2008年06月30日(月) |
鬼の目にも嬉し涙かな |
もしや梅雨明けではないかしらと思うほど。からりっと良く晴れた一日。 暑かったけれど。なんだかすくっとする気持ち。息をするのが嬉しくて。
だけど月末の月曜日のせいか。どこからか吹き矢みたいなのが飛んで来る。 上手く身をかわそうとしても。思うようにいかなくてちょっとだけ痛くて。
そういう時って。自分も無意識のうちに何かを飛ばしているのかもしれない。
無駄な抵抗はおよしって自分に言ってみる。ばかみたいって笑ってみると。 空のこと風のこと。夏草のことや。あっトンボが飛んでるって見つけたり。 そういうのでいっぱいになってちょっとほっとする。ここ好きだなって思う。
きのう。バドの大会があって。以前からいろいろあった青年と一緒に行った。 ぶつかり合うことが度重なり。ちょうど去年の今頃すごい喧嘩みたいになった。
他の誰も言わないことを私が告げてしまった挙句のことだったけれど。 そのせいでどんなにか彼を傷つけてしまったことだろう・・・。
こころを鬼にするのは決して容易いことではなかった。 鬼はいつだって泣きながらそうするしかないのだと思う。
「もしもし 日曜日大会に出ようよ」 「誰と組むんですか?僕に相手なんかいませんよ」
私がいるではないですか。そう応えるとびっくりしたような歓声が届く。
そうして遠足みたいにふたりで行った。 やっと見つかった仕事の話し。初めて貰ったお給料がとても嬉しかった事。 職場にはまったく歩けない人もいて。言葉ひとつ話せないひともいること。 そのなかで自分は出来ることがいっぱいあって。毎日を頑張っていること。
バドもいっぱい頑張った。前は全部取るんだと言って気合いっぱいの奮闘。 私も後ろは全部取るからと気合だけは充分。でもかなりくたばってしまう。 せめて一勝はさせてあげたい。そう思ったかいがありなんとか一勝出来た。
そうしていつの間にやら決勝戦らしかった。実は二人ともその事を知らず。 予選では勝っていた相手に接戦の末。今度は惜しくも負けてしまったのだった。
はははっと笑ってごまかすふたり。その後でそれが決勝戦だったと気づく。 そうして思いがけずに準優勝の賞品まで貰って。やっと実感が湧いて来た。
でもほら。予選では勝ったのだから。自分たち優勝かもねって笑い合った。 彼はとにかく嬉しくてならない。だってほんとに初めての入賞だったから。
家に帰ったらいっぱい自慢しようねって話す。もちろんあのことは秘密よ。 たった三組しか出ていなかったなんて。絶対言っちゃいけないよって笑う。
彼を家まで送り届け。なんだろうこの清々しさは。この言葉に出来ないような。 嬉しさと安堵。なんだか長いトンネルからたった今抜け出たような気持ち。
彼の左腕がずいぶんと逞しくなった。それがこの一年の彼の成長に思えた。
2008年06月28日(土) |
無題という日があってもいいかな |
どんよりとした空も気にならず。なんだかまあるくふわりっとしたいちにち。
土曜日も職場は休みではないのだけれど。私だけ休ませてもらっている。 心苦しさがはんぶん。開放感がはんぶん。ごめんなさいとありがとうの気持。
午前中に買物に行って来る。開店したばかりの大型スーパーっていうのが。 なんか好きだ。駐車場も空いているし、人もまばらでのんびりと買物が出来る。 またまたカレーの材料。明日のカツカレーの豚肉も。週末はこれが楽ちんだ。
帰宅して。せっせと掃除をするわけでもなく。また茶の間でごろごろ過ごす。 彼がスカパーで洋画を観ていた。何気なく一緒に観ているうちにすっかり 夢中になってしまう。『ノストラダムス』という映画でなかなか良かった。
午後は。また例のごとくお昼寝。ほんとうは本を読むつもりだったけれど。 文庫本を胸の上に置いたまま。今日は悪夢も見ずにぐっすりと眠っていた。 目が覚めたらなんともう四時になっていた。四時間近くも昼寝なんてすごい。
めざましにビール。冷えたのが胃と頭にすかっと心地良くてたまらない。 さあ活動しなくちゃってちょっと気合が入る。とにかくカレーを作ろう。
