早朝は霧がたちこめていたけれど。すっかりと晴れて初夏の陽気になった。
今年も無事にツバメのひなが生まれ。今朝はそのちいちゃな姿を見る事が出来た。 ほのぼのと嬉しく思う。命がすくすくと育つ様子はまるで我が子のようでもある。
だけど悲しいこともある。いままでなんどそれを目の当たりにしたことだろう。 ひなが巣から落ちる。それは事故だとずっと思っているのだけれど。彼は言う。 親が間引くのだと。いちばん弱い子を突き落とすのだと言う。そうじゃないと。 いくら反論しても聞き入れてはくれない。それならおまえが育ててやれと言う。
昼間そのか弱い一羽を拾いあげて巣に戻してやった。 しかし日暮れてまた、そのひならしいのが落ちていた。 もう母ツバメは夜の支度で巣のひなたちをすっぽりと包みこんでいる頃。
父親らしきツバメはすぐそばの電線で羽根を休めている。 誰も鳴くことさえしない。平然とほんとうに何事もないかのように夜が来る。
可哀想だけどしょうがないじゃないかと彼は呟き、何とかしてあげてと私は嘆く。
ひなは救い上げられたけれど巣には戻されず、巣の近くの窓枠に置かれた。 事故ならば親が見捨てる訳はないと彼は言い。朝になればすべて解ると言う。
毎年のことだ。いくら巣に戻してあげても駄目だったことはもう知っている。 だけどいつだって願う。万にひとつでもそうしてあげてよかったと思えるように。 生まれた命たちがみな揃って無事に巣立つ事が出来ればどんなにいいことだろう。
後ろ髪を引かれる思いで玄関のドアをしめた。
理不尽だとおもうことは容易い。残酷だとおもうことも容易い。
涙が。なんだか悔しくてならない涙がほろほろとあふれた。
2007年04月26日(木) |
のどかな風のなか。ひとり。 |
とても満たされているのだけれど。たとえば春は爛漫で陽は燦々と降り注ぎ。 穏やかで優しすぎるほどの日常が。夢のように積み重なっているのだけれど。
求め過ぎるこころに今にも負けてしまいそう。それがとても重くてならない。
今日も早朝から川仕事。もう少しあと少しなのにまだお終いにならなくて。 天高くひばりの声など聴きながら。ああ鳥になってしまいたいとふと思う。
私の風邪が移ってしまったのか、彼もとてもしんどそう。 それなのにもうひとふん張りだぞといつも励ましてくれる。 支え合っているのならなおさら私が支えなければと強く思う。
午後。山里の職場へと急ぐ。もう限界だとSOSの電話が頻繁になった。 求められるのにはとても弱い。なんとかしなくてはと奮い立ってしまう。 自分の仕事だけやればいいと思い込んでいたけれど。現実は厳しかった。 月末にはとうとうひとり辞めるそうだ。後はみんなで助け合うしかない。
帰り道。牧場のそばの道を。ふっとスピードを緩めながら通った。 いちめんの枯草だった牧場にも。いつのまにか若草が萌えていて。 黄色のちいちゃな花があちこちに群れるように咲いているのを見た。
そして。道路に落っこちてしまいそうなくらい小高い崖っぷちの所に。 群れもせずにいる一頭の牛がいた。気のせいかにんまりと微笑んでいる。
なんて優しい目をしているのだろう。のどかな風に吹かれながらひとり。 なにを想って。なにを感じて。なにを信じて生きているのだろうと思う。
わたしだって牛ならば。ただもくもくと草を食み。時には空を見上げては。
明日のことなどなにひとつあんじることなく。ただ今日いちにちの平穏を。
しっかりかみしめていることだろう。
2007年04月25日(水) |
ひとが恋しくてならず |
そうして彼女はその後。穏やかに幸福な晩年をおくりました。
