2007年01月30日(火) |
ねえ、、、いま幸せなのかな? |
黄昏て今日も一番星を見つけた。ちょうど犬小屋へ晩ご飯を運ぶ途中のこと。 立ち止まってにっこり空を仰いでいたら。あんずが一声「くぃん」と呼んだ。
「今日はお菓子食べなかった?」最近いつも訊くのはついつい人様から頂くようで。 散歩の途中で必ず寄りたがるお宅があるようだ。あんずを見るとお菓子をくれるらしい。 この前なんかお饅頭を5個も食べたらしくて。飼い主とはしては少々恥ずかしいのだが。
「あんよ、あんよ」っといつも声をかけてくれて呼んでくれるらしいのだ。 もうそれは殆ど日課のようになってしまって。「これ、いけません」とは言えず。 ぐいぐい引っ張られては。とうとうそのお宅の庭先まで行ってしまうとのことだ。
ずっと鎖に繋がれた毎日。しょっちゅうヒステリックに無駄吠えを繰り返しては。 ほかに何の楽しみがあろうかと思うと酷くもあり。散歩イコール甘いお菓子も。 この老犬にとって唯一の楽しみならと寛大にもなれる。虫歯だらけの犬だけれど。
どうやら甘いものは別腹らしくて。晩ご飯もすごい勢いでガツガツとよく食べる。 肥満とかあれこれ気にもなるけれど。その食べている様はやはり微笑ましいものだ。
ねえ、空とか見上げることないの?あの光ってるのが星っていうものだよ。 それからね。ほらあれがお月様。ちょっと欠けているけどまん丸にもなるよ。
ねえ、眠っている時夢とか見たりするの?その時って鎖なんかしてないよね? 海へも行くのかな?波って知ってるのかな?しょっぱい水って舐めたりしたの?
ねえ、、、いま幸せなのかな?
これも春の兆しなのか。ずいぶんと日が長くなったことを感じる。
たとえば夕暮れ間近にふっと空を仰いだ時など。一番星見いつけたっと。 思わず童心に返ってなんだか嬉しくなって。その時はまだ夕焼けの紅い雲が。 ひと筋もふた筋も重なっていたりしては。そのくせキラキラと夜が始まる時。
落ちていくものをせつなく想いながら。その光る仕草に胸がときめくような。
そうして一日が。そうして何か言葉に出来ないものまでが黄昏ていくのだった。
昨夜寝静まった頃に突然彼が声をあげて驚く。わっと声をあげて私も目を覚ました。 西の窓の障子の向こうがやけに明るくて。なんだか誰かが明かりを照らしているかのよう。 一瞬ふたり身構えてしまう。足音が聞こえてきそうでとても不安な気持ちになった。
「月かな・・」っと彼が言う。「かもね・・」っと応えたもののとても落ち着かなくて。 「おしっこ・・」って彼が言うので。「わたしも・・」っと一緒にトイレに行った。
その間ほんの数分。部屋へ戻ると何ということだろう。障子には不気味なシルエットが。 まるで悪魔の手のような。おっきな毒蜘蛛が窓にへばりついているような恐ろしさで。 とても正視できない有り様。ぶるぶるっと身震いをしながら布団をすっぽり被った。
あれはきっと裏の柿の木。なんでもないただの柿の木を月が照らしているのだから。 そしたら時計が。よして欲しいのに時を知らせて。なんと草木も眠る丑三つ時である。
とにかくなんとしても眠らなくては。楽しいことをいっぱい思い出そうと躍起になる。 それなのに目を閉じると得体の知れない物が。ぶつかるようにして向かってくるのだ。
彼はといえばもう寝息をたてている。一緒に呼吸を整えてみたりしてみたが眠れない。 そうだ牧場の子羊達を呼ぼうと。可愛いのが柵をぴょんと乗り越える場面にしてみたり。 それも100匹ともなるとさすがに疲れて。ああもうめんどくさいって思ったりもする。
そうしてうとうとしながら夢をみていた。何処だろうここは何処だろうと思っていたら。 もう朝だった。かったるくて頭はずしんと重いけれども。さすがに朝は嬉しいものだ。
ふたりで朝食をとりながら「ねえ・・あれ見た?」って恐る恐る訊いてみる。 「柿の木だろ」「月がちょっと動いたからさ」「だから朝が来るんだろうが」
ああうんやっぱそうか。だよねってすごくほっとしたのもつかも間。