彼とふたりで夕食。サチコは結婚式のお呼ばれで今夜は遅くなるということ。 サチコの彼のお姉さんの結婚式で。親族の一人として招かれたようだった。 お行儀よくしているだろうか。いつもの調子で大酒飲んでいないかちと心配。
そとは小雨。それなりに夕暮れの気配がする頃。飼い犬に餌をあげにいく。 このところ夕方の散歩を行きたがらなくなって。運動不足気味みたいだが。 食欲はしっかりとある。餌を持っていくと必ずペロペロと私の顔を舐める。
お隣の庭に。凌霄花(のうぜんかずら)が見事に咲いているのを見ていた。 ハイビスカスみたいに鮮やかな夏の色をしている。オレンジ色ってなんだか。 元気な色だなあって思う。こんな雨の日であっても夕焼けみたいな明日の色。
凌は「しのぐ」。霄は 「そら」の意味らしい。 つるが木にまといつき天空を凌ぐほど高く登るところから名がついたらしい。
平安時代に中国から渡来した花だと知り。いにしえのひとたちのことを想う。 もちろん写真などなかった頃。どんな言葉でこの花のことを描いたのだろう。
まいにち雨が降り続いていたかもしれない。けれどその時代にも花が咲き。 日々の暮らしのなかで。植物を愛しみ生気を授かり明日への命につなげて。
雨やあめ空をしのげば登りゆく花のこころに我も生かされ
とか詠んだのかもしれないなあ・・・なんて思った。
2008年06月26日(木) |
あのね。今日「梅ちゃん」に会ったよ。 |
晴れのち雨。ときにはそんな雨に濡れてみるのも良いなと思ったりした。
仕事を終えて帰り道。国道沿いの『花の良心市』へ寄ってみる。 先日アガパンサスを買ったばかりだったけれど。職場へ持って行ったのだ。 母がとても喜んでくれて。今日も微笑みながらそれを見ていてくれた。
そういうのが私は嬉しくてならない。職場は月末近くなってあれこれ。 難儀なことがいっぱいあるけれど。また成るようになるのかもしれない。
わからないけれど。以前のように不安な気持ちになることが少なくなった。
でっ今日も買いました。一束百円のアガパンサス。薄紫と白の花束が嬉しい。
その花束を抱くようにして。少し雨に濡れながら道路を横断してクルマへ。 その時『梅ちゃん』の会社のクルマがびゅーんと通り過ぎるのを見つけた。
あっ・・梅ちゃんかもって思ったら。やはり運転している横顔がそうだった。 飛ばしていたけど一瞬目が合ったような気がした。だから後姿に手を振る。 そうしたら50メートルくらい行き過ぎたところで。クラクションが鳴った。
ぷっぷっぷって三回も鳴って。ああ梅ちゃん気づいてくれたんだなあって。 なんか一瞬恋した乙女みたいに心がパクパクして。すごい嬉しくてならない。
梅ちゃんは。今は母の友達なのだけど。実は昔は私の上司でもあった。 数年前に再会した時にはほんとうにびっくりしてしまった。だって。 なんでお母さんの友達なの?ってすごい不思議でならなかったのだ。 母も。なんで梅ちゃんを知っているの?って一緒にびっくりしていた。
よほど縁のあるひとなのだろう。私達ふたりにとって『梅ちゃん』って。
数日前に。母が梅ちゃんのことを心配していたのを思い出す。 最近見えないけど元気にしているだろうか。仕事は順調だろうかって。
元気なのにちがいない。ぶんぶん飛ばして仕事も頑張っているみたいだ。
明日は「おはよう」の後すぐに梅ちゃんのことを話してあげよう。
まあ、そう、それは良かったって。きっと喜んでくれるだろうなあ。
2008年06月25日(水) |
ショボリンヌという名の雨 |
ショボリンヌという名の雨が。よく聴き取れない声で何かを言って。
もしかしたらとても大切なことなのかもしれない。けれど聞き流す。
そのほうがいいことがこの空にはあって。もう暮れるしかない時が。
ひしひしと忍び足で寄って来る。後ろの正面はあした。だからもう。
そろそろ目隠しをはずしてしまいなさい。そうすれば見つけられる。
もっともっと必要なことが。あってよしなくてよしの理由のように。
さあ。すっきりしよう。焼酎ロックの氷を口に含んでころころさせて。 はあなにやってるんだろうって。ちょっとだけ自分を叱咤してみたり。 ここらへんで受け止めてあげないと。どこまでも落ちていってしまう。