などと。ふっと『晩年』というその言葉に絡み付いてしまいそうな私は蔦。 いやいやまだそんなとひとはみな微笑んでくれて。その蔦を手で弄っては。
ぷつんとおもいっきり切り揃えてくれたりする。それが蔦の幸福なのである。 しぶとく根をはっているため。思いのほか強く。また生きようと励みだすのだ。
ひとに会ってひとに逢って。それでもまだひとが恋しくてならず。 夜になるとほろほろと涙が。あふれてしまうときがたまにはある。
どうかしていると思うけれど。どうかしなくてもそれが本性というもの。 そう受止めてあげられたら。どんなにかこころがらくになることだろう。
ともすればおもくなる。重いほうへ重いほうへと想いがからまっていく。
やはりこれは切らねばなるまい。蔦は自分に絡みつきその葉でじぶんを切る。
そうしてまたしぶとく生きることを選ぶ。
白詰草の咲く野のかたすみでかのひとにあう。
初めてあうというのになぜか懐かしく思った。
再会だとするといつどこで彼に出会っていたのだろう。
10時間も費やして遠い町から来てくれた。 我が町のことがすごく好きで14年間も通い続けているそうだ。 そのことを知ったのは去年の初秋の事。ミクシィで彼を見つけた。
すっかり意気投合してしまったのは言うまでもなく。すべてこれは。 我が町のおかげ。四万十川のおかげだとありがたく思うばかりだった。
『空を星を海を愛でて 道端の名もなき花から自然がえがく色んな事 受け止め感じる心を持ち続けて下さいね。』と言ってくれた。
自分はいつも自信がなくて。どうせどうせ私なんかと。 悲観もすれば観念もしつつ。これまでずっと書くことに執着していた。 きっと誰かに伝えたいけれど果たして伝わるのだろうかと不安ばかり。
信念はゆらゆらと揺れるばかりの毎日だったと思う。 いったい何様のつもりなのだと叱咤する時もあった。
けれど。揺れながらなんど思い直したことだろう。 これがちいさな種なら。いつかきっと芽が出る時が来る。 その芽にふっと立ち止まってくれるひとがいてくれるかもしれない。
水をあたえてくれるひと。光をあたえてくれるひと。 そのひとたちに生涯かけての恩返しが出来ればどんなにかいいだろう。
だから。わたしが水になろうと思う。わたしが光になろうと思う。
懐かしいひとは満面の笑顔でいてくれて。ほんとうに嬉しかった。
わたしは白詰草を踏まないように野をかけあがり。小高い所から。
「じゃあね」って手をバイバイって振った。
緑が日に日にまぶしくなって。艶々とこころにも芽吹く緑を感じるこの頃。 もうじゅうぶんだと思いつつ。ふと彩りをさがしてしまう性のような心根。
たとえば野あざみにひどく惹かれるのはなぜだろう。 どうして彼女はこんなにも『存在』しているのだろう。 手折られもせずその棘さえも凛々しく憧憬を呼び起こす。
好きだと言おう。胸をはって言おう。あなたが好きです。
ここ数日は風邪。めったにないことでいささか参っている。 とても無気力になってしまって。なにもかもどうでもよく思える。
なんだか無我夢中だったのかもしれないと思ったりもして。 一気に肩の力が抜けてしまったけれど。こんな脱力がむしろ。 欲しかったのかもしれない。たまにはいいのだ。たまにだから。
それでも気掛かりな事がけっこう多く。気に掛けないのがかなり難しい。 放っておけばいいものを。自ら寄せ集めてしまいたがるからいけないのだ。
うん。わかってる。わかってるんだからってなんども自分に言い聞かす。
たまには風邪もいいものだ。
ときには風邪に吹かれてみようではないか。
西からの風が強く少し肌寒さを感じた今日。
もう桜もほぼ散ってしまったようだ。 けれどもさびしさを感じる事もなく。 新緑の季節へとこころが向かい始めている。