満月はいつ?っとついつい調べてしまった私だった。 満月まであと4日あるらしい。だとすると今夜も柿の木お化けが出そうでならない。
月はおぼろで春とする。ならばまだまだ冬らしさかな・・・。
金柑の実のたわわなのを見つけると。むしょうに千切って食べたくなる。 小粒だけれどふっくらしているのを。ビーバーみたいにして齧るのが好きだ。
それから。その実をお砂糖たっぷりで煮詰めたのもいい。 母さんの味がする。風邪ひかないようにねとか言っては。 子供の頃が懐かしい。甘くてちょっときゅんとするあの味。
ポテトチップスもポッキーもなかったあの頃。母親はそうしていつも。 丹念に心を込めておやつを作ってくれたものだ。金柑やさつま芋や。 時には奮発してドーナツやホットケーキや。お好み焼の時もあった。
子供心には。それは当たり前のことのように思い。母親は居て当然だと。 何ひとつ疑うこともなかったのだけれど。ある日突然という不運なことも。
人生には少なからずあるものなのだ。
面影ばかりを追い求め。時には恨みもし時には赦す素振りもしてみせては。 とうとう我が身も老いの兆しを感じ始めたこの頃。いまこうして在ることに。 やっと母を敬う心が芽生えて来たように思う。多感な少女だった私に対して。 母の与えてくれた試練は。他人には成せない価値あるものだったのだと思う。
おかげで成長し。おかげで羽ばたきもし。何事にもつよく強く立ち向っては。 これが自分の人生だと誇りのように思える時を。いまこそそれをしかと受けて。
まだまだこの人生を歩んでいかねばならない。
わたしの紅い血は。わたしの実ではないだろうか。
母がいて父がいて。わたしは命という大切な実をさずけてもらったのだ。
2007年01月26日(金) |
虚ろな時の悪戯のように |
曇っていて晴れて。また雲ってしまってとうとう雨が降る。 そうして雨がやんだ夜には。風がひゅるひゅると騒がしい。
私はといえば。どこ吹く風やらの心持で。いまはひたすらぽつねんとしていて。 ほどほどにすれば良いものを。また酒をあおりつつ。虚ろな時を愉しんでいる。
階下から聞こえるのは彼の鼾。とてもリズミカルである。風よりも心地良い音。 すこし動物のよう。少なからず愛しいもの。ただただ居ることに安堵するばかり。
そのくせ孤独。なんだか自分自身をわし掴みにしてしまいたいようなこれは衝動。 抑えておさえて宥めてなだめて。最後にはぎゅうっと抱きしめてあげたいものだ。
ここに座る。座ってはじっと見つめているのは。真っ白な何かなのだけれど。 絵を描けない私でも筆は持てるし。絵具を搾り出すことだって出来るようだ。
そうそう中学の時の美術の宿題みたいに。画用紙を半分に折ってしまっては。 そのあてもない色の対象を傑作だと笑えばいいのだ。呆れている先生の顔とか。 思い出しては。あの時はあれで許されたのだもの。私もまんざらではないぞと。
搾り出してみる。好きな色を選ぼう。白には青を。白には赤を。白には緑色を。 そして白には黒を。折ればきっと混ざる。折れば溶ける。折れば重なるものだ。
今宵はとにかく折れてみるのがいい。
そうして広げた自分は、きっと傑作に違いない。
冬らしく霜の朝。きりりっとした空気を心地良く胸にしては。 気だるさを吹っ切ってみる。ぐるぐるの思考を空に投げてみる。
こだわっていること。そのことがすごくいやできにいらなくて。 どうしてもっとあっさりと。からりとうけとめられないのだろうと。 くよくよおもいつめたりしては。なだめてみたりくびをふってみたり。
なんだかちょっとつかれちゃった・・・。
楽しいこと。嬉しいこといっぱいあるのに。私はきっとすごい欲深いのに。 ちがいない。もうじゅうぶんなのになぜだろう。このうえ何が欲しいのだろう。
欲しいのはあげないからかな。もっともっとあげなくちゃ『大切なもの』を。
そしたらきっとわたしは。こころから満たされるのにちがいない。
そのいち。買物をしていて嬉しいのは。納豆がたくさんあること。 もうあっちこっち走りまわらなくても。いつものお店にちゃんとあること。