気分転換にさっきテレビで好きなひとを見た。笑顔とか仕草だとかが。 たまらなく胸にぐっとくる。もう恋なんてしないつもりだったけれど。 そもそもそういうのは「する」とか「やめる」とかいう事ではなくって。
それはほんとうにどうしようも出来ない心の問題だと思ったりするのだ。
その問題は難しくって。答えなんか解らなくって。涙がでそうなくらい。
まあいいか・・どんな時もある。ばかだな・・ほんとうに私ってバカだ。
こんなことぐだぐだ書いて。朝になったら「これ誰?」って焦る時がある。
でも消さない。だってありのままの自分ってそれほど嫌いではないから。
そう言ってしまうと。なんだかすっきりと気分良く眠れそうな夜になる。
じゃあね。酔っ払いさん。ショボリンヌからの伝言は私が聴いておくわ。
2008年06月23日(月) |
だいじょうぶ。ここにいるよ。 |
やはり青空は嬉しいものだ。とくに朝のそれは清々しくてすいっと。
窓を開けるとお隣の屋根に雀が。ちょちょんとしているのも楽しい。
すこしばかり風と戯れていると。月曜日だということを忘れそうで。
ああ行かなくちゃって思うと。じゃあねっと風が遠くに行ってしまいそう。
そんな誤解。そんな一人合点。ほんとうはそうやって風を見失うのだった。
だから行かなくちゃじゃなくて行く。いつだってそう思える自分になりたい。
国道沿いの歩道の脇に。アガパンサスの花を見つける。とても好きな花だ。 紫君子蘭とも言うその花は。薄紫の小さな花がそれぞれに咲きひとつの花になる。
そういうところはちょっと紫陽花に似ているけれど。茎がすらっと長くて。 葉はその花を下から見守るように地面近くにある。鳥が艶やかな緑の羽根を。 そっとやすませているようにも見える。だいじょうぶここにいるよって。
そうして伸びた茎の先に。ありがとうって微笑むようにその花が咲くのだ。
そんな朝の出会いのおかげかもしれない。波風も立てず穏やかにいられた。 タイムカードを押す時。「ありがとう」って言ってくれた。それが何より。 嬉しくてならない。また明日ねって笑顔で手を振ることだって出来るのだ。
帰宅して。ほんの少し窓辺でくつろいでいる時。ふっとカレンダーを見た。 そしたら今日がとても大切な日だったのを思い出す。
母の友人であり。私の友人でもあったひとの9年目の命日だった。 毎年ふたりで思い出話をするのに。天国でどんなに寂しがっているだろう。
「おかーさん大変!」と大急ぎで電話する。母もすっかり忘れていたらしく。
そうだったねえ。梅雨の頃だったねえ。ほんとうにあっけなく逝った人だった。
今夜はいっぱい思い出そうね。愉快な人だった。いつも大きな声で笑って。
私は手のひらに形見の貝殻をのせてみる。水中写真家だったそのひとが。 おしえてくれた海のこと。広いひろい海から見上げた空がもっとひろく。
果てしなく続いていたこの世界のことを。どうして見失うことが出来よう。
だいじょぶ ここにいるよ ずっとずっと ここにいるよ
2008年06月21日(土) |
どうでもいいことなんだ。きっとこれって。 |
もわりんが異常繁殖してしまったようないちにち。
こんな日はもわりん物語や。もわりんの歌とかで。
抱っこしたり手をつないだりして過ごすのが良い。
たとえば。もわりんジョシツキーと決戦の巻とか。
もわチチもわララもわるラアと歌いながら踊ったり。
そうすると。もわりんの今にも泣き出しそうな顔が。
ちょっとはにかんだ照れくさそうな笑顔に変わるのだ。
お昼寝ならぬ午前寝をしてしまう。 部屋の中に洗濯物を吊るして。そこらへんをまるく掃除をして。 それから茶の間のソファに横になったまま二時間くらい寝ていた。
とてもリアルな夢も見た。ふとした拍子にぽとんと落ちてしまったのだ。 両方の手が。痛みもなく血も流れず。それはまるで部品か何かのように。
「あっ落ちた」と急いで拾った。なんだか財布に入れそこなった小銭みたい。 うっかりしていたなのだなあと思う。あわてん坊だからなあって苦笑い。
(いま思うに。いったいどうやって拾ったのだろう?)
