2007年02月28日(水) |
こぼれ落ちてしまいそうな夢 |
きのうも通った道にきづかなかったのか。白木蓮の花がほくほくと咲いていた。 たぶんきのうは急いでいた。どうしてそんなに急いでしまっていたのだろうか。
つぼみは手のひらをそっと合わせたかのよう。なにか大切なものを包み込んでは。 ほうらねっとその手を開いて見せてくれるのが花。こぼれ落ちてしまいそうな夢。 たとえ朽ちてしまっても。どうしてそれがせつないと哀しいなどと言えようか。
とんとんとんっとこれが順調なのだろう。日常の歯車が軋みもせず滑り出す。 とにかく廻るほうに向いている。逆らえばきっと何もかも壊れてしまいそうだ。
ああじゃないこうじゃないと時々は思うけれど。これでいいともっと思いたい。
夢はもっかのところ生きることだ。それだけが欲のように充満している。 心細く不安なのはいつだって『ひとはいつか死ぬ』という事実だけだった。
思い残すことがなにひとつないほど満たされて。命尽きればどんなにか。 幸せだろうと思う。いまはだからいけない。あまりにも心残りが多すぎる。
これはたぶん弱音だ。弱音吐かないっていつか言ったのに。いけないいけない。
ぐっすり眠ったら。また明日がきっと来るよね。
あしたも順調に歯車くるくる滑るといいな。
どこまで行くのかな。わからないから人生は愉しい。
2007年02月26日(月) |
ひとりぼっちの微笑み |
きょうも曇り日。すこし肌寒くあったけれど。どこか一部分があたたかい。 そのぬくもりを。冷まさないようにと思って。ぎゅっとカイロみたいに抱く。
ときどき良からぬことを考えては。ああいやだいやだと自分を否定するけれど。 それは隣りの庭の花のようなこと。隣りの芝生はなぜに青いかなどということ。
ああだけど。隣りの庭を踏み荒らしてはいけない。そんな暇があるのだったら。 自分の庭の手入れをしよう。誰かに見せるためではなくて。自分のための庭を。
愛しく愛しく大切にしよう。そうしてその愛しさを誇りに思えるようになりたい。
午後。久しぶりに山里の職場へと行く。春遍路さんがずいぶんと多くなった。 くねくねと峠道の谷から水が流れている道の端で。お昼ご飯を美味しそうに。 そのひとりぼっちの微笑がなんだか嬉しくなって。ついつい私も微笑んでしまう。
てくてくは長かろう。なんぼかしんどいことだろう。そして心細いことだろう。 だけどそのひとりぼっちの微笑みが。ここまで歩いたここから歩く希望に見える。
仕事はそれはそれはたくさん溜まっていて。そんな忙しさがやはり私は好きだった。 ひとに生まれたからには。必要とされたいといつも願っているものだから。 そこに自分の仕事というのが。あればあるほど遣り甲斐があるというものだ。
そして思いがけなく「ありがとう、助かった」って言葉をかけていただく。 張り詰めていたものがふにゃふにゃにとろけるくらい。それがとても嬉しかった。
わたしはなにひとつ見捨てられない。ふとそんなふうに思った・・。
2007年02月25日(日) |
おしゃべり雀よお疲れさん |
いちにち中の曇り空。あたりいちめん灰色に見えてしまったのだけれど。 寒桜がひとつふたつ。薄桃色の花を咲かせているのを見つけた。
ほっとする。こころにだってそんなふうに咲いている花があるのではと。 いまはまだ。固い蕾の手ざわりを確かめてみては。そっと撫でてみたりする。
散るのは咲いてからだ。ばくぜんとした想いで。私だって心に誓うことが出来る。