そのに。今夜は『拝啓、父上様』があること。二宮和也君がすごくいいのだ。 声がたまらない。声聴いただけでうっとりとしてしまう。かなり惚れてしまった。
そのさん。芋焼酎がとても美味しい。グルメ通販ので『他言無用』というやつ。 ほんのり甘いお芋さんの香りを味わいつつ。とろんとろんと酔うのが心地良い。
ほうらね。だからわたしはすごい幸せなんだ。
朝の寒さもほんのつかの間。日中はほんに春かと思うほどの暖かさであった。
今朝は白き梅花一輪を見つける。ほくほくっと心にもその花が咲いたように思う。 そうしてあたためてぬくぬくとした心のまま。いつもそれを抱いていられたらと。
おもって落として。またひろってはすぐに落としてばかりいるのだけれど・・・。
昼下がり。職場に友人が訪ねて来てくれた。田舎のちいさな職場だからこそで。 こんなふうな思いがけない再会もある。気軽く立ち寄ってくれてありがたいことだ。
昨年生まれた赤ちゃんをさっそく抱かしてもらう。ずっしりともう重くなって。 それはそれは丈夫そうな男の子だった。いろいろあってとても苦労して産んだ子供。 察するところがあるだけに。そのことに触れるのは憚りつつ。ただただ「偉かった」ね。 あとはその命の重みに頬摺りをするほど。それは彼女の愛しい分身に他ならなかった。
「お母さんのお友達よ」って。そのつぶらな瞳に彼女が私のことをそう言ってくれて。 その一言がとても思いがけなくて嬉しかった。「ともだち」なんてあたたかな響き。
ずっと思っていた。どんなに安否を気遣ったところで。伝わりはしないだろうと。 にわかにほんとうににわかに。彼女の人生の通りすがりの顔見知りに過ぎないのでは。
ともだちの片想いだってあるのだもの。まして歳の差。それがいちばん辛かったこと。
踏み込んではいけない『線』親身になり過ぎてはいけない『線』その線上にあって。 呼んでみたくもあり。祈りたくもあり。歳月ばかりが泡のように流れてばかりだった。
今日は。ほんとうにありがたい一日だったと思う。
日中は弥生の頃かと思うほどの暖かさ。ふと海を恋しく思った。
だけども腑抜けてしまったわたくしは。ただただものぐささが似合っている。 ぐるぐると慌しいのは愚かな思考のみ。投げれば返るそれはいったい何処に。
ぶち当たっているのであろうか・・・。
庭の陽だまりのクルマのなかで。本を読んでいるうちにまた眠ってしまった。 飼い犬の「ワワン」と吠える声に目覚めてみれば。そこにはヨチヨチ歩きの。 空君という名の幼子が居て。「わんわ、わんわ」って言って。あどけない姿。
おばあちゃんと堤防にお散歩に行く途中らしかった。わんわんすごい好きだって。 そういえばアンズの吠え方が微妙で。彼女は彼女なりに空君を呼んでいる声だった。
尻尾をふりふり応えているのがよくわかる。ひとの言葉が話せなくてもどかしい。 けれど。好かれているのが嬉しくてならないのだ。ワワンは「おいで」なのかも。
空君がよっちよっち。何度も振り返ってきょとんと。つぶらな瞳でバイバイって。 堤防への路地を遠ざかっていくのを。私も手を振りながらしばしそこに立っていた。
するとどうしたことだろう。ほんの一瞬。その姿が我が子の幼い頃に重なってしまう。 急いだら転んじゃうよ。ゆっくりだよ。ほうらほうら。おいちにおいちにって。
歩き始めた頃のあの誇らしげな笑顔。転んで泣いてはまたすくっと歩いてくれた。 そうしてやがて走り始めてしまうと。路地の向こうに見失ってしまいそうだった。
どれほどの時がと。どんなにそれをかぞえようとしても。 そのかずなどいまは。いっしゅんにして抱きしめられる。
わたしは我が子に育ててもらったのだと。いまはおもう。
ワワン。ワワンと。今夜はとても子供達が愛しくてならない。
日常がまたゆるやかに。かと思えばぎくしゃくと。それでいて平穏に。 流されているのだろう。たぶん少しずつ向こうへ。進んでいるのだろう。