そうしていとも簡単にその片方をくっ付けた。上手いもんだなと得意顔。 でももう片方をくっ付けようとした時。とんでもない間違いに気づいた。
左手に右手がくっ付いている。親指が外側になっていてなんとも滑稽。 しばし笑い転げていたけれど。早く元通りにしないと腐っちゃうかもと。 その不恰好な左手を外そうとした。でも右手がないから引っ張れなくて。
ぶらぶらしたり口にくわえたりしてみたけど。なかなか外れてくれない。 あーあって声が出る。いつもの私ならどんなにか慌てて泣き叫んだことか。
でも夢のなかの私は素晴らしく平然としていた。まあいいかなって思って。 かつては左手だったそれを持ち上げてみる。それはやたら重かったりした。
こんなに重いのもう要らない。そこで私はあっさりとそれを放り捨ててしまう。
眠い。もっともっと眠りたい。どうでもいいことなんだきっとこれって。
目が覚めたら。胸の上にちゃんと右手があった。左手と合わせてみると。 親指と親指がちょちょんと触れ合う。両方の手の小指も立ててみたりして。
ああ良かったって。すごいすごいほっとして。よっこらしょって起き上がった。
2008年06月19日(木) |
こぼさないように。なくさないように。 |
梅雨らしくぽつりぽつり降っていた雨が。つかの間どしゃ降りの雨になる。 ちょうど仕事を終えての帰り道。牧場のそばの道を通過している時だった。
透明の雨合羽を着たお遍路さんが。歩道をぐんぐんと走っているのを見た。 それは駆け足というのではなく。なんというかまるでマラソン選手のように。
歩道の脇にはちゃんと屋根のある休憩所がある。なのに雨宿りするでもなく。 とにかく俺は行くんだとばかりに急いでいる。それはとても勇ましくも見え。 なんだかはらはらと気遣わずにはいられない姿でもあった。どうして? そんな声などかけられるはずもないほど。雨が地面を叩きつけていた。
複雑な心苦しさを抱えたまま。仕方なくその姿をゆっくり追い越して行く。
そうして垣間見たのは。顔かたちではなく。日焼けした逞しい足だった。 私はそれを一度も見たことがないが。カモシカのような足に違いなかった。
その足を見ただけで。ああ青年なのだなとほっとする。もしかしたら。 このひとは日頃からずっと走り込んでいるのかもしれない。雨の日も。 向かい風の強い日も。走り続けることで成し遂げている何かがあるのかも。
しれない。いやわからないけれど。勝手にそう決め付けてしまいたかった。
どしゃ降りの雨さえも清々しく感じたひと時。何かが満ち溢れてくるのを。 こぼさないようになくさないようにと思いながら。私も雨の道を帰って行った。
彼は明日も走るのかもしれない。だけど何ひとつ急ぐことはないのだろう。
2008年06月17日(火) |
わたし待つわいつまでも待つわ |
午後から薄日が射し始め。ほんの少し青空が見えた。
日暮れ近くなり窓辺にいると。土手をいろんな人が歩いて行くのが見える。 颯爽と足早に過ぎるひと。おしゃべりしながらの二人連れ。ゆっくりの老人。
行ったのだから帰るはず。そう決めつけて。なんとなく待ち侘びてみたり。 そのうちあたりがだんだんと薄暗くなると。いったい何処まで行ったのかと。
他人事ながら気になったりする。私も余程暇を持て余しているらしかった。 そうして今日が暮れていく。自分なりにその幕を下ろして。ふうっと息して。
次はサチコの帰りを待つ。今日は早く帰るって言ったのにまだ帰らない。 帰ったらまた漫才をしよう。そう決めただけで心が浮き立つように弾む。
だけどいまはひとり。彼が飲み会で晩御飯も要らなくて出掛けて行った。 でもちっとも寂しくはない。むしろ嬉しくなってカルボナーラを食べた。 彼は苦手だけど私が好きなもの。だから時々は留守がありがたいものだ。
「たらいま〜」階下でサチコの声がする。
「おカエルんこ〜」と階段を駆け下りる母は。無邪気な酔っ払いであった。
2008年06月16日(月) |
少し背伸びをしているのかもしれない |
つかの間の青空を押しやるように。昨日からまた梅雨空がかえってきた。
けれども決して憂鬱ではなく。まあこんなもんだろう。これでいいのだと。 なにかを。雨ではない何かを受け止めているような。そんな気持ちだった。