嬉しいことが。またもや思いがけなくあって。 ほんとうにずっと夢を見続けているように思う。 なんだかふかふかの綿の中に包まっているようだ。
このままどこか遠くへ。蒲公英の綿毛みたいに旅に出るのかもしれない。 ほんとうにこれでいいのだろうか。もしやこれは間違いなのではないか。
こわい。こわくてたまらない。けれど嬉しい。この温かさを失いたくない。
戒めるならきっと今だ。有頂天になるなよ。当たり前だと思うなよわたし。
このふかふかのままで旅に出られるのなら。
どうかさびしくてたまらないひとのもとに行かせてください。
2007年04月14日(土) |
オトコノクセニナクナヨ |
ぐんぐんと暖かくなりすっかり初夏の陽気となる。 もう鯉のぼりの季節らしい。気持ち良さそうに空を泳いでいるのを見ると。
ふっと息子が幼かった頃を思い出す。まだ言葉にもならない声でいる頃。 「あっ、あっ、あっ!」っと空の鯉を指差しては瞳を輝かせていたっけ。
ずいぶんと遠い日の事でありながら。とても鮮やかに思い出せるのが嬉しい。
この歳でいまだ諦めもせずいろいろとこころみているおかげだろうか。 若い人たちに助けられることが最近とても多くなったように思う。 ほんとうに思いがけく嬉しいことがたて続けに訪れるものだから。 先日なども明日死ぬのではとふっと不安にもなったりしたくらい。
その後もずっと感極まることが多く。なんだか夢を見ているようにも思う。 少々おせっかいで厚かましくもあり。老婆心丸出しであるこの私だというのに。 彼らの彼女らのなんと優しいことだろう。ついほろほろと嬉し涙が出てしまう。
それなのに私はいつも優しいわけではなかった。時にとても厳しく変貌もする。 つい先日も。ひとりの若者とひどく言い合いになってしまって。とうとう・・。 彼を泣かせてしまった。「男の癖に泣くな!」とまたそこで叱りつけてしまう。
それからがとても辛くてたまらなかった。ぶつかったんだ。痛かったろうに・・。 どうしてもっと優しく宥めてあげなかったのだろう。受止めてあげたかったのに。
そして昨夜。いつものバドクラブで彼に会う。 とてもシュンとした顔で。なんだかすっかり萎れていたのだけれど。 何事もなかったように笑顔で話し掛けると。もうすっかりの笑顔で応えてくれる。
つよく何事にも強く立ち向かって欲しいといつも願う。
彼は右手右足が不自由だけれど。誰よりも素晴らしい向上心を持っている。
だから。いけない時には厳しく叱る。
午後。また久しぶりに山里の職場へと向かう。
このところずっと思ってしまうのはとてもいけない事に違いなく。 もうこのまま辞めてしまえたらどんなにか楽だろうなと思うこと。
それなのに山里はいつも懐かしい。ひとつひとつの風景が心に沁みる。
峠道を行くお遍路さんはもちろんのこと。農機具を操るお百姓さんや。 民家の庭先からこぼれるように咲く山吹の花や。若い柳の揺れる枝や。
もう田植えも始まっていた。そして畦道にはまだ散り急がずに咲く桜木。 すべてが春ののどけさであることが。まるで貴重な映像のように目に映る。
机のうえに山積みになっている仕事を片付ける。 JAに行ったり。郵便局へも行ったり。窓口の笑顔がとても嬉しい。
とても忙しいのだけれど。不思議と穏やかな海へと漕ぎ出したような気分。 同じ空の下にあっても。この山里はたぶんきっと空に近いのだろうと思う。
わたしの葛藤など。ここではそよ吹く風になる。
今日は四万十の日。上流の沈下橋のたもとでは。 川舟に揺られながら結婚式を挙げたカップルがいたそうな。