ちょこっと穴があって。跳び込んでみたいような。今日この頃だけれども。 その穴がすごく不自然。でこぼこでゆがんでいる。それなのにぽっかりと。 目の前にあるのが嫌だ。なんとしても避けたいと。空ばかり見つめている。
その空には。紅い実をつけたおっきな木が降るように咲いている。 それはそれは誇らしい姿で。きりりっと空に立ち向かうような木。 好きだなって思って。好きだとどうしても名前が知りたいなって。 いろいろ調べてみたけどわからなかった。残念なのと少し哀しい。
『哀しい』と書くと。どんどんその穴が「おいでおいで」って呼ぶので。 すごい嫌だ。なら書かなければいいのに。なんで書くのだと無性に嫌だ。
わたしは嬉しいのが好きだ。今日はあんまし嬉しいことなかったかもしれない。 でも昨日は嬉しいことがあったからよかった。ずっと抱いていたいなと思う。
ぽっかりなのでぽかんとしていると。
ぽかんがいろいろちょっかいだして。
あれこれいっぱいつめこもうとする。
穴を塞ぐのはなんだかやたらしんどい。
だから見てる。ずっと見ていてあげる。
ぽかんよぽかん。はやくねむくなあれ。
2007年01月15日(月) |
この猫。冬が嫌いにあらず。(完) |
自然の恵みというものはつくづくとありがたいもので。 大漁の日があれば心から笑みつつ。疲れも吹き飛ぶ思いがするもの。
しかしそれを当たり前だと思っていると。とうとう手のひらを返すようにして。 川底を悉く削られてしまった挙句に。もう育たなくなった青海苔は老いていく。
それはやはりひとの髪のよう。その緑の筋は老人のそれのように白くなるのだ。 「もうおしまい」とみなが言う。「おつかれさん」ってそれぞれを労いながら。
そして季節は冬のさなかからゆっくりと春に向かい始めるのだけれど。 ほんのひと息ついたばかりで。今度は別の種類の海苔の収獲にかかる。 『青さ海苔』といって。この海苔は天然は殆ど採れず主に養殖とするもの。 河口から港口にかけての浅瀬に幾本もの杭を打ち。長い網を張って育てる。
これも緑が美しい海苔で。青海苔が筋なら。これは緑の葉っぱのようなもの。 引き潮にかけて漁をするのだが。胴長靴に防寒着。毛糸の帽子など被っては。 その上に頬被りもしてみたりで。小柄な私などはとても滑稽な姿になってしまう。
初めてそれをした時などは。胸近くまである水がちょっと怖いなと思ったけれど。 これも収獲の喜びというものだろうか。やってみるとなかなかに面白い作業だった。
左手で網をちょいと持ち上げると。右手でせっせと。かつ丁寧に毟り採っていく。 そうして腰に繋いだタライにホイホイッと入れていくと。気がつけば山盛りになって。 そしたら今度はタライを沈めないようにおそるおそる。船まで水中歩行をしていく。
一回二回とそれを繰り返しているうちに。もうすっかり潮が引いた川は陸のようで。 水が無くなってしまうと。今度はそのタライの重いこと。えんやこらどっこいしょ。 まるでひとり綱引きをしているふうになり。薄っすらと汗をかくほどあたたまる。
船からトラックに荷を移し終えると。ぜえぜえしながらも頬被りをはずしてみる。 その時の冬の風の心地良いこと。空など仰ぐ余裕も少しはあってとても清々しい。
そしてそれから。もう一仕事。今度は作業場まで帰り海苔を洗って始末せねばならない。 地下水を汲み上げるポンプの威勢の良い音。ぐるぐると回る洗い機の勇ましい響き。 洗って絞って。ふさふさになるようほぐして。それを木枠の干し台に丁寧に並べる。
そうしてやっと明くる朝の日和を楽しみに。今度はお陽さまの恵みに授かるわけだ。 一日では乾ききらず。三日四日目あたりにやっと一枚の広い海苔が出来上がる。 それはとても良い香りで。取り入れる時のほのかな温かさは愛しいとさえ思えるほどだ。
まだほんの駆け出しだったその頃。姑は弟子達に厳しくもあったが。今はそのおかげと。 心からありがたく思う。時に懐かしく。時に切ないほど。私達は本当に精一杯だった。