きのう。そんな雨の朝。道端の民家のそばに向日葵が咲いているのを見た。 そういえば去年の今頃。同じ場所に咲いていたのを思い出す。また会えた。 また季節が巡って来てくれたのだなあと。懐かしさと嬉しさが込み上げる。
紫陽花の季節にともに咲く向日葵。少し背伸びをしているのかもしれない。 片方には雨が似合い。片方には太陽が似合う。だけど競いあうのではなく。 それぞれの個性のまま。与えられた土にしっかりと根をおろしているのだ。
わたしはもちろんどちらの花でもない。けれども根のようなものがあれば。 枯れることに臆病にならないで済むのではとふと思った。さああるのかな。
よくわからない。たとえあったとしてもどんな災難が降りかかるや知れず。 その時が来れば。やはり潔くありたいものだ。まあこんなもんだろうって。
だけど少しは悔しいかもしれない。まだこれからだったのにって思うかも。 欲張りだなあわたし。いつだってもっともっとって思っている気がするし。
種を。やはり私は種を蒔くべきだろう。育つかどうかわからないけれど。 毎日少しずつでいい。蒔けない日があってもいいから。そう心がけたい。
そうしてその種を守る土になりたいなあって思う。
2008年06月12日(木) |
それもこれも。わたしらしさ。 |
雨と雨のあいだの青空が嬉しかった。そうして風にのり匂うのは。
くちなしの花。純白の絹のような花びらを。雨から守るのだと言って。
母がその鉢を抱きかかえるようにして運んだ。事務所の軒下にあり。
それが吐息のように匂ってくる。ふっと気が遠くなるような息だった。
そうして平穏に時が過ぎる。つい先日までの緊迫感が嘘のように思える。 これが母の言う「成るようになること」らしい。まだ続くあしたも成るだろう。
仕事を終え帰宅するなりツバメの姿をさがす。どこかなあって見上げる。 先日無事に子ツバメが巣立ったのだ。ひとりっ子と両親が電線に並んで いたのを見つけたけれど。その日からこっち見分けがつかなくなった。
あっちにもこっちにも3羽いたりする。5羽になったり7羽になったり。 ご近所にはたくさんの仲間がいる。そうしてみんなで旅をするのだなあ。
クルマからおろした買物の荷物を。よっこらしょっと声を出し家に運ぶ。 今日こそは忘れずにドックフードを買って来た。昨日は買い忘れてしまい ワンコの晩御飯はお豆腐だった。でも気に入ったらしくふがふがと食べた。 ほんとうはサバ缶が好きなのだけど。それさえも買い置きがなかったのだ。
そうして少しひと休みしてから。そろそろお風呂のスイッチを入れようと 思うだけ思って。洗濯物をたたむ。久しぶりのお日様の匂いがする嬉しさ。 テレビのCMみたいに頬ずりをする。わあ柔らかいい香りとか言いながら。
でも。お風呂のスイッチが入ってなくて。「何やってんだ」と𠮟られる。 その顔が笑っていたのでほっとした。彼もやっと私に慣れてくれたらしい。
早く忘れてしまえばいいことを忘れられない。
忘れてはいけないことをすぐに忘れる。
それもこれも。わたしらしさ。
2008年06月10日(火) |
いったい誰が鳴いているのだろう |
夕方ちかくなった頃。音もなく雨が降り始める。とても優しい雨だ。
午後7時の空はまだ明るく。川向の山に煙のような雲が漂っていたり。 お隣の屋根すれすれに。ツバメがすいっと突っ切っていくのが見える。
今日から堤防の草刈作業が始まったらしく。ちょうど私が帰宅した頃。 大橋のたもとで帰り支度をしていた。作業員の人達と幾つもの草刈機。
そのギザギザの刃が。まるで不気味な物のように見えて少し怖くなる。 今日はここまで。明日はどこまでだろう。雨だったら中止になるのか。 一気に済まそうって相談しているのかもしれない。そこらじゅう全部。
私の好きな白いふわふわさんも。まだ蕾がたくさんの姫女苑も。 だって夏草だものしょうがない。きれいさっぱりになるのだから。
ただ少しだけ感傷的になってみたい。それはほんとうに一時的なもの。 刈らなければ荒れる。刈ればまた芽生える。そのほうがほんとは好きだ。
午後7時半。もうすっかりあたりが暗くなる。雨だれの音が聴こえて。 その音に合わせて踊るような足音が聴こえる。ああ駆けているなあって。