早朝から川仕事を頑張って。午後は久しぶりにのんびりと過ごす。 むしょうに髪が鬱陶しいので。またちんちくりんのショートにしてみた。 美容院でぺちゃくちゃとよくしゃべった。なんか自分じゃないひとが。 心にもないことをあれこれくだらなく話しているのを。醒めた心で見ていた。 相槌を打って欲しかったのかな。なんか媚びてるなってちょっと嫌いな自分。
でも。鏡に映った自分は生まれ変ったように可愛らしくて。ちょっと好きだった。
それから帰り道にチエさんに会いに行った。 悪阻がひどくて臥せっているというので心配でならなかったから。 何か少しでも役に立ちたい思いで、アパートのチャイムを鳴らしたのだけれど。
チエさんのお母さんが来てくれていた。夕食の材料もちゃんと買ってあって。 とてもありがたいのだけれど。なんかすごくさびしくなった・・・。 でも気を取り直して。あれこれ妊娠出産の思い出話などしゃべりまくって帰る。
いっぱいしゃべったのでなんかちょっと疲れた・・。
でも私。今はあれもこれもぜったいに無理だから。 出来ないことをしようとしても上手く出来ないのだから。 しなくちゃじゃなくて。もっとひとに甘えてもいいのかなって思う。
そう思ったら肩の荷がすごく軽くなった。
頭もすごく軽い。手櫛で前髪をしゃしゃっと下ろしては。 クルマのルームミラーに向かって。にこっと微笑んでみた午後であった。
2007年02月23日(金) |
みんな生き活きと息をする日 |
雨あがりのしっとりさに。まんべんなく降り注ぐ陽射し。 みんなきらきらと活き生きと息をしている。瓦屋根さんも。 電信柱さんも。白つめ草の緑さんも。藁みたいな枯草さんも。
濡れるだけ濡れたら。やはりみんな太陽が愛しいのにちがいない。 その時その時にありのままを受止めていられるから。それが『恵み』となる。
白鷺が一羽。まるで鶏さんみたいにしてどこからか歩いて来た。 川仕事を終えて作業場で仕上げの手作業をしている時のことで。 すぐ近くまで寄って来ては。その目はとても人懐っこく見えた。
不思議なこともあるものだ。思わずとっとっとっと声をかけてしまう。 逃げないのだ。一瞬にして飛びたってしまうかと思えばきょとんとした顔で。 ほんとうに鶏のような素振りをして。ひょこひょことそこらじゅうを歩くのだ。
あっ・・羽根がない。ずっと観察していた彼がそのことにやがて気がつく。 怪我をしたのだろうか。片方の羽根が千切れてしまって飛ぶ事が出来ないようだ。
大丈夫かな。保護してあげたほうがいいのではないかな。助けてあげないと。 そんな心配もつかの間。白鷺は「ぜんぜん平気」と言ってるようにお尻を振って。 お隣りの物産店の駐車場のほうへと歩いて行ってしまったのだった。
どうやらそこのお店でお世話になっているらしい。餌もちゃんと貰っているらしい。 だからなんだ。あんなに人懐っこくなって。今日は絶好のお散歩日和だったのかも。
羽根が元通りになるには。ずいぶんと日数がかかるのかもしれない・・・。 でも生きていればきっと。空を飛べる日がまたやってくるのにちがいない。
明日も会えるといいな。なんかむしょうに会いたいなあって思った。
2007年02月22日(木) |
会いたかった。すごい会いたかった。 |
くもりのち雨。春雷やなっと彼が言う。
ぴかっと光るとすぐに「いち、にぃ」と数えながら耳を塞いでしまうのは。 子供の時から変らない慣わしのようなものだった。
雨の足音が繁く響いている。なにもかもに染み込んでいるのがわかる。 きっとこれは恵みの雨だろう。玉葱さんもえんどう豆さんも喜んでいるかな。
ひとも時々は渇くもの。だからといって雨に濡れたら風邪をひいてしまうから。 ついつい欲しがってしまうのは。ほろりと涙がこぼれそうな優しさやあたたかさ。