作業場の庭では幼い子供達が。ひとりは甘えることもせず黙々とひとり遊びをし。 ひとりは泣きもせずほんとうによく寝てくれる子だった。一緒に遊んでもやれず。 せめて夜はと抱いてあげたことがあっただろうか。なんだか少しも思い出せない。
ただ息子と手を繋いで家に帰ったような。帰るなりサチコのオムツを替えたような。 父親とお風呂に入った息子が肌かん坊で逃げ回ったこと。サチコは夜になると酷く泣いて。
家業と子育てと。何もかもが重いと。もしかしたらふとそう思った事もあったかもしれず。 今となってはそれはもう。わたし自身の灰汁のようで語るのも愚かしいことであった。
猫はおもう。もういまでは猫ではないのかもしれないけれど。
捨て猫同然だったあの若き日に。私を抱きあげてくれたひと。
そのひとと家族が。こんなにもあたたかく私を育ててくれたこと。
ここの冬がとても愛しくてならない。
白波が立つほどの冷たい川風が好きだ。
この猫。冬が決して嫌いにあらず。
・・・・・完・・・・・
2007年01月13日(土) |
この猫。冬が嫌いにあらず。(2) |
猫の冬はそうして。てんてこしながらまいまいしながら泣いたり笑ったりで。 頑張ろうと思える日もあれば。やらなくちゃって思う日も。仕方ないことと。 思えば一気に憂鬱になるものだから。気をとりなおしていつもはっけよいする。
はっけよいのこった。いまはもう幾度目の冬だろうか。私は今も残っているようだ。
四度目の冬を待たずに。夫の父親が不治の病の末この世を去ってしまった。 虫の知らせというものだろうか。まだ病の兆しもない元気だった春のこと。 夫は13年勤めた会社を急に辞めてしまう。そして俺も川漁師するからと言う。 その時の父親の言葉が今も忘れられない。「ワシ・・死ぬのかもしれんな」って。 それはほんとに冗談のつもりで。ただただ跡取が出来た事が嬉しかったのだと思う。
家業にはまるで興味が無く。私が手伝うのさえ他人事のように言ってばかり。 そんな彼の決心はとても腑に落ちず。かと言ってどうしてそれを止められようか。
そうして弟子入りしたのもつかの間。その夏には川海老が大漁の日もあっては。 その時の嬉しそうな笑顔をまぶたに焼き付けられたままに。秋深き頃となって。 なんともあっけなく。頑健で逞しく浅黒く日焼けしたその顔のまま父親は死んだ。
家族みな悲しみのどん底でありながら。三歳の息子はもう腕白盛りとなっては。 ひょうきんな仕草をしてはみんなを笑わせてくれる。サチコはお誕生日を過ぎて。 よちよち歩きをしては転んで。また起き上がっては前へ前へと歩き始めていた。
また冬がくる。南風が西風に変って。川の流れもひんやりと白波をたてては凛とし。 そこに立つと。身も心も研ぎ澄まされるように。ふんばってふんばってそこに在りたい。
やらなければいけないのではない。やるんだとやっと思えるようになった。
姑さんの手ほどきほどありがたいものはなく。ほんとうに手取り足取りであり。 見よう見真似も日々の重ねで。とにかくやってみようと思えることばかりだった。
船着場で待っていると。船外機の音がして夫達の船がゆっくりと岸に辿り着く。 そこにはひと山ふた山よりもっとと思えるほどの青海苔がどさっと積んである。 待ってましたとばかりに私も船に跳び乗って。姑さんと青海苔を洗いはじめる。
ゆっさゆっさと。それは緑の筋を水の中で。なんだか人の長い髪の毛のようで。 たぽんたぽんと。水をたっぷり含ませるようにしながら。落ちこぼさないように。 右手でしっかりと中央を握り締めて。左手で髪の毛をすくような仕草をしつつ。 撫でて撫でてなめらかに。その筋がひと際青く緑になびくようにしながら洗うのだ。
そうして中央からきゅうっと握り締めながら水気を落としてゆくと。きりりっと。 なんだかポニーテールみたいな可愛いらしい姿の『青海苔洗いました』が出来る。 姑さんのは長い髪の少女風で。私のは無理矢理ひっつめたポニーテールなんだけど。 そこは笑ってごまかしたりしては。やはりちょっとは得意顔で。やれば出来るんです。