サチコが帰ってきた。「おばあちゃんに貰ったよ」って手には玉蜀黍。 姑さんの畑から夏の贈り物だ。茹でたばかりの温かな黄色いつぶつぶ。
立ったままお行儀悪くかぶりつく。くるくるまわしながらリスみたいに。 甘くてほんとうに美味しい。子供の頃から大好きだったとうもろこしだ。
午後8時。雨だれの音がぴたりと止む。そうしてまるで秋のような虫の声。
不思議だな。鈴虫でもコオロギでもない。いったい誰が鳴いているのだろう。
2008年06月09日(月) |
だいじょうぶ。ちゃんといる。ここでいい。 |
少し薄日に恵まれたけれど。一日中もわりんとして蒸し暑かった。
わたしはあまり好きではない。そうしたもわりんがじわじわするのが。
むしょうに払いのけたくなる。だけどそれだってそうしたくてしている
わけではないのだ。そうかもわりんじわじわしたいのか。よしよしと。
ともに戯れるように過ごしていく。かわいいものだなんだってみんな。
今朝のこと。わたしはワープをした。すごいなと我ながら思う。 家を出て。いつもの大橋を渡り。信号待ちで朝陽がまぶしくて。
それから後の記憶がない。気がついたときには山道を走っていた。 一瞬どうしたことかと焦りつつ。ながいトンネルのことを思った。 だけどどうしてもそこを抜けた覚えがなかった。トウラナカッタノカ。
はっとしてあたりを見る。見慣れた民家。色づき始めた道端の紫陽花。 すこしほっとして胸を撫で下ろす。窓を全開にして緑の風に息をする。
だいじょうぶ。ちゃんといる。ここでいい。いつもここなのだと思う。
そうして平穏に時が過ぎ。仕事を終え買物をしていたら。今度はなんと。 タイムスリップをした。ほんとにすごい。今日のわたしは素晴らし過ぎる。
パン売り場でミキちゃんに会った。あまりの懐かしさに手を取り合い喜ぶ。 ずっと昔。かれこれ20年前だろうか。縫製工場で一緒に働いていたのだけど。
ちっとも変わっていないあの頃のミキちゃんだった。「みか〜!」って。 ちゃんとわたしの名前を呼んでくれる。目をうるうるさせて嬉しそうに。
ずっとずっと年上の先輩だった。たぶん私の母親と同じくらいの年頃で。 だけど女ばかりの職場のせいか。みんな名字ではなく名前で呼び合って。 友達みたいに仲良しだった。だからこそ助け合ってどんな仕事も頑張れた。
ほんとうに遠い日のことのようにも思う。だけど一瞬で還ることが出来る。
そんな再会がとてもありがたいものだ。「元気でね ミキちゃん」
おなじ町で暮らしているのだから。会おうと思えばいつだって会える。
もっと思い出さなければいけないことが。あるような気がしてならない。
それはなんだろう。そこはいったいどこだろうと考えながら家に帰った。
晴れるかなって思ったけど晴れなくて。雨かなって思ったけど降れなくて。 こんな日の空はそっとしておいてあげたい。見守るようにして見上げる空。
朝のうちは庭に出て花いじり。雨に朽ちた花を切ったり雑草を引いたり。 そうして玄関先のツバメを観察したりする。先日のカラスらしい襲撃から。 命を救われた子ツバメがいる。最初は二羽だと思っていたけれど一羽だった。
ずいぶんと怖い目にあったのだろう。あれ以来巣から顔を出そうとしない。 けれどちゃんと帰って来てくれた親ツバメが餌を運んでくると。ほっとして。 ちょこっとだけその姿を見せてくれる。ああ大きくなってるって嬉しい姿。
鳴き声は殆ど聴こえない。うちの彼がいうには『ひとりっ子』になって しまったからだと。我先に鳴いて餌を欲しがる必要がなくなったからだと。
なるほど・・と思う。そうして親ツバメも今まで以上に愛情を示している。 そんなふうに感じる。餌をあげた後もしばらくは巣の近くから離れないで。 食べ終わってまたちいさくうずくまるのを確かめてから。また空へと向かう。
なんとしてもこの子だけは。そんな親の気持がひしひしと伝わってくるのだ。
そんなツバメの話しをしながら。ふたりの子供に恵まれた我が家の夕食。 お兄ちゃんがもうすぐ誕生日なのを。少し早目にお祝いをすることになった。