こころが熱くなるとなにかがとめどなく込みあげてきては。ひとは泣く事が出来る。 決して悲しいのではない涙に恵まれた時にこそ。それが命の水のように湧き出す。
ゆうがた買物に行った時。長い髪をふさふさとなびかせながら彼女が目の前に。 とつぜん駆け寄って来てくれた。何年ぶりだろう懐かしさはこの上ないけれど。 それよりもどんなにか気遣っていたことか。元気でいるだろうか大丈夫だろうか。
思わず手を取り合って。ふたり再会に目を潤ませてしまったことだった。 「会いたかった、すごい会いたかった」って。それは私もそう言ってしまうほど。 ぎゅっとぎゅっと抱きしめたいくらい。その元気な姿がどんなにか嬉しかったことか。
神は重い試練を。どうして彼女にばかり与えてしまうのか・・。 悲運なことがあまりにも続いていて。風の便りにそれを聞くばかりの私だったけれど。 どんなに心を痛めても。なにひとつしてあげられない。それが私の悲しみでもあった。
友達と呼ぶにはかけ離れた歳の差にあって。それがいつしか母のような心になった。 便りのないのは元気な証拠。あの子は強いからきっときっと大丈夫にちがいない。
信じていて。ほんとうによかったと思う。
2007年02月20日(火) |
苦しゅうはない。そばへよれ。 |
きのうは大潮。今日は中潮だったけれど。春めいた頃の引き潮はぐんぐんと。 その潮というものが瀬になって流れていくのが。見てわかるほどの勢いで引く。
そうして海へと引き込まれては波にもなれるものだろうか。 やがて時が来れば。またぐんぐんと川を遡ってくる水たち。
今日ものどかだった。陽射しはじゅんぶんに春で風などはそよと吹くばかり。 だからとくに苦しゅうはないそばへよれと。戯言のひとつで微笑むことも出来た。
些細なことで心が重いのは。それに対して感謝しようとしないかららしい。 でもすごく嫌だと思うことに。どうして素直に感謝など出来ようものか。 だからそれはちっとも些細な事ではない。自分にとっては重苦しいのだから。
だからなんだ。ようは気の持ちようなのに違いない。もしかしたら簡単な事で。 それを些細なことだと思えばそれで済むのだろう。うんわかった些細なことだ。
気付かしてくれたこと。自分にそうして向かって来てくれたことに。感謝する。 ありがたいことだとこころからそう思えるようになりたい。今すぐそうしよう。
おっし。これでいっけんらくちゃくなり。
今夜も芋焼酎がうまい。
穏やかな夜に。もう一杯おかわりをしよう。
2007年02月19日(月) |
みつけてくれてありがとう |
ふきのとうがこんにちはしていた。夕方愛犬に引っ張られていて見つけた。 それからまたぐいぐいと引っ張られて。枯草の中でひと際緑なのが蓬だった。 草もちっぽい匂いがするのを。愛犬は知ってか鼻を突っ込んでまさぐっては。
くしゃみをしたので可笑しかった。そうしておしっこする時の恍惚とした顔とか。 憎めない奴だなと思う。ほんとうなら今日はすごい喧嘩したので一緒に歩くのも。 嫌だったのだけど。いっしゅんにして心穏やかになる。いっしゅんにして仲直り。
だって今日もちっとも言うことを聞いてくれない。 無駄吠えがあまりにひどいので。ちょっと手荒い仕打ちをしてしまった。
そしたら「ふん!」っと横を向いて無視した。ものすごく憎たらしい顔をして。 私のことを「くそババア」って言いたいふうだった。自分だってババアのくせに。 もう承知しないからねって思った。晩ご飯も抜きだからねって言ってやったのだ。
そのくせ散歩の時間になると尻尾を振って跳び出して来る。 母さんはまだ怒っているのに。ついさっきの仕打ちをもう忘れたのかおまえは。
引っ張るな。先を歩くな。何度言ったらわかるんだ。言うことを聞きなさい!!