そうしてその頃が朝のうちだと。えっさえっさと大急ぎで天日干しの作業にかかる。 ほいっほいっと。そのポニーテールなのを張り巡らしたロープに引っ掛けておいて。 かたっぱしから。その髪の毛をほぐすように手で丁寧にほぐしていかねばならない。
朝陽がまぶしい。なんてきらきらと眩しいのだろうって。乙女チックしている暇もなく。 急がないとお陽様においてきぼりにされちゃうぞって。えんやこらさっさ。ほいさっさ。
そうしてすっかり緑の幕が出来上がると。すごいすごい嬉しくてとてもほっとする。 風よ吹け吹けって思う。お陽さまって神様みたいにありがたいなって思う。
猫はおもう。たしかに猫だったのだけど。
猫なりに猫は。この在りかがもしかしたら。
猫を猫として受け入れてくれた唯一の場所なのかもしれない。
愛したかった。ものすごく愛したいと思った猫であった。
この猫。冬が嫌いにあらず。
次回につづく。
2007年01月11日(木) |
この猫。冬が嫌いにあらず。 |
冬らしさこのうえなく。雪こそ降らないけれども朝霜は粉雪かと思うほど。 川面に朝陽が眩しくて。ゆらゆらと蒸気のように水が天に昇るのを見た朝。
河川敷では天然青海苔を干している人達がいる。頬被りをして防寒靴を履き。 枯草が霜できらきらと光っている上を右往左往しながら。とても忙しそうだ。 冬の風物詩と言われているように。そうして一面に干された海苔は緑の幕のよう。
それは西風ほどよく乾き。ひゅんひゅんとその幕が風になびくほどになれば。 緑の海苔は一段と濃い緑となり。一筋つまんで口に入れるととても香ばしい。
私は22歳の時にここに嫁いで来たけれど。夫の両親が川漁師であったため。 すぐに慣れない仕事を手伝わなければならなかった。猫の手も借りたいのだと。 姑は言って。私はすぐさま猫になってしまったのだった。にゃんとびっくりで。
最初はもの珍しさが勝ち。なにからなにまで新鮮で面白いなと思ったのだけど。 そのうちだんだん疲れてきては。なんてところに嫁に来たのだろうと辛くなった。
子供が生まれても。やはり私は猫だった。にゃんとしてもがんばろうと思っては。 背中に息子を負ぶっては河川敷へ走った。幸いなことに息子は泣きもせずいい子で。
つらい辛いもやがて慣れると。嬉しいことも少しずつ見つけられるようになる。 たとえば晩ご飯。その日苦労して干しあげた青海苔で姑さんがふりかけを作ってくれる。 遠火であぶったのを手のひらで丁寧に揉みほぐして。花がつおにゴマとお醤油少し。 それを熱々のご飯にのっけて食べると。それはそれはアゴが落ちるほど美味しい。
ゲンキンなもので。もうそうなると猫は。いいところに貰われて来て良かったなあって。 明くる日も頑張ろうにゃって心に誓うのだった。
この猫。冬が嫌いにあらず。 次回につづく。
2007年01月09日(火) |
この気なんの気きになる気 |
冬の朝らしく今朝はずいぶんと冷え込む。窓の外がやけに紅くて。そっと少し。 開けて見るとそれはとても不思議な空で。灰色の雲が砕かれたように散っては。 そこに朱色の液体を零してしまったような。胸が不安がるほどの紅い空があった。
ばくぜんと。何かが起こるのではと思う。そう思い始めるとどんどん不安になる。
そしてふっと思い出した。いつかの朝にもこんな空を見上げたことがあった。 あの時には綺麗だって思って。急いで写真を撮りに行ったのだった。走って。 堤防まで駆け上がってはあはあしながら。すごい胸がわくわくして熱くなって。
おんなじの空にまた会えたのだ。よかったまたあえて。そしたらすごい嬉しい朝だ。
仕事を終えて。いつものスーパーに行ったら納豆が一個もなかった。 店員さんにぼやいていたら。一人で10個も買ったひともいたらしい。 ふむふむあれだなっとピンとくる。TVの『あるある大事典』に違いない。 私も昨日から一日2パック食べているもん。そしたら絶対痩せるんだって。