また焼肉だけれど。お兄ちゃんの食べたい物にしようとサチコが言った。 久しぶりにワインも飲む。そうして別腹でケーキも食べた。ゆっくりと。 あれこれ話しをしながら。まあるく輪のようになって日が暮れていった。
29歳。とても信じられないけれど。それはほんとうのことらしい。
わたしたちはこの子の命のおかげで夫婦になれた。親になれたのだ。
2008年06月05日(木) |
ほうらね。きょうもちゃんといい日。 |
窓辺にいて。懐かしいような夕焼けをみている。淡く紅い西の空。 そよそよっと風の声も聴こえる。耳を澄ますと朝とは違う雀の声も。
ずいぶんと雨が降ったものだ。今朝は怖くなるくらいのどしゃ降りだった。 ちょうど出勤時間だったので。少し小止みになるまで待って家を出たけれど。
山道のそばを流れる小さな川が。濁流になっていて溢れそうだったり。 谷から雨水がいっぱい流れて来て。冠水している道もあったくらいだ。 はらはらドキドキ。ブレーキちゃんと効くかなって何度も踏んでみた。
だけど。職場に着くなり空が少し明るくなる。雲の切れ間に青空が見えた。 なんだかほっとする。雨は嫌いではないけれど雨のち晴れがもっと好きだ。
きもちよくすいすいと自転車でJAへ行く。その頃にはもう暑いほどの陽射。 職場の近くの民家でおじさんが庭掃除をしていた。雨に打たれた皐月の花。 たくさん落ちていたけれど。まだまだたくさん咲いているのを一緒に眺める。
皐月は。同じツツジとはいえそれが散った頃に咲き始めるらしい。 先に咲くツツジは春の陽射しをいっぱいに浴びることが出来るけれど。 皐月は。どうしても梅雨の頃になってしまう。咲き誇っても雨に打たれ。 その滴に濡れながら精一杯微笑むことが出来る花だ。ツツジさんには悪い けれど。さつきさんがちょっと好きかなと思う。健気だなあって贔屓する。
「もうそろそろ終りだよ」とおじさんは言うけど。にっこりと笑って別れた。
お昼前。トマトな贈り物。ハウス農家のお客さんが山盛りのトマトをくれる。 コンテナいっぱいのそれをそのままど〜んと。とても食べきれないトマト。
ちょうどお腹が空いていたので。ひとつだけ丸かじりして食べてみた。 甘酸っぱいけれど新鮮で美味しい。なんだか体中に沁み込む様な味だ。
そうして平穏に過ぎていくいちにち。ぐるぐるさんもいらいらさんもいない。
ほうらね。きょうもちゃんといい日になったよ。
2008年06月04日(水) |
なんかとてもいい日だったよ。 |
雨がやまない。なんだかどっぷりと雨のなかにいるというのに。
ふしぎとそれになじんでいる気がする。もしかしたらどこかが。
とても乾いていたのかもしれない。だとするとオアシスみたい。
仕事はぼちぼちの感じ。今週のふたりはとても仲良しさんだ。 子供の頃に嬉しかったことをたくさん思い出したりしながら。
お母さんだなって感じる。好きだったなって思い出すことが。 たくさんあって懐かしい。嫌いになんかなれるはずはないな。
あしたも仲良しさんでいよう。ずっと笑顔で一緒に仕事をしよう。
夜は。すぐ近くの体育館でバドミントン。きもちよく汗を流した。 最近お仲間さんになったばかりのKさんが面白くて気に入ってる。 すごい真面目そうな顔をしているのは。職業が警察官だからかな。 でもいざバドをやり始めると土佐弁であーだらこーだら言ったり。 今夜も私と何回かペアになって。私があんまり足をひっぱるから。 「もう!ずっと前におりや〜」とか叫ぶ。そのくせ後ろでヘタレる。
はあはあ言いながら頑張るKさん。「もうだれたちや」とか言って。 それでも右に左に走りまわる。「がんばりや〜」と私も声援を送る。
土佐弁ってほんとに懐かしい。なんだか10代の頃にかえったような。 そのせいかほんのすこしだけじぶんも若くなる。よっし頑張ろうって。 いっぱい思った。現実は厳しいけれど。やる気だけはたくさんあった。
そうして。おかげで発散していくもの。それが何だかわからないけれど。 とにかくとても清々しい気持ちになるのだ。不思議なもので充ちている。
そのふくふくっとしたのをぎゅうっと抱いて。ぐっすり眠ろうとおもう。
おやすみきょう。なんかとてもいい日だったよ。わたし生きているよね。
※解説※「もうだれたちや」は「もう疲れたよ」の土佐弁。
