に流れてしまう。 残された従姉妹は兄と二人きりの暮らし。他に女手はなくて。 あれこれと段取りに気忙しかった様子。少しでもと手伝いに行く。
悲しむまもなく寂しがるひまもなかったとふっとつぶやいていた。 無事に法要を終えるとどっと寂しさが込み上げてくることだろう。
すっかり老いてしまった伯母の兄妹たち。他の従姉妹達も皆集い。 にぎやかな一日となる。誰よりも亡くなった伯母が喜んだ事だろう。
午後帰宅して少し横になった途端。睡魔に襲われしばし寝入っていた。 天日干しをしてある海苔を取り入れねばならずよっこらしょと動き出す。
あり合わせの晩御飯を食べながら。窓の外が思いがけず明るい事に気づき。 諦めていたお散歩に行ってみようと思い立つ。あんずも喜ぶことだろうと。
もう沈みかけた夕陽を仰ぎ見ながらふたりで歩いた。風もなく静かな川面。 鴨が二羽すいすいと気持ち良さそうに泳いでいるのをしばし見つめていた。
あんずが少し駄々をこねる。私がぼんやりそうするのを咎めるみたいに。 彼女はいつも逆らう。好きなように歩いて好きな場所で止まりたいのだ。 犬は飼い主に似るというが。まったくその通りだと思うと怒るに怒れない。
薄暗くなったお大師堂で手を合わす。目を閉じると心細くなるほど暗い。 けれども蝋燭の灯りだろうか。かすかに光を感じる不思議な感覚だった。
そうして暮れていく。なんだか思い残すことなどなにひとつないくらい。
生きていたなあ。きょうも生きていたなあとひたすら感謝せずにいられなかった。
春雨の降る朝のこと。玄関を出るなり彼が声をあげる。 「おお、里帰りして来たかよ」一瞬息子君かと思った。
けれどもそれはツバメ君だった。とても思いがけなくって。 もうそんな季節になったのか。今年も帰って来てくれたか。
嬉しくて微笑まずにいられない朝になった。私達の会話を。 首を傾げるようにしながら聴いているふうで。きょとんと。 なんとも言えないくらい可愛らしい顔をしているのだった。
「行って来るね」と声をかけ。絹のように柔らかな雨の中。 ふたり今日も川仕事に出掛ける。雨だからと言って休めず。 もうひとふんばりもふたふんばりもしなければいけなかった。
幸い大雨にはならずにいてくれて。南からの雨風も心地よく。 川辺の枯れた葦の群生に若々しい緑の新芽が真っ直ぐに伸び。 その老いと若さに心が奪われる思いだった。見せてあげたい。 ふっと思い浮かぶひと。この場所に連れて来てあげたいものだ。
午後には雨もやみひたすら水の匂いが漂う。がんばるツバメ君。 古巣の修復作業に精を出している様子を。そっと窓から見守る。
いまは独りぼっち。けれどもすぐにもう一羽に会えることだろう。 そうして卵のこと。無事に生まれてくれるだろう雛たちを想った。
ながいながい旅の途中。くるしいこともたくさんあったことだろう。 おかえりなさい。我が家のことを忘れずにいてくれてありがとうね。
2009年03月21日(土) |
ちょうど好い加減にします。 |
春霞の空をぼんやりと仰いていると。飛行機雲が尾をひいて。 飛んでいますよいまここですよと。その機体がきらりと光る。
てるてる坊主さん明日は雨ですね。語りかけても揺れもせず。 お隣の瓦屋根には雀たちが戯れて。ちゅちゅんと応えてくれる。
なんてのどかな昼下がりなのだろう。このうえなく平和なのだろう。
些細なことなんてもうどうでも良くなった。掻き混ぜていたのは。 他の誰でもない自分だということに。とっくに気づいていたけれど。 その渦ばかりを見ようとしていたから。疲れてしまったのだと思う。
そんな場合ではありませんよ。いまはこんな場合なんですからねと。 この穏やかさを確かめるように。ぽつねんとひとりたたずんでいる。
ちょうど好い加減にします。だからわたしの罪をどうか赦して下さい。
昨日もお散歩に行けたから。きょうも行ってみようと思っている。 ついこの前まで冷たかった川風が。すごく爽やかで心地よくなった。