ニュースの映像で。ふたりが「すごく心に残りました」と言ってくれたのが。 とても嬉しかった。なんとしてもこの清流を守り続けたいものだと強く思う。
ときどきは悲しくなるような光景も見る。汚さないで欲しいのに汚れてしまう。 誰に向かって嘆けばいいのかわからなくて。自分だけはといつも思うばかりだった。
堤防に。毎年見つける黄色の花が咲き始めた。名もない雑草だって花が咲く。 それが年々咲く場所を広げていって。堤防が花の丘のようになるのが嬉しい。
踏みしめるのは。鎖から解き放された犬たち。ひとはどうしてそれを踏めよう。
眩しいほどに目を細めて仰ぎ見る日も近い。それはとても空に似合う花だった。
ぬくぬくと風が吹く。
ともすれば霞みそうなこころにも。ちいさな黄色の花を咲かせてあげたい。
川向の国道沿いにパン屋さんがあって。 そこのお庭にもう藤の花が咲いていた。
桜と藤と。なんだかこの春はとても豪華だなあって思う。 桜もいまだ散らずにいてくれてずいぶんと満たされている。
うぐいすも元気。川端の笹が生い茂る所にいつもいてくれて。 もうすっかり懐いたかのように。そこへ行く度に鳴いてくれるのだ。
今朝はちょっと面白かった。私の代わりに彼が口笛を吹いたのだけど。 私よりもずっと音痴で怪しいうぐいすの声に聞える。ぷーぷけきょと。 これにはさすがのうぐいすもびっくりしたのか。一瞬あたりがしんとした。
駄目だこりゃ。きみには無理やねと私が笑ってからかうとちょっとムキになり。 何度も何度も彼は鳴く。ぷーぷけきょ。ぷぷぷけきょ。ぴきょぴきょと鳴いた。
そしたらやっと美しい声で応えてくれて。その時の彼の嬉しそうな顔ったら。
ほのぼのとこころ和む。そうしてもはや日課となった川仕事への出陣であった。
あともうひと息。もう少しで今年の川仕事も終えられそう。 ふんばってふんばって辿り着くのは。ほんとうに快いことだと思う。
今年こそは旅行に行くぞって。
ずっといつかの約束を叶えようと彼が言う。
掘りたての筍をもらった。 初物だ旬だと大喜びして。
おっきなお鍋で湯掻いた。 柔らかくてそれは美味しい。
ぐつぐつと味付けをして。 姑さんにもおすそ分けと。 小鍋に入れて路地を急ぐ。
そしたらおやまあって言って。 台所をのぞくとおっきなお鍋。
お互いがおすそ分けし損ない。 思わず笑いが込みあげてくる。
お竹さん返品やって路地を帰る。 明日も明後日もお竹さん食べよ。
サチコがちょっと遅く帰宅する。 「お竹はんが待ってはるで〜」と。 最近ちょっとはまってる京訛り。
「お竹はんぎょうさんどすな〜」 サチコも一緒にノルから楽しい。
お竹はん。明日は天麩羅の予定。 よう味のしみたのを揚げたら美味しいどすえ。
うちお竹はん好きどす。嬉しいおすなあお母はん。
台所のかたすみでしかと抱き合う母娘であった。
十代の頃。桜餅がすごく好きだった。 高校のすぐ近くに和菓子屋さんがあって。 友達と寄り道しては食べながらバスを待った。
そういえば弟も桜餅が好きだったな。 いつだったかそれはおとなになってからのこと。 彼もきっと懐かしいに違いないと思って。 たくさん買って彼のアパートを訪ねて行った。
あの店のだよ。あんた好きだったでしょって。 ちょっと誇らしげに目の前に広げて見せたけれど。
思いのほか彼は喜ばず。好きだったっけなって言って。 たったひとつだけ食べると。後はおまえにやるよなんて。
だから姉ちゃんはちょっとさびしくなって涙出そうだけど。 やけ食いみたいにして残り全部を平らげてしまったのだった。
胸がすごく苦しかった。ちっとも美味しくなくてしょっぱくて。 もう桜餅はいいやって思った。それ以来ずっと避けていたのかも。