2008年06月03日(火) |
さっきはありがとう。るみちゃん。 |
雨のち晴れの天気予報だったけれど。午後少しだけ薄日が射したきり。 またどんよりと雨雲が空を覆う。湿った空気がひたひたと語りかける。
その声に応えるように。じぶんも濡れた草のきもちになってぽたぽたりん。 滴をいっぱい身にまとい。それが恵みだと思えるようになりたいものだ。
さっき家の電話がけたたましく鳴って。めったに鳴らない電話のせいか。 受話器を取るなり職場の会社名を言いそうになった。おっといけないと。 言ってしまわずに済んだけれど。最近は会えないでいる友人からの電話。
自動車保険の事で教えて欲しいことがあるというので。説明しているうち。 なんだかとても苛々してしまう。そうしてついつい不機嫌な声になった。 久しぶりに話すのに微笑むことが出来ない。またゆっくり会おうねって。 言ってくれたのに。適当にうなずいて電話を切ってしまった。ああ反省。
なんだかとても落ち込む。もっと優しく接してあげればよかった・・・。
そうしてふうっとため息をついていたら。今度は携帯にメールが届く。 「さっきはありがとう」ってハートマーク付きの嬉しいひと言だった。
一気に救われたようなきもちで。ぴこぴこ返信する。「ごめんよね」 とても感のするどい彼女だから。きっと私の不機嫌が伝わったのだろう。 顔は見えなくても手に取るように感じたのに違いない。ほんとにごめん。
もし電話したのが自分だったら。ものすごく嫌な気分になったろうと思う。 そうしてもう気軽に電話なんかしたらいけないかもって。気に病むだろう。 なによりか「ありがとう」のメールをする勇気もなくしてしまいそうだ。
むかし。もう10年以上になるのかな。ふたりほんとうに仲良しだった。 バドクラブで知り合って意気投合して。家に何度も遊びに来てくれたり。 一緒に夜の街を徘徊したり。そうしていろんなことを語り合ったりした。
そんな彼女も今は四人の子供のお母さん。仕事と子育てに追われる日々。 もしかしたらとても疲れている夜だったのかもしれない。
そんな夜に電話してくれたこと。私なら大丈夫と頼ってきてくれたこと。
「さっきはごめんね」ではなく「さっきはありがとう」って伝えたかった。
るみちゃん。きっとまた会えるよね。会おうよねるみちゃん。
いつのまにかもう六月。雨の季節だけれど今日の雨はとても冷たく。 おまけに風が強くて。なんだか春先の嵐のような激しさを感じた。
吹き飛ばし流すだけ流す。冬のこと。もはや春さえも遠のいていった。
通勤途中の国道の長いトンネルを抜けると。ぽつぽつと雨が降り出す。 そうして右に曲がり。今度は左に曲がり山道にと進んでいくのだけれど。
田んぼの稲がずいぶんと伸びたなって思ったり。雨雲が急いでいる空を。 少し不安げに見上げたりしながら。スピードを落としゆっくりと進む道。
そして三人のお遍路さんに会う。それぞれが旅の道連れといったふうで。 山肌を背に荷物を解き。レインコートを着ているところだった。赤。青。 黄色。まるで信号機みたいなそれぞれの色を。それほど大急ぎでもなく。 何かを語り合いながら。そして微笑みながら。雨の支度をしているふう。
勝手に解釈するところ「おお雨ですなあ。ここらで合羽を着ますかな」 「そうですね。ついでにちょいと休みましょうや」「はい。ご一緒に」
そんな声が聴こえる。雨は覚悟の旅とはいえ。どんなにしんどいことか。 そっと会釈をおくりその道を通り過ぎた。緑が一段と濃くなる峠の道へ。
なにかを伝えたい気持。じぶんにだってそれができるかもしれないと思う。
きもち。いつだって不確かで。それが何になるのだろうと不安な時がある。
たとえば日々こうして。とてもつまらないことなのだろうと思えることを。
あてもなく書き綴ってみたり。だけどそれをしないと自分が消滅しそうな。
おそろしいことも考えたり。あげくのはてに求めすぎてひどく愚かになる。
だけど。このままでいたい。それがいちばん自然な自分ではないかと思う。
雨が振り出せば雨の支度。わたしは緑のレイコートを着よう。
そうしてひと休みしたら。また峠を目指そう。俯いたり顔を上げたり。
この道は確かに。空に向かう道なのだから。
|