お大師堂の管理をしている91歳のおばあちゃんにも会う事が出来て。 南海大地震の時のこと。高知空襲の時の酷い有様を聴かせてもらう。 それはもう地獄のような光景だったよと。今はこんなに平和だねと。
とても91歳には見えない元気なおばあちゃんは。自転車をぐんぐん。 またね!っと手を振って路地を帰って行った。すごいパワーだなあ。 その後姿を見送りながら。ありがたいほどの元気をたくさん貰った。
じぶんは明日死ぬかもっていつもくよくよ思ってばかりだったけれど。 最近は少しずつそんな不安が薄れてきたように思う。なんとかなるし。 ちょっとくらいは辛い事もあるけれど。人生まんざらではないなあと。
日々をたのしむ余裕が出来たのかもしれない。どんなに忙しい時でも。 ふっと季節を感じられるひと時。さりげなく出会ってくれる草花たち。
わたしを。こんなにじゅうぶんに生かせてくれてありがとうございます。
2009年03月19日(木) |
それがこたえとはかぎらなくて |
静かに雨がいまも降りやまずにいて。夜気に水が薫っている。 窓をすこしだけあけてぼんやりとしながら。空っぽの心を想う。
雲ひとつなかったのだ。たしかにあの日まで清々しく澄んで。 なんて真っ青なのだろうと風に吹かれているのが心地よかった。
この雲はいったいなんだろう。どうして流れていかないのだろう。
あれこれ考えていても見つからないこたえに堪えてしまいそうになる。
ふう・・ためいきがひとつ。それを知りもせずにあんずが吠えまくる。 路地を見知らぬ人が通り抜けているらしい。見えなくなるまでずっと。 彼女は怒ったように吠え続けている。私も怒りたいとことん叱りたい。
けれどもじっとしている。億劫でもあり面倒くさくて動きたくないし。 吠えやむのを耐えるように待っていると。やっと静けさが戻ってきた。
そういえば今週はお散歩にも行けずにいる。可哀相だなあと思いつつ。 無理も出来ずにほったらかしにしている。毎晩ご飯時になり謝っている。
明日は行けるかもしれない。約束は出来ないけれど私もすこし歩きたい。 お大師堂にも行きたい。蒲公英の綿毛にあいたい。野苺も見つかりそうだ。
高台の神社にも行ってみようか。桜の木がたくさんあるからもしかしたら。 少しずつ咲き始めているかもしれない。ああ・・なんだかわくわくしてきた。
いってみないとなにもみつけられない。それがこたえとはがぎらなくて。
こたえのないことはそのままに。そっと風にまかせてみるのもよいかな。
2009年03月18日(水) |
ひとつのかなしみとおおきなこうふく |
お彼岸に入り春らしさもいっそうにましてきたようにおもう。 うぐいすの歌声に耳を澄ましながら。新鮮な朝の空を仰いだ。
いまは潮待ちをしている。あと二時間ぐらいのんびりと出来る。 そうして早目にお昼ご飯を食べてから。川仕事に出掛けるのだ。
今日は小潮で潮があまり引かない。小潮は三日続き次は長潮。 そうして若潮。中潮と続き。ちょうど一週間後には大潮になる。
大潮になると新月になる。そんなことを考えていると地球なのだ。 じぶんは宇宙のなかのひとつの星にいるちっぽけな生命だと思う。
くよくよと些細な事にこだわって。どんなにそれを宥めてみても。 またおなじルツボにとび込んでしまう。なんと愚かな生物だろう。 もがきたくもないのにもがき。苦しみたくもないのに苦しんでいる。
まあいいさと気楽にそれをうまく受け止められる時もあるけれど。 思うようにいかない時もあって。ちいさな渦にまた捉われてしまう。
ちょっと疲れた。それが本音。そうしてそんな今がありのままの自分。
けれどもこうして春に恵まれ。ひとに恵まれ縁に恵まれていることを。 決して忘れてはいけない。それはとてもとてもありがたいことなのだ。
きのうは例のお遍路さんから二度目の手紙が届いて。とても嬉しかった。 姑さんの名を刻んでくれた金剛杖が1200kmの遍路道を完歩した報せだった。 足の不自由な姑がどんなにか喜んだ事だろう。涙ぐみながらそれを読んだ。