おやまあ。こんなところにふきのとう。
やわらかいね。きみどりのはなのよう。
よもぎはきゅんとはるのにおいがするね。
きょうは。みつけてくれてありがとうの日。
2007年02月17日(土) |
雨の日にはクリームパンをどうぞ |
雨。だんぞくてきに雨であった。それは春雨とは言い難く濡れるには冷たい。
空を見上げぬことを選ぶこんな日には。こころの深いところにばかり目を。 向けてしまいそうになるものだから。見て見ぬふりなどしてみるのがいい。
ふっきって。ふっきっていく。いま思ったことなどさっぱりと流してしまおう。
さて。めでたいことは続くもので。この母なるわたくしまでも御懐妊かと。 それは冗談めいた戯言ではあったが。これは面白い事になったとひとりで。 ほくそ笑んでいたのだけれど。昔言葉で言うところの『お月事』なるもの。 本日めでたく三ヶ月ぶりの訪れと相成り候。女に生まれたからにはやはり。 コウネンキという言葉自体が悲しい響きとなって胸に堪えるものであった。
であるから。この不浄もなんのその。ほっと安堵の夜となりにけり。
本日は。えっと・・雨だった。年をとると何度でも同じ事を言ってしまう。
で。本日も午後から山里の職場へ行く。土曜日なのかもうそうなのかの感じで。 また穏やかさのなかに突入した暴れん坊のごとく。溜まった仕事をさっさとする。
そうしているとすごく懐かしい音楽が聴こえて来たのだった。『ロバのパン屋さん』 なにそれ?って思った方はごめんなさい。でも知っている方がいてくれたら嬉しい。
子供の時などその音楽が聴こえて来ると。居ても立ってもいられなくなったもの。 それは大人になっても変らず。ついつい財布を手にそのクルマを追い掛けてしまう。
クリームパンと揚げパンを買った。職場の同僚の分も奮発して買った。 そうして事務所でみんな。おいしいね。うまいなって言いながら食べた。
本日はこんなふうに。和やかなひと時をいただく。
2007年02月15日(木) |
ささやかな覚悟のように |
昨日が嵐のような春一番だとすると。さながら今日は冬18番の木枯らしかしら。 しかし陽射しはずいぶんと春らしい。のんびりと日向ぼっこなどしてみたくなる。
陽だまりの猫のように。こんな日はすごく猫になりたくてたまらない。
あくびひとつ。もうひとつ。ぽかんとまあるくなって何も考えずにいたいものだ。
昨夕。ちょっと久しぶりに息子君たちが来てくれてとつぜん焼肉しようとか言って。 それはとても強引であったため。母はあまりご機嫌麗しくなかったのだけれど。
とてもおめでたいことに。昼間ふたりで産婦人科へ行って来たとのこと。 ちえさん御懐妊の報せを二人して真っ先に。我が家へ帰って来てくれたのだった。
嬉しさはもちろんのこと。なんだか少し途惑いもあって。とても言葉に出来ないような。
もしかしたら『覚悟』かなとも思う。とうとうと思う気持ちもなきにしもあらずだった。
一夜あけての今日。彼としみじみと語ったことは。
「人生ってながいようで。なんだかものすごくあっけないよね」と。
それにはいろんな出来事があとからあとから波のように押し寄せて来たけれど。 どんな事も成るように成って。苦労したかいがあったと今だからそう思えることや。
あの時諦めていたら今はなく。あの時逃げ出していたらもちろん今はないのだから。
ふたりして波間に漂っていられたから。こうして旅を続けていられるのかなって。 そうしてその旅もいつか必ず終るのだけれど。それが少しも怖くはないとさえ思える。
その時にもきっと思うことだろう。ああ成るように成ったんだなあって感慨深く。
あの日ちいさな命を生んだこと。あれはつい昨日のことではなかっただろうか。