なんとなくいやな予感を抱きつつ。別の大型スーパーにまた行ってみる。 案の定だった。納豆の棚のところが空っぽだった。売り切れの張り紙まである。 がが〜んと眩暈がするくらいショック。あれ食べないと死んじゃうって思った。
涙出そうになったけど。諦めんぞ!って思って。また別の店へ急いで走った。 よかった。ありました。とりあえず3日分確保。ふうっと安堵の溜息が出る。
決して大好物ではないのだけれど。去年から毎朝欠かさず食べているのだった。 なんとなくパワー出て来て。体調もすごくいい感じに思う。ほんと納豆さまさま。
気のせいだって家族には笑われるけれど。気はもちようでなんとでもなるもんさ。
きのうは小雪がちらちらと舞ったけれど。今日はいくぶん穏やかな空となる。
くたくたと炬燵にすっぽりでいて。無気力もこのうえないところ。 昨夜は思いがけず友人から電話があり。今日は久しぶりに会うことが出来た。
ときどきは会おうよねって約束していたのに。この前っていつ?ってふたり。 思い出そうとしたのだけど。夏だったような秋だったような季節さえも忘れて。 でもなんかついこの前みたいだよねって笑い合った。ものすごいスピードねって。
どんどん駆け足みたいに時が流れたことを。ふたりしみじみと思った。
『ぶんがく』の話しが出来る唯一の友だった。むつかしく論じるのではなく。 さいきん感動したこととか。なんとしても書き残しておきたいことだとかを。 文学少女のなりの果てやもしれないふたりが。真剣な目で切々と語りあう時。
思うようになにひとつ進歩しないげんじつ。ついつい焦ってしまいそうになる。 このまま老いの真っ只中に身を投じることの怖さ。それは哀しみにも似ている。
わたしはもうとっくに『ほそぼそ』を選んでしまったのだけれど。 こんなわたしでも。彼女は刺激に思ってくれると言う。なんとありがたいことか。
ほそぼその身がだんだんと朽ちることばかりを嘆きそうになっていたけれど。 その身を実だと信じて。このさき生かされるだけ生きてその実を残したいものだ。
彼女が去年の夏に訪ねたという。金子みすずの生まれ故郷の町のこと。 無人の駅をおりたらすぐに『みすず通り』というのがあるのだそうだ。 どの家にも。みすずの詩を書いた木のふだが飾られていて。その詩は。 そこのお家の人がいちばん好きな詩をえらんで書いてあるのだと言う。
少女みたいに目をきらきらと輝かせて。彼女はその感動を伝えてくれたのだ。
わたしは。胸がいっぱいになって熱いものがほろほろとこぼれそうになった。
ありがたき友 ありがたきいちにち。
2007年01月06日(土) |
のんびりと元気でいよう |
今朝いつものように家を出て。四万十大橋を渡り対岸の川沿いの国道を南へ。 右手に大文字山が見えた時だった。左側の道沿いの畑にもう菜の花が咲いていた。
とても思いがけないことで。もしかしたら昨日も咲いていたのかもしれないけれど。 記憶にはなく。そこだけほっこりと春の色なのがとても新鮮な輝きに見えたのだ。
今日もいい日なんだなとつくづく思う。
よういどんしてしまって。ぼちぼちいこうとこころで決めたけれど。 昔から駆けっこが得意だったせいか。ついつい全力出しそうになる。 でもパン食い競争は苦手だった。いっつもビリ。泣きそうになった。
誰よりも早くパンの下まで走って行くのに。パンを上手く咥えることが出来ない。 みんなみんなあっという間にゴールへ着くのに。私はついに時間切れになってしまう。
まあそんな感じで。なんとなく私の人生もパン食い競争に似ている。
ぼちぼち行くのは結構むつかしいと思う。のんびりと元気でいたいのにな・・。
でも今日は。菜の花を見つけられたからすごい嬉しかったよ。
2007年01月04日(木) |
ささやかな朝のふれあい |
空はどんよりと曇っていたけれど。なんとなく清々しい心持ちとなり。 しゃきっと背筋を伸ばした勢いで。今日がこの一年の仕事始めだった。
思えば毎日のように家に帰れば愚痴ばかり。そうかそうかと味方してくれる。 彼というひとが居てくれることに甘えすぎていたのかもしれないと。反省もし。