初詣の日に出会ったお遍路さんも。時々メールで近況を知らせてくださる。 春休みがとれてまた遍路旅を始められるようになったとの事。良かったね。 嬉しい気持ちで言葉を交し合える。ささやかな繋がりがありがたくてならない。
ひとはひとにであえる。かなしいであいも少なからずもあるだろう。 けれどもそんなかなしみにも意味があるのだと。心してその縁を思う。
そんなひとつのかなしみに。ありがとうってこころからいえるように。
きっとなってみせる。このかなしみをけっしてむだにはしないときめた。
2009年03月16日(月) |
おやまの桜も咲いたかな |
春らしく穏やかな晴天。高知城の桜が今日開花したそうだ。 そんなニュースの映像を見ていると。一日の疲れも忘れる。
蒲公英のこと。土筆のこと。しろ詰め草のこと。鶯の歌声。 ささやかな春に日々恵まれていながら。桜がとても嬉しい。
そうして毎年のように思い出すのは。息子君がまだ幼い頃。 「おやまに行きたいよぅ」と。どうしようもなく泣いた事だった。
おやまは桜の公園で。ちいさな動物園があった。熊さんや。 お猿さんや。孔雀がいて。桜の頃には家族連れで賑わった。
けれども我が家には日曜日がなくって。毎日が川仕事だった。 その日もサチコをおんぶして息子君は独りで遊んでくれては。 やっと作業を終えて家に帰る途中だった。近所のおじさんが。
「しん君、おやまに連れていってもらいなよ」って言ったのだ。 ほんの冗談。忙しい事を知っているおじさんが笑いながらのこと。 親の私達もそんな余裕はなく。おじさんと一緒に笑ってしまった。
でも。しん君はそうではなかった。それはとても真面目で真剣なこと。 おやまに行きたかったのだ。行けないのだという事など解るはずもなく。
家に帰り着くなり大泣きになった。「おやま〜おやま〜」と泣き叫ぶ。
生まれてこのかた夜泣きもせずに。すくすくと育ってくれたしん君。 その子がこんなに駄々をこねるのは初めてのことだった。さすがに。 その願いを叶えてあげたくなるのが親心であろう。おやまいこうね。
大急ぎでおにぎりを作り。家族四人でおやまにお花見に出掛けた。 その時に撮った写真が今もちゃんとあり。しん君の嬉しそうな顔。
あれからもう27年目の春が。またこうして巡って来てくれたのだ。
2009年03月13日(金) |
ありがたき声。ありがたき存在。 |
川仕事のかたわら。ふっと遠い町に住む伯母の事を考えていた。
元気にしているだろうか。父の葬儀の日に駆けつけて来てくれて。 その顔を見るなり抱きついて泣きじゃくってしまった事を思い出す。 25年ぶりの再会だった。大好きだった静おばちゃん。あの日から。 もう6年も会えないでいる。歳月はどうしてこうも急ぎたがるのだろう。
午後帰宅して家の電話の着信ランプに気づいた。この市外局番は! 静おばちゃんだ。きっとそうにちがいないと信じてすぐに電話してみる。
従姉妹の美和姉ちゃんの声。独り暮す伯母を気遣って帰郷していたらしく。 私に電話してみようかとふたりして私のことを思っていてくれた事を知る。
涙声の静おばちゃん。元気にしているか?とそれは優しくありがたい声だった。 たくさんの不義理を詫びながら。私も涙せずにはいられず懐かしさが込み上げる。
母だったのだ・・少女時代の私にとって。静おばちゃんが母だった事を思い出す。
修学旅行の前の晩から泊りがけで来てくれて。お弁当を作ってくれたこと。 転校ばかりだった私に付き添ってくれて。新しい学校へ連れて行ってくれたこと。
忘れてはいけないことがたくさんある。静おばちゃんのおかげで大きくなれた。 わがままを言った事もあったような気がする。当たり前ではなかったことを。 当たり前のように思って。どれほど甘えてどれほど世話になったことだろう。
静おばちゃんがそうして私や弟の面倒を見てくれていた時。いとこのお姉ちゃん。 お兄ちゃん達に寂しい思いをさせていたことだろうと。この年になって初めて。 そんな大切なことに気づいた。どんなにか迷惑をかけ続けていたことだろうと。