わたしはたしかに生んでいたのだ。
上流の沈下橋のたもとにも菜の花がたくさん咲いたそうだ。
行ってみたいなと思いつつ。行けないことのもどかしさもあるけれど。 ローカルニュースの映像はありがたく。ほのぼのと心が和む夕暮れ時であった。
水辺の花はとても健気なもの。それは水が運んで来た種たちの命の誇りのよう。 濁流にのみ込まれてはもはや死かと思うのが人なら。植物ほど無心なものはない。
そうして辿り着いたその場所に在れば。きっと花咲く日が巡って来るのであろう。
そいえばいつかの夏。あの芙蓉の花は汽水域の岩の上に咲いていたのだった。 見つけた時には思わず涙が出るほど。その健気な姿に感動したことを思い出す。
逢えるかもしれない。今年もそんな命に逢いたさに水辺をぽつりと歩くことだろう。
午前中は家業。午後は山里の職場だった。 あいかわらずハードだけれど。なんだかとても順調に思える。 不思議と苛立つことがない。あっけらかんと。とんとん拍子でいられる。
帰宅すると玄関にまでカカオな香りが満ちていた。 サチコがチョコクッキーを焼いたらしくて。チョコマフィンまで作ったらしく。 「これお母さんの」ってたくさんのおすそ分けを残しておいてくれた。
すごい美味しかったよサチコ。ありがとうね。お母さんはとても幸せです。
うぐいすがほうほけきょと鳴きにけり。だから今日が初鳴日。
川端の木々のあいだからその声が聞こえた。 姿は見つけられなかったけれど。すぐ近く。
とてものどかな朝だった。そうしてそこから優雅に飛び立ったのは。 うぐいすではなく白い鷺。はたはたはたと羽ばたく音が空へ響いた。
朝陽が川面に映しだされて。いちにちがまたゆるやかな水の流れの如くある。
ありがたいことに。あのどうしようもなかった心の灰汁がいつのまにか。 泡のように消え去ってしまって。なんだか悪い夢を見ていたようにも思う。
さらりさらりと水に流れてしまったのかもしれない。 何かにひどく拘ってしまう愚かさを思い知ってみては。 その何かに対し。ふっと感謝の気持ちが芽生えてくると。
そのおかげでひとを思い遣ることが出来るようになった。ありがとう。 あの時ああしてくれたからこんなことがわかったのかな。ありがとう。
けっきょく憎むべきは自分。懲らしめなければいけないのは自分しかない。
自分の敵は。まさに自分であるということだろう。
だからと言って。自分を嫌いになってはいけない。
自分を愛せないひとは。ほかの誰も愛せないのだから。
わたしはわたしを愛するがゆえ叱咤する。激励もする。
がんばれよわたし。自分に負けるなよ。くじけるなよわたし。
うぐいすの鳴き声が静まったあとには。
からすが一羽あほうあほうと鳴くばかりだった。
2007年02月10日(土) |
ぷくぷくのきらきらの魚たち |
雨あがりの朝。太陽はとてもとても紅くて心がきゅんとするほど紅いのだった。
沈むのではない昇る。そうしてゆっくりとあたりを明るくしてはやがて光のなか。 いちにちの。もしかしたら肩を落としてうなだれるばかりのひとにもそれが届く。
どうかこの朝に。ふと顔をあげてふと空をみあげてほしいと願わずにはいられない。
私は大橋を渡って川向のいつもの道を。そうして峠を越え山里の職場へ行った。 せめて午前中の2時間でもと。今の自分ではほんとうにこれが精一杯の努力で。 気忙しさがどうしても先に立ってしまうのだけれど。まわりがそれを認めてくれる。 そうして救われていることを。もっともっと感謝しなければと今日は思った。
穏やかなひとたちがいる。土曜日の職場はよけいにゆったりと時が流れている。 そのなかにぽつんと異分子みたいな私が。ちょこまかとなんて騒々しいことだろう。