久しぶりなのが恋しく思えるほどにいつもの山道を走る。 急カーブの上り坂に差し掛かりぐぐっとくねるように進むと。 その坂道の途中の山肌に。中腰のまま背をもたせかけてひと休みしている。 男女のお遍路さんに会った。なにかしきりに語り合っている様子にふふっと。 思わず笑みがこぼれて。その顔のまま会釈をすると。ふたりにっこりの笑顔。
いい朝だなあって思う。すごいすごい気持ちいい朝だ。
そうしてその顔のまま。またぐぐっと坂道を一気に上り詰めると。 今度は前方からいつもの白いミニバン。プリン屋のおくさんだった。 山里で土佐ジローという品種の鶏をたくさん飼っていて。その卵で。 手作りのプリンを作っては町の店に卸しに行っているみたいだった。
話したことは殆どなく。会うのはいつも朝の道。すっかり顔馴染みになっていて。 右手を「おっす」するみたいにいつも手のひらで声をかけてくれるのが嬉しい。
ささやかな朝のふれあいはなんともいえず。こころがふくふくっとまあるくなる。
わたしはいっつも思う。このいただいた『ふくふくっ』を大事にしようって。 思うのに。いつのまにか気付いたらしぼんでいることが多い。なんてことかしら。
美味しいプリンを口元まで持って行った時に。誤って足元に落っことしたような。
もうそれが。あとのまつりなのだった。いけないいけないでもしかたない。
でも今日はすごいよくできました賞を自分にあげたいと思う。
ふくふくっとまんまるくなって眠りますよ。
ぐっすりおやすみなさいね。
寒気もゆるみやわらかな陽射しに恵まれては。また新しき年へと歩みだした。 年頭の抱負などは何ひとつ思うこともなく。ただただ平穏を祈るばかりである。
届いた年賀状のありがたさ。お元気ですか?と添えられてあるそのひとことが。 とても嬉しく思う。思えば幾年やら20代の若き日から会えないままでいる友。 その笑顔が懐かしく目に浮かんでくる。あの日のままで。それは遠い昔ではなく。 つい昨日ではなかったかと思えるほど。色褪せぬままに心に映し出されてくるもの。
大晦日の夜から賑やかにお酒をいただき。元旦もまたそのうえの賑やかさとなった。 親族内そろったところへサチコの彼氏も加わり。みなで和みつつ酔って候のてい。 ほのぼのと心地良く。楽しい時を過ごさせていただくありがたさは一入であった。
ふつか日の昨日は生憎の小雨模様ではあったが。隣り町の延光寺さんに初参りに行く。 彼はといえば雨を疎んで行きたがらず。私はむしろ雨も好ましく思ってひとり出掛けた。
お寺の裏山の八十八ヶ所巡り。その枯葉の潤った道を踏みしめるように登りつつ。 先にも後ろにも人の息がないことが。ただただぽつねんと己を確かめるに相応しく。 身も心もすっかりと澄みわたり。傘もささずにいるとよけいに心洗われる気持ちになる。
ありがたい道だとつくづくと思う。この先どんなに老いようと歩こうと思う道だった。
そうして平安に平穏にまた夜が巡って来ると。ゆっくりと日常の気配も強まり。 またここから歩みだせる日々が目の前にずっとながく続いているのだと思うと。 とにかく一日を一歩だと踏みしめて行こうと思う。どんな日もあるだろうけれど。 どんな日もありがたく受止めていけるよう。こころを平らかに保ち続けたいものだ。
実は昨夜。こうして書いている途中にちょっとしたアクシデントがありました。 まことに不本意なことで。いま思えばその原因もさだかではないのだけれど。
わたくし生まれて初めて救急車のお世話になりました。
いやはや情けないことですが。もうこれで死ぬのかと思いました。 言葉遣いは悪いけれど「くそぅ・・くそぅ・・くそぅ!!」と思いました。
過換気症候群とやらの発作だったそうで。ひとにはよくあることだそうです。
だからわたしにもあったのでしょう。
一夜明ければ嘘のように元気です!まあだから。どんな日もあるものですね。
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