それなのに何ひとつ恩返しも出来ずに。この年まで生きながらえてきたのか。 そう思うとほんとうに心苦しく。悔やまれる事があまりにも多すぎるのだった。
「会いたいね」って言ってくれる。「あいたいよ」すぐにでもとんでいきたいよ。
いつかきっとではいけないこと。私はなんとしても会いにいこうと決めたのだった。
父の生まれ故郷。とても遠い町だけれどそんな距離が何だというのだろう・・。
「誰ひとりミカのこと忘れてなんかいないよ」最後に従姉妹が言ってくれた。
2009年03月11日(水) |
ありがとうございました。 |
天気予報は晴れだったけれど。ずっと曇ってばかり。 なんだかてるてる坊主さんが可哀相になってしまう。
お願いされるというのは。時にはとてもしんどくって。 いちにちじゃいけなくてずっとだなんてあんまりだもの。
にんげんは欲ばりだな。もっともっとが多過ぎるなと思う。
雨が降らないでいてくれたおかげで。今日は散歩に行けた。 自転車の中学生が列になって。土手の道を帰るのに会った。 お別れ遠足だったのだろう。お揃いの青いジャージが続く。
あんずが立ち止まってきょとんと見上げる。私は遠慮がちに。 どうしてだか気恥ずかしいような。照れくさいような気分だ。 そのくせ微笑ましくて嬉しいような。少年少女って素敵だな。
そうしてお大師堂につかの間こもる。きょうは懺悔のきもち。 どうしようもない渦にまた捉われているのがわかっていたし。 しっかりとそんな自分に向き合い。救ってあげたいと思った。
ひとはみな誰かに迷惑をかけながら生きていくしかないのだと。 ある本で学んだ。自分がただ存在しているだけでそうなり得る。 だからひとを責めてはいけない。自分自身も責めてはいけない。
ありがとうございました。手を合わせ心穏やかにそこから帰る。
川辺の道を歩きながら。野いちごの白い花を見つけたうれしさ。 そうしてまた歩いて行けば。しろつめ草が緑の葉の中で微笑む。
四葉のクローバーを見つけたよって。みんなに見せてあげたいな。
2009年03月09日(月) |
とりとめもなく酔ってそうろう |
曇り時々雨。菜種梅雨にもそろそろお暇をあげたくなるこの頃。 てるてる坊主に赤いリボンなど結び。朝の窓辺から空を仰いだ。
少しも苦しゅうはないけれどちと疲れが溜まってきたのであろう。 お子様時間にはもう床に就く夜が続いている。爆睡もまた良しで。 体調も不安がる事もなく。日に日に逞しくなって来たように思う。
これも平穏なのだろう。思うように出来ない事が沢山あるけれど。 たとえばお散歩。雨でない限りはと決めていても行かない日もある。 あんずがせつなそうな声で呼んでいるのを。宥めるようにしながら。
日が暮れていく。晩御飯を持って行く頃にはすっかり忘れてくれて。 ガツガツと美味しそうにフードを食べてくれる。ほっと救われる思い。
土手のつくしん坊もすっかり伸びて。にょきにょき野原になっている。 川仕事に向かいながらそんな土手を仰ぐ。のんびりと歩きたいものだ。
あと二ヶ月程だろうか。桜の季節が終わり新緑の季節が巡ってくる頃。 今期の家業を無事に終え。やっとくつろげる日々が待ち遠しくもある。
毎年の事だけれど。夢のようにあこがれのように旅に出たいなあと思う。 いつも思うだけ思って叶わずにいる旅。北海道だったり奈良京都だったり。 今年は群馬の高崎に行きたくなった。『慈眼院』というお寺に行きたいのだ。
インターネットはとても便利で。このところ検索しまくって旅をしている。 高崎に行くには東京駅で上越新幹線に乗る。ああ東京駅で迷子になりそう。 人もいっぱい居るだろうな。そこで発作が起きたらどうしようかなあと思う。 優しい駅員さんとか居てくれて。きっと助けてくれるにちがいないとかと。 信じたりしてにんまり微笑む。そうして無事に高崎に着いたらバスに乗る。
いっぱいいっぱいかんがえている。いっぱいいっぱいそうぞうしている。
ひとり旅ひとり勝手に夢をみるひとり上手と呼んでください。おやすみぃ。