クルマを飛ばして今度は峠道を下る時。出会ったお遍路さんに会釈をしつつ思う。 慌てて走っているお遍路さんはいないんだな。みんな一歩一歩踏みしめてしっかり。
そしたらきっと目的地に着くのだもの。ああ私って馬鹿だな。すごい慌て者だな。
おかげで気分もすくっとしたところで。帰り着き昼食を食べてから川仕事に行く。 ここ数日は川船で漁に出ているのだけれど。舳先に乗っているとすごくいい気持ち。 水しぶきがひゅんひゅん跳ねて川を突っ切って行く。そして前途はすごい眩しさ。
小波がぷくぷくっと。光の粒がまるで生きているもののようにたくさん泳いでいる。 あっちにもこっちにも。ぷくぷくのきらきらの魚が波乗りをしているように見える。
眩しさに思わず目をしばたいてしまうけれど。そしたら心のなかまで水みたいになって。 光っているのが幾つも幾つも私のなかで弾けそうになっては。灯りみたいにぽっとする。
その灯りを見失わないように。明日も歩いていこうかなと思う。
ぽっとしてるのをふっとして。自分でその灯りを消したりはしない。
2007年02月08日(木) |
ああいま風が吹いている |
枯野の堤にすみれ咲く。すぐそばを流れる大河はゆったりゆったり海へいく。 空は薄曇だけども。お陽さまとはっけよいしているのか。午後はほんのり光る。
風は優しくふわふわとくすぐったいほど。そんなふうにありたいなとふと思う。
わたしは。なんだかここ数日いけなかった。あんまりうまく言い表せないけれど。 ひどくもやもやしていて。それが灰汁みたいに溜まっているのを感じるばかりで。 掬ってぽいぽいっとしたいのに。思うようにそれが出来なくて少し苛立ってしまう。
これはなんだろう。どうしてこんなのだろうと。それほど暇でもないというのに。 四六時中あたまからそれが消えない。嫌だ嫌だああ嫌だと何度も頭を振っていた。
それはすごく些細なことで。とても大人気ないことに違いない。 それがわかっているだけに。こんちくしょうめと自分に腹が立つのだった。
ひろくてゆったりとしたこころになりたい。
ああいま風が吹いている。いま鳥が横切っていった。
雨ならば濡れてもみようし。嵐ならば目を閉じてもいよう。
それはきっと。そんなに難しいことではないのかもしれないなと思う・・。
2007年02月05日(月) |
うす紫ほのかに香りて |
春は名のみぞ風の寒さや。と歌もあるけれど。その名のごとしの春らしさとなる。 薄く曇った空などはまるで春霞のようであり。仙人の吐息のようにも見えるのだった。
さあ今日もと勢いたって。まずあれつぎこれそれからあれしてつぎはこれと。 頭の中がパニくってしまいそうな朝のこと。ささやかに日常をとネットなど。 ある方の日記を読ませていただき。なんだか肩の荷がふっと軽くなったよう。
あれもこれもとずいぶん自分が。すべて完璧にしようなどと思っていたのかも。 一気にやらなくちゃって。一日の限られた時間でどうもがいても出来ないことを。 やらないといけないと自分に拍車をかけようとしていたのかもしれないなと思う。
その綴られた言葉になんと救われたことだろう。こころがほっと楽になれた。
そうして家業のため川仕事に出掛ける。今日はこれを頑張ろうと精を出しては。 帰りにはすぐ近くの海を眺めるゆとりも出来た。水鳥が飛び立つのも間近に見た。
枯草ばかりだと思っていた堤防の道には。もしやタンポポだろうか緑が萌えている。 なんだかわくわくとするのは。この一面が野の花でいっぱいになる景色が目に浮かぶ。
そしたら自転車に乗ってここへ来よう。写真も撮ろうかなっと嬉しく思った。
午後。もう3時近くなってやっと一仕事が終る。家に帰って熱いコーヒーを飲む。 お昼寝には少し遅いかなの時間で。まあのんびり買物でもしようかと街へ行った。