あれからいったいいくつの春を越えたのだろう。
この春ふっと込みあげてくる懐かしさを感じて。 ほんとうに久しぶりに桜餅を買って食べてみた。
とてもおいしかった。葉っぱの塩加減と餡子の甘さと。 どうしてこんなに忘れていたのだろうと悔まれるほど。
あの町で潮風に吹かれていた青き春が。遠くはるかにある。 ひとを想って。我を嘆きもし。いつだって死ねるとさえ。 思いつめた頃。命の尊さなどこれっぽっちも知らずにいた。
そのくせ。あどけなく笑いあってバスを待つひと時。 指に残った桜餅の移り香を愉しむことも出来たのだ。
あといくつと。まだ来ぬ春を数えるのはもうよそう。
それよりも春には。毎年ひとつの桜餅を食べることにしよう。
二十四節気のひとつ『清明』である今日。 ほんに清々しく明るい空気が満ちあふれていたように思う。
春の陽を浴びつつ空を仰げば。その光が全身をくまなく貫いていくかのよう。 些細なわだかまり募る不安など。そのなかにあればほんの微粒に過ぎない。
昼下がりすこし余裕の心地で、近くの小高い丘へと足を運んでみた。 地元では『古学校』と呼んでいる所で、その昔そこに小学校があったらしい。 たぶんその当時からあったと思われる古い桜の木。新しく植えられた木もあり。 今ではちょっとした桜の名所になっている場所だった。坂道をよっこらしょと。 登ればなんだか天に昇る気持ち。昨日の荒天に散りもせず花は今が盛りであった。
しかし残念なことに。いちばん空高くあった古い桜の木が見当たらない。 いつのまに折れてしまったのだろう。哀しく無惨に草むらに横たわっていた。 でもだいじょうぶ。折れたところから新しい枝がちゃんと伸びて精一杯の姿。
さびしさはつかの間。すぐに心がすくすくっと。そしてほのぼのと嬉しくもなる。
桜とともに。そこからしばらく大河をながめていた。きらきらと眩しい流れが。 空を映してこんなにも青く。じぶんがそこにいること。ああ生きてるなって思う。
至福の時とはきっとこんなひと時をそう呼ぶのだろう。
2007年04月03日(火) |
ぼんやりがとうとうと晴れた |
口笛を吹くなんてずっとながいこと忘れていたように思う。 だからやはり上手くは吹けない。けれどあまりにもうぐいすが鳴くから。 その声に応えるように吹いてみたのだった。ちょっと音痴な私はうぐいす。
十回くらい鳴きあった。かわりばんこに鳴きあった。 「おまえに懐いているようだな」って彼が言うので調子にのって嬉しく鳴いた。
朝の川辺。対岸の小山には山桜がそれはもう花盛り。空は真っ青に澄み渡って。 昨日までの黄砂が嘘のように。あたりいちめんのぼんやりがとうとうと晴れた。
ここ数日。とても思いがけない事がたくさんあった。 夢ではないだろうかと思うくらい偶然がいくつも重なったりしては。 それが凶事でないだけに。なんだか自分が明日にでも死ぬのではと思った。
今まで生き長らえて来た褒美ではないかと思えるくらい嬉しい事が度重なり。 今生の別れとさえ思ったかのひととも。心ゆくまで語り合うことが出来た。 なにを縁起でもないこと言ってるんですか。しょっちゅう帰って来ますよと。 笑って返されたからには。なんとしても長生きしようと思わずにはいられない。
つくづくとひとが愛しい。この世で縁ほどありがたいものはないと思うくらい。
別れてもまた会えると言ってくれるひと。すごい会いたかったよと言ってくれるひと。
ありがとうって言ってくれるひと。嬉しかったよって喜んでくれるひと。
わたしは最期のさいごまで恩返しをしたいなと思う。
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