2009年03月05日(木) |
待っていてくれるひと |
朝のうちの青空もつかのま。すぐにまた雨雲がひろがる。 二十四節気のひとつ啓蟄だと知ると。やはり春らしくて。 ぽつぽつと落ち始めた雨も優しくやわらかに匂うものだ。
夜明けもずいぶんと早くなり。彼に急かされつつ川に向かう。 そうして今度は潮に急かされては。余裕なく収穫に精を出す。
ぜえぜえしながら。10時にはお腹の虫がぐぅっと鳴き始めた。 早目の昼食。明星鉄板焼きそばにご飯を添えてがつがつ食べる。
午後からは予定通りに山里の職場へ向かう。白木蓮の花を見つけ。 雪柳も咲き始めていて。ああ来て良かったなあとこころが微笑む。
「こんにちは」とおどけた声で皆に声をかける。母も同僚も笑い。 母は特に上機嫌で迎え入れてくれた。案の定、机の上がいっぱい。 母ひとりの事務仕事はどんなにか忙しかった事だろうとおもうと。 やはり無理をしてでも手伝ってあげなければとあらためて思った。
けれども母はやはり無理をしないようにと言ってくれるのだ。 私も母に無理をしないようにと言いつつ。目頭が熱くなった。
ふたりいつも顔を突き合わせている時よりずっとお互いを労われる。 こうして時々会えることで。より強く母娘の絆を深められる気がする。
明日のことはわからない。明後日のこともわからない。次はいつかも。 そう告げて家路に着いた。帰り道の桜並木を見ながら春爛漫の日を思う。
こんなわたしでも待っていてくれるひとがいてくれる。
それはとてもありがたくて尊いことのように思うのだった・・。
2009年03月04日(水) |
あれこれさん。おやすみなさい。 |
曇り時々雨の空模様だったけれど。午後から一気に晴れ間が広がる。 てるてる坊主さんも頑張っているねと。微笑まずにいられなかった。
仕事がお休みだったサチコが家業を手伝ってくれる。子供の頃から。 よく手伝ってくれていたおかげで。慣れていて手際よく助けられる。 母は嬉しくてついついはしゃいでしまう。母娘漫才的手作業だった。
おやつに三人でクリームパンを食べる。作業場には笑いが絶えずに。 父親もいつも以上にハッスルしては。サチコに「よいしょ」される。
ほんとうに太陽のように明るい娘。そうして空までも明るくなった。
晩御飯は『親子どんぶり』を作る。冷蔵庫にあるものでが最近の習いで。 とにかく卵たっぷりにしたけれど。サチコはちょっと不満げだった・・。 このところ町のスーパーに行く気がしない。週イチくらいで買い溜める。 何かもう一品作りたかったようで。キャベツとソーセージを炒めていた。
早目に晩御飯を食べていたら。姑さんが自家製の野菜を届けてくれた。 もう新玉葱が出来たらしい。あとは無農薬のレタス。ほうれん草もあった。 明日は新玉葱とレタスのサラダが出来そう。ほうれん草はゴマ和えかなあ。
新鮮な野菜はほんとうに助かる。このところすっかり足の弱った姑さんが。 一生懸命に歩いて行って畑仕事を頑張っている。それが生きがいだと言う。 丹精込めて作ってくれる野菜。けっして粗末には出来ずありがたくいただく。
明日は早朝から川仕事。潮の満ち引きに左右されるため。もう朝潮になった。 午前中にはすべての作業を終えられるだろう。山里の職場へ行けそうだ。 もう二週間近く行けないでいる。毎日のようにメールがあり電話している。 保険業務だけは自宅で出来るようになったけれど。他の仕事だってあるのだ。 母は無理しなくても良いよと言ってくれるけれど。放りっぱなしには出来ない。
あれこれと記しつつ。今夜もほどよく寝酒が効いてきたらしい・・。
まあ明日のことは明日のことでいいか・・・眠くなった時に寝るのがいちばん。
ふう・・まだ9時なのにもう眠いや・・。
2009年03月03日(火) |
木の芽起こしの雨だった |
眠っている間に降り出したのかもしれない。 目覚めた時にはそのかすかな雨だれのおと。