お気に入りの雑貨屋さんであれこれ手にとって眺めつつ。アロマのコーナーでは。 とにかく香りをいっぱいにあびてうっとりとする。やはりラベンダーがとても好き。 そしたら若い女店員さんがとても愛想よく話し掛けて来てくれて。これいいですよって。 すすめてくれたのが。こんぺい糖みたいなのでガラスの器とかに入れて香りを楽しむやつ。
もちろん買いますとも。笑顔で手に取ったのは言うまでもない。ワイングラスに入れたい。
そして今宵。いまはそのうす紫のほのかに香る部屋で。まったりまったり寛いでいる。
明日はあしたの風が吹く。いつもそう思える自分でありたいものだ。
2007年02月03日(土) |
心にもいっぱい菜の花を |
よっこいしょっと峠のように寒を越え。今日はまた暖かな陽射しが降り注ぐ。 また山あれば越えるのだろう。そうしてゆっくりと歩き出せばきっと真の春になる。
私はといえば。ひとつけじめをつける思いで。昨日から慌しさにとび込んでしまった。 家業の『あおさ海苔』の収獲が始まったのだ。もちろん嫌いではない家業のことで。 とにかく全力を尽くそうと勢いをつけているのだけれど。もう若くないせいだろうか。 生活習慣が著しく変わること。気持ちに体力が負けること。あれこれが少しだけ重い。
けれど。やはりここはきりりっと遣り遂げねばと。いま気だるさの夜に意を決している。 遣り甲斐のあることなどそうそうないのが現実。だとするとこれほどありがたい事はない。
弱音を吐くのは今夜限りにしようと。いまはっきりとそう決めたところである。
午後からいつもの山里の職場へ顔を出す。もともとパートだけれどしばらくは。 週に三日くらい時間刻みで仕事をさせてもらうことになる。毎年のことだから。 それがもう慣れっこなのがありがたいものだ。あちらをたてればこちらがたたず。 結局は家業が優先となる。そのはざまで焦りつつ思うようにいかないことも多い。
山里には一昨日からの雪がまだ少し残っていて。そのくせ真っ青な青空が見えて。 大好きな欅の木など天を仰ぐ様子が。それは誇らしく。凛々しくて頼もしいもの。
途中の畑には。つい先日までまだらだった菜の花が。もう一面に咲き誇っていた。 その黄色はほんとうに暖かな色で。心にもいっぱい菜の花を咲かせたいと思った。
焦っている私に。気ばかり急いている私に。ささやかな春はこの上なく優しい。
2007年02月01日(木) |
まるで恋のかけひきのように |
二月の声をきくなり。この冬いちばんの寒波が訪れたようで午後はみぞれ。 時々その雨が雪に変っては。はらはらと舞う。ふと身構えるなぜかは知らず。 なんだかゆるんでいたこころが。きゅっとして思わずふんばってしまうように。
菜の花や梅花やきらきらと眩しかった川面や。その上を試練のような冷たさが。 これでもかこれでもかと挑みながらも実は。ゆっくりと身をひく覚悟の冬だった。
まるで恋のかけひきのよう。わたしがこうでるとあのひとはどうでるだろう。 わたしがここですねてしまえば。あのひとはわたしをなだめてくれるだろうか。 もうこれがさいごのきりふだね。じゃあもういいからさようならなんていって。 ふりむきたくてたまらないくせに。呼びとめてくれるのを待っている。涙ながら。
とうとう。もうもどれないところまでいってしまう。 覚悟というものは決して生易しいものではない。身をひくのは裂けるほどに辛い。
ただそのばしょが春なら。春らしく生きていく。それが結果ではないだろうか。
明日は。大雪注意報が出るかもしれません。
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