もう三月だもの。木の芽起こしの雨になるだろう。 裸木と枯れた葦の続く川面を船に乗り進みながら。 それがもう芽吹き始めている木を見つけたのだった。
なんと若々しい緑なのだろう。ああ春だなあと嬉しく思う。
けれども濡れるには冷たすぎる雨。合羽を羽織り仕事をする。 それが少しも苦にならない。収穫とはこんなに楽しいことか。
そうして程よい疲れを感じる夜が来てくれる。お風呂が好き。 先日夢で鳥になった事を考えながら。それをイメージしつつ。 湯船で羽根ならず両手をふわりっと浮かべてみたりしている。 それがとても心地よくてならない。狭い湯船のこと大空とは。 とても思えないけれど。じぶんのささやかな空間におもえる。
ぷっかぷっかと浮かびつつとぶ。目を閉じて自分の空を想う。
じぶんの空は。このところずっと雲ひとつない。 もちろん雨も降らないのだけれど。乾きもない。 ときどきは風を感じるけれど。揺れる事もない。
どこかで何かが荒れているような気配はあるが。 それはとても遠くて。見つけようとは思わない。 そんな空を飛んでいるのだとしたらそれもよい。
実のところよくわからないのだ。こんなもんか。 これでいいのだろうと。ばくぜんと思うばかり。
ひとつもないところに。何かを描くことはしない。
ひとつだけあるのはいのちだけでじゅうぶんなんだ。
いったい何日ぶりだろう。雲ひとつない晴天に恵まれる。 青空と春らしい陽射しに。こころが澄みわたるようだった。
空模様を気にすることもなく。干場いっぱいに海苔を干す。 その艶やかさがきらきら光る。ああ良い気持ち思わず声も。
漁はお休み。指折り数えてみると10日ぶりの休息日だった。 彼は春の火災予防運動のため消防団のパレードに出て行く。
私はいちにち好きなことをして過ごす。音楽三昧だったり。 午後はいつもよりずっとのんびりと。川辺の散歩道を歩く。
そうして早咲きの桜をまた見つける。四日前にも歩いた道。 その時にはまだ咲いていなかった。桜の木があることにも。 気づかずにいた。わあこんなところにと感嘆の声をあげる。
夕方。バド仲間のM君より電話がある。今は少し遠い町に住んでいて。 去年の初夏にふたりで組んで大会に出たっきり会えないままの彼だった。 健常者ではないこともあり就職に苦労していた。でも仕事が見つかって。 親元を離れて行ったのだけれど。時々ふっと近況を知らせてくれるのだ。
「優勝したよ!」今日の報せは『障害者バドミントン大会』の結果であり。 全勝のまま決勝戦まで進めたのだそうだ。なんと素晴らしい事なのだろう。 嬉しそうな声に私も嬉しくてならず。目頭が熱くなるほどの感動を覚えた。
一緒に練習していた頃はほんとうに色んな事があった。何度もぶつかって。 どれほど喧嘩をしたことだろう。私は心を鬼にするくらい彼に厳しかった。
そうして私はいっぱい泣いた。歯を食いしばりながら彼も泣いた事だろう。
優勝の賞品にバド用のスポーツバックを貰ったのだそうだ。ゆみちゃんに。 古いのをあげるのだと言う。要らなくなったら頂戴ねってそう言っていたと。 やっとゆみちゃんにあげられるようになった。でも・・でも。彼女はもういない。
一昨年の暮。ゆみちゃんが亡くなってしまったことを彼は知らなかったのだ・・。
悲しい事実をそうして知らす。今となってはもうどうしようもない事だけれど。 今年もお盆に会いに行こう。M君のことをゆみちゃんに話してあげたいと思う。
これからも勇気を出して立ち向かって行くように。そう励まして電話を切る。 転んでもすぐに起き上がる彼だもの。仕事だってバドだってきっと頑張れる。
『どんど晴れ』ちょっと昔の朝のテレビ番組だった。小岩井農場の一本桜。
私は今でもあの桜のことが忘れられない。あんなふうに咲きたいと思いながら。
きっと咲いて欲しいと願い続けるひとがいる。それがわたしの祈りでもある。
めでたし。めでたし。きょうの嬉しさを話したくてならなくてここに記しておく。
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